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2006 年12 月30 日

民事調停官の3年間を振り返って

 今週火曜日で3年目の調停官の執務が終わった。
 この3年間の実績を見てみると,
 平成16年は,成立25件(47.2%),不成立17件(32.1%),取下8件,17条決定3件,不開始決定3件の既済合計53件
 平成17年は,成立25件(56.8%),不成立12件(27.3%),取下5件,17条決定1件,不開始決定1件の既済合計44件
 平成18年は,成立19件(44.2%),不成立13件(30.2%),取下6件,17条決定4件,不開始決定1件の既済合計43件
 このうち,成立事件だけを見ると,
平成16年は,2回以内の成立割合が56%,3回以内が68%
平成17年は,2回以内の成立割合が56%,3回以内が88%
平成18年は,2回以内の成立割合が68.4%,3回以内が73.7%
ということになっている。

 実感と照らすと,処理件数,すなわち事件配点件数が徐々に減ってきている(これは,調停事件数が全体として減ってきていることによる。)のと,成立率が落ちてきつつあることが特徴だ。
 成立率が落ちてきているのは,事件が難しいものが多くなってきたことによると思われる。
 それは,平成18年の成立事件の調停回数が2回以内に終わるものが68.4%と多くなってきた反面,3回以内に終わる割合が減ってきた(すなわち,4回を越すことが多くなってきた)ことと,不成立事件の3回以内の割合が,平成16年88.2%,平成17年が75%,平成18年が46.2%と急激に減少していることからも伺われる。すなわち,以前なら成立は困難と早期に諦めていた事件を,平成18年には,何とか調停回数を重ねて説得を繰り返し,その結果成立に持ち込むとともに,どうしてもだめな事件だけを不成立で終わらせていることの現れだ。だから,成立にしても,不成立にしても,調停回数が増えてきている。

 改めて調停回数の多い事件を見てみると,成立事件にしても,不成立事件にしても,いずれにしても,調停相当事案ばかりだ。それは,当事者にしてみると,不当な譲歩を強いられていると感じていたと思うが,訴訟になったらそれ以上に不利な結果となることが予想された事案につき,繰り返し説得を重ねた。決して,訴訟による解決がふさわしい事案を,声の小さい方に無理な譲歩を求めたものではない。

 しかし,不調になって訴訟に移行した事案についても,調停委員会としては製造物責任は認められないのではないかと思っていたものが,訴訟で責任が肯定されたものがあった。もしこの事案で無理に見舞金程度で調停を成立させていたら,かえって被害者の利益救済にならなかったのであるから,不調になって良かったと思う反面,調停委員会としてもさらに研修を積む必要を痛感させられた。

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投稿者:ゆかわat 16 :56 | ビジネス | コメント(0 )

2006 年12 月27 日

B型肝炎訴訟最高裁判決(H18.6.16)

 判例時報を眺めていたら、気づいたので、改めて読み直してみた。

 乳幼児期に受けた集団予防接種や集団ツベルクリン反応検査によってB型肝炎ウイルスに感染しB型肝炎を発症したとして国に対して損害賠償を求めていた事件で、最高裁第二小法廷は、集団予防接種等とウイルス感染の因果関係を肯定し、かつ、予防接種から訴え提起時までに20年以上を経過していたのにも関わらず除斥期間経過による請求権消滅も否定した。

 本事案では、B型肝炎ウイルス感染の原因が集団予防接種等にあると認めうる直接の証拠もなく、原告らの集団予防接種等で他に同ウイルスに感染した者が存在するという証明もなく(それどころか、ある原告については、同じ接種を受けた者について調査したところ、協力の得られた者については感染者はなかった。)、B型肝炎ウイルスの感染源の特定もできず、そればかりか、B型肝炎ウイルス感染経路は集団予防接種等以外にも複数あり得、しかも原告らの家族の中には過去にB型肝炎ウイルスに感染した者が存在したという。したがって、本件の1審地裁判決のように、因果関係を否定するのはやむを得ないものとも思われる事案であった。それにもかかわらず、2審高裁判決も、最高裁判決も、因果関係を肯定した。これは、特筆に値する。翻って考えるに、自分自身、この事案に接したら、被害者救済の必要性は感じつつも、因果関係を肯定するのにためらわれた。そんな自分の因果関係に対する厳格な(消極的な)姿勢の反省も必要だ。

 もっとも、被害救済のために因果関係をある意味で緩やかにとらえる傾向は、ルンバール事件判決(最高裁第二昭和50.10.24)以来存したところでもあり、何も本件だけが特別なのものではないのであろう。しかし、それにしても、近時の最高裁の被害救済の傾向を象徴する事件だ。

 もっとも、考えようによっては、本件にしても、ルンバール事件にしても、国を被告とする事件であるから、国を敗訴させたところで、それは国民の税金によって救済されるのだから、本件事案解決のための政策判断とも考えられる。被告が民間企業の場合とは、因果関係の捉え方も代わるのかも知れない。

投稿者:ゆかわat 04 :52 | ビジネス | コメント(0 )

自動車の燃費規制

アップし忘れていたので、ちょっと古いネタ。

 5日の日経朝刊に「経済産業省と国土交通省は2015年度までに、自動車の燃費を現在より約2割改善する新基準を自動車メーカーに義務付ける方針だ」という記事が載っていた。京都議定書を実効するために燃費規制を行い、地球温暖化対策を進めるのは正当な目的のある政策だ。

 ただ、ちょっとひっかかったのは、「燃費規制は1999年度に導入された。基準を達成できないと政府はメーカーに是正を勧告。それでも改善しなければメーカーや車種を消費者に公表するほか、罰金を科する場合もある。」という点だ。
 
 燃費規制の実効性を確保するために、行政指導(勧告)や公表や罰金を定めるのは理解できるが、その法的根拠は何だろうか。少なくとも罰金を科するためには、法律が必要だ。しかし、残念なことに、新聞紙上にはその法的根拠たる法律は明示されていなかった。
 しかも、「世界で最も厳しい」燃費規制を達成しようと思えば、その技術も高いものが要求されようし、投資も絶大なものが必要となるだろう。それだけのことをするためには、よほどの資金力・技術力のある大企業でないと不可能だろう。大企業にしか自動車の生産を認めないというのが経済活動の自由の規制として合理的なのだろうか。
 仮にそれが合理的だとしても、、氏名の公表によって燃費基準の達成できない自動車の市場からの排除を消費者に委ねるのが無難なのではないか。それとも、地球温暖化防止は、罰金を課してまで実現しなければならない緊喫の課題なのだろうか。仮に緊喫の課題だとしても、「世界一厳しい」燃費基準が地球温暖化対策に貢献する程度(政策目的を実現する方法の相当性)はそれほど大きいのだろうか。

 ふと東京に向かう新幹線の中で考えた。

投稿者:ゆかわat 04 :45 | ビジネス | コメント(0 )

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