「三足烏(さんぞくう)」=「八咫烏」=「三足烏(サムジョゴ)」
「三足烏の起源」は、「数にも陰(偶数)と陽(奇数)があり、太陽と関係の深い烏の足の数を陽にするために三本にした」という、中国の陰陽五行説にまで遡ってのご意見を多数いただきました。
日本の最高神である天照大神は太陽神ですから、中国で太陽を表す三足烏と関連づけられるのはそう不思議ではなく、おそらくは陰陽五行思想と共に輸入されたのでは無いかと考えるのが無難ではないでしょうか。そう考えると、同じ中国文化圏に属する高句麗で、古墳壁画に三足烏が集中的に描かれているのもなんら不思議はありません。
返信に忙殺されたこの1週間でしたが、「三足烏(さんぞくう)」=「八咫烏(やたがらす)」=「三足烏(サムジョゴ)」の結論で一応の決着をつけたいと思います。ありがとうございました。
投稿者:ぴるぜんat 21 :42
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八咫烏
それこそ沢山のメールをいただきました。要約いたしますと、『八咫烏の「咫」は長さの単位で「あた」と読み、1咫は親指と中指を広げた長さで4寸であるという説からすると、8咫は3尺2寸、およそ1mということになるが、字義的には大きなカラス』ということだそうです。
3本の足を持つカラスとして描かれている事に関しては、『神武東征説話を、「古事記」では「八咫烏」を高木大神が遣わし、「日本書紀」では「頭八咫烏(やたがらす)」を天照大御神が遣わしたと記されている』そうですが、『この烏の外見の描写(三本足)は両文献に無い』そうです。このように、『日本最古の史書には、「八咫烏」や「頭八咫烏」が三本足であったという記述はまったくない』そうです。神社の印に「三足烏」を使ってはいても、その由緒にも「八咫烏」の足が三本だったという話は無い』とのことです。
『中国では、太陽の中に三本足のカラスが住むと考えられており、カラスの足を三本足とするのは、陰陽五行思想によるもの』であり、『陰陽五行思想では、二は陰数で太陽にふさわしくなく、陽数である三こそが太陽にふさわしいと考えられ、そこから三本足のカラスが生まれた』との説もあるようです。
結局は、「三足烏(さんぞくう)」≠「八咫烏(やたがらす)」≠「三足烏(サムジョゴ)」との結論で良いのだと思いますが疑問が残ります。
投稿者:ぴるぜんat 14 :35
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烏牛王宝印
「牛王(ごおう)」というのは、貴重な霊薬である牛の胆嚢にできる結石(牛黄)を、お札の朱印に用いていたことに由来したそうです。熊野の烏牛王は、熊野本宮では88羽のカラスで、熊野速玉大社では48羽のカラスで、「熊野山宝印」という五文字が図案化されて描かれており、写真の熊野那智大社の烏牛王は72羽のカラスで「那智瀧宝印」と描かれています。三山それぞれに異なったデザインの烏文字で描かれていますが、足が描かれてはいません。
「八咫烏」と「三足烏」につきましては、沢山のメールをいただきましたが、結論に至ってはおりません。
投稿者:ぴるぜんat 21 :33
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「八咫烏(やたがらす)」と「三足烏(さんぞくう)」
『ボールを押さえている三本足の烏は、 中国の古典にある三足烏(さんぞくう)と呼ばれるもので、 日の神=太陽をシンボル化したものです。 日本では、神武天皇御東征のとき八咫烏(やたがらす)が天皇軍隊の道案内をしたということもあり、烏には親しみがありました・・・』と日本サッカー協会はそのシンボルマークの由来を説明しています。中国の古典にある〈三足烏〉とは、三本足の烏が太陽の中に棲んでいるという西暦紀元前後の漢の時代の伝説だそうですし、韓国でも三足烏(サムジョゴ)が、高句麗の壁画に描かれているそうです。「三足烏(さんぞくう)」と「八咫烏(やたがらす)」と「三足烏(サムジョゴ)」「は同じ種類の鳥なのでしょうか?
投稿者:ぴるぜんat 19 :38
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八咫烏(ヤタガラス)
神武天皇(神倭伊波礼毘古命)が日向の高千穂の宮から大和の国に向かい、大和国橿原宮で即位したのが神武東征ですが、その折、瀬戸内海を渡り、難波から淀川を溯上し、河内に入り、大和に向かおうとしましたが、大和の豪族の那賀須泥毘古の迎撃に遭って敗退し、次に、紀伊半島を南に迂回して熊野から北上して大和を目指した時に、天から遣わされた八咫烏(ヤタガラス)の道案内で熊野・吉野の山中を行軍したと、「古事記」や「日本書紀」に記されています。日本サッカー協会(JFA)のシンボルマークにもなっています。
投稿者:ぴるぜんat 17 :07
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烏牛王の起請文
古来、那智の滝の秘所の霊水で正月2日の未明に神秘行事を攸して摺上げて宮中に二千枚を献じたのを、今もなを伝えているのが烏牛王の神符です。神を約束の立会人として、その約束事を俗におからすさん、又は千羽烏ともいう熊野烏牛王のこの神符の裏に書いて神に誓ったのが起請文です。カラスの絵で描かれた文字は、「那智瀧宝印」と書いてあります。写真は紀伊国那智山・熊野那智大社の神符で、72羽の烏が描かれています。
投稿者:ぴるぜんat 22 :28
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時間は相対的で空間は湾曲する。
ニュートンの物理学の延長線上からは、アインシュタインの相対性理論およびエネルギーと質量の等価原理は導き出せません。「丸い地球」が「平らな地球」という考え方からは派生しないように。
投稿者:ぴるぜんat 19 :03
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地球は丸いのですか?
6000メートル位の上空からでは、地球は平らに見えますが、地球は丸いのですよね。「丸い地球」は「平らな地球」の論理の延長線上からはどうしても導き出せません。だからといって、「丸い地球」の上に立っているのにもかかわらず、「平らな地球」に立っていると思い込んでいる人がいるんですよね。
投稿者:ぴるぜんat 23 :08
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ソウルの Asahi ORIEN について
アサヒビール株式会社お客様相談室(〒 130-8602 東京都墨田区吾妻橋1-23-1
フリーダイヤル 0120-011121)から、韓国ソウルの「Asahi ORIEN」についての返信をもらいました。2003年に開店したビアレストランで、現在、ソウルに5店あり、1号店(ムギョドン)はアサヒの韓国全土でのSD樽生扱い1号店で、特にその意気込みからアサヒの看板を派手に出しているそうですが、アサヒの直営店ではないそうです。アサヒビールの直営店と間違われないために、別の看板に「アサヒ樽生取り扱い店」と併記してあるそうです。韓国語で表示してあってもハングル文字は読めませんでした。経営者は張さんという韓国の方だそうです。
投稿者:ぴるぜんat 14 :32
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なごり雪♪どころか、大雪です。
朝の7時に金沢を出たときには道路に雪もなく、快適に北陸自動車道を新潟に向けて走りました。糸魚川を過ぎ、上越を過ぎ、柿崎を過ぎるにしたがってどんどん降り積もり、米山辺りでは吹雪で写真のありさまでした。あ、スキーに行ったのではありません。お仕事です。新潟に行く予定でしたが、長岡で引き返しました。
投稿者:ぴるぜんat 21 :41
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なごり雪も♪ 降る時を知り♪
天候には恵まれませんでしたが、それはそれで楽しいスキーツアーでした。今年は充分に積雪があります。もう一度、春スキーツアーを計画します。
投稿者:ぴるぜんat 21 :10
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なごり雪 ♪
というより、水分の多いベト雪の一日でした。春スキーを満喫しようと、日曜日の朝5時30分にワシントンホテル前を出発し、妙高杉の原へスキーに行ってきました。雪が降っており、ガスっている写真をご覧いただければ、敢えてコメントを書かなくて状況をお分かりいただけると思います。
投稿者:ぴるぜんat 12 :49
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帰りの機内もアサヒビールでした
決して「集団の自文化中心主義(エスノセントリズム)」で言っているのではないということをご理解ください。甘ったるい眞露や、酸っぱいマッカリや、水で薄めたようなOBビールは唐辛子やニンニクの利いた韓国料理にはとても良く合うとおもいますが、味噌と醤油の文化には合わないようにおもわれました。そういえば、レーベンブロイ本社のCHRISTOF ECKEL氏も、ぴるぜんでレーベンブロイを飲んで、「アサヒビールの日本のレーベンですやんか」と言っておられました。
投稿者:ぴるぜんat 08 :44
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韓国のビァホールのオードブルです。
写真のように、ソーセージ・フライドポテト・鶏の唐揚げ・鱈のフライ・バナナ・プチトマト・柿・梨・ミカン・リンゴ等を盛り合わせて、約2000円ほどで、中ジョッキが約650円というのが一般的な価格でした。梨泰院のカラオケ店では、各自にOBビールの小瓶が3本と、このようなオードブルが付いて、4人で約1万円でした。市庁舎裏のホテルから南山トンネルを通って梨泰院までのタクシー代は約500円でした。
投稿者:ぴるぜんat 08 :39
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衛星写真が公開されてますよね
以前の金浦国際空港では、空港内は勿論、飛行機の離着陸時にも写真撮影は禁止されていました。空港を取り囲む塀のいたる所にトーチカがあり、機銃が設置されていました。ソウルタワーも入り口でカメラやビデオを預けなければなりませんでした。深夜に梨泰院に出掛け、カラオケを歌って明け方にホテルへ帰ってきましたが、そういう意味での緊張感は全くありませんでした。
投稿者:ぴるぜんat 13 :15
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韓国の首相が辞任 ?
鉄道労働組合のストの最中にゴルフをしていたとかで、李海NO_EMOJI_CHAR首相が辞意を表明しているという新聞記事がありました。徳寿宮正門の大漢門前で、地下鉄労組が賃上げ要求の集会を開いていましたが、その後にどんどんエスカレートしていったのでしょうか。徳寿宮からは、ビルの谷間をぬってソウルタワーを遠望することができました。
投稿者:ぴるぜんat 12 :52
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やはり南大門は見えないのでは・・・
北にそびえる仁旺山とソウルタワーが建つ南山を結んだ線上に南大門(崇礼門)があります。左の写真は仁旺山方向に撮ったものですし、右の写真は南山方向に撮ったものです。大きなビルに囲まれていますよね。やはり、ソウルタワーから南大門は見えないと思います。
投稿者:ぴるぜんat 21 :38
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南大門が見える?
「ソウルタワーから南大門が見える」というお叱りのメールを多数いただきましたが、展望台でガラスを拭いていたおばちゃんに、「南大門はどこに見えるのん?」と聞きましたが、「あの辺やけど、ここからは見えへんねん。」という答えでした。またガイドの韓州旅行社の鄭さんも、「ビルの陰で、見えませんね。」と言っていました。私達が昇ったのは3階の一般展望台でしたので、冬季で閉鎖されていましたが、その上階の野外展望台からは見えるのでしょうか?
投稿者:ぴるぜんat 13 :37
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南大門市場(ナンデムンシジャン)散策
一歩中に踏み込むと、別の世界が展開しています。手に入らない物は無いくらいに色んな商品が豊富にというより、無造作に雑多にあります。「何をさがしてますか?」、「安いよ。」、「ローレックスがあります。」、「ヴィトンは?」、「グッチは?」、「食べてみて。美味しいよ。」、「人参は?」、「海苔は?」と日本語で話しかけてきます。狭いエリアなので、通り抜けてしまえば迷う事はありませんが、二度とは同じ店に行ける自信はありません
投稿者:ぴるぜんat 21 :14
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南大門市場 (ナンデムンシジャン)
南大門が完成したのは1398年です。その頃からすでに市場があったというのですから、600年以上の歴史を誇っているということです。かっての漢城の城門であった南大門の東側一帯の、東西500m、南北250mという狭い地域に1万軒もの店があるそうです。ここに、金沢市の人口の2倍以上の人(100万人)が1日に出入りしているそうですから、混雑が想像できると思います。徳寿宮から歩いて、南大門地下商街を抜け、ゲート2辺りから市場に入りました。
投稿者:ぴるぜんat 20 :18
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ソウルタワー (ソウルタウォ)
標高265mの南山の頂上にあるソウルタワー(南山タワー)もソウルのシンボル的な建造物です。塔の高さは230mあり、南山の標高とあわせると約500mになり、ソウル市内のどこからでも遠望できました。1971年に完成したそうですが、当時は政情不安(対北朝鮮)のために一般には公開されていなかったそうです。1980年に一般市民に公開されるようになったのですが、展望台からの写真撮影は厳重に禁止されていたそうです。
午後9時過ぎに行ったのですが、展望台への2基のエレベーターは日本からの修学旅行生やアベック等の長蛇の列で混雑していました。展望台からの360度の夜景は素晴らしく、写真撮影もなんら問題がありませんでした。
投稿者:ぴるぜんat 14 :04
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南大門 (ナンデムン)
ソウルに現存する最古の木造建造物だそうで、ソウルのシンボル的存在でもあり、漢城4大門の一つが南大門です。正式名称は崇礼門と言うそうです。風水占いによって、北にそびえる仁旺山とソウルタワーが建つ南山の地脈が交わるこの場所に、1398年に建てられたそうです。ソウルタワーの展望台からはビル群に遮られて南大門は見えませんでした。このすぐ横に、狭い路地やビルに食と物と人が怒涛のようにひしめき合う南大門市場が広がっています。「階段が3段あれば商売ができる」と、地下に降りる階段(南大門地下商街)通路の半分には商品が並べられていました。徳寿宮から歩いて10分ほどです。
投稿者:ぴるぜんat 13 :18
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徳寿宮 (トクスグン)
ソウル中心部の市庁舎近くにある王宮です。市内中心部にあるために、公園のような存在です。独立運動の時には多くの民衆が集結したそうです。この徳寿宮の正門が大漢門です。大漢門前の広場で、地下鉄労組が賃上げを要求しての集会を開いていました。周辺の道路は警察官や装甲車が並び、ものものしい警備体制が敷かれていました。
投稿者:ぴるぜんat 14 :42
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