善哉
昨年5月から後期高齢者の仲間入りをした事も有り、それを一つの契機として何かないかなぁ、と考えていて、思いついたのが「善哉」である。
決してお汁粉を毎日食べることではない。
昨年亡くなった同級生と、10年ほど前にほぼ毎日「今日有ったこと」を話題にしてのメール交換をしていた。
当時はまだPCを使っての顔見世会議はできなかったし、顔半面に少し麻痺が有ったので、本人ものぞまなかっだろう。
その時の結びの言葉が、「善哉、善哉」だったのである。
決していい事ばかりが続く事は無かったけれど、それでも「善哉」で締めくくった。
今年は改めて、今まで関わった人を思い浮かべて「善哉」で締めくくる事にしたい。
投稿者:つねちゃん
at 08 :35
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歌謡浪曲と山鹿素行
歌謡浪曲を楽しんでいることは、以前に紹介させていただいたが、その中でも好きなのが「俵星玄蕃」の物である。
三波春夫の元気で奇麗な歌声に酔いしれている。
忠臣蔵の討ち入りの日の昼に出会った蕎麦屋と浪士装束との出会いをテーマにしている。
そんなことは、諸姉諸兄はとうにご存じだろうが、今年になってのホームページには「雑学ダイアリー」としてその月のその日に起こった事を短文で紹介しているのだが、それを書き写ししているときに気が付いたことである。
「〜一打ち、二打ち、三流れ あれは確かに 確かにあれは 山鹿流儀の陣太鼓〜」というフレーズで出てくる」「山鹿流」という言葉と、それを編み出した「山鹿素行」と言う人が赤穂に配流されたことが繋がってることに、今更ながら驚いたことである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :08
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朝食の食材
大体私の朝食は、「炒飯」をメインとしたものにして、その日その日を楽しく、美味しく(多分この表現は多分私外の人にとっては決して味わうことが無いだろう「激辛」の物であるのだが)頂くことに、もう20年以上も続けている。
最初は家内も誰も賛同して呉れなかったが、それでも「こんな食材が有ったよ」「こんな調味料が有ったよ」と時々買ってきてくれるようになっている。
尤も、多分他人様も「これは食べない」と買わずに賞味期限が間近になって、「捨て値処分」になったものが多いのだが、私は是で十分満足である。
そんな中で、容量が多かったこともあるが、「大蒜バター」という物がつい先日まであった。
ペットボトルに入っていたものを「無駄にせず最後まで」使い尽くしたのが何とも嬉しい。
これも処分品だったようで、次にお目にかかるのは何時になることやら。探してまでも買う気には成らないが、有ると使いたくなる。
投稿者:つねちゃん
at 06 :34
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読書感想文
「健康常識」に医学のメス 間違い健康学 (志賀貢 著 三笠書房 刊)です。
内容は、私も「間違って覚えていた」という思いが結構多く知らされた内容です。
私自身、糖尿病として意識している高血糖、心臓病にならないかが心配の高血圧、この歳になっても煩悩の塊のあちらの方等々、決して「悩みが雲散霧消」となった訳では無いけれど、それなりに「これも普通の許容範囲で、特別異常値や異常状態ではないのではないか」という示唆が得られた本です。
これは是非とも、図書館や古本屋で手に取ってご一読をお勧めします。
1.まかり通っている「常識」のウソ
2.考え直したい体の知識と健康法
3.俗説にまどわされていないか
4.間違いだらけの食べ物健康学
投稿者:つねちゃん
at 05 :28
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読書感想文
正月休み中に読んだ本のご紹介が、今日、明日と続きます。
「やっとわかった日本語! 言葉の豆辞典」(言葉の豆辞典編纂室 著 角川文庫 刊)です。
是も例によって、父の蔵書からです。
まったく余談ですが、明日紹介する本の後継本を探していた時に、現在進行形の「第2集」という物が出てきました。
表紙の装丁が全く違うので、この後継を探していた時には気が付かなかったのです。
「これがこの言葉の『本当の意味だ』と思いながら使って居る言葉」で、果たしてそれが「なぜそんな言葉で表わしてるのだろう」と思ったことはありませんか。
そういう意味で「目から鱗」に楽しく思いさせられる本でした。
例によって、目次で紹介させていただきますが、決して「座右の銘」としようとお勧めするのではなく、「使う時に、オヤ」と思われる場合や気紛れに捲ってみようか」という時にお勧めの物です。
第一章 言い回しで言葉のセンスに差をつける
第二章 故事・ことわざの“はじめて”物語
第三章 人生をうまく渡っていくために知っておこう
第四章 日常生活の祭事な出来事。困った時の神頼み
第五章 恋愛・対人関係で勝ち星をあげるために
第六章 この際、趣味のジャンルを広げよう
第七章 四季の国に生まれた美しいことばたち
第八章 海外からはるばる渡ってきたカタカナ語たち
投稿者:つねちゃん
at 06 :03
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しっかり洗顔
先日の朝、新聞を読んでいる時に、何故か左目が痛くなり、今までもよく有った事なので、特別気にせずに、何度か目を拭って読み続けていたが、最後まで読まないうちにどうしても続けられなくなり、目薬を差して、しばらく目をつむっていたが、目を開けるとまだ痛む。
少し長めに目を閉じていて、ようやく普通に戻ったのだが、悪い要因は涙が流してくれたようで、再発は無かった。
ところが、朝の一連の行動が落ち着いて、読み残した分を読み始めると、再発である。
そんな時に、ある新聞広告に「目の痛み」に関するものが有って、よく読むと「目の周りの汚れ」では無いかと気づかされた。
リタイア後、洗顔というのは、風呂に入って髭を剃った後の洗顔だけで、済ませていたが、どうもそれだけでは汚れが取れいてなかったようで、その後はしっかり洗顔して、今のところ再発はしていない。
投稿者:つねちゃん
at 07 :47
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「終活」は意識しないで「身の回りの片づけ」
この歳になると、ぽつぽつと「そろそろ終活を考えた方が良いよ」的な話題に触れることがある。
現時点で、何の保証もないが、「せめて父と同じ歳までは」と思っている。
あと9年近くある。
しかしながら、周りを見回してみると「中途半端」のままになっていることがかなり多いのに気が付いた。
このブログでもたびたび紹介しているが「父の蔵書の始末」である。
書き写しや音読のタネ本がいまだにそれを使ったりしていることからも、明らかであり、それも楽しみながら「始末」をしておきたい。
土地の権利書なども、きちんと自分なりに整理しておきたい。
今更ながら父に文句を言う気も無いけれど、同じことを後を引き継ぐものにも同じ苦労をさせないように。
だから「終活」ではなく「現時点での身の回りの片づけ」である。
投稿者:つねちゃん
at 05 :38
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クラシックでゆっくり長湯
冬休みを頂いているときの新聞投書で「クラシック音楽を聴きながら長湯」という80代の男性からの投書が採用されていた。
まさに私も同感で、私の場合は、以前にも紹介したかもしれないが「歌謡浪曲」である。
件の先輩は「今迄は歌謡曲を聞きながら烏の行水」だったと書かれているが、私もほぼ同様で、歌謡曲や叙情歌などが主で、其れもランダムだったので、それなりに入浴を楽しんでいたが「長湯」と言うほどでは無かった。
それが歌謡浪曲だと大体が1曲10分前後であるから、その間湯船に身を浸していると、時間を忘れるくらいで、結果として10数分の入浴になっていて、「長湯」になる。
尤も気を付けなければならないのは「そのまま寝てしまう」ことが無いように、である。
投稿者:つねちゃん
at 05 :59
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今年のモットー その3
「少し知っていて、もっと知りたい」には積極的学習を、「全く知らないが興味はある」にはネットサーフィンで楽しみながら少しだけ知ろう」。
こんな風に考えられたのは、「書き出してから行動」と「冬時間」をやり始めたから、少しだけ「学習」を「より深く、より広くできる」と思ったからであろうか。
今までは「少しだけ知っていること」には「それは大体こんな事だろう」と勝手な思い込みをして肝心なことは「看過してしまっていた」からだと気が付いたからである。
また「興味が有るが難しいのだろうなぁ」と「食わず嫌いで過ごしてきた」からだと気が付いたからである。
放送大学だけではなく、もっと娯楽的な物から始めてみようと思っている。
投稿者:つねちゃん
at 06 :39
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サマータイムは使わないが冬時間は使った
職場でサマータイムを実験的にやってみたことがあったけれど、矢張り集団活動という事なので、早くした分だけ「自分の時間」が確保できて、それなりに有効だったけれど、実際の仕事には役立たなかった経験が有る。
そんなことを思いながら、今回は「冬時間」を設定した。
大したことではない。
いつもは、6:45には新聞を結構ゆっくり隅々まで読んで(勿論「ここは後で読み直そう」と思ったところには付箋を張り付けておくのだが)将棋の棋譜を解説も読みながら写して、着替えをしてから降りてゆくのだが、この季節はなかなかそれが出来なくなったので、15分遅くしたのである。
でも、今のところ支障は全く出ていないから、3月くらいまでは続けようと思っている。
でも、些細な事だけれど、それだけでも、「それなりに風景が変わって見える」から楽しい。
投稿者:つねちゃん
at 08 :27
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「ヒトを馬鹿にするな」という意味は
よく言ったり聞いたりする言葉ですが、その場合の「ヒト」とはだれを指しているのでしょうか。
「俺」だとすれば、他人様から自分の事を指された」時でしょう。
「他人様」だったら自分の立ち位置はどこにあるのでしょうか。
後輩や同僚などに「偉そうに諭す」場合だろうか。
でも先日気が付いたことだが、何方にしても「自分に言っている」のではないだろうか。
よく言うところの「我が身に当てはめてみたら」という意味でである。
もし「俺」の場合は、その人が上司や先輩、場合によっては同僚、後輩や場合によっては、まったく見ず知らずの人だとしても、「その場」では自分のしていることが「場にそぐっていない」ことではないかと自省してみたらどうだろうか。
逆に「他人様に言う場合」口から出る前に「自分も似たようなことをしたり言ったりして居ないか」と。
けっして、いまのじぶんが「常に正しい」とは思わない方が良いだろう。
投稿者:つねちゃん
at 05 :30
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今年のモットー その2
今年も継続する「書き出してから行動する」である。
飽くまでも「私の経験からだけだけれど」と事前に断っておきますが、実際に、是は間違いなく私にとっては効果的だったのである。
これで場合によっては、物心ついた時からの「時間貧乏性」が完治するのではないかと思う程である。
時間が「有り余ってくる」と言うと自分で思っても「かなりオーバーだな」と思うけれど、実際にそのようなことが度々起こってくる。
もしも、時間貧乏性だなぁ、と少しでも思っていらっしゃる方には、絶対におすすめである。
私なりの幾つかの「コツ」を言うならば「一回で全て済ませようと思わない事」、「終わる時間や長さを決めてやること」、「残したことは必ず書き残して、目に見える所に貼り付けておくことおくこと」(決してメモ用紙をデスクの上などに置いておかない)等だろうか。
そのうちに自分なりの「コツ」が見つかると思うもっといい方法が有るよ」と披露していただけることが有れば、ぜひ教えていただきたい、と思うほどである。
投稿者:つねちゃん
at 09 :35
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今年のモットー その1
書き写しは、原稿用紙のマス目一杯の大きさで(下手でも良いから)」正しく書く。
これは今年から始める訳ではないのだが、気が付いたら「早く書ききって終おう」という気持ちが先に立って、字が小さくなってしまっていることに気が付くからである。
其れには一つの「やっちゃ駄目だ」をすぐに忘れるからであると、今更ながら気が付いた。
何度も紹介しているが「時間貧乏性」だからある。
でも、「もう後期高齢者」なのだから、誰も買ってはくれないけれど、時間は余るほどあるのだから、と思うことにしようと決めた。
これで、少しずつ時間貧乏性からの脱皮が出来るのではないだろうかとの相乗効果を狙っている。
投稿者:つねちゃん
at 09 :01
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雪国で灯油ストーブだからこそ
今までは、灯油ストーブでいかに効率良く暖かく過ごせないか、という事で、脱衣室で冬場は「無用の長物」と化している扇風機を部屋の天井に向けて回していた。
ところが、今期の冬の寒さは今までにないものが有ったのか、それで単に「加齢の所為か」分からないが、今までは宣伝を見るだけにしていた「アルミの蛇腹ダクト」を買って使ってみた。
最初はさほどでもなかったが、家内が「去年まで使って居た巻きスカートの下に入れてみたら」というので、ダクトの出口を決まスカートの下に入れて見たら、驚くほど暖かく、今までストーブの出口の温度を20℃にしていたが、17℃にしても充分暖かい。
これもSDGsの一環だろう。
投稿者:つねちゃん
at 09 :03
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初心に孵る
それは何のためか、目標は。年末にはいろんな場面で、「来年は初心に孵って」というのが話題になる。
私もご多分にもれず、それを数年来繰り返しているが、中々できる物ではない。
それで、今年は「目標は何だっけ?」と思い返してみることにしている。
そして、気が付いてみると、「認知症にならない為に」であることに気が付いた。
ベッド内運動は「運動中に倒れても、外よりも条件が良いのではないか」、今年から再開しようと思っているが音読は、好きな「『麗しの天然』を自分の声で聞こえるほどの口遊みが出来る様に」、健康麻雀とPC講習は「自分の記憶がいつまで正しいか」を確認するため、である。
駄目だと分かったら、すぐに辞めることにしよう。
「かえる」を「孵る」にしたのは新年に因んで「生まれ(孵る)」にしました。
決して誤字ではありません。
投稿者:つねちゃん
at 07 :36
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読書感想文
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
今年も、ゆるゆるとお付き合いいただけますよう、よろしくお願いします。
お正月休みに完読した本である。「おもしろくて ためになる からだ雑学事典」(佐伯誠一 著 日本実業出版社 刊)である。「雑学」という事から、いまだに「父の蔵書」だったものである。
「雑」とは言う物の書かれている内容には「エッ」「へぇー」「そうだったのか」等々、読者によっての感想はいろいろとあるだろうが、「雑学」成れど「無駄ではない」と私には思われる項目が沢山あった。
座右の銘にするほどでは無いけれど、図書館や古本屋でも見つけたら、一度手に取られてひと時を過ごされてみては、と思う本である。
例によって目次の紹介で済ませよう。 読者にとっても「これは読んでみたいな」という章があるかもしれない。
1 人間のからだはカッコイイのかワルイのか
2 器量がよくても機能が悪けりゃ…
3 胃腸は快調!人生も絶好調!!
4 血と汗の結晶、これがニンゲン
5 やっばり、この世はオトコとオンナ
6 働きもん!手足はからだの召使い
7 それにつけても悩みのタネ?ヘッド&ヘアー
8 健康常識、こんなこと知ってた?
9 “お一人さま、人間ドックにごあんなーい”
投稿者:つねちゃん
at 06 :34
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