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2018 年6 月18 日

読書感想文

 「ひとりでやる園芸集 エキスパートになれる471の秘密」(青春出版社刊 ホームライフセミナー編)の音読を終えた。  現在我が家の園芸は、99%「私ひとり」でやっている。  本はISBN番号も無い昭和49年に51刷になっているもので、類する、いわゆるハウツー本はあるだろうが、父が買ったものであろう。  471の(秘密)知恵の中には、私がやっている範疇で今でも使えるものが沢山あり、直面するものは書き留めて採用している。  でも、これだけのことを覚える、ということは少なくとも私には無理である。  だから、読み終えた本でも、「座右の銘」として保存しておくことにしたい。   それにしても、「知らない事」が沢山あることに、自分の無能を棚に上げて、今更ながら恐れ入る知恵ばかりだった。

投稿者:つねちゃん
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2018 年6 月15 日

歩き方は爺だなぁ

 年に何度かは、町内の奉仕ということで、近所の子供たちと一緒に公園に桜を植えて、その下草刈りや木にまとわりついた蔓などの除去などをやっている。  地域テレビにその様子が撮影されて、放映されるのだが、何故か目立ってしまって「この間映っていたぞ」と自分が見てもいないし、意識から遠ざかっていた時に言われることがあった。  だから撮影者には「なるべく撮らないように」とお願いしているのだが、そこは集団活動なのである程度しようが無い。  先日もその様子が放映されており、久し振りに自分の姿を見ることになった。  スコップをもって作業していたり、いろいろな作業をしている時の姿勢は然程悪くは無いと思うのだが、いかんせん、単に移動している時の歩き方は「爺だなぁ」というスタイルである。  最近ウォーキングは習慣的にはやっていないが、町を歩く時には、ガラスに映る自分の姿を見て悪ければすぐに矯正するように気を付けているが、この時は確かに疲れていたのだろうが、無意識に歩いている時の姿は、間違いなく71歳の爺なのである。  もっと、シャキッとしなければ。

投稿者:つねちゃん
at 08 :41 | 健康 | コメント(0 )

2018 年6 月14 日

人を叩けば、叩いた方も痛い

 いじめや○○ハラスメントというような事態や事件が、残念ながら頻繁に発生している。 もう時効だろうと思うが、私も現役時代は「彼の右横には座るな」と言われるほど「手の方が先に出た」。  でも多くの部下や同僚も慕ってくれていたからか、問題になることは無かったが、同僚の課長は、言葉でそれをやらかして、組合問題にもなり、なぜか私がその仲裁をやらされた。 それはともかく、そんな時、あるお坊さんの話を聞く機会があり、その時の言葉が今でも心に残っている。  それが表題の言葉で「叩けば、叩いた方も同様に痛いのだ」と言うものである。  これをどのように理解されるかは、人それぞれだから、これ以上は解説し無い。  それからは、行動的にはほとんど変わらなかったけれど、ある時、部下の一人から「最近叩き方が違ってきている」と指摘された。  ハラスメントは、誰かが「そんな罪名はない」と仰っているが、罪名があろうと無かろうと「犯罪」なのである。  罪はそのことを為した人を徹底的に「痛い目に合わせて」贖罪させるべきである。  でないと、叩いた痛みが分からないだろうから、再犯は必然になる。

投稿者:つねちゃん
at 06 :26 | 健康 | コメント(0 )

2018 年6 月13 日

結局政治ショー

 世界の注目を浴びた米朝会談は、双方ともに最初の勢いはどこかへ飛び去ってしまったかのごとく、穏やかに収まった。  出た声明内容は「精神論」だけであり、僅かに米国の「非核の現実が出ない限り制裁は緩めない」というのが多少具体的だっただけで、後はすべて「努力目標」ということに終始した。  拉致問題は、素人の私が思っていた通り「俺が言っておいたから、向こうは(多分)動くだろうから、後はそちらでやってくれ」というばかりで、言われたわが国の総理も「力強い後押しを貰った」とまさに有頂天である。  実際の被害者家族も「全員帰ってこなければ解決にならない」というけれど、果たして現実解としてそれが可能かどうか自体を疑っているのではないだろうか。  いずれにしても、政治ショーで主演者だけが目立った空虚なものだった。  これで平和賞などを出そうとするなら、ノーベルが泣くのではないか。  もっとも、これ自体が「ごまめの歯ぎしり」だということは分かっているのだが。

投稿者:つねちゃん
at 06 :13 | 健康 | コメント(0 )

2018 年6 月12 日

孫が気を使ってくれる

 先日孫に頼まれて、孫の友達の所へ届け物をするのに車で送っていった。  その間片道約15分くらいなのだが、頻りに話しかけてくる。  自分の好きなタレントが属する芸能界の話題、あの子とあの子の仲が良いや先生の評判などの学校の話題、自分の部活状況や好きな食べ物などの話などなど、ともかく間断なしに喋りまくっている。  時折、その友達の家への道筋なども教えてくれる。  よくもまぁ、これだけ喋ることがあるのだと呆れかえるばかりである。  こちらが生返事や「分からない」と言えば、どんどん話題を変えてくる。  家内にこのことを話すと、「あの子はそれなりに気を使っているのだよ」とのことである。  そうか、分からなくても生返事でも「聴いてやる」ことが気づかいの返礼なのだと自分に言い聞かせた。

投稿者:つねちゃん
at 07 :42 | 健康 | コメント(0 )

2018 年6 月11 日

孔雀サボテンが40個以上の花を咲かせてくれた

 昨年3鉢で10個ほど咲いた孔雀サボテンだけれど、今年は物凄いことになった。  駄目になったものは順次、感謝しながら摘み取ったけれど、それがトータルで10日間ほどかかって、40個以上も綺麗な花が咲いてくれて、朝、我が家の前を散歩される方の目の保養にもなった様である。  4日間の旅行中は水遣りも出来なかったので、心配していたのだが、幸いにして、適度に雨が降ってくれていたようで、自然灌水になった様である。  でも最初は、心配したというのが本音である。  塀際に出す前は、ベランダで育てているのだが、小さな花の子供がいくつか出てきたのだが、そのいくつかが咲ききらないうちに落ちたのである。  これはやっぱり「お天道様のお世話」にならなければならないだろうということで、遲霜の心配もあったのだが、「可愛い子には旅をさせよ」という気持ちで出したのである。  全ての花が咲き終わったので、またベランダに戻して、伸びすぎた葉などは適度(だと思っている)に剪定して、「お礼肥え」をしておき、来年にまた期待しよう。

投稿者:つねちゃん
at 06 :15 | 健康 | コメント(0 )

2018 年6 月8 日

北海道旅行記(その5)

 いよいよ最終日になった。  今日の目的地は「釧路湿原」である。  ガイドさんに説明付きで引率されて、湿原保全のための木道を歩く。  2班に分かれてで、私等の方は何処かを定年亭退職されたのであろう、男性のガイドさんだった。  「葦(よし)と葦(あし)の違いは分かりますか」と言われ、私よりは年上だろうけれど、班の中にはガイドさんよりも年配の人がいらっしゃるようだったが、誰も答えない。  私はこの日記を書いていて同じ漢字が出たので理解したのだが、ガイドさんが「皆さんはまだまだお若い」という。  「若いから、良しと悪しの違いが分からない」と軽快な口調である。  なるほど一つの説明術なのだと理解する。  ガイド本などでは、船で遊覧することも紹介してあるが、今回は往復約1時間の歩きである。  バスで缶詰め状態だったから、適度な運動である。  釧路空港から羽田。  羽田では富山行まで約4時間あり、どうして時間を過ごそうかと思ったけれど、天気が良く暑いのだが、飛行機の発着をミストシャワーで涼しいベンチで旅の疲れを癒しながら見ていると、そんなに退屈では無かった。  富山空港の滑走路を見乍ら無事に到着。  上手い具合に適度な待ち時間で電車があり、娘に迎えに来てもらって10時過ぎに無事到着。  やっぱり「家が良いなぁ」と飲んで、家内と旅行の無事を感謝しながら休んだ。

投稿者:つねちゃん
at 09 :00 | 健康 | コメント(2 )

2018 年6 月7 日

北海道旅行記(その4)

 計画と褌は前から外れる、という諺というか箴言というかを聞いた方はいらっしゃるだろうか。  ネットで調べてもそのまま該当するものは無かったが、一般的には「当て事と畚(もっこ)褌は先から外れる」というのが本来らしい。  「畚褌」は本来「越中褌」のことを言ったようで、ここ越中では、単に「褌」と言っていたのではないだろうか。  「当て事」はその通り「当てにしていたこと」という意味で、現代語(少なくとも私が教えられた時の言葉)では「計画」という言葉になっていたのだろう。  前置きはこれまでにしておいて、この日の予定は「摩周湖の地下水で出来た透明度抜群の神秘の池、『神の子池』の見物だった。  チケット等が送られてきた時の案内で「都合により行けなくなりました、これでキャンセルされる方はお申し出ください」とあったが、こちらはそんな細かいことには関心が無く「道東」ということだけだったから、勿論無視。  事前に全員で34名と聞いていて、現地でも34名だったから、取りやめた人も似たようなものだったらしい。  行政区の方から「大型バスでは通れない」という判断が3月頃になされたのだそうで、入り口を通る時に見ると、確かに軽四同士でもすれ違いでき無さそうな広さだったから無理もない。  さて、私は、最初の北海道出張の時に第一展望では湖面が見えなかった摩周湖だが、第二展望では、スッキリ霧が晴れて全面を見ることができた。  今回は「裏摩周湖」というのが目的だったが、残念ながら見ることができなかった。 ガイドさんの話だと関西地方の高校生を案内した時に「だから霧の摩周湖」だったですよね」と言っても「何のこと」とシカトされたと言っていた。  そうか、もうこの歌も忘れられた歌なのか。  今回の団体では、私が年齢的には下から数えた方が早いくらいだったから、みんな素直に納得していたものである。

投稿者:つねちゃん
at 09 :04 | 健康 | コメント(0 )

2018 年6 月6 日

北海道旅行記(その3)

 旅行は殆ど全てがそうだろうけれど、期待して行った場所は「こんな程度か」と思うようなことが多い。  また、逆の場合もあって、今回の大空町の東藻琴の芝桜は、本当に期待以上の物だった。 私の持っているシンプルカメラで部分を撮っていても、面白くもなんともないので、パノラマ機能を使って、多分270度くらいのパノラマ写真になったのではないだろうか。  ぜひ私のHPでその凄さを想像して見てほしい。  撮影技術の稚拙さは別として、その凄さは感じて頂けると思う。  知床半島の先端までは、陸路ではいけないというので、船で行ったのだけれど、しっかり先端までの景色を見て、帰りには雨になったけれど、然程ひどいものではなく、バスまでの200mくらいは帽子だけでも平気なくらいだった。  翌日聞くと、その後の観光航海は雨と風のために欠航になったとのことである。  どこまでも運のいい旅だった。

投稿者:つねちゃん
at 06 :38 | 健康 | コメント(0 )

2018 年6 月5 日

北海道旅行記(その2)

 今まであまり「乗り継ぎ」という飛行機の乗り方をしていなかったせいか、「羽田で荷物を取らなくても、目的地まで届けてくれますよ」と言われて、女満別空港で取り上げるまでは、やっぱり心配だったが、無事にゲット。  というよりも羽田ですぐに乗り継ぎになったので、物理的に時間が無かったのでホッとした。  最初の日の見所は、「天に続く道」という所だった。  ともかく広いのだから、道路を作る時に「此処は通らせない」などというせこいことを言う人はいないのだろうから、目的地まで一直線での道路計画をすればいいのだから、簡単と言えば簡単な物なのだ、という結果で作られたものだろう。  起伏は何処にでもあるので、それらをものともせずに地図上に定規で線を引けばいいのである。  見所という意味では確かにそうなのだが、地元の人は後になって気が付いて、観光地にしたというようなものである。  写真は撮ったけれど、特別な感動は覚えなかった。  次の見所は「オシンコシンの滝」という所で、雪解け水が沢山の季節なので、こちらにも「ホワイトロード」という名所にもあるけれど、ここでも「広い」という意味でやはり見ごたえがあった。

投稿者:つねちゃん
at 06 :21 | 健康 | コメント(0 )

2018 年6 月4 日

北海道旅行記(その1)

 5月30日から3泊4日で、結婚記念日旅行ということで、北海道は4度目の旅行に家内とパック旅行に行ってきた。  私自身は、出張で3度行っているが、家内との旅行が4度目ということである。  北海道の最初は、小樽から札幌周辺。  次が富良野を中心にした道央で、前回が利尻・礼文の道北である。  今回の道東で、つまみ食い的ではあるが、一応一通り回ったことになる。  広い北海道だから、まだまだ季節的な違いなどがあるだろうが、あと残るのは、九州の宮崎近辺である。  それはそれとして、概括的に言うと、ヒグマの親子、キタキツネ、エゾシカなどの野生動物の姿も見ることができたし、それなりに北海道の食べ物も堪能できたので、十分満足な旅だった。  ともかく、北海道は何度行っても、札幌などの都市部は別として、郊外は何処へ行くにも「遠い」と言う感じがする。  最初の出張でレンタカーで回ることになったのだが、行けども行けども辿り着かなく、閉口した思いがあるが、今回は運転手任せで愉快で物知りのガイドさんの話を楽しく聴きながらだったので、そんな退屈感は全く無かった。  この1週間は、この旅日記で埋めさせていただきます。

投稿者:つねちゃん
at 06 :39 | 健康 | コメント(0 )

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