20日の電池についての続編
先日、紹介した電池の顛末である。
乾電池の方で1.27−8V程度の残りが有ったので「何かに使えるかもしれない」と保存しておいた。
マウスで使うと「残量60%と表示」されていたので、是なら大丈夫と思っていたのである。
それが、思い掛けなくすぐにその時期が到来した。
我が家にはまだ「灯油ストーブ」が数台あるので、丁度2台の灯油タンクが空になったので、給油しようとすると、小出しタンクから吸い上げる電池式ポンプの電池が途中で切れてしまったのである。
それではと、早速途中使用の電池を使ってみた。
最初はスムースそうだったが、それも束の間、2回目も同様だったが、1台分は満タンになったので、それで良しとして、残った1台が残った電池でカツカツで満タンに成るくらいだった。
娘に「電池が足りなくなったら躊躇せずに新しいのと取り換えてくれ」と伝える。
今年最後のブログが、ほんの僅かだけれどSDGsに貢献したことで、嬉しい限りである。
皆様、今年もお付き合いいただき、ありがとう御座いました。
来る年が「少しだけ」幸せを齎してくれることをお祈りにいたします。
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投稿者:つねちゃん
at 08 :57
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文字を丁寧に書く
以前にも同様な趣旨で書いたように思うが、中々できないものながら、それなりに「ボケ防止」という趣旨の下で続けている。
そんな時に気が付いたが、「漢字」ばかりではなく、「平仮名」が可成り雑に書いていることに気が付いた。
私の場合「た」「な」「は」は何時の頃からだろうか殆どの場合「突き出ていない」のである。
また、半濁音の場合は、それなりにはっきりと「〇」を書いているが、濁音に成ると繋がって居たり「か」の場合は「点々」ではなく「点」だけで済ませていることが多い。
書き写しを始めたのは、孫に字を書いて教えているころだから、10数年前に成るけれど、その時には自分で作った「なぞり用紙」を作ったものだが、もう一度取り出してみようかしら。
投稿者:つねちゃん
at 08 :29
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「いう」をどう書くか
以前にも似たようなことで「『かく』をどう書くか」と記したことが有ったが、その続編になるだろうか。
音読や書き写しなどで、いろんなジャンルの本を並行して読んでいる。
それに加えて「できるだけ(ある意味『当て字』であるが)漢字を使う」ことを、本来のボケ防止のため、と思いながら使って居る。
本では、当然執筆者の癖というか「使い勝手」なのかもしれないが、同じ「いう」の言葉を違った漢字をお使いになっていることに気が付いた。
「言う」「云う」「謂う」をどのように使うか。
特に「いわれる」という場合はどうだろうか。
こんなことを考えながら読書や書き写しをやっていると、また楽しい。
投稿者:つねちゃん
at 08 :54
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充電式乾電池と普通の乾電池
随分昔に買った「風呂用ラジオ」は電池の消耗が早いような気がしたので暫く「お蔵入り」にしていた。
ところが、残念ながらそれに代わる物は高価だったりして色々試していたが、悪戦苦闘のすえ、結局再度取り出してきて使い始めた。
でも、何とかならない物かと調べて、充電池と乾電池との差がようやく納得できた。
結論から言うと、充電式電池(充電池)は、使い始めてから比較的短い期間で電圧が1.3xボルトまで下がりますが、それから「使えなくなるまで(機械によっては違うと思いますが) 」が安定して相当期間使える。
アルカリ乾電池に代表される「乾電池」はリニアではないにしても、使い始めから徐々に電圧降下する様で、結果的には全体として寿命としては同じ程度だそうです。
私の場合、それに加えて「防水ラジオ」だったので、気密性が高く、充電池はどうしても発電に置ける化学作用でガスが出て、それが使用時間に悪影響を呈しているようでした。
因みに、ラジオ仕様には「電池はアルカリ乾電池」と明記してあり、充電池は対象外と、明記はされていませんが、成っています。
適材適所をよく考えてみたいと思います。
投稿者:つねちゃん
at 09 :05
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冬物衣料の処分と新調
子供の頃は同世代の「股引」は殆ど「ラクダ色」の物だった。
仕事の関係で数人と同じ宿に泊まる出張などの場合は、流石にその手の物は身につけることが無くなり、ナイロン製などの「スマート」な物に各々変わっていった。
今年は、そんな物の中から「スマート」は排除させてもらった。
実用本位で、やはり戻ったのは「ラクダ色」か「灰色」の物になった。
いや、完全ではなく、まだ十分に実用になる「裏起毛」の物などは残してある。
こんな風にして自分は変わっていくのだが、是は他世代の人に押し付ける物ではなく、自分の「身に有った物で進めて行こう。
「カッコ付けより実用本位」を後期高齢者になって自覚する。
投稿者:つねちゃん
at 08 :39
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デスクダイアリーの更新
この時期になると、恒例になっている事だが、ついつい「後回しにしてしまう」癖がこのところついていて、昨年も25日を過ぎてから更新したのだが、今年の目標の「書き出してからやる」の効果が出てきたのかもしれないが、昨日漸く今年の残り日の分以外は外して、転記して一つ「すっきり」した。
同居家族の誕生日、別居にしている息子家族の分もしっかりと書き込みを終えた。
また、両親と夭逝した次男の祥月命日も記録する。
お寺さんの都合などでその日にお参りに来られるかどうかは別にして、せめて私の代までは覚えておきたいものである。
次男の分は、50年忌も終えたので、お寺さんとの縁は遠くなったけれど、親としての責務だろう。
病院の予約は、すでに来年の日付が決まっていることも記録しておく。
年度の活動についても、日付が決まっている物もあるので、それも欠席しないように。
投稿者:つねちゃん
at 06 :10
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身嗜みという意味
先日「今日遣ることはやったし」というのんびりした時間に、「ネットサーフィンに揺られてみよう」と思って、気の赴くまま、眺めてみて「これは良いかもしれない」と思った言葉の解釈に「身嗜み」というのが有った。
「嗜み」という言葉にはいろんな意味があり、とても解釈が難しいから、「私にはできない」と敬遠していた言葉だった。
しかしながら、筆者は、この言葉を分解して説明なさっていた。
「身」「出し(す)」「並」とである。
「見っとも無く身綺麗にして」「他人様の前に出て」「並を心掛ける」。
是なら私にもできそうだ。
そして付け加える一点が「目立たない程度のお洒落」を身に着けて満足する。
課長職になってからは、ワイシャツはダブルカフスでそこそこ値のあるカフスボタンを欠かさなかったことがあるが、これが私のできる、身嗜みの一つだったろうか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :35
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昨日の訃報2件
正確には一昨日の事だが、歌手と俳優さんの訃報がネットとTVで流れた。
俳優さんは私が好きな俳優さんの一人の「佐藤蛾次郎さん」で、歌手は「水木一郎さん」である。
残念ながら、歌手さんの名前や風貌などは、まったく記憶に残っていないが、息子が大好きだった「マジンガーZ」は一緒に番組も見たし、歌も歌ったので、粗々のストーリーや歌は「聞けば歌える」程度の記憶はある。
でも、家内は一緒にいる時間が私より数倍多いので、俳優さんは覚えていなかったが、歌手の方は良く知っていた。
蛾次郎さんにとっては幾万人もいるファンの中の「その他」に属する私だったろうが、一度だけ銀座に有った「ガジローの店」でほんのしばらく歓談した記憶と、寅さんが映画化される前のTVドラマの時からのファンであったので、懐かしさ一杯でニュースを読み漁った。
享年78歳というから、年齢は私とそんなに違わなかった訳だが、改めて感謝と冥福を祈りたい。
投稿者:つねちゃん
at 08 :54
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だんだん「書く事」が少なくなっている
毎日生きていれば、それなりに感ずることがあるのだが、「ブログに書くほどの事でもないや」と思い始めると「書く事」が無くなってきていることに気が付く。
ピン、と思いついても「これも確か前に書いたなぁ」と思うとそれが逆の歯車になって次々と自分で潰してゆく。
で、初心に戻って「昨日と違っていること」を拾って、前に書いたような気になれば、検索してその時と今とどのように違っているかを考えながら続けていきたいと思っている。
こんなブログですが、細く永くお付き合い頂ければと思っています。
投稿者:つねちゃん
at 06 :45
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思えば半世紀以上を生きてきている
先日、日記をつけていて、改めて思ったのだが、最初に米国出張に行ったのが、1991年で「あれからもう30年かぁ」と何気なく思って、同期入社の友人の事を思い出しながら書いていて、「えっ、あれからもう『半世紀』も経っているのか」と思って、なんか今まで気が付かなかった訳ではないのだが、改めて「長生きしているよなぁ」と思った。
50年生きてきた、と言うよりも「半世紀も生きてきたのだ」と思ったら、違った感慨を思ったのは私だけだろうか。
「人生100年」という言葉を時々耳にするが、もしもそれまで生きておられるとしても、「後四半世紀」だと思うと、なんだか楽しくなってくる。
この感覚を持ち続けて、一日一日を大切に生きていきたいものだ。
投稿者:つねちゃん
at 06 :05
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人の体は実によくできている物だ
音読と書き写しについては、何回か書かせていただいたが、「指先を使うことによるボケ防止」と「活舌を自分で認識する」という事だが、咽喉癌の後は音読は低調である。
其れとは別に、対象の本には、「健康に関する本」が3冊ある。
中身を理解するのが目的ではないので「覚える」という気持ちは殆どないが、書かれている事には同じような事も有り、結構楽しい。
でも、よく考えてみれば、今更ながらだけれど「人間(多分他の動物もだろうが)の体はよく考えられているものだ」と思ってしまう。
熱が出れば、その熱源を治療しなければならないのだが、解熱剤で済ませている現在の処方が正しいのだろうかと疑問が出てくる。
症状はその根源を直さなければと、身体が教えてくれているのである。
幸い現在罹っている先生方はその点で安心している。
投稿者:つねちゃん
at 09 :01
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ベッド生活
ベッド生活になったのは現在の家に住まうようになった、昭和57年くらいからだったろうか。
何度かの単身赴任生活時も布団生活だった。
それなのに、今頃になって「エッ」と思うことがあった。
ベッド生活は基本的に「万年床生活」であることに気が付いたのである。
単身赴任時でも、万年床という事は、基本的にやらなかった。
だから、昔からの習慣で「明日着るもの」は寝る時に枕元に揃えて置いて寝るのが習慣だった。
ところが、ベッド生活だと、どうしても「その辺」に置いて寝ることになる。
大体が布団の上に成るから、寝ている間に「埋もれて終う」のである。
それで朝起きて「マイニング作業が始まる」ことが繰り返される。
家で二日酔いするほど飲まないけれど、老身にとってはやはり少し辛い。
これからはしっかりと定位置に置いておこう。
また、偶には着布団、毛布、シーツを剥がして隙間も含めて点検しよう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :41
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久し振りにプログラム作り
IT業界に30数年過ごしてきたが、その間「プログラミング」を仕事としてやったのは約1か月で、当時COBOLで組んだのだが、ステップ数としては3000ステップ位で、皆から「そんなもの経験に入らない」と言われるほどだった。
本格的にシステム構築に携わったのは、研修期間が終わって約半年してから、システム方式担当に回されたからである。
それは、結果としては言い訳にしか過ぎない。
そんなことで、半世紀以上も経って、自分のためのプログラムを組んでみた。
ステップ数で言うとわずか50ステップ位の物である。
でも、楽しかったなぁ。
「ああもしたい、こうもしたい、是ならできるのではないか」という思いが次々と湧いてくるのである。
小さなことでも良いから、時折テーマを見つけてチャレンジしてみたい。
投稿者:つねちゃん
at 07 :36
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練り歯磨きをとことん使い切る
最近気が付いたことだが、練り歯磨きをチューブの中に残さず使い切る方法、については、色々と工夫してきたが、最近使いだした方法をご紹介しよう。
普通に使って居て「そろそろ少なく成って来たな」と思う頃に、今までは「絞る」ために押し付けてきたチューブの腹の部分を膨らませて水道からの水を「数滴」入れる。
決して「入れすぎない様に」が注意点である。
そして使って見られると、使うチューブの大きさなどにもよるが、それなりに延長で使える。
使う時には出口を下にして数回振ってから使う。
今までよりも柔らかい練り歯磨きが苦労しないで出てくる。
ささやかなSDGs行動である。
投稿者:つねちゃん
at 09 :09
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目薬は「目の届くところ」に置いておく
調べてみると5月と6月に「目薬」に関することを書いている。
今回もその「補追」と言う訳になるかもしれないが、結局は「くだらない話題」と思われるかもしれないが、これが「ブログ」としての一つの魅力であると思っている。
あれから約半年経って、目薬の残量は約60%位になっている。
あと1.5年持つはずだけれど、今のように「目が疲れたなぁ」「目に護美が入ったようだ」という時以外は、定期的に土曜日の朝洗顔が終わった後に左右1滴ずつ刺しているが、どうも1.5年は無理のようだ。
でも、世の中SDGsばやりではないが、「無駄に捨てた」というようなことにはならないようで安心している。
このようにして「忘れ物が無く」使って居ることが出来るのはやはり「常に見える所」に置いておいたおかげである。
投稿者:つねちゃん
at 07 :48
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栞を使って居ますか
書き写しは従来通りやっているが、音読は、やはり喉を診てもらっている先生からは「必要のない時は無理して声は出さないようにした方が、トレーニングよりもいいと思います」と言われてからは従来の黙読になっているけれど「読む」ことだけは続けている。
そんなことをしているので、何方も「一日、一項目」にしているから、書き写したり読んりしている本は現在13冊になっている。
だから、次のスタートの目印に「栞」をそれだけ使って居る。
その殆どは、本屋さんのレジ近くに「ご自由にどうぞ」から頂いたものである。
先日、相変わらず「詰まんないこと」に気が付いたが、栞を挟む時に「上下、裏表」を気にしていらっしゃるだろうか。
今まではさほど意識せずに、何とはなしに「同じ方向」に挟んでいたが、本から食み出す所はどうしても手に触れるので、「上下、裏表」を意識しながら交替させてるが、それも続けてみると何となく楽しい。
投稿者:つねちゃん
at 10 :40
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歌謡浪曲に嵌り気味
今から50年以上も前の入社時に、お一人浪曲を上手に謡われる人がいて、その当時は結構好きになって、左甚五郎物などを中心にラジオで流れると聞き耳を立てたものだった。
それから半世紀も経った先日、若い女性の浪曲師の「瞼の母」を「歌謡浪曲」という形でたっぷり聞く機会があり、広沢虎造氏等の本格的浪曲とは別に、三波春夫の「俵星玄葉」など思い出しながら、色々とお気に入りの「歌謡浪曲」を録音して楽しんでいる。
聴くのは主に風呂場である。
そういえば、昔銭湯でも当時は何か分らなかったが、「旅行けばー」と謡っている人がいらしたなぁ、と思い出しながら邂逅している。
暫く嵌りそうである。
投稿者:つねちゃん
at 07 :23
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