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2006 年5 月31 日

結婚広告・マトリモニアル

この家族も女の子が多いからダウリやマトリモニアルで大変なんだろうな〜と、要らぬ気を使ってしまいました。
これもエコノミスト誌の引用ですが、インド社会ではマトリモニアルという結婚広告が盛んなのだそうです。結婚適齢期の女性が年齢・身長・学歴・カースト・特技・職業を三行広告形式にして新聞社に送ると、新聞社はこれをカースト中心にまとめて別刷りで掲載するそうです。日曜版などにはこのマトリモニアルが10ページにもなるそうです。マトリモニアル



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2006 年5 月30 日

結婚持参金・ダウリ

エコノミスト誌からの引用ですが、インド社会には、女性が結婚する時に嫁ぎ先へ父親の年収の10年分以上の高額な持参金を持っていかなければならない、「ダウリ」と呼ばれる習慣があるそうです。下層カーストの人達には耐えられない負担になっており、女児の出産を喜ばず、妊娠段階で女児と分かれば中絶したり、出産して女児だったら殺してしまうという手段で、将来の高額な出費を回避することがあるそうです。また、ダウリの額が少ないことに起因した「ダウリ殺人」が年間に1000件ほども起きているそうです。でも、この写真には沢山の女児が写っていますよね。ダウリ1



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2006 年5 月29 日

インドでの物価(入場料)について

先日、京都に行ってきましたが清水寺の拝観料は300円でした。金閣寺は400円です。石山寺は500円でした。タージマハルの入場料はRs.250(625円)でしたし、アグラ城の入場料もRs.250で、その他にインド考古学局に支払う1日ADAチケット代がRs.500(1250円)かかります。1泊Rs.100のゲストハウスに泊まり、1食Rs.10の食事代で旅ができる国で、この入場料の高さには驚きました。
食堂ベナレス



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2006 年5 月28 日

インドでの物価について

「1日2ドル以下で生活している貧困層が人口の79.5%を占めている」のがインド社会の実情なのです。平均的な生活水準は日収がRs.90(225円)なのです。
果物屋



投稿者:ぴるぜんat 11 :24 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月27 日

インドでの物価について

「1日2ドル以下で生活している貧困層が人口の79.5%を占めている」のがインド社会の実情なのです。平均的な生活水準は日収がRs.90(225円)なのです。

レストラン街



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2006 年5 月26 日

インドの物価について・その3

デリーでの最高級ホテルであるタージマハルホテルのシングルの料金は280ドル(Rs.12600)から330ドル(Rs.14850)だそうです。しかし、シャワー付でRs.240(600円)、それにエアコンが付くとRs,400(1000円)というゲストハウスも多くあります。ベナレスのゲストハウスのシングルルームはRs.100(250円)でしたし、更にドミトリーではRs.40(100円)でした。庶民の平均的な日収がRs.90だとすると、1泊料金のRs.100や一食がRs.10という金額は決して安くはありません。チャーイ屋



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2006 年5 月25 日

インドの物価について・その2

「1日2ドル以下で生活している貧困層が人口の79.5%を占めている」のがインド社会の生活水準だとすれば、US1ドルの交換レートが約Rs.45ですので、2ドルですとRs.90(225円)になります。インドの田舎を旅していますと、Rs.1(1ルピー・2円50銭)は日本円の100円以上の価値があるように思えます。田舎街



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2006 年5 月24 日

インドの物価について・その1

特に最近は「高い成長率」、「高度なIT技術」、「教育水準の高さ」等々とのインドを紹介する記事を目にします。確かに首都のニューデリーや、ムンバイの経済特区や、IT企業が集積しているバンガロールや、マドラス輸出加工区を見ているとそのような表現は当を得ているのではないかという気がします。しかし、インド社会は既得権と親の資産に保護されてきたほんの一握りの大富豪と大貧民の二極に分解されると言って良いと思います。「1日2ドル以下で生活している貧困層は人口の79.5%を占めている」と、国連の「人間開発報告書2005」では報告されています。2億人余りの富裕・中間層がいて、残りの8億9千万人は貧困に喘いでいるのという数字です。「急速な経済発展に伴って中間所得層が出現した」としている、その中間所得層というのも、「年収2100ドルを超える高所得世帯と年収989ドルを超える中所得世帯が全世帯数の30%近くある」とか、「共働きで年収がRs.20万からRs.50万(50万円から125万円)の中間層は約1割程度」という報告もあります。また、成人の識字率は61.0%という数字もありました。
街の八百屋



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2006 年5 月23 日

市バスの写真をもう1枚

ジャイプールの市内を走る路線バスです。ジャイプールの路線バス



投稿者:ぴるぜんat 14 :27 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月21 日

インドの国産バス

TATAです。TATAバス



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2006 年5 月20 日

TATA印の市バス

インド国産のバスです。日本の感覚で言えば、廃車にしてもいいようなオンボロですが、インドでは最も安い交通機関です。フロントグラスの正面に番号を明記しているので、バスターミナルでルートナンバーを聞いて乗り込めば、市内であれば日本円の5円ほどで何処にでも確実に行き着けます。日本にも昔はありましたよね。田舎のバスはオンボロ車♪・・・というボンネットバスが。
TATA印の国産バス



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茜の花柄模様の更紗・サンガネール

ジャイプールから15Km程南に行った所に、サンガネール染め(木版染め)の更紗(インド更紗)の里があります。リクシャワーラーの常套句でもある「かまへんがな。見るだけでええねん。見とくなはれ。」と、強引に連れて行かれる振りをして行ってきました。工房や商店がたくさんあり、ブロックプリントの実演もしていました。

サンガネール染め



投稿者:ぴるぜんat 08 :14 | 日記 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月19 日

万里の長城ではありません

アンベール城とジャイガール要塞をぐるりと取り囲んでいる城壁です。万里の城壁



投稿者:ぴるぜんat 12 :55 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月18 日

ジャイガール要塞

ハーレムの中庭から見上げるとジャイガール要塞が遠望できます。象のタクシーはありませんが、急坂の途中でエンストでもしようものならそのままバックで麓まで転がり落ちていきそうな、廃車置場に捨ててあってもおかしくない小型のジープが出ていました。それも、観光客を鈴生りどころか山盛りにして運んでいました。しんどいですが、こんな所で事故で死にたくなかったら歩いて登ったほうがよほど安全です。「安いやんか。片道Rs.100ですやん。往復でRs.150にしときますがな。」と言っていました。ハーレムからジャイガール要塞



投稿者:ぴるぜんat 08 :38 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月17 日

ジャイガール要塞

ハーレムの奥にある厩舎ではなくて「象舎」を抜けたところから更に上方を撮りました。アンベール城を背にして右側から回りこむように更に40分程の急坂が続きます。1036年に築かれた要塞で、下のアンベール城が完成するまでマハラジャが住んでいたそうです。世界最大の車付き大砲や、色んなおどろおどろしい戦闘用の武器が展示してありますが、この要塞は一度も陥落したことがないそうです。

アンベール城から見たジャイガール要塞



投稿者:ぴるぜんat 08 :42 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月16 日

アンベール城

階段を上り、獅子門(スイン門)の入り口で入場料を払って左に進むと「一般謁見の間(ディーワーネ・アーム)」があります。その窓から太陽門を入れてバス停方向を撮りました。高さが分かると思いますし、周囲の山々の稜線には中国の万里の長城のような城壁が延々と築かれています。このことからも、アンベール城は堅固な要塞だったことが窺えます。
稜線の長城



投稿者:ぴるぜんat 14 :53 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月15 日

アンベール城内

ハーレムを背にしてガネーシャ門を内側から撮りました。左の庭園の先にはスク・ニワス(歓喜の間)があり、右にはジャイ・マンディール(勝利の間)があります。

ハーレムを背にしてガネーシャ門を



投稿者:ぴるぜんat 21 :31 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月14 日

アンベール城内

左の写真はアンベール城正門の太陽門(スラージ門)です。急な坂道を登り、この門から城内に入ります。前庭をぐるりと270度回ったところにある獅子門(スイン門)の階段を上ったところから撮りました。
写真右は、世界で最も美しいと言われているガネーシャ門です。この門の先が王の私的な空間になります。奥にはザナーナ・マハル(ハーレム)もあります。

太陽門


ガネーシャ門



投稿者:ぴるぜんat 21 :21 | 日記 | コメント(3 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月13 日

象のタクシー

ジャイプールのシンボルである「風の宮殿」の横からアンベール城行きの市バスが出ています。所要時間は約30分ほどです。車掌らしき輩が、「Rs.20ですねん」とふっかけてきますが、乗車賃はRs.5(13円)を払いましたが、多分それ以下だと思います。アンベール城のバス停には30頭ほどの象のタクシーが客待ちをしており、辺り一面が糞尿の臭いです。象の所有者の元締めがいて、ドライバーは客から貰うチップの一部で生活しているようですが、働く場所があるだけで結構な事なのだそうです。象のタクシー2


象のタクシー3



投稿者:ぴるぜんat 19 :19 | 日記 | コメント(1 ) | トラックバック(0 )

アンベール城

バス停から見たアンペール城です。かなり急な登りです。客を乗せて登っていく象のタクシーと狭い坂道を下ってくる空車の象が交差すると、ほとんど道幅に余裕がありません。糞が道路や城内に落ちないようにと象のお尻にオシメというか腹巻のような布をあててはいますが、あまり効果はないように思いました。糞はおちていますし、象をやり過ごす時に小便でもされようものなら悲惨です。物売りがしつこく群がって付きまとってくるのにも閉口します。物売りを無視し、糞を踏まないように、そして象を避けながら急坂を登っていきますと、30分程で城にたどり着けました。
アンペール城への象のタクシー


アンペール城への登り道



投稿者:ぴるぜんat 00 :13 | 日記 | コメント(1 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月12 日

アンベール城

ムガール帝国の侵攻に屈しなかった勇猛なラージプート族によって築かれた都がジャイプールです。その旧市街から北東10Km程のところにある丘の上にアンペール城があります。バスの停留所から城までは象のタクシーが出ていました。4人の相乗りで、一人Rs.80 と運転手へのチップがRs.20ということでした。勿論、歩いても登れますが、かなり急な坂道でした。
象のタクシー


アンペール城



投稿者:ぴるぜんat 13 :28 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月11 日

素人が撮った写真で、素人が書いた文章です

メールや電話でお問い合わせいただきましたが、Web上に公開しているのですから、「画像・文書・コンテンツ等、一切の無断複製・転載はお断りします。(Any copy or reproduction without permission prohibited.)」等と、無粋なことは申しません。こんなもので良ければ、ご自由にお使いいただいて結構ですよ。
とりあえず、ご要望がありました「タージ・マハル」の写真を載せますが、カジュラホにあるヒンドゥー寺院の天女像やミトゥナ像(男女交合像)等、青少年の健全育成に害のあるような写真はご容赦ください。
タージマハル


タージマハル2



投稿者:ぴるぜんat 13 :32 | 日記 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月10 日

リクシャーワーラー

「リクシャー」というのは日本の「人力車」が語源だそうです。インドの街での代表的な乗り物で、自転車で引っ張るサイクルリクシャーと、小型オート3輪に幌をつけたオートリクシャーがあります。その運転手をリクシャーワーラーと呼んでいます。確かに、旅行者とみるや執拗な客引き攻勢を仕掛けてくるリクシャーワーラーとのトラブルが多いとは聞いていましたが、客待ちをして停車している車より流している車をつかむとか、地元の人に聞いたりして予め値段を頭に入れておいて極端に安い料金で誘う車には乗らず、気長に値段交渉をしっかりし、土産物店等に強引に連れて行こうとしたり、頼みもしない観光案内をする者もいるので、その時には明確に意思表示をしすれば特に問題はないように思いました。また、何の意味もない料金メーターらしきものを付けているオートリクシャーもありましたが、そんなものは無視して構わないと思います。しかし、蟻が群がるように集まってくる客引きや、値段交渉や強引な手口には閉口します。
深夜の片町の路上でも、客待ちをしているタクシーと「小松まで5000円で行かへんか」などと値段交渉をして乗り込んでいる人を見かけますが、基本的には、そのように値段交渉をしてから乗るものだと理解してください。あ、決して金沢のタクシードライバーの方々をこのような「雲助」と同じであると言っているのではありません。

リクシャーワーラー


オートリクシャー



投稿者:ぴるぜんat 08 :38 | 日記 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月9 日

チャーイ屋・その2

アグラからジャイプールへの街道沿いの街にあったチャーイ屋です。看板には 「BREAKFRST・ LUNCH ・SNACK ・DINNER」とあります。チャーイとチャパティーと豆のカレーをたのんで、Rs.10(25円)程でした。チャパティーというのはナンのような物ですが、ナンは精製した白い小麦粉を焼いたもので、チャパティーよりはるかに高級品であり、このような安い店には置いてありませんでした。また、ジャガイモを春巻きの皮のようなもので三角に包んで油で揚げたサモーサとか、魚のフライだとか、玉葱等の野菜の天ぷらなどの揚げ物もありましたが、どれも10円や20円といったところです。全てが、マサーラ味です。
チャーイ屋2



投稿者:ぴるぜんat 08 :27 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月8 日

チャーイ屋

で、喫茶店で一休みです。インドではいたる所にこのようなチャーイ屋があります。チャーイというのは、たっぷりの砂糖が入ったミルクティーです。生姜が入ったものもあります。写真はファテーブル・スィークリーの街道沿いのチャーイ屋です。1杯がRs.2(5円)でしたが、近所の人達が払っていたのはRs.1.5でしたので、「友達を紹介するやんか」とRs.0.5をまけてもらいました。価格的には1杯が5円から10円程です。ニューデリー市内の高級店では1杯がRs.100(250円)のところもあるそうです。
チャーイ屋



投稿者:ぴるぜんat 08 :27 | 日記 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月7 日

「勝利の都」 ファテーブル・スィークリー

この建物には、タージ・マハルやアグラ城のように、イスラム様式のアーチやドームはあまり用いられていません。それどころか屋根や庇は、写真のように仏教やヒンドゥー教の石窟寺院に見られるような木造建築の木組みをそのまま石で表現した造りになっています。このことから、アクバル帝の諸宗教調和政策(ヒンドゥーとイスラムの融合)の強い意志が表れていると理解できるのだそうです。5年の歳月をかけて建設されましたが、ほとんど使われた形跡がないまま14年後には放置されました。そのために、虚ろな赤い城跡は「かりそめの都」とも呼ばれています。
この石材は「赤い砂岩」で、風呂場の床材(大理石とちがって滑りにくい)として、日本にも大量に輸出されているそうです。
パンチ・マハル遠景



投稿者:ぴるぜんat 09 :49 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月6 日

ファテーブル・スィークリー

アグラの南西40Km程のところにあるアクバル帝の城跡です。ここに住んでいた聖者の予言で世継ぎを授かったアクバルが1571年に首都をこの地に移転させたそうですが、14年後には水不足が原因で打ち捨てられてしまいました。
写真はパンチ・マハル(五層閣)で、建物の前の広場には将棋盤のような方眼が大きく刻まれていました。掃除をしていたおっさんに、「この線は何やのん?」と聞きましたら、「パチシーの碁盤ですがな」と。ここはこの塔の上から眺めながら、ハーレムの女性達を駒に見立ててチェス(パチシー)を楽しんだ場所だったそうです。
ファテーブル・スィークリー



投稿者:ぴるぜんat 08 :57 | 日記 | コメント(4 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月5 日

チャドルの美女

アグラはデリーからヤムナー河沿いに200Km程南に下った所にあります。16世紀半ばにムガール帝国第3代皇帝のアクバルが首都をここアグラに置きました。イスラム文化の香りが高い街でした。アグラ城の謁見の間前広場での写真です。イスラム教徒の姿が多く見られました。黒いチャドルで全身を覆っており、目だけしか見えませんが美人なのでしょう。
アグラ城の北西がメッカの方向です。南東方向にタージ・マハルがあります。「囚われの塔」に幽閉されたシャー・ジャハーンは、北西方向に鏡をおき、その鏡に映し出されたタージ・マハルに向かって(メッカの方向)礼拝していたそうです。
チャドルの美女



投稿者:ぴるぜんat 09 :23 | 日記 | コメント(1 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月4 日

サリーの美女・その9

アグラ城で撮りました。写真右端が、シャー・ジャハーンが幽閉されていた「囚われの塔」です。遠景に白大理石で建てたタージ・マハルが望まれます。
シャー・ジャハーンは、ヤムナー河を挟んだ対岸に自分の墓を黒大理石で建てる計画をしていましたが、「そんなに金を使われてはたまりませんがな」と息子のアウラングゼーブによって、アグラ城に閉じ込められてしまい、7年後に亡くなりました。シャー・ジャハーンは囚われの塔からこのようなタージ・マハルを眺めて、涙していたのでしょうか。アグラ城の美女



投稿者:ぴるぜんat 11 :46 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月3 日

サリーの美女姉妹

アグラの南西40Km程のところに、ムガール帝国の巨万の富と権力が造った「かりそめの都」・ファテーブルスィークリー(1986年に世界遺産登録)があります。5年の歳月をかけて建設されましたが使われないままに、14年後には放置されました。原因は水不足だったそうです。そこで見かけた美人姉妹です。アリーの美女姉妹2


サリーの美女姉妹



投稿者:ぴるぜんat 09 :17 | 日記 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月2 日

サリーの美女・その8

この場所も、タージ・マハルの基檀の上です。
サリーの美女8



投稿者:ぴるぜんat 12 :50 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2006 年5 月1 日

サリーの美女・その7

アグラの、四方が94メートルもある白大理石でできたタージ・マハルの基檀の上です。背景の河は、ヤムナー河です。サリーの美女7



投稿者:ぴるぜんat 13 :22 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

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