判決は「見せしめ」であるべき
最近の事件は、色々な「想定外」の原因や方法になっている。
そのたびに判決は「前例に基づき」という事に成って居ないだろうか。
今まで無かったことなのに「前例」等あるはずもなく新しい判決をするのが怖いだけになっているのではないだろうか。
その結果として「この程度」という事になって「前例を超す」判決にはならず、どんどん刑罰の低さに傾いているのではないだろうか。
だとすれば、犯罪者だって「この程度で許されるさ」と高をくくってしまうだろう。
裁判官としては「見せしめ」と言われようと、新しい犯罪につては、きっちりと「前科者」というレッテルを張るだけの厳罰で処して戴きたい、と裁判素人は思うのですが。
投稿者:つねちゃん
at 06 :12
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やっぱり駄目な国会等の質疑応答
偶々先日「何もしなくていい時間」ができたので、写っていた予算委員会などを見ていた。
野党の皆さんは、相変わらず「おかしいじゃないか」「もっとしっかりやれよ」という実体のない言葉で質問されていて、対する与党や大臣の皆さんは、蛙の面に小便的に「このように考えて、しっかりと努力しています」の繰り返しである。
リタイアして20年余りだが、現職の時にこのような会議をやっていたのでは、誰も相手にしてくれなかったことを今更ながら思い出す。
質問する側は「具体的にこの事は何時までにこのようにすべきで、その期限が終わったら『誰もがわかる数字』で説明しろ」と言えば、答弁する方も逃げるに困るのではないか。
もちろん一朝一夕で出来るとは思わないが、少しでも緊張感が出て、見てる方も分かるのではないか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :32
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やり方が正しいとは思わないけれど
残念ながら、色々な分野で「最先端」を走っていた我が国が、現在では、殆ど「出る幕」が無くなっているようだ。
私自身はすでに第一線から退いているから、愚痴にしかならないけれど、やはり残念である。
取られた国は隣の大国であり、金に糸目をつけずに第一線の人をヘッドハンティングしてくるのだから、魂を売ったとは言わないけれど、矢張り資本主義の世界では、「お金は命の次に大事」という事で、自分の生活を豊かにするには仕方ないのだろう。
そして、その糸口を見つけて、より一層の研究陣を充てて研究を深めれば、直ぐに追い抜かれてしまうだろうことは目に見えている。
今更「国を売った」などと時代錯誤的なことをいうつもりは無いが、何かしら手を打たないとだめなのではないだろうか。
やはり「金で繋ぎ止める」しかないのかなぁ。
投稿者:つねちゃん
at 06 :36
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阿保な役員に阿保な大臣
幾つかの省で「落ち着いてみれば、我々一般庶民でも『これはミスだ』という事がわかる」原稿を「言われるがまま」読み上げる大臣の醜態が曝け出されている。
数字の桁間違いなどはまだ笑って済ませられるものなのかもしれないが、言葉の意味が全く違って受け取られるような間違いは「本当に意味が分かって読んでいるの」と思わざるを得ない。
それを担当大臣のみならず、総理大臣も「誠に遺憾に存じます」とかつて流行った流行語を並べ立てている。
その責めも「訓告、戒告、厳重注意」と頭の上を通り過ぎるだけの言葉でおしまい。
そんなことを繰り返していたのでは、到底改善などは望めまい。
八百屋で新鮮魚介類を求めるほど無理な話なのだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :44
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新聞の濡れ防止
もうずいぶん前から始まっていたことだが、雨天などが心配されるときに配達される新聞は「濡れ防止」のために薄いビニール袋に包まれている。
まだ中学生の頃に、約1年間新聞配達のアルバイトをやったことがある。
家が然程貧乏だったという訳でもないが、さりとて裕福には程遠い環境だったのが主な原因ではなく、いわば「流行り」だったのである。
その頃には、何度か「濡れていて読めない」と苦情が入って叱られたものだったことを思い出すと、隔世の感である。
それとは別に、皆さんはこの袋をどう扱われているだろうか。
今は畑の産物もない時期なので、大きめの袋に「積んどく」だけなのだが、そろそろ春畑の準備だなと思い、丁寧に引き出して、整理してみると80枚近くになっていた。
これで春畑の準備の一つができた。
投稿者:つねちゃん
at 08 :53
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読書感想文
今回は「性に関する諺事典」(志賀貢 著 ワニ文庫 刊)である。
どうもこれは、私が買った本だったような気がする。
この手の本は、在京の研修生時代に、間違いなく「学習のための本」を探しに行った結構大きな本屋さんのとある隅っこの方に「エロ丸出し」の本ではなく、「好き者のための本」と言うようなものが、品よく並べられてあった事を朧気ながら思い出す。
黒ペタ塗りの外国の本や、すれすれの日本製の本は「それと無く分かる」陳列の仕方だったが、この手の本は「えっ、こんな所にこんな本が」と言うような所だった。
紹介は、例によって章立ての紹介にするが、その終わりに「えっ。と思ったことのタイトルだけ」を抜き書きしておいた。
1.男と女、こんなに違う性の話
2.名器ってホントに有るの?!
3.大きいことは良いことか…な?
4.男のための強精食 常識のウソ
5.女の熟れ頃、食べ頃を知ってますか
6.楽あれば苦あり 性の悩みごと
どうでしょう、結構惹かれることではありませんか。
・一盗、二婢、山妾、四妓、五妻 それだけの甲斐性が有るか
・春三、夏六、秋一・冬無 何時、何回が適当か
・ペニスは使わなければ弱くなる 使い方によるのかな
・鬼も十八、番茶も出花 頃合いが大事
でも、結局は「女房と味噌は古いほど良い」と言うではありませんか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :21
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今年の一つの目標
大分遅れているけれど、今年は「時間貧乏性からの少しの脱却」を目指そうと思って居る。
昨年までは、日々の予定が、それなりに埋まっていないと、なんだか「サボってばかりいる」と言うような気持になっていた。
これが私の「時間貧乏性」の起源である。
在職中から、この癖が付いていたのだが、一つは「コンプレックス」があったからだと自己分析している。
これは決して「後ろ向き」ではなく、自分は頭もさほど良くなく(これは卑下ではないのだが)、要領だって他人様から見れば決して良い方ではない。
だとすれば「粉骨砕身」の気持ちで「常に何かしていないと馬鹿にされる」と言うものである。
リタイア後も、Outlookの予定表には「休憩時間」も含めて「アイドル時間」と言うものは極力無くするように埋めていた。
これを今年から「6割にしよう」と決めたのである。
果たして年末にどのようになったか、楽しみと不安である。
投稿者:つねちゃん
at 09 :01
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読書感想文
昨日に引き続いての感想文である。
「(どこが間違っている?)言葉の一分間雑学」(矢橋 昇 著 三笠書房 刊)である。
6月30日から音読を開始し、1月13日に完了した。
これも同社の「知的生き方文庫」の一冊であり、父の蔵書だった。
これには「ちょっと本来の意味や言い方とは違っていませんか?」と言うものが並べられている。
著者は1935年生まれとなっているから、奇しくも私と一回り違う亥年生まれなのだろう。
と言うけれど、それとは全く関係ない。
幾つも並べられているものに「えっ、これって間違いだったの」と言うものが結構あって、楽しく音読させていただいた。
例によって章立てで紹介させていただくが、章名の前の一言が読む楽しさに繋がることだろう。
1章 あなたも絶対常習者 よくある思い込み、勘違いをなくす章
2章 相手の気分を損ねていないか? 気になる言い回し、口癖に気づく章
3章 あの人にちょっと差をつける! 「語源」の知識を身につける章
4章 どう読む?どう書く? 漢字にもっと強くなる章
5章 語彙がぐんと豊かになる! 表現力に幅と深みが出てくる章
6章 言葉のセンスを磨く! 「一字の違い」「一語の違い」の恐さを知る章
裏カバーには
「とんでも+ございません」は何故間違いか?
「一姫二太郎」って三人きょうだい?
「あこぎな商売」ってどういう事?
「魚心」「水心」ってどういう心?
「帰省」の本来の目的は何だった?
「赤貧」の「赤」ってどんな意味?
「しけた話」は「湿っぽい話」ではない!
「カネの草鞋」は一体何で作られている?
さて読者の方は幾つ正しく答えられるだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :43
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読書感想文
年明けに示し合わせたように「読了」の本が重なったので、順次ご紹介させていただきます。
まず最初は「ことわざに強くなる本」(村松 暎 編 三笠書房 刊)です。
刊行社の「知的生き方文庫」の中の一冊です。
相変わらず「父の蔵書」だったものである。
2021年4月8日から「書き写しのネタ本」として開始し、1月10日に完了したものである。
収録された「ことわざ」は約1000語くらいだろうか。
一日に約2語ほどを書き写した。
勘定が合わなくてもご容赦願いたい。
例によって「章立て」を紹介すると、次のようである。
第一章 こんなにあった!絶妙な表現のことわざ 動物篇
第二章 心の機微が分かることわざ 植物・自然篇
第三章 なるほど、納得のことわざ 生活の知恵篇
第四章 人間の恐さ面白さがわかることわざ 人間関係篇
第五章 これは役立つ!人生に生かすことわざ 人生行路篇
付録 西洋のことわざ選
私自身も「故事・諺・箴言・金言」については結構昔から楽しく学習していたつもりで、今でも福音館小辞典文庫はデスクの隅に置いてある。
「言葉は知っていても、理解が違う」と言うものもたくさんあるが、座右の銘にすることはなくても、一度目を通して楽しまれてはいかがだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :19
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お里が知れる
時代も変わったから、この言葉もあまり価値観が無くなりつつあるのか、いや、もう完全に無くなってしまったのだろうか。
多分私らが子供の頃は「最大の躾の戒め」だったと思う。
「そんなことをしていると、お里が知れるよ」と両親や親戚の小父さん、小母さんに言われたもので、それが度重なると自然に「してはならない行い」だという事が身に付いた。
同居の孫に言うのは「家の中で歯ブラシを咥えたまま歩き回る」時である。
意識して家の中で唾を吐くことはないだろうが、無意識に唾が落ちることはないだろうか。
歯磨きをしながら何かをしようとする時、多分に無意識に唾が落ちることに気が付かないのだろう。
という事は、自分が育った「家」とは「無意識に唾を吐いてもいい所」と言う意味で「お里が知れる」と言われたのだろう。
自戒すべき。
投稿者:つねちゃん
at 08 :27
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着ると脱ぐ
加齢の所為ばかりではないと思うが、この時期だからこそだろうが、どうしても「着替え」が億劫になる。
外へ出掛ける時には、やはり人目もあるので、それなりに「伊達の薄着」を意識してしまう。
その反動と言う意味もあるだろうが、家にいて、誰も来る予定がない場合は、「風邪は万病のもと」という事で、出来るだけ灯油ストーブの温度はあまり上げないようにして、「厚着」で凌ごうという格好になる。
これが「億劫になる」要因だったのだが、気が付いてみると、むしろそれが「良いこと」なのではないだろうかと思い当たった。
これは「ボケ防止」にも役立つのではないだろうか。
外へ出るにも「人目は気にしない」では矢張り拙かろうし、外へ出るからには何らかの行動という事で、体を動かすことになるのだから、余り厚着では動作が緩慢になってしまうのだろうから。
と言う、言い訳じみたことで「できるだけ小忠実(こまめ)に着替えをやろう」と思っている。
投稿者:つねちゃん
at 08 :27
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明日の朝を素早く
ある日の私に対する箴言だったが、ハッと気づかされた。
実は、一つの楽しみだったのだが、それを止めて効率的に快適に朝を過ごせば良いじゃないか、と言う趣旨の物である。
多分、この読者の方には、こんなグータラな楽しみをしている人はいらっしゃらないだろうが。
実は朝起きて、ベッド内運動などを済ませてやることは「データ・マイニング」である。
対象は「今日着るもの」の「発掘」である。
夜は、9時から約1時間半の家内との会話とドラマ見物を飲みながら過ごし、寝る前の歯磨きをやってから「もう寝る」で寝てしまう。
パンツと下着のシャツと靴下だけは日々変えているのでその定位置はしっかりとあるのだが、その他は「楽しみ発掘」を楽しんでいるのだ。
それを止めろ、との箴言だったので、少し迷ったけれどやめることにした。
まだ始めて間が無いので効率的になっているかは定かではないが、少しずつ慣れていけばそうなるのだろう。
投稿者:つねちゃん
at 09 :23
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自分勝手な健康法でもいいじゃないか
リタイア後10数年間は基本的な健康法は「一日1万歩の散歩」だった。
幾つかの契機が有って、その健康法はやめて、それ以来項目追加、削除、変更などをしながらの健康法を続けている。
紹介しても、今年から項目を見直そうと思っているから、有限不実行に成るからやめておくが、「自分勝手な健康法」であることには、変りがない。
時には傍の人から見れば「何を無駄な」と言われそうな項目もあるだろうが、それはそれでいいのである。
それが自分に気持ちよく、決して無理の範囲には入らないようにと思いながら、続けていることこそが「真の健康法」だと思いこれからも続けていきたい。
投稿者:つねちゃん
at 08 :42
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年末年始休暇
このブログについても、勝手に年末年始休暇を戴いた。
昨年までの年末年始休暇は正月三が日だけだったのだが、今年から在職中の会社がそうであったように、29日から3日までを基本とさせてもらうことにした。
ところが、リタイアしてこのブログを始めてからは「三が日」を基本としていたので、自分勝手に決めたのに、全く「休み中の予定」を決めていなかったので、正直最初の日12/29は「何をしていいのやら」と戸惑うこと頻りだった。
これではいけない、と一念発起して計画を立てたのだが、結局「付け焼刃」でしかないことに気が付いた。
で、どうしたかと言うと、ちょうどリタイアして、父を見送ってからの時点を思い出した。
「何も慌てることはない、時間はたっぷりあるのだから『好きなことをやればいい』と腹をくくった」。
そうなると「したいこと」「やらねばならないこと」が朧気乍ら見えてきて、結構有意義に過ごすことができた。
投稿者:つねちゃん
at 08 :56
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炊き立てのご飯で炒飯の贅沢
このブログでも何度か紹介しているが、得意な料理は「炒飯」である。
正直なところ「他人様に自慢できるようなもの」では決してない。
と言うよりも、多分他人様が食べると、まず「辛い!」と言われる代物である。
最近は「ハバネロ」までで抑えているが、「ジョロキア」をふんだんに使ったこともあった。
それもほとんどの場合「自家栽培」であり、不純物は全く入っていない。
で、それを使うのは「前日以前の残りご飯」がある時である。
これは単身寮にいた時に、寮監さんに了解を得て、残ったご飯を少し冷凍保存していた物を使っていた名残である。
冷凍したものをレンチンして使うと、適度に水分が飛んでパラパラ感が程好く効くからである。
先日、炒飯の具材が賞味期限が迫っているものが多いのに、残りご飯が無かった時に「炊き立てのご飯でもできるよ」と家内に言われて「勿体無いなぁ」と思いながら作ったのだが、これはこれでまた美味しい具合に仕上がつた。
でも、やはりこれは「贅沢」の範疇に入る。
投稿者:つねちゃん
at 07 :57
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ごめんなさい。
今日が祝日で休日だという事を忘れてしまっていました。
生ブログは明日から開始させていただきます。
投稿者:つねちゃん
at 08 :50
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所信表明演説どれだけ意味が
12月7日に投稿して、12月10日に採用された
何も今度の首相ばかりではないが、所信表明演説と言うのにどれだけの意味があるのだろうか。
一体「何を、何時まで、どれくらい」目指すのかが全く分からない。
多分私の読解力が乏しいのだろうが、在職中「行間を読め」と最初の頃は言われた。
しばらくたって企画提言するときには「言いたい事は、はっきり書いておけ」と言われたものだ。
審査を受ける立場だから「行間を読んでください」とは言えなかった。
政治家は大上段に振りかざすのではなく、具体的に「何を」、いつまで(期限)、どの程度(数値目標)を明確にして、行間が読めない人間にも分かりやすく示してほしいものである。
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投稿者:つねちゃん
at 07 :29
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「官房機密費」はどうなのか
11月17日に投稿して、11月23日に採用された
在職1日だけでも月100万円という「文書通信交通滞在費」が問題になっている。
これに類する第二、第三の「文通費」を探してあげつらおうという風潮が出てくるのではないか、という憶測もある。
しかし、もっと大事なお金があることを「棚の隅に隠して」、「重箱の隅」をつつきまわそうとしてはいないだろうか。
一人の都合だけで巨額のお金が動かせる「官房機密費」なるものはどうなのだろうか。
第二、第三の追及も必要だけれど、それで「巨悪の種」を隠してしまおうという魂胆が見え透いている。
一度政権を取ると、それは「使途不明金」で処理されてしまうのでは、本末転倒の論理にならないか。
もっとも、一時期話題になったけれど、今では記憶のかなたになっているのだが。
投稿者:つねちゃん
at 08 :23
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進まぬ地域のデジタル化に思う
11月12日に投稿して、11月16日に採用された
掛け声ばかりで、実質的にはほとんど進んでいないのが「地域のデジタル化」ではないだろうか。
最初から「大きな目標」を掲げるのではなく、小さくても確実にできることがある。
それは「地域の施設全てでユビキタス環境を完備」することではないか。
スマホ、タブレット、パソコンがどこでも満足できるスピードを確保しながらつながる、という言ってみれば単純なことなのである。
そんなことを言うとすぐにお役人は「それじゃ『すべての施設』で『不公平にならないように一斉に』と」意気込んで予算獲得ということになるだろう。
しかし、環境の整備が目標ではない。
実現した場合に地域住民が積極的に利用できる状況をどうやって作っていくかを考えることが必要だろう。
投稿者:つねちゃん
at 07 :49
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静かに見守る必要不可欠
10月26日に投稿して、11月2日に採用された
個人的には単に「おめでたいことです」という感情しかもっていない眞子さまのご結婚である。
でも、ぜひこれだけはマスコミ各社や関係機関の方々にやめていただきたいことがある。
かつて英国で派手に行われた「パパラッチ事件」の再来である。
島津貴子さんも、降嫁後、いろいろな事件に見舞われたとの報道を耳にしているが、そんなことも一つはマスコミに原因があるのではないだろうか。
「知る権利」「知らせる権利」を盾にとって、ネタ探し行動するよりも、せめて「磁器婚式」と言われる20年くらいは、静かに見守ってあげることが、必要不可欠だと思うのだが。
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投稿者:つねちゃん
at 08 :29
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