PSEマーク
4月1日以降、PSEマークのついていない電気製品の販売が禁止される予定だったが、反対の世論が強く、いわゆるビンテージものと呼ばれる電子楽器等についてだけ一定の場合に限りPSEマークのついていなくても販売できることになり、最後にはレンタルとみなすという方便で事実上中古家電については骨抜きになった。
ところで、電気用品取締法が改正されて電気用品安全法が制定され、それによりPSEマークのついていない電気製品の販売が禁止されることになった。業者がそれに反して販売をすると刑罰を科せられる。法律の本文の上だけでは、現在でも既にその販売は禁止されている。ところが、法律附則の経過規定やら、施行令や施行規則によってその法律本文の効力が抑えられている。
それだけではない。私のように少しは行政法をかじっている人間が見ても、施行令や施行規則のどこを読めば、経済産業省が説明しているような、いわゆるビンテージものと呼ばれる電子楽器等の販売条件が読みとれるのか、さっぱり分からない。
挙げ句の果てには、PSEマークなしに中古家電を販売しても、後に製品の安全性をチェックしてマークを付けるまではレンタルとみなして、販売したことにはしないというのは、どこをどうひっくり返せば、そういう解釈運用をできるのかさっぱり分からない。
これでは、法律とは、経済産業省のお役人がこうだと決めればそれが法律になるというのと同じではないか(実は、法律の案文も、国の省庁の職員、すなわちお役人が作っているのだから、同じことなのだが)。およそ法治国家の体をなしていない。
こういうことがあると、勝手な推測をする私としては、経済産業省のお役人が当初は規定通り法律を施行すると決めていたのが、有力政治家の圧力があったために、施行直前になって急転直下事実上骨抜きになったのではないか、としか思えない。国民の利益になる方向に法律が事実上改正されたのだから、結果往来で言えば良いことではあるのだが、しかし同じようなことが逆方向で起こりうる可能性もある。
投稿者:ゆかわat 23 :01
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小早川伸木の恋
最終回だけを見た。離婚調停のシーンが出てきた。当事者双方と代理人双方が同席で調停をしていた。通常、調停は、交互面接方式で行う。このドラマのような調停方式を同席調停という。私の知るところでは、最近になってから一部で同席調停が行われるようになった。
もうこれで不調だという最後になってからの同席調停だった。代理人双方とも事実関係自体を争っているようで、代理人自身が当事者よりも先鋭・感情的になっていた。現実ならこれで話し合いの余地がなく不調になるところだが、ドラマでは、当事者がそれぞれ自分の心のうちを開いて心情を吐露した。妻は自分が愛されていないのではないかと感じ、夫に2時間おきに愛してるメールを寄こすように言った。それに対して、夫は仕事が大変なのにそれを我慢してメールを送り続けた。妻はそんなに拘束に感じているのならそう言えば良かったじゃないかと言い、夫はそんなことを言ったら妻を傷つけ家庭を不和にするから言わなかったという。妻は夫の不貞をなじり、夫は妻は自分の話を全く聞こうとしてくれなかった、そんなときに彼女は自分の話を聞いてくれたという。
こんなすれ違いはどこの夫婦でもあることだ。結婚して最初のうちは、お互い何でも話し合い、お互いが相手の世界を理解しようとしあう。ところが、子供が生まれ、家庭と仕事が忙しくなり始めると、だんだんすれ違いが起き始める。そのすれ違いに気づかない夫婦、すれ違いに気づいても気にしない夫婦、それ違いに気づいてもそれを我慢しあえる夫婦、すれ違いを克服しあえる夫婦は、生涯夫婦でいられることだろう。でも、そのすれ違いに気づき、それを克服できず、それに耐えられない夫婦、あるいはそのすれ違いから別の異性を選択した夫婦は、離婚という問題に直面することになる。
離婚をするにしても、しないにしても、実はそのすれ違いをお互いがしっかりと認識し、理解し合うことが一番大切なことだ。夫婦でいる間にそれができるのが理想だ。仮にそれがだめでも、調停の場で話し合い、理解し合うことが大切だ。それがなければ、お互い憎しみあって、あるいはあきらめあって、別れ、あるいは形だけ元のさやに収まることになる。
でも、本当に大切なことは、相手のことを理解し、かつ、現実と直面することだ。それができたとき、当事者は自分たちで自分たちの進路を決断できるはずだ。ドラマでは離婚を合意で選択した。昔のドラマでは、元のさやに収まるストーリーが多かったと思うが、これも時代の流れなのかもしれない。
投稿者:ゆかわat 23 :45
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