2018 年3 月30 日
2018 年3 月29 日
ブログは無検閲
新聞への投書は、採用に当たっては、いろいろな検閲がある。 それが悪いと言っている訳ではなく、限られた紙面からしようが無いことがあるだろうし、たとえ如何に時機を捕らえた当初が続いたとしても、まさか毎日載せる訳にはいかないだろう。 また、こちらが「これこそ最良の意見だろう」と思っていても、例えばどこかの政党と同じ論理だったりすると、やはり載せにくいだろう。 そんなことからすると、ブログは、まったくの無検閲である。 だから気軽に遠慮無く書ける。 でも、書いているこちらとしても、何も「嗾(けしか)け」をするつもりは無いのだから、格好良く言えば「五月の鯉の吹き流し」だと思っている。 何処かの隣国のように「使用禁止用語」などで検閲を受けるような心配は今のところ無いのだから、まだまだ暫くは気軽に書かせていただこうと思っている。2018 年3 月28 日
砂漠の大気中から水を得る
楽しいニュースを見た。 相変わらず突飛な研究を真剣にやっているMIT(マサチューセッツ工科大学)での研究である。 砂漠は行ったことはないが、かなりの乾燥状態で、湿度が10%くらいだという。 そんな中から不純物を含まない水が取れるという。 まだ数ミリ程度だというが、少なくとも「種」は確実に出来たということである。 不純物を含まない、と言うのであれば、実験場は世界各地にある訳で、実験段階から得られる効果は誰もが望むことだろう。 砂漠に限らず、綺麗な水を求める所は何処にでもあるはずで、ぜひとも早急に進めて頂きたいものである。 そうすれば、いろんな水による危険から遠ざかることができるのだから。 こんな楽しい報道は、なるべく早く広げてほしいものである。2018 年3 月27 日
イワシの豊漁
新聞に氷見での鰯が豊漁と出ていた。 スーパーで見ると、見るからに新鮮で丸々と太って美味しそうな鰯が手ごろな値段で出されていたので、調理担当で、余り魚好きではない家内に、頼み込んで買ってもらった。 夕食に供されたメニューは、刺身こそ家内の苦手部類だったので、出なかったけれど、塩焼きと天婦羅だった。 天婦羅には、簡単にできる手作りの「茶塩」を塗し、塩焼きには下ろし生姜を少し香る程度に載せて、絶品である。 夕食だけで味わうのが勿体無かったので、塩焼きの1尾分は、夜のお酒タイムで食した。 美味しい旬の物を安価で手に入る時に食べるのが、年金生活者の楽しみの醍醐味である。 何も、無い時に高価なものを求めて、食べる人を羨んだりする気持ちは全くない。2018 年3 月26 日
信心の姿
そんなに信心深いわけではないけれど、毎朝の神棚と仏壇へのお参りは欠かしていない。 これは、信心からと言うよりも、子供の頃からの一つの「習い性」なのだろう。 かと言って、最近の若い人に多いと聞くが「あなたが信じている宗教は?」と聞かれて「無宗教です」と答え、殆どの外国人から、疑問視されるほどではない。 そんな中で気が付いたことは、仏様や神様には申し訳ないけれど、お参りの途中で、全く別のことを考えることはあっても、傍目(神仏は御見通しだろうが)からは見えないけれど、欠伸などが出る場合がある。 少し前までは、そのフレーズを再度やり直していたのだが、横着になって、「これも信心の姿」と勝手に許してもらっていることにした。 滝に打たれるお勤めもあろうが、欠伸をしても、信心の深さには関係なかろう。2018 年3 月23 日
前職への批判攻撃
韓国では、大統領が代わるたびに、前大統領の犯罪が摘発される。 報道によると、そんなことは「世界の常識」とでも言いたくなるような状況が各国で行われている。 大国でも、それが怖いから辞めなくてもいい制度や体制の構築に躍起のようだとの報道もある。 自分が何年生きられるか誰も保証していないのに、「ずっと居続ける」と言う姿勢の様である。 昔の歌謡曲に「たとえ一汽車遅れても、すぐに別れが来るものを」と言う歌詞の歌をご存じだろうか。 長期政権を追われた途端に、その人にかしずいていた人は、徹底的に糾弾されて非難されるのだろうが、それに気が付かないのだろうか。 いま、わが国でも、同様なことが起きようとしている。 槍玉にあげる人は決まったから、次は「かしずいていた人」をリストアップして、糾弾を浴びせる標的にするのだろうか。2018 年3 月22 日
小用トイレは何処を使うか
先日、楽しい話題に触れた。 男性用の小用トイレが3つある場合、どれを使うか、と言う話題である。 論理によると、マイスペースと言うものをどうしてもキープしたいという意識から、せめて片方だけでも防御と言うか他人に邪魔されたくない、ということから、どちらかの端を使うのだそうである。 この論理は、在職中の研修でも似たことを聞いたことを思い出した。 ところが、今現在を振り返ってみると、ほとんどの場合「真ん中に近い方」を使っている自分に気が付いた。 マイスペースと言う感覚は間違いなくあるのだが、「小用を足す」と言う一つの「無防備」の感覚が無くなりつつあるのではないだろうか。 これは、良い事なのかどうなのか。 そう考えると、そんなに経たずに「良いじゃないか」という思いにとらわれる。 金も名誉もない自分を誰かが襲うことはないし、おおらかな気持ちの方が「良いじゃないか」ということである。 「向かい側に座るな」(対面すると圧迫感を与える)「50cmくらい離れて座れ」(マイスペースに立ち入るな、警戒感を与える)「横に座る場合は右側に」(左側には心臓があり、どうしても警戒する)と言うようなことも教わった。 リタイアした極楽とんぼには、影響が無さそうで、その分「おおらかさ」が楽しめるということだ。2018 年3 月20 日
漢字多用の書き写し
書き写しとは本来違うのかもしれないが「漢字多用」にする事は以前にも確か紹介したと思う。 そんな中で「おいておく」と言う表現が出てきた。 諸姉・諸兄はこれをどのように「漢字交じりの表現」にされるだろうか。 あくまでも「これが正しい」と言う主張をするのが目的ではなく、「こんなのは如何でしょう」と言う感じの自己満足の紹介である。 実は、この表現が出てきたのは、最初ではなく、最初は「物を特定の場所に置いて、そのままにしておく」と言う意味は理解出来たので、「置く」とだけ漢字を使ったのだが、どうもしっくりとこなくて、隔靴掻痒と言うような嫌な感じが残った。 それで、漢字辞典の登場である。 結論から言うと「措く」には「そのままにしておく」と言う意味が見つかったので、「置いて措く」と言う風に書くことにした。 なんとも漢字交じりの書き写しは楽しい学習である。2018 年3 月19 日
依存症
外国からの旅行客を集めるために、カジノを作ろう、という法案が議論されている。 もう40年以上前の話で、時効だと思うから白状するが、給料日の後の飲み会がお開きになり、一人で新宿で飲んでいて偶々カウンター内の女将さんと、隣に座っていた40年配くらいのおじさんと意気投合して、終電が無くなったので、そのおじさんに誘われるままに六本木迄付いて行き、入ったのが「違法カジノ」だった。 まるで東映映画に出てくる「賭場」と映画で見るアメリカのカジノそっくりだった。 最初は訳が分からなかったので、見ているだけだったが、おじさんに勧められるままに3,000円位(当時の私の給料は約2万円だった)でチップを買い、ルーレットから始めた。 そんな経験があるが、今では「1円パチンコ」だけである。 でも「依存症」と言うのは多分金輪際治らないだろう。 これは「お酒依存症」でも同じことである。 ギャンブル依存症の防止のために、「できない禁酒」のような意味不明なルールを決めようとしているが、「ルールは破られるためにある」と言う古い言葉を知らないのだろうか。 いや、知っていて誤魔化そうとしているのか。2018 年3 月16 日
事前通告
国会問答だけではなく、議会と言う場面において、時折聞こえるのが「事前に質問を頂いていない件についてはお答えできない」と言うのがある。 この言葉を聞くたびに不思議でならない。 実に不思議な答弁である。 「事前に問題が明らかでない試験には、答えようがない」と言っているようなもので、これならだれが受けても合格点にしかならないだろう。 議員さんと言うのは、その程度の頭脳の持ち主なのだろうか。 多分裏か表かは知らないけれど、それなりの学校に入られ、何らかの工作を経て無事に卒業されて、何の何光か知らないけれど、担ぎ出されて、議員さんになったのだろうから、事前に問題が知らされ、自分で解くことも無く、官僚と言う人たちが寄ってたかって解いた原稿を、読み違えがたまにあったとしても、読み上げるだけだろう。 尤も、そんな人を選んでいる選挙民も「何光」のおこぼれに預かっているのだろうから、「この国民にしてこの政治があり」と言われてもしようがないのか。2018 年3 月15 日
読書感想文
「お経のことば 95の知恵」(花山勝友著 三笠書房刊)を読み終えた。 読書感想文を書くのも久し振りである。 色々なお経の本から「言葉」を引用して、解説されている。 特別どこかの宗派に偏ったりしていない(と私は思った)内容で、私には非常に理解しやすかった。 さりとて、凡人の最たる身にとっては、すべてが身に付くということは無く、その時限りに反発もし、納得もしたということである。 お経と言うか、宗教に関する本を過去にもいくつか読んだこどあるが、どこにも偏らない(尤も「仏教」と言う意味では偏ったいるといわれるかもしれないが)この手の本は、このように読むのが本来ではないかと思っている。 この本は、今回初めて読破したのだが、暫くしてから、今度は「書き写し」の対象にしてみたいと思ったので、古書寄贈の対象にはしないつもりである。 お勧めできる本である。 後継には「漢字」に関する本にした。2018 年3 月14 日
気を付けながらも
ここ数日、以前に比べて気温が「高値安定」と言う風な状況である。 それが顕著に表れるのが「朝起きの服装」である。 以前は、パジャマの上に(尤もパジャマの下はスッポンポンだが)綿入れの作務衣を着て、部屋用のネックウォーマーを付ける。 下は、フットウォーマーでゆる靴下(これだけは寝ている間も付けている)を締め付け、部屋用長靴を付ける。 これで、ストーブは18℃くらいにして点ける。 これでようやく書き写しや音読の作業を開始する。 それでも寒い時は、ストーブの温度を上げたり、作務衣の下も身に付けたりしていた。 ところが、ネックウォーマー無し、部屋長靴無し、フットウォーマー無しになっても、置きがけの腹筋運動で済むほどになってきている。 1枚脱ぐ度に「身が軽くなる」快適さをしばらく楽しみながら本格的な春を迎えたい。2018 年3 月13 日
空耳
何でもかんでも「加齢のせい」とばかりは思わないけれど、最近時々「空耳」が聞こえることがある。 短い言葉は覚えているが、続くととても覚えておられず、全体を忘れてしまうのだが、先日のははっきりと覚えている。 毎晩のことだけれど、ほろ酔い気分で、就寝前書き写しと読書を約30分ほどして11:30過ぎにベッドに入るのだが、寝付きは決して悪くない。 大体0時半過ぎにトイレに起きるのだが、この日も同様に起きたが、その前に「おじいちゃん」と呼びかけられた。 どうも家内の声のようで、何かし忘れたことがあるのかなと、起きたけれど、廊下は真っ暗で空耳だと思った。 二度寝して気が付いたのは、4:40過ぎだった。 この時はトイレの用事は然程ではなく、今度は内容が同じでどうも孫娘の声だった。 さほどの心配でもなかったが、一通りの朝の行事を終えて、ネットで調べてみると、認知症の走りの疑いもあるとあった。 でも、今日だけではなく、どちらも「恨み声」とかと言った性質のものではなかったので、まだまだ頼りにされているのだということにして、一つの「楽しみ」にしよう。2018 年3 月12 日
「直し方のわからないものをこれ以上壊し続けるのはやめて」
あるネット情報で見かけた少女の言葉に、今更ながら気づかされた。 原発や核だけのことではなかろう。 私だって、他人の事は言えない。 勿論核や原発などには直接関与したことはないが、「自然破壊」と言う点では、直接ではないにしろ、間接的にはかなり多くの「助太刀」をしているのではないだろうか。 この期に及んでだけれど、今になって「直し方」が分かっているだろうか。 また、よしんば分かっていたとして、少しでも実行しているだろうか。 この少女は原爆や戦争のことを言っているのだと思うけれど、米国の「銃規制」の論法ではないけれど「持っていなければ虐げられる」と言う論法で正当化を叫ぶ人を非難は出来るし、決して容認はしないけれど、そんなことでなくても「直し方が分からない壊し」をやってはいないかと、もう一度周りを見直してみたい。2018 年3 月9 日
3カ月ごとに購読紙を変える
最近同級生だけでなく、年齢の近い人と話していて「へぇー、そんな人が結構多いのだなぁ」と思ってしまった。 全国紙と地方紙を含めて、短い人では3カ月ごとに、長い人とでも1年ごとに購読紙を変えるのだそうである。 我が家でも、両親が健在の時は、父が「読売新聞」で、母は地方紙の「北日本新聞。 そこへ私ら家族が帰って来て、私の在職時には「朝日新聞」と「富山新聞」の4紙を購読していた。 私がリタイアして「朝日新聞」をやめた。 父が亡くなってから、読売新聞を止めた。 母が亡くなってから北日本新聞をやめた。 ということで、現在は「富山新聞」だけである。 今では、全く来ないけれど、止めた時には「継続して取ってください」といろいろなものを持参して頼みに来られたが、一切断ってしまった。 購読紙を変える人は「そのままにしておくと、何にも持ってこない」と言うが、それを貰うのが本来の目的ではなく「釣った魚に餌を与えない」と言う新聞社側の怠慢に腹を立てているとみるべきなのだろうか。2018 年3 月8 日
看護師も笑った
先月の定期診療の少し後から、このブログでも紹介しているが、寝る前のお酒を今まではウィスキーを3杯(約180cc。季節に応じてお湯割りだったり水割りだったりするが)にしていたのだが、摂取する水分が多いせいだろうが、夜中に3度は起きてしまうことが多かった。 そんな中、何かの会合の後で日本酒を飲み過ぎ(自分では「過ぎた」とは思っていないのだが)て寝た夜は朝6時近くまで一度も起きなかったのである。 それで考えて「日本酒1杯、ウィスキー2杯」にした。 今回の診察で「血糖値が徐々に上がってきつつある」と言われ、そのことを説明し、継続睡眠時間が長くなり、夜中に1度だけで済むようになった、と説明する。 「それなら後で飲むウィスキーを1杯にすれば。1杯も2杯も変わらないだろう」と言われたので、「変わらないならば2杯のままにする」と言うと、横で聞いていた看護師の方も一緒に大笑いになった。 医者としては、「どうにか良い方向に」と言う気持ちがあるのだろうが、飲みたい私にしては「これ幸いの言葉」だった。2018 年3 月7 日
「明日できることは、今日やるな」
在職中によく部下に言い聞かせた言葉である。 私自身は、学生時代(とは言っても高校生までだが)のアルバイトの時も、時間給で働いたことは無いので、現在言われている「働き方」の議論は正直なところ、もやもやとした不備は分かるが、よく理解できない。 で、本題に戻るけれど、言い訳染みて聞こえるかもしれないが、ほとんどの場合「チームプレー」としての行動だった。 だから、明日やることを自分が早く出来たからと言って、他人様に見せる様なことをすれば、影響を受けた側が「手抜き」をして追いつこうとすることを恐れたのが一つの原因である。 もう一つは、有給でも取って、別の方面での自分を探せ、ということだった。 議論は分かれるだろうが、反対に「今日出来る(やるべき)事はきっちり今日中にやれ」とも言っていた。 その結果、「ヘルプ」や「ギブアップ」ということがやはりある。 そんな時に、早く出来た奴に応援させるのである。 これで「チームプレー」が本当に良さを発揮してくる。2018 年3 月6 日
AIに矛盾の問いを
盛んに話題に上っているAI技術だけれど、便利さがゆえに、誇大解釈して、恐れたり、過大な期待による安心感を持ったりしているのではないかと思う。 私の古い考え方によると、人間と一番違うところは「矛盾の受け入れ」ということができないという点ではないかと思う。 私だけではないと思うが、一般凡人は、常に「矛盾」に取り囲まれているのではないだろうか。 例があまり良くないとは思うが、一番わかりやすいのは「殺人」であろう。 それも、最悪の場合「無差別殺人」ではないだろうか。 残念ながら米国での銃乱射事件や、わが国でも繁華街を無謀な運転で犯した事件などはその代表例だろう。 勿論「罪悪」である。 が、これも残念ながら、世界のあちこちでまだ止まない「戦争」はどちらも「我々が善だ」との主張である。 これをAIで解決できるかと問われれば、AI自体が間違った答え(誰からも「正しい答えと思われない」と言う意味で)を出すことになるだろう。2018 年3 月5 日
「ごみ」をどのように書かれますか
「ごみ」と言う言葉を漢字で表現される場合、どのように書かれるだろうか。 「塵」「芥」「屑」その他にもいろいろとあるかもしれないが、私の書き写しの中で「ひらがな」で出てきた。 漢字多用を今年から心がけているので、咄嗟に出てきた漢字は「護美」だった。 勿論「宛字」であるから、学校の試験で書いた場合は、?になる答えだろう。 でも、「雪が解けたら何になる」と言う問題にもいろいろなものがある様に、これも決して間違いではないと、苦笑いしながらやっている。2018 年3 月1 日
春の園芸作業開始
今年は、最近にない雪に見舞われ、果たしていつから園芸作業ができるものかとと、相当案じられていた。 尤も、我が家は基本的に我が家で終始するから、園芸の出来不出来が大きな問題になることは無いのだから、気軽なものである。 と言うものの、やはり偶の上天気になると、「何かしなければ」ということになるので、ウロウロすることになる。 ともかく、ベランダは幸い簡易温室的になっているので、そこから手を付けることにした。 幸い小葱(万能葱とも言われているものだ)は大部分が薬味としては十分に使える状態なので、根元の土を起こして化成肥料を追肥する。 それで、少し早めの種蒔き準備である。 プランターに再利用の土を入れ、熱湯消毒と言う意味で、沸かしたお湯をたっぷりと掛けておく。 暫くして落ち着いたら、「撒いてすぐ使える石灰」を施して、それも落ち着いたらようやく種蒔きである。 その一方で、古い種の発芽試験をしておかなければならない。 ザッと見積もるだけで、これだけの「やるべきこと」が出てくる。 今から楽しみである。追記をみる