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2006 年10 月31 日

最高裁判例紹介〜最高裁第二小法廷判決平18.9.4目黒公園判決

 東京都が民有地に目黒公園の南門と区道との接続部分を整備する内容の都市計画事業認可処分の取消訴訟で最高裁が1審藤山判決を是認して都市計画決定を違法と判断した。
 1審判決は、公有地優先という法律以前の常識や、都市計画基準を裁判規範にして都市計画決定を違法と判断した(小田急線高架訴訟事件などと並ぶ藤山コートの代表的判決)。それに対して、高裁は、@都市計画を策定する上で「公有地を利用することによっては行政目的を達成することが出来ない場合にのみ民有地を利用することが認められる」といった観点が絶対であると解することは出来ない、A建設大臣が本件都市計画決定において本件民有地を本件公園の区域と定めたことは合理性に欠けるものではない、との理由で、本件都市計画決定に裁量権の逸脱濫用はないと判示して、1審判決を取り消した。極めてオーソドックスな判決だった。

 それに対して、最高裁第二小法廷は、「建設大臣の判断の合理性」を違法性判断基準とした上で、これを二段階に分けて審理するものとした。
 すなわち、第一段階として「樹木の保全のためには南門の位置を現状のとおりとすることが望ましいという建設大臣の判断が合理性を欠くものかどうか」を判断し、これが肯定された場合は第二段階として「本件国有地ではなく本件民有地を本件公園の区域と定めた建設大臣の判断が合理性を欠くものかどうか」を判断し、これが肯定された場合は他に特段の事情がない限り、建設大臣の判断は社会通念に照らして著しく妥当性を欠くものとなり、本件都市計画決定は裁量権の範囲を超え又はその濫用があったものとして違法となるとした。具体的に第1段階の審理は「原審は、南門の位置を変更し、本件民有地ではなく本件国有地を本件公園の用地として利用することにより、林業試験場の樹木に悪影響が生ずるか、悪影響が生ずるとして、これを樹木の植え替えなどによって回避するのは困難であるかなど、樹木の保全のためには南門の位置を現状のとおりとすることが望ましいという建設大臣の判断が合理性を欠くものかどうかを判断するに足りる具体的な事実」を審理確定することによって行い、第二段階の審理は、「本件民有地及び本件国有地の利用等の現状及び将来の見通しなどを勘案して、本件国有地ではなく本件民有地を本件公園の区域と定めた建設大臣の判断が合理性を欠くものであるということができるかどうかを判断しなければならない」とした。

 これは画期的な判決だ。その理由は次のとおり。
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投稿者:ゆかわat 22 :08 | ビジネス | コメント(0 )

2006 年10 月28 日

裁判員制度と日本語

 冷泉彰彦著「関係の空気、場の空気」(講談社現代新書)を読んだ。的確な指摘がなされていると思った。

 国際関係、少子化、高齢化等々、それぞれ深刻な論点なのに、激しい対立もなければ現実的な妥協もないまま、何となく何かが決まっていく、あるいは先送りされていく。多くの人間が一堂に会する場で、空気が場の全体を支配してしまった結果、合理的でない意思決定が、場全体の責任、つまりは誰もが責任をとらない中で既成事実化していく。そんな日本社会の問題の中心には日本語があるのではないか。日本語は、1対1の私的関係では、その「関係の空気」を共有することを前提として、省略表現、略語、隠語等を使った豊かなコミュニケーションを実現するが、3人以上の場では、その日本語の長所は「場の空気」を権力化させることになる、というのが著者の仮説だ。そこで、公的な場では、お互いがどの程度の智識を共有しているかを確認しながら、対話者の言語形式の対等性を確保するために敬語や「です、ます」調を用い(その対極にあるのが小泉前首相のしゃべり)、その訓練として教育現場では教師も生徒も「です、ます」のコミュニケーションを教えるべきだという。

 著者は裁判員制度についても次のような的確な指摘をしている。裁判所においても、ぜひとも本書を一読されたいものだ。
「私はこの制度(裁判員制度のこと)が成功するか失敗するかは、敬語の問題にあると思う。問題の一つは、判事と裁判員が、あるいは饒舌な裁判員と寡黙な裁判員が、「対等」に審理を進めることができるか、という点である。この点に関しては、私は「敬語を使う」べきだと考える。いや「敬語の使用を強制すべき」と言っても良い。それも「です、ます」だけでなく、判事も裁判員も相互に尊敬語を使うべきだと思う。そうでなくては、刑事事件の審理という「公的な」言語空間は成立しない。少しでも「タメ口」を認めたら、法曹のプロである判事の発言権が、あるいは何らかの予断を持っていたり、たまたま犯罪心理マニアだったりする「饒舌な」裁判員の声が、他の裁判員を差置くことになる。そして、そのような状況を日本語は著しく助長する。客観的な証拠調べ、判例との比較ではなく、「場の空気」が判決を生み出すようなことでは、せっかくの新制度が台無しである。(略)審理の中では判事が、過去の判例なり、法曹の常識とし想定しうる量刑の範囲などを「レクチャー」する局面もあるだろう。そうした場合でも「どうですか、おわかりいただけましたか。少しでも不明瞭なところがありましたら、どうぞおっしゃってください。あるいは皆さんそれぞれの人生経験や社会常識に照らして、申し上げたことに異論がありましたら、それもおっしゃってください。」というような話法を維持すべきである。」

投稿者:ゆかわat 01 :19 | ビジネス | コメント(0 )

2006 年10 月26 日

県立高校履修漏れ

富山県の県立高校で必修の世界史の履修漏れ事件が発覚した。その後の全国調査で少なくとも33県以上で同様の事件が起きていたという。大学受験を目前にして、必修科目だから高校卒業のために今後補修を行うという。官房長官は「ルールは守ってもらわないと困る」とまで述べた。

しかし、ちょっと待て。ルールを守らなかったのは高校=大人の側であって、高校生=子供の側ではない。どうして大人がルールを守らなかったつけを子供が負わされなければならないのか。高校や教育委員会が申し訳ないと言葉だけ謝ればすむのか。現役高校生は怒るべきだ。大人のルール無視のために、大学受験を不利にされて良いのか。

 学習指導要領は法的拘束力を持つというのが国の立場だから、高校が歴史地理の履修が必修だと分かっていながらこれを生徒に履修させなかったということは、在学契約の債務不履行に当たるし、故意に違法行為をしたわけだから国家賠償責任も生じる。これを校長が生徒に謝罪して動揺せずに志望校目指して勉強するようにと呼びかけてすむ問題か。欠陥自動車を売っておいて、メーカーがユーザーに今後は気をつけて運転するように訓示するというのと同じレベルではないか。これで仮に大学受験に失敗したり、卒業資格が認められなかったら損害賠償すべきであるのは当然であるし、仮にそこまで現実的な被害が発生しなくても、大学受験を控えたこの時期にこんな不祥事で精神的動揺を与えたこと自体が慰謝料支払の対象となるだろう。

 履修漏れの生徒に対しては大学受験を控えたこの時期にこれから補習をするという。しかし、履修漏れのまま卒業した生徒に対しては補習をせずに、現役の高校生に対してだけ補習をするというのはおかしくはないか。それに、大学受験への配慮も必要だろう。公平・平等・負担への配慮が不可欠だ。そもそもは学習指導要領を故意に無視して違法なことをしておいたつけを生徒にだけ負わすということをどう考えるのか。

 そもそも高校卒業のための必修単位だと決めたのは文部省の教育指導要領だが、それは誰のためのものか。当事者の高校生の意見を聞いて決めたものなのか。当事者の意見も聞かずに大人が決めた指導要領を、当事者の声も聞かずに大人が無視したのに、そのつけだけを子供が払わされてよいのか。それが正義なのか。


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投稿者:ゆかわat 22 :05 | 日記 | コメント(0 )

2006 年10 月21 日

北朝鮮漁業水域の日本漁船の操業許可取消へ

 20日の日経朝刊に、農林水産省が北朝鮮漁業水域内での日本漁船の操業許可を取り消す手続に入ったとの記事が掲載されていた。船舶の安全を守るとともに核実験に対する制裁措置の効果を期待するためとあった。

 どうも根拠条文がよく分からないが、漁業法の下記規定に基づくものだろうか。
但し、これを見ると、許可権限を有するのは都道府県知事で、農林水産大臣は海域指定の権限しかないように思われる。また、紅ズワイガニ漁船はどうも含まれないのではないかと思われるので、別の法令があるのかもしれない。
しかし、別の法令があったとしても、条文的にはこの程度のことしか規定されていないのであろう。

 その場合、漁業者は国が海域指定を取り消ししてしまえば、そもそも操業許可されないのだから、従うしかないのだろうか。少なくとも、現在の国際情勢を考えるとやむを得ないのだろうか。しかし、今になって急に操業許可を取り消すと言われても、その操業ができなければ死活問題だろうし、船舶もそのための船舶だろうから船舶そのものが不要となるかもしれないし、ローンだって残っているだろう。せめて営業補償が必要ではないか。しかし、法令に営業補償の規定がない以上、国が自発的に営業補償をしましょうと政策判断をしてくれなければ難しいのだろうか。そもそも北朝鮮漁業水域はそんな不安定なものでしかないのだろうか。
新聞には関係者の聴聞会を開くとあったが、これは行政手続法に基づく許可取消手続だが、その辺のところが争点になるのだろう。

(許可を受けない中型まき網漁業等の禁止)
第六十六条  中型まき網漁業、小型機船底びき網漁業、瀬戸内海機船船びき網漁業又は小型さけ・ます流し網漁業を営もうとする者は、船舶ごとに都道府県知事の許可を受けなければならない。
2  「中型まき網漁業」とは、総トン数五トン以上四十トン未満の船舶によりまき網を使用して行う漁業(指定漁業を除く。)をいい、「小型機船底びき網漁業」とは、総トン数十五トン未満の動力漁船により底びき網を使用して行う漁業をいい、「瀬戸内海機船船びき網漁業」とは、瀬戸内海(第百十条第二項に規定する瀬戸内海をいう。)において総トン数五トン以上の動力漁船により船びき網を使用して行う漁業をいい、「小型さけ、ます流し網漁業」とは、総トン数三十トン未満の動力漁船により流し網を使用してさけ又はますをとる漁業(母船式漁業を除く。)をいう。
3  農林水産大臣は、漁業調整のため必要があると認めるときは、都道府県別に第一項の許可をすることができる船舶の隻数、合計総トン数若しくは合計馬力数の最高限度を定め、又は海域を指定し、その海域につき同項の許可をすることができる船舶の総トン数若しくは馬力数の最高限度を定めることができる。

 

投稿者:ゆかわat 03 :21 | ビジネス | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2006 年10 月17 日

行政法の講義

先週後半から北陸づいている。金曜日は富山地裁で弁論、その帰りに高裁金沢支部に上告受理理由書提出、土曜日は顧問先と山中で会議、月曜日は高裁金沢支部に別事件の上告受理理由書提出、そして火曜日は金沢大学で行政法の講義。金沢城跡のキャンパスは法社会学会の報告で行ったことがあったが、角間のキャンパスに行くのは初めてだった。小高い丘の上にあって、広々としていてとても気持ちの良いところだった。

金沢大学大学院では行政事件を通して感じたことを「行政事件にどのように取り組むか」という演題で学生向けに話してきた。

行政訴訟の特殊性 依頼者の利益救済と行政の適法性確保を目的として提起しているが、訴訟ではその目的を達することはできず、訴訟外での交渉・市民運動の手段として利用している。
行政法の特殊性 裁判官と意思疎通が図れないと感じることがある。それは、そもそも行政法規の解釈が法律の解釈というよりは法律だけでは完結せずに、法律・政令・省令・通達の発見という過程をたどること、当該法規を縦糸として地方自治法の分権・自治事務・法定受託事務の切り口を横糸とした解釈が重なってくること、そして三権分立ではなく立法・行政が国・県・市の多層構造をとっており、法規は法律・政省令に加えて県・市条例まで見てはじめて完成すること。

 福井の魚あら処理施設の事件を例に、事件にかかわる法令を発見し、その権限者(攻撃のターゲット)を見定め、考えられる限りの法的手段をとること。具体的なケースを交えて講義をしたが、どの程度理解されたかな。そもそもは弁護士や裁判官向けに話すべきことのように思った。だって、自分が弁護士として行政事件にこれまでかかわってきてはじめて分かったことだから。

投稿者:ゆかわat 22 :38 | ビジネス | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

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