2024 年5 月31 日
2024 年5 月30 日
54年目の結婚記念日
今年は54年目の結婚記念日に当たる。 金婚記念の年は、孫子揃って、能登のホテルで祝ってくれた。 今回は、先日喜寿祝いをしてくれたので、今日は特別な事は無い。 芦谷雁之助の歌のように「口じゃ言えない苦労もあった」54年間だったが、次男の夭逝以外は、ほとんどの人が経験されているように「悲喜交々」の幸せな54年間だった。 両親や親戚の人々を初め、会社では上司や先輩・後輩そして協力会社の人々にもお世話になった事を今更ながら感謝感謝である。 今更なにも「お返し」することも出来ないが、せめて「糟糠の間」付き合ってくれた家内に最大の感謝で、今日は家内の好きなワインでお祝いしようか。 こんな平凡な日が、せめて父の年齢までの、後七年は続いてほしいと願うばかりである。2024 年5 月29 日
今年初めての75台
長い間の目標だが、今年初めて体重が75台になった。 目標は、此処でも何度も書いているが、残念ながら、今までは「年に数度」といて程度で、本来の目標は「75台の維持」なので有る。 だから、そういう意味では達成度としては「赤点」どころか、「足元にも及ばない」という数値だったのである。 多分この手の悩みをお持ちでない方には、理解してもらえないだろうが、それ程「嬉しい限り」の数値なのである。 教科書的に言うと標準BMIとしての私の「適正値」は「69Kg」なのである。 幸いにして、同年配の多くの人が「身長が縮んだ」というぼやきを持っていらっしゃるが、ここ50年間コンマ以下の数値の上下は有るが、丸っきり変化していないから、目標値としてもまだまだオーバーしている。 たが、随分昔に標準目標値に限りなく近づいた時、友人と一緒に温泉旅行に行き、その時の大鏡で見た我が身の「悍(おぞ)ましさ」に驚いたので、リタイアして成人病にかかり始めた時からお世話になっている医師と相談してこの数値にして居のである。 兎も角まだ残された今年は半分以上るのだから、一日でも多くこの75台をキープしたいものである。2024 年5 月28 日
Push情報ばかりでなくPull情報も
論語を紐解くことまでは無いが「七十にして矩を超えず」という言葉がある。 それを大分越してしまい、孔子もそこまでは思いつかなかった歳に近くなっている。 だから、今更何を志してもしようがないのだが、それでも凡人なりに「これからはこうしよう」という事に思い付いた。 それは、新聞、テレビ、ラジオなどから耳目にする情報は「向こうからの押し付け」である。 「嫌なら聞かなければいいじゃないか」と言われればそれまでだが、そんなPush(押し付け)情報も大事だけれど、それを「一歩だけ進めて」、それから「自分はどう考えるか」というPull(検索して引き出す)情報に思いをはせてみよう、と思ったのである。 難しく考えたり、批判分子を気取る訳ではなく、「こんな見方をすればどうなっているのだろうか」と考えることである。 特別お金がかかる訳ではなく、この歳になれば「暇は余るほどある」のだから、安上がりにボケ防止でもあろう。2024 年5 月27 日
楽しく感謝の喜寿祝い
昨日、新潟へ行っている頭の孫も帰って、高級ステーキハウスで、夫婦二人分の「喜寿の祝い」を子と孫7人にしてもらった。 家内とは誕生日が十日違いなので「お二人様合わせて」ということである。 私の小麦粉アレルギーもお店に伝えてあって、心配なく美味しいステーキのフルコースを頂いた。 お酒も、私好みのいつもより少し高価な物を用意してくれた。 始まる前に、両親に対してこんな祝いをして上げたろうか、と日記を調べてみたが、まったくの空欄で、その前後の記録には会議模様や出張結果などが書き込まれていただけ、ということで、父のその時は私が47歳という事で、全国飛び回っていたのである。 息子はここ2週間ほどは自社席にいたらしいが、それ以外は場合によっては海外まで足を延ばしている出張族なのにうまくタイミングを合わせてくれたものだ。 両親にはお詫びと感謝、子や孫にも感謝の心地良い一時だった。 リタイアするときに尊敬する部長の一人から「これからは、『・・・子らが皆うましうましとゆうて食う時」を大切にしろよ」と言われていたが、これが実感できた一時であった。2024 年5 月24 日
偶像崇拝
ある一部の人から「仏教は偶像崇拝だ」と非難めいた言葉を過去に聞いた事がある。 私が特別熱心な信者だとは思っていないが、やはり非難されるといい気持ちではない。 そんなことを何となく考えながらこの歳まで来て、ふと思ったのだが、私の場合、朝起きて太陽が出ていれば、素直に手を合わせて昨日までの感謝と今日の無事を祈って手を合わせる。 以前神奈川県に住まいしていて、鎌倉の大仏様にも、途中の「大船観音様」にもそうだった。 立山連峰や砺波連山が奇麗な姿を見せて呉れれば、それにも同様だ。 何も神仏ばかりではなく、誰かの歌に有ったと思うが「心に留まった物に感謝と祈願」をするのは、私としては無意識に出来ていることに感謝することは、人に何と言われようとこれからも続けたい、2024 年5 月23 日
パトカーに道を譲られた
先日、いつものように「車でお買い物」という気軽な気分で出かけた。 交差点で信号待ちをして青になったので進行して、右折で入る本屋さんへ着く寸前に向こうからパトカーが来て(緊急自動車ではない)停止したのである。 向こうは直進車で此方は右折車だから、当然向こうが「優先車」なのだから止まる必要はないはずなのに、止まって特別此方に向かって「早く渡れ」というような手信号を出す訳でもない。 こんなところでお見合いした所で特別何か面白いことがある訳ではない。 それで「それならお先に」という事で、右折して本屋に入った。 パトカーは何もなかったかの如く通り抜けて行った。 一体何だったのだろうと、色々と考えてみて「多分これだ」と思った事がある。 75歳の誕生日だから、ほぼちょうど2年前になるが、其の日から前面左右に2枚「高齢運転者標識」を付けて今に至っているのである。 これを見たパトカーの運転者が気を利かせてくれたのだろう。 改めて感謝である。2024 年5 月22 日
伏木のお祭り「かつちゃ」
先日家内の実家(伏木)へ無沙汰と遅ればせながら地震見舞に行った時に「今年のかっちゃは私等も見に言ったら駄目なんだって」と聞いていた。 実家の物理的な被害は電話でも聞いていたが、断水期間が有っただけで然程の事は無かったので安心した。 今年の伏木名物の祭りの「喧嘩曳山」は1基を除いて6基で揃って行われるのだが、それは現地での見物は原則禁止で、TV放映されると聞いていた。 18日の夜から実況が始まった。 家内は真剣に見ていたが、私は別の部屋で「かっちゃ」の瞬間だけ見ながら作業をしていた。 9時からは「晩酌の時間」だったので、家内と一緒に見て楽しんだ。 ご苦労なさった人々には尊敬と感謝をするが、矢張り観客としては現地でのぶつかる空気だけではなく、地響き(地震の後だから言葉は適切では無いと思いながら使わせてもらう)、観客の声の響きが揃っての物である。 継続にはいろんな課題が有ると聞くが、勝手ではあるがも、ぜひ来年は現地で見て、感じたいものである。2024 年5 月21 日
乾電池
先日、母が愛用していた電池時掛け時計が、丁度3時(12時間方式なので午前午後は関係無し)で止まっていた。 毎朝起きる時に見て「まだ寝られる」とかの判断にしていたので、それなりに重宝していたし、時間が狂わないのである。 最初の設定時に少しのずれが有っても、そのままなのである。 その時計が朝起きた時に3時を示していたので「まだ寝られる」と判断して自分の感覚としては30分くらいだったろうが、寝たのだが、どうも外が3時にしては明るすぎると思ったので、部屋を明るくしてよく見ると3時のままだったのである。 それはまぁ良しとして、単一乾電池利用の物で、電池を入れ直したのが「令和元年6月10日」と記してあったのに驚いた。 約ほぼ5年間動いていたのである。 話が飛びそうになるので、それもまた良しとして、単純に「電池が無くなったのだ」と思って午後から交換したのだが、それからが驚いたのである。 取り換えて以前の物は捨てようと思って、念の為テスターで電圧計ってみると1.3Vくらいであり、電圧的には再利用が可能かもと思って、仕舞おうとしたのだが、電池を置いておいた所が白く汚れていた。 「もしかして」と思ったら案の定「液漏れ」だったのである。 5年も長持ちしてくれたことに敬意と感謝して、廃棄させてもらうことにした。2024 年5 月20 日
地震の惨状を目の当たりに
先日所用が有って、正直あまり行きたくなかったのだが、元日地震で被害の大きかった場所へ行くことになった。 我が家自体の被害は、食器が幾つか落下して壊れたり、内と外のモルタルが剥がれ落ちたりは有ったものの、断水の被害なども無かった。 そんなことを思いながら、行く場所を見ながら運転していた。 矢張り4カ月半も経っているので、主に道路のかなりの所は、アスファルトの色が新しくなっていて、当時写真で見た所の状況を思い出しながら「復興の力強さ」という感じがして、地元の皆さんやボランティアの方々の逞しさを見て、心強く思った。 そんな中で、写真では見たことが有ったけれど、1階が潰れて、2階部分が道路側に傾いている家を間近に見て怖かった。 更に聞くと、徐々に沈下しているのだとも。 今更ながら「自然の怖さ」を目の当たりにして戦慄した。2024 年5 月17 日
夜間頻尿?
加齢の所為もあるのだろうが、毎月定期的に診察を受けている医師に「夜間頻尿に当たるだろうか」と聞いてみた。 幸いにして血液検査などの状況からして、前立腺肥大などは当てはまらないようだから、汗を補充する程度に水分を取って、摂り過ぎないことに注意して様子を見よう、ということになっている。 という事で、先日から好きなお茶の量と夜寝る時のお酒と一緒に飲む水分量を測定してみた。 私の場合、10時半過ぎに寝て、12時前にトイレに起きて、2時から3時の間に起きる状況である。 そして5時近くに起きる。 尿の量は計っていないが、最初はたっぷり、次がちょろちょろで、朝起きにはそれなりの量ということのようだ。 だとすれば、それなりに排出機能も「可」で、量の変異も「可」だろうからあまり心配せずに済むようだ。2024 年5 月16 日
健康麻雀は洗牌から
町内の人数名から始まった「健康麻雀」も参加者の広まりから最近では会員数という意味では80名になったと聞いている。 常時参加者はその半数位だけれど、毎回楽しく遊ばせてもらっている。 そんな時、TVでやっていた健康麻雀の模様を見て、少し「違うんじゃないかなぁ」と思った事がある。 確かに健康麻雀は「三無い(煙草、お酒、賭け)麻雀」なのだが、もう40年以上前に教わったのは、それに加えて、洗牌(麻雀牌をかき混ぜる)と山積み(17枚を2段に重ねる」が指先の運動で、役作りの楽しさが頭の体操ということが不可欠だった。 当時は交際術として決してそんなことは思っていない「やんちゃ麻雀」だったけれど。 TVでの短い時間の紹介だったけれど、自動卓を使っての物だったのである。 確かに「不便」だろうけれど、指先の運動が老化防止になることは広く言われている事なのだから、ぜひ自動卓による「横着」は止められた方がよいのではないだろうか。2024 年5 月15 日
プリンターなどの修理
今まで長い間使ってきたPCだけれど、PC自体のハード的な故障については、殆ど知識(嫌、指先としての技能のウエイトの方が大きいのだが)が覚束ないので、それなりに諦めて「メーカー修理」をお願いしてきた。 勿論金額的な許容範囲内でである。 ところがここ最近、自分の努力が不足しているのだろうが、それを差し引いても、代替修理、と諦めが多くなってきている。 もう数年前に講習生の一人から「これ、新しいバージョンの物を買ったのでいらなくなったから」とマウス付きで頂いた、メーカー発表で「これはwindows10にアップグレード対象品ではありません」と言われていたものを誰か知らないけれど、アップデートしたものである。 当然その時点windows7には戻れなくなっていた代物である。 どうにかWindows10らしきもので動く様になったのでデータ倉庫として使っていたが、今度はマウスの調子が悪くなってた来た。 市販のBTタイプの物で使ってみたが、それも別用で必要になったので、元に戻して「修理を試みた」が、諦めた。 プリンターのインク掠れも何度もトライしたけれど、インクが無くなる迄、然程必要整理のない下書きなどの為に使うことにして修理は諦めた。 代替品が有るので直接は困らない。 さて、次は何が現れるか、なんだか楽しくなってくる。2024 年5 月14 日
持将棋
随分久し振りに12譜に亘る棋譜を見た。 結果としては「引き分け」という事で、「持将棋」という事に成ったのだが、随分若いころも含めて私が指した将棋には「引き分け」が無かった。 尤も休憩時間にやっていたので「時間切れ」は有ったが、周りにいた先輩諸氏が、勝手に勝敗を決めてくれた。 将棋雑誌などで、確かにその判定論理を学習したけれど、全く覚えていない。 だから、今回も新聞に掲載されたものをパソコンに入れていたのだが、何譜目からか覚えていないが「なぜこんな手を指すのだろう。王将とソッポを向いているじゃないか」と思ってしまった。 それで最終譜で「持将棋になった」とあった。 少しは分かっていたつもりでも、まだまだ知らないことが多いことを気づかされた棋譜だった。2024 年5 月13 日
二十の集い
頭の孫娘の「二十歳の集い」に野次馬とカメラ担当として見物してきた。 半世紀以上の過去になるから、私たちがどのようにやったかはほとんど覚えていない。 朧気ながら思い出してみると、確か数人が紋付羽織袴姿だったと思うが、何しろ対象者は600人超す数だったが、当日の参加者は300名程度だったと思う。 例によって詰まらない市長やその他の関係者(今回の事を辿ると多分国会議員は祝電だけで、教育委員会の人などだったのだろうか)の言葉はそれなりに静かに聞いていたように思う。 終ってから私と男性がもう一人で、女性(勿論普通のスーツ姿)が誰が選んだかも覚えていないが、4人で、会場近くの女性の家に押しかけて、親御さんが出してくださったお祝い料理を賑やかに食べて、少しばかりのお酒も飲んで(当時私は殆ど飲めなかったのだが)夕方まで過ごしたことくらいだった。 今は、孫娘の話だと、和服からスーツ姿に着替えて1次会、結局3次会まで行って、女性の友達の家に泊まってきたという。2024 年5 月10 日
何度聴いても好きになれない
懐メロなどの番組が好きで、録画して良く聞いているが、特定の女性ワンマンショー的に、その人が「好きな歌」ということで歌う場合はある意味しようがないとは思うのだが、それでも「飛ばしてしまう」ことがある曲に「一本刀土俵入り」という歌がある。 曲の内容はご存じの通りだが、どんなに力士駒形を真似様としてもどうしても無理があるし、台詞の段になると猶更である。 男性歌手なら誰でも良いと言う訳ではないけれど、ギャラの問題などもあるだろうが、考えてもらえない物だろうか。 逆の場合は、あまり耳にしないが「お吉物語」の台詞入りを男性が歌ったらどんな気持ちでお聞きになるだろうか。2024 年5 月9 日
単なる売名行為
頂き女子りりちゃん、というタイトルばかりではないが、これと似たようなものが世間に溢れかえっていることは、やはり残念である。 随分昔になるが、何かの放送で、かつて私が結構好感が持てるお笑いタレントがいたのだが、暫く放送から声が聞こえなくなっていて、突如彼の名前が聞こえてきたのは、残念ながら「三面記事的な報道」だった。 残念ながらそれから今まで名前を聞く事も無い。 そんな中で、その人と相棒的にやっていた人が言ったことが、今でも耳に残っている。 「名前を売るためだったら、少しくらいの悪いことではなく、世間を騒がせるようなことをしないと売れない」と嘯いていた、との事である。 こんなことから今度の若い女性も「名前を売り出す」ためにやった犯罪だったのではないか。 彼女を責めるのも当然だけれど、それを針小棒大に報道すること自体が非難されるべきでは無いのか。2024 年5 月8 日
「序で」仕事はやらない方が良さそう
結果として二度手間になる。 これは私の反省から言えることであるから、読者の皆さんには「関係ない」と一笑に付される事かも知れない。 でも、言い訳的に考えてみれば、これは有る逸話が頭に残っているからでもある。 あるお殿様が「誰かある」と声を掛けると、おつきの人が「何か御用じで」と顔を出す。 「うん、忘れた」。 これを何度か違う人ごとに繰り返していたが、そんな中で一人のおつきの人が「周りを見回して」チリ紙が落ちているのを発見して、それをさりげなく取り去って部屋を退出した。 「逸話」と書いたが、噺家の何方かの「枕」だったかもしれない。 在職中お客様や上司から呼ばれるたびに「何かネタを忘れてはいないか」と気を配った事である。 ところが、加齢もあってか、「ここまで来たのだから」「持ち帰っても荷物にならないから」・・・と「序でに」やった方が良い、と思ってやることがあるが、残念ながら「後でまたやらねば」という事に成ってしまうからである。 心残りが有ったら「書き留めてしかるべき時」にやれば一度手綺麗に片付くのである。 分かっちゃいるのだけれど。2024 年5 月7 日