現代行政法講座編集会議
今日は、10月に出版予定の現代行政法講座の編集会議に東京まで行ってきた。どなたの推薦かは分からないが、入札に関する争訟について私が執筆を割り当てられた。考えてみれば、これまで談合住民訴訟や、入札の指名停止の国賠訴訟や、下水処理場の維持管理業務を第三者が請けたのを取り消して自分に契約し直すように求める訴訟を提起したりしてきたから、それらの訴訟で感じてきた疑問をぶつければいいと思って、執筆をお請けした。
編集会議でも、日頃、住民訴訟や情報公開訴訟で感じてきた疑問や悩みを述べてきた。
学者の世界はいいなとつくづく感じた。相手の先生方がどんなに偉い、業績ある先生であっても、まともな質問・意見には耳を傾けてくれる。しかし、裁判所は、全く違う。どんなに正当な指摘や主張をしても(と自分が思っているだけかもしれないが)、全く説得力のない行政の言い分をそのまま採用する。法科大学院にも身を置く二足のわらじを履くことになったが、そのままこっちを本職にしようかな。
投稿者:ゆかわat 18 :08
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放射性物質で汚泥処理苦慮
5月30日の日経夕刊に「東日本の下水処理施設で発生した汚泥や焼却灰を搬出できない自治体が続出している。福島第一原発の事故で放出されたとみられる放射性物質を含む汚泥の全国的な取扱い基準が不明確で、処理業者に引き渡せないためだ。(略)放射性物質を含む汚泥の取扱いに関する国の基準はこれまでなかったが、政府は・・・濃度が1キログラム当たり10万ベクレルを越える汚泥については可能な限り焼却するなどし、焼却灰を容器に入れて保管すべきだとした。規制値以下に濃度が薄まればセメントへの再利用が可能だ。」とある。
しかし、廃掃法2条は、「廃棄物」には放射性物質及びこれによって汚染された物は含まれないとしているから、放射性物質に「汚染された」物は「廃棄物」ではないので、これをどう処分するか、あるいはしてはならないかは、廃掃法は関知しない。
放射性廃棄物の廃棄については、原子炉規制法が規制しているが、そこで規制されているのは使用済み核燃料等の放射性廃棄物の最終処分や最終処分をする前の管理であって、原発事故に起因して発生して放射性廃棄物はそもそも念頭に置いていないから、やはり規制の対象となっていないように見える。
したがって、放射性物質を含む汚泥は、取扱い基準がないから処理できないのではなく、自治体の判断でしかるべき処理をすべきなのである。国の取扱い基準がないから処理できないというのでは、機関委任事務時代の、考える頭のない自治体に逆戻りである。
もっともそれは好き勝手に処理すればよいのではなく、自治体独自に大学等研究機関の助言を得ながら最善の処理をするということである。
投稿者:ゆかわat 23 :12
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福島原発事故IAEA報告
IAEAの調査報告書案は、津波の危険性を過小評価していた、原子力の規制当局は独立性と透明性が保たれるべき等を指摘している。
ところで、規制機関が独立性と透明性が保たれれば足りるのか。福島原発については、第二原発について原子炉設置許可処分取消訴訟が提起されていたが、政府からの独立が保障されている(とされる)裁判所ですら津波の危険性を過小評価していたのだ。
たとえば、福島第二原発訴訟の福島地裁昭和59年7月23日判決では、「小名浜港における潮位記録により既往最高潮位とされているチリ地震津波の三・一メートル(小名浜工事基準面プラス三・一メートル)をはるかに上回る潮位一二メートルと設計されること及び福島第一原子力発電所観測結果による最大波高は一九六五年(昭和四〇年)の台風二八号の際の約八メートルであるが、本件原子炉敷地前面に防波堤が構築されるので高波浪の影響は防止されることとなつていること(略)によれば、右(略)の判断には合理性が認められる」から「本件安全審査において、本件原子炉施設は、その基本設計ないし基本的設計方針において、自然的立地条件に係る安全性を確保し得るもの、すなわち、自然的立地条件との関連において、原子炉等による災害の防止上支障がないものとして設置されるものであるとされた判断には、合理性があると認められる。」として行政の判断を追認していた。
住民は原発設置当時から地震や津波の危険性を指摘していたのに、その声に耳を傾けなか
ったのは、国民の権利を擁護する最後の砦である裁判所なのだ。問われるべきは、規制当局の独立性よりも裁判所の独立性だ。
福島原発事故を踏まえたら、原子炉設置許可処分には重大な瑕疵があることは明白だから、無効確認訴訟がされ直されるべきだろう。
投稿者:ゆかわat 20 :39
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