2019 年3 月29 日
2019 年3 月28 日
単位の最小
昨日の続きになってしまうが、大きいものがあれば、当然小さい物もある訳である。 和名の「割・分」「厘」「毛」は野球の打率や金利などでもよく見かける単位である。 ちなみに「毛」は、欧米式の「m」である。 昨日と同様に、欧米式の物から。 電子レンジでお馴染みの「μ(マイクロ)」、最近偶に聞く「ナノメートル産業」で耳馴染んでいるかもしれない「n(ナノ)」、少し前の私等の時代にコンデンサーの容量で使った「p(ピコ)」くらいまでは、「何だか小さいなぁ」と言う感覚になるが、「f(フェムト)」「a(アト)」「z(ゼプト)」、最後が「y(ヨクト)」で「10のマイナス24乗」である。 では、和式では10の乗数が「1」下がるごとに細かく名づけられている。 興味のある方はお調べになると、楽しいですよ。 最後だけ紹介しておくと「10のマイナス26乗」は「涅槃寂静」だとのことである。 最大も最小もの和式呼称は、仏教世界の言葉なのだろうか。追記をみる
2019 年3 月27 日
単位の最大
町内の有志から請われて、やっているPC講習会だけれど、もう10年以上も経過した。 残念ながら、紅一点だった女性は逝去されたが、メンバーの紹介で町内以外の人も加わり、現在も5名が受講されている。 始めた最初の頃に作った資料を整理していると、「単位の最大、最小」と言う資料を作っていた。 当時はキロ(K)と言う単位は当然皆さんの知識の中にあったのだが、メガ(M)になると、半数の人だけになり、ギガ(G)になると誰もご存じなかった。 でも、使っているPCのHDD容量は当然のように3桁のGBだったのにである。 また、大型コンピュータでは、テラ(T)と言うのが「普通」の世界での単位だった。 それに対する「和名」としては、「兆」であり、これは国家予算などでよく耳にする単位であった。 その頃既に国産スパコンでの名前が「京」であり、これは「兆の一万倍」と言うくらいである。 欧米はこの後、「P(ペタ)」「E(エクサ)」「Z(ゼッタ)」「Y」までで「Y」の「ヨッタ」は「10の24乗」である。 和名はその後「抒(じょ)」「穣(じょう)」「溝(こう)」「澗(かん)」「正(せい)」「載(さい)」「極(ごく)」「恒河沙(ごうがしゃ)」「阿僧祇(あそうぎ)」「那由多(なゆた)」「不可思議(ふかしぎ)」そして最大は「無量大数(むりょうたいすう)」で「10の68乗」だとある。 明日は「小さい方」を、ご紹介。2019 年3 月26 日
昨日の続き「技術屋」
昨日の続きになるが、久しぶりに電子情報による「説明書」をしっかりと、十分かどうかは別にして、理解しながら読み進めた。 30数年間IT部門に従事していて、ある程度技術的なことにも目を向けてきたつもりだったけれど、やはり、私が学習して身に着ける知識の量と速度及び高度化は、とてもじゃないけれど付いて行くのに「無力感」を覚えることになってしまった。 新たな疑問にぶつかると、「調べて、自分なりにある程度の納得レベルに達するまで」しつこくついて行った。 このことは、50年近く前に、あるメーカーに設えた将来の私が属するチームの約20名の事務所になる所に、約3週間「独りぼっち」で過ごした時のことを思い出した。 メーカーの人は、私のことを心配しながらも自分たちの仕事を進めるために、午前と午後かならず「こんな仕様にしましょう」と持ち掛けてくる状態だった。 基本的に説明を受けては「駄目だ」と応じていた。 何も「メーカー苛め」をするつもりは無かったのだが、比較案をもって来ての優劣比較をしていないのである。 だから、逆に自分の時間がたっぷり持てて、当時は一つの意味での「黎明期」だったから、メーカーが提供してくれるマニュアルは、横積みにして約1.5mくらいあったが、飽きもせず、眠気も感じず、繰り返し、繰り返して読んだ。 私のチームの皆が来る少し前に、その工場の発表会があり「参考にされては」と言う招待が有ったので、参加させてもらい、その後の懇親会で工場長と言う方に「なぜ提案を受けてくれないのか」と言われて「私なりに比較検討して、長所短所に疑問を持っているが、それに答えてもらっていない」と言って、叱られるかとも思ったが、多いに誉められたものである。 良い思い出とともに、学習の楽しさを今更ながら覚えた。2019 年3 月25 日
久しぶりに技術屋の遊び
MSから「Windows7のサポートは来年の1月14日まで」と言うアナウンスが画面上に出るようなことになるとのことを知ったので、期限は承知していたが、あまり積極的にWindows10にする気持ちは無かった。 いや、以前Windows8.1にしたことがあったのだが、どうもシステム要件不足と言う事が直接の原因だったかどうか分からないままに、色々といじくっていたが、結局はメーカー修理と言う事になってしまったことが有ったので、そのトラウマだった。 でも、今回は「駄目元」と言う事と「8.1よりも10の方が資源制約は緩くなっている」と言うような情報があったので、思い切ってやってみた。 結果は、今のところ「少し遅い」程度で上手くは動いてくれており、少なくとも8.1の二の舞は無さそうである。 それでも、足掛け2日はしっかり掛かってしまったが、それなりにかつての「技術屋」としての楽しみを味わえた。2019 年3 月22 日
旅行で「ヒヤリ」「ハット」
名古屋という所は、長い間「出張族」をやっていたけれど、確か2回しか行っていない場所である。 OH部門として、システムの進捗管理、サポート、技術支援などで、北海道から九州まで大体10回程度は行っていたのに、名古屋と新潟は思い出しても2回しか思い出せない。 そんな訳で、会議場所へ車で案内されて、午後からの会議であれば、懇親会に参加してもその日の内に帰るので、夜の巷を徘徊する機会は無かったし、午前中の会議であれば、指定された場所へ急ぐばかりで街を見て回ることも無かった。 そんなところへ「長距離の慣らし運転」と言う事で出かけたのである。 それはまず良いとして、名古屋市内は一方通行の道が多く、その割には両側に車が止めてあったりしたので、名古屋市内へ入ってから、ホテルへ着くまでにナビを頼りなのだが、何度も「遠回り」させられた。 話しを本題に戻すが、一度の「ヒヤリ」は最後の高速を出た所で出会った。 気が付くと左側の車(トラック)のドアノブが間近に迫っていたことだった。 向こうも気が付いて避けてくれ、私も遅ればせながらハンドルを切ったので、接触することは無かったが、助手席の家内が「もう3cm位だった」と言うので、改めて反省した。 料金を支払って自分が行く道を迷いながら車を進行させた私が悪かったのである。 もう一つの「ハット」は帰りの高速道路でのことである。 「100Km/h以上は出さない」と言うのが、リタイアしてからの高速の私に課した課題で、それは守れたのだが、やはり「トロイ」と判断されたのだろうが、多くの車が追い抜いてゆく。 それには特別対抗心は無かったのだが、ある車が追い抜いてすぐに私の前に割り込んできた。 それはよくあることだから、減速したのだが、そのまま側道迄はみ出し、やはり慌てたのか、右に急ハンドルを切ったので、再び私の前に出てきたのである。 事故にはならなかったが、はっきり見えたのは、携帯を片手に持たれていることだった。 後部には「もみじマーク」が貼られている。 ご存じのように、70歳以上は「努力目標」で75歳以上は罰則は無いけれど「義務」と言う事になっている。 何方だったかは知り様が無いが、私もそろそろ貼り付けようかと思わされた。 でも、無事に帰宅できたことに大いに感謝である。2019 年3 月19 日
骨のない魚
子供の頃から、向かいに魚市場が有ったことも原因の一つかもしれないが、魚と言えば「何でも」好きだった。 その嗜好は、今も全く変わっていない。 でも、最近食卓に並ぶ魚に「骨のない魚」が登場する様になって久しい。 味は決して悪くは無いし、家内と娘が調理に簡単な所為か、特別文句は無いのだが、果たしてこれで良いのだろうかと時々思う。 全く次元が違う話だと思うが、私自身、ある意味で「骨のある人間だった」と思っている。 今でも懇意にしていただいている、元の上司からも何度か注意され、一時期の所長から「もっと口の利き方と粗野な行動を慎めば、もうひトランクくらい出世できるのだが」と言われたことがあったが、私なりの「理屈」での言動を改める気にはなれなかった。 それでも、比較論だけれど、一般の同級生よりも出世できたと思っている。 やはり「骨があって食べにくい点もあるかもしれないが、自分に正直なこと」こそが無理のない、今までの人生だったのだろう。 これからも、基本的な節度を弁え乍ら、過ごしていきたい。追記をみる
2019 年3 月18 日
孫娘にスマホ授与
高校の合格発表が今日なのだが、それを待たずに「約束通り」と言う孫娘の主張通りにスマホが授与された。 今までは、家内以外は車と言う移動手段を自由に操れるので、移動手段の応援と言う事が私に依頼されることは無かったのだが、これからは孫娘が対象者として1名追加になる訳である。 娘夫婦は、平日は仕事なので、もし必要なら私に掛かってくるのだろう。 果たしてどのようなことで掛かってくるだろうか、今から心配になっている。 これからスマホを持つお孫さんも多数いらっしゃるだろうが、孫娘にも言っているが「情報収集は大切なことだが、それが『正しい物かどうか』を見極めることも大切だから」と。 爺婆としては嫌われることを我慢しながら、ぜひとも、その辺をしつこいくらいに言い聞かせて、その上で相談に乗ってやって欲しい。2019 年3 月15 日
全快しました
昨年の9月末に「木を切ろうと思ったけれど、筋を切った」と言うことで、笑えない冗談で何とか過ごしてきましたが、13日の診察で「これで全快です」と言う宣言を聞き、ホッとしているだけでなく「自分にCongratulation」という思いだった。 極力、医師の指導通りに、腕の動かし方に気を付けていたが、やはりまだまだ「若気の至り」なのだろうか、「これくらいならいいだろう」とやって「痛っ」と言うと、耳聡く聞きつけた家内や娘、孫に「駄目っ」と鋭く戒められる。 確かに「煩わしい」とは思うものの、それだけ心配してくれているのだと思うと「感謝」と言う言葉がすぐに浮かんでくる6カ月だった。 これで14日の孫の中学卒業と一緒にささやかなお祝いができる。 しかしながら、年齢は間違いなく5月には72歳になるのだから「無理はしないで」をこれからも自分に言い聞かせながら過ごそう。2019 年3 月14 日
高校受験に挑戦
8日に同じようなことで書いたが、今日は「玉砕報告」である。 久し振りに何もイベントがない日になったので、時間的にはゆっくりと、孫娘が受験した、高校入試間問題に取り組んだ。 科目ごとに報告するのも憚られるほどの体たらくだった。 特に、得意科目だった「国語」は漢字の読み書きは流石に外すことは無かったけれど、文章読解問題は、当時からも苦手だったが、「何文字以内で」と言うものがあり、これが根気よく文章を読めば「当たらずとも遠からず」くらいになるのではないかとやってみたが、てんで歯が立たない。 数学もそうである。「ねじれ線」と言う言葉自体が、忘れていたのだろう「初耳状態」であったし、基本的な「多角形の内角の総和」も思い出すのに苦労してしまった。 此処は、何とか理屈を思い出して、解いたけれど、暑くもないのに汗がにじんできた。 勿論、単純な数式や、連立問題などは解けたけれど、とても合格できるレベルでないことに自分ながら驚いた。 でも「解らないことを解ろうとする」と言う楽しみの時間だった。 負け惜しみである。追記をみる
2019 年3 月13 日
健康麻雀の極意
昨日に引き続い手の麻雀話題で、今度は「自慢」である。 ゴルフはやらないので、在職中の交際道具は「酒と麻雀」だった。 だから、ひどい時には、とてつもなく負けてしまったこともあるが、闇金融などに手を出すことも無く、仕事もきっちりやっての上だから、許される範囲だったろうと思っている。 勿論家族にも、食糧費などを入れなくてヒモジイ思いをさせたことともない。 もちろん当時は、「勝った負けた」の世界だった。 でも、未だ在職中の、ある時から「姿勢を変えた」。 交際道具に徹する様にしたのである。 タバコは少なくはならなかったが、お酒も少量にして、会話(格好良く言うと「牌による会話:牌談」と言っていた)を楽しんだのである。 結果はその後で着いて来る。 リタイア後は、年に一度か二度のかつての同僚らと楽しむこともあったが、その姿勢は変わらなかった。 数年前から「健康麻雀」と言う事に参加しても、その姿勢は変わっていないと思う。 楽しんで、結果は後に着いて来る。 そう思えば、無理な立直などはかけない。 でも、私の癖で「5枚目の牌を待つ」と言う性格は変わっていない。 執着から離れていないなぁ、と思う時である。2019 年3 月12 日
健康麻雀でグランドチャンピオン
健康麻雀も始めてもう何年になるだろうか。 皆出席、とは言わないが、かなりの出席率である。 約四半期に一度の割で「大会」をやっていて、今年度は昨日が年度末大会だった。 事務局の方々もいろいろと趣向を考えられて、先週の予告では、「過去4回の大会でのグランドチャンピオン1名を総会で表彰します」と言う事だった。 その時点で、私が2位との得点差が25000点くらいでトップだった。 だからと言って「是か非でも頑張って」と言うほどの意気込みは、全くと言うと言い過ぎだけれど、無かったというのが本音である。 そんなことで、「勝ちに執着せず。手を考えて押すべきは押し、退く時はきっちりと退く」と言ういつも通りの姿勢で臨んだ。 と言うのも、6卓の構成のうち、マイナーの女性が数名入っておられ、ある意味で「勝ったぁ!」という感覚がない。 今日も「だって、要らなかったんだもの」と言う事で、大三元の最後を鳴かせて責任払いになったような人がいるのである。 昨日は、成績は悪くは無かったけれど、得点的に6位だったが、グランドチャンピオンは頂けるそうである。 どんな表彰か分からないが、楽しみに待っていよう。2019 年3 月11 日
全員で「雪囲い」外し
今年も恒例の「雪囲い外し」の季節になり、今年は孫娘が高校受験なので「外し」と言うような言葉はやはり縁起が良くないという事で、試験が終わった日を選んだ。 天気予報的には、午後3時くらいまで「曇り」と言うものだったが、風もそんなに無いし、むしろ暖かいものだった。 陽射しも雲の間から時々さすように、作業は約1時間半くらいで終わったけれど、みんなそれなりにうっすらと汗をかく程度に、「心地良い、日和」だったのは、まさに感謝の極みである。 昨年も同様な作業だったが、時間は途中の「ティータイム」を挟みながらも午前中いっぱいの約2時間かかったが、二人の孫娘もしっかりと要領を覚えたせいでずいぶんと捗った。 勿論作業中に怪我などのことも無く、笑顔でいろいろな話題を話しながら楽しく作業を終えた。 私は、午後から約2時間ほど、畑の整備や、プランターで頑張ってくれた土などの整理をして、3時からはもう私の定番作業になっている風呂の掃除をこなして、3:30頃から、ビデオ鑑賞でのんびり過ごせた。 日日是好日、を地で行った様な日だった。2019 年3 月8 日
高校入試問題にチャレンジ
今年は、孫娘が本番の高校入試である。 昨日帰ってきて「どうだった?」と聞くと「普通」と言う、そっけない返事だったが、こちらが心配するほど緊張もせず、実力を出し切れたのだろう。 朝の出掛けには「気を付けて行ってらっしゃい」と声を掛けたが、私の一つの常として「頑張って」とは絶対に声を掛けないようにしている。 本人が一番頑張っいるのだから。 それはともかく、例年は、かつて私が比較的得意だった、数学や英語、理科の一部などの問題にチャレンジしているのだが、今年はできても出来なくても、時間が掛かってもすべての教科にチャレンジしてみようと思っている。 多分孫には到底追いつかないだろうが、成績は伝えないでおこう。2019 年3 月7 日
家内から見ると「そろそろ認知症?」
健康麻雀では、そこそこの成績をキープして、幸いにして、2度に1度くらいは景品を貰ってくるほどの戦績である。 PC講習も10年経つが、それなりに質問には100点と言うほどの自信は無いけれど、80点以上の及第点を頂いていると思っている。 報恩講などの町内行事についても、かつての経験から、それなりのアドバイスも出来ているし、勿論できる範囲のお手伝いもしている。 そろそろ、園芸作業の開始時期になるのが楽しみだけれど、その準備などもそれなりに計画している。 決して「若い者には負けん」などとは言わないが「まだまだ認知症には縁遠いのではないか」と己惚れている。 とはいうものの、どうも家内から見ると「またあんなことをしている」と思うことが目につくのだろうが、時々その様な発言を耳にする。 ここで怒っても仕方がないので、適当に否定しながらも、笑って過ごしている。2019 年3 月6 日
今年も皆で「おひな祭り」
ここ富山の呉西地区では、お正月には、天神様を飾り、子供の学業が健やかに伸びますように、という意味で「学問の神様」と言い伝えられる「菅原道真」の掛け軸を初めとして飾る。 息子が生まれてからは、井波彫刻の木造が主になったが、その少し前には、結構大きな土人形が飾られた。 塗装が剥げたり、一部が欠けたりしたので、もう10年以上も前に「土に還って」貰った。 それはともかく、「此処での子供」はやはり「男の子」が主だった。 それに対して3月3日は、「女の子」が対象である。 娘のために買った7段飾りのひな人形、転勤で買ったガラスケースに入った、内裏雛、ミニサイズの物などいろいろなひな人形が飾られ、座敷が一杯になる。 娘と孫娘も手伝っての手作りケーキと、ちらし寿司に、蛤の潮汁で、今年も無事に全員そろってのひな祭りを祝うことができた。 感謝と共に嬉しい限りである。2019 年3 月5 日
ロボット憲法
先日ある本を読んでいたら、SF作家のアシモフが作った「ロボット憲法」の(多分一部だろうが)条文が紹介されていた。 この条文をロボットの電子頭脳にプリント配線することを提唱しているのだそうである。 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。 また、人間の過ちを見過ごすことによっても人間に危害を加えてはならない。 第二条 ロボットは人間の命令に服さなければならない。 但し、第一条に反さない限りにおいて。 第三条 ロボットは第一条・第二条に反さない限りにおいて、自己を守らなければ ならない。 このブログでも、幾つか採用された新聞投書でも、私はAIに興味がある、と紹介している。 私が生きているうちかどうかは分からないが「マイロボット」の時代は好むと好まざるとを問わず今のスマホのように身近にあるようになるだろう。 しかしながら、上記の条文だけでは、それこそ「滅茶苦茶の世の中」になってしまうだろう。 どうしてそうなるかの判断は、個々人に任せるけれど、絶対にそうであってはならないと思っている。2019 年3 月4 日
やっぱりなぁー
いろんな人がいろんな意味で「世紀の会談」と注目していた米朝会談。 無責任と言うか、それほど世情に詳しくないからこそ、今だから言えるが、「最初から破たんは見えていた」と言うのが私の本音である。 どちらのトップも「これで上手く行く」と発言していたが、彼らを支える人の殆どが「これで十分だ、相手の要求がきつすぎる」と言い、片やで「これじゃなるまで、看板だけのゼロ回答だ、だから安易に合意すべきではない」と言っているのだから。 最初から上手く行かないのは目に見えていたはずなのに。 国営放送ではないけれど、NHKもニュースの大半の時間を割いたり、延長したりして、拉致問題の期待を述べていたりした。 最悪で無かったことは「舞台でのちゃぶ台返し、が無かった」ことくらいか。 それが有ったら、それこそ「一触即発」だったに違いないから。2019 年3 月1 日