2018 年9 月26 日
2018 年9 月25 日
ボランティア
リタイア後、幾つかのボランティア活動に参加していた。 今では、交通安全の街頭指導だけになっている。 精神は理解できるが、内部に入ってみると、意外と「自己顕示欲」の強い人がいて、閉口してしまったのが原因である。 そんな中で、今度の五輪ボランティアについて色々なことが報道されている。 精神的ばかりでは無く、金銭的な余裕がない人は、とてもじゃないけれどできないのではないかと思ってしまう。 それらの条件を超えて参加される人には頭が下がるけれど、果たして「参加させる人」は同じ条件で活動されるのだろうか。 今は参加していないが、少なくとも、参加している時には「させる人」と「する人」は同じ条件だったのだが。 勿論私は高い旅費と宿泊費を費やして活動す気持ちになれない。2018 年9 月21 日
総裁選
自民党員や党友になど成ったことも無いし、成る気にもならないから、殆ど関心がなかったけれど、いしばし石破氏がどれだけの得票を獲得するかで「独裁姿勢」が少し弱まるのではないかと言う期待を述べる報道もあったから、そういう意味でのドサクサになるという期待も個人的にはしていた。 でも、最初から勝敗が分かっている試合などには、基本的に興味がなかった。 また、評論家と言うのは、相変わらずいろいろな情報をかき集めては、囃し立てるので、同じ穴の狢の類という意味では面白かった、と言うのが本音である。 選挙戦の中で「恫喝」や「動員」などの無茶な仕業も、ある意味で興味をそそったのも事実である。 そんなにしてまでも総理の座にしがみつきたいものなのだろうか。 韓国では、前政権者の殆どが「弾劾」されているのに、この国では、結局「なぁなぁ」の世界に持ち込まれるのだろうか。 それにしても、この間の野党は「眠って」いたのだろうか。2018 年9 月20 日
季節の変わり目
毎朝健康のバロメーターとして、体重、腹囲と血圧を測っている。 先日「まだまだ残暑が厳しいことがある」との予報だったので、天気と気分が良い時に散歩をしようと今月に入ってまだ数回にしかなっていないのだが、薄着にして、血圧を測ったところ、最初が153ととんでもない数値になった。 深呼吸をして2度測っての平均がようやく140になったので、これなら大丈夫だろうと散歩に出かけた。 約45分の散歩をして測ると、どうにかいいつも通りの133に落ち着いていたので、一安心だったが、血圧にも「季節の変わり目」があるのだろうか。 特別何をする予定もなかった(かと言って「今日用」はあるのだが)ので、いろいろと考えてみたら、思い当たることが一つあることに気が付いた。 今まで通り薄いパジャマと、薄い掛け布団だったことである。 以前何かで「体が冷えると、血液を激しく循環させなければならないから、血圧が高くなることがある」と聞いていたから、これだろうと思った。 でも、季節の変わり目であることは間違いがなく、布団や着るもの等もこまめに選ばなければ、と改めて思った。2018 年9 月19 日
爪先絆創膏
ちょっとした不注意から右手の親指の先、左手の人差し指の先を次々に切ってしまった。 右手は今年豊作の栗のイガが刺さったもので、最初は、栗の数が多かったから、痛さも堪えられるくらいだから、そのままにして数日たってしまった。 ところが、これが悪かったのだろうが、膿を持ってしまい、痛くて堪らず、結果的に皮膚科に罹って対処してもらった。 取れたイガの大きさは肉眼では確認が難しいほど小さなもので、0.3mmくらいしかないのだが、これがこんな痛みの元になるとは思っても見なかった。 同様に栗によるものだが、新しく買った栗の皮むき器の汚れを取るために、刃先を素手で触ったからである。 両方ともに爪先絆創膏のお世話になったのだが、この間の不自由さには全く困ってしまった。 これからは、動作は遅くとも、着実に気を付けてやることにしよう。2018 年9 月18 日
栗のイガの棘
幸い今年は、なにが原因だか不明だけれど、栗が豊作である。 尤もその分、栗の葉が陽を遮るので、胡瓜などの夏野菜は、残念ながら思ったほど収穫ができなかった。 来年は、栗の木を思い切って剪定して、完全ではなくとも夏野菜にもそこそこ陽が当たるようにしたいと思っている。 それはともかく、真っ茶色に成熟した栗が雨や風でポトポトと落ちてくれるのには感謝している。 以前のように痛くて堅いイガを剥いて実をほじくり出す苦労が大分助かっている。 とはいうものの、やはりイガのまま落ちてくるものもあるので、分厚い皮手袋で剥く必要がある。 先日「痛っ」と思ったけれど、まだ剥かなければならないものがあったので、そのままにして置いたのだが、どうしても痛くて堪らなく病院に行った。 取り出してみると、近眼と老眼の目では、確認するのが難しいくらい小さな刺が刺さっていた。 「こんな小さなものがこんなに痛い原因だったのか」と今更ながら驚いたが、栗の棘だけではなく、これからは「その時」に対処するように心がけよう。2018 年9 月14 日
人を責める
政治家やお役人など「税金で飯を食わせてもらっているのに、偉いと思っている輩」には、個人名こそ出さないけれど、このブログや新聞投書などで嫌味や批判をしている。 けれど、一般の人に対しては、「それもこの人の生きる道」と是認して、決して責めることは無い様にしたいと思いながら、文章を綴っているつもりである。 尤も、この趣旨で書いているつもりだけれど、基本的に「お役人批判」や「政治家批判」は投書しても採用されるのは多分僅か1%未満だろうと思う。 この原因は、当然私の文集力の稚拙さからだろうが、どうもそればかりでは無さそうである。 というのも、全体としてその様な趣旨の物が採用されている率も多分それに準じたものだから。 別に「統計学的」に分析するほどの気持ちはないが、これが「忖度」や「出版差し止め」などのように別の圧力からだとすれば、怖いことである。2018 年9 月13 日
無理をせず「長く続ける」をモットーにしよう
書き写しは、時には「今更こんなことをやったって何の意味があるのだろう」と思うことがある。 10数年続けてきたけれど、格別文字が綺麗になった訳でもないし、書いたことを覚えていて何かに役立つような経験も思い当たらない。 で、「何のためにやりだしたのだろうか」と思い起こしてみると、在職中に文章を書く道具として、余りにもパソコンやワープロ、タイプライターなどを使っていた。 リタイアして当時まだ幼稚園児だった孫娘に「これどうやって書けばいいの」と聞かれて、掛けずに困ったことが発端だった。 と同時に「指先を使えばボケ防止になる」ということもあった。 初心に帰って「無理して長い文章を書くのではなく『短くても続ける』ことが大事」と思い直した。 少なくとも「辞める」と言う選択肢よりは、良いのだろうと思い直して、明日からも続けよう。2018 年9 月12 日
不法侵入
昨日「待ちわびたい」と締めくくったのだが、今朝の散歩で、まだ工事中だが、早朝のことで、作業などは始まっていない、新駅舎に不法侵入してしまった。 言い訳になるが、天気予報が曇りから晴れになるとのことだったし、順延になっていた中学校の運動会も、今日行われることになっており、二人の中学生の母親の娘も、グランドの水捌けのために早朝から出掛けて行った。 私も少し書き写しでマゴマゴしたことがあり、予定より15分ほど遅く散歩に出かけた。 当然傘などの雨具は持っていなかった。 駅に差し掛かり、新駅のとうじょう昇降口にあたる所に建物ができていたので「雨は凌げるだろう」ということで、雨宿りのつもりだったのである。(ほんとかなぁ) コンクリートのむき出しの階段が「頭上注意」の看板があるだけでどうやら通れそうであるので、結果として不法侵入になってしまったのである。(ほんとかなぁ) 細かいことは別にして「これなら期日までには十分間に合いそうだ」という思いをして、入ってきたところに戻り外を見ると霧雨程度になっていた。2018 年9 月11 日
新石動駅舎の完成を待ちわびる
11月27日から、新石動駅舎の利用が開始されるとの報道である。 図書館が移設されるのは、来年度になるとのことだが、それも合わせると楽しい「新散歩コース」ができそうである。 散歩は無理をしないようにと「往復45分以内で約5000歩」と決めているのだが、どうしても景色浮気性が出て、あちらこちら回ってしまうが、目標ができると少しは浮気性も減るのではないだろうか。 難しい課題はあるだろうけれども、出来るだけ営利を目的としないようなオープンスペースを作って、気軽に立ち寄れる場所であってほしい。 もう2カ月余りだけれど、空想しながら待ちたい。2018 年9 月10 日
読書の時間を増やす
朝と就寝前のルーチンとして、短い文章を「音読」することはもう何年も続けてきている。 これは、自分で「滑舌」の衰えを防止認識するためである。 先日「夏の片付け」ということで、身の回りを整理していたのだが、買ってからもう1年近く経っているけれど、数ページしか目を通していない本が数冊出てきた。 ハウツー本、精神修養、宗教、PCの利用知識などである。 少し場違いなものに「エネルギー産業の2050年」と言うものも1/3ほど読んだまま放置されていた。 また、クイズ本(主に漢字の)も数冊ある。 それだけで、机の上が狭くなっている。 これはまずい。 そこで、朝夕ではなく、気温も落ち着いてきた今月から、日中に1時間程度の「読書(できれば音読)の時間」を設定することにした。 果てさて、いつまで続けられて、少しでも机の上が広くなりますでしょうか。2018 年9 月7 日
心配だけれど
在職中の同僚や部下などが何名か北海道の札幌市中心に住まいしている。 今回の震災に当たっては、心配するばかりで、具体的にはどうすればいいのか分からない。 九州の被害があった時には、いち早く同僚メールと言う方法で、「本人は大丈夫だといっている。今具体的に何が欲しいというほどでは無いので、この方法で追々連絡させてもらう」ということでの連絡が九州担当のメンバーからあったので、暫くしてから、わずかだけれど「義援金」と言う名目で送金させてもらった。 今回の場合、TVなどでの報道が大変さを伝えてくれているが、そんな中に電話を掛ける訳にもいかず、メールだって読むだけの余裕があるかどうか分からない。 横着だけれど、暫く落ち着いてから連絡を取ってみようと思っているが、やはり気になってしようが無い。2018 年9 月6 日
自分は天の邪鬼?
基本的に貧乏人の端くれをやっているから、少し無茶な論法を表示しても、さほど相手にされないから、気軽に「天の邪鬼」を楽しむことができる。 特に、権力者、と言われる人の悪口や悪評には、興味津々である。 先日の「トランプの思考は小学5−6年生程度」はまさに常日頃思っていた通りだと笑ってしまった。 本を購入して読むほどの興味はないし、多分原文を読まなければ翻訳文では伝わってこないだろうし、原文を読むだけの根気が無いからそれはしない。 中国では「プーさん」の上映が禁止されたとのことも、笑ってしまった。 我が国の総裁選(総理大臣選挙)では「正直、丁寧」と言う言葉は「使用禁止」になったとか。 ある省では「議事録に発言者は書くな」との指示が出たとか。 そんな情報を見て楽しみ、せいぜいこのブログで書いている程度では、貧乏人の楽しみと許される範囲だろう。2018 年9 月5 日
やっぱり学習は楽しい
何度も紹介してきたが、まだまだ「知らない事」が沢山ある。 今回は「地歩」の読み方だった。 意味はしっかりと理解しているつもりだったし、結果的に間違いは無かったのだが、従来は「じぶ」と読んでいた。 今回は「これで本当に正しいのか」という思いに駆られて、電子辞書で「じぶ」と繰っても該当の意味の言葉は出てこなく、正直あせってしまった。 ネットで調べてようやく「ちほ」だと分かった。 意味はほぼ間違っていなかったが、記憶にはないけれど、こんな言葉を使っていたのではないかと、今更ながら赤面してしまう。 誰からも注意されなかったのは、前後の関係から理解してくれたのか、それとも後ろを向いてせせら笑っているからだろう。 諸姉諸兄も「当たり前」と思っていることを偶に調べてみると新しい発見があるかもしれないですぞ。2018 年9 月4 日
パソコンゲーム
随分長い付き合いをしているパソコンゲームに、古いパソコンから入っていた「フリーセル」というゲームがある。 ゲームには番号が振られていて、始めてから暫くして「どこまでやれるか」ということで、表計算ソフトに完成日を記入して今までやってきた。 先日91000番台に突入した。 ゲームをおやりになった方は分かるだろうけれども、どうしても私には解けないものが200個ほどある。 90000件のうち200件だから、そんなに成績が悪いとは思っていないのだが、番号が大台になるたびに、それまで未解決だったものを一通りやってみているのだが、時折「えっ」と思うほど簡単に解けることがある。 在職中は流石に「頭休め」だけでやっていたが、リタイアしてからにしてももう17年も経っている。 番号はまだまだ続くけれど、ささやかな罪のない「頭の体操」を兼ねたゲームである。2018 年9 月3 日