2024 年4 月30 日
2024 年4 月26 日
立山連峰が夕日に映えて綺麗
今年から、自分のホームページのトップに「砺波連山と立山連峰」の遠景の写真を載せている。 ところが、中々上手い映像に出会う時が無いので苦に病んでいるのである。 そんな時の先日「有る筈のない遠景の映像」が夢に出てきた。 立山連峰が夕日に照らされて、私の好きな色の一つの「淡い茜色」に照らされていたのである。 どう見ても「薄暮」と言う「夕景」に、自分の視力以上にはっきり、くっきりと照らし出されているのである。 その時の自分の姿勢がまだ起きるには早い時間帯(つまり早朝)なので、映像を認識して、隣近所の人に「珍しさを」説明して居ているのだが、それだけで自分は二度寝に陥ってしまったのである。 起きた時には記憶だけが残っていて、吉夢か否かは「見える筈のないものが見えた」という事で吉夢と信じていた。 平凡な一日が過ぎた事で吉夢だったのだろう。2024 年4 月25 日
「何のために生きる」
時々新聞に何かの宗教の宣伝なのか、そんなことを主張した本の宣伝なのか良く分からないけれど「何のために生きるのか」という言葉が使われている。 なんか「それが無いなら、生きてなどいなくても良いじゃないか」とでも言いたい様で、時折うそ寒い気持ちになる。 リタイアした時には、色々と事情が有ったのでそんなことを考える暇もなかったし、精神的には「忙しない」というような状況だった。 それが、一応納まった時に、「さて、のんびりと、これからの事を考えようか」と思っていたら、次々に事情が変わってきたので、それなりに又「忙しない」と思ってきた。 いろんなことを考えながら生きて行けばいいのだが、行きついた事は「そこそこ健康で毎日を楽しく過ごせればいいじゃないか」とその筋の人には叱られるかも知れないが、それが私の生き方だ、と言っても然程他人様に迷惑を掛けることはなかろう。2024 年4 月24 日
ブログに予定は書かない
私もかつては良くやっていたが「どこそこへ家内と旅行に出掛けます」という内容のブログを書いていた。 先日、見るともなくニュース番組を見ていてこれと同様なことが事件になったとの事が紹介されていた。 家族そろっての楽しい旅行計画をブログに載せておられた人の家に、空き巣狙いが入って被害額は少なかったそうだけれど、矢張り決していい気持の物ではない。 被害額が少なかったのは、子供さんの行動把握の為に留守カメラを取り付けていて、それで警告した結果だそうである。 このデジタル時代、留守カメラが効果を発揮したとの事だが、矢張り自分の「予定」は公表するべきではなく、「行って来て楽しかった」にすべきだと、自分に言い聞かせた。2024 年4 月23 日
漢字クイズ本の難問が解けた
昨年の12月頃に「お正月休みの間の「暇つぶしと学習の為に」と思って買った「漢字クイズ本」で懸賞応募期限は2月末日となっていた本である。 今までも、何冊か、何種類か購入して、全問正解と言う訳ではないが、そこそこ期限内までに応募して、当たったのは図書カード1枚と言う程だったが、今回はシリーズとしては初めての物だっただけに、出題傾向が違っていたのか、それとも単純に此方の記憶が薄れてきたのか分からないが、可成りの問題が解けずに残ったので、応募するよりも「解く楽しみ」に注力してきた。 購入から約半年近くたって、漸くそのうちの一つが解けた。 応募に当たればもちろんうれしいが、それ以前に「解けた」と言う嬉しさに巡り合えたことが嬉しかった。 まだ数問残っているが、楽しく調べながら解いてゆきたい。2024 年4 月22 日
孫娘から「返納は何時」と聞かれた
まだ仮免許だが、そろそろ卒業で免許が取れる孫娘から「免許返納は何時するの」と聞かれて困ってしまった。 彼女を希望大学まで送って行った時もスピードを含めてそんなに免許取得の受験勉強中の孫娘に「危険運転」だと思わせるような運転はしていなかったと思うが、突然そう言われたのは、流石に少しショックだった。 わが市でも「ちょいそこ」という方法は確立しているのだが、まるで関心が無かったので、配布されていた資料を余り見ていなかった。 昨年更新したので、それから3年は「有免許者」である。 この軽四にしてから、擦った事はあるが、事故などでは無いし、過剰ほどでは無いとしても、それなりに自信を持っている。 でも、来る時はいつかくるのだから、資料を見て学習しておこう。2024 年4 月19 日
のんびりと草むしり
先日、午後から他人からの予定もなく、自分のルーチンワークも済んで「ねばならぬ」ことが無く成ったので、少し気になっていた畑の対応を午後から行うことにした。 前日の夕方から当日の早朝までそんなに酷くはないお湿りの雨が有ったので、草むしりには最適な日だったこともあり、大根や隠元豆と蚕豆の定植は終わっていたので、そちらの方も「見た目」順調だったので、気には成らず四方山の事を考えながら、陽射しも幸いにして薄い雲に遮られて、快適だった。 先ずは花梨の木と薔薇の木の下の外草(以前にも言ったと思うが、「雑草」とい言葉は好きではないから釣りに準えてこの言葉を使っている)摘みで、埋もれていたムスカリの淡紫色が綺麗に表れた。 それから冬越しの梅ノ木の剪定、そして外草に負けそうになっていた韮の周りの草むしり。 ラジオを聴きながら、虫刺されもあまり気にせずのんびりし過ごせた。 楽しい園芸タイムだった。2024 年4 月18 日
嫌なことは書いて忘れる
最近はあまり「腹を立てない」ことに慣れてきた、と自分では思っているし、昔を知っている何人かからは「元気がなくなったのではないか、そろそろ近いのか」と冗談交じりに言われることがある。 それでも、矢張り「腹が立つ」「腹に据えかねる」ことが無いわけではない。 そこで、思いついたのは、「そんなにつまらないことをいつもでも腹に収めておいてもしようがないだろう」ということである。 ということで、新たにその為の日記を書くことにした。 吐き出してしまえば、その内には薄れて、果ては思い出さなくなるだろうと思いながら。 そう思うって、何項目か書き出してみた。 ただそれだけの事で、少しだけ気が楽になった事は間違いない。2024 年4 月17 日
二つ名で呼ばれていた
「二つ名」という言葉を聞いてどのように思われるだろうか。 人によって違いはあるだろうが、一つ目は当然「具体的にその人を指す」ものであるのに対して二つ目は良い場合と逆の場合があるらしい。 在職時私はそういう意味では「幾つもの名」で呼ばれていたようである。 耳に入って居ただけで、思い出すのは「あの白髪の」「存在が直ぐに分かる」「北陸の」などであるが、「白髪」で私が尊敬する部長さんがいらっしゃる。 煙草を吸われない方だったので、本当に「綺麗な白髪」だった。 「存在」については「大きな声で挨拶する」からだったらしい。 是だって悪いわけではないようだが、「あいつに聞こえる所でする話じゃないぞ」と言う周りへの注意だったようである。 「北陸の」と言うのはそれ迄の北陸出身者は「あまり大きな声で喋らない」ことが一つの特徴だった様で、同じ北陸出身者でもう一人しか知っている奴はいない。 当時の直属部長から「こんな名前でも呼ばれているよ」といくつか聞いたが、必ずしも、好感を持たれてばかりではなったようだ。 楽しい思い出である。2024 年4 月16 日
物の交換
此方北陸でも、桜もそろそろ「葉桜」に成っていますが、地震災害は有りましたが、それなりに賑やかな一時を過ごされたようです。 希望大学に新入学した孫娘も自動車学校に通いながらも新しい学校に馴染もうと頑張っています。 私も、今年度受講する放送大学の科目を3科目に決めて、ぼつぼつと学習を始めようとしています。 こんな時、冬物と春・夏物との交換の時期です。 冬の間に「これはもう着ないな」とか「汚れたから」などの理由で新陳代謝しつつあります。 春・夏物の時はそうでもないのですが、この時期まさか其の儘仕舞う訳にもいかないので、嵩張るので、家だけでは間に合わなく、専門屋さんへ持参するか、レンタルクリーニングに出すことになり、それなりに大童になります。 でも、これがあるから、本当の意味で「冬が過ぎてしまうんだ」という感覚が持てます。 でも、灯油ストーブだけは6月半ばまで置いて措きます。 「梅雨寒」と言うのが時によって馬鹿にならないくらい寒くなるからです。2024 年4 月15 日
読書感想文
今回の紹介は、相変わらずだが「父の蔵書」の中からの物である。 「(おもしろくて役に立つ脳の知識)(どこが違う・なぜ違う?)男の脳 女の脳」(順天堂大学病院教授 新井康允 著 三笠書房 刊)です。 昨年11月22日から「音読材料」として開いたものです。 謳い文句の「男って何を考えているのかしら」「女ってさっぱり分からない」と言う文句に惹かれて、約半年間読み続けてきたのだが、正直なところ「益々分からなくなってきた」と言うのが本音である。 でも、『分からないことが分かった』という事での意味は有ったと思っている。 こんな思いになるのは、矢張りリタイアしたからだろうと思う。 現役時代は、特にコンピュータ屋の「知り尽くしたい」ということが染みついていて、分かるまで追求した物だったが、リタイアしてからは前記の文句を自分に言い聞かせることが多くなっている。 これはなにも「詰まらなかった」と言う事ではなく「そんな事なんだ」と納得できるからである。 そんな訳で「お勧めする」という本ではない。 例によって、目次の紹介で代えさせていただく。 第1章 男らしさ・女らしさはどう作られるか 第2章 脳にも「男型」と「女型」がある 第3章 それぞれの脳の性格 第4章 右脳と左脳はどう違うか 第5章 脳にはこんな可能性がある 第6章 心と体をコントロールするホルモン 第7章 人間の性のカギをにぎるもの 如何てすか、読みたくなりましたかも絶対読みたくないと思われましたか。 上記の前提で言うなら「是非一読すると、分からないことが楽しくなりますよ」。2024 年4 月12 日
噺家の好き嫌い
あくまでも私個人の区分だから、「仕方ない事を言ってるなぁ」という気持ちで読み飛ばして頂いてまったく構わない。 高校生の頃からだろうか、深夜放送ばかりではなくラジオが聴ける時間帯に、色々な落語や漫談・漫才を聴くのが好きだった。 それからもう半世紀以上経っていて、今更ながら「自分の書き嫌い」が区別できているようだ。 噺家さんには「噺家さんとして」と「人間として」という二つの面での好き嫌いがある。 これは何も噺家さんばかりではなく、前述のとおり漫談家・物真似の人にも言えるのだろうが、噺家さんほど多くは知らないので割愛した。 噺では「この噺はこの人でないと楽しくない」とその逆もある。 でも、そんな人に限ってではないかもしれないが、「人間としては、とても付き合いたくない人」と言う人もいる。 贔屓やそうでない事は別にして、こんな分類も楽しくはないか。 そんな分類をしたうえで、その噺家さんの話を聞いてみる物も楽しみの一つである。2024 年4 月11 日
仮名、カナの元に成る漢字
休みの間に少しだけ気に掛かっていた事の一つが解決した。 左手書きの練習については以前にも紹介したが、「何故この漢字からこの仮名、カナになるのだろう」というものが幾つかあった。 全てを紹介するのは読んでいても「詰まらない」と思われるだろうから、幾つかだけを紹介させていただこう。 「は」と言う平仮名が「波」からきているのはそんなに難しくは無いだろうが、カタカナでもそれが元だとされていても理解できずに練習していた。 実は「八」なのであった。 同様に「ミ」が「美」だと言われてもどうだろうか。 実はこれも「三」なのである。 「む」の元は「武」だと言われても然程の不思議さは感じられないだろうが、カタカナにはなり難いだろう。 「牟(呉音発音で「む)」であればどうだろうか。 相変わらず「詰まらない事」でごめんなさい。2024 年4 月10 日
鈴木健司さん95歳で逝去
NHKの名物(?)アナウンサーで一名をとどろかせ「気配り」というシリーズの本を何冊も買って使える所は、「ネタばれ」に成っていることなどお構いなしに使いまくった時代が有った。 新聞には小さな記事でしかなかったけれど、私にとっては「本を通じての先生」だった。 それは、余り人には言えないけれど、ある後輩から「あなたのようなスタンドプレイは出来ない」と言われるほど、傍若無人の活動だった。 周りの同僚の多くは「大卒」であるので、それだけでも「格が違う」のである。 そんな中で、ある意味その中間より少しだけ上のランクだったから、「勝たなくても良いから、負けられない」と言うのが本音の行動だった。 そんな時に「気配り」の本はかなり役立った。 改めて冥福を祈りたい。2024 年4 月9 日
巻きスカートを外した
もう始めて随分になる「脱パンツ健康法」だけれど、冬場からこの「冬明けだけどまだ寒い」頃には、起きて直ぐは自分の部屋では「古い毛布を使った「巻きスカート」を付けている。 先日も「そろそろ良いかな」と外し始めた。 部屋は起きた時から「寒くない程度」にストーブを点けているのだが、やはり寒い時が続くので、是は「パンツの弊害」を避けるためには、必要不可欠な物である。 でも、先日自室での作業中気が付いたら着用していなかった。 こんな風にして「無理しない程度」に春を迎えている自分に楽しくなった。2024 年4 月8 日
左手練習シートを右手で書いてみた
左手での「書く」練習をひらがなとカタカナの元に成る漢字でやっていることは、以前に紹介させていただいたが、先日「偶には右手でやってみてはどうだろうか」とやってみた。 確かに正確性とスピードは左手に勝る。 ところが書きあがったものを良く見ると「慣れによる安易さ」で手本と随分ずれて書いている。 はっきり言って「こりゃ駄目だ」と判断した。 年度替わりがきっかけになる訳ではないが、今度は右手で「正しく丁寧に」という目的での練習をして見よう。 私が良く言う口癖に「誰も買ってはくれないけれど、時間の余裕はたっぷりある」のだから。 これも新年度の「心機一転」になるのではないだろうか。 でも、右手で書くネタ本はまだだいぶ残っているから、それが終わってからになる。 忘れないように、メモ用紙をいつも見える所に張り付けておこう。2024 年4 月1 日