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2025 年5 月30 日

今日で55回目の結婚記念日

 昭和45年に結婚して、昭和100年の今年のこの日、目出度く55周年目の結婚記念日を家内共々迎えられた。  子供が二人、孫が3人、次男が生後3日で夭逝したが、その子の50回忌も無事に終えることが出来て、両親の回忌祝いも滞りなく済ませている。  年齢相応に持病はあり、医者通いだけれど、現状はそんなに生活に難が出ている訳では無いし、毎晩9時頃から家内と二人でドラマやニュース解説番組を見て飲みながら2時間ほどかかっての会話も意見の相違は時々あるがそれも含めて楽しいひと時を過ごせている。  今後も一日一日を家族に感謝、ご先祖や親戚の皆さんを含めてお付き合いしていただいている皆さんに感謝して長く続けたいものである。  55回目って、エメラルド婚だったはずだが、宝石などにも縁がない。

投稿者:つねちゃん
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2025 年5 月29 日

「問題」という言葉を使わない

 現在書き写しの教本としての内に「まさに同感」というのが有った。  そのタイトルが表記である。  在職中、転勤族で色々なプロジェクトを経験させていただいた。  だから、転勤の度に当然ながら「今までの常識は通じない」という事に成る。  当然いろいろな「問題」が目の前に現れてくる。  職場だけではなく、単身赴任という生活面でも「問題」に遭遇する。  そんな時に、誰かの公演だったかで気づかされたのがこの言葉だったのである。  その講師曰く「それは『問題』ではなく『課題』だと言い換えてみてはどうだろうか」だった。  まだ30代前半の頃である。  算数の問題ほど易しくは無かったが、高等数学ほどではないだろうと早速いろんなことを思い直してみた。  そうすると「課題の内容がはっきりしてくる」のである。  そして、それは今思うと「アバター」という仮想人間に置き換えてみると、意外と悩む必要が無くなったし、上司初め色んな人に「アバターがね」と問いかけることも気軽に出来る様になった。  自慢話の一つである。

投稿者:つねちゃん
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2025 年5 月28 日

楽しかった5月場所

 今年の大相撲は久し振りに面白く楽しんで見た。  矢張り何と言っても地元力士の応援である。  尤も、何時もながら「テレビ桟敷」だから然程の応援もしていなかったことになるのだろうが。  矢張り「全勝すれば幕内」と期待した朝乃山。  偶々TVを付けた時が2日目。  「私がリアルタイムで見ていると負ける」と思いながらも、どんな取り組みになるかと見ていたが、残念ながら負けてしまった。  次が浦山関。  素人の私が見ても、勝ちっぷりも負けっぷりも「まだまだ」という感じがしたが、それでも勝ち越しには喜んだ。  最後は、隣の県出身力士だけれど、大の里。  勝ちっぷりがどの取り組みでも嬉しかったのは、最後のツメまでしっかりと取っていた事だった。  どの力士も、来場所に期待である。

投稿者:つねちゃん
at 09 :22 | 健康 | コメント(0 )

2025 年5 月27 日

気が付くとパチンコはやって居なくなっていた

 去年までの毎年年末に立てる意思表示の「やらないぞっ!」の一つにパチンコが有った。  ところが、昨日までの5か月間、全くやらなくなっている時分に気が付いた。  気が付いてみると「なんだこんな事か」と特別の感慨はないのだが、こうしてブログを書いてみると、「じゃ、何をやっていたんだ」という事に成るので、それを考えてみたら、此処でも何度か紹介しているが、先ずは「ビデオ鑑賞」である。  音楽番組は録画時間は一番多いのだが、これは、何か作業をやっている時のBGMとして活用しているので、それに夢中になっている事は無いし、これを書いている時もBGMとして活躍してくれている。  娯楽ビデオで一番占めている番組は「少しシリアス」な物もあるけれど「失敗談の動画」であろう。  これは覚えたりしなくて、笑って居たりすれば良いので、時間が長くても1.3倍速でも十分まだ理解できている。  また、健康やウィットの内容は、それなりに規定の速度で見ている。  それ以外は、漢字クイズ本である。  これは「えっ、こんな言葉があるの」という楽しみである。  「大器○○」と言われると殆どの人が「晩成」と思われるだろうし、私も以前はそうだった。  「大器小用」という言葉を知っていましたか。  事程左様にである。

投稿者:つねちゃん
at 05 :45 | 健康 | コメント(0 )

2025 年5 月26 日

雨の日は家内作業

 ここ2-3日は雨だったり、風が強かったりで気温が随分と下がって来ていたので、恒例となっている家内との買い物以外は、外出を一切やめていた。  そのお陰で、娯楽や教養的なビデオ録画を沢山見ることが出来たのは、思った以上の収穫だったように思う。  内容はあまり覚えていないが、二つだけ紹介してみよう。  いずれもNHKの番組で「所さん、事件ですよ」で紹介されていた「AI面接」である。  タブレット端末に向かって面接の如く応答する物である。  その応答をAI技術で判定して、判断基準にするという物である。  所さんは最後まで感心されないようだったけれど、私は、Aに関する一抹の不安は抱きながらも、「そんな時代が来るのだろうなぁ」と思っている。  もう一つは「サイエンスゼロ」である。  赤い色の不思議、というような趣旨だったが、驚いたのは首里城の赤が、従来の鉱物からの物だけでなく、バクテリアのお陰である、という事だった。  こちらは基礎知識が無いが、ある意味で、興味を奮い起こす衝撃だった。

投稿者:つねちゃん
at 05 :33 | 健康 | コメント(0 )

2025 年5 月23 日

今更ながら政治家への愚痴(同じ内容で投書もした)

 今回の農水大臣の交代劇もそうだけれど、怪しからん事態や発言をしていることを本人が認めていて、野党がを含めて世論の多くが辞職を求めているのに、与党やご本人は、何故だか「固辞される」。  しかしながら、それが来るべき選挙に不利だと判ると、「舌の根も乾かぬうち」に「本人から強い要望があって辞職を認めた」という茶番劇の繰り返しを何度も見てきたから、「今更ながら」という気がするが、辞職を認める、という演技をされる。  ところが、殆どの場合「責任を取って禊を済ませたから、これからは心機一転頑張ります」というような言辞を弄して当選される。  立候補する人もそうだけれど、其の人に投票する人も、果たしてこれで良いのだろうか。  翻って、わが県の状況を見ても、嗚呼。

投稿者:つねちゃん
at 05 :50 | 健康 | コメント(0 )

2025 年5 月22 日

昨日の顛末

 昨日のブログに書いたとおり、初めは順調に色々なことが捗った。  10時のおやつとお茶も充分な休憩として寛げた。  ところが、である、と毎度のことなのだが、「這えば立て、立てば歩めの・・・」という事で、どんどん欲が幅として出てきたので、一直線で進めばそんな事も無かったろうにと、夕方になって少しがっかりした。  でも、先日紹介したように、その時間も「楽しく過ごせた」のだから、十分充実感のあった一日になった。  でも、豪雨被害に遭われた方には、申し訳ないけれど、こちらも30度近い猛暑に見舞われたことは、楽しくも辛かった。  今日は雨模様だというから、午後から出かける事はあるけれど、こんなに暑くは成らないだろう。

投稿者:つねちゃん
at 06 :14 | 健康 | コメント(0 )

2025 年5 月21 日

車の無い一日

 今日は予定されているイベントが無いので、車の法定点検は、出掛ける用事もないから、朝取りに来てもらって夕方まで掛るというので代車も必要ないという事にした。  畑などは、熱中症の心配が有るので、朝夕の水遣り以外はせず、基本的には「室内作業」で過ごすことにしている。  着る物の夏物と秋・冬物の整理もまだ過渡期なので、中途半端だけれど、この地域特有の「梅雨寒」という事も有るので、最小限にしようとしておきたい。  記録だけは残しておいたけれど、少しサボっていた写真などの整理も出来るだけやりたいし、断捨離では無いけれど、読んでしまった本で、必要ない物は無償で引き取ってくれるところへ発送したい。  そんな風に思い出しながらやっていると、結構楽しく過ごせるものである、と期待しよう。  

投稿者:つねちゃん
at 05 :48 | 健康 | コメント(0 )

2025 年5 月20 日

横着だけれど、それなりの効果がある 散歩とベッド内運動

 先日同級生などとの無駄話の中で、「日頃やっている運動」とい話題になったが、矢張り多かったのは「散歩」だった。  このブログでも何度か紹介したが、リタイアして、父を見送ってから、当時流行っていた「一日一万歩」と言う事で、日記を繰って見ると17年続けていた。  リタイアするまでは、転勤族、出張族の一員で、金沢勤務になってからでも、2度の米国出張を初め、東京をはじめとして本社機関、何故かそこからの紹介で幾つもの地域支社を回っていた。  だから、散歩を初めて、えっ、此処にはあれが有ったはずだがを初め、野に咲く花の名前などをスマホで調べてみたりと、四季折々に楽しみがあり、帰って気が付くと2万歩に近い時もあった。  契機は別とて、それをやらなくなってからは、専ら「ベッド内運動」である。  それでも、それなりに鍛える部分は色々な本で読みながらやっていることを紹介すると、飽きられ8割、真似てみようが2割くらいだった。  それでタイトルに戻る。 「何もしないよりはいいだろう」。

投稿者:つねちゃん
at 06 :47 | 健康 | コメント(0 )

2025 年5 月19 日

結局AIは「商売道具」

 正直なところ、AI技術に関する情報にはまだ未練たらしく縋りついているけれど、だんだん興味が薄れつつある自分に気が付く。  ニューロンコンピューター技術や量子コンピューターと相まって各社が協力して、医療分野を初め、「平和目的」へ進むと思っていたけれど、トランプ氏だけじゃなく、各社が「覇を競う」という状態になっている。  コンピューターが戦争のための「弾道計算機器」として開発されたことより、遥か数百倍で効かないほどハードソフトともに高性能になっているのに、「これを売って金儲けをしよう」だったり「我が国が世界を凌駕しよう」と言う姿勢ばかりがミエミエである。  これじゃ人間が押さなくても、核攻撃のボタンがAIに拠って押されて、結局地球の破滅時計が終わりを告げるのではないだろうか。  ミステリー小説では無いが、「そして誰も居なくなった」と言う事には絶対になって欲しくない物である。

投稿者:つねちゃん
at 05 :54 | 健康 | コメント(0 )

2025 年5 月16 日

お休みの間にやった事 ゆっくりやった

 サンデー毎日の生活も長くなったが、それでも殆どのイベントは無く、時間的な束縛感は解き解かれたので、気持ち的には「ゆっくり、確りとやろう」と言う事に決めて、取り組んだ。  とはいうものの、性根としての時間貧乏性だけは治ることが無いので、どうしても「アタフタ」という事に成ってしまった。  それでも、気が付くと「是じゃ駄目だ」と思い直すことも度々だった。  でも、それが結構楽しく感じたりしていたからそれでも良いのだったろう。  そんな訳で、結果として「断捨離」と言う事は出来なかったしやらなかったけれど、ゆっくりと過ごすことが出来た。  でも、結果として「言い訳」になるけれど、確実に出来たことは「時間を持て余す」と言う事は無かった。  そんな中で、私にとっては、非常に共感を覚えたことばがあった。  「浪費するのを 楽しんだ時間は 浪費された時間ではない」バートランド・ラッセルの言葉、と紹介されていた。  如何でしょう。

投稿者:つねちゃん
at 06 :00 | 健康 | コメント(0 )

2025 年5 月15 日

お休みの間にやった事 園芸作業

 果たして「園芸作業」と言えるのかどうかはさておき、関連作業にそれなりの作業が行えました。  冬の間雪の下になっていたプランターの土をブルーシートを広げて崩しながら天日に当てて、防虫や残って再利用が不可能と思われた球根などを篩器で選り分けて、鉢底石として使用していた石も分けて、しっかりと水と雨に曝して再利用可能な状態にしました。  篩い分けた土も同様に中粒の物と大粒な物に分けて、これは水に合わせる訳には行かないので、天日に曝して再利用可能な状況にしました。  使っていたプラスチック製のプランターも穴が空いたりして再利用不可能な物は、市の資源ごみ回収の日に出しましたが、まさか泥の付いたままでも出せないので、水をストレート放水で洗って出しました。  勿論休暇中が晴天ばかりでは無かったので、雨に当たらない様にと、用土の袋や肥料袋を割いて、覆いもしました。  文字で書くとこれだけなのですが、晴天時の篩い作業は細かい砂などに塗れたり、それなりに大変でしたが、これで用土を少しは買わなくて済んだと思うと、金額ではなく、満足感でいっぱいでした。

投稿者:つねちゃん
at 09 :35 | 健康 | コメント(0 )

2025 年5 月14 日

お休みの間にやった事 読書

 いい意味でも悪い意味でも「父親譲り」の「本の虫」はこの休み中も如何なく発揮した。  いい意味では、ビデオと同様「無差別」に読み漁った事だろうか。  悪い意味では、全てでは無いが「途中まで」になって終ったことだろうか。  昔息子に買ってやって、その後は息子が自費で買った漫画本や、「プチ」と言っては失礼になるかもしれないが、小説「のような物」も「どんな物かな」という一つの「覗き趣味」的な感覚だった。  また、まだまだ残っている父の蔵書に加えて、自分の買った本でも、「生きる」という意味でのものだが、余り肩の凝らない物も楽しく読んだことだった。  一つだけ気を付けたことは「好い加減に読み飛ばさない」と言う事に置いた。  何でもゆっくり読んでみてごらんなさい。  結構「読み間違い」が有る物ですよ。  多分私だけではないと思っています。

投稿者:つねちゃん
at 05 :56 | 健康 | コメント(0 )

2025 年5 月13 日

お休みの間にやった事 ビデオ鑑賞

 以前にも紹介したが、テレビ番組は余程の事が無い限り、録画番組で見ている。  少し前に流行った言葉に「タイパ」という言葉があって「なんだそりゃ」と訳を知って「そんなの随分前からやって居るよ」と思ったほど、リタイアする前からやっていたのである。  基本的にCM(CFと言うのが正しいのかな)部分は飛ばして、音楽番組は特に「解説部分や経験談」などはスキップして見ている。  それだから、大分消化できるだろうと思ったのだが、結果としては思ったほどの1/3くらいしか消化できなかった。  でも、NHKの番組や放送大学の番組、ニュース解説的な池上さんの番組や、クイズ番組なども、教養部門と言う意味では、殆ど倍速機能は使わなかった。  失敗談や、子供や動物の楽しい失敗ビデオなどは大笑いしながらも楽しく見た。  特に、ドリフターズの大仕掛けの舞台での物は、当時に返った感覚で見ていた。  東映やくざ路線の映画も数編見て、見終わった時には「高倉健や鶴田浩二になった様な事をしていた頃」も思い出した。  でも、やはり一番多かったのは「懐メロを」を中心にした音楽番組だったけれど、そんな中でも戦前戦後の歌が懐かしかったなあ。

投稿者:つねちゃん
at 06 :21 | 健康 | コメント(0 )

2025 年5 月12 日

米中の猿芝居

 随分長く「春休み」を頂きましたが、調子は頗る快調です。  予定していたブログネタは少し日延べにして、今回は「米中の猿芝居」について書いてみたいと思います。  トランプ関税芝居は、いろんな所でいろんな影響を生んでいることは、幸か不幸か「直接」は関係ない所で、なるべく被害に遭わない様にと家族そろって平穏になるべく過ごしています。今回の米中の猿芝居の結末は、数値的にはどれだけになるか私にはわかりませんが、お互いに100%を超える主張をしていたのに、先に「やるんなら勝手にやんなさい」と匙を投げたのが中国。「この裏には、そんなに要らないなら勝手に関税をかけて高い物として買いなさいよ」という事だったのだろう。しばらくして「相手が恭順な態度を示せば40%まで下げる」と言ったのは米国、恭順でないなら下げないよ」という意味だったのだろうが、相手はそれにも反応しなくなったので、「相互理解の場を世界に見せつけて手打ちにしよう」と相なった。そんな事は、私はシナリオライターでもないし、脚本家の素質も持ち合わせていないが、少し考えれば容易に作れる芝居だったのではないか。(笑)

投稿者:つねちゃん
at 10 :22 | 健康 | コメント(0 )

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