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2008 年5 月31 日

りんご畑

弘前〜青森間の高速道路の沿線です。白い花を付けたリンゴ畑が延々と続いています。リンゴ畑



投稿者:ぴるぜんat 23 :12 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2008 年5 月30 日

りんごの花

JR弘前駅2階の改札口前に、鉢植えのリンゴの木が並べられており、満開に咲きほこっていました。品種も明示してあったのですが、つい花に見惚れてしまい、名前を忘れてしまいました。リンゴの花



投稿者:ぴるぜんat 21 :55 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2008 年5 月29 日

岩木山

JR弘前駅の2階からの写真です。駅前広場には「りんごの風」という題の像が立っており、ビルの間には岩木山が見えました。JR弘前駅



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2008 年5 月28 日

岩木山

青森県弘前市と西津軽郡鰺ヶ沢町に位置し、標高が1,625mあり、山頂部が岩木山・鳥海山・厳鬼山(岩鬼山)の3つの峰で形成されています。独立峰であり津軽富士とも呼ばれています。
札幌からスーパー北斗で函館へ。函館からスーパー白鳥で青函トンネルを通って青森へ。青森から特急つがるで弘前へ移動しました。写真は、青森駅を出て15分ほどのところで、特急つがるの右側車窓から撮りました。沿線にはリンゴ畑が広がっており、白いリンゴの花が満開でした。岩木山



投稿者:ぴるぜんat 21 :48 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2008 年5 月27 日

蜀漢の成都から札幌へ

旬の写真が届きました。そ、札幌の時計台です。紫色のライラックが満開です。時計台とライラック



投稿者:ぴるぜんat 13 :00 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2008 年5 月24 日

業紹高光

建物の中に入ると正面に南向きに座している劉備の像があります。「業紹高光」と書かれた額が掛かっています。「業」は業績、「紹」は越えている、「高」は前漢の開国皇帝の高祖劉邦のことで、「光」は後漢の最初の光武帝劉秀のことで、業紹高光の意味は「劉備が高祖・劉邦と光武帝・劉秀の帝業を受け継ぎ奮い起こした」という意味だそうです。 業紹高光

投稿者:ぴるぜんat 16 :52 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2008 年5 月21 日

成都武候祠博物館

劉備殿の門をくぐるとその裏側の壁の左側に「前出師の表」、右側に「後出師の表」があります。「魏の曹操を倒して漢王朝を復興し、都(長安)を取り戻すこと」が劉備と孔明の悲願でした。蜀の国は志を半ばにして劉備が白帝城で亡くなって、劉備の長男の劉禅が帝位についていた227年、劉備の軍師であった諸葛孔明は、魏の曹操を討つために軍を動かしました。出陣に当たり、国に残す若い皇帝劉禅に奉った上書が「臣亮(臣下の諸葛亮)もうす、先帝(劉備)創業未だ半ならずして中道に崩姐(亡くなる)せり。いま天下は三分し、益州は疲弊す。これ誠に危急存亡の秋なり。」と書かれた出師表です。翌228年に書かれた出師表と区別する為に、前出師表とも呼ばれていますが、正史三国志の中には後出師表の記載がないため、後出師表は後世の偽作だろうとも考えられているそうです。で、成都武候祠博物館にあった前と後の出師表の石版の最後には「岳飛」とあります。この前後出師表の字は諸葛孔明の書跡ではなく、南宋時代の岳飛将軍の書跡です。前出師表\\\\\


後出師表\\\\\



投稿者:ぴるぜんat 21 :41 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2008 年5 月19 日

成都武候祠博物館

北京五輪の聖火が世界最高峰チョモランマの頂上に到達したのは8日午前9時17分でした。その4日後の12日午後2時28分に四川省で大地震が発生しました。「神々の座」を汚したとの祟りなのでしょうか?
成都市の中心部から南西に約4km程のところに「成都武候祠博物館」があります。三国志で有名な劉備玄徳を祭る「漢昭烈廟」と諸葛孔明を祭る「武候祠」が合併された廟があり、「漢昭烈廟」と呼ばれています。
三国志演義に描かれている、身長八尺、豹のようなゴツゴツした頭にグリグリの目玉、エラが張った顎には虎髭、声は雷のようで、勢いは暴れ馬のようだと表わされる容貌に、一丈八尺の鋼矛・『蛇矛(だぼう)』を自在に振るって戦場を縦横無尽に駆ける武勇を誇る武将として描かれている張飛翼徳の像もありました。地震で無事だったのでしょうか?張飛


成都武候祠博物館



投稿者:ぴるぜんat 15 :48 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2008 年5 月15 日

セラ寺の裏山

セラ寺の裏山は天葬(鳥葬・風葬)場の一つになっているそうですが、現場を見ることはできませんでした。
天葬は非衛生的であるという理由で火葬が奨励されていましたが、2006年に「撮影や報道を禁ずる条例」を公布して、チベット族の伝統的な風習として1,000年以上の歴史がある天葬が、伝統文化を保護するという名目で許可されたそうです。チベット自治区の調査によると、区内で確認されている天葬台は1,075ヵ所あり、天葬を司る天葬師といわれる人も約100名程いるそうです。
チベット自治区民政庁は「天葬管理暫行規定」を公布して、天葬の現場での見学・撮影・録画や、雑誌・映像・インターネットへの掲載、また、天葬の様子を記した文字、絵、報道も禁じています。
食中毒や伝染病で死亡した人の遺体を食べたハゲタカが死亡したことがあり、死因によっては天葬を行ってはならないという規則もあるそうです。
セラ寺の裏山


セラ寺裏山の仏画



投稿者:ぴるぜんat 22 :03 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2008 年5 月10 日

ラサクンガ空港

チベットのラサクンガ空港までは、四川省成都の成都双流空港から2時間程のフライトで到着します。富士山とほぼ同じ標高の3600mの高所にあるラサ市街地から100kmほど南にあり、草木の1本も無い荒涼とした山肌に囲まれた空港です。ラサの市街地まで入るにはバスで約2時間ほどかかります。チベット語でラは神、サは土地を意味し、「神の地」を意味しています。 標準チベット語での正式名は「ラサ・ドンキェル」と言います。ラサクンガ空港



投稿者:ぴるぜんat 22 :11 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2008 年5 月8 日

チョモランマ

四川省の成都からラサに向かう飛行機の窓から撮ったヒマラヤ山脈です。ひときわ高くチョモランマ(英語名:エベレスト)が見えます。北京五輪の聖火が8日午前9時17分(日本時間午前10時17分)に、標高8848mの世界最高峰チョモランマの頂上に到達したそうですが、ヒンドゥーの神のシバ神の奥さんはヒマラヤ山の娘のパールバティーですし、神々が宿る山にまで紛争の火種の聖火を持ち込む理由は何なんでしょうか?チョモランマ



投稿者:ぴるぜんat 22 :04 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

ホッケ

幼魚が青緑色で、群れで泳ぐと花のようなので、北の花→ほくか→ホッケとなったとの説から、漢字では魚へんに花と書くのだそうですが、漢字が見当たりません。昔は「ネズミサカナ」、「囚人魚」などと呼ばれるほど不味い魚とされていたそうです。「ぴるぜん」のメニューには載せていませんが、今では居酒屋での定番料理となるほどポピュラーな魚となっています。
余市の海からの「釣果」が届きました。ホッケが入れ食い状態で釣れているそうです。ホッケ


余市の海



投稿者:ぴるぜんat 21 :35 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2008 年5 月5 日

裏山から見たセラ寺

道があるようで無いような瓦礫の急斜面を山頂に向かって登り、セラ・ウツェ山の中腹辺りから撮ったセラ寺の全景です。岩には仏画や鬼の絵が描かれており、谷筋にはタルチョ(祈祷旗)がはためいています。セラ寺の全容



投稿者:ぴるぜんat 18 :46 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2008 年5 月2 日

セラ寺の裏山

セラ寺を回る巡礼路があるのでしょうか、いたるところに仏画が描かれていました。急斜面を息を切らしながら登っている横を、チベットの巡礼者はマニ車を回しながら小走りに走り抜けていきました。セラ寺裏山の仏画



投稿者:ぴるぜんat 22 :05 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

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