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2011 年3 月30 日

被災がれきの県による除去

28日朝刊に
「環境省は被災地のがれきやごみの処理について市町村の要望に応じて県が代行することを認めると表明した。廃掃法を柔軟に運用する。」との記事が載っていた。

 なんでこんなことが「柔軟な運用」なの?と思う人も多いだろう。
 これは、廃掃法6条が一般廃棄物の処理は市町村の責任とし、市町村以外の者で一般廃棄物の処理ができるのは法7条で許可業者が原則とされ、その例外を定める施行規則2条5項には、国に処理を委託することは認めているものの、都道府県は含まれていないからだ。条文どおりに解釈すれば、一般廃棄物である被災がれきを処理するのは市町村の責任であって、県の事務ではなく、市町村が国=自衛隊に委託することはできるが、市町村が県に委託することは許されない。
 しかし、あまりに杓子定規な条文解釈だ。
 しかし、実態に沿わず、都合が悪いのであれば、柔軟な解釈は本来許されるべきだろう。それがこれまで杓子定規な解釈運用しか認めてこなかった官僚行政法学が問題なのだ。

投稿者:ゆかわat 22 :43 | ビジネス | コメント(0 )

被災自動車の処理

 29日の日経朝刊の記事から。「倒壊家屋・家電・自動車 がれき再資源化に壁」と題して、その中に「被災した自動車の処理にはリサイクル時に必要な「廃車認定」が壁になる。財産権などの問題があり、放置されているだけでは廃車とみなせないからだ。自治体による所有者の意思確認などの作業が発生する。DOWAホールディングスは家電リサイクル拠点、使用済み自動車の解体・リサイクル拠点も保有している。震災による設備への影響はなく、法的な問題がクリアできれば、積極的に処理に協力する構えだ。」とある。

 しかし、この記事は不正確であるばかりか、使用済み自動車の処理に誤解・混乱を招く。
 自動車リサイクル法(正式名称は使用済自動車の再資源化等に関する法律」)は、「使用済み自動車」とは、使用を終了した自動車(法2条2項)と定義しており、使用済みかどうかにつき自治体の廃車認定を必要とするとは定めていない。
 各自治体が制定している放置自動車対策条例には、確かに「廃車認定」という手続があるが、それは、廃掃法や自動車リサイクル法の系列とは別の自主条例として定められたものであり、自動車リサイクル法とは関係がない。
 被災してがれきとなった自動車は、明らかに「使用を終了した自動車」であるから、廃車認定も必要ないし、所有者を確認してその意志を確認する必要もない。そのまま廃掃法のルートに乗せて処分することもできれば、自動車リサイクル法のルートに乗せて再資源化することもできる。もっとも、リサイクル料金(再資源化預託金)が預託されていない自動車の場合、リサイクル料金の預託を所有者に求めなければならないが、預託されていないからといって再資源化できないわけではない。

投稿者:ゆかわat 07 :20 | ビジネス | コメント(0 )

2011 年3 月28 日

東日本大震災とごみ

  政府は25日、東日本大震災で流失した家屋などの撤去について、がれき化した建物は所有者の許可なく撤去・廃棄できるとの指針を自治体に通知した。アルバムや位牌(いはい)などは、財産的な価値はなくても家族には価値があると位置づけた。回収できた場合は保管、閲覧できるようにしたうえで、所有者に引き渡すことが望ましいとの見解を示したという。

 ここには、いくつかの問題が含まれている。がれきは廃棄物かという問題と、がれきの所有者は元の建物の所有者かという問題が混在している。
 最判平11.3.10は「廃棄物=不要物」の判断基準について、「不要物」とは、自ら利用し又は他人に有償で譲渡することができないために事業者にとって不要になった物をいい、これに該当するか否かは、その物の性状、排出の状況、通常の取扱い形態、取引価値の有無及び事業者の意思等を総合的に勘案して決すると判断した。そうすると、津波被害にあって押し流されたがれきや自動車は、学校の校庭にあろうが、民有地にあろうが、もはや利用することはできず取引価値もないから廃棄物と言わざるを得ない。
 この「廃棄物」に該当するかどうかの判断基準を、廃掃法の所管庁である環境省が通達を出すということはあり得るだろう。

 しかし、廃棄物かどうかは、廃掃法の解釈問題だから、国が解釈指針を出すことは理解できるが、「廃棄物」かどうかは廃掃法上の概念であって、民法上の概念ではない。したがって、「廃棄物」だということになって、廃掃法上の処理義務が発生したとしても、それが所有権の客体足り得るかどうかとは別問題だ。そればかりか、それが刑法上の窃盗罪の客体となるかどうかも別問題だ。通常、ごみは、その所有者が不要だから捨てるものであるので、所有権が放棄されたものと考えることができる。したがって、廃棄物であれば、それを廃棄処分するのに所有者の承諾を得る必要はない。しかし、震災によってがれきとなった物は、所有者の意思に基づいて放棄されたものではないから、廃棄物=所有者の承諾なしに廃棄処分できるということにはならない。
 そもそも、所有権の客体となるかどうかの問題は、所有権にかかわる問題であるから、政府が解釈指針を出せる筋合いの問題ではない。

投稿者:ゆかわat 21 :15 | ビジネス | コメント(0 )

2011 年3 月21 日

放射能汚染野菜の販売規制は問題

 放射能汚染野菜の販売自粛は、次のような内容の17日付の厚労省食品安全部長通知によって行われている。
 「平成23年3月11日、東京電力株式会社福島第一原子力発電所事故に係る内閣総理大臣による原子力緊急事態宣言が発出されたところである。このため、飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、もって国民の健康の保護を図ることを目的とする食品衛生法の観点から、当分の間、原子力安全委員会により示された「飲食物摂取制限に関する指標」を暫定規制値とし、これを上回る食品については食品衛生法第6条第2号に当たるものとして食用に供されることないよう販売その他について十分処置されたい。」

 食品衛生法6条2号は、「有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは付着し、又はこれらの疑いがあるもの。」は「これを販売し(不特定又は多数の者に授与する販売以外の場合を含む。以下同じ。)、又は販売の用に供するために、採取し、製造し、輸入し、加工し、使用し、調理し、貯蔵し、若しくは陳列してはならない。 」と定めているにすぎない。
 そうすると、食品安全部長通知は、食品衛生法6条2号の解釈基準ということでしかない。
 しかし、この解釈基準は合理的なのか。今朝のTV番組を見る限り、東工大準教授は現在発表されているような放射能濃度では何ら健康には影響がないレベルだということをしきりに強調していた。

 ところが、首相は、原子力災害対策本部長名で、福島県知事等に対し、原子力災害対策特別措置法20条3項に基づき、福島県産ホウレンソウや原乳等について、当分の間、出荷を控えるよう関係事業者等に要請するよう指示を発した。

 そんな緊急を要する状況なのだろうか。しかも、知事に、「関係事業者等」に対して、「出荷を控えるよう要請する」権限があるのだろうか。
 しかも、「指示」ということになると、先の食品衛生部長通知が単なる法令解釈の基準であるから、福島県知事等とすれば、TV報道や関係部局の見解に基づいて部長通知に従わないことも十分に可能であったのに、「指示」ということになると、そんな対応は許されないということになる。未曾有の緊急事態であるとしても、あまりに拙速で、ちぐはぐで、被害自治体に二重三重の追い打ちをかけるものではないか。


投稿者:ゆかわat 22 :53 | ビジネス | コメント(0 )

誰が小沢一郎を殺すのか?(2)

 ウォルフレンの著作をこの連休でざっと読んでみた。やや短絡的に感じる部分もあったが、全般的に非常にすとんと腹に落ちる論述である。

 日本では「法律は権力システムの枠外に位置づけられ」「法律は政治に関して許容すべきことととそうでないことを決定づける最終基準にはなっていない」。「日本の官僚は法律に支配されるのではなくみずからがそれを支配する」。「日本の法律には、検察がみずから達成しようとする目標に合わせてできるだけ自由に解釈できるような、意図的にあいまいな表現が使われている。」そして、日本の政治・経済システムの秩序維持のために、その範囲を逸脱した人物を罰するのが検察の役割であり、そのために使われるのがスキャンダルである。

 日本の典型的なスキャンダルは、1990年代初めの証券スキャンダルであり、リクルート事件でありライブドア事件であった。証券スキャンダル事件(損失補填)は、当時の金融システムを維持するために金融官僚の指示と承認の下に適法に行われてきたが、あまりにガリバー化した野村証券が既存の金融システムを脅かすとみなされて罰されたのが証券スキャンダル事件であった。著者を含む海外メディアには「一体こうした事件のなにが問題なのかが理解できない。」という。

 ライブドア事件も、「堀江氏を引きずりおろすためのスキャンダル」であり、「まず検察は堀江氏が不正を働いたかのように見せかけるシナリオを用意した。それからチームが組まれ捜査が行われた。そして堀江氏に対する取り調べは、真実をはっきりさせるためではなく、あらかじめ組み立てられたシナリオに合致する証拠となる主張を引き出すために行われた。」「検察のやり方は超法規的である。」「日本の検察は法律によって規定された、許容すべきことと許容すべきではないことの枠組みを越えた領域で動いている」。

 小沢事件は、「小沢氏を引きずりおろそうとするキャンペーン」である。なぜ小沢氏の政治生命が抹殺されようとしているのかといえば、彼が日本の政治・経済システムを変革する実行力を有しているからであり、アメリカとの従属関係を軸とする日米同盟を対等な関係に(自立・独立)することを指向しているからだ。「高級官僚のみならず、日本のメディアが、非民主的であり悪しきふるまいだなどと非難の矛先を向けるのは、その人物が非公式な権力システムを揺るがしかねないからである。そしてメディアこそ、そのような非公式なシステムの一翼を担っているのだ。」だから検察はあいまいな表現で恣意的な解釈のできる政治資金規正法違反を立件しようとしたが、「他国であればだれも気にとめないような」「容易に解決可能な小さな管理上の不正行為にすぎない」から、立件はできなかった。ところが、「政策に無関心」で「横並び報道」しかしないメディアは一斉に小沢氏の率いる民主党政権を攻撃した。

 改めて、現在の小沢パッシング、民主党パッシングの本質を見るべきである。これはまさに55年体制に時計の針を戻そうとする壮大な「画策者なき陰謀」ではないか。

投稿者:ゆかわat 21 :52 | ビジネス | コメント(0 )

2011 年3 月20 日

誰が小沢一郎を殺すのか?

 極めて毒々しい、センセーショナルなタイトルだが、角川書店から出版されているウォルフレンの著書だ。
 たまたま新聞の新刊紹介で見つけた。書店ではあまり大きな取扱いをうけておらず、いろいろ探してやっと見つけた。

 ウォルフレンは、民主党政権を、日本の政治システムの修正と国際的自立をめざそうとする動きであるとしたうえで、「その試みは挫折しかねない危機的状況」にあるという。
そして、小沢パッシング・キャンペーンの本質を、日本の政治システムという旧態依然とした体制に対する最大の脅威となりうる者に対する人物破壊character assassinationであり、検察と新聞との、画策者なき陰謀であるとする。

 ウォルフレンは「日本/権力構造の謎」の中で、日本の裁判所・司法権について正確な理解を示していたが、今回のこの著書も、海外ジャーナリストならではの、日本の政治的状況に対する極めて正しい理解を示していると思う。
 読み始めたばかりだが、読み終わったら、また紹介をしてみたい。

投稿者:ゆかわat 16 :56 | ビジネス | コメント(0 )

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