2010年7月30日
東北の旅 7 龍泉洞愛山
宿に着くと、ちょうど団体さんのバスが着いたところだった。駐車場はどこだろうと、ホテル脇の道に入ると、住宅地の狭い路地だった。空き地でターンして戻る。山手の方を見ると、100mほどのところにマイクロバスが止まっているのが見えた。たぶんホテルの駐車場だ。バスの脇に駐車して、荷物を持ってホテルにチェックインした。
部屋は3階だった。予告通り、すでに布団が準備されていたが、部屋は十分に広くゆったりしている。冷蔵庫は、電源が切られていたが、中身は空で、電源を入れて自由にお使いくださいということ、早速持ち込んだ酒を冷やした。
食事は2階の広間でということだったが、その入り口が、どうも従業員休憩所という感じの目立たないドア。テーブルが2つずつ固まって6つの席が作ってある。部屋番号ごとに食事が用意してあって、私の向かいの席の人はすでに食べ終えて席を立った後だった。それを見ると、だいたいどんなものがでるかわかる。テーブルにセットしてあるものの他に、まだ何品か出るようである。食事は、ビジネス客プランで、少し品数を減らしてあるということだったが、なかなかバラエティーに富んだおいしい食事だった。毛ガニはぱさぱさしておいしくなかったが、今は季節ではないと思うし、仕方あるまい。初めて食べたホヤというものは、思ったほど癖がなくておいしかった。せっかくだから生ビールを頂いた。食事は完食して満腹した。隅のテーブルでは、6人ほどの団体が賑やかに食事をしていた。参院選の話を盛んにしている。話の雰囲気から見ると、どうも公明党関係者のような感じがした。
そういえば、今日2度目の食事である。遠野で買ったミヤリサンを飲んで、その後、腹の調子は徐々に回復してきた。まだ完治ではないが、ひどい下痢ではない。
部屋に戻ると風呂に入りに行く。フロは別棟。火山の岩を通したお湯だというが、ありがたみは未知数。床のひび割れがちょっと気になる。風呂の入り口ののれんが破れているのも、ちょっとどうかと思う。そういえば、部屋の洗面所の鉄さびもひどいものだった。経営が厳しいんだろうな。とふと思う。
風呂から上がると、テレビを見ながら、グビグビと酒を飲んだ。さすがに1本は飲みきれなかった。
どっと疲れが襲ってきて、寝ることにする。
部屋は3階だった。予告通り、すでに布団が準備されていたが、部屋は十分に広くゆったりしている。冷蔵庫は、電源が切られていたが、中身は空で、電源を入れて自由にお使いくださいということ、早速持ち込んだ酒を冷やした。
食事は2階の広間でということだったが、その入り口が、どうも従業員休憩所という感じの目立たないドア。テーブルが2つずつ固まって6つの席が作ってある。部屋番号ごとに食事が用意してあって、私の向かいの席の人はすでに食べ終えて席を立った後だった。それを見ると、だいたいどんなものがでるかわかる。テーブルにセットしてあるものの他に、まだ何品か出るようである。食事は、ビジネス客プランで、少し品数を減らしてあるということだったが、なかなかバラエティーに富んだおいしい食事だった。毛ガニはぱさぱさしておいしくなかったが、今は季節ではないと思うし、仕方あるまい。初めて食べたホヤというものは、思ったほど癖がなくておいしかった。せっかくだから生ビールを頂いた。食事は完食して満腹した。隅のテーブルでは、6人ほどの団体が賑やかに食事をしていた。参院選の話を盛んにしている。話の雰囲気から見ると、どうも公明党関係者のような感じがした。
そういえば、今日2度目の食事である。遠野で買ったミヤリサンを飲んで、その後、腹の調子は徐々に回復してきた。まだ完治ではないが、ひどい下痢ではない。
部屋に戻ると風呂に入りに行く。フロは別棟。火山の岩を通したお湯だというが、ありがたみは未知数。床のひび割れがちょっと気になる。風呂の入り口ののれんが破れているのも、ちょっとどうかと思う。そういえば、部屋の洗面所の鉄さびもひどいものだった。経営が厳しいんだろうな。とふと思う。
風呂から上がると、テレビを見ながら、グビグビと酒を飲んだ。さすがに1本は飲みきれなかった。
どっと疲れが襲ってきて、寝ることにする。
投稿者:at Sushiat 23:21 | 日記 | コメント(0)
東北の旅 6 岩泉町へ向かう
山田町を出たのは、4時半だった。
宮古大橋を渡って、宮古市役所前の交差点を右折するのだが、正面に見える宮古市役所らしきものの前で、道そのものが右に折れているので勘違いをして直進してしまった。というか、その前の交差点で右折レーンに入り損ねたところで気づいたのだが、たぶん、裏通りのようなところをしばらく行って適当なところで右折したら、幹線道路に出られると腹をくくっていった感じ。
しばらく走って愛宕という交差点で左折するのだが、これは、ほとんどの車がそちらに向かうので、間違えようがなかった。
地図ではわからないが、ぐんぐん登りになる。前方に結構車が連なっているのだが、それにしても異常にスピードが遅い。車線規制でもあるのだろうか。じっと我慢しながら、のろのろと坂を上っていった。そんな調子でかなり行ったところでわかった。バイクのおばちゃんがのろのろと走っていたのだ。登り坂でかなり速度が落ちている上に、車線のけして端ではないところを走っているので、追い抜くにはかなり思い切った抜き方をしなくてはいけない。対向車がいるので、みんなじりじりしながら我慢してついて行っていたのだろう。トンネルに入る手前で、ようやく抜くことができて、快調な走りになった。
両側を森に囲まれた山の中のような感じのところを走っているが、「津波浸水地点」というような看板がちょくちょく出てくる。津波の際には通行止めになるらしい。海も見えないのになんだか変な感じと思っていると、「三陸大津波浸水地点始まり」のような看板があり、かなり行ってから、終わりの看板があった。地図で見ると、田老という地名である。坂をどんどん上っていくと、道の駅の看板が見えた。地図で確認すると、津波情報連絡所のように書かれている。こんなところに津波かと思いつつ、道の駅へ行ってみた。そこで思いだした。盛岡の人が津波の話をしたときに、一番被害の激しかったところとして田老という地名をあげていたなあ。村が人も建物も消えたような話をしていたなあ。町の観光案内のような地図を見ると、津波の史跡や強大な防潮堤の事が書かれていた。事前に気づいていたら、絶対立ち寄ったのに、と思ったが、通り過ぎてしまってからでは遅い。今回はあきらめることにした。
小本というところで左折すると、道はまっすぐ岩泉町を目指す。海からの霧で、当たりはかすんでいた。これはすごい。
龍泉洞に曲がる岩泉中学校の交差点に着いたら、6時だった。1時間半で着いた。MapFanの時間計算は、時速30キロでなされているので、前方に車が全くいない中で走ってくると、しかも、ほとんど信号がないので、かなり高速で走れることになる。この後、事情があって多少予定時刻を過ぎても、あまり焦らなくてもよさそうである。ちょっと気分が楽になった。
宿はすぐなので、チェックイン時刻にまだゆとりがあるので、明るいうちに龍泉洞までの道を下見することにした。途中、道路の付け替え工事のようなところがあるが、案外近いこと、町営駐車場はあるが、かなり手前なので不便なこと、観光会館の大きな駐車場に入れれば、すぐ向かいが龍泉洞の入り口なので便利なこと、食事や買い物をしなきゃだめだなんて事はなさそうなことがわかった。たぶん、何か買い物をするだろうから、問題はない。
来た道を戻ると、薬王堂というドラッグストアで、カミソリと栄養ドリンクを買った。さすがに疲れた。
今日の宿、龍泉洞愛山に着いたのは、6時半だった。
宮古大橋を渡って、宮古市役所前の交差点を右折するのだが、正面に見える宮古市役所らしきものの前で、道そのものが右に折れているので勘違いをして直進してしまった。というか、その前の交差点で右折レーンに入り損ねたところで気づいたのだが、たぶん、裏通りのようなところをしばらく行って適当なところで右折したら、幹線道路に出られると腹をくくっていった感じ。
しばらく走って愛宕という交差点で左折するのだが、これは、ほとんどの車がそちらに向かうので、間違えようがなかった。
地図ではわからないが、ぐんぐん登りになる。前方に結構車が連なっているのだが、それにしても異常にスピードが遅い。車線規制でもあるのだろうか。じっと我慢しながら、のろのろと坂を上っていった。そんな調子でかなり行ったところでわかった。バイクのおばちゃんがのろのろと走っていたのだ。登り坂でかなり速度が落ちている上に、車線のけして端ではないところを走っているので、追い抜くにはかなり思い切った抜き方をしなくてはいけない。対向車がいるので、みんなじりじりしながら我慢してついて行っていたのだろう。トンネルに入る手前で、ようやく抜くことができて、快調な走りになった。
両側を森に囲まれた山の中のような感じのところを走っているが、「津波浸水地点」というような看板がちょくちょく出てくる。津波の際には通行止めになるらしい。海も見えないのになんだか変な感じと思っていると、「三陸大津波浸水地点始まり」のような看板があり、かなり行ってから、終わりの看板があった。地図で見ると、田老という地名である。坂をどんどん上っていくと、道の駅の看板が見えた。地図で確認すると、津波情報連絡所のように書かれている。こんなところに津波かと思いつつ、道の駅へ行ってみた。そこで思いだした。盛岡の人が津波の話をしたときに、一番被害の激しかったところとして田老という地名をあげていたなあ。村が人も建物も消えたような話をしていたなあ。町の観光案内のような地図を見ると、津波の史跡や強大な防潮堤の事が書かれていた。事前に気づいていたら、絶対立ち寄ったのに、と思ったが、通り過ぎてしまってからでは遅い。今回はあきらめることにした。
小本というところで左折すると、道はまっすぐ岩泉町を目指す。海からの霧で、当たりはかすんでいた。これはすごい。
龍泉洞に曲がる岩泉中学校の交差点に着いたら、6時だった。1時間半で着いた。MapFanの時間計算は、時速30キロでなされているので、前方に車が全くいない中で走ってくると、しかも、ほとんど信号がないので、かなり高速で走れることになる。この後、事情があって多少予定時刻を過ぎても、あまり焦らなくてもよさそうである。ちょっと気分が楽になった。
宿はすぐなので、チェックイン時刻にまだゆとりがあるので、明るいうちに龍泉洞までの道を下見することにした。途中、道路の付け替え工事のようなところがあるが、案外近いこと、町営駐車場はあるが、かなり手前なので不便なこと、観光会館の大きな駐車場に入れれば、すぐ向かいが龍泉洞の入り口なので便利なこと、食事や買い物をしなきゃだめだなんて事はなさそうなことがわかった。たぶん、何か買い物をするだろうから、問題はない。
来た道を戻ると、薬王堂というドラッグストアで、カミソリと栄養ドリンクを買った。さすがに疲れた。
今日の宿、龍泉洞愛山に着いたのは、6時半だった。
投稿者:at Sushiat 18:50 | 日記 | コメント(0)
東北の旅 6 山田町へ
遠野ふるさと村を後にして、海へ向かう。カッパ淵というのがちょっと気になったが、今回はあきらめる。
地図では、来た道を戻って、さらに直進して、上善応寺というところで、広い道に左折することになっていたが、そこまでの道が、田園の中を行く感じで、すごく不安だった。道を曲がって、しばらく行って、「郷土人形民芸村」の看板が見えたときは、道があっていたとほっとした。
その後は、ひたすら一本道とわかっているのだが、峠越えのすごい道だった。対向車が来たらどうしようかと不安になったが、結局対向車に出会うことはなかった。峠が近づくと、逆に片側2車線の立派な道になったのには驚いた。ちょうど峠のところに、工事の車両がいた。鳥の鳴き声がきれいだった。
峠をひたすら下ると、釜石市だった。大きな通りに出会ったと思ったら、そこを左折する。そろそろガソリンが危なくなってきたので、給油する。1L135円なり。
道なりに北上する感じで行くと、吉里吉里という地名が現れた。そんな名前の本があったなあと思ったが、どうということのない田舎町である。
海に出た。吉里吉里海岸海水浴場というのが興味をそそったが、寄らすに直進する。浪板海岸、四十八坂海岸と続く。展望台のようなところがあったので停まってみる。見ると、崖下が海という感じである。洗濯板のような岩に波がはじける感じが美しい。この辺は河岸段丘なのだ。
次の目的地の鯨と海の科学館に後一歩というところで、道の駅があった。山田町の名産品でおいしいものがあったら頂こうと入ってみたが、どうも思わしくない。海産物は、ここで買っても持ち帰るのに困るし、農産物は、「えっ、こんなものが名産なの?」と思いつつ、よく見ると、案の定、他から持ってきたものばかりで、これといったものが見当たらなかった。仕方がないので、牛乳を買って飲んだ。
鯨と海の科学館は、入場料が600円というのはちょっと高いなと思ったが、なかなか見応えのある展示もあった。ゴンドウクジラの実物大の模型は迫力があった。セミクジラの骨格模型も、ナガスクジラのひげの実物見本も見応えがあった。
さて、この旅の主目的である山田町である。印象は、漁港を中心とした町。小高い山を背にして、海に向かって広がった町という感じである。漁港では、魚のにおいがしていた。オランダ島海水浴場に観光船が出ているという。漁港を後にして幹線道路に戻ろうとしたときに気づいた。巨大な防波堤がそびえていた。家並みに隠れてわからないが、漁港と町並みを隔てるように防波堤がある。道路には、いざというときのテツのとびらが閉まるようになっている。
ああ、津波にやられてきた町なんだなと改めて思った。
自分のご先祖様が、明治の初めにここを出て、北海道に移住し、それが、父の代に富山に来た。ルーツになった町である。わずかな時間の滞在であったが、心に残る訪問だった。
龍泉洞のホテルには、7時にチェックインすると言ってある。予定では、2時間半の行程である。今晩のために、大きめのスーパーで、お酒とおつまみを買い込んだ。
地図では、来た道を戻って、さらに直進して、上善応寺というところで、広い道に左折することになっていたが、そこまでの道が、田園の中を行く感じで、すごく不安だった。道を曲がって、しばらく行って、「郷土人形民芸村」の看板が見えたときは、道があっていたとほっとした。
その後は、ひたすら一本道とわかっているのだが、峠越えのすごい道だった。対向車が来たらどうしようかと不安になったが、結局対向車に出会うことはなかった。峠が近づくと、逆に片側2車線の立派な道になったのには驚いた。ちょうど峠のところに、工事の車両がいた。鳥の鳴き声がきれいだった。
峠をひたすら下ると、釜石市だった。大きな通りに出会ったと思ったら、そこを左折する。そろそろガソリンが危なくなってきたので、給油する。1L135円なり。
道なりに北上する感じで行くと、吉里吉里という地名が現れた。そんな名前の本があったなあと思ったが、どうということのない田舎町である。
海に出た。吉里吉里海岸海水浴場というのが興味をそそったが、寄らすに直進する。浪板海岸、四十八坂海岸と続く。展望台のようなところがあったので停まってみる。見ると、崖下が海という感じである。洗濯板のような岩に波がはじける感じが美しい。この辺は河岸段丘なのだ。
次の目的地の鯨と海の科学館に後一歩というところで、道の駅があった。山田町の名産品でおいしいものがあったら頂こうと入ってみたが、どうも思わしくない。海産物は、ここで買っても持ち帰るのに困るし、農産物は、「えっ、こんなものが名産なの?」と思いつつ、よく見ると、案の定、他から持ってきたものばかりで、これといったものが見当たらなかった。仕方がないので、牛乳を買って飲んだ。
鯨と海の科学館は、入場料が600円というのはちょっと高いなと思ったが、なかなか見応えのある展示もあった。ゴンドウクジラの実物大の模型は迫力があった。セミクジラの骨格模型も、ナガスクジラのひげの実物見本も見応えがあった。
さて、この旅の主目的である山田町である。印象は、漁港を中心とした町。小高い山を背にして、海に向かって広がった町という感じである。漁港では、魚のにおいがしていた。オランダ島海水浴場に観光船が出ているという。漁港を後にして幹線道路に戻ろうとしたときに気づいた。巨大な防波堤がそびえていた。家並みに隠れてわからないが、漁港と町並みを隔てるように防波堤がある。道路には、いざというときのテツのとびらが閉まるようになっている。
ああ、津波にやられてきた町なんだなと改めて思った。
自分のご先祖様が、明治の初めにここを出て、北海道に移住し、それが、父の代に富山に来た。ルーツになった町である。わずかな時間の滞在であったが、心に残る訪問だった。
龍泉洞のホテルには、7時にチェックインすると言ってある。予定では、2時間半の行程である。今晩のために、大きめのスーパーで、お酒とおつまみを買い込んだ。
投稿者:at Sushiat 16:45 | 日記 | コメント(0)
東北の旅 5 遠野にて
期待してきた遠野だが、腹痛が邪魔をする。さらに、日程の込んだ旅のために、あと30分したらビデオが、語り部が、といわれても、なかなか待てない。
昔話村では、昔の旅館という建物の雰囲気を味わった。市立博物館では、マルチスクリーンの機械が故障して、ビデオが途中で止まってしまうというトラブルがあって、残念だった。でも、昔の暮らしの雰囲気は十分に味わえた。城下町資料館では、武具や武家の道具などが展示されていた。ほんの小さな一室だが、なかなか味わいのある展示品である。
実は、今回の旅はできるだけ軽装でと考えてきたのだが、町中を歩くのに、綿パンを1枚持ってきたのだ。ところが、ベルトを忘れてしまった。家のタンスに未使用のベルトがごろごろとあるのだが、どこかでベルトを買わないといかんだろうと考え、買うならここだと思った。市である。衣料品店ぐらいあるだろうと思った。城下町資料館の受付のお姉さんに聞くと、駅前のスーパーを紹介された。行ってみると、そこそこの大きさの大型ショッピングセンターというやつだった。一番安いベルトを買って、ついでに薬屋さんでミヤリサンを買った。
駐車料を払って、11時過ぎに遠野ふるさと村へ向かう。意外とこれが遠かった。ふるさと村は、北へ向かって結構走ったところにあった。
ふるさと村は、昔ながらの暮らしを保存しているということであったが、懐かしい民俗資料や、様々な南部曲がり屋を見られてよかった。市立博物館で知った「おしらさま」の女の子と馬のペアの人形も飾られていた。本物の農耕馬も飼育されていてびっくりした。生活の様子を保存といっても、ここまでやっているのはなかなかないものである。「こびるの家」というのがあって、何のことだろうと思ったら、茶店だった。腹痛のせいで、全く食欲がないので、キュウリを一本買って食べた。味噌がついてきたが、普通に食べている麹味噌系なので、特別おいしいとも変わった味だとも思えなかった。でも、キュウリの味はさわやかだった。
物足りなさは残るけれど、先の予定もあり、12時半に遠野を後にした。
昔話村では、昔の旅館という建物の雰囲気を味わった。市立博物館では、マルチスクリーンの機械が故障して、ビデオが途中で止まってしまうというトラブルがあって、残念だった。でも、昔の暮らしの雰囲気は十分に味わえた。城下町資料館では、武具や武家の道具などが展示されていた。ほんの小さな一室だが、なかなか味わいのある展示品である。
実は、今回の旅はできるだけ軽装でと考えてきたのだが、町中を歩くのに、綿パンを1枚持ってきたのだ。ところが、ベルトを忘れてしまった。家のタンスに未使用のベルトがごろごろとあるのだが、どこかでベルトを買わないといかんだろうと考え、買うならここだと思った。市である。衣料品店ぐらいあるだろうと思った。城下町資料館の受付のお姉さんに聞くと、駅前のスーパーを紹介された。行ってみると、そこそこの大きさの大型ショッピングセンターというやつだった。一番安いベルトを買って、ついでに薬屋さんでミヤリサンを買った。
駐車料を払って、11時過ぎに遠野ふるさと村へ向かう。意外とこれが遠かった。ふるさと村は、北へ向かって結構走ったところにあった。
ふるさと村は、昔ながらの暮らしを保存しているということであったが、懐かしい民俗資料や、様々な南部曲がり屋を見られてよかった。市立博物館で知った「おしらさま」の女の子と馬のペアの人形も飾られていた。本物の農耕馬も飼育されていてびっくりした。生活の様子を保存といっても、ここまでやっているのはなかなかないものである。「こびるの家」というのがあって、何のことだろうと思ったら、茶店だった。腹痛のせいで、全く食欲がないので、キュウリを一本買って食べた。味噌がついてきたが、普通に食べている麹味噌系なので、特別おいしいとも変わった味だとも思えなかった。でも、キュウリの味はさわやかだった。
物足りなさは残るけれど、先の予定もあり、12時半に遠野を後にした。
投稿者:at Sushiat 12:45 | 日記 | コメント(0)
東北の旅 4 遠野へ
前沢SAの雨はすぐにやんだ。
水沢ICを降りたときには、曇り空だけれど、雨はなかった。
さて、遠い地へ旅してきているので、あらかじめ地図を用意した。MapFanで、200ページぐらいの詳細は行程図を出力していった。しかし、これが役に立たなかった。まず、水沢インターから、遠野に向かう一般道に降りる場所がわからないのだ。何度か間違ったあげく、ようやくここぞというところを発見できた。この地図、無駄に詳しい割には、肝心なことがわからないという難点がある。それに加えて、こちらでは、交差点に地名表示がないのだ。地元では、ほぼすべての交差点に地名表示があるので、間違えることがないので、面食らった。地名がわからないので曲がり角の店などの情報が頼りなのだが、その情報が結構怪しい。このご時世で、店がどんどん変わっている。その後も、この地図には悩まされた。
江差という町である。ちょっと複雑な曲がり方をしたところに、「菊田一夫記念館」というのがあった。通り過ぎてから、気になって戻ってみた。昭和歌謡史の偉人らしい。倉を改造したような記念館は、まだ開いていない。
田舎道をひたすら走る。走るうちに急に腹が痛くなってきた。コンビニがあったら、トイレを使おうと思ったが、とてもコンビニがありそうには思えない田舎道を、腹痛を我慢しながら走り続けた。
「日影」という交差点で右に曲がると遠野のはずだったが、見落としてしまった。あきらめて、遠野風の丘という道の駅へ行く。落ち着いてトイレを済ませたら、ちょっと心が落ち着いた。入ったときは降っていなかった雨が、急に激しく降ってきた。
地図が頼りにならないので、携帯のナビを使って遠野の町へ入った。
とおの昔話村を一度通り過ぎて、図書館に着いた。ここに車を停めて見学しようかと思ったが、一般駐車場と職員駐車場の違いがわからず、何となくとがめられそうでいやなので、あきらめては昔話村に戻ったら、そこは有料駐車場だった。まあ、見知らぬ地ではこういう出費はあきらめるしかない。
ようやく遠野に着いた。
水沢ICを降りたときには、曇り空だけれど、雨はなかった。
さて、遠い地へ旅してきているので、あらかじめ地図を用意した。MapFanで、200ページぐらいの詳細は行程図を出力していった。しかし、これが役に立たなかった。まず、水沢インターから、遠野に向かう一般道に降りる場所がわからないのだ。何度か間違ったあげく、ようやくここぞというところを発見できた。この地図、無駄に詳しい割には、肝心なことがわからないという難点がある。それに加えて、こちらでは、交差点に地名表示がないのだ。地元では、ほぼすべての交差点に地名表示があるので、間違えることがないので、面食らった。地名がわからないので曲がり角の店などの情報が頼りなのだが、その情報が結構怪しい。このご時世で、店がどんどん変わっている。その後も、この地図には悩まされた。
江差という町である。ちょっと複雑な曲がり方をしたところに、「菊田一夫記念館」というのがあった。通り過ぎてから、気になって戻ってみた。昭和歌謡史の偉人らしい。倉を改造したような記念館は、まだ開いていない。
田舎道をひたすら走る。走るうちに急に腹が痛くなってきた。コンビニがあったら、トイレを使おうと思ったが、とてもコンビニがありそうには思えない田舎道を、腹痛を我慢しながら走り続けた。
「日影」という交差点で右に曲がると遠野のはずだったが、見落としてしまった。あきらめて、遠野風の丘という道の駅へ行く。落ち着いてトイレを済ませたら、ちょっと心が落ち着いた。入ったときは降っていなかった雨が、急に激しく降ってきた。
地図が頼りにならないので、携帯のナビを使って遠野の町へ入った。
とおの昔話村を一度通り過ぎて、図書館に着いた。ここに車を停めて見学しようかと思ったが、一般駐車場と職員駐車場の違いがわからず、何となくとがめられそうでいやなので、あきらめては昔話村に戻ったら、そこは有料駐車場だった。まあ、見知らぬ地ではこういう出費はあきらめるしかない。
ようやく遠野に着いた。
投稿者:at Sushiat 09:40 | 日記 | コメント(0)
東北の旅 3 岩手を目指す
冷房をかけっぱなしで走ってきたせいか、体が冷え切っていた。磐梯SAは、たぶん山手の方にあるのだろう。それに、雨のせいもあって気温が低い。シュラフにくるまっても寒かった。
目が覚めたら、3時過ぎだった。結局、実質4時間も眠れなかった。顔を洗って、トイレに行って出発。
ついでに、給油する。34L入った。1L135円は仕方がない。
4時に東北道に入る。すごく速い車がいる反面、警察の車もよく走っているので緊張する。パトカーに先導されたら、流れの速度が落ちて、車が詰まってくるので、運転が疲れるのだ。
4時40分、国見SAで休憩。昨日の運転の疲れがとれていないのと、冷えのせいか腹痛である。ゆっくり30分休む。
6時、長者原SAで休憩。何か公園がありそうなので行ってみる。蛇の化身の娘がいた沼の伝説がありそうな「化女沼」という表示があった。見れば、向こうに池のようなものが見えていた。しばらく歩くと、疲労が収まる。
雨のためにスリップ注意とか、速度制限とかの表示が次々と現れるが、雨そのものは降っていない。進むに従って、どうやら規制範囲がだんだんと北へ移動していくように感じた。
6時50分、ついに岩手県内に入る。
高速にいる間に朝食をとろうと考え、前沢SAに入る。大きな松の木がが中央にあったり、
駐車場の床が2重構造らしく雨が下に落ちるようになっていたりとおもしろい。前沢というと、前沢牛なんだな。牛の絵が描いてある売店があった。まだ朝早いので開いていない。
そばとカレーのおすすめセットというのを食べる。
家内からメールがあった。どうも秋田県内が大変な雨で被害が出ているらしい。しかし、このあたりは大丈夫だよと返信したとたんに、大粒の雨が降ってきた。
さあ、もうすぐ水沢IC。高速を降りる。
目が覚めたら、3時過ぎだった。結局、実質4時間も眠れなかった。顔を洗って、トイレに行って出発。
ついでに、給油する。34L入った。1L135円は仕方がない。
4時に東北道に入る。すごく速い車がいる反面、警察の車もよく走っているので緊張する。パトカーに先導されたら、流れの速度が落ちて、車が詰まってくるので、運転が疲れるのだ。
4時40分、国見SAで休憩。昨日の運転の疲れがとれていないのと、冷えのせいか腹痛である。ゆっくり30分休む。
6時、長者原SAで休憩。何か公園がありそうなので行ってみる。蛇の化身の娘がいた沼の伝説がありそうな「化女沼」という表示があった。見れば、向こうに池のようなものが見えていた。しばらく歩くと、疲労が収まる。
雨のためにスリップ注意とか、速度制限とかの表示が次々と現れるが、雨そのものは降っていない。進むに従って、どうやら規制範囲がだんだんと北へ移動していくように感じた。
6時50分、ついに岩手県内に入る。
高速にいる間に朝食をとろうと考え、前沢SAに入る。大きな松の木がが中央にあったり、
駐車場の床が2重構造らしく雨が下に落ちるようになっていたりとおもしろい。前沢というと、前沢牛なんだな。牛の絵が描いてある売店があった。まだ朝早いので開いていない。
そばとカレーのおすすめセットというのを食べる。
家内からメールがあった。どうも秋田県内が大変な雨で被害が出ているらしい。しかし、このあたりは大丈夫だよと返信したとたんに、大粒の雨が降ってきた。
さあ、もうすぐ水沢IC。高速を降りる。