2017 年10 月31 日
2017 年10 月30 日
時頼と習近平
偶々読んでた本の内容が、現実の世界と附合することがあるのは、多分私だけではないだろう。 今回の件についてもそうである。 先日中国の共産党大会が閉幕した。 特別中国のことに口をはさむ気持ちはないが、偶々、朝の音読で使っている「教行信証」の一節と、自分としては「酷似」だと思うようなものが一致した。 教行信証では、時の帝の北条時頼に招聘された道元が、一門一族の多くの血を流して、王に付いたことに対して「自分は阿闍世王(父を殺して王位についた)と同じ仏道に反いているのではないか」と聞いたところである。 「教行信証」は親鸞が著したものだが、その中で、「五逆と誹謗正法は救われない」とのことに対して「一切の人々が救われないと、自分は涅槃に行けない」と言っていることの矛盾に悩んでいるものである。 深く難しいことは、いまだに理解できないが、今回の習思想や行動とどこか似ていないだろうか。2017 年10 月27 日
書き写しで気が付いた
毎朝のボケ防止のための「書き写し」は指運動だけではないようで、いろいろと面白い種を提供してくれる。 先日も「難しい」という言葉が気を引いた。 漢字で書けば、多分全く気が付かなかったのだろうが、そこには、ひらがな表現が載っていた。 私自身は、もしひらがなで書くとなったら、躊躇せずに「むつかしい」と書いただろう。 でも、そこには「むずかしい」との表現だったのである。 何も意識せずに「ひらがなで、書いてごらん」と言われたら、諸姉諸兄はどちらを書かれるだろうか。 何度か紹介したように、子供の頃貸本屋をやっていたからそんな表現になれていたのだろうか。 それとも「濁る言葉はみっともない」と言われた記憶もあるから、それが原因だろうか。 手持ちの辞書では「どちらも同じ」としか出ていないので、ネットで調べるといろんな意見があるのかもしれない。 でも、今回は敢えて調べないことにした。 それが一つの個性であっても良いのだろうから。2017 年10 月26 日
横向きで寝る
まだ30代くらいだった頃から、ある本か何かで「正しい姿勢で寝る」ということに感銘を覚えて、「正しい姿勢」というのは、正確に上を向いていわゆる「大(太というほど立派なものを持ち合わせていないので)という字になって」ということだと信じて、少しずつそれを守って、今まで随分長い間グデングデンになって寝た時は記憶にないが、ほとんどの場合それが身についてきた。 家内からは既に言われなくなっていたが、出張時や時折同宿する同僚などが「よくそんな姿勢で寝られますね」といわれるほどだった。 ところが、つい最近になって「鼾のひどい人は横向きになって寝た方が良い」という番組に出会った。 そこで指摘されていたことの多くが私の症状と似ていたので、「お金もかからないことだから」と試してみている。 強く意識して測っている訳ではないし、測れる訳も無いのだが、どうも少しは改善になっているのではないかと思えるようになってきている。 一つの現象としては「途中起き回数」が少なくなったことだろうか。 今までは「寝る前に水割りを飲むので水分の取り過ぎで、加齢によるものではない」と思っていた。 事実、日本酒を少し余計に飲んだ時には、一度も起きない(家内の証言)こともあったからである。 暫くは続けてみようと思うが、どうしても長い間慣れ親しんだ姿勢は、そんなに簡単に治るものではない。2017 年10 月25 日
優雅で愉快な毎日に感謝
「優雅」とか「愉快」というのは、基本的に「自分が決めること」であろうと最近思うようになっている。 手持ちの辞書では「やさしくみやびなこと。上品で美しいこと」となっているし、「楽しく心地よいこと」となっている。 「やさしい」は100均で350本ほど入っている香り線香を焚いて、その香りにうっとりすることも見合っているだろう。 「みやび」の意味もそれに近いと思えば十分に思えることだろう。 上品もそうである。 「楽しく」も「心地良く」も同類だろう。 1本1万円する香をかがなければ見合わないということでは決してないのではないか。 そんなふうに思うと、毎日の自分の行動を一つ一つ細かく分類して行けば、結構「優美」と「愉快」があるものである。 要は「他人様に迷惑をかけない」ということが絶対前提条件になるだろうが。 それを守りさえすれば、お金をかけなくても常に「優雅」で「愉快」な毎日である。2017 年10 月24 日
落語は好きだが
在職中は、やはりそれなりに精神的なストレスがあり、それを癒してくれたのが「落語」だった。 当時の通勤時にはラジカセで、録音したものを聞きながら満員電車のストレスを少しだけ軽減出来ていたと思うし、座れる時には、主にクラシックをBGMとして聴きながら本を読んでも楽しんでいた。 落語の難しいことは分からないし、知る気もあまりなかったので、聴くがままに楽しんでいた。 好きなのは人情噺だったが、廓物、浮気者、盗人話などなど、それこそ「手当たり次第」だった。 最近も、主にラジオ番組だけれど、録音したりして楽しんでいる。 ところが、そんな自分でも「これはあまり聴きたくないなぁ」と思うようなものが出てきたことに気が付いた。 「時蕎麦」や「壺算」に代表される「騙し物」である。 騙す側、騙される側の間抜けで笑いを誘うのだが、それが「反省」を促していると理解はするのだが、やはり腹の底から笑えなくなっている自分に気が付いたのである。 騙される側に立って、気を引き締めるとともに、騙さないようにしようと思いはするのだが。2017 年10 月23 日
「確かこっちだった」と言う悪癖は相変わらず
今回の選挙で残念だった方及び、台風被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。 元々「方向音痴」だということは知っているつもりである。 でも、少しは土地勘のある所だと、「確かこっちだった」ということが、特に酔っ払った時に地金として出てくる。 数年前には、高校時代の同級生と久々に会い、数人で楽しく飲んだのだが、帰りが同じ方向だった友と「トイレへ行ってくるから先に行っていて」と伝えた後がそうだった。 周りがどこも「見たことがある風景」だったので、この癖が出た。 ところが、気が付いてみると全く見たことの無い所に出ていて、幸いに携帯は持っていたので、家族に連絡して迎えに来てもらったが、目的の方向と全く正反対の方向へ歩いていたのだった。 これほど酷くないけれど、最近も似た様なことがあった。 ここで、一つの反省を肝に銘じた。 「立ち止まって、一呼吸をして、周りを見渡してみる」ということである。 リタイアした今、そんなに急ぐことはないはずであり、落語の一部ではないけれど「落ち着けばそれなりに一人前」なのだから。 道順だけではなく、人生についてもそうなのだろうか。 「一度立ち止まって」ということを改めて肝に銘じたい。2017 年10 月20 日
臨時休業
今日は、おしゃべり会の秋の旅行会で、ブログはお休みさせて頂きます。 ホワイトロードの名滝と紅葉見物です。 ご報告は後日させて頂きます。 心配した天気も「曇り」の予報なので、ひとまず安心しています。2017 年10 月19 日
天文学
1億3000万光年のかなたの重力波。 かつて、自分の才能の無さに自棄気味に歌った、さだまさしの歌に「これほど設計の才能がないなら 天文学者をめざせばよかったよ」というフレーズが思い出された。 でも、今回のこれはどうも違うようである。 「重力波」と言う物の存在については、研修所時代に習ったことがあるが、空間に歪みが生ずることまでは理解できたが、時間的に歪みができるということは、どうしても理解できなかった。 大体、そんな物理学で「赤点・追試」を受けた自分に分かるはずもなかったのだが、その頃から、それこそ「天文学的な時間学習しなければならない」天文学と言う物には、興味があった。 今回のそれが、具体的に我々にどのような影響があるか分からないけれど、縄文遺跡などとは言っても、高々2万年前位だと聞けば、今回は、それこそ「天文学的な数値」だということが分かる。 それだけでも楽しいではないか。 仏教でいう極楽浄土までの距離は「十万億土」という。 具体的な距離ばかりではないと聞くが、そんなことにも思いを寄せて、時々は「混沌の世界」に我が身を置いてみても、楽しいのではないだろうか。2017 年10 月18 日
おかしくて、やがて
「おかしくて、やがて〇〇〇」というフレーズがずいぶん昔に仲間内で流行ったことがある。 当時は、酒のうえでの話から始まったのだが、それがどこから漏れたのか、それとも別の団体でも同じように考えた人間がいたのか分からないが、場所が違うのに、「えっ、あんたも」というくらいに流行っていて、ずいぶん楽しんだ。 一般的には「馬鹿げた話」が多かったけれど、それでも、ある意味「知的」なことも俎上に上った。 こんなことを思ったのも、今回の選挙の各党や候補者の「公約」である。 よくよく吟味すると「嘘ではない」と後から言えることばかり言っておられるし、途中で進行状況を聞かれても「頑張ります」で済ませられることばかりである。 冒頭の「〇〇〇」がどのような言葉になるのかは、本人のみぞ知る、ということなのだろうか。 せいぜい「悲しき」という言葉が入らないような公約をされている方に投票したいものである。2017 年10 月17 日
マスコミの煽りに身をゆだねていいのだろうか
選挙戦ももう終盤だろうが、相変わらずマスコミは与野党決戦を煽り立てている。 時には、与党側に立ってみたり、翌日には野党側に立ってみたり、忙しいことおびただしい。 週刊誌はネタ元がどこにあるのか分からないし、どこまで信用していいものかも分からないけれど、スキャンダルをでっちあげて、同様に「煽って」いる。 TVやラジオも、スポンサー(NHKも国(与党)がスポンサーであることは、明々白々である)の影響か「正しく伝えている」とはどうも思えない。 このためには、できれば、図書館などで「複数の新聞」に目を通すことではないだろうか。 中々「敵もさるもの」で裏を明かさないように書いているけれど、候補者が同じことを言っていても、その解説が微妙に違う。 これは、下手な推理小説を読むよりも楽しいし、特定のマスコミに煽られない方法の一つだろう。2017 年10 月16 日
単身赴任時代を思う
単身赴任の期間は2期6年余りである。 単身生活は、それに下の子が生まれる時の約4カ月くらいが足されるから、約7年になるだろうか。 最初の頃は、ビデオなど高くて買えなかったから、テレビはリアルタイムだけだった。 当然「朝は7時に家を出て、帰りは23時過ぎに帰宅する」という生活だったから、見たい番組などはほとんど見ることができなく、帰ると、買って来たものか簡単な手作りの「つまみ」で飲んで寝るだけだった。 また、ビデオを買った時でも、お笑い番組などは「刹那的」なものだったので、一人で見ていてもそれなりに楽しかったのだが、2時間を超すような映画を一人で見るのは「屁をひって可笑しくもなし」ということで味気なかった。 しかし、それも長く続くと、だんだん慣れて来たものだった。 最近は家内とも短編は一緒に見るけれども、長編は各々好みが違っているので、一人で味気なく見ることになった。 でも、考えてみれば、単身時代とは全く違う「独りぼっち」を楽しもう、という気持ちに切り替えていっている自分を意識した。2017 年10 月13 日
相変わらずの選挙報道
この話題は、多分過去にも「何度か」書いたような気がするが、選挙のたびに思うから、「もう読み飽きた」という人は、今日の分は「お休みだっんだ」と思ってください。 不在者投票は始まったが、そこでは出口調査などはまだやっていないだろう(と勝手に思っているだけだが)はずなのに、今回も「与党優勢」と報道され、政党支持率は、内閣支持率と同様に30%を超える予想が出ている。 残念ながら、よほどのことがない限り、この予想は「当たらずとも遠からず」になることが今までの大半の例である。 報道する側は「どうだ、俺の予想は正しかっただろう」と競馬の予想屋のように鼻高々だろうが、それに煽られる一般国民はどう受け取るだろうか。 「結局、また与党になるのなら、変に落選議員に入れるのなら、何か得になることもあるかもしれないから、与党に入れておくか」ということになるのではないか。 いわば「寄らば大樹」になってしまうのである。 これは、いわば「マスコミによるテロ」とでも言える状況ではないか。 この報道だけは、毎度ながら感心しない。2017 年10 月12 日
今だから言えることだが
最近の電通やNHKに代表される判決で「違法残業」が話題に上っている。 まだ23歳の頃、慣れない電算機システムに従事して、制御担当に配置された。 その時の、労働時間というのは、今思い出しても「良く続いたなぁ」と思うばかりである。 月曜日に出勤して、通常時間帯を過ぎても、自分が計算機を使えるのは、業務ソフトを開発している人が済んでからということになる。 どうしても、システム停止や再起動などを繰り返してやる試験項目が多いからで、仕方がないと言えばそれまでである。 当時はトラブルが発生すると、プログラムを追いかけるよりも、メモリ内容をプリントアウトして、それを追いかける必要があったから、直しては走行させプリントアウトして、の繰り返しだった。 当然長い時間が掛かるが、明日までには、何とか解決しなければ、全体の進捗が阻害される。 残業時間などは考えたことも無かったが、それに耐えられる身体と精神を育んでくれた親を初めとした周囲に今は感謝するだけである。 だけど、決して「違法残業」が許されることにはならない。2017 年10 月11 日
人間の身体は実にうまくできている
リタイア後、2年ほど経って市の健康診断で、高血圧が指摘された。 それ以来医師の指導通りに降圧剤を服用して、ここ数年は全く正常値そのものである。 月1回の定期診察だけではなく、毎朝起きて直ぐに測って、記録しているから、時々150などの数値が出ても、3回平均にすると130くらいになるので、驚くこともない。 そんな中で気が付いたのは、表記のことである。 パジャマも今月から冬用の物に変えたが、寒いと感じている時は「もっと血流を良くして体温を上げなければ」ということで、血圧も上がる様であり、トイレを我慢しながら計っても「早く排便させなければ」ということで上がるようだ。 お酒を飲み過ぎると、酔っぱらうということも、信号機で表示されるような気がする。 こんなにうまく出来ている体と70年も付き合っているのだから、適度なストレスを掛ける楽しみもかけ、感謝しながら、付き合っていきたいものである。2017 年10 月10 日
ブログでしか書けない
正直なところ、今回の選挙はどの党の、誰に投票しようか、かなり迷っている。 在職中は、組合員の時代から、管理職になってからも「社会党」の意志に沿った思いだったので、ほとんど迷わずそうだった。 政党の事情が変わってからは、少しでも旧社会党の論理を踏んでいる党や人に投票してきた。 ところが、今回は、まさに「混沌の世界」になっているようだ。 そんな中で評判を呼んでいるのが希望の党だろうが、どうも「戦争しよう」と言う意味では、自民党と何ら変わらないようだ。 素人なりの考えで、根源は「自分の子供は戦争に行かない」と言うことではないだろうか。 だって、どちらの党首にも「子供さん」がいないのだから。 他人の子供は「駒」だという訳だろう。 閣僚と言う人は「私は前線に立たない」と思っているのだろうから、将棋で言うと「指し手」と言うことになるだろう。 自分や親族には何らの被害も無いから、「イケイケどんどん」になるのではないか。 親族にそのような人がいない身としては理屈はどうあれ、「戦争絶対反対」である。2017 年10 月6 日
CEATEC
今日で今年のCEATECも終わるようである。 大きなテーマは、昨年と同様にAIとIOTであったようだ。 昨年は、一人でゆっくり見て回ったが、随分ためになったと思っている。 今年は、1年しか経っていないのと、案内を見ても、さほど変化が無いと思われたので、行かなかったけれど、決して、この世界での世捨て人になった訳ではない。 一般庶民に対する実用面が出てくるのは、もう少し後になるだろうから、後3年くらい後の方が良いだろう。 それでも、今後いろんな人が「見て来た記」を載せるだろうから、できるだけ目を通していきたいものである。2017 年10 月5 日
音読と書き写しで感じること
私の「音読と書き写し」の目的は、以前から主張しているように「活舌の自認識」と「指先を動かすことによるボケ防止」である。 ところが、人間と言う物は、「欲な者」で、字面を声で追っていたり、文字をなるべく「丁寧に書き写す」ことだけだと思っていたのだが、いつか「何を言っているのだろうか」と理解しようとしている。 正直なところ、現在そのことに引っかかっているものは「一日一禅」「菜根譚」「教行信証」である。 菜根譚は、以前に二度やっているので、その時はあまり意識せずに書き写しと音読で済ませてきたのだが、最近はそれも「そうかなあ」とか「理解できないなぁ」とか「理解しようとして、理解できない」と言う、何か靄がかかっているかのように感じている。 暫く「悩んでいたが」理解できた。 「よく解らないのは、解ろうとしていないからだと」と言うことに。 禅の問答や、親鸞が悩み考えたことが、解る訳がないのだと。 欲を出さないように、書き写しと音読を続けていきたい。2017 年10 月4 日
読書感想文
「あのころ」(さくらももこ 著 集英社刊)を読み終えた。 勿論私が私の意志で買った本ではなく、投書の採用で、頂いた図書カードで、家内か、娘か孫娘に請われて買ったものかもしれない。 だから、積極的に読もう、という意思で音読の一つに加えた訳ではなく、今でも、複数続けている「仏教関係の本」の一つが終わり、何にしようかなぁ、と思っているうちに、偶々そばにあったものである。 作者の本を読むのは、初めてだが、TVアニメの「ちびまる子」は家族ともども毎週欠かさずに見ていたから、少しは馴染みがある。 読んでみて、このブログと同様に「仄々感」があることに気が休んだ。 探すと、まだ数冊ある。 しばらくはこの世界にひと時浸ってみようと思う。2017 年10 月3 日
体重と排便
最近「おやっ」と思うことがある。 毎朝測っている体重と腹囲だけれど、ここのところほとんど変わっていない。 勿論まだ「目標」には到達していないのだから、安心している訳ではないのだが。 何に驚いたかと言うと、「排便が殆どない」のに増えていないのである。 以前は少し増えたかなと思って気が付くと食べ過ぎもあるかもしれないが、排便不足になっていて、お腹が「ものい」(多分富山弁である:「物憂い」の訛りだろうか、余り調べる気にならない)こともなく、健康上の不安もほとんどないのである。 このことは、食べただけの運動量をこなしているから「プラスマイナスゼロ」という非常に理屈な論理に沿っているからだろうか。 勿論このブログで紹介しているように「カプサイシン効果」があるのかもしれない。 どちらにしても、健康体で、メタボ数値が悪化していないことは喜ばしいことである。2017 年10 月2 日