<< 2021/09 | メイン | 2021/11 >>
2021 年10 月29 日

与党副総裁の発言について

 私もこの話題については、可笑しくて、笑い飛ばすつもりで新聞に投書したが、多分採用はされないだろうから、ここでは、対する野党の人に伝えたい。
 「少し調べればわかるはずなのに」という意見があった。
 それを言うあなた方が、変ではないだろうか。
 かつてのこの人の不用意な発言は殆どの場合「その場限りの思い付き」でしかなかったことに、今更ながら気が付いたということか。
 もしそうならば、あなた方も猿芝居の役者だということだろう。
 もしもそうでないならば、政治家が一番嫌う「無視」を決め組むことではないか。
 「あのええとこのボンボンがまたいい加減なことを言っているわ」で笑い飛ばして、一切話題にしなければいい。
 そんな批判の仕方があってもいいのではないか。

投稿者:つねちゃん
at 06 :27 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月28 日

残念ながら不埒メールの撲滅はできない

 どこから嗅ぎつけてくるのは分からないが、それなりにいろいろな懸賞にも応募しているから、メールアドレスはかなりの範囲にオープンに成って居ると自認している。
 PCに限らずスマホでも「拒否メール」の設定はしているのだが、それでも到着するので、しようが無いので「あぁまたか」と言うことで、内容など見ずに削除している。
 もう40年ほど前から、仕事の関係もあり、人より少し先にインターネットやメールを使い始めた。
 そのころは、やはり「無償」と言う言葉惹にかれて、少し如何わしいところへもアクセスして、それなりに懲りた経験があり、それでもなかなか止まなかったのは、やはり「助兵衛心」と言う事からだったろう。
 残念ながらどこにもそんな「うまい話」は無いのです。
 だから「知らない人からのメール」は一切内容を見ずに「削除」が一番無難なのです。
 増してや、「俺が退治する」なんてことは思わないことです。
 向こうはそれなりに海千山千の強者なのですから。

投稿者:つねちゃん
at 08 :22 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月27 日

取り越し苦労も悪くはないか

 加齢の所為なのかははっきりしないが、もともと「臆病者だった」(かつての私を知る人の多くは多分即座に「嘘だろう」と言うだろうが)私が、最近特に「取り越し苦労」をするようになった気がする。
 リタイアしてからは、滅多にそんな事態に合わないのは、幸いだと思っているが、それでも「失敗した」と思ったら結末に至るまでは「最悪の場合」を想定して怯えてしまう。
 でも、それも逆の意味で「加齢の所為」かもしれないが、「思ったほど悪くならなくて良かった」と感謝する日々である。
 そんな風に思うと、いろいろなことが「結果オーライ」という風に思えて楽しくなるのである。
 取り越し苦労をして、いろいろな悪い場合を考えて、結果が出た時に「そんなでもなかった」と思えるのだから、取り越し苦労を感ず得る時があってもそれはそれでいいのだろう。

投稿者:つねちゃん
at 06 :38 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月26 日

選挙に興味が無い訳ではないが

 選挙になる度に、党首という方が「自分の都合のいい言葉ばかり並べ立てている」番組が多くなる。
 「国民の皆さんのために」という言葉が大手を振って歩いている感じである。
 この人たちが対象にしている「国民」は果たして具体的にどんな人たちを指しているのだろうか。
 この人たちに共通して言えることは「反対意見を持っている人」の言い分を全く聞かないことである。
 それを分かっているから、下手な反対意見を言ってもしようがないという事だと思う、有権者にも責任が無いとは決して言わないが、このままで本当にいいのだろうか。 
 提灯マスコミに期待する意味は全くない。
 ここでこうぼやいていても、何らの効果が無いことは分かってはいるのだが。

投稿者:つねちゃん
at 08 :30 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月25 日

朝起きる前の楽しみ

 わが家の朝食は、以前新聞投書で採用されたが「個食だけれど孤食では無い」というのが、いまだに続いている。
 個々人によって好き嫌いがあり、全員同じ物、ということは決してない。
 偶々、具材の消費で味噌汁の具が同じで大量になる場合は、それだけが統一食になることはあっても、主食がパンだったり、ご飯でも私の好物の炒飯だったり、お茶漬けだったりいろいろとバリエーションがある。
 それだから、朝起きて寝ぼけ眼で新聞を読みつつ「今朝は何にしようかな」という想像(創造)の楽しみがある。
 今朝もそうだった。先日新鮮な卵を買ったから、卵掛けご飯にしようか。
 冷凍保存の韮が残っていたから、魚肉ソーセージもあったし、シンプルにフリカケでもいいなぁ。
 何しろ、こんなことを朝から考えていられるのだから、まだ健康であることに感謝。

投稿者:つねちゃん
at 08 :53 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月22 日

夏冬物の衣料の詰め替え

 今年も夕方から随分寒さを感じるようになってきた。
 まだストーブを出すほどではないのだが、日中に着るものが今まで通りだと寒くてならず、例年の事だけれど、「総入れ替え」を行うことにした。
 下着などは対象外だけれど、内着、外着の区別、まだ走りの時期で合い物に近いものと、本格的な防寒着なども振り分けて、部屋の引き出しに入れるもの、とすぐに出せるものの区別などで、そんなに「衣装持ち」ではないけれど、それでも収納場所などを考えながらやると、1時間半ほどかかってしまった。
 「これにて一件落着」とお茶などを飲んで一息入れたが、例年同じことを思いながら、なかなか実行できないのが、洗濯から戻ってきたときにしっかりと「元の場所」に入れることがこれからの課題なのである。

投稿者:つねちゃん
at 08 :42 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月21 日

時間貧乏性

 幸い金銭的には「満足」とは程遠いかもしれないが、「生活に困らない程度」に過ごしている。
 それとまるで違うのだが、随分前からも多分研修所を卒業した約50年前くらいからだろうか「時間貧乏性」という感じに包まれている。
 必ずしも「だから実際に困った」ということはないのだが、金銭と同様に「どれだけあっても困らないのに気が付いたら少ないと感じている」という状態である。
 ところが、この歳になって「それほど悪いことでもないなぁ」という感じに少しずつ変わってきている自分に気が付いた。
 私の一つの趣味で、家の何カ所かに「一日一個の箴言」が掛けられている。
 その中に「時間がない、って本当」というのがあって、挿絵にはポテチ族(すでに死語の世界かな?)の如く、横になってTVを見ている姿がある。
 最初のうちは「そうだよなぁ」と思っていたのだが、最近は「この時間も大切な時間」だと思うようになってきた。
 決して貧乏ではなく、有意義に過ごしているのだ。

投稿者:つねちゃん
at 07 :49 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月20 日

わが家の歴史

 先々代が分家してから三代目になるので、できるだけの資料と写真を整理して、「三代記」としてまとめておこうともう大分前から準備しているのだが、中々いろんなことに目が飛んでしまっていた。
 最近どうにか、本家からの資料などを読み返して、何度目かのスタートが切れるような気に成って居る。
 そんな中で、驚いた「逸話」に出会った。
 我が家としては初代に当たる祖父の母親の事である。
 当時はいろいろなことがあって、曾祖母が「中使い」(今でいう小規模運送屋、というところか)という仕事を請け負っていたらしいが。
 ある夜中、県境の峠を金沢方面から越して来る姿に、県境へ迎う男性が、お化けと勘違いして卒倒したのだそうである。
 伝え聞くと「火の玉などに怯えることもなく、明かりになって照らしてくれるのでありがたい」と言うほどの強者だったと聞く。
 頼もしい限りで、ぜひともあやかりたいものである。
 大祖母ちゃん、ありがとう。

投稿者:つねちゃん
at 06 :37 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月19 日

いっそのこと2大政党化すれば

 またぞろ選挙である。
 与党は「ばらばらの野党がそのままであるから、我々与党が政権をはく奪されることはない」とばかりに、すべてについて鷹揚で、すべてについて横暴でもある。
 対する野党は、いつまで経っても口先だけで「我々が政権を取ったら」という「たられば」論理だけである。
 これじゃ一般市民としてはどう判断すればいいのか分からないだろう。
 だからつまらない「人気投票」が続くばかりである。
 野党は「小異を捨てて大同による」として結束すれば、いいのではないか。
 そのうえで「しっかりとした話し合い」で方向づけすればいい。
 必ずしも「2大政党化」が良いことだらけということではないが、選挙に当たっては「ひょっとしたら次は落選」という緊張感が出て、それなりにしっかりとした政治論争になるのではないだろうか。
(同趣旨で投書した)

投稿者:つねちゃん
at 07 :58 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月18 日

役人の懲戒処分

 いつまでたっても「お役人」の不正行為が無くならないのは、やはり「罰則が甘すぎる」ということが一つの要因だろう。
 新聞報道で「懲戒処分がなされた」と聞くと一般の人の多くは「そこまで酷くしなくてもいいのに」と思われるかもしれないが、その方々の多くは「懲戒免職」ということを思うからではないだろうか。
 お役人の「懲戒処分」にはかなりのランクがあるので、一概に「可哀そう」なこととは思わない方がいいと思う。
 一時期「半官半民」的な会社にいたので、「厳重注意」「訓告」などという処分はした方もされた方も「申し渡し儀式」が終わればその晩は「懇親」の場が当事者だけでなく誘っての会になる。
 したがって、翌日になれば「何もなかった、禊は済んだ」ということになってしまうのだから、再発防止などにはつながらないのである。
 「身内が身内を処分する」ということは「有名無実」なのはこればかりではないと思うけれど。

投稿者:つねちゃん
at 06 :29 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月15 日

「青葉茂れる桜井の」

 冒頭の歌いだしで始まる歌を最後までご存じだろうか。
 実は、この歌の1題目の途中までしか知らなかったので、全くどんな内容かは知らなかった。
 ところが、やはり「中途半端は良くないなあ」と、わが身の性格を思い直す機会に恵まれたのだった。
 TVの番組で色々なジャンルの歌が流れる番組があり、デスクワークのBGMとして「聞き流す」格好の道具としてビデオに撮って流していた。
 その時に、1題目の途中までしか知らなかったこの歌が流れてきたので、手を止めて画面に見入るとともに、画面下に表示される文句を聴いていると、何故かそんな経験もないのに涙が滲んできた。
 古典文学の『太平記』に出ている物語だとあり、戦前の教育を受けた人は知っている歌だと知った。
 勿論戦後生まれだから、リアルタイムで知っているわけではないが、大好きな歌のジャンルの一つ「歌謡浪曲」と思って聞けば悲しくも力強い歌だった。
 カーオーディオにも持ち込んで、歌詞を覚えたいものである。

投稿者:つねちゃん
at 06 :40 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月14 日

作業停電で夏から冬へ

 この季節、コロナではなく鼻風邪をひくことが多い。
 というのは、主にベッド周りの寒暖調節が狂うからである。
 タオルケットだけでは寒いし、着布団は新調したけれど、毎日はやはり暑い。
 そんなときの作業停電の案内があり、いつもはTVやPCと楽しく過ごしている時間がほっかりと穴が開くことになった。
 それで、電気を使わない作業ということで、ベッドシートの取り換え、薄い毛布と着布団への取り換えなどを停電時間の約2時間ほどで、かなり整理できた。
 衣類の整理までは手が届かなかったけれど、ある意味「良い切り替え時間」を楽しんだ。

投稿者:つねちゃん
at 07 :49 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月13 日

勝手だということは分かっているが

 先日の首都圏での地震など都会はやはり悪い意味での「一極集中」の事態を招きつつあるのではないだろうか。
 単身赴任期間を含めて、神奈川、千葉、東京と18年ばかり過ごしてきたが、常日頃子供たちに言って居たことは「都会は遊びに来るにはいい所だけれど、決して住まいに適したところでは無い」だつた。
 幸か不幸かは別にして、子供たちはこの近辺に住まいしている。
 ところが、コロナ禍で「都会にいる必要性がない」と感じている人もそろそろ多くなってきているようだ。
 リモート勤務という形態も進みつつあるとも聞くし、半面で「田舎の過疎化」という面もあって、それに拍車をかけるような話題もある。
 もともと田舎暮らしの人間としては、申し訳ないけれど「来てほしくない」というのが本音である。
 今まで慣れてきた「都会暮らし」を中途半端に持ち込んでもらっても困るのである。

投稿者:つねちゃん
at 07 :50 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月12 日

掛け布団を新調

 夏に入って、掛け布団は「当面不要」ということになってタオルケットと薄い毛布と交代になった。
 布団カバーから出すと、もう大分草臥れていたので、「秋に成ったら新調しよう」ということになって、つい先日の少し寒い日から、デビューしてもらった。
 私自身は、出張族だったこともあり、どんな布団でも寝られるのが一つの「得意技」だったのだが、宿の布団はそれなりに手入れが行き届いていて「ふわふわで、軽いけれど、決して寒くはない」という具合だったのだが、そのうちの「軽い」がどうしても気にかかっていたのだが、家での布団と比較するからだったろう。
 ところが、今回は「その通りの仕様」だったのだ。
 少しがっかりしていたのだが、実際に着て寝てみると、快感である。
 いつまで続くかわからないけれど、しばらくはこの快感をむさぼり続けたい。

投稿者:つねちゃん
at 06 :29 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月11 日

読書感想文

 今回の物は、2月末から「書き写し用」として活用してきたものである。
 「考え出すと夜も寝むれぬ 素朴な<日本語の謎>大疑問1」(出口宗和 著 二見書房 刊)である。
 著者や出版社には、申し訳ないが「買って読む本」ではない。
 図書館で「借りて読む本」としては、大推薦の本である。
 「知っていたようで知らない、忘れた、誤解していた」ということに楽しく出会えること、請け合いである。
 冒頭の二つだけ紹介して、あとは何時もの様に「目次」だけにしておきます。
 「青二才」って何歳?
「赤の他人」っていうけれど「青の他人」っているの?

 第一章 へぇ、日本語ってチョー不思議!
 第二章 なんとまぁ!1億人の総勘違い
 第三章 なるほど!納得できる意外な事実
 第四章 ややっ!意外な国からの舶来言葉
 第五章 ほう!語源はここにあったのか
 第六章 ほほう!動物から生まれた傑作
 第七章 おお! ひねり技のきいた常套句
 

投稿者:つねちゃん
at 07 :58 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月8 日

楽しい楽習

 2学期としての放送大学の5科目を1回目だけ受講した。
 難しいのもあるが、たぶん続けられるだろう。
 でも、スマホでの漢検もそうだけれど、「なかなか分からない」ということの「楽しさ」を実感できている。
 決してマゾヒスト的な感覚ではなく、素直に「へぇーそうなんだ」という感覚である。
 そこで思いついた言葉が「楽習」である。
 「楽しく習う」である。
 試験がある訳ではないし、よしんば不合格だからと言って、こちらに特別のペナルティーがある訳でもないのだから、こんなに「楽しい時間」はなかなかあるものじゃない。
 ましてや、電気料などの出費以外は「無料」なのである。
 積極的に「サボル」ということはしないけれど、眠っていても、どうってことはない。
 学習遊園地にいるようなものである。
 どうか興味のある科目選んでやってみられてはどうだろうか。

投稿者:つねちゃん
at 07 :51 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月7 日

浪費癖のあるケチ

 お金が「溜まるほど」ある訳ではなく、つつましい生活を無理せず送っている。
 ずいぶん以前になるが、ある後輩から「あんたは『ベー』をするときにも舌を『出さない』ほどのけちだ」と言われたことがある。
 勿論酒席の時の話なので、笑い飛ばしておいたのだが、何故か今でも覚えているのは、それだけ「ケチ」を自認しているからだろうか。
 このコロナ禍の時節で、毎年家内と春秋の旅行をやっていたのだが、私の「小麦粉アレルギー」の所為もあり、それもやらなくなった。
 旅行に出た時には、それなりに「その土地の名物」を買って回るほどで、家内に窘められるほど「浪費癖」を楽しんていたのだが、無理しているわけではないが自然に使わなくなっている。
 果たして、自分は「浪費症」なのか「けちん坊」なのか、楽しく反芻してみる。

投稿者:つねちゃん
at 07 :31 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月6 日

ハバネロの葉で葉唐辛子

 今年は、ハバネロ栽培は失敗だったのだが、言い訳でしかないが、それは天気の所為でもあったから。
 ところが、最近になって、葉だけが虫食いもなく、ずいぶんと奇麗に成長しているので、このまま処分するのは勿体無いという気持ちがあり、鷹の爪では以前にもよくやって「葉唐辛子」は成功経験があるので、それににならないかと調べてみた。
 やはり辛い物好きな人はネット上にはたくさんいらして、紹介されていた。
 で、早速やってみることにした。
 前述の通り「虫食い」はほとんどないので、奇麗な葉ばかりである。
 お酒と?油とで佃煮にして、昨年までに収穫して、パウダー状にして保存してある「実」を加えて、激辛にはしないつもりだけれど、無駄なく食べることができそうだ。
 しばらく冷蔵庫で寝かせてからの方が美味しそうだから、1週間ほど後になるが楽しみである。

投稿者:つねちゃん
at 07 :03 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月5 日

意識せずの終活

 今まで「終活」と聞くと、すぐに思い出すのが「遺言状」という言葉で、全く気乗りがしなかった。
 でも、最近気が付いたのだが「意識せずに終活」をやってるのではないか、ということにである。
 74歳でまだ「健康寿命」は越してはいるが「平均寿命」には10年ほどあるのだが、身の回りの物を徐々に片付けるとともに「自分はこんな人間で、確かに生きていた」という意味で「採用/不採用にかかわらずの新聞投書、ブログ、日記帳、小遣い帳を初めとして、仕事中のメモ」などが手書きの物をスキャンしたものやパソコンの中に数多く残されている。
 この整理をやること自体が「終活」なのではないだろうか。
 もちろん後世に残して何かの役に立つこともないし、そのつもりもないが、DVDなどの媒体に残しておくだけで気が晴れるのであれば、特別邪魔になるものではないだろう。
 それで「立つ鳥跡を濁さず」という気分になれれば十分である。

投稿者:つねちゃん
at 06 :19 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月4 日

訳の分からない質問

 自民党の総裁選挙には、もとより全く興味がなかった。
 どのみち「丼の中の痴話喧嘩か猿芝居」だと思っていたから。
 それはそれとして、結果が出てから、あの狸爺に向かって「どなたに入れられましたか」と質問している女性の声が聞こえてきて「記者の常識はここまで落ちたのか」と思ってしまった。
 彼女はどんな答えを期待したのだろうか。
 「当選した人だったら」「僅差で落選した人だったら」「最下位の人だったら」次にどういう展開をするつもりだったのだろうか。
 私も下手の横好きで将棋を好むが、少なくともそれくらいは想定して一手を指しているつもりである。
 この人はそれをどう考えていたのだろうか。
 いずれの考えもなくて質問したのであれば、政治屋だけではなく全員の「時間の無駄」だったのではないか。

投稿者:つねちゃん
at 08 :59 | 健康 | コメント(0 )

2021 年10 月1 日

枠が無いと逸脱

 たまたまきょう一日から、新しい原稿用紙を使った「書き写し」になった。
 というのも、昨日の分で、ストックしていた物が無くなったのである。
 だから急遽、廃物利用ではないけれど、新聞の折り込みチラシの「裏白」の物や、余ったノートの未使用分などを集めて約100枚に原稿用紙をプリントして、使い始めることになったのである。
 で、昨日の最後は印刷していない薄い罫線だけのものを利用した。
 でも、やはり文字が今まで以上に乱雑になったことに気が付いた。
 「枠は窮屈だ」と以前は言っていたが、やはり文字だけではなく、ある程度の枠は必要なのだと今更ながら気が付いた。

投稿者:つねちゃん
at 07 :46 | 健康 | コメント(0 )

<< 2021/09 | メイン | 2021/11 >>
このページのトップへ