2018 年5 月28 日
2018 年5 月25 日
米朝会談中止
「やっぱりそうなったか」というのが正直な所である。 でも、もっと悪い状況は「途中で席を立つ」よりも何方かがどうしても言う事が聞けないか喧嘩・口論になり、お互いに側近から見放されてしまい、盧溝橋事件の発端(聞いただけで事実は知らないし、調べたことも気持ちもないが)のような発砲があった場合には、それこそ第3次か大惨事世界戦争になり兼ねない事だったから、それが回避されただけで良かったと思うしかなかろう。 お互いに、あれほど貶し合っていたのに、どうした訳か氷解したかのような事態は、誰が見ても不思議より「変」だったろう。 ということは、どちらかが「騙した」ことになり、会談後それが発覚した場合を考えれば、もっと怖いことになったことを想うと、「もう少しお互いに詰めるべきところは詰めてから」というのが、本来ではなかったろうか。2018 年5 月24 日
健康法は自分に合ったものを
健康法と痩身術と言うものは、毎月数種類の関連本が出版されており、今までも「これこそ」と言うものを買って試したことがある。 書いてある内容は「〇週間で〇〇Kg痩せた」とか「〇カ月でHbA1cがこれだけ下がった」などと華々しく、解説を読むと、確かに「何だか効きそう」な論理が書かれてある。 書かれている方の肩書は「〇〇医学博士」とあるからそこまで疑う気持ちにもならず「試してみるか」と取り組んできた。 多分、私のやり方が違っているのだろうが、残念ながら劇的な改善は達成できていない。 だから、最近は「今度はこれをやってみようか」と適宜間隔を置いて楽しく試してみている。 勿論「そんなに期待」もしていない。 筋肉や内臓や気分も「慣れ」てくると効果は薄れるのだろうと思うので、気持ち良く続けられるだけの「自分に合った」健康法をこれからも続けたい。2018 年5 月23 日
アメフト選手と首相
何とも嘆かわしい事態になっていると思うのは、私だけではあるまい。 アメフト選手は、自分のしたことを真摯に反省し、自分の将来や自校の風当たりなどを覚悟しながらも、正直に丁寧に実名を明らかにして詫びている。 やったことは、させられた、指示されたということだったとしても、決して良い事ではないが、昔からよく言う「過ちては改むるに憚ることなかれ」であろう。 それに対して、わずか30数パーセントの人しか「偉い」とは思っている、一国の総理大臣が、どれだけ証拠を突き付けられても、改めることの無いのが情けない。2018 年5 月22 日
有名人
昨日の続編になるが、在京時に、見掛けた「芸能人」は何人かいらっしゃる。 いずれも、ずいぶん昔のことだが、最初に上げるのは「小沢昭一さん」だった。 ヒッピーという種族が新宿の西口に多く屯している頃、似たような格好だけれど、年齢的には違うような気がして、それとなく見ていて、大分経ってから気が付いた人だった。 まさに「溶け込んでいる」というスタイルだった。 花壇の淵に腰かけて、煙草を吸っている姿は、私も良くやっている姿だったから、親近感を覚えたが、逆にそれだからこそ、容易に声を掛けられなかった。 もう一人は、昇降駅が同じだったからだろうが、小山明子さんだった。 当時私はグリーン車との接続部分の普通車車用に乗ることが多く、彼女は当然グリーン車だった。 この時は、だいぶん慣れていたからか「おはようございます」と声を掛けてやさしく返事がもらえて、爽やかな朝になったことだった。2018 年5 月21 日
星由里子さん
西城秀樹さんの逝去記事と比べると、華やかさでは確かに違ったのだろうが、私にとっては、星由里子さんの逝去記事の方が哀しみを誘った。 若大将シリーズでは、加山雄三のりりしさには到底及ばないから、最初から憧れることは無かったが、彼女の楚々としながらもはっきりと物を言うというキャラクターに憧れて、若大将シリーズを良く観に行ったものだった。 在京時に一度だけ、劇場とかではなく、「路上」で直接見掛けたことがあり、明らかに「オーラ」が漂っていた。 さすがに「サインしてください」というほど恥知らずでは無かったし、失礼だと思っていたので、通り過ぎるまで見送っていただけだった。 楽しませていただいたことに感謝と、冥福を祈るばかりである。2018 年5 月18 日
四字熟語の解釈
71歳になって、特別何かを強く意識してきたつもりは無いのだが、やはり「それなりに」というか「知らず知らずのうちに」と身に沁みついたことは数多くある。 そんな中で「四字熟語」というのがある。 好きなマルチタレントの、伊奈かっぺいさんがやっていらっしゃる、ラジオ番組に「ことわざのわざ」というのがあり、聞き逃さないように録音して聴いている。 内容は別にして、これほど穿ったことを言うつもりはないが、咄嗟に思いつくのが「一喜一憂」と「喜怒哀楽」であろうか。 若いころは「そんな些末なことに一喜一憂するな」と叱られて教えられた。 また、同様に「喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しいと思ったり」するなとも。 でも、この歳になると、毎日が平凡で、些細なことにも「一喜一憂」を楽しむべきだろう。 また、立場を変えて「人を、喜ばせたり(しよう)、怒らさないように(しよう)、哀しませないように(しよう)、楽しんで(貰おう)」と思ってみてはどうだろうか。 そうすれば、自分も自ずとそんな姿勢になるだろうから。2018 年5 月17 日
残り湯に浸かる
我が家が「エコキュート」になったのはもう大分前だけれど、その時当然のように、浴槽も保温性の高いものになった。 だからと言って、翌日その湯に浸かるなどということは、今まであまり記憶にない。 我が家では、夏の期間は、基本的に「お風呂」にする事はなく、殆どがシャワーで済ませている。 ところが、この時期、いつまでたっても「素人園芸」でしかないが、それなりに土起こしをしたり、畝づくりなどは自分でやるしかないので、健康のためと新鮮な作物の魅力に誘われてやっている。 今までは、作業が終わって、たっぷりの汗をかいた後は、シャワーで済ませていたのだが、先日「残り湯風呂」に入ってみて驚いた。 当然底の部分は「温い」のだが、上は適度な温度である。 入ってかき回しながら汗を流すと良い具合である。 夏になる前のひとときはこれで汗を流すことにした。2018 年5 月16 日
地元力士を応援
相撲界も、正直なところ「灰色の噂や事件」で場所中以外は「嫌気」が射していた。 場所が始まってからも、その余韻は残念ながら残っている。 とはいうものの、やはり「地元力士」が活躍しているのには、ついつい応援したくなる。 勿論そのために土俵際まで出かけるお金も暇もないので、新聞桟敷でのことであるから、力士にはこの声は届かないだろう。 でも、気持ちは実際の桟敷席の人と同じくらいであると、勝手に思っている。 今回小結に昇進した遠藤は、初日こそ敗れたが、決して「悪い相撲」では無かったと思っている。 富山出身の朝之山は、今の所3連勝である。 今後も、怪我などしないように、取り組みの後の言葉通り、正しい相撲道を貫き続けてほしい。2018 年5 月15 日
歌は好きだ
歌は、大体ジャンルを問わずに好きである。 ところが、こういうとほとんどの場合「それじゃカラオケも」という誘いを受けるのだが、残念ながら、昔から下手は下手なりに歌って座興に供していたが、最近は、齢の所為ばかりではないだろうが、声が続かないのに気が付いた。 だから、今までより一層カラオケの場所は敬遠することにしている。 でも、人の歌っているのは、歌が好き、ということから嫌いではない。 こんな自分でもいいじゃないかと思っている。 因みに、上記のように「歌えないが好き」という歌は、自分でつぶやく程度に歌う「わが人生に悔いなし」であり、「岸壁の母」である。 前者は、歌詞の通り「鏡に映るわが顔にグラスを上げて乾杯を」で、後者は「港の名前が『舞鶴』なのに」というセリフの部分で涙が出る。2018 年5 月14 日
測定は正しく
毎朝活動を始める前に血圧を測定している。 測定器は、リタイアして高血圧の指摘を受けてから、使っていたものが、故障したので、2代目でありもう5年以上も使っている電動式のものである。 測定バンドを左腕にはめて、手を胸の高さまで上げて測定するものである。 3回測定してそれをExcelで記録しておくと、平均値が出る。 薬も飲み始めてもう10数年になるから、段階的に弱いものになっているけれど、飲み続けているせいだろうが、大体120±10という数値で推移しているから、まずは安泰というところか。 測定方法は、買った時から説明書通りにやっているのだが、先日「腕を胸の高さに上げなかったらどうなるのだろう」と悪戯心でやってみたら、ナント140を超えた。 もしかして、本当に高いのかと思って3度目はいつも通りにしたら、110台に収まったので安心した。 楽しい人体実験である。2018 年5 月11 日
葛根湯
余り上等でない医者を現在書き写しをしている『養生訓』には、当時の医者を、上、中、下に分けているのが面白い。 多分そんな中の中の下以下の医者が落語の話題に出てくることが多く、余り立派な医者などは出てこない。 そんな落語の枕によく使われる(と自分は思っている)のが「葛根湯」である。 何にでも、彼にでも「葛根湯を飲んでおきなさい」という処方を出す先生方を言っている。 私の園芸も、殆どそのようである。 大体園芸としての年の初めに、農協へ行ってIB化成という肥料を大きな袋で買ってくる。 色々な資料を読んでいると、時期的にいろいろな肥料の種類を書いてあるが、とても素人園芸ではそれらを揃えることができないし、揃えたら使い方が分からなくなる。 そこで「IB化成をやっておこう」という安直なやり方である。 幸いにして、大きな失敗は今のところ無い。2018 年5 月10 日
元議員への甘い判決
政治活動資金を不正に流用していたけれど、「自分のためではなかった」「使わないと活動していないと思われるのが怖かった」ということで、罪を認めてているのに「社会的、道義的責めを受けている」「十分に反省している」ことから、「罪一等を減ずる」どころか強烈に言わせてもらえれば「無期限の執行猶予」で「時が経てば誰も忘れてしまう」ことを狙っているように思えてならない。 国政ばかりでなく、地方行政についても「三権分立」は瓦解してしまっているようだから、もうどうしようもないのだろうか。 でも、国政にしても地方行政にしても「そんな人を選んだのは誰だ」と問われると、ナントもやり切れれない。2018 年5 月9 日
野党は何をやっているのか
この話題は、何年か前にも似たような趣旨を書いた覚えがあるが、それから全く変わっていない歯がゆさがあるので「憤懣やるかたなし」という意味で、改めて書いてみることにした。 残念ながら、この手の文章は、新聞などに投書しても、新聞各社もまた「与党への忖度」なのか、いやいや、投書者(私)が与党やその支援者の人々(これも残念なのだが、野党支援者よりもかなり多いのだから)から非難を受けることを避けるという意味での「忖度」をなさってくださっているのかもしれないが、採用されることは、よほどのことがない限りないので、こちらに書くことにした。 だからと言って、「声なき声」という意味での投書を諦めている訳では無いのだが。 本題に戻って、あれだけ「証人喚問」でないと「一歩も引かない」と言っていたのに「認めるけれど参考人で」ということにコロリと懐柔されている。 さては、みんなゴールデンウィークを楽しみたかったのだろうか。 それとも「野合でもいいから仲間集め」に奔走していたのか。 いずれにしても、「国民のため」で無かったことは事実である。2018 年5 月8 日
変な夢
本来「下衆な人間」だから、こんな夢を見てもしようがないとは分かっているものの、それにしてもおかしな夢だったことを「恥」かもしれないが、読み方によっては「まだまだ木石にあらず」という自慢になるかもしれないが、紹介させていただく。 事の起こりは、「性の健康診断をしましょう」という案内が届いたことからである。 普通ならこんなもの相手にもせずゴミ箱行きなのだが、市か県からだったか覚えていないが、ともかく「公的」な所からの物だった。 元々「好きな人間」だったから、指定されたところへ出向いた。 やはり、同級生らしき人も少なからずいた。 順が回ってきて、個室へ案内されたのだが、横に顔を隠した裸体(乳房と陰部が見えて触っても良いということだった)の女性が寝ている。 ところがそこへ陰茎を差し込むのではなく、すぐ前に、これも顔を隠した生身の女陰がむき出しにされているのである。 そこへ陰茎を差し込んで射精することによっての健康診断なのである。 残念ながら、射精は出来ず、「そろそろ限界ですかね。追って連絡します」とのことで目が覚めた。 果てさて、どのように判断すべきか。 でも、本音は、十分に助平心を満足させるものだった。2018 年5 月7 日
身辺整理だけれど「終活」ではない
過去の投書を300通ほどまとめて「本」にしたのを初めとして、どうも最近「身辺整理」をする事が多くなっているような気がする。 その一つが「自分史」である。 これは、出版などする気はなく「自分という人間がこのようにして生きてきた」ということにしようと思う。 だから「実名」になるから、とても出版などできるものではない。 それはともかく、気が付くことが「身辺整理」に近い様な気がするのである。 HAMも電波の出入り口を設営する気力も無くなり、両親の「お金にならない遺品」も整理・始末しなければならない。 でも、これはよく言う「終活」では決してないと思っている。 始末すれば、それだけ利用方法が出る訳で、そちらに役立てようということである。 無理やりにでも、そう思いながら「新しい興味のスペースづくり」に取り掛かりたいものである。追記をみる
2018 年5 月6 日
古い演歌や流行歌を選ぶ(01/03に採用された)
自分自身はカラオケはあまり好きではないが、誘われて歌う時は、やはり少し古い演歌や日本の流行歌を選ぶ。 残念ながら孫娘などが話題にする歌手や歌には、全くついていけない。 年末の紅白歌合戦で思うのは、数少なくなった演歌歌手が歌う歌は、なぜか私が知っている「少し前の歌」ばかりである。 出場歌手の皆さんにも「今年の新曲」があったのではないか。 それがまだ皆さんに知れ渡っていないかもしれないが、新曲でも鍛えた歌唱力で、気持ちを込めて歌いあげるだろう。 ぜひともそのような歌を歌いあげてもらい、演歌好きのわれわれにも活気を与えてほしいものである。2018 年5 月5 日
書き写し終え 達成感に満足(2017/12/29に採用された)
先日、2年間「書き写しの教本」として使っていた物を書き写し終えた。 「仏教のことば 早わかり事典」と言うものである。 ぼけ防止の書き写しだから、何かが残っているわけではないが、それでも2年間よく続けられたという思いで「やったー」という達成感に満足である。 左手での書き写しに使っているものも、30日には終わる。 年末にそうなったということは「しばらく休んでも良いよ」という仏様からのおぼしめしなのだろうと、正月中は両手ともに「お休み」にする。 こんなお休みがあるのも、継続作業だからこそ楽しめる醍醐味である。2018 年5 月4 日
「荒っぽい運転」多くなっている(2017/12/16に採用された)
「年末の交通安全運動」の当番で、小中学生の登校時の街頭指導に立った。 雨がしとしとと降り続いており、体感温度はかなり低かった。 また、師走ということで、どうしても「荒っぽい運転」になっているように思えた。 その後家内の買い物に付き合った時に「人のふり見てわがふり直せ」と自分に言い聞かせてなるべくゆっくりと走ってみた。 やはり気分的にもゆったりとした運転になったように思えた。 人身事故ではなくてもキス程度の接触事故でも、遭ったら急いだ分以上に時間がかかろうと思う。2018 年5 月3 日
家内と二人で 宇奈月温泉へ(2017/12/21に採用された)
ここ数年続けている、家内と二人だけの忘年旅行で、久しぶりに宇奈月温泉へ行ってきた。 風呂も良し、料理も良し、お酒もまた良しで、ゆったりのんびりとしたひとときを過ごした。 ホテルでアンケートがあった。 次回いつ来るか分からないけれど、できれば良い所は伸ばし、気になった所は改善してもらいたいと願いながら書いてくる。 「町としてのアンケート」もあった。 やはり「地域トータル」としての魅力増進が必要である。 行政だけではなく、各ホテルが「点ではなく面で」を優先して対応していただきたいものである。2018 年5 月2 日
風呂掃除(2017/12/24くらしの日記に採用された)
リタイアしてからしばらくして、風呂の掃除は私の役目になった。 もう十数年がたつ。 髪の毛を除去し、鏡の湯あかを落とす。 湯舟を風呂用洗剤で軽くこすり、風呂ぶたの表裏も同様にして洗っている。 掃除を始めた頃はよく忘れていたが、湯の出口のフィルター、湯船の排水口もきれいにしている。 私が留守などの事情で掃除できなかった時は、一番風呂に入ったのに、湯船の底に湯あかが付いていることがあった。 「やはり俺じゃないと駄目だなぁ」と思うものの、それもまた良しと思うことにしている。 先日、十数年も手を付けていなかった風呂の排水口を調べてみると、真っ黒な水ごけや髪の毛などがこびりついていた。 使い古しの歯ブラシでそげ落としたが、以外に簡単に綺麗になった。 何も言わない家内か娘がやってくれていたのだろうか。 私はお釈迦様の手のひらで威張っている孫悟空だったのだろうかという気持ちになり、反省するとともに、感謝したのだった。2018 年5 月1 日