2017 年12 月31 日
2017 年12 月30 日
「昔のこと」とは思わず(10/13に採用された)
特別気にしているわけではないが、いろいろな記事などに「50年前の出来事です」などと表示されていると、「そんな昔のことは知らないよ」という思いが、とっさに出てくる。 そして、そんなことが何度かあると、「そんなことがあったなぁ」という感覚になることがある。 あの「3億円事件」の時も、すでに就職もして、故郷を離れて東京の研修所にいた頃のことである。 事件現場のすぐ近くの調布市の研修所にいたのである。 今は「そんな昔のこと」とは思わず「その頃はどこにいて、どんな仕事をしていたんだったかな」と思うようにしている。2017 年12 月29 日
辛いものでダイエット(10/7に採用された)
カプサイシンによるダイエットと言う話は、ダイエットに少し関心がある方なら、情報としてはご存じだろう。 しかしながら「辛いのは苦手」と言うことで、敬遠されている人も多いのではないだろうか。 私は、幸い辛いもの好きなので、今年も数種類栽培してみた。 結構豊作だった。 試しに、今年初めて栽培した激辛韓国唐辛子を粉末にしていろいろな食べ方で試してみた。 豚汁や蕎麦などに降り掛けて食べると、辛さでせきこむほどだったが、卵掛けご飯や、納豆に混ぜて食べてみると、カプサイシンだよと言う主張はしているものの、さほどの辛さではかった。2017 年12 月28 日
10勝で敢闘賞素晴らしい(9/28に採用された)
大相撲秋場所の朝之山の活躍に「這えば立て、立てば歩めの親心」と言う言葉を思い出した方も多かったのではないだろうか。 最初は「一進一退」。 初入幕にしてはよくやっているなあと思っていた。 七日目から破竹の5連勝。 よしっ、念願の勝ち越しだと喜んだ。 ひいきはきりのないもので「せめて2桁勝利」と思っていたが、千秋楽までハラハラさせられた。 10勝での敢闘賞は、素晴らしいものである。 名もなきファンとしては、力士とともに「もう少し、もう少し」と「弛まず」応援し続けたいものである。2017 年12 月27 日
見たことの無い文字が(9/21に採用された)
毎朝の書き写しで使っている「宛字の語源事典」と言うのがある。 ここ4日間は「カタカナ用語の宛字」という節だった。 漢字の「読み」については、それなりに学習しているつもりだったし、カタカナ用語の宛字についても幾つかは知っているつもりだったが、完全に自信を打ち砕かれた。 70の用語が並んでいたのだが、読めたのは20くらいだった。 「こんな漢字あったっけ」という見たことの無い文字がいくつか並んでいた。 例えば「喞筒・ポンプ」などに使われている文字。 これは読めないや、で諦めるのではなく、これからが「学習」の楽しみである。2017 年12 月26 日
「中身だけ」読んでいた(9/26に採用された)
子供の頃から本はよく読んだ方だと思っている。 ところが、もなかやまんじゅうを食べるように「中身だけ」を読んでいた自分に古希を過ぎた今頃になって気が付いた。 この度、新しい本に取り組み始めたのだが、まずは「まえがき」や「はしがき」、凡例や関連項目の解説、そして終わりの項目の後に「後書き」があり、ようやく著者略歴などが並んでいる。 今度、少しそんな部分が多かったので「果たして何が書いてあるのだろう」と読んでみて、全てが得心した訳ではないが、「なるほど」と思うようなことに出会った。 これからは、そんな項目も参考にしたい。2017 年12 月25 日
国民へのご慈愛感じられる本(9/15に採用された)
毎朝の音読のタネとして「皇室 素朴な大疑問」と言う本を読み終えた。 先日眞子様の婚約発表があったからと言う動機では決してなく、5月中旬くらいから、毎日1ページずつ声に出して読んでいたのが、終わったのである。 発行が1993年。 皇族の範囲とはどこまでか、と言うような固い話から、昭和天皇はテレビは良くご覧になったそうだが、番組名は話されないというようなほのぼのとした話まで満載である。 天皇家を初めとした皇族の国民に対するご慈愛が感じられる本だった。2017 年12 月24 日
ひらがなの書き方の違い(9/9に採用された)
漢字の書き方についてはそれなりに分からなければ調べてやっているが、ひらがなは「慣れ過ぎ」と言うことで、あまり意識していないような気がする。 もう10年以上も「書き写し」をやってきているが、今更こんなことに気が付いた。 似たようなひらがなを的確に描き分けているだろうかと。 「た」と「な」の左側はどちらも同じようだけれど、よくよく見れば、違っていることに気づいた。 「た」の左側の裾の長さは、右側の「こ」の下と同じ縦位置である。 それに対して、「な」の左側と右側はどうだろうか。 微妙に違っている。 学習って、ほんとに楽しいものである。2017 年12 月23 日
体重(9/14「くらしの手帳」に採用された)
ここ数年の目標で、残念ながら到達できていないのが体重である。 かつて忘年会でに行った時、風呂場の大きな鏡に映る我が身を見てゾッとした。 地獄に出てくる痩せ衰えた亡者のような我が姿であった。 当時は痩せこけていたのだが現在は太ってしまっている。 医師と相談し、現在の目標は75?と決めている。 まだ2?ほど到達していない。 原因は、分っているのだ。 家の食事がおいしいのだ。 常日頃、食べ過ぎないようにと気を配っているのだが、時折、羽目を外してしまうのである。 先日も、我が家で取れたニラをたくさん使った大好物のギョウザが出てきた。 孫娘が手伝ってくれて、食べ過ぎてしまった。 おいしいものが存分に食べられることを考えれば、一時的な体重には目をつぶって幸せを感じることにしようと思っている。2017 年12 月22 日
仏教関係の本 音読や書き写し(9/3に採用された)
ずぼらな私の、お得意の「読み散らかし」であるが、過去にはキリスト教のバイブルと言うものにも目を通したことがある。 リタイア後、音読や書き写しで、仏教関係の本を使っている。 でも、本当はたぶん「全く分かってない」のが現実であろう。 それでも、時々「へぇー」とか「そうだよなぁ」、また逆に「そんなことないだろう」と言うことに出会ったりすると、なんだか楽しい。 これから「読書の秋」になる。 図書館へ出掛けて、そんな本を友としてみてはどうだろうか。 結構「良い言葉」に出会うことがあるだろう。2017 年12 月21 日
「子づくり」促進「人づくり」へ(8/29に採用された)
団塊の世代のわれわれは、親から直接言われるよりも、親戚や近所の「オヤジさん」「オバさん」らから、直接的、間接的に「そろそろ嫁さんをもらって、孫の顔を見せてあげなきゃ」といろいろな場面で言われた。 だから、「それが良い事だ」と思い、事実その通りにしてきた。 多くはないが、古希の現在、二人の子にも伴侶が得られ、孫が3人である。 私自身も「本人の思い通りに」と思って、催促こそしなかったが、やはり周りの人がそれなりに声を掛けて、親もそれに感謝している。 雰囲気作りから、結果として「子づくり」促進につなげてはどうだろうか。 そのうえで「人づくり」につながればよい。2017 年12 月20 日
今年のハバネロキューブ作り
昨年末に作ったハバネロキューブが、そろそろ最終出庫となったので、昨年の残りと今年の収穫(今年も豊作だった)の1/3ほどを使って、新たに作った。 以前にも紹介したかもしれないが、ともかく細心の注意が必要な作業である。 冷凍保存しておいた実の蔕(へた)を切り取り、大振りの物は4半分に切ってミキサーへ入れる。 一つの実はピンポン玉程度の大きさだけれど、半分に切っただけでは、我が家のミキサーはうまく粉砕してくれない。 粗粉砕した状態で、水を入れて出来上がった時には小さなダイス大にシャーベット状で使えるように製氷皿に流し込む。 文字に書けばこれだけなのだが、ヘタを取るときから、ゴム手袋は欠かせない。 4半分に切るときだって、いつも使う俎板は、後処理が大変(その後に切るもの全てに匂いと辛味が付く)なので、紙パックのジュースの入れ物などの内側を使い、そのまま(勿論洗いはするが)捨てる所へ。 包丁も大変なのだが、これは少しくらい匂いが付いていても、殆ど私専用なので余り家族に迷惑はかからない。 さぁ、最終出荷したもので今年は賄えるだろうから、新年からの楽しみである。 今年の生ブログは、今日までとします。 その後は、いつも通り「採用投稿」足りなければ「不採用投稿」で埋めてゆきます。 新年は1月9日からとさせていただきます。2017 年12 月19 日
街の様子が変わる
私だけかもしれないが、金沢の「待ち合わせ場所」に最適だった「日銀前」が移転するとの報道である。 さすがに冬は別の場所にしたけれど、これだけ「誰に聞いてもわかる」場所は無かったし、バス停は確かに混んでいたけれど、庁舎前は比較的空いていて、探すのに困ることはなかった。 時間前に着けば、近くの宇都宮書店で過ごせばいいし、「さぁ、行くぞ」となっても少し裏通りに入れば、手頃な価格で十分に飲み食い、談笑できる場所が所狭しと並んでいた。 街の様子が変わることは、時代の趨勢ばかりではなく、今回の「建物の老朽化」という原因もあるだろうから、否やを唱える気持ちはないが、建物を残すわけにはいかないだろうけれど、市内にいくつもある「跡」という標識だけは残しておいてほしいものである。2017 年12 月18 日
楽しい半面怖い話
今朝の朝刊のトップニュースに「ソユーズ打ち上げ成功」と「宇宙・サイバー戦への対応」が出ていた。 サイバーは別にして、どちらも宇宙開発もしくは宇宙での開発を目的している。 医学界や化学界には殆ど門外漢だけれど、どちらにしても、新薬などの開発など地上ではいろいろな環境からできない場所での開発には、素人ながら大いに興味があるし、期待もしたい。 ところが、同じ宇宙への進出に「隣国」が同様に進出しつつあるとも聞くが、こちらは「巷間の噂」かもしれないが「軍事目的」だと漏れ聞く。 一国が他国を圧倒する戦備を持つことによって、現在の「党独裁」が「一国独裁」という世界で、それが平和維持だという論理には、やはり中々付いていけないと思うのは私だけではあるまい。 大きな期待とともに大きな不安もある。2017 年12 月15 日
ベランダの戸
雨が霙(みぞれ:なにもわざわざこんな見慣れない漢字を使う必要はないと思われるだろうが、個人的に好きな漢字の一つなのでお許し願いたい)交じりになり、そろそろ本格的に雪になってくる時節である。 ベランダで、春菊などをプランターで育てていたので、少ない陽射しをアクリル板で透明とはいえ、遮るのが悪いような気がする事と、自然の風が植物に悪かろうはずがないとのことから、戸を少し開けておいた。 収穫に感謝しながら始末したタイミングで、すべての戸を閉めてしまった。 これで「二重窓」の姿である。 開口面積が大きいので、余り暖房の役目はしないと思い、主目的は、黄砂防止だと思っていた。 ところが、気が付いてみると、意外にもそれなりの効果があることが分かったので、もう大分前から冬場もそのようにしている。 さすがに「温室」という程にはならないので、冬場に花の芽を期待する、事は出来ないけれど、それでも2月頃からは準温室になり、少しずつ花苗を植えることにしている。2017 年12 月14 日
加齢とともに「何か」を捨てる
貴男にとって「ダンディズム」とは何であろうか。 歩くときは背筋を伸ばして目線を少しだけ向こうに、行動はテキパキとのように色々とあるだろうが、私は最近後者の「行動」は「テキパキ」よりも「慎重に」ということにしている。 たぶんまだ十分に慣れていないから、傍から見ると「まごまごしている」「スローモーだ」との見方をされることだろう。 でも、それでもいいのである。 行動する前に「何と何をする」とまず決めてからやる。 そうでないと、傍のことに目が行って、それに気を取られてしまい、行動を始める前に決めたことが完全に忘れ去られている。 これは、私の考えている「ダンディズム」とは大分かけ離れてしまうから、少なくともそれだけは避けたいからである。 古希という歳になったのだから、最低限のダンディズムをキープするために、身の回りの断捨離ばかりではない「何か」を捨てても良いのではないだろうか。2017 年12 月13 日
ブラブラ見て回る楽しさ
家内は「火の車」の運転は流石に見事なものだが、自動車の運転は出来ないので、買い物に出掛ける時は、今では「死語」だろうけれど「アッシー君」を務めている。 食材など家庭に関する買い物の時は、付かず離れずに「見える所」にいないと機嫌が悪いので、私自身の行動範囲はおのずと限られる。 でも、手芸屋さんなどの、家内の趣味の店では完全にフリーで、帰る頃合いを測るためにレジや出口だけを見ていればいい。 昔は、車で待っている、という状況だったが、最近は積極的に一緒の店内を「ブラブラ見て歩き」するのが楽しい。 勿論見るものは違うので、完全に別行動である。 私の発見の一つは「目的外に使えないか」ということである。 作者は当然目的があって作っていらっしゃるのだろうが、「こんな使い方も出来ないか」という見方である。 一度やってみて、そんな発見ができると、随分楽しい「頭の体操」ができる。2017 年12 月12 日
塩分濃度計
先日から、キッチンに「塩分濃度計」が置かれるようになった。 中学2年生の孫娘が、クラブ活動の一環で持ち込んだ物のようである。 勿論最初は、クラブ活動で示唆されたことから自分で作るものの塩分濃度を調べるのだったろう。 そんなあるとき、何時もの様に味噌汁を作っている時に横に来て「塩分濃度は大丈夫」と聞かれた。 血圧が高いことも原因の一つで病院に定期にかかっていることを知っていたからだろうか、それとも自分のやっていることをアピールしたい所為か分からないが、ともかくやってみた。 3段階あり、その段階ごとに3段階があり、ランプで知らせるものである。 その時は下から3段目で「下の上」というところだったので、孫娘も納得してくれた。 事実私も、納得した。 多分、リタイアする前の単身生活の時は、せいぜい薄味と思っていても、「上の下」くらいだったのではないだろうか。 長い間にこうなったのだろうが、一層自分の味噌汁の味だけには満足の度を加えることができた。2017 年12 月11 日
忘年旅行
今年も家内との「忘年会」ならぬ「忘年旅行」へ行ってきた。 当初予定では、先月に徳島県へ出かける予定だったのだが、家内の都合と私の都合がうまくかみ合わず、それは来年回しになり、師走の少し忙しい間を縫ったような日程になった。 従って、県内である。 でも、こちらが富山県の西の果てなのに対して、行先は県東部の宇奈月温泉にした。 紅葉の季節などは終わっているし、雪深になるのも嫌だったので、急遽決めた割にはグッドタイミングだったと思っている。 投書の天気予報は「雨」だったけれど、良い方に外れてくれて、快晴と言っても文句が出ないような日になった。 高速道路では、家内が十分に立山連峰の景色を楽しんでくれたようだった。 ホテルでのお湯では、露天風呂とサウナで十分に温まり、夕食はバイキングで、食べたいものを少しずつ多種類を持って来て、地元の日本酒で「今年もこの旅行ができた」ことを祝して乾杯をした。 部屋での二次会でもウィスキーで四方山話のうちにくれた。 ナントも良い忘年旅行になった。2017 年12 月7 日
風呂掃除
リタイアしてしばらくしてからだから「お風呂の掃除」は私の役目になり、もう10数年経つ。 床に落ちている髪の毛の除去、中々綺麗にならないけれど、鏡の湯垢落とし、勿論湯舟を風呂用洗剤で軽くこすり洗い、保温にかなり効果がある風呂蓋も同様に洗う。 最初の頃よく忘れたが、エコキュートの風呂なので、お湯の出口のフィルターも、綺麗に洗い、湯船の排水口も忘れがちだった。 偶に私が留守だったりして出来なかった時に、一番風呂に入ったのに、湯船の底が湯垢でつるつるしていると、口には出さないが「やはり俺じゃないと駄目だなぁ」と満足と不満がないまぜになって複雑な状況になるが、それもまた良しと思うことにしている。 先日、長い間気になっていたが、肝心の風呂の排水口をめくってみると、案の定真っ黒な水苔や髪の毛などがこびりついていた。 使い古しの歯ブラシで綺麗にこそげ落としたが、10数年も私が気が付かなかった割りには、簡単に綺麗になった。 何もいわない家内か娘がやってくれていたのだろう。 まだまだ「お釈迦様の掌で威張っている孫悟空」の心境になり反省するとともに、感謝した次第である。 今日から明日に掛けて、恒例の「家内との忘年旅行」に出かけます。 従って、明日のブログはお休みになります、あしからず。2017 年12 月6 日
非課税所帯の子供を優遇
非課税の対象となる低所得者所帯の子供の公立高校・大学を無償にするとの報道に、少し驚いた。 私自身は、勉強が嫌い、だったので、大学進学など考えもせず、親から「せめて高校くらい出ておけば」と言われて、仕方なしに「それなら進学の勉強などしなくても良い所へ行こう」と工業高校へ行った。 当時の税金はどうだったのかは知らないけれど、全くそんなことは当てにせず「いち早く働きたい」と思っていたものである。 現在は、年金生活だけれど、それなりに確定申告で医療費などの控除を申告して僅かの還付金を頂けている。 大学の無償化には縁がない生活だけれど、そういう意味で「納税できる」今の生活に感謝している。2017 年12 月5 日
初出版に向けて
以前からも、何度か触れてきたが、いよいよ2003年から一昨年末までの約300通の投書を取りまとめ、「本」という格好にする目途が付いた。 正直なところ「いゃー、大変な作業だった」というのが本音。 途中何度も「辞めようか」と思ったけれど、ここまでくると「折角やってきたのだから」という気持ちが多くなり、「もう一息」の所まで来た。 年内には「一応完成」の姿までにはして、友人がやっている印刷所に頼んで「製本」という格好にしたいと思っている。勿論「売る」などというようなことは全く考えず、「押し送り」で処分しようと思っている。 「自分」という「ヒト」が「馬鹿なことをほざきながらも」存在していた、という意味で、まずは親戚に、お世話になった上司や先輩、親しかった同僚や友人に対して「押し送り」しよう。 なぁーに、「なんだこんなもの」と一顧だにされることも無く捨て去られることがあることは、百も承知の上である。 それでも、いいのである。 今年の目標にはしていなかったけれど、自己満足ではあるけれど、何かスッキリ感が得られることは間違いなさそうだから。2017 年12 月4 日
天皇退位に思う
今上天皇の健康を気遣い、天皇自身のお言葉から忖度する様に、後継者に引き継がれる決断は、一国民として尊重したい。 しかしながら、一部の報道に「全ての公務から解放される」ということは、果たして真の意味で陛下御自身を忖度しているのだろうか。 一般市民と同様に観ることは、憚れることは重々承知しているとしても、リタイアして「何もすることが無くなった」人を何人か知っているが、残念ながら「その後も変わりなく元気に活動」されている人は少ない。 「張っている気」が途端に「何もなし」になると、人間ばかりではなく、一切の動植物が「萎れて」しまうのではないだろうか。 ぜひともそんなことの無いように、「一定の気の張り」を無くされないような対処を望みたいものである。2017 年12 月1 日