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2005 年9 月29 日

自治体の研修

昨日、今日と2日間続けて、阪急沿線の兵庫県内のK市に行ってきた。9時から5時までの研修は、さすがに体力的にきつい。研修を受講する方もきついことと思う。テーマは、政策法務研修。平成12年に分権改革一括法が施行され、自治体は分権ブームだ。と言っても、一般の人には、きっとぱっと来ないと思う。何も実態は変わっていないから。そこに、分権時代の新しい息吹を吹き込むのが、私の役目。分権時代の条例づくりのポイントを講義してきた。京都に帰ってきてからしばらくは年に数回は担当していたのだが、私の教え方が悪かったのか、知識不足だったのか、それとも自治体の財政難からか、ここ2年は依頼がなかった。

分かってもらえたのかな、という思いが半分。
残りは、精神分裂気味の気分。というのも、今日講義してきたのは、分権時代にふさわしいまちづくり条例を都市計画法の枠組みを補完してどう作っていくか、要は開発規制を都市計画法の枠組みとは別にどう作り上げていくかということを話してきたのだが、他方で、この5月頃から、私は福井県T市の宅地建物取引業の方から依頼を受けて、T市で今検討中のまちづくり条例にどう反対するかということに取り組んでいたからだ。でも、違うことは言っていない。要は、都市計画法と抵触するおそれのある条例を当該地域で作らなければならない必要性とその合理性、いわゆる立法事実をどれだけ説得力を持って説明できるか。T市にはそれがないと言い、K市にはそれを準備しなさいと言っているだけだ。

でも、K市の職員にはすっと胸に落ちている言葉が、どうして福井県に行くと通じないのだろう。
と言いながらも、明日も福井県に出張だ。

投稿者:ゆかわat 23 :48 | ビジネス | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年9 月23 日

優秀な教師 国が表彰?

ちょっと前になるが、16日の日経に「文部科学省は来年度から優秀な教師を年1回全国から選び表彰する事業を始める。」という記事が載っていた。

違和感を感じる。いつまで国は教育を国家事業として独占しようとするのだろう。今や、この国の形は、ようやく官から民への流れの中にある。国が中央集権的に国の形を作っていくことは、護送船団方式の金融行政の崩壊を見るまでもなく、すでに破綻している。教育も、同じだ。国はゆとり方式の教育指導要領の破綻を認めたばかりだ。これからは、教育は、本来の形、すなわち国ではなく自治体主導、上からではなく現場主導で、子供の才能をいかに引き出すかという方向を目指していくべきなのだ。教育指導要領で現場を管理することばかり考えているから、教員の不祥事や指導力不足の問題が発生しているのだ。

現行法制では、教育行政は、未だに、国、県教育委員会、市教育委員会、現場となっている。しかし、教育行政は、地方自治法の分類で行けば、自治事務であり、基礎自治体である市町村の権限が最も尊重されるべきであるのに、教育関係法規はその逆になっている。そもそも教育関係法規は、法のあり方を無視したものが多い。教科書検定はその最たるものだ。教育行政は法治主義を全く理解しない、時代遅れの産物だ。官僚風に揶揄して言えば、だから何時までも文部科学省は三流官庁であり、財務、警察、経済に行けなかった成績の悪い学生が行く役所にとどまっているんだという声が聞こえてきそうだ。

優秀な教師を表彰するのは良いが、それは自治体の仕事だ。何時になったら、文部科学省は権益意識から抜け出すのだろう。そして、何時になったら、国民もそのことにもっと大きな声をあげるようになるのだろう。

投稿者:ゆかわat 08 :57 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年9 月21 日

へそ曲がり アスベスト自転車問題

アスベストをめぐって、今朝の新聞には、「自転車メーカーなど28社が中国から輸入販売した約25万台の自転車のブレーキ部品にアスベストが使用されていた。昨年10月に労働安全衛生法施行令が改正され、部品総重量の1%以上の石綿を使った製品の輸入などが禁止されており、法令違反の可能性が高い。経済産業省と厚生労働省は、流通段階にあるものも含め、該当する型の自転車についてはすべて代替品に取り替えるよう全社に指示した。」と報道されていた。

有害な物質であるアスベストが自転車にも使用されていたというのは、確かに問題だ。しかし、ちょっとひっかかる。

労働安全衛生法55条には「黄りんマッチ、ベンジジン、ベンジジンを含有する製剤その他の労働者に重度の健康被害を生ずる物で、政令で定める物は、製造し、輸入し、譲渡し、提供し、又は使用してはならない。」と定め、労働安全性方法施行令16条10号は、製造等が禁止される有害物等として「石綿(第四号及び第五号に掲げる物を除く。以下この号において同じ。)を含有する別表第八の二に掲げる製品で、その含有する石綿の重量が当該製品の重量の一パーセントを超えるもの」を指定する。労働安全衛生法55条違反には3年以下の懲役又は300万円以下の罰金刑の対象となる。

しかし、労働安全衛生法は、職場における労働者の安全と健康を確保することを目的とする法律であって、消費者の安全と健康を確保することを目的とするものではない。そればかりか、流通段階にある製品を含めて代替品と交換するということは、労働者をして、石綿が使用されている危険な製品に改めて暴露せしめるということであって、消費者の安全のために、労働者の安全と健康が危険にさらされると言うことだ。しかも、「当該製品の重量の一パーセント」とは何をもってその基準とするのか。ブレーキ部品なのか、自転車そのものなのか。部品というときは、どこまでをその1%の母数とするのか。極めて曖昧と言わざるを得ない。しかも、そもそも「重量の1%」とすることの合理的な根拠は何なのか。

目的のために、手段を選ばないというのは、いささかどうなのか、という懸念をぬぐい得ない。

投稿者:ゆかわat 23 :46 | ビジネス | コメント(0 ) | トラックバック(1 )

2005 年9 月13 日

建築紛争

今日は建築紛争、建築瑕疵、いわゆる欠陥住宅の話。

建築瑕疵事件は、施主側・施工業者側のいずれにも代理人として関与したし、調停官としても数件は関与したが、やっぱり難しい。今日、不調に終わった事件も難しい事件の最たるものだ。調停官としての本音、グチかもしれないが、少し言っておきたい(当事者には理解してもらえないが)。

事案は、築10年になる木造2階建て住宅。数年してから外壁にクラックが入り、最近になって屋根瓦から錆の漏出が甚だしく、ついに数枚屋根瓦が割れて落ちた。建築士の設計する住宅ということでデザインはきれいだ。ところが、実際の施工業者も、当の建築士も倒産していなくなった。
何が難しいか。

争点その1 契約時には平面図しかなく設計図書がなかった。現状はその平面図には合致している。しかし、建築確認申請図で筋交いが入っているべきところに筋交いが入っていないなど現状は建築確認申請図とは合致していない。もっとも、施主は契約時には建築確認申請図は見ておらず、あとから建物引渡時にもらっただけだった。その場合に、建築確認申請図どおりに施工することが契約内容だったと言えるのだろうか。建築確認申請図を交付した以上は、その通り施工したことを保証しているというべきなのだろうか。

争点その2 施工は工務店が行っており、契約上の施工業者は現実には施工していない。いわゆる名義貸し。実際に施工した工務店も、設計監理をした建築士も倒産して行方不明。その場合に、名義貸しをした施工業者が全責任を負うのだろうか。

争点その3 契約時の建築基準と現時点の建築基準が異なる場合に、現時点の建築基準に照らして工事に瑕疵があると言えるのだろうか。木造2階建ての建物につき、あえて構造計算をすると、現時点での法令の要求する壁量を満たしておらず、大地震の時に危険があるという鑑定結果が出ているが、契約当時は、そのような基準が確立していなかった。当時は、筋交いの金物の技術も確立していなかったし、とりあえずシングルでも筋交いが入っていれば良かった。しかし、当時と言えども、安全な建物を作るべきことは現在と変わらない。そのときに瑕疵があると言えるのだろうか。

施工業者の常識と消費者たる施主の要求水準のずれを背景として、施工業者に対する不信があるときに、それが鑑定結果によって裏付けられると、調停のように白黒をはっきりつけない解決は困難になる。訴訟のように施主に鑑定を求める前に、調停委員会が現地に赴いて見ていれば、もしかすると良かったのかもしれない。もっとも、そのときは、当面の問題は解決しても、耐震性に問題があるという問題点には目を伏せたまま終わったのだろうが。耐震性の問題は、当時の技術水準、契約水準に照らすとやむを得ず、施工業者にのみ責任を問うことはできないのではないか。より安全な家を、消費者もさらに追加負担をして一緒に作り上げていくということではないのだろうか。もっとも、これは調停のぬるま湯に浸りすぎて消費者利益を無視していると言われるのかもしれない。

投稿者:ゆかわat 17 :43 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年9 月8 日

台風一過

今朝は、台風が過ぎ去った後で、抜けるような青空が広がっている。京都の町中を朝日と青空がおおって、キラキラしている。

自宅から事務所まで歩いて出勤。柳馬場通りを上がる。中京税務署横の空き地のコオロギの鳴き声が今日もきれいに聞こえる。富小路殿公園には朝から外人さん親子がいて、子供は滑り台に上り、お父さんはカメラを上に見上げている。ロシア正教会の緑色の尖塔がとても青空に映えている。夷川通りを越すと、昔通った小学校の校庭の大銀杏が見える。始業前のほんのひとときの静寂。裁判所の駐車場の守衛さんに軽く会釈しながら、堺町御門から御所の中へ。砂利の敷かれた園内を緑からの木漏れ日を浴びながら歩く。大内裏の屋根から北山、そしてそれに続く青空。コオロギの音に混じって、ツクツクボウシの声。宗像神社あたりまで来たら、あら、またミンミンゼミが一人季節外れの声を出して鳴いている。僕の歩く前をひょこひょこ飛ぶ虫がいる。追いかけてみたら、玉虫色の背中のきれいなハンミョウだ。へえ、やっぱりいるんだ。昔、小学校の頃、御所を通ったら、僕の前を先導してくれるきれいなハンミョウがいた。まだ、いたんだ。懐かしくなる。そして、さわらぎ門の前の銀杏並木(というほどでもないが)にそろそろぎんなんがなっていて、地面に一つ二つ落ちている。

日差しはまだまだ強いが、風はすっかり秋色。こんな日はめったにない散歩日和だ。今日もいいことがありますように。

投稿者:ゆかわat 09 :05 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年9 月6 日

非常勤裁判官

民事調停官、別名非常勤裁判官という制度がある。弁護士が週1日、調停事件だが、裁判官の仕事をする制度だ。去年の1月から担当している。
夏休みがあって、今日がほぼ1ヶ月ぶりの登庁だ。休みの間に双方から書面が行き交っている事件があり、夏休みぼけ(正確には、夏休みはとっていないので、弁護士ぼけというべきか)していて、最初のうちは付いていけずにちょっととまどった。知らないうちに取り下げで終わっている事件もある。期日変更申請の出ている事件もある。もう終わったと思っていたら、まだ取下書が出ておらず、宙ぶらりんのままの事件もある。それらの処理を午前中していた。

私の民事調停官の任期も今年の暮れまで。そろそろ10月や11月に期日が入る事件が出てきた。最後まで関われない事件も出てくるのかな、と思うと、ちょっと寂しい思いもする。でも、一通りいろんな事件も経験したし、調停官の仕事もある程度分かったし、慣れてもきたから、そろそろ交替の潮時かなとも思う。ちょうど、司法修習生の実務修習が終わりかけの時のような気分だ。もう少し続けて勉強したい気もするし、今のままでは中途半端(修習生で言えば、責任もなく、権限の範囲も狭い)なのでそろそろどっちかに腰を落ち着けたい気分もする、というのと同じ感じだ。

7月には、裁判所から再任をどうするかと聞かれていたが、誰も後任の人がいないなら再任を希望すると答えていたところ、意思表示に条件はつけないでほしいと言われた。それももっともだ。そこで、再任を希望すると、今日答えた。フルタイムの裁判官に任官するつもりはあるのか、と聞かれたので、再任の任期が終わる頃をめどに考えたいと答えておいた。

投稿者:ゆかわat 22 :48 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年9 月4 日

仕事の依頼

福井から京都に帰ってきてもう5年経った。その頃受任していた事件はおおよそ解決してきて、福井の裁判所に行く回数も減ってきたかなと思っていたのに、未だにお呼びがかかる。というか、新しい依頼が福井からの事件が増えてきた。わざわざ104で私の移転先の事務所の電話番号を探して来られる方もいた。思い出してもらえる、遠く離れたのにまた頼りにしてもらえるというのはうれしい限りだ。でも、お互い負担ががちょっと大変。
福井と京都は近いのかな。それとも、福井は弁護士が45人になった(もっといたかな?)とは言え、まだ縁遠いのかな。それとも、あまりに身近な弁護士では頼みにくいのかな。県や市相手の事件では特にそうかもしれない。
ということで、週末は敦賀で打ち合わせを2件し、さらに富山にも足を延ばした。富山に行ったついでに、魚津の深層海洋水のタラマセラピーまで行ってきた。

投稿者:ゆかわat 22 :17 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年9 月1 日

みんみんぜみ

関東では夏の風物詩といえばみんみんぜみ。でも、京都では鳴かない。ところが、今日、御所の中を歩いて事務所に行く途中、つくつくぼうしに混じって、みんみんぜみが1匹鳴いていた。そういえば、昨日の朝も、裁判所の南側の御所南小学校の大銀杏で1匹鳴いていた。今日から小学校も始まったから、とられるのを逃げて御所にやってきたのかもしれない。でも、京都では鳴いたのを聞いたのは生まれてこの方、昨日、今日だけだから、きっと誰かが関東で捕まえて連れて帰ってきたのかもしれない。それとも、いつも、大原から朽木に抜ける途中で鳴いていたのが、少し京都も涼しくなってきたから、上京してきたのかもしれない。
地球温暖化の影響で、京都のセミ事情も変わってきた。私の小さかった頃は、にいにいぜみがいたのに、もういなくなった。アブラゼミも減ってきたような気がする。それに代わって、クマゼミ(大ゼミともいう)が天下をとっている。来年はどんなセミの鳴き声が聞こえるのかな。

PS そういえば、山の中でしか聞いたことのなかったヒグラシが、私の住んでいるマンションから聞こえた。もうかれこれ2週間くらい前だろうか。都会でヒグラシというのも、乙なものだった。

投稿者:ゆかわat 09 :56 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

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