葱が上出来
今年は大好物の野菜のうち、葱が大豊作である。
今までは、苗が売り出されたころから畑の準備をして、十分な土の据え置きをしないで植えていたことも原因だったのだろうが、どうしても十分に成長せず、おまけに植え付けた本数のうち、約半分くらいしか「食用」にならなかった。
勿論、せっかちな性格で「この辺でいいだろう、これ以上は成長しないだろうから」と薬味にしかならない程度で収穫したこともあるのだろう。
ところが、今年は「種から育てた」のである。
今までも何度か挑戦したし、自分なりにストローを使って育苗を試みたことがあったが、結局はその時期になって「苗の購入」ということになってしまっていた。
実は今年も、「もうこんなマッチ棒にならないくらいのものは育つわけがない」と思いながらも、ある意味「放置」していて、気がついた時に「そうだ液肥をやろう」などと何とも不熱心な園芸作業だったのだが、やはり人間のなすことなどは、お天道様からすれば「何をやっているの?」と笑われることだったのだろう、ある時期気が付いてみると、しっかりとマッチ棒くらいの太さになり、背丈も鉛筆くらいに成長していた。
まだまだマーケットには売り出されていなくて、それから友人から分けてもらった藁と、籾殻を使っての畝作りから、十分な期間が取れたので、マーケットに出たころに慎重に植えつけた。
先日「余った苗」を植え付けたところから収穫した。
収穫しているときは「やはりマーケットに出でいるものとはずいぶん小さいな」と思ったが、台所で整理すると家内が「この前買ったものより数段見事だ」と言ってくれたので、自信を持った。
まだまだ本格的な畝には本数にすればたぶん100本近い葱が育っている。
今年は自産自消で味わえそうである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :54
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見事な大根
今年の大根は素晴らしい出来栄えになった。
長さは優に50cm長さは優に50cmを超えているし、太さもおでんに良し、ブリ大根にも、家内の好きな大根寿司にも適当なものになった。
収穫量も現時点でまだ畑にある10本くらいを含めて、30本近くになっている。
今までは根菜類は少し深く掘ると直ぐに土台の瓦礫層に行き当たるので、駄目。
葉采類は虫の巣となるので駄目、とばかりに「言い訳園芸」だったのだが、やり始めてもう10年近くになり、真剣に「何とかならないか」と考えて、対策をとった結果である。
まずは土である。近所の人に「これは畑の土じゃない。単なるドロだ」と言われて思い切って大量の鶏ふんを初めとした堆肥を入れ込んだ。
その前に、耕運機で何度も何度も土を起こし、できる限り小石を含めて取り除いた。
深さは残念ながら、瓦礫層を取り除くことはできないので、板で畝を高くして、大根としては十分な深さを確保したと思っている。
肥料についても、元肥や適時の追肥を肥料袋に書いてある通りに施し、今までの「けちけち施肥」から卒業できたのではないか思っている。
また、発芽から除虫が最大の課題だったのだが、他人から「やり過ぎではないか」との声も聞かれたが、ずいぶん長い間「寒冷紗」で外部からの虫に対する防護策をとり、内部からのものに対しては、「激辛唐辛子入り木酢液」を施すことによって、効果があったのだと思う。
そうして、長く太く二股なぞはない、誠に惚れ惚れとするような大根に育っている。
無農薬栽培ではないにしろ、最低限の除虫剤で済んでいるから、孫にも安心て食べてもらえる代物である。
これを基本にまだまだ育てたい物があるが、焦らず頑張ってゆきたい。
投稿者:つねちゃん
at 06 :55
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玉葱を300本近く植えた
昨年「まだ早いだろう」と言われながらも、元気な苗が目に入ったので、買い求め、余り上手にも耕さなかった所に、200本ほどの玉葱苗を植えた。
品名に200と書いてあったのだが、どうもそれより1割ほど多かったようである。
使ったマルチは、以前に使った再利用のものだった。
園芸を良くまだ判らない頃(いやいや今でも良くは判っていないのだが)に、人から言われて植えた最初の時には、残念ながらピンポン玉の様なものが数十個収穫できただけで、その殆どはシチューの具となって、瞬く間に消費してしまった。
でも、昨年のものは、今年の春に収穫して、大小はあるものの200個近く収穫できたので、殆どが順調に育ったと追う。
で、これに気を良くしての今年である。
堆肥をしっかりとたっぷりと漉き込んで、いわゆる「ふわふわの土」にして、マルチも新品の物をきちんと水はけが良くなるように、高畝にしてピンと張り、準備は万端である。
昨年の反省は、形が殆ど「縦長」だったので、今年は、春の雪解け時もそうだが、表面の土が余り固くならないように配慮したつもりである。
このように、沢山植えると、どうしても思い出すのが「鬼子母神」である。
今までは「他人様の子供」だと思っていて、「何でも食べられれば良いや」と思っていたのだが、今回は自分の子供の如く、大事に大事に、鬼子母神のような愛情を持って育てたいものである。
ついでの報告になるが、今年は大根も「我武者羅」と言われるほど何度も畑を起こし、可能な限り石も除き、たっぷりの堆肥を施した畝で育てたのだが、現在の所「見事」と言うしかないほど立派なものが収穫できている。
以前の二股や三又のようなことも全くない。
これなら市場に出しても決して引けをとらないくらいである。もちろん出す気など更々ないのだが。
葉も余り虫の被害に遭わず、たっぷりのヨゴシを楽しんでいる。
やっぱり家庭園芸は楽しいナァ。
投稿者:つねちゃん
at 06 :45
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おならの匂いが変わった
春先からこの頃にかけて、家庭菜園の整理菜や不出来の物は先ず自分で消化する「自産自消」をしている。
家族にも「これが生産物だ」と言えない様な不恰好な物は、私の得意料理である炒飯の具として使って、無駄なく消化している。
そのため、特別ベジタリアンではないが、野菜が多い食事になる。
意識して肉類や魚類などの動物性の具材を避けている訳では決してなく、そちらは家内と娘が主婦として作ってくれるので、今までどおりだろう。
そんなときに気が付いたのだが、おならの匂いが今までと違ってきている。
考えられる幾つかの要因のうち、やはり「菜食」の割合が多くなったことが一番の物ではないだろうか、と思い当たった。
自分のおならなのだから、嫌ってみても仕様が無いので、匂いを感じてみている。
他人様にとっては、決していい匂いである訳は無いのだが、よくよく感じてみると、結構食事や食材に影響されているのが判るから、なんとなく面白いし、健康管理にも少しは・・・、と考えるのは行きすぎだろうか。
いずれにしても、今までとは全体的に、確実に違った匂いである。
もう一つ考えられる要因は、「よく咀嚼する」様になったことだろうか。
今までは、食事の時間は、以前に紹介したこともあるが「早飯」の得意技で、大体5分くらいで、食べるというよりは飲み込むと言うようなものだったが、好きな番組の一つ「試してガッテン」という番組で紹介されていた健康法に影響されて、徳川家康ではないけれど、「良く噛んで」食べるようにすると、15分くらい掛かって食べる様になった。
こちらは、「快便」という格好で現れているので、それはそれで快適である。
先日の診断で体重は2Kg程減少して、おなか周りも2cmほど減少している。
投稿者:つねちゃん
at 06 :44
| 園芸
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家庭菜園は「ゆっくり、ゆっくり」
園芸作業も本格的な時期になり、今年の初物としての収穫は、昨年植えた「山独活」を美味しく食べた。
まだ収穫は途中であるが、我が家で初めてのものとして「山椒の実」がある。
随分以前に五ヶ山の道の駅で手に入れて、塩漬けなどにして食べたらメッチャ美味しかったのだが、その後全く見なくなってしまった。
道の駅でも尋ねたが、今では「売り物」にはしていないらしい。
昨年我が家の山椒の木に数粒の実が付き「付くんじゃないの」と言う事が判ったら、今年はその木に結構たっぷりと、畑にも植えたものにもポツポツと実が付き始めたので、本格的には来年が楽しみと言うところである。
塩漬けして、チリメンジャコと甘辛に炒め煮したものは我が家では孫も結構好きなものになっている。
ある時京都の道の駅だったろうが、そこで商品として売られていて、美味しかったが結構高かった。
それはそうとして、言い訳染みるのだが、我が家の畑は、日照時間がかなり短い。
朝は10時ごろから漸く日が差し始め、午後は2時を過ぎるともう翳ってくる。
そんな訳だから、他の菜園とは相当事情が違っているので、どうにも話が合わないのである。
今年も山側に植えた玉葱は、本格的な雪解けが4月末位になり、日当たりが良い所と比べると、漸く今になって芽が伸びてきているくらいである。
ところが、そんなところでも、外草(雑草と言う言葉が嫌いなので「目的外の草」と言う意味でこの言葉を使っている)は遠慮なく伸びてきていて「玉葱が消えた」と思ったくらい生い茂っていた。
そんな訳で、「菜物」は殆ど駄目で、ちょっと育ったかな、と思ったら「虫さんの餌場」と化してしまうのが現実である。
そんな状況なので、表題の通り、皆さんの菜園状況から随分とスタートが遅れると共に、成長速度も極端に遅くなってしまう。
それでも、他がこうやった、と聞くと、俺も、と今まではなっていたのだが、昨年くらいから「他所は他所」と思えるようになって来てノンビリとやっている。
なぁーに、そのうちには食べられるものができるさ、くらいで。
在職中は及ばずながらも「我先に」だったのだが、リタイア後もう10年目で、そんな気持ちはかけらもなくなっている自分が愉快でもある。
投稿者:つねちゃん
at 10 :38
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日ごろの手入れ
リタイア後にそれまで全くと言って良いほど興味が無かった「畑仕事」をやる事になり、ちょうど安売りしていたので耕耘機を買った。
以来約8年間、良く働いてくれていたのだが、雪も解けてさぁそろそろ時節だと思ってエンジンを掛けようとすると、一向にかからない。
ごくまれにかかっても、少し負荷を掛けると停まってしまうので、全く使い物にならなくなってしまった。
そんな事に詳しい友人に調べてもらったけれど、どうも一筋縄でいかないようで、彼のアドバイスと大蔵大臣公認の私個人の懐具合を考慮して、新しいものを購入した。
購入に際して、以前農機具の販売をやっていたと言うホームセンターの社員の人から、日ごろの手入れについて時間を掛けて指導された。
思えば、そんなことは8年間全くやっていなかった。
試運転も終えて満足していると、件の友人から状況報告してくれるとの事で出向いたが、エンジンを全て分解してピストンリングの一つが焼きついているとの診断だった。
そう言えば、高校時代に専門外だったけれど、自動車一般と言う教科でエンジンの事を習ったことをうろ覚えながら彼の話を聞いた。
一つは冬季のように長期間使わないときにはオイルを完全に抜いておかなかった事、ギア部分に適切な時期にグリスなどの注入をしなかったこと、その他色々と「日ごろの手入れ」について指導を受けた。
どうも、反省を含めて思い返してみると、流石にPCについてはそんなことは無い(もしくは少ない)と思うけれど、それ以外については「使いっぱなし」になっている事に気が付き愕然とした。
これからも気が付いた時には「手入れ」を行う事にして、それを記録しておく事で少しでも便利に使えるようにしたいものである。
どうもこれは、耕運機やPCと言った「物」ばかりではなく、精神的なものについても同様になすべきだと、大いに反省している。
投稿者:つねちゃん
at 07 :50
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生きていた曼珠沙華
昨年秋に廉価の曼珠沙華の球根が売られていたので、早速買いに行ったのだが、店ごとに配布数が決まっていたようで、残念ながら最寄の店には売切れてしまっていた。
それでも何とか無いものだろうかと、店員さんに相談すると「取り寄せ可能」であるとのことでお願いして手に入れた。
この花には、この名前以外は余り良い名前が付いていなくて、店員さんも「何で今この花が(売り切れほど)人気なのか良く判らない。昨年は全く売れなかったのに」と言われていたが、私にしたところで、妙にこの花を「植えたい」と言う感情になったのが今年初めてである。
彼岸花はまだいいが、「葉見ず、花見ず」に始まり、究極は「幽霊花」とまで名づけられている。
でも、「曼珠沙華」と言う名前は、読み方こそ違うが、山口百恵の歌にもあるし、何よりも「”天上の花”という意味。おめでたい事が起こる兆しに、赤い花が天からふってくるという仏教の経典による。」というのが好きな所以である。
感情や雰囲気的なことはそれとして、実用としては「モグラ忌避」である。
我が家の畑は何度か述べたかも知れないが、山際にあり、(まだ熊は出ていないが)狸や鹿が闊歩し、野菜などには防獣ネットが欠かせない場所で、地中には蛇やモグラも格好の住処にしているようである。
一昨年山際に植えた大蒜は途中まで順調だったものの、そのほとんどが収穫以前に根絶やしになってしまった。
目撃したわけではないので、何の被害だったのか、それとも施肥などの手入れに問題があったのか定かでなく、一方的にモグラと決め付けることは出来ないのだが、近所のベテランのおばさんに聞くと多分モグラの被害だろうとのことだった。
本題からそれたが、それがこの秋には1輪しか花が咲かず、「安物買いの〜」と思って殆ど諦めていた。
ところが、最近になって雑草の中から明らかに曼珠沙華の葉が伸びている事に気が付いた。
「生きていてくれたのだ」と言う感激である。
これで冬を越して、来年の収穫時期にはモグラも除けてくれ、秋には綺麗な花を咲かせて、天上の花が咲くような良い兆しに肖りたいものである。
投稿者:つねちゃん
at 09 :18
| 園芸
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焼け石に水、に続く言葉は
「思い」だったら嫌だなぁー。
在職中はかなりの努力がそのように感じられたものである。
何だか一人で頑張っている事が、空回りに思え、誰の目にも留まらず「ジュッ」という音もせずに消え去ってしまうような気がしたものだ。
正直「もう辞めようか」とも思ったりしたのだが、幸か不幸か部下を持つ身だったので、それも出来ず、表面的にはそれなりの態度をしていたように思う。
でも、これが「匂い」だったらどうだろうか。
猛暑、酷暑の今年は矢鱈そんな匂いに出くわしたが、必ずしも「臭い」ばかりではなかったような気がする。
朝晩畑や鉢物に水遣りをするのだが、その都度カラカラに乾いていたので、これでは折角の植物も枯れても仕様が無いか、位に思っていた。
とは言うものの、折角やってきたのだから精一杯水遣りをするのだが、そんな時に匂うのがこの匂いだった。
最初は気にも留めなかったのだが、段々それが土からの感謝の匂いではないかと、例によって極楽トンボのような感覚を持つのだが、それはそれで楽しいと自然に思われるようになっている自分が楽しい。
確かに水分不足で十分に成長しなかったものもあるが、胡瓜、茄子、ピーマン、トマト、オクラ等は大変な豊作だった。
表題の言葉は「無駄なこと」の象徴だろうが、後に続く言葉を少し変えれば、案外そうでもないように思う。
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投稿者:つねちゃん
at 10 :06
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広がってゆく花の輪 採用された
昨年秋ごろに種から育てたパンジーとビオラが花をつけた。
数が多くなったので、塀際に、ご自由にお持ちください、と並べておいた。
最初はありふれた花だから、誰も興味を持たないかもしれないと思っていたが、数日してほとんど無くなっていた。
種から育てた花がどこかで咲いて、誰かをホンの少しでも良い気分にさせてくれていると思うと、うれしくなってくる。
さぁ、次にはどんな花の種を育てようか。うまく育って、また誰かの気分を良くしてくれる事を願いながら、種まきのシーズンを楽しみたい。
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投稿者:つねちゃん
at 09 :35
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林檎の花が咲いた
猫の額とは言わないが、元宅地だったところを苦労も楽しみとばかり耕して、素人野菜栽培をしているが、三方を囲まれているような土地なので、台風の被害と言うものは殆どない。
それで人に勧められて、一昨年二種類の林檎の木を植えた。
その一つに今年漸く3つだけだが花が咲いた。
実際にこんなに間近で見たことは初めてだったので、矢張り素直に嬉しい。
もちろん「食べる」為にはその一つだけを残してあとは摘み取るのが筋だろうが、今年は初めてということもあり、そのままにしておいて、小さな実がもしも出来たら風呂にでも浮かべて林檎風呂でも愉しもうと思っている。
でも、これで来年はもう一つの木にも花が期待でき、来年から本格的になるのではないかと期待にワクワクである。
もっとも、浮かれてばかりはいられないようで、本格的にやるときには殺虫剤と消毒剤を定期的に散布しなければならないとも聞いているので、本音は少しがっかりなのである。
「そんなことなら最初に言ってくれよー」と言うのが現時点での悩みだろうか。
でも、幾つか花が咲き、幾つかの実が取れるようになれば、薬剤散布も楽しみになってくるのだろうと思うと、それで帳消しになるのだろう。
今年は昨年20個ばかり取れた栗が相当期待できそうなので、順番に楽しみが増えるのが期待である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :49
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畑が愉しみ
日当たりの悪い畑の雪もすっかり消えて、昨年植えつけた玉葱と大蒜が、そろそろ本格的に芽が伸びてきている。
日当たりのよい畑のものと比べると、残念ながら相当成長が遅いようだが、なぁーに、トータルとしての日照時間が確保できればいいのだから、収穫が少し遅れるだけだろう。
実を取るための梅の木にも多くは無いが、しっかりと花が咲いている。
栗や林檎はまだまだだけど、枝が込み合わないような剪定だけは冬の間に済ませておいたので、林檎は初体験だけど、栗は昨年の20個以上は収穫できるのではないかと期待にワクワクである。
目的外の草(下草)を出来るだけ手で摘み取った後で、耕運機の世話になったのだが、元々宅地で、建物を壊した時の廃材などが土深く埋まっているので、少し深く掘ると「ガリガリ」とタイルや基礎部分に使ってあったのだろうコンクリートの塊などが出てくるし、宅地としてはそれなりに効果があったのだろうが、基本的に粘土質の土なので、たっぷりの湿気を含んだ泥が耕運機の歯にべったりと付いてくる。
粗お越しを一通りやって、数日の間に雨が降ってから見回ると、赤子の拳大の石が表に出てくる。
それをできるだけ取り去ることを何度か繰り返して、漸く腐葉土などの土質改良剤などを漉き込んでから、畝作りと本格的な作業になる。
これがこれまで何度も繰り返し、今年もそんな時期になってくるのだが、幸か不幸か孫の入学式の今日は午後から晴れては来るものの、農作業は休みにしよう。
でも、これからの日中、桜を愛でながらラジオを聴きながら小石拾いもお金の掛からない愉しいひと時になる。
もちろんその後には新鮮で安全な野菜の収穫がまっている。
投稿者:つねちゃん
at 08 :43
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