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2011年1月29日

初めて子どもの家に泊まった

 大学からの帰りは、京王線に乗り入れている地下鉄に乗り換える作戦をとった。
 しかし、これは失敗だった。まず、本八幡の乗り換えが意外と手間取った。富山では、絶対に歩いて乗り換えようとは思わないような距離を、ごく当たり前のように乗換駅にしてしまう。次に、新宿で接続しているとはいえ、京王新線と京王線は別物だった。
 それはそれとして、新宿駅で、おかずを買って、ついでに、子どものパソコンのバッテリーがダウンしたというので、それを買って、家に戻った。
 ついでに、武蔵野台駅の近くのスーパーで、段ボール箱をもらってきた。
 夕食は、冷蔵庫の中身を片付けるということで、肉に卵をまとわせた料理だった。
 子どもの家には、テレビもないし、あれこれとしゃべっているうちに眠気が襲ってきて、先に寝ることにした。

投稿者:at Sushiat 22:43 | 日記 | コメント(0)

恩師を偲ぶ会

大学前の駅に着いた。懐かしい学生街を歩いてみる。gakuseigai 昔、先輩に連れて行ってもらった寿司屋があった。先輩は、初めての給料で彼女をおごってやるついでに、たまたま近くにいた私も連れて行ってくれたのだ。遠慮気味にすしを食べたが、お勘定がその割にはすごく高かったのを覚えている。

seikyou 大学も、ずいぶんと変わっていた。地下の書庫がなかなかおもしろかった図書館は、建て替えのために閉館中だった。生協は、となりの業者食堂も吸収して大きくなっていた。

shinobukai S先生を偲ぶ会は、学部の大きな教室を使って行われた。居並ぶのは、顔を見たこともない先輩たちがほとんどである。学生時代は、若手の助教授だった指導担当教官のI先生も、すでに定年退官しておられた。それどころか、会の初めのあいさつで、その先生があいさつされたのに、会の終わりまでだれなのか分からなかったくらい、お年を召されて、雰囲気が変わっておられた。
 今回初めて知ったことは、自分たちが、S先生の実質的に最後の教え子だった事だ。誇りに思いたい。

投稿者:at Sushiat 16:43 | 日記 | コメント(0)

大学へ

 白糸台から武蔵境へ、中央線に乗り換えて、お茶の水で、総武線へ。各駅停車で行くには、かなり遠い。新小岩で快速に乗り換えることにする。
 電車を待つ間、ふと目を上げると、すぐ目の前に東京スカイツリーがあった。
 感激のあまり声を上げそうになったが、周りの人々はスカイツリーを気にとめる風もない。そうか、この人々にとっては、毎日の風景だもんなあ。
 偲ぶ会に参加する前に、ちょっと軽めに昼食を取ることにする。津田沼で降りる。

投稿者:at Sushiat 12:23 | 日記 | コメント(0)

結構大きなお寺

yaoya 考えてみたら、武蔵野台駅の南側にはほとんど行ってみたことがなかった。
 駅に向かって歩き出してびっくりした。我が家の周辺でも見ることのないような、昔ながらの八百屋さんがあった。白糸台には、少し東へ行くと、今でも豆腐を作っている豆腐屋さんがあるのだ。明日でこの町を引き払うが、改めて、すてきな町である。引き払うのが本当にもったいない。
 京王線の踏切を渡ると、左手にかなり大きなお墓があった。墓地の中を歩いてみる。兵隊さんのお墓が多い。きっと故郷の誇りだったのだろうなあ。墓地には、歴代の住職の墓もある。かなり由緒ある寺の様子である。
tera 墓地に隣接した本堂らしきものを回って正面に出ると。歴史を感じさせる巨木があり、山門も大きい。浄土宗八幡山広徳院本願寺という寺だった。山門の前の巨木が、これまた立派だった。
 時間がないこともあり、探検はここまでだった。
 この町との縁はひとまず切れるが、できればいつかまた来たいと思わされた。

投稿者:at Sushiat 11:04 | 日記 | コメント(0)

引越の準備

子どもの住んでいる武蔵野台で降りる。
 午後からは、大学の恩師を偲ぶ会がある。今回の旅の目的の一つである。私の卒業後、しばらくして定年退官して、その後、しばらくは、年賀状などのやりとりを続けていたが、いつだったか、もう返事が書けないからという便りがあって、その後は、年賀状も出していなかった。もう相当なお歳だろうなあと思いつつ、時折、教育関係のパンフレットなどに帰校しておられるのを目にして、まだお元気なんだと思っていた。それが、ついに昨年お亡くなりになって、その先生を偲ぶ会が行われたのだ。
 調べてみると、大学までは、意外と時間がかかることが分かった。11時過ぎには出ていかなくてはならない。
mochiya
 いつものように、向かいの餅屋で、ごはんを買って子どもの家に入る。何でも、レポートの提出に追われていたということで、まだ寝ていた。
 引越の作業は主に明日である。本や食器など、細々としたものは、あらかた片付けられていた。
 子どもは、半年間留学する。2番目の子どもが大学受験なので、その進学先によって、帰ってきたらどうするか決める予定なのだが、東京でいっしょに暮らせればいいなというのが、偽らざる気持ちである。もっとも、子どもの第一希望は大阪である。
 引越荷物をいったん富山に持ち帰って預けておく関係で、できるだけ荷物は少なくしたかった。だから、大型家電や頂き物の家具の外は思い切ってどんどん捨てる。
 10時頃には、だいたい今日の仕事に目処がついた。子どもは、レポートの続きをするというので、私は、白糸台の町を探検してみることにした。

投稿者:at Sushiat 10:26 | 日記 | コメント(0)

聖蹟桜ヶ丘

 聖蹟桜ヶ丘は何もないところだった。バスに乗れば聖蹟記念館に行けたが、まだ早朝である。開館までにはかなり時間があるし、そんなことをしていたら、後の予定に差し支える。駅のまわりを一周して新宿行きに乗る。

投稿者:at Sushiat 07:05 | 日記 | コメント(0)

池袋にて

 池袋駅には、予定より早く、5時5分に到着。
 とりあえずSuicaにチャージしてと思ったら、使用不能で、駅員に見せろとの指示が出た。
 駅員さんに見てもらったら、2年前に新大久保で乗って降りてない状態だった。何だったろう。2年前、確かに東京にいた。でも、新大久保に何の用があっただろう。
 5000円チャージして山手線に乗る。酔っ払いの若者がいた。昨日まで接していた不愉快なやつのことを思い出して不愉快だった。それが、京王線まで着いて来たので、余計不愉快だった。
 京王線の各駅停車は満員、このまま調布で下りても時刻が早すぎるし、何となくつまらない。ものはついでと聖蹟桜ヶ丘まで行ってみることにした。
 「耳をすませば」の世界に触れられるかもしれない。

投稿者:at Sushiat 05:25 | 日記 | コメント(0)

松代にて

 2時5分松代停車。
 バスに帰ろうとして、自分の席に誰かが寝ていることに気づいた。えっと思ったら、自分がバスをまちがえていた。
 西武バスと富山地鉄バスの2台で運行していて、自分は、西武バスの方に乗っているのに、富山から行くからと、ついつい地鉄バスの方に行ってしまった。
 寒さ対策に、手袋をもってきたのだが、これをしていると体中がとても温かいことに気づいた。

投稿者:at Sushiat 02:25 | 日記 | コメント(0)

蓮台寺にて

 0時20分蓮台寺PAでトイレ休憩。
 富山県内の高速バスのバス停すべてに停まった感じがする。こんなに方々で停車したことは今までなかったなあ。

投稿者:at Sushiat 00:25 | 日記 | コメント(0)

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