2017 年4 月28 日
2017 年4 月27 日
歯ブラシ、カミソリ
娘と中2小6の孫の3人の女性で、どのように使っているのか分からないが、洗面所に歯ブラシが7本ある。 朝夕で違ったものを使っているのだろうか。 また、明らかに女性用のカミソリが4本ある。 これもどのように使っているのか、よくわからない。 下手に聞くと、白い目で見られそうで、聞くのも怖い気持ちである。 でも、今度「酔った勢い」で聞いてみようか。 一家6人だが、男性2名で、少し肩身が狭い。 ましてやこのように「化粧品」関係になると、勝手が分からない。 もしここに息子一家が入ると、男性は3名になるが、女性が2名増えるから、ますます肩身が狭くなりそうだ。 それでも、家族は多ければ楽しい。2017 年4 月26 日
共生
辺野古の埋め立てが始まった。 正直、沖縄県の人々の意見が分からない。 どちらかを応援するという意味でなく、国が言っていることとは違った意味で、どちらの言い分も正しいように思うからである。 「民意」重視というけれど、それも一時期の一方的な方向ではないようだ。 そんな折、ある新聞記事に「共生」という言葉が出ていた。 流行りの言葉で言うならば「Win−Winの関係」ということなのだろう。 沖縄がそうであるかどうかは、残念ながら分からない。 この言葉で思い出すのは、大好きな落語の「百年目」である。 あらすじは興味があればお調べ願いたいが、大店の主人が大番頭に説諭する場面である。 「栴檀と南縁草」。 誰の噺でも、何度聞いても楽しくためになる噺である。 もちろん私は「南縁草」でしかないのだが。2017 年4 月25 日
散歩の楽しみ
以前にも何度か同じようなテーマに触れているが、読者の方でも、ほとんど忘れられているのではないだろうか。 それを良いことにして、何度でも使うことをお許し願いたい。 染井吉野の桜の季節も終わり、今から暫くは、あちらこちらに「八重桜」が咲き誇る季節である。 ご存じのように、染井吉野ほど淡い色ではないが、この色は決して嫌いな色ではない。 「桜湯」というものをご存じだろうか。 最近の若い人の結婚式などでは、ほとんど見られなくなっているのではないかと思うが、私が結婚したのは、「家で」だった。 その時に、初めて目にし、口にしたものである。 それが40年以上も経っているが、八重桜を見る度に「甘い思い出」になれるのである。 幸い、年齢相当の病気などとのおつきあいはあるが、家内ともども五体満足で過ごしている。 上を見るとそうなのだが、ぜひ「下も見る」ことにしては如何だろうか。 地域差はあるだろうが、同じ桜でも「芝桜」が綺麗である。 場所によっては「絨毯の如く」である。 決して踏みつけないでほしいが、見ているだけで心が癒される気がするのは私だけではなかろう。 散歩の疲れが一瞬「フッ」と消えるかのようである。2017 年4 月24 日
聞きかじり
朝の音読で使っている「自警録」(新渡戸稲造著)からの聞きかじりである。 「最善を尽くしても余力があるように思う」という節で、全く同じような思いを常に抱いていた私と同意見だったことに驚いた。 氏も(この辺で同列に論ずる愚かさに気が付くべきなのだが)「ことを為した後常に思うのは『もう少しうまくできたと思うのだが』」と述べられている。 これは、氏ほどの優秀な方だけではなく、私だけではなく、殆どの人がそうなのではあるまいか。 決して「あそこが拙かったなぁ」ということではなく、「全体としては上手く行ったし、人からも注意を受けることがないばかりか、僅かだけれど、良い評価を貰った」のにである。 私などの場合、録音されていることはまずない(過去に一度だけ、全体のビデオ撮影の中で録画・録音されていることはあるが)から、反省する具体的なネタはない。 氏は「3層の力の出し具合」と述べられており、平生は1層、少し重大な時は2層。 でも、3層の力を発揮したことはない」とのことである。 果たして自分はどうだろうか。2017 年4 月21 日
孔雀サボテン
冬の間は日中は日が当たるベランダに入れて育ててきた「孔雀サボテン」だが、未だ時々低温になる日もあるので、ベランダの戸を1枚だけ空けて風通しだけは確保している。 そんなサボテンだけれど、昨年は2鉢で5輪ほどきれいな花が咲いたのだが、今年は現在のところ大きな花芽が20個以上も育っている。 これは大変嬉しい。 サボテンだから、水遣りもそんなに頻繁でなくていいし、ずぼらな私には手頃な植物である。 でも、こんなに咲くと、咲き終った時が心配で、今からどんな肥料を上げればよいか、色々な本を読みながら準備している。2017 年4 月20 日
遅々として進まない学習
PCを使って、新しい分野の学習に挑戦しているが、加齢ばかりではなく、昔からどうも「覚える」ということが下手だったせいもあり、「三歩前進二歩後退」ならまだしも、どうにも「どこまで戻ったらいいのか」ということ自体にまごつくことになり、双六よろしく「ふりだしに戻る」という目がかなりの頻度で出てくる。 以前だったら「もう辞めた」ということになっていただろうくらいにである。 でも、いろんな本などを読んでいるせいか、今年の目標に「怒らない」があるせいか、そんな自分に腹を立てることもほとんどない。 そのうちに「此処は確かに読んで覚えた」に何度か遭遇すると、安心して又ページを進めることができる。 今までは負け惜しみで「学習もまた楽し」と言ってきたが、それが負け惜しみでなく楽しくなってきている。 こうなれば、ふりだしに戻ること自体が楽しみみたいになるから、やはり「学習は楽しい」。2017 年4 月19 日
平和の維持
先日からの米国の爆撃などで、「平和は力で確保・維持する」ということが罷り通りつつあるようだ。 やられたりやられそうな国や地域は「目には目を」とばかりに「相応の力で対抗する」と言っている。 戦後生まれで「戦争を知らない時代」の子供だから、本当の戦争の怖さは分からないけれど、広島、長崎を見るまでもなく、当時の母の思い出話や、子供の頃の「ひもじさ」を思い出すと、やはり戦争は起こって欲しくない。 さりとて、自分が何かできるのかと自問すると、何も結論は出てこないし、攻める方、攻められる方のどちらにも共感できるものではない。 でも、やはり「力だけでの維持」は、残念だがいつか瓦解するのではないかと思っている。2017 年4 月18 日
読書感想文
久し振りに読了した。 「図解数学ゲーム」(武田真治著 日本文芸社刊)である。 昨年の12月から読み始め、今月中旬に読了。 工業高校と言うこともあって、「数?」はどこの高校へ進んだ人とも大差なかったが、二年生からは「応用数学」という科目名に代わり、普通科高校へ行った人ともほとんど数学という分野では話が合わなかった。 「数?でもそんなことは習っていない」という分野が多かったせいである。 小学生から中学生まではそれなりに出来た方で、試験も大体600人中10番には入っていた。 ところが、この本はそんなことを求めていないし、副題に「数学と遊ぼう」とあるから、微分も積分も出てこないのである。 いわば「トリッキー」な問題ばかりと言っても良いくらいである。 昭和55年発行となっているから、もしかしたら私が買ったものかもしれないが、記憶にないので、新鮮な感覚で読み終えることができた。 最近も含めてこのような数学を教える先生はいらっしゃらないのだろうなぁ。 でも、そのほとんどが「電子計算機」で解ける様な問題ではない。 古本屋さんででも見当たったら一度手にして見られては如何だろうか。2017 年4 月17 日
請負仕事はやらない
PC講習を続けて、もう7年以上なる。 そろそろ「教えること」も少なくなってきたので、止めようかと何度か提案したが「覚えた端から忘れる」ということと、「IT関連のニュースの解説が面白い」ということもあってか、煽てだとは理解しつつも、続けている。 そんな折「こんなことをしてくれませんか」という「お願い」が出ることがあるが、これは「キッパリ」お断りしている。 生徒さんからではなく、生徒さん経由でお願いされるので、最近は「あの先生は『自分がやりたいけれどやり方が分からない』という時には教えてくださるけれど、請負はやられないよ」ということを認識していただいているので、あまりなくなった。 そんな折、ある人から「HPを作りたいのだけれど」と言われたので、「お教えすることはできますよ」と言うと「イヤ簡単なもので良いから、お金は払うから作ってほしい」と言われたので、お断りしている。 ソフトウェアの世界だから、プログラムさえ細工すれば、相当のことができる。 ところが「センス」が必要なのである。 HPについて言うと、同じ文言でも「フォントを変えられないか」「大きさを変えられないか」「色を変えられないか」などの意見が出てくる。 クライアント(こんな言葉が出るのはまだ染み付いた垢が完全に落ちていないということだろう)とのセンスの違いに振り回されるのが嫌だから、である。2017 年4 月14 日
減薬の効果か
血圧、血糖値改善のために投薬治療を続けて、もう10数年になる。 どちらかの副作用で、便通が悪くなったので先生に相談すると、体調によってそんなことがあることはご存じだったようで、すぐに快便に効果がある漢方薬を処方してもらった。 これも10年を超す付き合いである。 先生の指示は「便の調子を見て服用の回数を変えても構わない」ということだったので、今までも調節をしていたのだが、冬から春にかけてのこのごろ、どうも便通が悪く、既定量の「三食後」をきちんと守っていた。 ところが、本来の便通が良くなったのか、ガスと一緒に出るので、便器の汚れが気になる様になっていた。 我が家の便器の掃除は私の担当なので、「我が物」と思えどもやはり気になる。 そこで、数日前から朝食後の一度だけ、ということにした。 それがようやく「功を奏し」てきつつある。 こんな素人にも自由な服用調整ができることこそが「漢方薬」の効用なのだろう。2017 年4 月13 日
ペギー葉山
人並みに「ドレミの歌」や「南国土佐を後にして」という歌は数えきれないくらいの回数歌った。 確か「民音」という会員だった時に「生ペギー葉山」も見たような記憶がある。 記憶が朧げなのは、同じ階で「藤沢嵐子」という歌手の印象が強かったせいだろう。 当時から「歌の小母さん」という印象だったが、年齢を知って、ひと昔(一周りくらい)しか離れていないことを知った。 真央ちゃんの引退に霞んではいるが、改めて冥福を祈りたい。 「ドレミの歌」は「よくもこんな『訳詞』をしたなぁ」と一時期は馬鹿にしたり、反面随分と感心したものである。 それよりも、印象深いのは「南国土佐を後にして」だった。 何度か「わが田舎にも当てはまらないだろうか」とオチャラケながらも挑戦したものだが、勿論詩心も無いから物にはならなかった。 でも、気分の良い時も落ち込んだ時にも口をついて出た歌である。 ただ、これは歌手が悪いのではないと思うが、ある時「懐メロ歌手」を数人集めて放送された番組で、彼女だけではなく、老齢の女性歌手の声(多分地声なのだろう)がとんでもない悪声だったことがあり、それ以降はあまり懐メロ番組を見なくなった。2017 年4 月12 日
「安らぎは近くにあり」
菜根譚の、一節である。 「親しみ深い物音が、うるさくない程度に聞こえてくる住まい」と解説されている。 それを受けての幕末の歌人、橘曙覧がうたっている。 たのしみは朝起き出でて昨日まで無かりし花の咲けるを見る時 昨日まで「全滅か」と思っていたアスパラがマッチ棒1本ほどの細いものが出てきていたとき たのしみは文よみ倦める折しもあれ声知る人の門たたく時 内田百?の「世の中に 人の来るこそうれしけれ とはいふものの お前ではなし」との反語だけれども、論語を待つまでもなく「有朋自遠方来、不亦楽乎」と思える時 たのしみは常に見慣れぬ鳥の来て軒遠からぬ樹に鳴きしとき 我が家は山が近いから、かなり季節に応じて見慣れぬ鳥が来る。時には優しく、時にはうるさく。それもまた良し。 基本的には「青い鳥」に近いことなのだろうが、味わってみると、しみじみ「今が幸せ」と思える。2017 年4 月11 日
書き写しの新しい物
現在やっている、書き写しの素材もそろそろ終わりに近くなってきている。 そろそろ次の素材を探さなければならないと考えていたのだが、そう考えて思いついたのが「阿弥陀経」である。 宗教系は、今まで在職中に一時期の流行で「般若心経」を何度か繰り返し、一時期は空で言えるほどになった。 ところが、どうも大乗仏教の我が家の宗旨「浄土真宗」とは違う筋の物だといわれて、その後「正信偈」も同様に、何度か繰り返し、その意味するところも「門前の小僧」位には理解できたように思うし、今でも月忌参りの時には、邪魔にならない程度に呟いている。 ところが、阿弥陀経はどうもそんな訳にはいかないようである。 1回を書き写すには、数日を要すると思う。 だから、この歳になると出る病気で「覚えたところから忘れる」ということになるだろう。 でも、ある高僧が言っておられるように「どれだけやったからとて、具体的な功徳はない」という様に、功徳を考えずに、暫くは続けてみたい。 それが楽しみになれば、大きな功徳だろうから。2017 年4 月10 日
ダブル休み
毎月「0の日」は室内室外の運動のお休み日にしている。 今回はそれに「新聞の休刊日」が重なった。 月曜日は「掃除の日」でもあるが、二つも休みが重なると、気分的にも大分ゆっくりになる。 こんな時、今までならば「何かやらなければ、勿体無い」という感情になり、本来の「時間貧乏性」が頭を持ち上げて「何かやることないか」とアタフタと探し回っていたものだ。 ところが、ここ数カ月(多分昨年の暮れごろからだったと思うが)は「休みの日は休み」という風に頭が働くようになってきているようである。 特別無理して「探さない」とか「やることがあるけれど無暗に手を付けない」とかで気分的に「泰然自若」としていることに無理が無くなっている。 それでも、月曜日として掃除は当然やるし、書き写しや音読、決めた学習、小学生児童の下校時街頭見守り、健康麻将、家内の買い物のアッシー君。 そうだ、お風呂掃除と入浴もある。 日頃いろんなことをやっているから、偶の休みが貴重だと思えるのであろう。2017 年4 月7 日
運転姿勢色々
今年も「春の交通安全運動」ということで、当番になっている小中学生の登校路にある角に約1時間立って元気な児童と挨拶を交わした。 雨ということもあったので、車で送迎されるひとも多かったが、それぞれの家庭事情と教育方針、児童生徒の体調などがあるのだろうから、今更それに文句を言うつもりはない。 今朝「エッ」と思ったのは、運転する人の姿勢である。 これは、何も「この姿勢が悪い」というものではなく、各人色々な都合があるだろうから、仕方がないことなのであろう。 ハンドルにしがみついている姿勢、逆に反り返っている姿勢。 携帯で話しながら、煙草を吸いながら、あちらこちらを探し物でもするかのようにしている、何を考えているのか分からないけれど、じっと前を見ているのに信号が青になっても進もうとしない、前を半分、後ろの座っている子供に半分顔を向けている姿勢等々。 ともかく腹が立つというよりも「人間観察学」とでも言おうか、面白いことおびただしい。 そういえば、好きな落語家の桂枝雀師匠は、未だそんなに売れていない時に、どこかの駅で、日がな一日「人を見て」過ごしたと聞いたことがある。 偶にはそんな楽しみ方も面白いのではないか。2017 年4 月6 日
分からないなら見つけてみよう
年が明けてから、新しい学習項目が二つだけ増えている。 その中で「最新技術」だと思っている「XML」がある。 まだまだ「文法編」で、門口に立った状態であるが、意味するところは分かったのだけれど、「なんでそうするのか」「どれだけの効果があるのか」が分からないままに進めている。 正直、今までの学習でも、同様なことがあり、幾つかは「挫折」してしまったものがある。 でも、続けて一応「完了」したものもあるが、果たして疑問は解けたのかどうかが、今一つ自信が無い。 でも、そのうちのいくつかは、しばらくたって「繰り返し」しているので、まるっきり歯が立たなかった訳でもなさそうである。 今回の物も、ともかく「完了」することを目指して、そんな中で「なぜ」と「効果」を自分なりに探してみる楽しみがある。2017 年4 月5 日
孫の塾卒業
今年中2になる孫娘が「塾を卒業」した。 これから高校入試という時期になぜと爺としては少し不安になったが、母親の娘も同意してのことだというので、「そんな物か」と思った。 昨年は小学校卒業と中学入学。 そして今年はまた新たな「卒業」ということで、塾の先生に感謝しながら挨拶したというから、その分しっかりと成長しているのだろう。 科目としての数学や国語はまだ少しは教えてやれるところがあるが、資格的には「英検4級」合格というのに、まだ私に聞いてくるので、ドギマギしてしまいながら、ブロークンな英語で答えている。 ところが、なぜか先生からは「褒められた」と言ってくることが「たまぁー」にあるので、むしろこちらの方がまごついてしまっている。 そうこうしているうちに「爺からも卒業」という日が来るのだろう。 渡す卒業証書などは用意してやれないけれど、しっかりとした成長が私が受け取る「卒業証書」である。2017 年4 月4 日
人の振り見て
今期の散歩の開始時間などは、まだ定かに決まっていないが、それでも先月から天気の良い日だけということで始めてから実質は20日くらいになっている。 新幹線に会うコース、会わないコース、他人様の畑の様子を見て回る(決して自分の所と比較はしない様にしている)コース、そろそろ開きかけた色々な花を愛でるコースなどいくつかのコース設定はできつつある。 開始時間が決まらないのは、どんどん日の出が早くなるからでもある(この辺が「私のせいではない」という変な論理なのだが)。 そんな折、同級生に会うことがある。 先日も、今までは「スッキリした歩き方」をしていた女性と会ったのだが、正直少し驚いた。 以前はその「スッキリ感」から100m近く手前からでも「彼女だ」と分かるくらいだったのだが、全く歩き方が違っていたからである。 具体的にどうこうとここでは表現しないけれど、改めて「人の振り見て」という諺を思い出した。 その後約20分間ほど「彼女の様になっていないだろうか」と気を付けながら歩いたが、気を使った分疲れたような感じがした。2017 年4 月3 日