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2010年07月30日

東北の旅 6 岩泉町へ向かう

 山田町を出たのは、4時半だった。
 宮古大橋を渡って、宮古市役所前の交差点を右折するのだが、正面に見える宮古市役所らしきものの前で、道そのものが右に折れているので勘違いをして直進してしまった。というか、その前の交差点で右折レーンに入り損ねたところで気づいたのだが、たぶん、裏通りのようなところをしばらく行って適当なところで右折したら、幹線道路に出られると腹をくくっていった感じ。
 しばらく走って愛宕という交差点で左折するのだが、これは、ほとんどの車がそちらに向かうので、間違えようがなかった。
 地図ではわからないが、ぐんぐん登りになる。前方に結構車が連なっているのだが、それにしても異常にスピードが遅い。車線規制でもあるのだろうか。じっと我慢しながら、のろのろと坂を上っていった。そんな調子でかなり行ったところでわかった。バイクのおばちゃんがのろのろと走っていたのだ。登り坂でかなり速度が落ちている上に、車線のけして端ではないところを走っているので、追い抜くにはかなり思い切った抜き方をしなくてはいけない。対向車がいるので、みんなじりじりしながら我慢してついて行っていたのだろう。トンネルに入る手前で、ようやく抜くことができて、快調な走りになった。
 両側を森に囲まれた山の中のような感じのところを走っているが、「津波浸水地点」というような看板がちょくちょく出てくる。津波の際には通行止めになるらしい。海も見えないのになんだか変な感じと思っていると、「三陸大津波浸水地点始まり」のような看板があり、かなり行ってから、終わりの看板があった。地図で見ると、田老という地名である。坂をどんどん上っていくと、道の駅の看板が見えた。地図で確認すると、津波情報連絡所のように書かれている。こんなところに津波かと思いつつ、道の駅へ行ってみた。そこで思いだした。盛岡の人が津波の話をしたときに、一番被害の激しかったところとして田老という地名をあげていたなあ。村が人も建物も消えたような話をしていたなあ。町の観光案内のような地図を見ると、津波の史跡や強大な防潮堤の事が書かれていた。事前に気づいていたら、絶対立ち寄ったのに、と思ったが、通り過ぎてしまってからでは遅い。今回はあきらめることにした。
 小本というところで左折すると、道はまっすぐ岩泉町を目指す。海からの霧で、当たりはかすんでいた。これはすごい。
 龍泉洞に曲がる岩泉中学校の交差点に着いたら、6時だった。1時間半で着いた。MapFanの時間計算は、時速30キロでなされているので、前方に車が全くいない中で走ってくると、しかも、ほとんど信号がないので、かなり高速で走れることになる。この後、事情があって多少予定時刻を過ぎても、あまり焦らなくてもよさそうである。ちょっと気分が楽になった。
 宿はすぐなので、チェックイン時刻にまだゆとりがあるので、明るいうちに龍泉洞までの道を下見することにした。途中、道路の付け替え工事のようなところがあるが、案外近いこと、町営駐車場はあるが、かなり手前なので不便なこと、観光会館の大きな駐車場に入れれば、すぐ向かいが龍泉洞の入り口なので便利なこと、食事や買い物をしなきゃだめだなんて事はなさそうなことがわかった。たぶん、何か買い物をするだろうから、問題はない。
 来た道を戻ると、薬王堂というドラッグストアで、カミソリと栄養ドリンクを買った。さすがに疲れた。
 今日の宿、龍泉洞愛山に着いたのは、6時半だった。

投稿者:at Sushiat 18:50| 日記 | コメント(0)

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