駐車禁止取締強化
駐車禁止取締を強化する改正道路交通法が明日から施行される。
ところで、改正前の「駐車」とは「(前段略)又は車両等が停止し、かつ、当該車両等の運転をする者がその車両等を離れて直ちに運転することができない状態にあること」を指した。
それに対して、改正後の取締対象は、要綱から抜粋すると「違法駐車と認められる場合における車両であって、その運転者がこれを離れて直ちに運転することができない状態にあるもの(以下「放置車両」という。)」を指す。
このように改正前の「駐車」と改正後の「放置車両」とは全く同じことを指しており、むしろ語感からすると、改正後の方が「放置」というだけであって、より駐車時間の長いものが取締対象となると考えられるのに、改正法の方が取締が強化されるというのはおかしくはないか。
改正前の「駐車」の取締が、運転者が車両を離れて10分程度経過したものを対象としていたのであれば、それが誤りだったというのでない限り、運転者が10分以内に車両に戻ってくるときは「直ちに運転することができ」たと評価されていたのだから、改正後もその運用・評価は継続されるべきではないのか。それが法の運用の安定というものではないのだろうか。それが「放置」という、より駐車時間の長い駐車を取締の対象とするかのような改正法の下にあって、駐車違反の要件認定が厳しくなるというのは、納得しがたいものがある。
ところで、レンタカーを借り受けて、その契約者以外の同乗者が運転していて放置車両の確認を受けたときは、誰が放置違反金の納付命令の名宛人となるのだろうか。納付命令の名宛人は「車両の使用者」となっているが、通常、車両の使用者というときは、車両の運行を管理・支配している者を言うから、レンタカー会社であり、レンタカーの借受契約者が「使用者」にあたるのだろうか。そうすると、両者に連帯納付命令でも出されるのだろうか。
車両を譲渡して、車検証の使用者名義の変更がなされていない場合(いわゆる名義残り)の場合は、「使用者」には当たらないとして納付命令の際に弁明をすれば、納付命令は発令されないのだろうか。
所轄警察署のガイドラインを見ていたら、私の住んでいるところは、監視重点路線で、重点地域に指定されている。自宅のマンション前の道路に、荷物の出し入れのために短時間でも駐車したら、即放置違反金納付命令の対象だ。しかし、マンションには自動車の車寄せがないし、そもそもマンション前は片道3車線の道路で通行に支障があるとも思えない。むしろ、交通の支障となっているのは、修学旅行生のバス駐車だ。ところが、そのバスの駐車は放置違反金の対象とならずに、バスとバスの間に駐車したマンション住民だけが放置違反金の対象となる。あまりにも不公平ではないか。
投稿者:ゆかわat 21 :46
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同窓生
最近、もうある程度の年をとったからだろうか、小学校や高校の同級生から相談を受けることが度々ある。
先日は、高校の同級生から、銀行を退職してコンサル会社を設立して、京都にも支社を開くことになったという連絡があった。銀行でも大きなプロジェクトを担当していたのだろう。扱う事業規模も数億円というから大したものだ。それを銀行という看板を背負ってではなく、自分個人の力量で扱えるのは、成功したときの喜びもひとしおだろう。
いざ我が身を振り返ってみると、確かに東京にいたときに、大きな会社更生事件のお手伝いをさせていただいたときは、企業、それにまつわる様々な人々の生き様に接し、緊張感と躍動感にあふれていたのを懐かしく思い出す。
今は、法律事務所も弁護士一人、パートの事務局が数名という零細企業だから、なかなか機動的な動きができずに、大変はがゆい。所詮、自分一人でできる範囲は知れているから、自分が興味ある分野、能力を生かせる分野の事件をこつこつとさせてもらうということだろうか。
投稿者:ゆかわat 22 :17
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国立マンション訴訟最高裁判決
5月1日付裁判所時報に国立マンション事件の最高裁判決(H18.3.30第一小法廷判決)が掲載されていた。この事件は、1審東京地裁では、景観権に基づき、マンションの高さ20m超えの部分の撤去を命じた画期的な判決だった。ところが、2審東京高裁で住民側の逆転敗訴となり、今回の最高裁判決となった。結論は、住民の訴えを認めなかった。しかし、私としては決して後退判決ではないと思う。
最高裁判決は、第一に、「良好な景観に近接する地域内に居住し、その恵沢を日常的に享受している者」には「良好な景観の恵沢を享受する利益」を保障した。本件事案でも、国立市大学通り周辺の景観に近接する地域内の居住者に「景観利益」を認めた。これは最高裁判決としては画期的なことだ。
但し、この「景観利益」は「景観権」という権利性を有するものではないとした。この趣旨は、「景観利益」の侵害に対しては不法行為に基づく損害賠償請求は認められるが、建物撤去や建築差止請求までは認められないということだと理解される。もしかして、「景観利益」の侵害を理由とする行政処分の取消訴訟も認められるのかもしれない。
最高裁判決は、第三に、「景観利益」の侵害に対する不法行為は、「少なくともその侵害行為が刑罰法規や行政法規の規制に違反するものであったり、公序良俗違反や権利の濫用に該当するものであるなど、侵害行為の態様や程度の面において社会的に容認された行為としての相当性を欠くことが求められる」とした。このハードルは一見すると高そうだが、「行政法規」には市条例も含まれると解されるから、景観法に基づく条例はもちろんのこと、自主条例も含まれるとなると、意外とそのハードルは低い。
私の理解としては、「景観利益」は多数の人々の価値観に関わることであって、都会的景観を好む人もいれば、自然的景観を好む人もいる。海辺に立つランドマークタワーを見て、それをきれいだという人もいれば、海辺の景色を興ざめにすると思う人もいるだろう。「景観利益」を求めてその地域に多額の対価を出して移り住んできた人もいれば、何の投資もせずに結果的に「景観利益」を手にした人もいる。私としては、このような性質の「景観利益」は行政法的な手法によって住民と事業者と行政との対話によって実現すべき政策課題であると思われるのだが、最高裁はもう一歩進めてそのような主観的な価値観に関わる「景観利益」についても不法行為の成立を認めたこと自体がある意味では画期的だ。「生存権」がプログラム規定か抽象的権利か具体的権利か、というのと似ている。
ところで、私も代理人の一人として末席に関わっていた京都洛西ニュータウンの高層マンション事件について、同じく景観権に基づいて高さ20m超え部分の撤去を求めていた事件が、この5月に、同じ最高裁第一小法廷で上告棄却・上告不受理決定で終わった。論点が同じなのだから、同時に弁論を開いて、最高裁としての法的判断を示してほしかったものだ。
投稿者:ゆかわat 22 :11
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弁護士ものドラマ
木曜日は、夜9時から「7人の女弁護士」、10時から「弁護士のくず」を見るのが毎週の日課だ。
「7人の女弁護士」は、刑事サスペンスものがベースだ。いつも、法廷の尋問でこんな簡単に自白させられるものか、と思ってしまう。そして、釈由美子が法廷で真犯人を指さしして、「逃げるところはありませんよ」というとみんな自白するのだが、聞いていると、今そのせりふを言っても逃げられるよ、と思ってしまう。
「弁護士のくず」では、「7人」のリッチな法律事務所に比べて、昔ながらの有楽町界隈のしなびた法律事務所のイメージだ。どう見ても冴えない、ちゃらんぽらんそうな弁護士が、実は人の心の真相にまで迫っていくのは、いつ見ていても、感心させられる。そして、ときに、法廷で使うはったりや、「場外乱闘」は、どこか思い当たる節があって、面白い。
こうして夜の9時から11時が仕事のできない時間になり、それから明日の準備にかかるから、どうしても夜眠りにつくのが遅くなる。
自分としては、正義感あふれる「7人」でいるには年もとって疲れ気味で、それよりも「くず」になりたいと思っている。なれるかどうかは別問題だが。
投稿者:ゆかわat 00 :09
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法社会学会出席
今日は、久しぶりに法社会学会に出席することにした。
阪急の甲東園駅から瀟洒な住宅街と文教地区を通り抜けて関西学院大学のキャンパスに着く。ヨーロッパ風のテーマパークのようなキャンパスだ。出席したのは「司法過疎」のミニシンポジウム。
奈良女子大の大塚浩先生の報告は、奈良県の法律相談の調査結果を踏まえて、司法過疎地内格差を相談事業によって克服することは困難であり、弁護士の開業を待つほかにないというもの。
大阪市大の阿部昌樹先生の報告は、司法過疎地の調査を踏まえて、法律相談センターの開設は弁護士を身近な存在として認識させる効果はあるものの、法を身近なものとして意識させる効果はないし、法的紛争解決意欲を高めることもない。それに対して、公設弁護士事務所の開設は既存の相談機関のネットワークと関連をもつことによって地域のメディアや既存の相談機関の「法の語り」を豊富化し、地域の人々の法的紛争解決意欲を高め、地域の人々の意識や行動を変化させていくというものだ。
阿部報告も新鮮だったが、埼玉から北海道大沼町に移った司法書士の実践談は強烈だった。非弁活動にあたらないかやや心配なところもあったが、多重債務問題を中心に自己破産申立てや個人再生申立てや、さらには消費者金融業者から総額1億円以上の過払金返還を勝ち取った話を聞いた。その他にも学校での講演活動などもしておられるようで、今年6月には司法過疎対策センターを設立するという。
また、長岡弁護士(山形県弁護士会)からは、司法過疎に対する日弁連の取組みの紹介があった。そこで気を引いたのは、日弁連は旭川地裁管内に3つの公設事務所を作ったが、裁判所はどこも裁判官が常駐しておらず、1ヶ月に1回2泊3日の予定で裁判官が出張に来るだけで、その間に調停も民事訴訟も刑事訴訟も入れるから、弁護士としても調停事件は受任できず(調停事件は裁判官が立ち会わずその間に法廷に入るので弁護士が調停事件を受任すると今度は訴訟事件が何件も受任できなくなる。)、本人調停にならざるを得ないという。今のところ、この秋から稼働を始める司法支援センターにしても、紛争の法的解決機関ではない。
(注:旭川の公設事務所の数に誤りありました。長岡先生からご指摘を受けましたので、訂正した内容にしてあります。)。
結局、司法過疎は、最初は司法書士過疎、弁護士過疎が当面の課題であるが、それを克服した後に残る最大の問題は、裁判官・検察官過疎ということだ。しかし、公務員数削減の世の中で裁判官数・検察官数のみを急増することもできず、結局は、いかに裁判所に代わる紛争解決機関(ADR)を設置するかということなのだろうか。
投稿者:ゆかわat 23 :45
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