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2020 年8 月31 日

コンセントは一度総点検を(7/23に採用された)

 10年余り使っていたオーディオセットのタイマー動作が不安定になった。
 買ってからすぐに使い始めた機能は「タイマー起動による朝の目覚め」である。
 クラシック音楽を約100曲録音したCDを、基本的に午前5時に鳴り出すようにセットしていた。
 数年前にCDの動作が「針が飛ぶ」状態になったので、駆動部分の無いUSBに切り替えて楽しんでいた。
 リモコンの一部機能の不具合は「生産中止から規定年数を超えているので代替品はありません」と言われた。
 これも必須の機能ではないので、そのままだったのだが、目覚め音楽の機能は外せないとメーカーのヘルプデスクに問い合わせた。
 結果、セット側の故障ではなく、コンセントが10年余りつなぎっぱなしで、そこで接触不良になっていることに気が付かされた。
 コンセントは時折「抜き差し」して周りのほこりを払うことで出火の予防にもなるから、一度総点検をしてみたいものである。

投稿者:つねちゃん
at 06 :09 | 健康 | コメント(0 )

2020 年8 月28 日

使う気になれぬ新しいシステム(7/5に採用された)

 コンピュータシステムの品質管理分野で働いてきた一つの職業病かもしれないが「臆病」になったと今でも思っている。
 リタイアした今でも、どこかに「アラ」が無いかと探している。
 最近は思い付きのようなシステムがでている。
 新型コロナウィルスに関する「接触確認アプリ」はその最たるものではなかろうか。 
 システムを作ること自体は、昔ほどたいしたことではないだろうが、それを導入させる手段や対象者になった時の対応に加えて、不正利用されないかの確認などが、私から見れば「拙速」以外の何物でもない。
 私よりももっと深く見識の高い人ももいらっしゃるのに、なぜこんな状態が放置されるのだろうか。
 こんなことだから、接触確認もマイナンバーもまだまだ使う気持ちになれない。

投稿者:つねちゃん
at 06 :58 | 健康 | コメント(0 )

2020 年8 月27 日

幸せに包まれ(6/25暮らしの日記に採用された)

 ずいぶん昔、はやった歌に「幸せを/数えたら/片手でさえ余る/不幸せ/数えたら/両手でも/足りない」という歌があって、心で泣きながら、だみ声で歌っていたことがある。
 でも、6回目の年男の年齢も超えて、結婚して50年も超えた今は、まるで逆になっていると思っている。
 だからと言って、お金がふんだんにあるわけではないし、健康に全く不安がないわけでもない。
 それどころか、幾つになっても子供のことが心配だし、顔を見ているだけでも可愛い孫のことも心配である。
 「特に何が」というわけではないが、心配し始めると、きりがないくらいに不安に包まれる。
 そう思うとささやかでひとさまから見れば「つまらない」と思うことでも「幸せ」と感じることが大切ではないかと思っている。
 エンドウマメがたくさんとれた、ソラマメも十分なほど収穫できた。
 梅は裏年で少なかったが、小梅がたくさん収穫できた。
 希望としては、父と同じ7回目の年男の年齢までは、元気でいたいし、二十歳を過ぎた孫とも一緒に飲めるまではいたいものだ。
 そのためにも、できるだけ「幸せ」を数えて、それに感謝しながら、一日一日を過ごしていきたいものである。

投稿者:つねちゃん
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2020 年8 月26 日

古いパソコン思い切って廃棄(6/20に採用された)

 何世代も前のWindowsの基本ソフト(OS)が組み込まれた2台のパソコンを、思い切って廃棄することにした。
 長い間「断捨離」の対象から外されていたが、何かに活用しようとしても、残念ながら「帯に短し」の類で難しいと思われることから、今回処分することに決めた。
 時折、無残に捨てられているパソコンを見ると、資源の少ない我が国に資源を寄付するつもりで、引き取ってもらってはどうかと思う。
 データの完全消去は不可欠ですが、そんなに難しいことではないだろう。

投稿者:つねちゃん
at 08 :49 | 健康 | コメント(0 )

2020 年8 月25 日

新装の図書館、素晴らしい場所(6/10に採用された)

 私の個人的な意味では、退院してようやく行けるようになった所だし、小矢部市民的には、新型コロナウィルスの緊急事態が解除になって行ける所になった。
 新しくなった小矢部図書館に、ようやく行ってきた。
 素晴らしい場所になっていた。
 一番変わった所は「階高」が随分高くなったということではないだろうか。
 同時に「明るい」ことであろう。
 適度な温度調節もなされているので、過ごしやすいことこの上ない。
 年寄りの「3蜜」場所になっては困るけれど、似たような歳の友達の輪が広がるきっかけになってほしいものである。

投稿者:つねちゃん
at 06 :01 | 健康 | コメント(0 )

2020 年8 月24 日

言葉は自分で考えて使うべき(6/2に採用された)

 最近また「真摯に受け止める」と言う言葉を耳にするようになった。
 それも、「同じような人」が「何度も」使うのは、なんだか「日本語の意味を知って使っているのか」と分からなくなる。
 もっと、自分で考えて、どんな言葉を使うべきなのか、言葉の本当の意味とあっているのかを考えて、使ってほしいものである。
 聞けば、大学ではディベートなどで、練習も散々されたのだろうが、その結末が「役人の書いた原稿を間違いなく読む」と言う事に終始しているというのでは、何とも情けない限りである。
 もちろん、そんな人を選んでいる人間が主権を持っているのだから、残念ながら呟くしか方法がないか。

投稿者:つねちゃん
at 06 :13 | 健康 | コメント(0 )

2020 年8 月21 日

清廉潔白求める対象人物が違う5/21に採用された)

 NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる!」は、私を含めて物知り顔の大人を5歳児が叱りつけるという小気味よさで、少し前から好きになり、見逃さないようにビデオにも撮りながら楽しく見ている。
 その相方の発言が、問題になっているが、不手際だったことはある程度認めるけれど、芸能界でそれほどとがめられるものではないと思う。
 それに比べれば、世の中の“政治屋先生方“の「不適切発言」や「記憶喪失」の方がよほど罪深いのではないか。
 好きな歌手の都はるみが歌う「浪花恋しぐれ」の歌詞ではないが、芸人には「清濁併せのむ」を求めるべきで、「清廉潔白」を求めるのは、やはり間違いだろう。
 清廉潔白を求める対象人物が違うことを話題にすべきではないか。

投稿者:つねちゃん
at 06 :47 | 健康 | コメント(0 )

2020 年8 月20 日

朗らかに過ごす(5/21暮らしの日記に採用された)

 昨年末から、朝夕やっていた音読が、どうもなんだかスッと出ない。
 カラオケで好きな曲も途中で息が切れてしまい、楽しく歌えなくなっていることに気が付いた。
 3月から、検査入院を含めて約2か月の入院生活を経験した。
 結論から言うと「喉頭がん」で化学治療と放射線治療を受けて、2週間後に経過観察の診察はあるが、めでたく退院した。
 入院したての頃は、まだ新型コロナの評判はそれほどではなかった。
 現場研修で来ておられた孫と同年代の女性と「お話を聞かせて」と言われいい気になって、拙い人生訓などをネタに楽しく会話させていただいた。
 話しやすいように気を配ってくださったのではなかったかと、頭が下がる。
 また、本格的な治療に入ってからは、新型コロナへの心配がだんだん高くなった。
 朝夕の検温などの時には、ストレスがたまらないように配慮して、いろいろと話しかけてくださった。
 おかげで「日々朗らかに」と言う意味で使っている「中朗年」と言うニックネームの生活が過ごせた。
 看護師さんだけではなく、栄養士の方、調理師の方、配膳をしてくださる方も含めて、全ての皆さんに感謝である。
 人知れず、全ての医療関係者の方に、イギリスなどではやっているという「拍手」を送っている。

投稿者:つねちゃん
at 06 :10 | 健康 | コメント(0 )

2020 年8 月19 日

根底に「自分の懐は痛めない」(5/8に採用された)

 10万円か30万円か、それで予算がガタガタになると、与野党挙げて議論と言う「猿芝居」をやっているが、根底にあるのは「自分らの懐は痛めないように」と言うことのようだ。
 県外移動厳禁とは言いながらも、鉄道などを使わないで浮いたお金を拠出するといった話は全く出てこない。
 使われないお金を出せばかなりのことができるだろう。
 「政党助成金」も、非常時なのだから与野党こぞって拠出すればいいじゃないか。
 議員の給料をわずかな期間、わずかな額を返納するよりも、大きな金が捻出できるくらいのことは素人の私だって計算できる。

投稿者:つねちゃん
at 07 :53 | 健康 | コメント(0 )

2020 年8 月18 日

「竹筒」でご飯 孫娘が傑作(5/3に採用された)

 新型コロナの影響で、中学校は旧学期から休みが続いている。
 そんな中、3年生になった孫娘が作ったのが傑作だった。
 私自身は入院生活で、作業は断片的にしか見ていなかったのだが、先日の一時帰宅の時にその成果に驚いた。
 竹を切ってきて「流しそうめん」の台を作っていたのまでは知っていたが、その延長線上でできたのが、「竹筒飯盒」だったのである。
 太さも長さもまちまちだけれど、家族6人分が出来上がり、バーベキューセットで炊き上げたご飯は、ほんのりと若竹の香りがして、メッコなども無く上手に仕上がり、家族そろっておいしく頂いた。
 特別な遊具などなくても、自然が育ててくれたことに感謝である。

投稿者:つねちゃん
at 06 :42 | 健康 | コメント(0 )

2020 年8 月17 日

全ては「税金」忘れないで(4/23に採用された)

 新型コロナウィルス対策で、マスクについて数百億円、各種補償については何兆円などと報じられている。
 私に縁のないお金だが、私と同様な人は「すごいお金を使っているんだなぁ」とその額に、ただただ「まやかし」に包まれて、さも自分にもその「おこぼれ」が回ってくるような感覚に惑わされているのではないだろうか。
 でも、よく考えて、見たほうがよい。
 まずどんな人がもらえるのだろうか。
 書いてある「規定」は難しい言葉が並べられており、なかなか回ってこなさそうだ。 
 それでも回ってくる人は相当数いるのだろうが、総額を割ってみたらいくらになるのだろうか、果てしてそれで「償われるのだろうか。
 全ては国民から集めた「税金」と言う名のお金なのだということを、われわれは忘れてはいけない。


投稿者:つねちゃん
at 06 :28 | 健康 | コメント(0 )

2020 年8 月14 日

お盆休みです

 朝6時から共同墓地の立ち合いに参加しました。
 新型コロナウィルスの所為か、例年よりも出足がかなり落ちていました。

投稿者:つねちゃん
at 09 :31 | 健康 | コメント(0 )

2020 年8 月13 日

気ままなブログ楽しく続ける(4/14に採用された)

 入院中の退屈しのぎで読んでいる本に「脳学おもしろ事典」がある。
 残念ながら認知症が遠因で亡くなった父が残した本らしいが、それなりに自分でも頑張っていたのだろう。
 その中で「本を読んで物知りになるだけではだめで、それを発信したほうが良い」とあった。
 この本に我が意を得て、在職中も「うるさいメールおやじ」と言われながらも、勝手気ままなブログを、リタイア後も楽しく続けている。
 もちろん読者の数を競うなんて気持ちは無く、「つれづれなるままに」書いている。 
 今ではほとんどのパソコンはインターネットに接続していると思う。
 他人を非難中傷することなく、言いたいことを勝手に言う方法の一つとして、ボケ防止のために使って見ることをお勧めする。
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投稿者:つねちゃん
at 05 :24 | 健康 | コメント(0 )

2020 年8 月12 日

涙で最後まで歌えない歌(3/28に採用された)

 自分が6回目の年男を超えたと言う年齢を差し置いても、いつまでも昔のイメージが消えない歌手、宮城まり子さんが亡くなった。
 テレビに映った時は、顔に靴墨を少し塗った映像で「ガード下の靴磨き」を歌う姿が脳裏にある。
 時折ボソボソと口遊む歌で、好きな歌の一つだが、残念ながらいつも涙で最後まで歌えない歌である。
 歌の1番目の歌詞もさることながら、3番目の歌詞に登場する花売り娘の姿に、涙が出てしまう。
 これからも、いつまでも、涙ぐみながら、この歌を口遊んでいきたい。

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投稿者:つねちゃん
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2020 年8 月11 日

対案を挙げた結論を早急に(3/19に採用された)

 ずいぶん昔に読んだ「中国笑話」だったと思うが、「どんな病気でも直します」と言って回る医者がいたと言う。
 この内容は、ぜひとも各自で読んでいただきたい。
 今回の新型コロナに対する、いろいろな人が意見を出されているが、その一つ一つを聞くと、私のような浅学菲才の人間が思うのは、みんな「なるほど」と思うような内容ばかりである。
 でも、そんな意見を「対比して、読んでみる」とどうだろうか。
 「聞く」のではなく、あくまでも「読んで」ほしい。
 在職中、幾つかの企画提案をやったことがある。
 もちろん「撃破」されたものも多いが、何度かの審議を経ると、それなりの対策も立てられて、見事に採用されたものもある。
 それができるのは、ひも付きではない「有識者会議」ではないのだろうか。
 ぜひ落ち着いて対案を挙げた結論を早急に見出してもらいたいものである。

投稿者:つねちゃん
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2020 年8 月10 日

感染広がる 似たような短編(3/4に採用された)

 声帯に腫瘍ができたので、検査の入院生活を過ごし、ひとまず退院してきた。
 この間のニュースはほとんどが新型コロナウィルスに関したものだった。
 病院内にいる人はほとんどの人が「マスクスタイル」である。
 でも、不謹慎だけれど、この事態は、なんだか、何かに似ているような気がして来た。
 ウォルトディズニーの短編である「魔法使いの弟子」にである。
 「仕掛ける事だけ覚えた弟子が、止め方が分からず、とんでもないことになるストーリー」である。
 それを思った途端に「ウィルスだけだろうか」と思ったので、ゾッとしたのである。
 ウィルスではなく、それが「今や地上だけでなく、宇宙にも及ぶ軍拡」、「すでにだいぶ進んでいる地球温暖化」だったら、果たして魔法使いの師匠は登場してくれるのだろうか。
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投稿者:つねちゃん
at 06 :37 | 健康 | コメント(0 )

2020 年8 月7 日

不要不急の出張に疑問(2/27に採用された)

 東京へ出張に出かけていた職員が、新型コロナウィルスに感染したという事態に対して、知事が「不要不急な出張は禁止」というような発言をなさったとの報道に驚いた。 
 お役所は「不要不急な出張」を繰り返していたということの「裏返し」を言っているようなものではないか。
 半官半民の期間を含めての、在職中の36年間だけれど、出張には必ず「明確な目的」があり、必ず上司に対する「復命書」が必要だったから、基本的に「不要不急」なものは無かったと思っている。
 確かにその目的を遂行した後で、懇親の場があって宿泊したり、翌日が休日であったりして、近くの観光地を手短に回ったこともあった。
 今回の感染が、遂行後によるものなのかはっきりしないが、それにしても、トップが「不要不急」と言う言葉を使うの違うのではないか。

投稿者:つねちゃん
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2020 年8 月6 日

漢字の書き写し楽しみ続ける(2/13に採用された)

 在職中に「漢検検定1級合格」を目指して勉強したことがある。
 残念ながら、主催の協会でふらちな事件があって、受験意欲は完全に消滅した。
 だけど、漢字の学習は勉強とは違った楽しさがあり、暇に任せて楽しみながら続けていて、一つのボケ防止にもなっていると思っている。
 そんな中で、先日朝の書き写しで「国字」と言う編になった。
 勉強中に覚えた物もあり、大概は出合ったことがあるものばかりだったが、その章の終わり頃に、出会ったことがない文字に遭遇した。
 「女偏に花」と言うものである。
 手持ちの「漢語林」という辞書、デジタル辞典に内蔵の「漢字源」で探しても見つからなかった。
 書き写しの目的は「手先のボケ防止」であるが、こんなことに出合うと、「ものすごいもうけ」になったようで、朝から楽しい。
 解答は、書かないが、ぜひいろんなもので調べてみてほしい。
 それが私からの「もうけのお裾分け」である。

投稿者:つねちゃん
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2020 年8 月5 日

いろんな事に素直に従おう(2/5に採用された)

 先日久しぶりに高岡まで電車で行ってきた。
 この季節、外出時には、白髪隠しと言うわけではないが、帽子をかぶるのが常だったけれど、それほど寒くもなかったので、そのままで駅まで歩いた。
 だが、横断歩道で、やり過ごそうと思っていた車が止まってくださった。
 感謝して会釈しながら渡らせてもらたっが、やはり「白髪のお爺さん」と目されたのだろう。
 自分でも、歩く姿はさほど年齢を感じさせないと思っているし、歩く姿勢から思ってくださったのではないだろうと思ったが、ここは素直に厚意に甘えた。
 一般論からすれば、間違いなく3人の孫持ちのじいさんなのだから、いろんな事に、これからも素直に従おう。

投稿者:つねちゃん
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2020 年8 月4 日

わずかでも達成感あれば(1/30に採用された)

 例年と同様に年初めに立てた目標がいくつかある。
 それから約1か月がたち、振り返ってみると、未達の物があり、他人様に言わせると「残念な結果」になっているものがある。
 在職時の習い性で「数値で示す」ことを旨としているが、「もう少し」というところで未達になっているのである。
 これを「まぁ、この辺でいいや」という「妥協」だと思うと、自分が惨めになってくる。
 それが続くと、目標自体を半年もしないうちに諦めてしまい、残るのは「挫折感」だけになってしまう。
 そうではなくて「ここまでできた。明日や次回にはもう少し増やそう(減らそう)」と思えば、わずかだけれど「達成感」に浸れるのではないだろうか。
 これが続けば、少なくとも目標を諦めることは無いだろうと、今日もまた努力する自分である。
 鬼に笑われようと、来年も同じ目標を立てるかもしれないが、それもまた楽しみでもある。

投稿者:つねちゃん
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2020 年8 月3 日

年賀メール疎外ではない(1/20に採用された)

 今年も「年賀はがき」を使った年賀状は、27枚だった。
 3年前から、リタイアして約20年たつので、年賀状だけの付き合いの方には差し控えさせていただいている。
 メールが使える人には「年賀メール」で代替し、数としては4分の1程度になった。
 今年も「差し控えます」というはがきが来たが、大いに結構である。
 でも「高齢」や「多忙」という理由ではないことに、相手も頑張っているのだなと当時の事を思い出してひとときくつろぐ。
 私の場合は、年賀メールにしたので、手間はそれほど減らない。
 その分、一人一人に「メールの内容」が違うので、よりフィットした内容を伝えることができる。
 決して、疎外するという気持ちからではない。

投稿者:つねちゃん
at 06 :12 | 健康 | コメント(0 )

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