いまだに接種拒否
どうも日本だけではないようだけれど、未だに「接種拒否」「マスク拒否」と言っている人がいるようだ。
公民の公民たるべき「議員」でも、人気取りのネタが枯渇していた所為なのかもしれないが、ひと悶着起こして「有名」になろうとされているようだ。
最初は、私の中にも、少しだけ「同情する心」があったけれど、何波か知らないけれどこれだけ嵐が吹いているのにどうしてなのだろうか。
自分は何もしないでも「人から移されない」「人には移さない」という確証でもあるのだろうか。
もしそれが有るのだったら、正々堂々とそれを主張すればいい。
それも無くて「嫌だから」というのであれば、それこそ「無人島へ行ってくれ」というしかないだろう。
在職中も「気に入らないから、反対」と言う馬鹿も何人か見ていたが。
投稿者:つねちゃん
at 08 :36
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戦後の生まれだけれど
戦後の生まれで、実際の「戦争」というものは知らない。
でも、初めて米国出張に出る、まさにその日に「湾岸戦争」が勃発した。
偶々6名で出かけることになっていたのだが、職位上私が「団長として行け」と言われていたので、英語が堪能な訳でも無かったし、初めての海外出張だったが、「断腸の思い」でいた。
午後の便だったので、朝はゆっくりしていたが、8時のNHKニュースでこれを聞き、咄嗟に判断したのは「これで出張を止めてはだめだ」という事にして今ほど携帯がある時代では無かったので、すべて自宅へ連絡して「会社へは連絡するな、TCATに11時迄の集まれ」と団長命令を出した。
米国滞在中のニュースと言えば、殆どがこのニュースだった。今回のロシアの侵攻も、このような悲惨な目に誰もが合わないようにと祈るばかりである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :49
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偶然だが
四苦八苦をどうとらえるか。
先日行われた「町内報恩講」の説教のテーマが「四苦八苦」だった。
それが20日の事であり、その翌日の書き写しにも同じ言葉が出現した。
勿論、書き写しの言葉を事前に知っていた訳ではなく、お坊さんの説教などはそれにもまして想定外である。
この言葉に出会ったのはずいぶん昔で、「兎も角苦しいことでそれから逃げなければ」と思い込んでいたが、年を経て考え方が違ってきている。
「逃れられないもの」なのである。
だったら、楽しむまでは行かないけれど、それなりに付き合わなければならないのだろう。
「生」「死」には付き合うという言葉は当てはまらないだろうけれど、「老」「病」には付き合い方が有るのではないだろうか。
残る「四苦」も同じで付き合い方を自分で会得して過ごすことができるような気がしている。
投稿者:つねちゃん
at 09 :59
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紛失したと思っていた眼鏡も出てきた
眼鏡は運転免許証でも「必要事項」に成って居ないので、都合の悪い時は外している。
特に、このコロナの季節、マスクと同時併用は、何回聞いても実現できない「曇らないメガネのかけ方」ができないために、どうしても「一寸其処に置く」になってしまって、探し回らねばならなくなってしまっている。
つい2週間ほど間に、今度は徹底的に紛失してしまった。
ところが、20年以上も前に作った眼鏡が出てきた。
掛けてみると、ほとんど支障がないのに驚いた。
私の場合全て軽いらしいけれど老眼、近視、乱視が入っているもので、当時でも2万以上はしていた物だった。
それがナントもないのである。
成長というか老化というかが止まっていると言えばいいのか。
でも、つい一昨日になっていきなり「現役」が出現した。
やはり嬉しいものだが、他の感情は別にしよう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :58
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何時まで経っても「新し物がり屋」
リタイアして20年以上にもなるが、技術的興味(もう趣味の世界だが)については「新し物がり屋」の習性が治らないようである。
でも、もともと「小心者」なだけに「すぐ」という事だけは飛びつかなくなってきているのは、加齢の所為かも知れない。
少し前に、古いPCからの脱皮という事で、新OSにも対応できるものに買い替えた。
勿論全面的に乗り換えたのではなく、従来の物と「作業分担」させてまだまだ健在である。
その新しいものに、漸く新OSを入れ替えた。
当然「分からない機能」も付いてきているようだが、それに飛びつくのも、年齢を忘れさせてくれる。
また暫くは楽しめそうだ。
決して「畳と〇〇は新しいものが」などと言うことは言わずに、双方それなりに付き合っていきたいものである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :11
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決して裕福では無いが
年金生活で決して「余裕がある」生活では無いが、さりとて「爪に火を点す」ほどでもないので、平々凡々の生活をしている。
そんな中で、ずいぶん昔に買った電気製品が性能などが悪くなってきて、残念ながら製造メーカーを探してもヒットしないので、修理もできない。
仕方なく、似たようなものを探してしまい、買えそうな値段だから行動に移そうとすると、良きアドバイザーの家内が「あれはまだ使えるのじゃないの」と冷静な目で言ってくれる。
新品が良いのになぁ、新しい機能もついていそうだし、と思いながらも探し出し、電源を入れてみると、現在困っている課題にはしっかりと答えてくれることに気が付いた。
確かに携帯性等に思っていた物と違和感があるけれど、かつてほど活動的に使うのではないのだから、許容できる。
たまには、身の回りの物を再点検してみるのも楽しい。
投稿者:つねちゃん
at 12 :39
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日記で過去を振り返ってみる
以前にも紹介していると思うが、私のPCでの日記帳は20年近く前のリタイアした時に、有料ソフトとして購入したものである。
当時の価格で1,200円だった。
残念ながら、発行元を検索してもヒットしないので、「こうして欲しい」としいうことが有ってもサポートは無い。
幸いにして、相当買った人が多いようで、そんな人が載せているヒントに縋るしかないのだが、今のところ「不自由」ではない。
手書きの物をずいぶん昔に戻ってこれに載せたりしているが、高校生時代の物なども、時折「どうかな」と思ってみることもある。
家内もずいぶん昔からつけているが、何かの都度で焼却処分しているようだ。
たまには数年前の自分を見てみるのも楽しいものである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :44
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オンラインミィーティング
不定期だけれど、3度目のオンラインミィーティングを行う。
今回は司会進行役が回ってきた。
通信環境や連絡などの労はこのソフトに長けた人にお願いしているので、司会進行と言っても「粗々のテーマ決め」と発言が混乱しないようにお願いするだけであるが、それなりに気を張るものである。
今回事前に「テーマ」を決めてメンバーにお願いしたのは「好きなメニュー」である。
私の本意とするのは、「自分勝手な嗜好品」という事なのだが、果たして意図が伝わっているかどうかが心配だけれど、仲間内だから、そんなに気を張る必要もない。
お酒を舐めながら楽しく過ごしたい。
投稿者:つねちゃん
at 09 :12
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バレンタインのチョコレート
昨日、私にも女性からチョコレートを貰った。
一人は家内。
4種類のチョコレートが6枚ずつ入ったものだった。
Bitterと表示されていた物を1枚食べたが、チョコレートの甘さの中にほんのりと「苦味」が感じられて美味しいものだった。
後3種類で3枚が「私の物」なのだそうである。
後は「家内の物」。
もう一人が同居の娘から。
こちらは「ブランデーボンボン」の6個入りである。
これは今晩にでも食べようと思っているが、横で「虎視眈々」と狙っている人がいるので、6個全部が私の物でもなさそうである。
あとの二人は孫娘で「手作り」である。
これはどうも「味見」というか「毒見」と言う感じだったのかもしれないが、生クリームを包んだものともう一つは内緒だという。
どちらにしろ、この歳になっても好物のチョコレートのプレゼントは大歓迎である。
投稿者:つねちゃん
at 08 :34
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ピタゴラスイッチは面白い
TV番組は録画してみる、を常々やっているが、先日番組表に「ピタゴラ」というたった4文字の番組が掲載されていた。
もう大分前に成るが、私の中で「ピタゴラブーム」というものが起こったことが有る。
決してリタイアした後では無かったような気がする。
それを思い出して録画予約してみた。時間としては15分くらいのものだけれど、未だに、見る度に「へぇーっ」と思いながら楽しく観ている。
結構手の込んだものがあり「次はどうなる」という事が裏切られたりすると、巻き戻して確認したりして楽しみを倍加させている。
疲れた脳のリフレッシュにお勧めの番組である。
投稿者:つねちゃん
at 07 :44
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今日は是をやったぞ
昨年からの行動指針の続きで「やることを書きあげて、実行する」をやり続けて来けれど、思い直してみると「序に」とか「少しだから」という事が色々とやっていて、それが結構積み重なると、それなりに時間を要していることに気が付いた。
それで、昨年付けいた日記を読みながら、楽しんで日記を付けているが、昨年は「よしっ!」を掛け声にしていたようだ。
それなら遅ればせながらだけれど「是はやったぞ!」を背中を押す力にしようと思って、先日からやり始めている。
さて、どこのまで続くか分からないけれど、「金も掛からず」という行動だから、僅かでも良い方向に向けば「儲けもの」という事だろう。
投稿者:つねちゃん
at 06 :19
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60年前の日記が出てきた
決して「終活」という思いでは無いが、仕事以外でPCと付き合い始めたのはリタイアしてからだったが、そのころ「撮って置く」という癖が付き、今までの手書きの物などを手頃な価格になった「スキャナー」を使って片っ端から「電子ファイリング」したもののうちの一つである。
高校生から入社したころ、月給が確か4:6で2度に分けて支給されていたことが、思い出された。
それにしても、物価などの安さに今更ながら驚く。
手書きなので「元の文章が分からない」ことが有るのも楽しい。
でも、時々「そんなことがあったっけ」と思い出させられるのも楽しい。
反芻を兼ねて、今後は誰もが「読める」ことを思いながら書き写すのも楽しいことである。
たぶん誰も読まないだろうが。
これでまた「したいこと」が増えた。
投稿者:つねちゃん
at 07 :57
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犯罪名に騙される
少し前から耳にはしていたが「ロマンス詐欺」と言う意味や手口を、漫然と聞いているラジオで言っていたので理解した。
また、いろんな形で「還付金がもらえますよ」という宣伝が結構耳に付く。
「還付金詐欺」の推奨に役立っているのではないだろうか。
「ロマンス」や「還付金」などと言われると、なんだか優しいようなことに成るのではないかと期待する人も多いから、被害者もなかなか減らないのではないだろうか。
こんな言葉は、やはりマスコミが作り出しているのではないのだろうか。
だとすれば、文章も話し言葉もプロ中のプロのマスコミ屋さんなのだから、もう少し「どぎつい」言葉で表現したらいいのではないだろうか。
そうすれば、わずかでも被害の減少に成らないだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :27
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最近「喋る」という機会が少なくなっている
私の個人的な都合で「喋る機会が少なくなっているのかな」と思っていたが、どうも、必ずしもそうではなさそうである。
今まではスーパーで買い物でも、店員さんに簡単な質問をすることがあったが、慣れた買い物だからだろうか、それも殆ど無くなった。
レジでも、挨拶を初めとして、ささやかな会話もしていたのだが、それも殆ど店員さんからの質問に「ハイ」と「いいえ」で答えるだけになったように思う。
さらにお金を支払うのも機械が相手であり、指図通りに操作するだけである。
職場の同期生とオンラインミィーティングで、年に数回テレビ会議的に喋るくらいである。
もう少し相手を増やしてオンラインでもいいから喋る機会を増やしてみようか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :24
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判決は「見せしめ」であるべき
色々な「想定外」の事件が発生しているが、そのたびごとに弁護士の発言は「意図したものではない」「思いつきだった」などと犯罪者の「人権擁護」に偏っている気がしてならない。
裁判素人として思うのは、「再犯の恐れ」や「類似事件の誘発性」という事にはまったく思いが至ってないという「おかしさ」である。
弁護士さんという職業の人には直接お会いしたことはないが、その様な事件に対して配慮した弁護(にならないかもしれないが)に思いをしない弁護だと、「弁護のお客さんを増やそう」というような思惑があるような気がする。
だから「見せしめ」的な罰こそが再発防止に成るのではないか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :51
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数字に慣れるのが怖い
最近の新型ウィルスの新規感染者の数が、だんだん多くなっていて、どこがピークやら分からなくなっている。
ところが、最初の頃はあれだけ大きく紙面を占めてたのだが、それに比べて最近の紙面で占める割合は、「極端」と言っていいくらい狭くなってきていないだろうか。
新聞紙面だけではなく、どうも我々の感覚自体で占める割合も「こんなものか」と言う感じで狭くなってきていないだろうか。
「物事に慣れる」という事は、こんな場合は決して良い方向には向かわないのではないか。
いつまでも「こんなに変わったのか」という感覚を失わずに、良い意味で「一喜一憂」しておきたいものである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :45
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読書感想文
今回の物は、2021/4/9から音読で使った本である。
「ついやってみたくなる『不思議』の本」(講談社α文庫 日本社 刊)である。
1997年3月に第一刷、1998年3月に第7版発行になっているから、それなりに売れた本ではないだろうか。
今から約30年ほど前の物だとすれば、やはり父の蔵書だろう。
手品と言う演芸は、今でも見るのが大好きだけれど、元来手先が決して「器用」という訳ではないことは自分が一番よく知っているので、他人様にやって見せようと思ったことなど微塵も思わない自分だから、自分で買うことはしなかった本だろう。
章立てで紹介しようにも「PART?」から「PART?」までとあるだけなので意味がない。
でも、古本屋でもどこでも探し出されたら手に取ってみることをお勧めする本である。
イリュージョンと言うほどの種明かしはしていないが、かなりの数が「ちょっとした手品」の種になっていることは間違いない。
だから「やってみたくなる」と表記しているのだろう。
だからと言って「その種はこうだろう」と人前で言う事だけはやめてこう。
投稿者:つねちゃん
at 07 :19
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喋る
ここでも何度か言わせていただいているが、カラオケというのはあまり好きではない。
とは言うものの、若い時はそれこそ「マイク・ハナサーズ」を地で行っていたのだから、勝手なものである。
逆に用意、不用意にもかかわらず、自分勝手なこともあれば、最大は500名近い人の前で15分間ほど自慢話をしたこともあり「喋る」という事は殊の外好きだった。
数年前に「咽喉癌」と診断されてからも、折有らばとその機会を捉えていたのだが、年始めから「大きな声」が出なくなった。
それに加えて「喋る」という機会も少なくなっていることに気が付いて、最近は意識しながら「声に出す」ことを試みている。
リタイア、加齢という状況で「喋る」機会が少なくなるけれど、やはり無理なく人に聞こえる程度の声で喋ること止めないでおきたい。
投稿者:つねちゃん
at 07 :40
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