2008 年7 月7 日

”たなばた”

竹の枝を切ってきて
枝に短冊を吊るし
子供たちがまだ小さい頃
遠い昔はよくやったが・・・・・

七夕1



七夕2 



(クリック拡大可)

相変わらず蒸し暑い
天気の方はと言えば
曇り気味。

今夜も、織姫と彦星は、会えないのだろうか?

天の川は、見られそうにないが・・・・。

こんなことを考えたのは、いつ以来だろう?


投稿者:Sute
at 17 :06 | 昔のお話

2008 年2 月16 日

涅槃団子(ねはんだんご)

金沢市大乗寺の団子撒きの記事を新聞で見て、昔の事を思い出した。
今でも、きっと昔と同じく続いていると思うけど、
子供の頃、輪島市門前・総持寺でも団子まきが行われていた。
自分たちの所では“いんのこまき(犬の子まき)”と呼んでいた。
今もそういっているのか定かではないが・・・?
総持寺の山門の上から雲水が撒く“いんのこ“(当時は涅槃団子なる難しい言葉は知る督もなかったが)を、われ先にと競って、ダイレクトキャッチ!
時には失敗して地面に落ちてしまい泥がついたのもきれいに拭いて持ち帰り、お袋に作ってもらったお守り袋に入れて大切に持っていたものだ。
長い間持っていて、乾燥してぼろぼろになり元の形が何だったか解からなくなってしまうものもあった。
おいしいお菓子などそんなになかった頃、ヘビや、犬の形をした赤や緑や黄(まるで信号機のような色)などカラフルな団子が、時として、おやつに変身!
お守りを焼いて食べてしまった事もあった。

その時は、“お釈迦様、すみませんでした!”

なつかしい子供の頃の思い出、久しぶりの昔話シリーズ。

・・・・・曹洞宗の寺院では、お釈迦様が亡くなった日、遺徳を偲ぶ法要とともに涅槃団子「犬の子」まきが行なわれる。
 これは、釈迦の臨終に駆けつけた十二支の内、作り易い「犬」や「鳥」などを米の粉で団子を作り、赤や青の彩色で目、鼻などを描いて仏前に供え法要後その団子をまく行事。
 この「犬の子」は、魔よけになるとして、小袋に納めてお守り代わりにする人も多い。
                          (輪島市観光協会のHPから)




投稿者:Sute
at 10 :02 | 昔のお話 | コメント(0 )

2006 年12 月2 日

昔話その4: ゲームと砂野球(?)

昨晩は、テレビで例の”三丁目の夕日”を見た。劇場公開されて1年余りなのに早くもテレビに登場。少しばかり無理のあるシーンも何ヶ所かあったが、後半は感動的な場面も何度かあり全体的にはおもしろい、いい映画だったように思う。

小学校の頃
家がタバコ農家の友達がいた。季節ははっきりと覚えてないが、たぶん秋の初め頃(?)だったような気がするが・・・。収穫したタバコの葉を乾燥する小屋があり、学校が終わると、その小屋にみんなで集まってよく漫画を読んだり、近くの刈り取りを終えた田んぼで野球をしたりして遊んだものである。
当時は、現在の様なハイカラなゲームなどは無かった時代で、ここ何日かニュースでも取り上げられているように徹夜で並んでゲーム機を購入するなど全く考えられなかった時代でもある。

その頃は男の子はボールを投げて、打って、捕ることが出来るのがあたりまえだった時代だったかも知れない。(中には全くダメな子もいるにはいたが)
以前に、勤めていた会社でソフトボールをする機会があったとき、ボールの投げ方がぎこちないと言うより変で、グラブのはめかたさえ満足に出来ない若い子(もちろん男)がいたのには驚いた!

野球と言えば草野球とはよく言うが、自分たちのそれは砂浜がメインのグランドで、草野球と言うよりも砂野球(?)と言ったほうが正しいかも知れない。もちろん裸足である。ゴロは捕りづらいし、走りにくい。でも、頭の上を越されてもすぐに追いつけるし、転んでも痛くない。
水はけもよく、多少の雨なら苦にならない。もちろん、今日のような天候ならお手上げだが・・・・・。
暗くなるまでボールを追っかけたものである。

         \(^o^)/

投稿者:Sute
at 18 :23 | 昔のお話 | コメント(0 )

2006 年11 月24 日

自分だけの(?)昔話・その3

今日も晩秋としては大変いい天気だった。

子供の頃、こんなふうに天気がよくて、海も穏やかな日は悪ガキどうし連れだっては
よくアブラメ釣りに行ったものである。
竿は山から切ってきた竹竿、仕掛けはと言うと糸におもりと針だけ結んだきわめて単純なもの。
もちろん、リールなどと言うものは無い!!
それから、餌はやどかり(当時の自分たちの間ではガナと呼んでいた)と
フナムシ(これもガタムシとよんでいた)いずれの呼び方もごく限られた一部の地域だけに
通じる方言かも知れないが、当時の自分たちの間ではりっぱな共通語であった!
(これらの言葉以外にもいろいろ自分たちの世界での共通語がたくさんあったような気がする)
お昼の弁当はと言うとおにぎりだけ持参。おかずはもちろん焼き魚。
今思えばなんとぜいたくだった事か。酒こそ無いが立派な居酒屋メニューの一品でもある。
お昼の時報(サイレン)が鳴ると、流れ着いた木で火を焚いて釣れたばかりの魚を焼く。
味はもちろん100%天然の塩味。なつかしい〜。
焼き魚は今でも大好きな一品だが、とても懐かしい味でもあるのだ。

   釣り講座  − アブラメの釣り方 −
岩の周りの藻の中へドブンと放り込んであたりを待つだけ。単純!!
竿を何本か用意して1本だけ持ち誘いをかけたりして、他は置き竿にして少し時間をおいては
岩から岩へ渡り歩き順番に上げてみる。たまに、外道で岩ダコがついて来る事もある。

そんなこんなであまり金もかけずに一日遊べたものである。

投稿者:Sute
at 22 :49 | 昔のお話 | コメント(0 )

2006 年11 月21 日

自分だけの(?)昔話・その2

漫画はそんなに好きでもないが、ちょっと前に実写版の映画になって,今度続編も公開されるらしい
”三丁目の夕日”だが、よく行く喫茶店でたまに読んだりする。
懐かしい昭和の臭いのする漫画でなかなかいいものだ!
場面,場面で”そう言えばそんなこともあったなあ”と共感できるシーンがあったりするからうれしい。
その中によく、オート三輪が走っている絵が出てくるが、、自分の小さい頃にもあった、あった!!
子供の三輪車と同じ形のまま大きくしたようなハンドルで両手をいっぱいに広げてやっと
届くか届かないかの大きさだったように記憶する。
当時は田舎は道路も殆ど舗装もされてなくて穴ぼこだらけで、雨でも降ろうものならあちこちに、小さい池のような水溜りが出現!
当然,そんなにスピードも出せないので追っかけては,よく後ろの荷物台の端につかまったりしては
叱られたものだ。自分の足で走ってはいないのに、下を見ると道路が流れるように動いていく様子が
おもしろく、さながら、ランニングマシンのゴムのベルトがその場で回っていて、しっかりと走っている
のにもかかわらずまわりの景色が変わらないのと、なぜかイメージが重なるような気がする。
ちょっと(いや全然違うけど)似ているような気がするのは不思議だ(これもも自分だけ?)・・・・・。

何年か前に、東南アジアへ行ったときに、日本製の○イハツ工業のオート三輪を見て感動したのを思い出す。

そして、今日は久しぶりの晴天で、さらに当地が3丁目でもあるので
夕方は、まさに ”三丁目の夕日” そのものでした。 
     
              \(^o^)/


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投稿者:Sute
at 22 :48 | 昔のお話 | コメント(0 )

2006 年11 月20 日

自分だけの(?)昔話・その1

歳を重ねるにつれなぜか昔の事を思い出し、ついつい現在(今)と比べてみたりする。
どちらがいいとかではなく・・・・。

そこで、(自分だけの?)昔話その1

大相撲九州場所が福岡で今日が10日目。いよいよ大詰め、やっと盛り上がって(!?)きたかな・・・・
と言う感じだが、スポーツも昔と違って多様化していろんなスポーツがテレビで気軽にに観戦出来
楽しめるようになったが、自分の小さい頃は、大相撲も数少ない楽しみのひとつだったような気がする。
それもなぜか、寒い時期の方が記憶に残っている。こたつにもぐって、ひいき力士の取り組みの勝敗を
怖々、時々耳を抑えてどきどきしながらラジオで聞いたものである(当時、家にはテレビがなかった)。
いま思うに、なぜ寒い時期だったかと言うと、春とか夏は日も長く、北陸でも天気のいい日が多いので、
外でもいろいろと遊べてたくさんの楽しみがあって相撲どころではなかったかも。納得!
こたつ、みかん、ラジオ・・・・・。そして外は時雨模様のどんよりとした能登の空。
最近は相撲はあまり見なくなったにもかかわらずこの時期になるとふと思い出す時がある。

自分だけの懐かしい昔話その1である。

投稿者:Sute
at 23 :05 | 昔のお話 | コメント(0 )

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