2018 年6 月29 日
2018 年6 月28 日
男女機会均等と言うけれど
基本的にこの方針には大賛成なのだが、我々の年代では、残念ながら適応しないと思っている。 特に女性が声高に、これを叫ぶとき、「あんたはどこまでそれをやっているのか」と問いたくなる。 しかし、声高に叫んでいらっしゃる時には、会場の殆どが「そうだ、そうだ」と言う雰囲気になっているので、そこで「火中の栗を拾う」と言うような愚かなことをやる気にはなれない。 だから、出来ればすぐにその場から退散する様にしているのだが、在職中は特にそうだったが、それなりのポジションで出席しているので、居なくなるとむしろ探されるので、余計に目立ってしまう。 結果、見つかってもばつが悪いからじっと我慢を続けることになり、終わってから、自棄酒ではないけれど何処かで鬱憤を晴らすことになる。 「やはりここは男性の方でないと」「これはやはり男性に決めてもらわないと」など等の言葉は、決して「汚れ役はやりたくない」ということである。 国会議員を初め、議員に女性が、諸外国に比べて異常に少ないのは、そんなことにも原因があるのではないか。2018 年6 月27 日
階段の手すり
市からの健康診断などの案内が来て、その中に「階段は手すりが無いと困りますか」と言うのがある。 我が家にも、両親が二階へ上ってくることがあったので、手すりを付けてもらった。 今までは、「意地でも手すりの世話になんかならないぞ」と言う気持ちがあった。 今でも、無ければ無くても困ることは無いのだが、先日、ふと気が付いたのだが「あると楽だ」ということにである。 勿論「頼らなければ上がるのが辛い」と言うような状況では無いのだから、「触っている」くらいの感覚である。 やはり71歳という年齢から考えると、「無理な我慢はせず、できる所は楽しよう」ということが正解のようである。2018 年6 月26 日
葛藤の楽しさ、AIにはない
「葛藤」と言う言葉は「葛」と「藤」の蔓が絡み合って、物事が簡単に解決できなくなる状態を示すのもので、決して歓迎すべき状態では無いのだが、私は決してこの言葉が嫌いではない。 生意気なことを言わせてもらえれば、あまり好きではなかったし、混沌としていたコンピュータの世界に、組み込まれたので、否応なく「葛藤の世界」に入り込んでしまった。 昭和40年代中期で、「昨日の本当は、今日の嘘」と言う状態が目まぐるしく襲ってきたから、元々頭が良い方では無いから、論理的に落ち着いて考えるのが苦手だった。 でも、そんな中で、時折「解けた」とか「解いた」ということに出会うと、なんとも気持ちが良い。 先日、在職中から興味を持っているAIと言うものについて考えていると、AIには「葛藤」ということはどうも無さそうである、ということに気が付いた。 だから、結果として「解けた」ことに対する喜びも無いのだろう。 こんな事から「AIに仕事を奪われる」と言う恐怖心から少しだけ逃れられるのではないだろうか。 でも、量子コンピュータと言うものも出現しているから、この問題も「解いた」と言う時期が来るかもしれないが、そこには「喜び」と言うものはない。2018 年6 月25 日
「鋏」と「挟む」
長い間「書き写し」をしていて、全く勘違いと言うか「同じ」と思っていた間違いに気が付いた。 紙や布などを切るのは「鋏」であり、何かを両側から押し付けることは「挟む(挟みとも当然言うが)」であり、手偏と金偏は間違いなく書いていたのだが、旁が全く違っていたのに、同じものを書いていたのである。 鋏のつくりは「夾」である。 挟むのつくりは「夾の人と人の下に線が入る」であり、単独で使われることが無い様である。 「夾」の方には単独でもいくつか意味があるが「人偏を付けると、男伊達」「衣編を付けると、あわせ」である。 国鉄か゜民営化するときに「鉄には『失する』があるので、金偏に矢にしろ」と言われ、それが罷り通ったというが、今でもそうらしい。 それにしても、やはり「学習」は楽しい。2018 年6 月22 日
同期会
在職時の研修所での同期生の「北陸版」が行われる。 未だ幸い車の運転には不都合が無いので、在京の同期を金沢駅で迎え、会場へ出向く予定である。 健康麻雀を始める前までは、年に一度のこの機会でのみ麻雀を楽しんだものだが、果たして今年はどうなるだろうか。 宴席の後は、決まって私の苦手なカラオケになるのだが、滅多に自分では率先して歌わないものの、何かのはずみで「マイクハナサーズ」と言う40年以上も前の醜態を演じることもあるが、今年は多分それは無く、みんなが歌うのにボソボソと歌ってちびちびと酒を飲んでいるのではなかろうか。 10月末には、この全国版が、有馬温泉で開かれる。 その後家内と、四国の「レプリカ美術館」へも行きたいので、参加できることに感謝しながら、家内ともども参加するつもりである。2018 年6 月21 日
ボールペンにも「利き側」がある
我が家の「家の外孫娘」は同じ環境で生まれ育ったはずなのに、やはり「親から受け継いだものか、隔世遺伝なのか」は分からないが、利き腕が違う。 それに伴い、鋏が顕著だけれど、「右利き用」と「左利き用」と言うのがあり、以前あるTV番組で「左利き用のお店」と言うのが流行っていたと報道されていた。 だから、身近に「利き側」と言うのがあることは知っていたが、毎朝の「書き写し」では右手と左手を使って短文を写していたのだが、当然同じボールペンを使っていたのだが、ある時、右手で書いていた時はナントも無かったのだが、左手で書き写しを始めようとすると、インクが出ない。 「そろそろインクが無くなったか」と言うような時期だったので、その時は別のボールペンで行い、「後で確認するわ」と思っていた。 雑学になるかもしれないが、ボールペンが出なくなった時には、ライターで先端を熱してやると蘇生することがある。 そんなことを忘れてしまって、翌朝何も思わず「左手で出なくなった」方を右手で使うと、すらすらと書ける。 途中で気が付いて、試しに左手に持ち替えたが、やはり出ない。 文具の所為ではなく、微妙な力の入り方だったろうが、楽しい発見だった。2018 年6 月20 日
ニュース番組でよく聞く言葉
色々な報道番組で、痛ましい事件や許容できないような事件があった時に、司会進行役の人が良く口にする言葉に「このようなことは、決して忘れてはいけませんね」と言うのがある。 何気なく聞いている時には「それはそうだ」と同意し、一緒に憤慨もするのだが、よく考えてみると、なんだかおかしい。 と言うのは、翌日になったら、ほとんどの場合口の端にも上らないことがある。 良く続いても1週間と持たないだろう。 ということは、言っている人自体が忘れてしまっているか、もっと穿っていえば「忘れさせようとしている」のではないかとさえ思ってしまう。 もうかなり前になるが、幾つかの報道社に「忘れないコーナーを作ってはどうですか」と提案したことがあるが、梨の礫だったから、誰も本当に忘れてしまったのではないだろうか。 これで良いのだろうか。 だから同じような事件の再発は火を見るより明らかなのだろう。2018 年6 月19 日
慌てない
在職中はもとより、リタイアしてからもなかなか抜けなかった癖の一つに「時間を倍にして使え」と言うものがあった。 人には当然平等に一日は24時間与えられているのだが、「今日出来ることは明日やることでもやってしまえ」と言うような考え方で我武者羅だった。 仕事についてもそうだったけれど、同じお酒を飲むときでも、隣の席の見知らぬ人にも声を掛けて、不興を買う時もあったが、お互い「酒の席」でのことで、結構人脈も広まった。 また、当時流行った「ニッチタイムを生かす」と言う考え方には大いに共鳴して、それなりに努力して、今思えば「功を奏した」と思っている。 だが、最近になって、思考能力が衰えたとは思わないが、反応が鈍くなっていることに気が付いた。 そうなのだ、いつお迎えが来るかは別にして、物事全てに「慌てない」を心がけようと思うようになった。 落語に出てくるフレーズに「慌てなければお前も一人前」と言うのがあるが、これからは努めてそのように心がけよう。2018 年6 月18 日
読書感想文
「ひとりでやる園芸集 エキスパートになれる471の秘密」(青春出版社刊 ホームライフセミナー編)の音読を終えた。 現在我が家の園芸は、99%「私ひとり」でやっている。 本はISBN番号も無い昭和49年に51刷になっているもので、類する、いわゆるハウツー本はあるだろうが、父が買ったものであろう。 471の(秘密)知恵の中には、私がやっている範疇で今でも使えるものが沢山あり、直面するものは書き留めて採用している。 でも、これだけのことを覚える、ということは少なくとも私には無理である。 だから、読み終えた本でも、「座右の銘」として保存しておくことにしたい。 それにしても、「知らない事」が沢山あることに、自分の無能を棚に上げて、今更ながら恐れ入る知恵ばかりだった。2018 年6 月15 日
歩き方は爺だなぁ
年に何度かは、町内の奉仕ということで、近所の子供たちと一緒に公園に桜を植えて、その下草刈りや木にまとわりついた蔓などの除去などをやっている。 地域テレビにその様子が撮影されて、放映されるのだが、何故か目立ってしまって「この間映っていたぞ」と自分が見てもいないし、意識から遠ざかっていた時に言われることがあった。 だから撮影者には「なるべく撮らないように」とお願いしているのだが、そこは集団活動なのである程度しようが無い。 先日もその様子が放映されており、久し振りに自分の姿を見ることになった。 スコップをもって作業していたり、いろいろな作業をしている時の姿勢は然程悪くは無いと思うのだが、いかんせん、単に移動している時の歩き方は「爺だなぁ」というスタイルである。 最近ウォーキングは習慣的にはやっていないが、町を歩く時には、ガラスに映る自分の姿を見て悪ければすぐに矯正するように気を付けているが、この時は確かに疲れていたのだろうが、無意識に歩いている時の姿は、間違いなく71歳の爺なのである。 もっと、シャキッとしなければ。2018 年6 月14 日
人を叩けば、叩いた方も痛い
いじめや○○ハラスメントというような事態や事件が、残念ながら頻繁に発生している。 もう時効だろうと思うが、私も現役時代は「彼の右横には座るな」と言われるほど「手の方が先に出た」。 でも多くの部下や同僚も慕ってくれていたからか、問題になることは無かったが、同僚の課長は、言葉でそれをやらかして、組合問題にもなり、なぜか私がその仲裁をやらされた。 それはともかく、そんな時、あるお坊さんの話を聞く機会があり、その時の言葉が今でも心に残っている。 それが表題の言葉で「叩けば、叩いた方も同様に痛いのだ」と言うものである。 これをどのように理解されるかは、人それぞれだから、これ以上は解説し無い。 それからは、行動的にはほとんど変わらなかったけれど、ある時、部下の一人から「最近叩き方が違ってきている」と指摘された。 ハラスメントは、誰かが「そんな罪名はない」と仰っているが、罪名があろうと無かろうと「犯罪」なのである。 罪はそのことを為した人を徹底的に「痛い目に合わせて」贖罪させるべきである。 でないと、叩いた痛みが分からないだろうから、再犯は必然になる。2018 年6 月13 日
結局政治ショー
世界の注目を浴びた米朝会談は、双方ともに最初の勢いはどこかへ飛び去ってしまったかのごとく、穏やかに収まった。 出た声明内容は「精神論」だけであり、僅かに米国の「非核の現実が出ない限り制裁は緩めない」というのが多少具体的だっただけで、後はすべて「努力目標」ということに終始した。 拉致問題は、素人の私が思っていた通り「俺が言っておいたから、向こうは(多分)動くだろうから、後はそちらでやってくれ」というばかりで、言われたわが国の総理も「力強い後押しを貰った」とまさに有頂天である。 実際の被害者家族も「全員帰ってこなければ解決にならない」というけれど、果たして現実解としてそれが可能かどうか自体を疑っているのではないだろうか。 いずれにしても、政治ショーで主演者だけが目立った空虚なものだった。 これで平和賞などを出そうとするなら、ノーベルが泣くのではないか。 もっとも、これ自体が「ごまめの歯ぎしり」だということは分かっているのだが。2018 年6 月12 日
孫が気を使ってくれる
先日孫に頼まれて、孫の友達の所へ届け物をするのに車で送っていった。 その間片道約15分くらいなのだが、頻りに話しかけてくる。 自分の好きなタレントが属する芸能界の話題、あの子とあの子の仲が良いや先生の評判などの学校の話題、自分の部活状況や好きな食べ物などの話などなど、ともかく間断なしに喋りまくっている。 時折、その友達の家への道筋なども教えてくれる。 よくもまぁ、これだけ喋ることがあるのだと呆れかえるばかりである。 こちらが生返事や「分からない」と言えば、どんどん話題を変えてくる。 家内にこのことを話すと、「あの子はそれなりに気を使っているのだよ」とのことである。 そうか、分からなくても生返事でも「聴いてやる」ことが気づかいの返礼なのだと自分に言い聞かせた。2018 年6 月11 日
孔雀サボテンが40個以上の花を咲かせてくれた
昨年3鉢で10個ほど咲いた孔雀サボテンだけれど、今年は物凄いことになった。 駄目になったものは順次、感謝しながら摘み取ったけれど、それがトータルで10日間ほどかかって、40個以上も綺麗な花が咲いてくれて、朝、我が家の前を散歩される方の目の保養にもなった様である。 4日間の旅行中は水遣りも出来なかったので、心配していたのだが、幸いにして、適度に雨が降ってくれていたようで、自然灌水になった様である。 でも最初は、心配したというのが本音である。 塀際に出す前は、ベランダで育てているのだが、小さな花の子供がいくつか出てきたのだが、そのいくつかが咲ききらないうちに落ちたのである。 これはやっぱり「お天道様のお世話」にならなければならないだろうということで、遲霜の心配もあったのだが、「可愛い子には旅をさせよ」という気持ちで出したのである。 全ての花が咲き終わったので、またベランダに戻して、伸びすぎた葉などは適度(だと思っている)に剪定して、「お礼肥え」をしておき、来年にまた期待しよう。2018 年6 月8 日
北海道旅行記(その5)
いよいよ最終日になった。 今日の目的地は「釧路湿原」である。 ガイドさんに説明付きで引率されて、湿原保全のための木道を歩く。 2班に分かれてで、私等の方は何処かを定年亭退職されたのであろう、男性のガイドさんだった。 「葦(よし)と葦(あし)の違いは分かりますか」と言われ、私よりは年上だろうけれど、班の中にはガイドさんよりも年配の人がいらっしゃるようだったが、誰も答えない。 私はこの日記を書いていて同じ漢字が出たので理解したのだが、ガイドさんが「皆さんはまだまだお若い」という。 「若いから、良しと悪しの違いが分からない」と軽快な口調である。 なるほど一つの説明術なのだと理解する。 ガイド本などでは、船で遊覧することも紹介してあるが、今回は往復約1時間の歩きである。 バスで缶詰め状態だったから、適度な運動である。 釧路空港から羽田。 羽田では富山行まで約4時間あり、どうして時間を過ごそうかと思ったけれど、天気が良く暑いのだが、飛行機の発着をミストシャワーで涼しいベンチで旅の疲れを癒しながら見ていると、そんなに退屈では無かった。 富山空港の滑走路を見乍ら無事に到着。 上手い具合に適度な待ち時間で電車があり、娘に迎えに来てもらって10時過ぎに無事到着。 やっぱり「家が良いなぁ」と飲んで、家内と旅行の無事を感謝しながら休んだ。2018 年6 月7 日
北海道旅行記(その4)
計画と褌は前から外れる、という諺というか箴言というかを聞いた方はいらっしゃるだろうか。 ネットで調べてもそのまま該当するものは無かったが、一般的には「当て事と畚(もっこ)褌は先から外れる」というのが本来らしい。 「畚褌」は本来「越中褌」のことを言ったようで、ここ越中では、単に「褌」と言っていたのではないだろうか。 「当て事」はその通り「当てにしていたこと」という意味で、現代語(少なくとも私が教えられた時の言葉)では「計画」という言葉になっていたのだろう。 前置きはこれまでにしておいて、この日の予定は「摩周湖の地下水で出来た透明度抜群の神秘の池、『神の子池』の見物だった。 チケット等が送られてきた時の案内で「都合により行けなくなりました、これでキャンセルされる方はお申し出ください」とあったが、こちらはそんな細かいことには関心が無く「道東」ということだけだったから、勿論無視。 事前に全員で34名と聞いていて、現地でも34名だったから、取りやめた人も似たようなものだったらしい。 行政区の方から「大型バスでは通れない」という判断が3月頃になされたのだそうで、入り口を通る時に見ると、確かに軽四同士でもすれ違いでき無さそうな広さだったから無理もない。 さて、私は、最初の北海道出張の時に第一展望では湖面が見えなかった摩周湖だが、第二展望では、スッキリ霧が晴れて全面を見ることができた。 今回は「裏摩周湖」というのが目的だったが、残念ながら見ることができなかった。 ガイドさんの話だと関西地方の高校生を案内した時に「だから霧の摩周湖」だったですよね」と言っても「何のこと」とシカトされたと言っていた。 そうか、もうこの歌も忘れられた歌なのか。 今回の団体では、私が年齢的には下から数えた方が早いくらいだったから、みんな素直に納得していたものである。2018 年6 月6 日
北海道旅行記(その3)
旅行は殆ど全てがそうだろうけれど、期待して行った場所は「こんな程度か」と思うようなことが多い。 また、逆の場合もあって、今回の大空町の東藻琴の芝桜は、本当に期待以上の物だった。 私の持っているシンプルカメラで部分を撮っていても、面白くもなんともないので、パノラマ機能を使って、多分270度くらいのパノラマ写真になったのではないだろうか。 ぜひ私のHPでその凄さを想像して見てほしい。 撮影技術の稚拙さは別として、その凄さは感じて頂けると思う。 知床半島の先端までは、陸路ではいけないというので、船で行ったのだけれど、しっかり先端までの景色を見て、帰りには雨になったけれど、然程ひどいものではなく、バスまでの200mくらいは帽子だけでも平気なくらいだった。 翌日聞くと、その後の観光航海は雨と風のために欠航になったとのことである。 どこまでも運のいい旅だった。2018 年6 月5 日
北海道旅行記(その2)
今まであまり「乗り継ぎ」という飛行機の乗り方をしていなかったせいか、「羽田で荷物を取らなくても、目的地まで届けてくれますよ」と言われて、女満別空港で取り上げるまでは、やっぱり心配だったが、無事にゲット。 というよりも羽田ですぐに乗り継ぎになったので、物理的に時間が無かったのでホッとした。 最初の日の見所は、「天に続く道」という所だった。 ともかく広いのだから、道路を作る時に「此処は通らせない」などというせこいことを言う人はいないのだろうから、目的地まで一直線での道路計画をすればいいのだから、簡単と言えば簡単な物なのだ、という結果で作られたものだろう。 起伏は何処にでもあるので、それらをものともせずに地図上に定規で線を引けばいいのである。 見所という意味では確かにそうなのだが、地元の人は後になって気が付いて、観光地にしたというようなものである。 写真は撮ったけれど、特別な感動は覚えなかった。 次の見所は「オシンコシンの滝」という所で、雪解け水が沢山の季節なので、こちらにも「ホワイトロード」という名所にもあるけれど、ここでも「広い」という意味でやはり見ごたえがあった。2018 年6 月4 日