養生訓読みの不養生
何度目かの「読み」になるけれど、就寝前に20項目ほどを読んでいる。
「論語読みの論語知らず」ではないけれど、表題の様になっている自分を「鳥瞰」することができることに今更ながら気が付いて面白い。
一つ一つは現代の医学に照らし合わせると、間違っていることもあるのだろうが、無理なく「使えるな」と思うものは、例によっての「メモ魔」としてメモを取っているのだが、なかなか実質的にはなっていないのが実情である。
特に「お酒」に関することには、メモはするものの、その日の夕方には捨ててしまっているのが実態だ。
だったら止めれば良いじゃないか、という指摘も聞こえてきそうだが「読み物」としては結構面白い。
何の本でもそうだが、すべてについて「そうだ、そうだよなぁ」という気持ちには決してなれないのは、貸本屋時代に擦り込まれたものだろうか。
感心し、納得しながらも批判もし『自分はこう思う』ということを思いながら読むと、より一層読書の楽しみがあると思っている。
投稿者:つねちゃん
at 06 :45
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やっぱり「春だなぁ」
最近朝のうち天気が良い時に、なるべく「1時間以内」(以前は10000歩ということで時間にすると約1時間半になるのだが、昨年半ばくらいから、そうなると左膝が痛くなったので、この線にした)ということを目標に早朝散歩を始めた。
何せ気ままなので、一つの目標として時間をおいているが、さほど気にすることもなく、かといって本格的なエクササイズ(減量と腹囲)のためということでやっているわけでもないから、まぁ、気ままなものである。
で、気が付いたのだが、朝が早くなってきていることである。
大体は5:30過ぎには出ることにしているが、流石にその時は星が綺麗に見えるほどの「暗さ」なのだが、10分歩くか歩かないうちに東の空に「明るさ」が出てきて、星もほとんど見えなくなっていることである。
リタイア後散歩を始めた時には「道端の名も知らぬ花」に思いを寄せたこともあるが、まだそこまでは明るくないが、確実に春が来ている感じがする。
そんな風にいろんな状況を感じると、小さな小さなことだけれど「確実に春が来ている」という感じがして、散歩の楽しさ以外のプラスワン的に楽しくなる。
投稿者:つねちゃん
at 08 :08
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茹でガエル(2/22に投稿した)
自衛隊の活動範囲が、徐々に拡大しつつあるようだ。
「周辺」という枠を外せば世界中どこへでも行くことができ、武器の制限を緩和すれば、「現場で必要だと判断すれば使える」というような状況も起きるだろう。
それよりも、今までは「安全な活動」と意識していた自衛隊員への応募が減少してくるのではないだろうか。
少子化で応募減少ということになれば、活動を保証するためには、当然「要員」の確保が必要になってくる。
「今の自分には関係ない」と思いながら危険や同調で投票していると、気が付いたら「茹でガエル」になっていて、息子や娘が徴兵されることになりかねない。
「今さえよければ」ではなく、10年20年後の状況を想定しながら政治に投票という方法で参加して行こうではありませんか。
投稿者:つねちゃん
at 09 :03
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スーパーでの買い物
以前は家内の「アッシー君」(もう完全に死語だろうが)として付いて行っていて、特別買うものもないし、下手に「あれが欲しい」などと言おうものなら、いろいろな罵声が飛んで来るので、よほど確実に期限内で消費できるもの以外は口出しなどできず、つまらない事夥しかった。
ところが、最近はそうでもない。
家内は家内で家としての買い物をするし、私はその間に低血糖にならないようにと10時と3時に決められたお菓子を食べるのでそれを買うことと、私しか食べない「干鰯」の在庫管理に基づく買い物、食材としてもほとんど私しか使わないもので、大蒜の芽、もやしなど主に炒飯の素材になるものだけを買う。
それ以外の時間は迷爺(家内の目の届かない所へは行かないように、という意味)にならない程度に電化製品コーナー、今はまだ時期では無いが、園芸コーナー、釣りなどの趣味コーナーなどを「ブラブラ」見て回るのである。
この時間が結構楽しい。
分野分野で色々と考えられる人がいるようで、時々目新しいものに出会えるからである。 世のご同輩方、銀ブラならぬ「スパブラ」を楽しんではいかがだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 07 :28
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立ってズボンが穿ける
そろそろズボン下(股引もしくはストッキング)も時々「穿かなくてもいいや」という日がある。
春になるというのはこんなことからも実感できて楽しい変化である。
そこで気が付いたことだが、下半身の下着はパンツ、ズボン下、ズボンが、まだ「立って穿ける」ということである。
時々健康番組などで「目をつむって片足立ち」というのがあるが、残念ながら長い間は立っていられない。
そういう意味で「歳とったなぁ」という実感に苛まれることがあるから、あまり見ないようにはしているのだが、この「立って穿ける」ことには意外に自信が持てそうである。
さすがにストッキングはそんな訳にはいかないけれど、靴下なども「立って穿ける」。
確実に「歳とった」のは事実であり、それに悲観することは殆ど無いしむしろ「でもまだここまではできる」というのを楽しんでいる。
そんな中での新しい発見である。
勿論、もし転んだら、という意味で回りにはなるべく物は置かないようにしながらではあるが。
投稿者:つねちゃん
at 06 :40
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メタボリックのご同輩へ
私自身は、在職中の食生活というものはかなり滅茶苦茶だったと言って良いくらいだった。
家にいる時は、普通の生活で、夕食時には晩酌をして、ご飯はあまり食べずにおかずだけはしっかりと食べていた。
そして11時頃から寝酒として飲んでそのまま寝た。
ところが、在職中のことを振り返ってみると、その70%程度が「出張族」だった。
だから行けばその晩は懇親会で二次会。
単身赴任期間が足かけ7年ほどあったので、寮の夕食時までに帰れることは殆ど無く、外食となればやはりお酒が付いてくる。
でも、健康診断で何らの指摘も受けたことが無かった。
そんな私がリタイアしてその翌年の市の健康診断で高血圧、糖尿病予備軍と診断されてしまった。
体型も含めると完全メタボリックのど真ん中である。
それから10数年、それなりに努力しているのだが、なかなか抜けられない。
多分同じような人もおられるのではないだろうか。
でも悲観することはないのですよ。
何となれば、そうなったのは、何年もかかってなった(した)のです。
だから、これからは何年もかけていつの日か抜け出せるという希望をもって前向きに楽しく生き行きませんか。
エクササイズも無理して短期間に改善しようとすれば、「無理の祟り」が必ず来ます。
前向きに楽しく過ごせれば、多分抜け出せるだろうと思いながら。
投稿者:つねちゃん
at 08 :18
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知らないことを知るから学習は面白い(2/18に投稿した)
毎朝のボケ防止のための「書き写し」に今月から「四字熟語」が加わった。
漢字の学習の中で、いくつもの四字熟語に出会っていたので、取り掛かりはさほど知らないこともなかろう、と高をくくっていた。
だが、「衣錦之栄」「一知半解」「因循姑息」等々どんどん知らない熟語が出てくる。
こうなるとボケ防止が一歩進んで、学習がより一層楽しくなる。
そこで思いついた。
知っていることをトレースするよりも「知らないから楽しく学習できる」という楽しみが追加されて毎日がまた楽しくなる。
高校生くらいまでの勉強はやはり楽しいものではなかった。
でも、こんな風に「楽しみ」を見つけながらの「学習」はずいぶん楽しい。
これからもどんどん探し出して楽しみたい。
投稿者:つねちゃん
at 08 :21
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私は仏教徒
ほかの宗教や宗派を非難したりする知識もないし、それで反感を積極的に買う気もない。 ただ、最近の世界的な暴動ばかりではなく、歴史には詳しくないから何年前からかわからないけれど、最初の米国出張の出発日が湾岸戦争の勃発日だった。
これも基本的には宗教/宗派の争いだと聞いている。
あるニュース解説で、外国へ行った日本人に、その国の人が次のように聞いたと。
「あなたの宗教は何ですか」と。
答えたのが、若い(と言っても30代くらいだと思うが)「えっ、私は無宗教者よ」とどちらにも偏らないという意味で行ったそうである。
それ以降その人はどこへ行っても怪訝な目で見られた、ということを聞いた。
私の米国出張でも一度だけそのように聞かれ「仏教徒とです(I'm Buddhist)」と答えたのだが、それ以上突っ込んで聞かれなかったので特別な偏見で見られたり揶揄されたような記憶がない。
このブログでも何度か紹介したが、リタイア後10冊をくだらない仏教関係の本を読んだり、一部は書き写したりしたけれど、いまだにわからない事ばかりで「私は仏教徒」と言えるのだろうか、と自分を疑うばかりである。
でも、「無宗教者です」というよりも少しは人間らしいのではないだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 07 :56
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経験則だから
我が家には、建築当時の設計では間違いなく殆どの部屋に人が常時いることを想定していて、それなりの間取りにしたのだが、子供らも成長し、父母も見送った今、あまり立ち入らない部屋が散見されるようになっている。
そんな部屋は1か月に一度くらいしか掃除もしないから、気が付いた時にはあちらこちらに「蜘蛛の巣」が張り巡らされていることが多かった。
ところが、仏壇のある座敷だけは全くではないけれど他の部屋から見ると少ないのである。
で、素人なりに考えたのは、仏壇はほとんど毎日「線香をたく」のである。
だからそれが原因ではないかと考え、各部屋に一日1本の線香をたくことにした。
これで約2年近くになるから春夏秋冬を2サイクル程度越したことになる。
あくまでも経験則だから、理論などは全くないのだし、気候も気にしていないが、それでも炊かなかった以前よりも少なくなっているように思う。
100均で1箱350本ほど入ったもので良い香りがするものを買っているが、108円で少しでも蜘蛛の巣除去と良い香りが楽しめるのだから、お勧めである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :51
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大好きな朝食
時々旅行に行くときのホテルの朝食は「バイキング方式」の所にしている。
今ではそれがかなり「当たり前」になっているけれど、15年ほど以前は「洋食か和食」のどちらかが選べる程度だった。
バイキングで摂る食材は、ご飯、味噌汁、海苔、納豆、魚の干物、豆腐くらいの物だろうか。
所々「地元の名産」があるけれども、正直なところ朝からそんなに食べられるものではない。
決してそれに倣ったわけではないけれど、私の朝食も時々それにするようにしている。
味噌汁は冷蔵庫などから連続にならない素材を見つけて、干物は干鰯を1尾。
海苔も一袋、唐辛子を塗した醤油につけて食べる。
貧乏人の最高の贅沢朝食である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :41
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たくさん集まったはずの寄付金などのお金はどこへ行ったの
先日思い出したような新聞報道が目についた。
東日本震災に集まった寄付金などがまだ未配分がある、というような記事だった。
私自身は一般的な募金箱へは入れたけれど、雀の涙程度だから勢い余って言うほどのことではないのだが。
そういえば、ということで思いついたのがもうずいぶん前の阪神淡路の時に集まったお金は適切に必要な人へ配分されたのだろうか。
その他の義援金などについても、確か当時「配布基準が定まらないので」というような理由があって、なかなか「適切な配分」が難しいとの報道も目にしたことがあった。
でも、一般庶民の目からすれば「莫大なお金」だったはずである。
それだけのお金を管理するのも人手がかかるのだろうから、管理費を払うなとは言わないけれど、管理費の名目でお役人の懐に雲散霧消しているのではないだろうなぁ。
良い意味でも悪い意味でも「喉元過ぎれば」「人の噂も」というようなことで有耶無耶になっていなければいいのだが。
尤も、最近のお役人はそんなことで尻尾をつかまされるほど間抜けではないのだろうが、だとしたら雀の涙でも悔しいなぁ。
投稿者:つねちゃん
at 08 :23
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脳は働き者でそれなりに栄養を消費する
目標を決めて、何とか「メタボ」から抜け出したいといろいろと楽しくチャレンジと記録を続けているのだが、思うほどには実績が上がらない。
尤も「楽しく」というのは「何故実績が上がらないのだろう」という疑問を一つ一つ改善していくということが楽しいからでもあるので、薬や特別な方法で脱出できても、後のリバウンドを考えたり、継続的にお金がかかり続けるのでは、「解決する楽しさ」が無くなってしまうのでその道は取らないつもりである。
そんな中で、一つだけ気が付いたのは、「脳は働き者で、それなりに栄養を消費しているのではないか」ということである。
それからお酒を飲んだ日(尤もほとんど毎日だけれど)に「就寝前読書」を継続するようにした。
まだ実績が出ているわけではないが、あまり苦労もせずにできるので自分としては満足している。
いつも言うように「無理せず」が基本であり、「継続は力なり」で年末には「仕上げを御覧じろ」と紹介してみたい。
あくまでも「希望的観測」である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :40
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新幹線の音
散歩コースに「新幹線のガード下」がある。
もう1か月ほどは試運転や試乗会があるので、不定期(いやいや私が知らないだけだろうが)に走るようである。
だから、その時もまさか自分の上を走っているとは思いもよらなかったのだが、聞きなれない音がしたので上を見上げると、パンタグラフだけしか見えなかったが、どうも新幹線らして物が移動している。
最高時速が260Km/hと言うのだが、上部多分10数mしか離れていなかったのだが、そんなスピードとは思えなかった。
まだまだ試運転なのだろう。
表現は難しいが、ともかく「ゴーッ」という音の連続であり、沿線に住んでいらっしゃる同級生によると「なんか金属音のよう」というのも当たっていないようである。
それからしばらくして、今度は少し離れた橋の上から見ることができた。
川の上だからということなのだろうが、遮音壁が無い分、また離れている分12両の全体像が見えた。
残念ながら色はさほどで鮮明ではないが、これはこちらの視力のせいだろう。
やはり「カッコイイ」であった。
藤沢に住んでいた頃、乗ることはたくさんあったけれど、走っている姿を見ることがあまりなかったのに、少し離れた所から全体像をまだ幼かった息子と一緒に見た感激だった。
ガタンゴトンという音とはまるで違った音だけれど、「ビュワン」というほどの音ではなかったような気がするが、こちらの耳の受信感度が落ちたのだということにしておこう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :20
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朝食後にそれまでの日記をつける
明日は会社の研修所時代の同期生の葬儀に参列するため、朝時間が足りないと思われるので、今日に回させていただく。
それにしても、68歳で、今年の年賀状も来ていたのに、と思うと残念でならない、冥福を祈るだけである。
正直なところ「書くのを繰り上げる」というのは難しい。
「繰り延べる」というのはそれに比べるとネタがそろったり練るだけの余裕があるので比較的容易なのだが。
朝起きて、人それぞれ「ルーチン作業」というものがあると思う。
概括的には「毎日同じことの繰り返し」ということになり「日記に書くまでもないこと」となるだろうが、そうなるとそれがだんだん拡大解釈になって「毎日同じことの繰り返し」ということになって、日記自体意味が無くなってしまうから三日坊主ということになりかねない。
正直私も何度も同じことを飽きもせず繰り返して、新しい日記帳に数日しか書き入れていない経験が数多くある。
でもしかし、絶対に言えることは「昨日と同じことを絶対にやっていない」ということだろう。
朝定期的にやっていることを、気を付けて自分観察してみると、起きる時間を細かく見れば、分まで同じということは無かろう。
トイレへ行っても出が悪かったり良かったり、朝食は自分で作ることもあるかもしれないが、奥さんなどが作ってくれたりすると、ご飯やパンの主食は同じかもしれないが、私はご飯党だからフリカケにするのか、海苔にするのかなど上に乗せるものも毎日同じということは無かろう。
味噌汁の具だって昨日と違うだろうし、美味しくて2杯飲んだり、逆だったりもしよう。
ことほど左様に細かいことを心掛けるだけで「昨日と違う自分」を発見できるようで楽しい。
それを朝食後に日記として付けるのである。
それを連用日記につけてごらんなさい。
「去年の今日はこんな食事だったのか」という楽しみが自然と出来上がってくる。
私の場合もう数年前の食事までさかのぼることができている。
投稿者:つねちゃん
at 09 :15
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時間を決めてウトウトする気持ちよさ
立春を過ぎたとはいえ、好きな唱歌の一つの「早春譜」の歌詞のように、まだまだ「春は名のみの」で、一番堪えるのが「布団から出ること」であるのは私だけではなかろう。
目は醒めていて、トイレの用もなく、ただ愚図愚図しているのだが、布団の中の温かさからは中々脱しきれない。
そこで、目につく時計で「デジタル目標」を決めることにしている。
「あと5分」というのではなく「何時何分まで」という具合にである。
最初は「何にも変わらないじゃないか」という思いが大きいが、少しずつ慣れてくると、意外に「スッキリ感」が湧いてくる。
勿論「できた時」が続くことが必要だけれど。
「時計を気にしながらするウトウトは本当にウトウト気分にならない」という指摘もあるだろうが、やってみると案外そうではない、と私は思う。
あくまでも「快感」というのは人それぞれだから、程度も含めて違うのは仕方がないけれど。
これからは朝ばかりではなく、春の日差しが日中でも眠気を誘うことがある。
そんな時にも応用できないかと今から期待している。
投稿者:つねちゃん
at 06 :39
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自分の「分」を弁える
最近は、アンケートを取る主体自体が自分の思う方向に意見誘導するためのものが多いと疑わざるを得ない状況にある。
それでも、素人としては興味がそそられるのも事実である。
何かのアンケートで女性に聞いた「理想の伴侶像」というのがあった。
昔なら「三高」で言い表せたと記憶しているが、残念ながら私が持っていたものは「身長が高い」だけだった。
そんな中「収入が1000万円以上」というのがあった。
男性の平均結婚年齢は定かではない(幅が広すぎるので平均というわけにはいかない)が、それでも30台だろう。
それで収入目標がこれに届くのは滅多にいないのではないだろうか。
翻って、その女性はどうなのだろうか。
容姿端麗、有名大学を優秀な成績で卒業と結婚式で披露されるのは殆どが「仲人口」で、実質はまったく違うのではないだろうか。
これは女性ばかりではないが、男性にも同様なことが言えるのではないだろうか。
お互いに「自分の『分』を弁える」ことが必要だろう。
そうすれば周りに適当な伴侶候補者が沢山いるはずだ。
「一人口は喰えないが、二人口なら何とかなる」「相手が幸せにしてくれるのではなく、お互いに幸せを築いていこう」という気持ちが大切なのではないか。
さらにもう一つ言うなら「美人は三日見てれば飽きるが、そうでない人は三日見てれば慣れる」と思えばよかろう。
投稿者:つねちゃん
at 06 :37
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「悲喜交々」なら思い切って喜ぼう
似た言葉に「喜んで良いやら、悲しんで良いやら」というのもあるが、これだって「喜」の方を大幅に増幅して9:1くらいにすれば、自然に笑みから大笑いになるだろう。
ある箴言に「人生は『悲』ばかりだけれど、それは考え方で変わるもの」というのがあった。
残念ながら、間違いなく現実はそうなのだろうが、そんな中にもある意味「無責任」と言われるかもしれないが「喜」もあるのではないだろうか。
渥美清の名画「泣いてたまるか」ではないけれどそんな小さな「喜」を最大限増幅させてせめて過半になるようにしようではないか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :45
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ポールマッカートニー再来日
一時期御多分に漏れず、ビートルズの大ファンだったことがある。
同世代なら至極当然のことだった。
残念ながらエレキギターを操ることもできず、友人から中古のギターをもらったが、コードの一つもマスターできず「自分の部屋の床の間の飾り物」で終わった。
小遣いも潤沢でなく、EP盤のレコードを確か2枚だけ買ったこともうろ覚えである。
それを音質もさほどいいものではなかったポータブルプレーヤーで楽しんでいた。
聴く曲のほとんどは当時流行っていた「エアーチェック」でFM放送からテープへ録音してのものだった。
好きだったのはリンゴスターだった。
初めての米国出張の時、仕事の合間にジョンレノンが銃弾の倒れた場所へも行った。
それはさておき、今年またポールが来日するという。
正直もう私にはほとんど魅力が無いし、過去の病気で公演中止はまだしも、麻薬持ち込みで入国禁止などを思うと、本音としては「もう来てほしくない」。
投稿者:つねちゃん
at 06 :48
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「感謝」で過ごせた正月
今年の行動指針に「すべてのことに感謝」がある。
現実的には、日記に「感謝」という言葉をできれば10回以上書くことが目標である。
一昨日で終わった「正月」の日記をパラパラとめくってみると、果たして実現できていたのが楽しい「達成感」につながった。
何に感謝したかを整理するつもりはないが、主なものを挙げてみると「朝起きられた」「無事に過ごせた一日」「食事が美味しい」「散歩に出掛けられた」「(事故なく)車で出かけられた」「家族が大きな病気にかからなかった」等々である。
こうしてみると「誰だってできる」ことばかりなのである。
ただ「思っている」だけではなく、何らかの格好で「表現する」ということではなかろうか。
日記を書くときには必ず「口の中で唱えながら」書くことになるだろうから、それでもいい。
今月も月末に「達成できた」という気持ちが持てるようにしたい。
投稿者:つねちゃん
at 06 :46
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