2017 年1 月31 日
2017 年1 月30 日
変な夢
今年の目標の一つに「怒らない」を上げたことはすでに紹介した。 禁を破ったのは、左義長の準備のお手伝いをしていた時だった。 まだ竹組みも終わっておらず、10数人で準備をしている時に、ある小父さんが「急いでいるので特別早く入れさせてくれ」と持ってこられた。 特別苛々している状況でもなかったのだが、いきなり「あんただけなんで特別なんだ。そんなことをしたら次々に持ってこられて歯止めが効かなくなるだろう」と怒鳴りつけた。 その人はどんな立場で特別なのか、どんな理由で急いでおられたかは知らないが、怒った顔をして睨みつけて戻られた。 この時に「あぁーあ、まだ2週間しか経たないのにやってしまったか」という残念な思いがした。 今朝見た夢は、それと似た様なことだった。 OB会の役を仰せつけられて、なぜか最後の社歌の合唱の後を任された。 気が付くと参加者名簿なども一切残っていなかった、勿論人もである。 怒るよりも残念だったが、「みんな楽しんで帰ってくれたのだなぅ」と思う自分が居た。 もう一つは、トイレの後の二度寝した時のものだが、何故か、東京の上野駅で家内と一緒に帰る時の雑踏である。 寝台の切符(今ではあるのかどうか知らないけれど)や切符の種類をどうしようかと考えている時に、家内がまだ何か買いたいものがあるとのことで、探し回っていて、寝台列車の時刻が迫っているのだが、一向に決まらない。 電車はとうとう出てしまったが、それでもまだ決まらない状況で目が覚めた。 ここでも「仕様がないなぁ」と思っている自分が居るだけで、決して怒っていなかった。 はてさて、正夢になるのか、逆夢になるのだろうか。2017 年1 月27 日
除雪機は便利
先日ある会合で「地区で買ってある除雪機の操作講習会をそろそろやってくれないか」という話を持ち掛けた。 この件は以前からもお願いしていたのだが、幸か不幸か、雪がそんなに降らなかったので、切実な必要性はお互いに感じていなかった、というのが本音である。 ところが、先日から「北陸地方に大雪の恐れ」という予報があり、たまたま雪が降り出した時に、役員をやっていらっしゃる人が、軽トラに積んで朝早くに持って来てくださった。 その時から、本当に「止み間なし」に降り続いたので、随分重宝した。 正直、講習というほどのことはなく、10分くらいで操作方法を教えてもらって「1時間もやっていればすぐに要領が分かるさ」という言葉に納得して、3時間おきくらいに動かした。 効果たるや抜群で、見る間に地面が現れてくる。 尤も、未だ要領が悪いのだろうが、機械の重たさに、翌日は腕や肩、腰が随分と痛くなった。 それでも雪は休んでくれなくて、3日目には隣の家の前までも除雪してあげることができた。 もう少ししたらまた寒波が来るとの予報であるが、その時にも効果を発揮してくれるだろう。2017 年1 月26 日
学習が楽しくなった(同趣旨を投稿)
学習というのは、多分どんなものでもそうだろうけれど、最初は「よしやるぞ」という気分で出発する。 たぶん何か動機があってやり始めたのだから、動機づけと気分でしばらくは我が身を牽引してくれる。 たぶん最初は用語一つを知るためにいろいろな道具を使って「分からないながら」進められる。 そしてしばらくすると、動機づけがだんだん朧気になり、余りにも進まないことに「やっても意味があるのだろうか」という気持ちの方が強くなってくる。 そして「暫く休憩しよう」ということになって、ほとんどの場合「永久休憩」になってしまう。 私もご多分に漏れないが、昨年末から始めた学習は、「読むだけ」ではなくPCを使って能動的にやるものである。 それが正月休みを別にして、毎日短時間だけれど、約2カ月続いている。 それがだんだん「面白くなってきている」ことに気が付いた。 まさに「70の手習い」である。 小さいことが一つ一つ実現していくのが面白い。 たぶんまた「暫く休憩」の時期が来るだろうが、この楽しみをデスクに張り付けて推進力にしたいと思って続けている。2017 年1 月25 日
睡眠時間が長くなった
最近やはり大寒ということもあってか、朝の気温がだんだんと低くなっている。 そのせいもあってか、無意識に布団から出るのが億劫になったか、今までよりも平均2時間近く「寝ている」時間が長くなっているようだ。 かつては「ベッドの中で愚図愚図を楽しむ」ということで、意識はぼんやりながらも起きていたのだが、最近は、全く気が付かないで眠っているのである。 不思議なのは、今まではそんな時間中にも何度か尿意を催して起きて寝るの繰り返しだったのだが、その間全く起きないで、いわば「熟睡」状態である。 もちろん粗相などはない。 たぶん健康的な観点からすれば、「よく眠れる」ということは良いことなのだろう。 とはいっても、今朝の様に「除雪をしなければ」ということがあると、しっかりと6時には起きて作業ができているから、問題は無いのだろう。2017 年1 月24 日
電動工具は便利
20年以上の長い間使って来た食卓から、長いねじ釘が落ちてきた。 最初は「どこの釘?」とみんな疑問だったのだが、小5の孫が下からのぞき込んで「ここじゃない」と言ったことで分かった。 ねじ山が6角の釘だったので、即座にドライバーが見つからなかったので「明日やる」ということで皆で楽しい食卓になった。 翌日になって、6角棒のドライバーのセットがあったのだが「待てよ」ということで、電動工具を取り出し、合うもので対応した。 そこで思ったことだが、電動ドライバーは適当な所で「もうこれ以上締めなくて良いんじゃないの」とでもいう様に「空回り」してくれるのである。 ずいぶん昔の仕事中に「この音がしたらそれ以上は締めなくて良いよ」と職場の先輩から教わったことを思い出した。 それを機械が教えてくれるのである。 何せ長い間使っていたのだからと、操作の簡単さから、対応個所の全てを締め直した。 皆同一の力で「もういいよ」と言ってくれるので、これでまたしばらくは使えるだろう。 天板の裏にいつ頃か孫が描いた絵を見つけたのは、楽しい余禄だった。2017 年1 月23 日
助平爺の戯言
「助兵衛(スケベ)爺の戯言(たわごと)」と読んでください。 色々と健康のための便通を良くする方法を試みているが、なかなか「これだ!」というものに出会えない。 そんな中で、最近気が付いたのだが「接して漏らさず」が一つの方法ではないかと思っている。 これは、以前読んだ『養生訓』(そのもとは中国の『千金坊』から出ているという)に出ていることであるから、あながち助兵衛根性からだけではない。 勿論この歳になると、相手が見つからないし、色々な事情からそんな機会に巡り合うことは無い。 そんな中で、ネットではいろいろな「オカズ」が無料で味わえる。 以前は、興に任せて「抜いていた」がだんだんその後が酷くなったので、寸前で止めるようにしているのだ。 これが「漏らさず」になっているのではないだろうか。 体験論だから、医学的なことは全く分からないけれど、暫くは続けてみよう。2017 年1 月20 日
健康バロメーター
最後の目標になるが、これはもう何年も継続していることである。 でも、「歩みはのろい」けれども確実の改善されてきているのだから、継続してゆきたい 。 体重、血圧、腹囲の減少である。 今年が例年と違うのは「目標値」を張り出さないことである。 自分で分かっていればいいのである。 今年の目標は、書き出してみると、在職中よく言って来たし、言われてきた「定量的目標」になっていないことである。 むしろ敢えてそのようにした。 年末に「そこそこ出来たよなぁ」という気分でお酒をのみたいものである。2017 年1 月19 日
「本の寄贈」
これは昨年もそれなりに順調にやってきたことだが、それでもまだまだ「(今後我が家では誰も)読まない本」がそれなりの量残っている。 片っ端から処分してしまえばすぐに終わってしまう作業だけれども、それは私の気持ちが許さない。 父が買った本、私が買った本、それ以外の本など、色々とPCで「仮想図書館」にしておきたいのである。 そのうえでISBNがある本は寄贈して「社会福祉団体に寄贈される」組織を通じて僅かだけれどお役に立っている。 古くてISBNが無い本は「目方」で売却することになる。 今年の年末には「もう一度読みたいなぁ」という本だけになるのが目標だし、仮想図書館も偶には見て楽しむこともできるようになる。2017 年1 月18 日
「落ち着いてやる」
目標設定はエンジンがかかり始めると、結構すんなりと纏まってくれる。 今回の紹介は落語「粗忽の釘」ほどではないけれど、俺だって落ち着いてやれば、そこそこのことができるのではないか、との考えから出たものである。 へまをすることに原因は、どうも二つあるようだ。 一つは「こんなの簡単さ」ということで、相手(する事、目的など)を見縊ってしまって、片手間的に対応していたことである。 だから、後になって「二度手間」になってしまって謗りを受けてしまう。 もう一つは、「急ぎ過ぎ」で「手を抜いてしまう」ことである。 これも、結果を見ると、結局「し直し」をしなければならなくなるので、二度手間となってしまったり、謝って歩かなくてはならなくなることである。 「何をどのような手順で、何時までにやる」を細かいことでもしっかりと計画を立てることであろう。2017 年1 月17 日
「学習タイム」の設定
これも目標の一つになるが、昨年立てた目標の一つに「パチンコはやらない」と小項目として設定したのだが、結局はほとんど達成できなかった。 そこで、原因をよくよく考えると「ほかにすることが無い」ということに気が付いた。 これは、拙い。 絶対に拙い。 で、考えたのだが、ボランティアとしての下校時の児童見守り、健康麻将、町内行事などもあるのだが、確かにまだまだ「空き時間」があるのである。 そこで、今までもCAD系ソフトの学習、新ホームページ作成ソフトの学習をやってきたのだが、これに加えて「XMLとJava」の学習を始めることにした。 短期時目標ではなく「来年の正月のHPにはその欠片でも実現できるよう」である。2017 年1 月16 日
「面倒くさい」は積極的にやる
ポツリポツリと整理している「今年の目標」だが、二つ目は「面倒くさいと思ったことは、むしろ積極的にやる」ことにした。 これは、正月から細かいことだけれども、どうしても「面倒くさい」と思うことが多かった。 それで思いついたことである。 ほとんどの場合、そのことは「すぐ出来る」ことなのである。 ところが「後で出来る」とやってしまうと、一つ一つが積み重なってしまうので、気が付いたら「面倒くさい」の領域を超えてしまって「出来ない」に近くなってしまったり、場合によっては、「あの時やっておけばよかった(のに)」ということになってしまって、結局「出来ずじまい」になってしまう最悪の事態になってしまう。 それを、気が付いたら「すぐやる」にして「嫌々」ではなく「積極的」にやることである。 そうするとたぶん「やり忘れ」が無くなってスッキリ感が味わえるのではないだろうか。 「面倒くさい」は老化現象・認知症の始まりと思おう。2017 年1 月13 日
今年の目標の一つに「怒らない」を挙げた
今年の目標は、正直いってまだ明確に決まっていない。 年末に「餓鬼にならない」を旨としたが、思いつけばすぐに書きだしてしまって、整理に困っている状態である。 その中で「これは確実に」というのが、表記の事である。 何度か紹介したが、在職中は「課長(最後は部長になったが)の右側には座るなよ。怒った拳骨が飛んでくるから」と部下から評されるほどの「怒りん坊」だった。 もちろん、本気に怒って、拳骨を振るった訳ではないことは、そう言いながらも飲み会には誘われたし、大概の人は同行してくれたことで証明されていたのだろうと思う。 リタイア後は、声を荒げて怒ったりしないことになったが、これは何も「怒らなくなった」訳ではないのである。 そんな私が「怒って見たとて、相手が簡単に変わるものではないのだから」という言葉をどこかで見つけて、今まで時に思い出していたのだが、それは「怒るのを鎮める」ことだった。 それを一歩進めて「怒る前に『怒らないぞ』」と自分に言い聞かせることにしようと思っている。 果てさて、年末にどれだけできたかが今から心配と期待である。2017 年1 月12 日
年賀状
近年「年賀状が減った」という記事をよく目にする。 果たして本当にそうなのだろうか。 年賀郵便はがきによる年賀状は、私もどんどん減ってきているのは事実だが、私個人的には「通信年賀状」を含めると、そんなに減少しているとは思わない。 なんでもそうだろうが、「一つの見方」で全体を測るのはやはりおかしいだろう。 実際の「通信年賀状」は測ることはできないだろうが、携帯による「あけおめ、ことよろ」だって形態こそ違え、同じ年賀状の類であろう。 それらを加味してみると、人づきあいとして年賀状は人口減少の割には減っていないのではないだろうか。 「群盲象を評す」という言葉もある。 多面的な感覚をもっと身に付けるべきだろうと自戒を込めて思う。2017 年1 月11 日
トランプ氏のツイッター発言
次期米国大統領が、ツィッターと言う方法でいろんなことを言っている。 最初は「歯に衣着せぬ、大胆で明確な発言だ」思っていたが、最近はどうも違う感覚になっている。 私の投書も、それと似たところがあるが、軽重は月とスッポン以下だというとは理解している。 でも、何が同じかと言うと「リアルタイムで反論が聞こえない」ことである。 もしリアルタイムで反論がなされ、それに対するレスポンスが拙ければ、一挙に評判が落ちるからではないだろうか。 在職中、当時流行っていたディベートと似たような議論を何度か経験した。 そこで最後はお酒も入っての歓談になるのだが、言えることは「興奮した方が負ける」と言うことだった。 「歯には歯を」と言う論理ではなく、ここはしっかりと落ち着いた反論を用意して静観すべきだろう。2017 年1 月10 日
貧乏性は止めよう
金銭的な貧乏性は残念ながら、心掛けだけでは止めることはできないので、「したいしたい病」とでもいうべき貧乏性は止めることにした。 今年もいくつかの「目標」を立てるので、順次頭の整理をしてからご紹介させていただくつもりだけれど、そんなことを考えている時に「あれもしなければ」「これもしたいなぁ」と言うものがどんどん出てくるのだが、勿論全てできる訳ではない。 だから、在職中に何度かやった要領で「すべて捨ててみる」方法を取ってみた。 正直、凡人なるがゆえに「執着心」を全て取り払うことなどできる訳はないし、若い時の様に「スッキリ」とはできない不安がある。 「もし忘れてしまったらどうしようか」と言う不安である。 矛盾しているのだが、実際そうなのである。 で、思いついたのが表題である。 「したい餓鬼」という貧乏性ををやめることである。 さて、今年一年どれだけできるだろうか。 決して「後ろ向き」ではなく、「何でも受け入れられる」と言う意味で前向きである。 あくまでも「つもり」なのだが。 今年もぜひよろしくお付き合いください。2017 年1 月9 日
「小心者」の運転心掛け(12/10に採用された)
熟年者ばかりではなく、車の悲惨な事故が報じられている。 私自身も十分に気を付けなければと「小心者」の運転を心がけている。 ところが、やはりなかなかその気持ちを維持できないのが本音である。 だから、想定外の事態になると困るのだが、基本的にそんな場合は「止まる」ことにしている。 最近の事故は「回避する、できる」と言う気持ちから起きているのではないだろうか。 よく言われるのに「日本人は考えながら走る」と言うのがあったと思うが、車の運転についてだけは「止まって考えてみる」と言うことを癖にして見てはどうだろうか。 これでどうにか「採用投書」だけで埋めることができ、お恥ずかしい「ボツ投書」を披露することが回避できました。 今年も是非とも付かず離れずのお付き合いを。 もしかしたら、今年中には「凡人の投書」と言う出版物に化けるかもしれません。 期待せずに、お待ちください。2017 年1 月8 日
近くで詐欺話起こり驚いた(12/4に採用された)
持ち回りでPC講習会をやっている。 その家のご主人が電話に出られて、特別耳をそばだてていたわけではないが、なぜか電話の内容がおかしいので「どこからの電話ですか」と声を掛けると「市役所から」だという。 それにしてはおかしいので、そこにいた人がそろって「どこのだれか名前を確認した方が良い」ということになった。 ご主人は「○○課の△△と言っている」と信じておられるようなので「確認してから電話する」と対応してもらった。 電話はそれで切れてしまった。 その課に確認すると「そんな人はいない」ということだった。 何の被害もなかったわけだが、詐欺話は警察からのメールで知ってはいたが、余りにも近くで起こったことに驚いた。2017 年1 月7 日
わずかな額残し通帳そのままに(11/28に採用された)
ずいぶん昔、金融関係のシステムに従事していた時に学んだ言葉に久しぶりに出会った。 「休眠口座」である。 一定期間取引が無い口座に対する処置の事だが、今回出会ったのは「休眠しているお金を公共なものに使おう」というものだった。 在職時、勤務場所が金沢だったこともあり、その地に本店がある銀行を使っていたが、わずかな額を残してそのままになっていた。 わずかとはいえ、年金暮らしの身にとっては1カ月の小遣い程度が通帳に残っていた。 さっそく解約してきた。 数年間で数円の利息が付いていたが、それでも貴重なお金である。 一度棚卸ししてお調べになってはいかがだろうか。 実はこの投書にもタイトルと違う箇所がある。 「通帳そのままに」ではなく、「解約した」と言うことは、通帳そのものが無くなったということである。 些少なことなので、新聞社には申し出なかったけれど、真実はこうだ。(^◇^)2017 年1 月6 日
朝のベッドで「目玉を動かす」(11/21に採用された)
朝のベッドの中での運動に「目玉を動かす」と言うのをもう3年ほど前からやっている。 だからと言って、私の「近眼、老眼、乱視」がそれほど良くなるわけではないが、まあ悪くはなっていないのだろうと「鰯の頭」的な日課である。 ここ数カ月前から、新聞はまださすがにできないけれど、パソコンのニュースやメールなどは「目玉を動かす」ことで読むように努めている。 最初は、慣れないせいもあるのだろうが、結構疲れるとともに気がめいる。 でも、何でもそうだろうが、その時期を過ぎると「楽しくなってくる」のである。 最初は意識して目玉を動かすのだが、慣れてくると顔を動かさずに自然と目が文字を追っていることに気が付く。 楽しく、わずかな健康を心がけたいものである。2017 年1 月5 日
無形文化遺産 素直にうれしい(11/16に採用された)
高岡の御車山祭り、城端の曳山は残念ながら実物を見たことはないが、魚津のタテモン行事も含めて、国連教育科学機関(ユネスコ)の補助機関は「山・鉾・屋台行事」を無形文化遺産登録するように勧告した。 県民として素直にうれしい。 そのインタビューで責任者と思われる方が同じことをおっしゃっておられた。 「後継者がいない」ことである。 「祭りのために産めよ増やせよということか」と反論されることを覚悟しながら言うけれど、やはり適当な機会を積極的に求めて、相手を徐々に好きになってゆき、結果として子供が生まれ、地域全体として子供を育てていく、ということが大切なのではないか。追記をみる
2017 年1 月4 日
ライト不整備 危ない自動車(11/5に採用された)
早朝散歩に出掛けたら、月曜日と言うこともあったのかもしれないが、ライトが不整備な車に出会った。 左右1台ずつである。 1台は左目がスモールライトも含めて消えている。 もう1台は右目が消えているが、スモールライトはついていた。 どちらも早朝出勤で忙しさから「始動点検」がなされていないのだろう。 車影が見えないほどの暗さではなかったけれど、どちらにしても危ないことこの上ない。 相手にとってと言うよりも、自分にとってである。 「注意して見れば分かる」という論理もないではないが、それならまず自分が「注意してよ」ということになろう。 事故を起こしてからでは遅い。2017 年1 月3 日
久しぶりにスーツ姿で(10/28に採用された)
先日年に一度のOB会があり、先輩諸氏もいらっしゃる席なので、久しぶりにスーツ姿で出かけた。 在職中は当然の如くスーツがいわば「制服」のようなもので、単身赴任時代も、お客様には当然だけれど、そばから見られても「格好良く」はないけれど、せめて「みっともなくない姿」でいたいものと気を付けていた。 リタイアしてからは、着るものが全体的にルーズで良くなり、さほどシャキッとする必要もなくなってきていた。 それが久しぶりにその姿になってみると、自然と在職時代と同じようにと自分自身身構えている。 でも、年に何度かはそんな機会があっても良いのではないだろうか。2017 年1 月2 日