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2010 年3 月26 日

行政訴訟

oikesakura220326
 今日は、富山の裁判所から福井の裁判所に回った。北陸の朝はひどく吹雪いていた。季節はずれの雪だ。
 行政事件訴訟法は平成16年に改正された。国民の権利の実効的救済を図ることがその趣旨だったはずだ。しかし、福井地裁の合議法廷を見ている限り、裁判所は、どこを見て行政訴訟を進めているのか甚だ疑問になる。
 行政訴訟は、裁判所が国民の権利を保障するために行政をチェックするのが目的だ。その厳しい目は行政に向かうのが本筋だ。しかし、裁判所は、国民に対してのみ厳しい目を向ける。相変わらず、原告適格があるか、原告適格がないならいかに違法なことを行政がしていても裁判所は見て見ぬ振りを決め込み、行政が適法性について反論しようとしていてもその必要はないといってさえぎる。住民訴訟では個別財務会計行為の特定が出来ているか、誰にいくら支払えという請求の趣旨が特定されているか、求める請求が損害賠償請求なのか賠償命令なのか特定できているか、正しく特定できていないなら訴えを却下する、この場合もいかに行政が違法なことをしていても、そんなことには全く目もくれず、行政が実体の反論をしようとするのもさえぎる。
 裁判所は行政の非違を正すのではなく、行政に異議を唱える国民を糾すことに情熱を燃やしている。これを支えているのが行政法理論だとしたら、行政法はこの世の中から廃止すべきだろう。自分はこんな世の中のために役に立たないことを学生に教えているのかと思うと、むなしくなる。
 法科大学院はこんな誤った「精緻な」行政法を教える場ではない。裁判所に「精緻な」行政法の誤りを諭す場のはずだ。
 裁判所は精緻な行政法、完結した行政法を求めるのではなく、国民が行政に向ける疑問に共感し、行政の非違を正すことを旨とすべきだ。仮に原告適格や処分性その他訴訟要件に疑問があったとしても、実体審理をして、終局判決をするときに却下すればよい。訴訟要件は実体判決をするための要件であるにすぎず、実体審理をするための要件ではない。そうすれば、少なくとも審理の中で行政の違法が白日の下にさらされるだろう。仮に却下判決であっても、行政訴訟の目的は果たされる。
 

投稿者:ゆかわat 23 :01 | ビジネス | コメント(0 )

2010 年3 月18 日

日弁連行政訴訟センター

  久しぶりに日弁連行政訴訟センターの会議に出席した。1年ぶりくらいだろうか。久しぶりに行くと、私が顔を知らない若い先生方が大勢おられた。私もロートルの部類に入ってきたのだろうか。

 今秋の日弁連司法シンポジウムでは久しぶりに行政訴訟法の分科会が開かれるところ、その議論をしている際に、「以前の12回シンポジウムの時の記録を参考にしてはどうか」などという意見を述べたが、考えてみると、それは10数年以上も前のことであった。いかに自分が時代遅れ、過去を生きているかを思い知って、愕然とした。

 それはともかく、自分の思っていることやその場で思ったことを好き勝手にしゃべってきて、自分なりには久しぶりにすきっとした思いで(主宰者にしてみると、議論を混ぜ返したり、蒸し返したりして、ハラハラされたことだろうが)、東京を後にした。

 司法シンポジウムの行政訴訟分科会では、「行政裁量統制」が一つの課題となる。
これまで日弁連では行政事件訴訟法30条を改正して、裁量審査事項を明定しようというのが方向だったが、私はこれに対しては異論があった。それよりも、個別行政法規の見直しが必要だと思っていた。適用すべき法規がないのでは司法審査は無理だからだ。

 しかし、最近では、それに加えて、いや、それ以上に、行政処分をする際の理由・判断過程の文書化を行うべきだと思っている。確かに行政手続法により申請に対する処分や不利益処分をする際には理由を提示するように義務付けられた。しかし、それ以外の処分においてはそのような義務はない。そのため、行政処分をしたときの決裁文書を情報公開請求しても、「別紙の通り処分してよろしいか」という起案文書の本文に処分や通知文が添付されているだけで、一体、行政庁の中で、、どのような事実を認定し、どのような事項を考慮して、また関係者や関係機関とどのように協議してその処分をしたのかが全く明らかではない。
 しかし、それでは司法審査は機能しない。なぜなら、裁量処分に対する司法審査は、判例法上、行政処分の基礎とされた重要な事実に誤認があるか、考慮すべき事項を考慮していなかったり、考慮すべきでない事項を考慮したりするなどして裁量処分の過程に著しい不合理があるかを審査することとされている。そのためには、行政処分時に何が考慮されたのかを示す記録が不可欠である。訴訟になってから事後的に処分の理由を示されてもそれは後出しの理由でしかない。司法審査を充実させるためには、行政処分の過程を可視化することが不可欠なのだ。加えて、行政処分の時点で、将来訴訟になったときに備えて処分理由を書面で残すことを求めることは、行政に対してとてつもない緊張をもたらすものであって、それ自体に重要な意義がある。しかも、これなら山のようにある個別行政法規を見直さなくても、総務省の所管する行政手続法に1条追加するだけで足りる。
どんなものだろうか。


投稿者:ゆかわat 22 :44 | ビジネス | コメント(0 )

2010 年3 月14 日

法科大学院コアカリキュラムシンポジウム

 昨日は、関西学院大学で行われた「コアカリキュラムと法科大学院教育」シンポジウムに参加した。
 甲東駅から坂道を上ってきれいな桜並木(まだつぼみだったが)を抜けると、きれいな関学のキャンパスが広がる。法科大学院には学者だけでなく弁護士も実務家教員として多数かかわっているだけあって、今日のシンポにも、昔、東京にいた頃に一緒に弁護士会活動をした懐かしい先生方が多数来ておられた。

 去年から本格的に法科大学院教育に関わることになった私からすると、「コアカリキュラム」というのはとても不思議で、今の法科大学院の置かれている状況を象徴的に示す混迷したものに感じられた。

 コアカリキュラム調査研究グループによると、コアカリキュラムとは、「法科大学院において修得すべき学習内容・水準に関する共通のミニマムスタンダードであり、すべての法科大学院修了生が、最低限、修得すべき学習内容・水準を示すという意味での到達目標」であり、「単位認定や修了判定に際しての成績評価の基準」であるとされる。
 そうであれば、それはまさに法科大学院の3年間で教えるべき最低限の授業内容を意味するし、それは法科大学院の認証評価基準となるだろうし、司法試験の範囲を画するものとなると考えるのが筋だろう。ところが、コアカリキュラムの「すべて授業で取り上げることを求めるものではない」というし、認証評価基準となるかどうかも、司法試験と関連するかどうかも分からないという。自学自習で修得すべきものだというのであれば、法科大学院の授業とは何なのかということになりはしないか。

 そもそもコアカリキュラムが策定されるに至ったのは、「今日、法科大学院を修了し司法試験を受験している者や司法修習を受けている者の一部に法律基本科目等に関する基礎的な知識・理解や法的思考能力が十分身に付いていないと思われる者が見られる。」との問題意識からであった。ならば、コアカリキュラムで求められるのは「法律基本科目等に関する基礎的な知識・理解や法的思考能力」の涵養であって、先の「ミニマムスタンダード」とはややニュアンスが違うように思われる。
 また、その問題意識は、旧司法修習で行われていた司法研修所における前期修習が廃止されたことの代替教育・実務導入教育が法科大学院に求められているということもであろうが、先の「ミニマムスタンダード」はこれともニュアンスが違うように思われる。
 医学部におけるコアカリキュラムというのはその全部を授業で扱うべきカリキュラムとされているというし、それが「コア」という用語の趣旨とも合致すると考えられるのに、法科大学院におけるコアカリキュラムはそれとは異なるというのは誤解を生まないか。

 結局は、法科大学院教育の趣旨・目的は何か、コアカリキュラムを策定する趣旨・目的は何かという点の共通理解が十分になされていないことが最大の問題のように思われる。
まさに法科大学院の「コア」が揺らいでいる(あるいは「コア」が固まっていない)ような印象を受けた。

投稿者:ゆかわat 07 :33 | ビジネス | コメント(0 )

2010 年3 月4 日

犬の繁殖業者 化製場法違反で逮捕

 3月4日日経夕刊に「犬の繁殖業者逮捕 無許可で飼育の疑い 兵庫県警」との記事が載っていた。逮捕容疑は尼崎市長の許可を受けないで犬舎で犬360匹を飼育し、うち生後91日以上の犬6匹について狂犬病の予防注射を怠るなどした疑いで、化製場法違反と狂犬病予防法違反だという。

 狂犬病予防法違反は分かるが、「化製場法」というのは聞き慣れない法律だという人も多いだろう。「化製場」とは、獣畜の肉、皮、骨、臓器等を原料として皮革、油脂、にかわ、肥料、飼料その他の物を製造するために設けられた施設で、都道府県知事(保健所を設置する市又は特別区にあつては、市長又は区長。)の許可を受けないと違法となる。逮捕されたのは「犬の繁殖業者」とあるから、まさか犬の肉等で皮革等を製造していたとは思われないから、化製場の無許可営業ではなく、「死亡獣畜取扱場」の無許可営業が問われたのだろうか。「死亡獣畜取扱場」とは、死亡獣畜を解体し、埋却し、又は焼却するために設けられた施設又は区域で、都道府県知事の許可を要する。しかし、「化製場」にしても「死亡獣畜取扱場」にしても、対象となるのは「獣畜」であるところ、「獣畜」とは、牛、馬、豚、めん羊及び山羊をいうから、「犬の繁殖業者」がその施設や区域内で「犬」の死体を埋却していたとしても、化製場法違反とはならない。

 と思って条文を見ていたら、9条に「都道府県の条例で定める基準に従い都道府県知事が指定する区域内において、政令で定める種類の動物を、その飼養又は収容のための施設で、当該動物の種類ごとに都道府県の条例で定める数以上に飼養し、又は収容しようとする者は、当該動物の種類ごとに、その施設の所在地の都道府県知事の許可を受けなければならない。 」とあり、これに違反したものには1年以下の懲役又は3万円以下の罰金が法定されている。化製場法施行令では犬も指定されている。なるほど。

 しかし、「第一条  この法律で「獣畜」とは、牛、馬、豚、めん羊及び山羊をいう。 」という条文から始まっている化製場法で犬の飼育業者を規制するというのは、違和感を感じるのは私だけだろうか。


投稿者:ゆかわat 22 :36 | ビジネス | コメント(0 )

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