わが身傷つけることのないよう(9/22に採用された)
教育勅語というものは、戦後生まれだからよくは知らないけれど「身体髪膚、之父母に受く、あえて毀傷せざるは、孝の始めなり」と言う言葉は、いつの頃からか好きになったものの一つである。
ところが、「自己人体実験」とばかりに、若気の至りで、全く反対なことばかりやっていたような気がする。
両親を見送ってもうだいぶたつが、いまさらながら身に染みる思いがした。
つまらないことでわが身を傷つけることのないように、動作は遅くとも十分に注意したいものである。
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投稿者:つねちゃん
at 06 :31
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「重陽の節句」は「陽」の数重なる(9/17に採用された)
9月9日は「重陽の節句」だった。
一桁の奇数で最大な「陽」の数が重なる、という意味で、「良いことが重なってくる」と言ういわれである。
「9」は「苦」につながるから、縁起が良くないといわれて嫌う人もいるが、好きになったのは高校生の頃からだろうか。
季節も良いし、これも好き嫌いがあるが「大好きな花の菊」の咲く季節である。
また、いつもは今年ほどではないものの、暑さから解放されて、机に向って、「楽しく学習」できる季節でもある。
まだ熱いお茶ではなく、氷を一つ入れただけのお茶を横に起きながらの読書は、どんなジャンルでも楽しいし、読んでいるうちにいろんな思いが広がるのに、身を任せる楽しみもこの季節ならではである。
確か、若山牧水の「酒は静かに飲むべかりけれ」もこの季節だったように思うが、この場合やっぱり、日本酒が合うというのは、手前勝手な理屈である。
投稿者:つねちゃん
at 08 :14
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原発に対する考え方の甘さ(9/11に採用された)
高校時代は「電気科」と言うところで学んだので、何が何でも原発反対、と言うほどではないけれど、今の原発に対する考え方の甘さには常に疑問を持っている。
今回の高速増殖原型炉もんじゅの廃炉についても「えっ」と思うことが次々に出てくる。 取り出した燃料棒を「洗浄する」とあるが、その洗浄に使われ、多分汚染された排水の行く末はどこなのか。
「水で薄めて海へ流す」のだろうか。
風評被害などはないのだろうか。
次に「当面は」水中で保管とあるが、その水は漏れはしないのだろうか。
当面とはいつまでなのかが全く明確になっていない。
「言った当事者が亡くなるまで」ということで「死人に口なし」とでもいうのであれば、地元は大変だろう。
投稿者:つねちゃん
at 06 :32
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畑や庭の植物を巡回(9/4に採用された)
前夜からの雨で水やりの必要性はなかったけれど、朝はまだ晴れ間があったので、畑や庭の植物を巡回してきた。
畑では、風でクリの実がいくつか落ちていたので、むいてみると、鬼皮の色はまだ薄いけれど、食べられるほどの大きさの実が2個採れた。
その後は「家内作業」で一日をのんびりと涼しく過ごすことができた。
「暑い」でいいかげんにしていた、読み散らかしていた本なども区切りをつけて、とりためたビデオも早送りしながら随分と消化できた。
ともかく扇風機を弱にしていただけで、何をやっていても、はかがいった一日だった。
当面こんな気候が続くそうだけれど、これですんなりとはいかないことは理解しながらも、のんびりできた一日に感謝した。
投稿者:つねちゃん
at 08 :34
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誰に何をわびる目的で頭下げる(8/30に採用された)
障害者雇用に関する「いかがわしい内部調査」で、まるで「芋づる式」に、あちらこちらの「官庁」というところで職員の方が頭を下げている。
いったい誰に何をわびる目的で頭を下げていられるのだろうか。
腹の中で思っていらっしゃるのは「私たちは悪意があってやったことではない」ということだろう。
そして「『判断ミス』があっただけのことだ。ともかく一度頭を下げておけば、非難の嵐は、その上を通り過ぎていくだけだから、その後は少し鉛筆をなめて数字を改善されたように見せかけておくだけで済む」と思っていらっしゃるのだろう。
こんなことだから、中央省庁をはじめとして「不正なミス」はなくならない。
それでも「お役所を信じろ」と胸を張って言えるのだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 07 :42
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予算が101兆円
今日のテーマは、やはり年も押し迫って出た「予算が101兆円」ということではないでしょうか。
残念ながら、政治屋とお役人の懐を十分に潤わせて、一般大衆にはまやかしの「還付」で増税を強いることになるのでしょうね。
以前にも言いましたが、増税には、必ずしも「絶対反対」ではないというのが私の基本姿勢です。
でも、会計検査院が、何度となく「無駄遣い」を指摘しても、どこ吹く風とばかりに同じことを繰り返し、政治屋さんはいろんな噂が出ても、野党も一緒になって「他人の噂も」ということで過ごしてしまうという姿勢に腹立ちを覚えてしまうのです。
また、いろんな示威行為をなさる方々も、自分にが選ぶ政治屋さんに対して直接文句を言っておらず、選挙のたびにその人を当選させてしまっていることに対しても腹立ちを覚えます。
今年も、基本的には「仄々」「徒然」を旨としてきたつもりですが、最後はやはり「文句屋の文句」になってしまいました。
ぜひ皆様も、良い年をお迎えください。
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投稿者:つねちゃん
at 06 :15
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接して漏らさず
いささか尾籠な話だけれど、時折ネットで「エロビデオ」を見て楽しんでいる。
残念ながら、現実的に相手をしてくださる女性に出会わないし、万が一そんな機会があっても、多分遠慮してしまうことになろう。
途中で息切れがしたり、早かったり、遅かったりすると、むしろ迷惑だったり、恥をかいたりで、お互いに後味が悪かろう。
それだけ「身勝手」な行為である。
そんな時でも、ビデオは楽しませてくれる。
でも、今年になってから、「発射」するのはほとんどしないようにしている。
自分勝手だけれど「後が疲れる」のである。
だから、冒頭のように、五人組に相手をしてもらいながら、勃やすだけ勃やして、寸前で止めている。
ところが、最近気が付いたのだが、「元気が還流している」ような気がしている。
そんなことがあるかどうかは、知らないし、調べるつもりもないが、気分としては良好である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :26
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ネックウォーマー
家内から、手編みのネックウォーマーを貰った。
クリスマスのプレゼントの前倒しでも無いのだという。
編み出した当初の目的が、何度かの変更によって、私のネックウォーマーになったとのことだが、経緯は全く問題にしないで、とても嬉しかった。
ネックウォーマーが今ほど皆が多用していない10年近く前に、家内の買い物の付き合いで出かけた時に、黒い、細い、糸で編んだ、筒状の物が、確か150円ほどで売られていたのを発見したことからの付き合いである。
確か偶々床屋へ行った後の外出だったので、首筋だけがスースーしていて、全く「渡りに船」だったものである。
それから数年経って、外出時にそれを着けて行けるほどでは無いほど「草臥れていた」し、周りにも着けていらっしゃる人も増えたので、太い毛糸で編まれた物で、見た目だけだが体裁的に木製の大きなボタンが2個ついたものを買って愛用していた。
以前の物は家での着用と言う活用だった。
10年以上も経っていたので、首との間に随分と隙間ができていたものだったから、嬉しさ倍増である。
長い間役立ってくれた物には、感謝しながら護美箱行きとなった。
投稿者:つねちゃん
at 08 :02
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「感謝」
昨年ごろから「何にでも感謝」と言う気持ちで、日記やこのブログにでも、「感謝」と言う言葉を使ってきている。
正直、始めた頃は、自分ながら「少し照れくさいなぁ」と言う気持ちがあった。
でも、私が使っている日記は、一画面で過去2年分が見られるようになっているので、気を付けて見ていると、確実に徐々に「感謝」と言う言葉を「当たり前に」使っていることが分かる。
だいぶん素直になったものだと思う。
出来れば、父と同じ歳までは、健康寿命を保ちたいと思っているが、少なくとも腹を立てず、何事にでも「感謝」と言う言葉を使い続けられるようでありたいものである。
あと13年だけれど、果たしてできるだろうか、分からないながらも、感謝の日々を一日一日感謝しながら続けていきたいものである。
投稿者:つねちゃん
at 07 :50
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「どう食べないか」
就寝前の音読本からの「つまみ食い」的な論理である。
時期的には、物が少なくて「食べられない」ということがあるとしても、全体的にはまだまだ「飽食の時代」と言われても、それほどの反論もない今日この頃である。
「これはこんな風にして食べるともっと美味しい」という番組やそれに類するにニュースなどが、氾濫している現状である。
勿論私や家内も娘や二人の孫娘も、「いかにして食べるか」には、味の種類は違うし、程度こそあろうが「興味津々」なのは言うまでもない。
ところが、「どう食べるかより、どう食べないか」と言う一説には、気づかされるところがあった。
文章を自分なりによく考えてみると、「お腹がすいた」から食べるのではなく「お昼になったから」などと言う「習慣」で食べることの方が多くなっていないだろうか。
家内が外出で、お昼は自分で判断できる日には、一度試しに内臓の負荷軽減のために「抜き」をやってみようか。
血糖値の薬を飲んでいるから、低血糖防止に飴玉だけは持っていることを忘れずに。
投稿者:つねちゃん
at 06 :30
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反対のデモ
今回の辺野古埋め立てに対する反対のデモが、全国各地で行われているとの報道である。 在職中には、短い期間だったが、組合の執行部にもいて、デモを率いたこともあって、それなりに自分らの意見をアピールした。
でも、今回の辺野古や消費税などに対するデモは、賛成者がかなり偏っているのではないだろうか。
だとすれば、単に「反対」と叫ぶよりも、特定議員などに対する「申し入れ」と言う形の方がより効果的ではないだろうか。
これは、案件にもよるが、必ずしも与党議員ばかりではなく、不埒な活動をした場合の野党議員にでも向けられるべきだろう。
このようにすれば、「民の力、蔑ろにできず」と言う風潮になるのではないだろうか。
では自分は、と言われて二の句が継げないから、ブログと言う形でしか表明できないのだが。
投稿者:つねちゃん
at 06 :41
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今年もイルミネーションを点けた
街の振興策の一環で、当地区の自治振興会では、数年前からイルミネーションを無償で貸与してくれている。
我が家自体は、孫が喜んでくれたので、そのずっと前から独自で点灯していたのだが、趣旨に賛同して、貸与してもらっている。
今年も点けようとして電源を投入して見ると、所々点灯しないLEDがあったので、取り換えてもらって、昨日漸く設置した。
昨年(正確には、今年の2月くらいまで)まで使っていたものと、同じものは無かったので、気分一新で新しいものに取り換えた。
まだ点灯・滅灯・光度の増減のタイミングが思ったようになっていないのが、昨晩分かったが、生憎の土砂降りだったので、そのままにしておき、今晩には再度設定し直すつもりである。
でも、この間が、実は旅行計画を立てているようで、ナントも楽しいのである。
小さなものでも、おやりになってみてはいかがでしょうか。
我が家は玄関灯を点ける時のタイミングで電源を接・断しているので5時前から9時過ぎまでです。
電気料もほとんど気になるものではありません。
投稿者:つねちゃん
at 06 :45
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養生訓の一節
「聖人は未病を治す」と言われて、あなたはどう思われるだろうか。
私のような、生来「短気な人間」は「病気にも罹っていない人の病気は直す必要が無いから、それならみんな聖人だろう」と思ってしまうし、今までもその論理で事を済ませてきたことがある。
落語の「藪医者」のマクラではないが、「落ちてすぐに運んできたのに『手遅れ』だというのなら、何時運んでくればいいんだ」「落ちる前なら何とかなったろう」と言う件である。
今回、何度目かの「音読」で落ち着いて読むと、なるほどと思わされた。
考えてみると、今までは、上記のような理屈で、通して来たが、今更ながら「赤面の至り」である。
常日頃から謹んで、飲食色慾を抑え、風寒署湿を防いでおけ、という論理である。
理屈はよくわかるんだけれどなぁ、と凡人は思うばかりで、行動が先になる。
投稿者:つねちゃん
at 09 :10
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みっともない外相
昨日の外相の記者会見での場面には、思わず「馬鹿か」と怒鳴ってしまった。
記者の質問には一切答えず「次の質問は」の連続で内容無しの記者会見だったからだ。
結局は「木偶の坊」であり「傀儡」でしかないのだろうと、今更ながら思ってしまった。 国会の答弁などと同様に「後ろの黒子」がいないと自分の意見などは全くもっていないということの証明を自分でしていることになる。
その癖「外務大臣専用機を」との要望であると聞いては、全く大臣の意味がないではないか。
それなら役人専用に「動く会議室」で飛行機を用意すればいいだけではないか。
それで体面は悪いかもしれないが、実務上は何ら困ることは無かろう。
いつもは偉そうに言っていることでも、自分の意見ではないから、シナリオを間違えないように読むことが最善の行為と、どの大臣も思っているのだろうか。
これも「天つば」の論理か。
採用はされないだろうが、殆どこの文章のまま投書してやろう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :38
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私の落語の聴き方
落語は、勿論「下げ」が一番面白いのだが、私はそれに加えてと言うよりも、それより面白く感じるのは「マクラを初めとした途中」である。
談志師匠の「芝浜」や枝雀師匠の「地獄めぐり」などの幾つかの噺は、録音で同じ噺を何度聞いても楽しく面白いが、多分これはマクラが「いつやっても良い時のもの」なのだろうからではないだろうか。
その他の噺は、耳新しいものがあったり、「今の人」の話だったりすると、やはり「聞き耳」を立てるのは、主にマクラである。
時期的なウィットを含んでいたり、その人がその件について、どれほどの興味を持っているのか、他と比較して取り上げるだけの勉強ができているのか、等を一人評論家として聞くのも随分と楽しい。
勿論「真剣にその件について議論する」という事ではなく、あくまでも「落語家の世間話」的なのが良いのである。
そういう意味で、最近「売れっ子」になっている人には、それが少ない様な気がするのは、私自身の勉強不足なのだろうが。
投稿者:つねちゃん
at 09 :17
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足元注意
この季節に愛用しているものに「ゆるゆる靴下」がある。
寝る時にも履いているのだが、締め付けることなく、頗る快適である。
ところが、先日びっくりしたことがある。
ゆるゆるだから、ふとしたことで、つま先から少し伸びてしまっている。
それをを別の足で踏みつけて歩こうとしたのである。
まだ転ばなかったことを思えば、それなりに散歩を含めて、細かい運動だけれど続けていた効果があったと思うが、やはり70を超えている、と言う意識をより強く持ちたいと今更ながら思った。
で、改めたのは、ゆるゆる靴下の着用は今まで通り続けるが、ベッドから降りて行動するときには、必ず一度引き上げてからにすることである。
ソックタッチ、と言う糊も持っているが、それを使うほどのことも無い。
「いつまでも若くはない」という事をこれから一つずつ意識に埋め込んで、具体的な行動改善につなげて行きたいと思った。
投稿者:つねちゃん
at 06 :28
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読書感想文
実は、これは書かないでおこうと思ったのだが、そんなに気を張ってこのブログを書いている訳では無いし、読者の方々もそんなに期待されている訳では無いと、勝手に思い込んで、自分の恥経験という意味でも書き留めておくことにした。
『浄土三部経(上)無量寿経』(中村 元、早島 鏡正、紀野 一義 訳註 岩波文庫)である。
恥経験と言うのは、「文字面だけを追った」ということから、「何だか所々有り難いような文章があるのは分かるけれど、前後を読み直してみても、ほとんど内容の理解には至らなかった」ということである。
訳者のお一人の紀野一義さんの講話は、在職中の研修所で2度程聞いたことがあるのだが、当時は「お経、と言うのは有り難い言葉が並べてあるけれど、現実世界では全く実用的ではない」と思い込んでいた20代の初めだったから、内容は全く覚えていないし、特別な感想も無かった。
しかしながら、今回読んで、50年近く前より、少しだけ「内容を理解しようと努めた」ことは間違いないし、時々第三者的に自分の読んでいる姿や声を聞くと、門前の小僧にも及ばないけれど、なんだか断片的に理解できるところがあった、ということだろうか。
従って、この本は「読んだ本」として不要書籍として寄付することは、もう少し待ってみることにした。
投稿者:つねちゃん
at 06 :28
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大根を使い切る
何度も書いたが、今年は、十分なことができなかった畑の作物の話題である。
先日、大根の整理ということで、春の七草用に数株残しただけで、収穫した。
当時としては「十分に深くまで耕した」と思っていたが、追肥もせず、防虫もせずになっていたので、さぞかし葉も硬くなっているだろうなぁ、とかなり諦めの境地で、収穫したのだが、私は勿論、孫も大好物の「大根の葉のヨゴシ」と言う物にするためには、しっかりと茹でることで硬さは克服できるだろうと思っていた。
収穫して泥を落とした後は、家内に任せたので、後で聞いた話だが、「そんなに硬くはなっていなかった。多すぎたので、半分は刻んで冷凍保存にして置いた」とのことである。 冷凍の大根の葉はヨゴシでも使えるし、炒飯でも使えるので、私の最も好む食材の一つである。
驚いたのは、葉の付け根の部分は、大概の場合「捨ててしまう」のだったが、これも柔らかく、浅漬けで美味しく食べられた。
汚れた葉などは勿論生ごみ処理機で畑の肥料になるし、そういう意味では「すべて役立てた」という満足感で一杯だった。
投稿者:つねちゃん
at 06 :26
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シャープの芯を使い切った
今までボールペンを使ったことは、数限りなくというと大袈裟かもしれないが、兎も角赤ボールペンでそれこそ「朱」を入れるのが一つの仕事だった。
当然入れられた当人は面白くないだろうが、そのうちの何人かは「あの時指摘していただいたお陰です」と言う人間がいて、今でも年賀状をくれるのだから、全てが悪かった訳では無いのだろうと思っている。
実は、本社機構へ初めて転勤になり、立案書を書いて、先輩は帰宅した後だったので、コピーも取らずにデスクの上に置いて帰った翌朝、真っ赤になっていた経験があるからで、今では連絡も取り合っていないが、いまだに感謝しているからである。
ボールペンの「使い切り」はさておき、シャープは元々字が下手で悩んでいた時に、和文タイプライターなるものが会社にあり、一部はフレーズは「再利用」できたので飛びついた。
そのうちにワードプロセッサが出現したのでいち早く使い始めて、悩み克服である。
だから、今まで「シャープの芯を使い切った」と言う経験が全くなかった。
それが、リタイアして17年、右手の書き写しにシャープを利用し始めて初めての経験だった。
何でも「やり切った」と言うのは楽しい経験である。
投稿者:つねちゃん
at 07 :12
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整理野菜を美味しく頂く
9月末から畑仕事ができなくなったので、大根、ピーマンは中途半端になってしまった。 それでも健気に実を付けているピーマンを先日始末したが、大きな実は20個ほどで、これは家内の手に委ねることにして、小さな実も丁寧に摘み取って、これは私好みの調理で使うことにした。
調理と言うほどの事ではないと言われることを承知で、紹介させていただくが、ピーマンと紫蘇の実の刻み漬け、である。
ピーマンはヘタの部分だけを切り落とし、以前買った「微塵切り器」で、くるくる回しているだけで、忽ち微塵切り状態になった。
それに、薄目に塩をまぶして、暫くしてから水気をしっかりと切っておく。
それに秋口に収穫して、塩漬けにしてもらっていた紫蘇の実を混ぜる。
それで出来上がりだけれど、今のところ、これを好んで食べるのは、私だけらしいので、我が家と言うより私の自作の唐辛子を塗して、合わせる。
一般の人には激辛だけれど、私にとっては絶好の辛さである。
薬を飲んで血圧は良好状態だが、塩味を薄くしたので、今年いっぱい持つだろうか。
楽しみである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :20
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読書感想文
「漢字面白事典」(都築道夫著 主婦と生活社刊)である。
この本も何度かチャレンジした本だけれど、今回初めて「読破」した。
しかしながら、一度も「書き写し」に挑戦したことは無い。
何故かというと、「やはりこんな漢字を書くことは絶対と言っていいほどないだろう」と言う観測からである。
だからこそ、途中で何度も挫折と言うか「意味が無いなぁ」とした原因だろう。
でも、「読破」した結果から言うと、場合によっては「知っていていい言葉や漢字もあるものだ」ということに気が付かされた。
最たると言うか、初めて見た文書に「詔書」がある。
結びが「御名御璽 昭和二十年八月十四日 各国務大臣副署」とあるから、これだけで分かる方は戦前の生まれの方ではないだろうか。
部分部分は、多分どなたも聞いたことがある文書である。
日付はこれが書かれた日付で、現実に発表されたのは翌日の正午だと聞いている。
正直、漢字とカタカナだけで成っており、昭和天皇がお読み上げられた文章と聞けば、ご理解いただけるだろう。
とてもじゃないけれど、この文章を今の私の知識で正しく理解はできない。
でも、これで戦争が終結したのは間違いが無い訳だと思えば、簡単にこの本を廃棄する気にはならない。
勿論、気軽に「へぇー」と言う漢字や用語も掲載されているので、もし機会があったら手にして見られてはいかがだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :22
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