なんでも学習
今までいろいろ「御託」を並べてきたが、これはあくまでも私の経験論からの学習の紹介である。
要は「何に興味を持つか」ではなかろうか。
新聞を読んでいても、TVを見ていても、散歩を含めて各種の旅行、各種の会合への参加などなどで過ごす時間をただ「漠然」と過ごすのではなく「なんでこうなのだろう」と言うことに気を付けてみると、そのほとんどが「学習の糸口」になるのではないだろうか。
難しく考える必要はまるでないし、いつもそんなことを考えていると、本来の学習の楽しみから遠ざかってしまうことにもなりかねない。
そうではなく、落語のテーマで紹介させていただいたが、枝雀師匠の「緊張と緩和」で、緩和の時にフット考えてみて出てきたものでいいのではないでしょうか。
学習だから、人から質問攻めにされたり、いわんや試験などと言うものはない。
いつ始めても、いつ止めても全くの自由なのだから、このブログを読まれた直ぐに身の周りを見回し、何か興味や疑問を持ってみてはいかがだろうか。
来月は、勝手だけれど、私なりの「幸福論」で綴ってみたいと思っています。
投稿者:つねちゃん
at 07 :32
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学習科目 特殊な漢字
これは漢字学習で知った「特殊な漢字」である。
これらがすべて正しく読めたら、あなたは相当の「好き者」であろう。
尤も、これは「女性禁止の言葉」だから、決して女性が聞くことができないような所で楽しまれることをお勧めする。
少しの「好き者」ならほとんど知っているのは「一盗、二碑、三妓、四妾、五妻」ではないだろうか。
私もこの学習に出会うまではそうだった。
ところがやはりこんな風に並べると「ベストテン」が欲しくなる。
で、見つけたのが「一強、二盗、三素、四碑、五高、六芸、七闇、八娼、九妾、十妻」と言う言葉である。
解説は勿論いたしません。
次が、凹や窪、通鼻、陰、曾曾、開、意味はすべて同じです。
私の持っている辞書には載っていないし、IMEでも探すことはできたのですが、表示されない文字で「しかばね」の中に「朱」を書く文字。
女の一生は、家臣付きの家に生まれたら姫、卑しい身分なら碑、青春真っ盛りで娘、好。 結婚となれば嫁、箒をもって掃除をすることになって婦、箒を持たずに「男を立たせる」と妾。
亭主の鼻につくようになると嬶、息子に嫁をもらうように古くなると姑、さらに老いると姥。
はてさて、男はいつまでたっても罪作りなものである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :32
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学習科目 歴史上の人物
何度か紹介したと思うけれど、昔から「歴史」と言う教科は好きではないというよりも「大嫌い」な科目だった。
なんとなれば「ただ意味もなくそれが起こった年次を覚える」だけだったからである。
それも、当時は全く縁のない縄文、弥生などの古代から始まるのだから、私は全く興味が無かったしその授業時間が苦痛だった。
それが首都圏在勤中、船橋の社宅から中野へ通う電車を利用していた時に、先輩が「電車の暇つぶしに読んでみたら」と言うことで、徳川家康を貸してくれた。
確か36巻だったと思う。
西船橋で地下鉄に乗り換えるのだが、ほとんどの場合座って行けたのである。
最初は登場人物の名前もわからず、本当の「時間つぶし」だったのだが、何冊か読んでいくうちに「(名前だけ知っている)知人」に会うようになった。
そうなるとそこは小説だからやはり楽しくなる。
そんなことでようやく歴史上の人物と出会うことになった。
学習とはそんなものではなかろうか。
TVのクイズ番組でもこの手の問題が時々出題されるけれど、適度な刺激となって楽しい学習が継続している。
投稿者:つねちゃん
at 06 :31
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学習科目 漢字(書き順)
よく使う漢字は慣れたもので、特別気に掛けなく書くことが多いものである。
尤も、何度も紹介したが、リタイアするまでは「手書き」と言う習慣は殆ど無く、ほとんどタイピングで「誤使用」のないようにとばかり気を付けていたので、書き順などはまったく気にしなかったというのが私の姿である。
ところが、この漢字学習と言うものを始めたり、自分で「書き写し」と言うことで、最初は右手だけだったけれど、流行りの「脳活」と言うことで、左手でも書き始めた時に気が付いた項目である。
手書きを殆どしなくなったと言っても、皆無になった訳ではないし、特に部下などの資料を添削する場合は、右手でコメントを書き込むばかりである。
そんな時に「漢字の書き順」などには気が回ることなく、内容を如何に理解してもらいやすく、かつ、相手の自尊心を傷つけないかと言うことに全力を使うのが常だった。
で、この学習を始めてから、いかに今まで「間違った書き順」で脳と右手を使ってきたものだと気づかされたことが衝撃だった。
また、ちょうど頭の孫が背中に習い始めた漢字を書いて「なんて書いたか?」と聞かれた時に「馬」と言う漢字が全く分からなかったことも一つの要因であった。
あなたは正しく書けますでしょうか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :45
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学習科目 漢字(読み方)
実は私が学習を始めたきっかけがこの科目でした。
どこの局だったかは忘れましたが、「難読地名」が最初だったと思います。
当初は「日本」が対象でした。
実は私が住んでいる地名自体が、難読地名の一つです。
「石動」を初見で正しく「いするぎ」と読める方は殆どいらっしゃいません。
近辺でも「砺波」、「婦負」などあります。
現在は「圓歌」師匠ですが「歌奴」時代の演目で「授業中(山のあな)」の中で使っている鉄道入社の時の試験で有名になった「及位」なども読めないですよねぇ。
次が外国になり、「紐育」「香港」「桑港」などはまだ読めたのですが、「土耳古」「伯林」などだんだん読めないものが多くなっ来て、それなりにネットばかりでなくアナログ辞書などを調べながら、楽しく取り組みました。
そこで気が付いたのが「これこそが学習だ」と言うことでした。
だからと言って「漢検」を受験しようとは全く思っていません。
ただ教本は持っています。
いろんな分野の漢字が出ていますが、学校の教科の理科のうちの「生物」が苦手だったように、今でも昆虫の「蟋蟀」などは読めず、その都度辞書を引きます。
継続している「学習」です。
投稿者:つねちゃん
at 08 :42
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学習科目 在職中に関すること
これまで「なるべくやってきた仕事以外のこと」を勧めてきたのだが、一転して「偶には、自分の意見や行動を見直して苦笑いしたり、自画自賛したり、大きく反省してみたり」と言うのも学習の面白味の一つなので、やってみてはいかがだろうか。
私自身はコンピュータの黎明期にたまたま遭遇したので、ある意味で「薄く広く」と言う知識を集めて、それなりに仕事にも活かしたり、もちろん失敗したりもしてきたので、入り口くらいはとっつきやすいものだった。
そんなことで、信頼性が最後の仕事だったけれど、人工知能も、ハードウェア、ソフトウェアなどいろいろな分野に入り易かった。
勿論印刷教材もないところで、より一層深めるということにはなかなか到達できなかったけれど、それなりに「今風な」知識を得ることができた。
それは「覚えなければならない」と言う強迫観念がないから、「ふぅーん、そうなんだぁ」くらいでいいから、むしろその方がすんなり頭に入る。
そのうえで、ネットニュースで今風の記事に出会って、理解できるとそれがまた楽しくなってきて、スパイラル的に向上していくのである。
あっ、間違ってはいけないのは、必ずしも大学の先生が言っていることが常に正しいことはないのだから、誰も聞いてくれないけれど、反発心も思いながら学習できることも楽しさである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :34
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学習科目 落語
これからは「科目別学習」について私の学習ポイントを紹介させていただきます。
落語については、これだけである月のテーマとしましたが、ここでは少し「学習」と言うことでの楽しみを考えてみたいと思います。
落語の本題よりも、その前に話されるのが「枕」ですよね。
これについてもよくよく聴いてみるといろいろなテーマがあり、その噺家さんの「持ち味」が出ているような気がします。
古典落語を中心にされる方でも、枕が古典ばかりというようなことはなく、つい先日起きた面白い話を枕に持ってくる方もいらっしゃいます。
悲惨な話をそうではなくオブラートに包んで柔らかくしたもの。
古典が本題になる場合は、その解説として話されるものなど様々で、それだけを集めても楽しいことになります。
特にお金の話になると、今とは全く違うので「なんでそうなるの?」と言う疑問を抱えたままでお帰ししては申し訳ない、という気持ちなのだが、それとは分からせずに枕として使い、寄席を出て暫くしてから「オチ」に気が付くような高等な枕もあります。
この「オチ」についてもいろんな種類がありますが、到底私などが解説できるものではないので「たくさんあって、それぞれが面白いよ」と言う紹介しかできません。
よく引き合いに出されるのが「死神」のオチです。
ぜひ何人かの噺家さんの話をお聴きになってその「オチ」を楽しんでいただき、学習の一つになさってはいかがでしょうか。
投稿者:つねちゃん
at 07 :58
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学習はクイズ番組でも
昨日はまだ「学習」と言うことからあまり離れた話題になりませんでしたね。
Eテレの昔の名前は「教育テレビ」でしたから、「教え、育む」と言ういわゆるお上からの目線でしたから。
今日は同じテレビでも、完全に「民放」(もちろんNHKでも似たような番組に取り組んでいるようですが、ずいぶん昔の「面白ゼミナール」ほどの視聴率は確保できていないのが実情のようです)での番組に、いろいろな「クイズ番組」があります。
これはぜひ録画して見られることをお勧めします。
何故ならば、いろんな分野の問題が出題されるので、リアルタイムで見ていると、興味のない分野にまで付き合わされてしまうので、私の場合ですが、嫌気がさしてくるのです。
視聴者に特別な賞品が当たる番組は昔ほどは無くなったような気がします。
日本語、英語に始まって、自然、動物、国際などなどよく考えてくれるものと毎回感心します。
なぜ民放なのかと言うと、回答者がある意味で「ボケ」をはさんでくれるので、その時に一般視聴者としては「俺ならわかるぞ」と言う優越的な気持ちにさせてくれるからでしょう。
ピントを絞って同種の問題に取り組んでいると、無理なく、楽しく、自然に学習ができます。
これが本来の学習だと思うのです。
投稿者:つねちゃん
at 06 :43
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学習は子供向け番組から
ここまで読んでいただいた方の中には「もう学習なんて、どうでもいいや」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
でも、今月も後2週間ほどなので、気軽にお付き合いいただければと思っています。
結論から言うと「学習なんてしなくても何の損にもなりませんし、したからと言って具体的に何の得にもならないのですから」なのです。
だからやる気が無くなったら、すぐにやめるべきだと思っています。
とはいいながら、私自身はこれで結構長く続けていますけどね。
で、話題を変えて、あなたはどんなTV番組をご覧になりますか。
殆どの番組は「学習に繋がる(げる)」ことができます。
NHKのEテレでは主に子供向けの番組が多いのですが、ピタゴラスイッチと言う番組をご覧になっことがありますか。
わずか1分くらいの短い番組ですが、大人でも「ハッ」とさせられるものが結構ありますよ。
そこには「無理に理解する」なんてことは多分殆ど無く「こうなる事はこうなるのだ」と言う実験をして見せてくれます。
その他に、これは私が最近知った番組で、孫達はずいぶん前から知っていた番組ですが、「2355」と言う番組です。
日が変わる時間帯の番組ですから、録画してみることをお勧めします。
余計な知識などは無くても、ずいぶん楽しい学習になりますよ。
投稿者:つねちゃん
at 06 :43
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学習って楽しむもの
同じことの繰り返しになるが、「これ良いな」と思って始めた学習でも、時々は「もう止めようかなぁ、なんだか訳が分からなくなった」と言う時がほとんどの場合にあります。
そんな時にどうするか。
いくつも選択肢があります。
「もう少し続ければ、少しずつ分かるようになるから続けよう」「やっぱり自分にはこれは荷が重すぎたのだからやめよう」「ここまでやってきたのだから、少なくとも今月(期)いっぱいは続けよう」等々。
私も同様にいくつもの項目で悩みました。
でも、ある時気が付いたのです。
「なんのために学習しているの」という疑問に。
ずいぶん昔のフジテレビのキャッチに「面白くなければテレビじゃない」と言うフレーズがありましたね。
これと同様に「楽しくなければ学習じゃない(それは勉強だろう)」なのです。
だから、そんなときにはすっきりと止めることにしました。
でも「私には合わない」とか「もう嫌いになった」と言うような「後ろ向き」の考え方や自分の心の整理にはしませんでした。
私が昔好きだった坂本九の「涙くんさよなら」と言う歌をご存知ですか。
必ず「また逢う日まで」と言うことになっています。
そうです、次にまた逢う日が来るまで「止める」のです。
いわば、学校で言う「休学」です。
次に出逢って「そういえばここまでやっていたんだよなぁ」と言う思いが、また継続の力になります。
それからまた続ければいいのです。
あくまでも「学習は楽しむもの」なのですから。
投稿者:つねちゃん
at 06 :43
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学習を深める
「教科書は必要ない」「聞き流すだけで近づこう」と言ってきたが、そんな中で「これはもう少し自分で知りたい」と思ったら、インターネットばかりではなく、図書館の利用を大いにお勧めする。
在職中のことを取り出すと、自慢に聞こえてしまうだろうが、私の場合、基本的なことはやはり「教わる」ことから始めたが、そのうちに自分流に工夫や細工などをして、いわゆる「我流」で進めてきた。
だからとんでもない失態も繰り返した。
で、暫くしてからようやく図書館を利用して、自分の意見を確立したり、考えが違っていたことを修正したりしてきた。
仕事のネタは今さら言っても仕方ないけれど、当時一つの流行りになったテーブルゲームに「コントラクトブリッジ」と言うものがあった。
これはまさにその通りの方法でいくつかの大会で、優勝こそしたことが無かったが、それなりの順位にまでなったことが度々だった。
これと同様に、学習も、最初は「学んで」次は「工夫して」そのうえで「それらから脱却して」自分の方法を見つけ出す、ということだろう。
その後、初代のNTT社長になった真藤恒氏の言葉に「習って覚えて真似して捨てる」と言う言葉に出会って、我が意を得たりと思ったものである。
ネット情報は確かさと言う点では少し不安があるものもあるが、図書館の書籍はそれほどでもないと思うから、ぜひ一度散歩の折には寄ってみられてはいかがだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 07 :52
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散歩と学習
いささか散漫的なテーマになるが、それは本来の「仄々」「徒然」と言うことでお許しいただきたい。
誰か他人様から「教わる」と言う学習ばかりでなく、自分で学習することが、私としては現時点で一番楽しく継続できるし、深さについてもあある程度自分で深めることができるという点で最高のものだと思っています。
ところが、なかなかそんなものに出会うことは難しいのが現実です。
そこで「散歩のお勧め」です。
減量などのエクササイズとしての散歩では、なかなかそんなことに出会ったり、思いつくようなことは、私の経験上ありませんでした。
ところが、全くの「物見遊山」的な散歩をなさってみてはいかがでしょうか。
交通機関などは使わずに、「身の回り」をあちらこちら見ながら、時には小さな花にも気を使い、他人様が栽培されている野菜などにも、上を見上げれば「鵙の早贄(はやにえ)」の高さなどにも気が付かれるのではないでしょうか。
立ち止まって、暫く土の上を見ていれば、アリや小さな虫たちにも気が付かれるのではないでしょうか。
昆虫学者のファーブルの話は幼少時に聞いた覚えがありませんか。
そんなことから学習の種は比較的容易に見つかります。
勿論それを種にするかどうかは、たくさん見つかった中から取捨選択すればいいのです。 ダラダラ散歩もこんなことを考えながらだったら、多分脳の活性化に悪くはないと思うのですが。
投稿者:つねちゃん
at 06 :24
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早送りで耳と脳の運動
これは、録画して学習する放送大学に限ってのことである。
今まで「専門外のこと」を勧めてきたが、やはりそればっかりでは「詰め込み」になりすぎて詰まらないと思うこともそれなりにある。
で、在職中に少しふれた分野を1科目程度加えると、「全く分からない」ばかりのところへ「少しは分かる」と言うオアシスのような科目に出会えるとやはり楽しい。
でも、残念ながら「田舎の工業高校卒」と言う学歴では、理論的な整理にはなかなかすべて追従できるわけではない。
さりとて、大部分のところは浅い、深いはあるだろうけれど、それなりに理解できるわけである。
そんな時にお薦めな方法が表題の通りのことである。
大体のビデオでは「音声付きの早送り再生」と言う機能があるのではなかろうか。
私の持っているものは約1.3倍の速度でそれができる45分の講座だから約35分で受講できるのである。
最初はなかなか正確に言葉を聞き取れないけれど、だんだん慣れてくる。
ある時、何かの番組でこの方法が脳の活性化に役立つと言っていたので、多分当たらずとも遠からずの効果はあるのだろう。
45分で10分節約でき、脳の活性化にも良いとなればやはり試してみても損は無かろう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :43
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教科書を見ないで
以前一般のブログでも同じようなことを書いたが、デジタル辞書とアナログ辞書と同様な論理である。
学習しようとした場合、たいていの人は「それなら何か教科書や参考書を」と思ってしまうのは、小学校時代から「教科書ベース」の勉強に慣れているからだろう。
また、それに従う限りは、あまり余計なことを考えなくても「一瀉千里」で目的を達成できると思うからだろう。
他人様のことではなく、私自身がそうだったから、よく理解できる。
でも、ここでは、何度も言うように「勉強」ではなく「学習」なのだから、最初は「これ良いかも」と言うことから始めることとになるので、一々教科書などを探していられないし、そのほとんどが無駄になることが多いから、無駄遣いでしかない。
で、最初は「他人の話」(放送大学でも教授の話)だけで「面白そうだなぁ」と言う気になればシメタもので、暫くは「ふぅーん、そうなんだぁ」と聞き流すだけでいいのである。 デジタル辞書は的確にピンポイントで探し物を見つけて教えてくれる点では便利だけれど、アナログ辞書の場合は、そこへたどり着くまでに全く関係のない項目に遭遇することもあり、むしろそっちの方が「面白い」となることが度々あるだろう。
そうなれば、場合によってはそっちのことを「学習」の種にすればいいし、加えてもいいだろう。
そんなことであえて表題の通り「教科書を見ないで」としたのである。
無責任に言うならば、どんどん学習したい項目がネズミ算のように増えるから、それもまた楽しい限りである。
そんな中でしばらくたってから的を絞ったって決して遅くはない。
投稿者:つねちゃん
at 09 :28
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放送大学の受講
行き当たりばったり、とはいっても「そうは言われても」と言うのが本音でしょう。
私もそうでした。
で、一つのガイドラインがあります。
今は殆どの所で視聴できると思いますが、放送大学です。
単位を取って学位を取得しよう、とか「極めてやる」と言うことでは印刷教材を初めとして授業料がかかりますが、それは私が言う「学習」ではなく「勉強」ですから、ここではターゲットにしません。
ともかくチャンネルを合わせてみることです。
授業科目はネットで簡単に調べられます。
その中からどんどん「つまみ食い」をするのが最初です。
講師の話し方に惚れるのもよいでしょう、資料をたくさん出されて、見てるだけでも楽しい(最初は中身はほとんど理解できないのだが)科目もあります。
途中で「頭休め」と言うことが挿入されて、緊張を少しだけ解してくれる科目もあります。
ともかくかつての授業中のように、いろいろな先生がおられますから、それだけでも楽しくなってきますよ。
大体「学期」という単位で区切られる(終わる)から、約15回です。
「見逃し」や「もう一度」と言うことのために「録画機」はお勧めです。
一回45分が基本ですから、そんなに長い時間ではありません。
つまらない講義でも「耐えられる」ほどの時間です。
ぜひ「思い立ったが吉日」と始めて見られてはいかがですか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :26
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なんでも学習
昨日と同じようなことになるが、「学習」と言われても、長い間専門的な仕事をしていて、いきなり「なんてでもいいから学習しよう」と言われてもなかなか動けない。
これは私も当然だったし、またそれを「他人様から言われる」と言うことになると、同意するよりも反発心の方が強くなって「お前の言うことなんか誰が聞くものか」と言うことになってしまう。
でも、よく考えてみれば、人は自然に、無意識的に学習しているのですよ。
教科書など無くても、散歩をしていて路端に今まで気が付かなかった小さな花を見つけたら、綺麗だなぁ、って思いませんか。
そしたら次に「どんな名前なのだろう、できれば自分の近くにも咲いてほしいなぁ」などなど次から次に発想が湧くではありませんか。
それが学習の「種」でしょう。
「種は撒けば生えます」そんな風に「気が付いたら」でいいのです。
リタイアしたら、今まで見向きもしなかったものへと目が向きます。
それが自然に「種」を探し出してくれるのです。
勿論良い事ばかりではありません、場合に寄ったら「嫌なこと」も学習のためになることもあるでしょう。
のんびりゆっくり種を探して、それから気に入ったものだけを「学習」の対象にすれば、無理なく一歩踏み出せます。
勿論、嫌になったら止めればいいのです。
それで誰かに揶揄されることはないのですから。
投稿者:つねちゃん
at 06 :50
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学習は専門外のことを
リタイアしてのんびりと「さて何をしようかなぁ」と考えていらっしゃる方に、いきなり「学習を」と言ってもなかなか素直に受けにれられないだろう。
事実私もそうだった。
だから、ともかく行き当たりばったりの内の一つに「学習」も入れてもらえればいいのではないかと思っている。
それはさておき「それじゃあ、やってみるか」という気持ちになった人にお勧めしたいのが「全く知らない分野」の項目をお勧めする。
私の場合「天文学」だった。
「全く」ではないかもしれないが、言葉だけ知っていた「ビッグバン」などは全く理解できていなかったので、それなりに興味があったからだったろうか。
その他にはやはり嫌いだった「歴史物」であろうか。
ともかく、最初は全く分からないのである。
市の講座にしても、放送大学にしても、なんだかお経の文句を聞くかの如しで、理解などとは全く縁がないものだった。
そのうちに、一つ二つと「どこかで聞いたことのある言葉」が聞き取れるようになってくる。
いわゆる「緊張」がその時に芽生えるのであり、それ以外の場合は「弛緩」状態である。 大好きな枝雀の落語論ではないが、「緊張」と「弛緩」が時々出現する楽しみになってくる。
こんなことから少しずつ自分の知識になってくるのが楽しみである。
なぁーに、試験などはないのだから、気軽に聞き流すだけのつもりで始めてご覧になってはいかがだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :53
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学習は楽しい 勉強とは違う
今月のテーマは「学習」にします。
団塊の世代の人は殆どがそうだったと思うが、幼稚園(私の場合は小学校の教室を使った「幼児学級」という所だった)時代から、小、中、高等学校まで、ともかく「勉強して他人様に負けるな」と言う時代だった。
家が「貸本屋」をやっていたこともあって、小学生時代から「南総里見八犬伝」と言うような難しいけれど、少しエロがかった本などを盗み読みしていたせいで、漢字に代表される「国語」や、理詰めで解ける「算数」と言うものはさほど勉強しなくてもそこそこの点数は取れた。
半面、発生年を丸暗記させるような歴史や、なぜそうなるのかを十分に理解させない(しない)で「覚えろ」と言う理科は、近所にラジオを作ったりする先輩がいたので電気だけはどうにか理解できたがそれ以外の分野は全く駄目だった。
でもまぁ、何とか就職もしてそれなりのポジションも得てリタイアできたのだから、十分満足している。
その後は地元の歴史や地形などを市の講座で「学習」したりして、リタイア後10数年楽しくいろいろと「学習」している。
試験での点数付けなどが無いから「強いて勉める」と言う「勉強」ではないので、楽しいこと限りない。
尤も、最初からそうだった訳ではない。
ここらでは縄文遺跡が発掘されたことで、それらがメインになることがあったが、「通信屋」で飯を食ってきたわが身としては、一番興味があったのは「どうして離れた地域の人が習慣も物の価値感も違うのに、会話して物の流通(多分物々交換だったのだろう)ができたのか」と言うことだったのだが、残念ながら的確な答えをまだ得ていないし、講師の人に聞いても的確な返事がもらえなかったので、嫌気がさして止めてしまったりもした。
でも、やはり「学習は勉強と違って楽しいものだ」と言う気持ちはまだこれからも持ち続けたいと思っている。
投稿者:つねちゃん
at 08 :38
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