靴下の左右
在職時には、選んで「左右のある靴下」を買っていた。
基本的には「靴下に左右はない」ということになっているが、足首・踝の所に小さくて目立たない程度の模様が刺繍してあったりする。
今で言うと「アンクレット」とでもいうべきものか。
まさかそれがあることを知ったら、それを両方ともに「内側」にして履く人はいないだろう。
そして、何気なく足を組んだ時に、それが人の目につくのが「一つのおしゃれ」だと「異業種交流会」で聞いたからだった。
リタイアして10有余年経って、久しぶりにそんな靴下を履く機会に出会った。
たぶん私が買ったものではなく、家内が買ったとしても、そこまで気が付いて買ったかどうかは分からないけれど、ともかく「久しぶりの出会い」だった。
いわゆる「見えないところのおしゃれ」である。
今年70になる爺としては、「今更」と言われるかもしれないが、完全な自己満足である。
そんなことが楽しい年寄りでい続けたいものである。
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投稿者:つねちゃん
at 09 :20
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失敗があるから
先日数日間、下の孫の部屋の戸に「ぜったい、開けてはいけません」という張り紙がしてあった。
家内に「なんで」と訝しさもあって聞いてみると「戸を開けるといろんなものが連続的に動き、最後には素晴らしいことが起きる仕掛けを作っている」のだそうである。
私も好きなNHKのEテレでやっている「ピタゴラスイッチ」である。
仕掛けは続き部屋になっている、上の孫の部屋から見ることができるらしいが、私としては報告を楽しみにして見ないで待つことにした。
数日後、張り紙は剥がされていて、通常に戻った。
大体いろんな出来事を夕食時には「ねぇ聴いて」と口にするのだが、残念ながら「成功談」は聞けなかった。
そこで、余りいやらしくならない程度に「爺の失敗談」を紹介して、笑い話にしておいた。
孫よ「失敗があるから成功の喜びがあるのだ」。
一時期株か何かで突発的に億万長者になった若い人が脚光を浴びたし、MSの創始者は今でもトップの座である。
でも、彼らもそれなりに人に言えない失敗もしてきたのではないだろうか。
まぁ、年末ジャンボがあと何回買えるか分からないけれど、棚ボタ的に「ン億円」の夢は持ち続けながらも小さな失敗の毎日を楽しく過ごそう。
投稿者:つねちゃん
at 09 :06
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相撲は好きなスポーツ
基本的に「スポーツ音痴」である。
在職中にゴルフへの勧誘を何度か受けたけれど、ボールが飛ばずにクラブを飛ばしたことがあって、冷や汗をかいたことが決定的に遠ざける結果となった。
それでも体育会系のクラブに入るのが、一つのテーマだったこともあり、月謝を払っていたから貰えた資格としては、柔道は初段で黒帯、合気道は4級、である。
そんな私だけれども、「相撲」は昔から好きなスポーツである。
もちろん「観戦」だけだが。
でも、それに限らず、基本的にリアルタイムで見るのはやらないようにしている。
なぜかリアルタイムで応援している力士を見ると、大概負けるのである。
で、昨日の稀勢の里の相撲。
実は見る気はなかったのだが、偶々ビデオを見ていて、その途切れた時に照ノ富士戦だった。
やはり気になる力士だし、元々好きな力士だったから、前日の取り組みが気になっていたこともあり「負けても良いから、横綱らしく」と思って応援しながら見ていた。
案に相違して、勝ったのだ。
その後結びの一番での一戦があって、優勝決定戦。
ここまで見たのだから、見ない訳にはいかない。
そして、見事に勝利して優勝。
思わず涙が出てきた。
でも、これからも結果が分かったビデオで応援しながら見ることにしよう。
涙を流すのは、やはりあんまりやりたくはないから。
投稿者:つねちゃん
at 06 :23
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読書感想文
一日一項目と決めて読んでいるので、なかなか「読了」に到達しなかった本である。
「健康の秘密365の知恵」副題に「驚異のスタミナ! 刺激作用と若返り!」(大沼晶譽編 日本文芸社刊)である。
昭和55年発行となっているから、多分父が買ったものだろうが、買ったことを忘れたのか、それとも感動したのか分からないが、同じものが2冊あった。
ネットで調べてみたが、既に絶版になっているようである。
正直、365ポイントを示してくれているが、かなりの所で「これやってみようか」というものがある。
もちろんズボラな私だから、色々と細工が要る様なものは、読み飛ばしているから、「かなりの所」と言っても数えていないが、10数か所という所だろうか。
時々、なんかこんなことに役立つものがないか、とパラパラめくりで探し出すのが楽しみだったりする。
継続しているのが、起きてすぐ布団の中で出来る「人差し指の付け根揉み」である。
これは便秘解消に効果があるとされているので、便秘解消ではなく、快便の効果があれば、ということで期待している。
1冊はリサイクルに出したけれど、残りは蔵書として保存しておきたいと思っている。
投稿者:つねちゃん
at 06 :42
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養生訓で見つけた楽しみ
2012年に買って、今回で3度目の書き写しをしている『養生訓』で「これなら私にもできるかも」と思ったことに出会った。
ご存知のように『養生訓』には現代医学的に見ても「違うだろう」というようなことも多くあるようだけれど、なぁーに、こちらとしては出来て効果がありそうだなぁ、という項目だけの「良い所どり」をすればいいだけの話だから、学術的かどうかなどは問題外である。 そんなことだから、本件についても「異論」などは全く受け付ける気はない。
「人生の三楽」という説である。
現代語訳で「およそ人間には三つの楽しみがある」との書き出しである。
現文に興味がある方はどこかで読んでいただければいいので、割愛して、私なりの「要約」である。
一つ、心得違いをせずに「善」を楽しむ、
二つ、健康で気持ち良く楽しむ、
三つ、長生きして長く久しく楽しむ。
ここで「善」とは何か、「楽しむ」とは何をか、という疑問がわいてくるのが自然であるが、これは人それぞれだろう。
でも、これを思ううだけで「なんだか生きて行く楽しさ」が見えつつあるのではないだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :25
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孫の発表会
音楽教室に通っている孫の発表会があり、息子からの連絡で家内と聴きに行った。
舞台衣装もそれなりに綺麗で、エレクトーンを弾くので、足元にも綺麗なそれ用の物(名前などは全く知らない)を身に付けていた。
始まる前から気分がハイになっているのか、全く物怖じする気配がない。
演奏会場での写真撮影は禁止されていたので、聴くだけになったが、その分「聴く」ことに集中できたので、十分満足だった。
トップバッターであるが、指導された舞台の立ち位置でしっかりとお辞儀をして、約1分間の演奏である。
私自身は音楽にそれほどの知識はないが、所々「えっ、外れていないか」というのがあったけれど、全体のリズムがそれをかき消してくれた。
演奏後も、立ち位置できちんとお辞儀をして、落ち着いて舞台の袖に消えた。
先日の卒園式でも、同級生の子らより頭一つ大きく育った孫に、爺バカは惜しみない賛辞を伝えた。
投稿者:つねちゃん
at 08 :40
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勝手な言い草
お経の本を読んでいるからとて、その瞬間はそれなりに「よし、解った」となっているようだけれど、読後1分も経たないうちに、どこか遠くへ飛んで行ってしまっている自分が居る。
それだから、色々なことを「やろう」と言っていても、「勝手な言い草」を並べ立てて、パスしてしまう自分が居て、なんだかとても面白い。
人は亡くなってから49日間は霊として身近にいるという話を聞いたことがあるが、そんな時「勝手な言い草だなぁ」と言いながら漂っているのかもしれない。
もちろん実体は無いのだから。それで特別何かが変わる訳ではないから、多分微笑んで見ていることになるのだろう。
まだ決してそんな姿に憧れている訳ではないが、場合によったら両親の霊が、そのように思いながら微笑んでくれているのかもしれない。
そう思うと「お目こぼしをしてね」と甘えたくなる現爺が居てもおかしくは無かろう。
投稿者:つねちゃん
at 06 :24
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球根が分からない
昨年、父が世話をしていて、その後10年以上もほったらかしにしていた前庭に数個あったプランターを整理した。
プランターはプラスチック製の物なので、ボロボロの状態で捨てるしかなかったのだが、土は畑に使えるだろうということで、篩にかけて石などと整理した。
その中にいくつもの球根があった。
長い間、葉さえも出ていなかったもののようだが、家内に聞くと「多分水仙だったろう」ということで、名札を付けて保存しておいた。
チューリップは何年か前から追加で購入したものがあり、それはそれで整理しておいた。 それを昨年末に名札をつけて再利用だけれど見っともなくないプランターに植え付けておいた。
ところが、知らないことは恐ろしく楽しいものと、自然の力強さに今更ながら驚いた。
水仙だと思っていた球根が全てチューリップだったのである。
それも、何年も葉さえ出さなかったもので球根自体も小さかったものが、さすがに購入したものほどではないけれど、それなりの葉が出てきているのである。
今年は、買ったものの色は分かっているけれど、10数年前の物がどんな色でどんな形の花になるか、楽しみである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :44
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麻将ネタ
健康麻将については、以前にも紹介したが、メンバの中には「初心者」という方々もいらっしゃる。
そんな中でよく出る話題が、「私こんなに良い手だったのだから、あんたそんな安い手で上がったら困るわ」とのことである。
私も何度かその方たちの指導に回ったことがあるが、「先生そうでしょう」と言われて、これには困ってしまった。
最初の頃は「ともかく手を揃えて上がること」に中心をおいて指導してきたのは、何人かの指導する人の中での合意事項だった。
ところが、慣れてくると「より高い手で上がる」ということを目指すのはどこでも同じであろう。
そんな中で出てくる一つのジレンマである。
ところが、人を指導しているこちらとしても、時折そんなことがある。
先日も「四暗刻」のイーシャンテンで、「好牌先打」というセオリーに基づいて捨てた手に「仕様が無いから上がっておこうか」という声とともに「ロン」。
平和の1000点で上がられてしまった。
みっともないから、すぐに自分の手を崩したけれど、声に出さないだけで、気持ちは初心者と同じで笑う訳にはいかない。
投稿者:つねちゃん
at 06 :47
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散歩コースをトレース
昨日と同じ散歩ネタになるが、就職してから、36年、自宅から通ったのは10数年で、そのほとんどは「寝に帰る場所」だった。
7時には出勤し、帰宅は11時近くになっている生活だった。
決してブラック企業という訳ではなく、飲みにケーションが多かったせいである。
だから、どこにどんな場所があるかは、かなりあやふやである。
で、散歩の後を住宅地図帳でトレースすることにした。
それとともに、神社、仏閣などについては、できるだけ立ち止まって形だけかもしれないが、手を合わせることにしている。
ここが話題になった所か、という所が、改めて知ることができて面白い。
記憶力は低下する一方だから「覚える」ということは難しいかもしれないが、「へぇー」の連続だけでもいいと思いながら続けたい。
投稿者:つねちゃん
at 06 :23
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今更ながら気が付くこと
3月に入ってから、雨や雪が降らない時にのみ、朝の散歩を再開した。
特別痛むわけではないが、やはり「無理はしない」ということで、基本的には45分以下に抑えようとしている。
ところが、例年そうなのだが、これから彼方此方で、梅、桜をはじめいろいろな花がほころび始める。
名も知らない花や、確か教えてもらったことがあるのだが、というような花も「やはり野に置け蓮華草」ということで、見るだけで楽しくなる。
そんな中、今まではほとんど気にしなかったことに気が付くことがある。
これからもこのような「ネタ」で書かせてもらうことがあるだろうが、今日は「お墓の向き」である。
墓相などに気を付けることは全くないから、その手の迷信やヘンな商法に左右されることはないと思っている。
先日の散歩の時、我が家の墓のある墓地の前を通って気が付いたことである。
離れたところから、どんどん近づいていて、殆どの墓がまるで「モアイ像」の如く「東向き」に立っていることである(モアイ像がどちらを向いているかは知らないのだが)。
仏教では多分みんなそうではないかと思うが、少なくとも我が家の「浄土真宗」では「西方浄土」と言われているから、人間界から「十万億仏土」というとてつもない遠方らしいが、やはり「西向き」であるべきではないのだろうか。
そんなことを思いながらの「新発見」も楽しいものである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :04
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「庵点」というものをご存じだろうか
いゃー、またまた楽しい学習ができた。
表題の漢字がまず読めるだろうか。
書き写しは基本的に「手書き」なのだが、ある種の記事については「PCでの書き写し」をやっている。
目的が全く違うから、混乱することは全くないのだが、そんな中で先日一つの「学習」ができた。
表題の漢字は「いおりてん」と読みます。
そんなの分かっているわい、という方も多いでしょう。
でも、私は「民謡などの歌いだしの時の歌詞の先頭に書いてある記号」としか認識しておらず、ましてや「読み方」などは全く知らなかった。
これをPCで表示させるときに、IMEにどう呼びかけるか。まずは「記号」で、見つからない。
Wordを立ち上げて「挿入」「特殊文字」とやると確かに出るのだが、「機種依存」ということになっているので、使えない。
そこで、ネットに素直に「歌い出し記号」で検索すると、見つかった。
でも、やはり「機種依存」で表示はできなかったけれども、それにして「新しい発見」に間違いなかったので、学習の楽しみがまた増えた。
投稿者:つねちゃん
at 09 :11
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快食、快眠の次は
タイトルに対する答えは、各々によって違うだろうし、その置かれた環境によっても違ってくるだろう。
若かりしときは、一も二も無く、S〇xだったのは、たぶん私だけではなかったのではないだろうか。
特別私だけが「好き物」だったということはなく、現代の様に「草食人間」という男性はほとんどいないか、ごく少数だったろう。
と、自分の「助兵衛さ」は「今は昔」ということにして、現時点での私の答えは「快便」だろう。
幸い、便秘症というほどのことはなく、量の多寡はあるが、毎日お通じはある。
ところが、ここ数年、メタボのバロメーターの一つの「腹囲」を毎朝測っているのだが、目標の85という数値には、瞬間風速的には時々お目にかかるが、なかなか持続できないのは、やはり十分な排泄が無いからだろうと思っている。
本屋へ行くと「無理なく排便」というような本があるかを探すのが常である。
何とか、少しずつでも「下腹ぷっくり」を改善したいと思って日々それなりに励んでいる。
でも、食べ物が美味しいのだよなぁ。
投稿者:つねちゃん
at 06 :36
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出版に向けて
以前から時々耳にすることに「あれを出版してみたら」というのがある。
最初のうちは「誰も買わないよ」という気持ちがあり「嫌々、お恥ずかしい、お目を汚しております」と断り続けてきたのだが、なぜかここ数年前から「良い印刷所を知っているよ」とか、勝手に具体的な話を進められそうな状況に「何とかも煽てりゃ」で、それじゃ「木に登ってみようか」という気持ちになりつつある。
内容は「新聞投稿」である。
基本的にはこちらの地方紙なので、全国的なものではないから、読者はごく限られた人になる、と思っていた。
それが、意外と遠方の人が知っていたりする。
誰かは分からないが、どうもコピーしたものか切り抜いたものを送っているらしい。
一度は犯人(?)探しをしてみたが、誰も出てこないので、特別迷惑を被る訳ではないので止めた。
で、新聞社に問い合わせると記録が残っているものから数えると300通を超えるという。
それなら「本」にしてもそれなりのボリュームになるだろうと考えて、「その気」になって準備を進めている。
時期的には秋くらいには「初出版」になると思うけれど、もちろん「売る」という気持ちは、まるっきりない。
少し私が「生きてるよ」ということをお伝えして、かつてお付き合いのあった方に進呈したいと思っている。
投稿者:つねちゃん
at 08 :36
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落語の楽しみ
落語は、同じ噺を何度聞いても面白い。
あらすじを空で言えるほど覚えていても、同じ噺家さんだったとしても、実際の噺家さんが話すと、やはり素直に楽しい。
それは、やはり「マクラ」ではないだろうか。
噺家さんは時節ばかりではなく、その時の事件や各種の話題なども巧みに盛り込んだマクラを形成し、それを本来の演題につなげる巧みさが面白いのではないか。
よく「講談師、見てきたような嘘を言い」というが、噺家はそれが殆ど事実だということは、むしろ聴衆の方が知っているのに「まぁ、落語家の言うことの殆どは嘘でございますから」と開き直ってみせる。
こんなふうに、半ば本気に、半ば茶化して、知らず知らずのうちに演題に引きずり込んでいるのである。
今日もま、そのマクラに楽しく引き込まれた。
だから、というとあちらこちらから叱られそうだけれど、以前は偶に買っていた落語のビデオやDVDなどは、最近は買わないことにしている。
同じ噺は何度聞いても楽しいけれど、やはりマクラは「生きている」ものでないと楽しくないと思うから。
投稿者:つねちゃん
at 06 :33
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「たのんちゃ」
先日夕飯の時に友人から携帯が入った。
長くかかる件ではなかったので、その場で用を済ませたのだが、最後に「そんなんで、よろしくタノンチャ」といつもの様に言って電話を切った。
終わってから、小5の孫娘が「『タノンチャ』っておかしい」というので面食らった。
そうか、今の小学生では、ほとんど使わない言葉だということを知った。
尤も「ほとんど」ということだから、意味は分かるし、「偶には」使うこともあるとのことだった。
最初に本社勤務になり、それでも以前やっていた仕事がほとんど一人の仕事だったので、引継ぎは十分にしてきたつもりだが、やはり細かい点での質問が電話で来た。
地声が大きいので、周りには隠しようがない。
もちろん隠すようなことではなく、純粋に技術的な話だったので、こちらも誰に憚ることもなかった。
ところが、何度かの後に、先輩から「お前の言っていることがまるで分らない、一度説明してくれないか」ということになった。
当時「応用プログラム」の経験者はそれなりにいらしたのだが、ミドルソフトというか制御系の経験者はあまりいらっしゃらなかった。
それで、仕事が一通り終わって、談話室で5−6人集まっての説明会がなされた。
一応地元からの質問の趣旨と説明内容を粗々まとめて青焼き(昔コピーのことをこう呼んでいた)で配っておいた。
もちろん私の出来る限りの標準語で。
喋っているうちに、だんだん調子が上がっていき、北陸弁がどんどん出るようになった。
そこを先輩が指摘してくれて、それからはだいぶん標準語に近くなったものである。 でも、その後何年かで、いわゆる「出張族」という部類になり、全国の言葉がみんなミックスして、いい加減だけれど、それなりに通じることになったのは、得したのだろうか。
それがつけ焼き刃だというのが分かったのが、リタイアして15年も経っての今である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :20
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健康麻将でも「品よく」
健康麻将を始めてまだ半年と少しであるが、そろそろ各人の「地金」が見え始めている。 「おっそれ」と言われるから上がったのかと思ったら「良く通ったなぁ」という単なる感嘆の声だったり、それぞれの人が育ってきた世界での掛け声だったのだろうが、自分のことは棚の奥にしっかりと仕舞っておいて言うならば、やはり正式な言葉を発するべきだろう。 「ポン」「チー」「リーチ」「ロン」は標準語を使って欲しいものである。
もちろん普通の会話も交えて楽しくやるのが、本来の目的の一つなのだから、何かの選手権などに見られるような雰囲気にはなって欲しくない。
「和気藹々」の中にも「親しき中にも礼儀あり」だろうと思う。
泣いた牌の向け方や、リーチ後の牌が分かる様に等など、細かいことまでを言うつもりはないけれど、それをしっかりとやっている人と対局していたり、傍から見ているだけでも楽しくなる。
何につけても「品よく」ありたいものである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :10
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総会模様
リタイア後の学習の一環として、以前にも紹介したと思うが、一時期「高校生」になった。
入学試験もあり、その時は2.4倍の競争だったと後で聞いた。
そして平成17年度の卒業生になった45人。
残念ながら今年の総会では物故者は3名。
毎年、卒業式の日を「総会」として富山県の各地区担当に準繰りで幹事をしてもらい、楽しく過ごしてきた。
恒例は美声の持ち主のおわら節を全員で踊ることである。
今年で11回目の総会となった。
数年前から参加者の減少が目立ち、昨年に「今後15名を切れば、この会を終わらせることにしたいが」という諮問がなされていた。
果せるかな、今回は14名ということになり、15名を割り込んだのだが、「どうしても都合が悪い」という人が「次回はぜひとも参加したい」という意思もあったので、結論は次回の案内にその旨明記して出して結論を得ようということになった。
それはそれとして、会自体は相変わらず賑やかなもので、盛況のうちに楽しく過ごすことができたのは、やはり良かった。
次回は私が所属する地区が幹事役であり、それなりに工夫を凝らしたいものである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :26
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助平心は治らない
たまには下衆な話も楽しい。
毎朝まだはっきりしない意識の中、布団の中でそれなりに運動をしている。
その中に「局部」を「鍛える」訳ではないが、「退化しないように」という意味で続けていることがある。
寝ながらだから「チン立て」ではないが、おへその方に向かって擦り上げる運動である。 腹式呼吸を挟んで各10回ずつ行っている。
正直、これが役に立つ時がやってきてほしい、と思いながらも、本当にやってきたら困るだろうなぁ、等と思いながらである。
でも、これが意外とおぼろげな意識を覚醒するまでに役立っているような気がする。
一般論的に言えば「あって欲しいような、あって欲しくないような、でも万が一あった場合に困らないように」という助平心とともに覚醒運動の一環である。
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投稿者:つねちゃん
at 08 :47
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