2018 年11 月30 日
2018 年11 月29 日
高額医療費の払い戻し
市役所から高額医療費の払い戻しがあるから、手続きに来てくれと言う案内が届いた。 言葉自体で「もしかしたら特殊詐欺の一連か」と疑ったが、問い合わせ番号は、よく知っている市役所の番号だったので、念のためにかけてみた。 私の場合は、月ごとの限度額が決まっており、それを超えたというので、払い戻しがあるのだと、丁寧に説明を受けた。 こんな経験は初めてだったけれど、特殊詐欺で「還付金があるから」と言うのは、今までに何度か色々と手続きが面倒だったり、振り込まれるのに時間が掛かったりした人が被害者になっているのではないだろうか。 それがATMで手続きをすれば「すぐに入る」と言うことで騙されるのではないだろうか。 こんなルールを知らなかった私だから引っかからなかったのだろうが、たまには「無知」もこんな時に役に立つのだろうか。2018 年11 月28 日
怠け者の痩身法
痩せたい、ダイエットしたい、何とか目標体重に、等など色々な目的があっても、そのためにジムへ通うほどの苦労はしたくない。 以前月に2日ほど、1回200円でジムに併設のプール開放デーがあり、通ったこともあるが、残念ながら運動量が足りなかったのだろう、減量には至らなかった。 6月にある雑誌で「お腹を擦る」と言う方法が出ていたので「これなら寝起きにベッドの中でもできる」と思って始めた。 記事には「50回」とあったので、試してみたが、残念ながらかなりきつく感じたので、私なりのぐうたら方法にした。 あくまでも様子を見ながらだけれど、目標は50回に置くけれども、始めるのは30回から、ということにした。 それが今月初めから、漸く目標の50回を果たしている。 多分その効果だろうが、最近便通が良くなった。 その結果として、体重も下がり始め、私自身の目標は75Kgなので、まだ目標達成には至っていないが、常に76台になっている。 怠け者の痩身法だけれど、自分では満足している。2018 年11 月27 日
勝手な理屈だけれど
万博が大阪で開催されることが決まった。 前の万博も行ってはいないが、7年後ということになれば、年齢も78歳になり、生きていても多分行くことは無いと思う。 個人的には、東京5輪も大阪万博も反対である。 税金の使い放題が目に見えていて、庶民には、多分殆ど見返りが無く、政治屋さんを初めとしての人たちには、多いか少ないかは別にして、懐が潤うことだろうことは容易に察しが付くからである。 開催までと開催中は、それでも庶民も興味本位で行楽と言うか、人ごみに揉まれに行くだけだろうが、終わった後のことを考えてみれば、ゾッとする。 そのツケはすべて「庶民」に回ってくるのである。 これからも、いろいろな名目での「目的税」が設立され、終わった後も、名を変え、品を変えて存続するのである。 そして、本来の目的は忘れ去られて、誰かさんの懐を潤すためだけになる。 でも、決して「受ける側」には回りたくないというのが、せめてもの、つまらない人間の「矜持」である。2018 年11 月26 日
楽しく雪囲い
好天に恵まれた一日、家族全員で、恒例の雪囲いをした。 成人男性2人、成人女性2人、中学生の孫娘2人の総勢6名である。 成人男性の内の一人の私は、今回は「高が利かない」状態なので、もっぱら下仕事ばかりだったが、中学生の孫娘二人は、それをカバーして余りある力になってくれた。 ラジオを聴きながら、おしゃべりをしながら、勿論作業の手は止めず、カメムシが出た、ヤモリが落ちてきたなどと賑やかなことである。 裏庭が終わった10:30頃に「お茶休憩」となり、お茶菓子の話題でまたおしゃべり。 前庭が終わって、家内は鉢物の雪囲いを済ませ、11:30過ぎにすべて完了した。 それからみんなで揃ってうどん昼食。 なんとも楽しく、冬仕事の一つが完了した。2018 年11 月22 日
ようやく運転許可
昨日の診断で、怪我から約2カ月でようやく「無理な力が入らないように、慎重に」ということで釘を刺されたが、運転許可の判断がなされた。 改めて「慎重に」ということをしつこいくらいに肝に銘じながら行動しようと思った。 先日、車の5mくらいの移動をしたが、やはり2カ月近いうちに感覚が鈍ってきているのは「車間」である。 本来臆病な面が地として出たのだろうが、今までは車庫前なので、30cm以下にするようにしていたのだが、移動を終わって降りてみると、50cm近く空いていたのである。 直す必要はなかったのだが、やはりこんなことも自覚しながらやることになるだろう。 兎も角、まず最初にやることは、この時節「タイヤ交換」である。 今まではもちろん自分一人でやってきたが、今年はサービスステーションでやってもらおうと思っている。 年内一杯とまではいわないけれど、少なくとも今月一杯は、車ではなく「自分自身」の慣らし運転と心得よう。2018 年11 月21 日
「マスゴミ」と言う言葉を知った
あるネットニュースで「マスゴミ」と言う言葉を知った。 ネットであっても「マスコミ」の一種のメディアなのに、まるで自分のことを卑下して言っているようで、ある意味興味深かった。 趣旨は、私が常日頃思っていたことと全く同じだった。 この件について書く時は、どうしても感情的になってしまうので、今回は、なるべく穏やかにと気を使いながら書いてみよう。 特定する訳では無いが、一人の記者のみについていえば、「自分の意見は常に正義だ」と思っている人。 だからどうしても自分以外の人の意見は「間違い」と決めつけている。 「私は国民の知る権利を代表している」と思い込んでいる人。 あなた個人の感覚だろう。 複数人の記者の場合。 答える側が「それには先ほど答えました」と同じことを繰り返し質問している人。 尻馬に乗って自分の意見ではないのに「声だけは出しておこう」と言う人。 「今答えてもらわないと駄目なんですよ」と自分の締め切りを強要する人。 だんだん、私自身のボルテージが高くなってきているので、この辺にしておこう。2018 年11 月20 日
立山連峰の傘雲
富士山の傘雲は、有名である。 私の部屋は、立山連峰が一望に見える所にある。 先日、5時半過ぎに起きて書き写しをしようとして、カーテンを開けると、日の出前の茜色の背景に照らし出された立山連峰の上に、横に長い傘雲が出ていた。 傘雲の綺麗さ、は分からないけれど、私には非常に綺麗に思えた。 当然と言うか、素人の常と言うか、デジカメを取り出して、ベランダに風除用の戸が入っているのを忘れて、シャッターを切ったのだが、戸に反射して真っ白になってしまったので、急いで玄関前に出てシャッターを切ったら、まだ暗くて、真っ黒になってしまった。 そうだ「夜景モードにしなければ」と思ってモードを替えてシャッターを切ろうとしたが、切れない。 見ると電池の残量が無くなっていた。 現時点で、私の瞼に残っているだけだが、機会があるかどうか分からないが、次回に備えて早速充電しておいた。2018 年11 月19 日
やはり「一病息災」
先日、天気が良くて、家内もボランティアで出かけたので、久し振りに一人で外食をと、まだ車の運転が許可されていないので徒歩で片道30分ほどの所まで出かけた。 風も適度に涼しく、ズボン下も穿かないで出かけた。 散歩自体は快適だったのだが、今まで何度か食べたメニューで十分に満足して、ホームセンターなどをぶらぶらして帰ってきたのだが、その途中で、今まで経験したことのない「痒み」が掌から徐々に体全体に広がってきた。 帰宅して、シャツを脱いでみると、お腹周りが一番激しく、赤いブツブツが出てきていた。 70年生きてきていて、物心ついてから初めての経験だった。 行きつけの病院へ電話すると「1:30からです」と言われたので、少し早めに行って待っていた。 「何かの食べ合わせで、それが歩いて体が温まってきたので全身に広がったのだろう」と言う見立てだった。 やはり70を過ぎると、今までも思っていたが「これくらい」と思っていた色々な症状に対して「一病息災」として、できるだけ早くに対処することにしようと、改めて自分に言い聞かせた。2018 年11 月16 日
名誉市民
富山市議会がノーベル賞を受賞された本庶博士を名誉市民にすることに総員賛成で決められたとのことである。 私は勿論それに値するようなことは全くやっていないし、今後もそれに向けた努力をする気も無いから、羨ましいなどとは全く思わないのだが、名誉市民になった人は、何らかの「特典」があるのだろうかと、例によっての「下衆の勘繰り」をしてみた。 ネットで探してみたが、例えば「褒賞金」などということは探したけれど見つからない。 その癖、講演を依頼される(その時には当然「講師料」ということでの支払いはあるのだろうが)くらいであるようだ。 ということは、ノーベル賞受賞者の講演であって、名誉市民だから、ということではなさそうだ。 だって、祖先の出身地だから、ということでの講演だったら、内容は「地元よいしょ」になってしまうだろう。 全く縁が無いけれど、万一よりも京一やそれ以下の確率で、そんなことになっても「ご辞退申し上げます」と丁寧にお断りしたい。 昔ある野球選手が「そんなもの貰ったら、立ちションも出来なくなる」と断ったように。 ( ^)o(^ )2018 年11 月15 日
「ギリシア」か「ギリシャ」か
同様に「イタリア」か「イタリヤ」か。 特別悩むことではないが、毎日の「書き写し」の時にこれに類する名前が出てくると、ついつい「ヤ」を使っていることに先日ようやく気が付いた。 それで調べてみたが、どうもいろいろな人によって違う解説をしている。 多くは「ア」を使っていらっしゃるのだが、時折「ヤ」を使っていらっしゃる人もある。 こんなことは、悩んで考えるのではなく「楽しんで考える」様にしている。 以前にも何度か紹介しているが、小学校5年生くらいまで、我が家は「貸本屋」をやっていた。 その時には「間口が4間半」あり、それなりに沢山の書物が並べられていたものである。 余談だけれど、この家は、祖父が結婚した時に購入したと聞いており、奥行きは8間余りもあったろうか、「納屋」を入れると10間余りにもなったと記憶しているが、奥の横幅は確か3間位しか無かった。 本題に戻して、そんな環境で、いろいろな本を読み漁ったことが原因の一つだったのかもしれない。 これからも無意識では「ヤ」を使い、気が付いた時には多数派の「ア」を使うことにした。 何ともいい加減な決め方である。でも、これも「書き写し」の楽しみの一つである。2018 年11 月14 日
「また今度」より「その都度」
怪我をしてもう約2カ月になるが、体調自体は頗る元気である。 だけれど、生活の「動作」がやや緩慢になってきていることに気が付いた。 以前にも書かせてもらったけれど「歩く」ことがその遠因の一つになっているのだろう。 なるべく蓋はしてあっても側溝の上は歩かない。 前後から車が来たことが分かった場合は「その時になったら除けよう」ではなく、通過するまで待ってから再び歩き出そう、等である。 これはまだ右腕を固定されていたり、半固定的な状況だったりした時に「咄嗟にでもやっては駄目」としっかりと釘を刺された事によるのである。 今月いっぱいまでには運転も可能になるだろうとの医師の見立てなので、それまでは守ろうと思っている。 でも「緩慢」はやはり「時間貧乏性」としては許せないので、その分身体を頻繁に動かすことにしようと思っている。 で、表題の通りをモットーにしている。2018 年11 月13 日
カーテンを吊った
夏の間は、レースのカーテンだけにしていたが、そろそろ寒さも来ようということで、夏前に取り外して、綺麗に洗濯していただいた厚手のカーテンを吊り下げた。 怪我の補強用の三角巾も取れたのだが、やはりまだ体を強く延ばすのは憚られたので、しっかりとしたデスクの上に登っての作業だった。 今までは、外す時も吊り下げる時もカーテンレールの上の部分を見ることは無かったので、気にも留めていなかったのだが、今度は、カーテンレールを上から覗くような姿勢になり、何年も見たことが無い景色に驚いた。 綿埃が2mmくらいの厚さでびっしりとこびり付いていたのである。 「見ぬもの清し」とは言うけれど、さすがこれには驚いた。 カーテンを吊り下げる前に、しっかりと丁寧に掃除機で吸い取り、ピカピカとは言わないまでも随分と綺麗になった。 これから夏の掃除の一環としての項目に入れておこう。 心なしか、思い切ってカーテンの開け閉めができそうである。2018 年11 月12 日
読書感想文
久し振りの感想文だけれど、入院中は別にして、サボっていた訳では無い。 「現代語訳 論語」(ちくま新書 齋藤 孝 訳)である。 この本ばかりではなく、今まで紹介するしないにかかわらず、論語に関する本は書き写しを含めて何度か読み書きした。 しかしながら、はっきり言って、内容については、時々「ふーんそうなんだ」とか「なるほどそんな考え方もあるなぁ」と言うような気持になったことはあるのだが、積極的に「そうだ、そうだ」と諸手を挙げて賛同するようなことが無かった。 だから、殆ど内容は覚えていない。 今回も、回を重ねたから「これは以前にも同じ感想を持ったなぁ」と言うようなことはあっても、それ以上に深まったとは言えないというのが本音である。 だが、今回最後の最後になって「やっぱり読んでよかったなぁ」と言うフレーズに出会った。 それは、本文の中ではなく、解説の中でのことである。 「〜、一番核になる考え方と言うのは何でしょうか。私はそれは『学ぶことを中心として、人生を作り上げていること』だと思います」と言うフレーズである。 これは、私の考え方に良く沿ったもので、論語に限らず「学ぶ」ことの礼賛である。 ぜひ、これについてはご賛同いただきたい。 この本は「読み終わった本」ということで、整理しようと思っていますから、ひょっとしてどこかでお会いになるかもしれませんね。 会って欲しい様な、会ってほしくない様な。 複雑です。2018 年11 月9 日
米国への追随
もうずいぶん昔の話だが、今再来しているように思うのが「アメリカが嚔(くしゃみ)(余談だけれど、この漢字が結構好きなので、使わせてもらいました)をすれば、日本は肺炎になる」と言う言葉。 多分正確ではないが、ネットで調べるほどでは無いので、このままにしておく。 それと同時期だったと思うが、「アメリカで流行ったことは、数年後日本でも流行る」と言う言葉だったような気がする。 いずれも「うろ覚え」だから、正確性に批判の声があったとしても、反論する気持ちは無く、ただ恐れ入るばかりである。 それはともかく、あちらの大統領が準独裁的な行動をすれば、我が国の総理大臣も似たようなことをなさる。 総理大臣がそのようになされば、無知蒙昧でいきなり大臣になった人も、しどろもどろ、隠し事をしながら指摘した方を恫喝したりする。 またぞろ、銃の乱射事件が起こったが、数年後には、それが当たり前になるのでは、と思うと、その時自分が生きているかどうか分からないけれど、空恐ろしい気がする。2018 年11 月8 日
水分の取りすぎ
毎月定期的に診察と薬の投与を受けに病院通いをしている。 直接的な病気は、高血圧、糖尿病である。 幸いどちらも薬の服用で、安定しているので、それらについての注意点は殆ど無いので、ある意味で気軽に「気になること」を世間話的に聴くことが多い。 先日の診察で、最近気になっていることが「頻尿」であった。 同級生の何人かからも「前立腺」関係の病気だと聞いており、ネットで調べると、70歳代になれば、大体の人はそうなる、とのことだったので、聴いてみた。 結果としては、表題の如くで、当面は心配はないだろう、ということになった。 排尿時に痛みはあるか、尿の出が悪くなったり、量が極端に少なくなっているかと言う質問に対して、痛みは無く、力まなくても自然に出る、一度にそれなりの量が出るから少なくはないだろう、と答えた結果である。 夜寝てから朝までに2度はトイレに起きる、と言う件については、最近お茶割りでウィスキーを飲んでいるからだろうとのこと。 聴いただけでほっと安心できた。2018 年11 月7 日
他地域のラジオ放送を聴く
このブログをお読みいただいている方の殆どは、インターネットへの接続が可能な人だろう。 だから、既におやりになっていたり、それ以上のことを実現されている人も多いだろうが、敢えて提言したい。 私等団塊の時代の人間の多くが聴いたラジオ放送と言うのは、そのほとんどが「地元のラジオ局」だった。 時には、深夜放送で、少しエロチックな番組やFEN(Far East Network:現AFN)も雑音の混じる中で一生懸命聞いたこともある。 ところが、最近はそんなことをしなくても、地元以外のラジオ局がネットで容易に聴ける。 出張族だったころは、当時流行りだったウォークマンを初めとして、どんどん小型高性能のラジオを求めて、携帯し、地元のラジオを聴いたものだった。 今ネットで、そういう意味では、全国好きな所のラジオ放送を聴くことができる。 国内のみならず、全世界でもオープンにしている放送を聴くこともできる。 現地語が全く分からなくても、音楽が流れると「音楽に国境は無い」と言われるように楽しむことができる。 ぜひお勧めである。2018 年11 月6 日
書き写しのネタ本を更新
養生訓と論語の書き写しをしていたのですが、後書き部分がまだ残っているので、それは音読することにしました。 読書感想文は、それらが終わった頃に書こうと思っています。 ですが、書き写しをその間休むわけではなく、養生訓の後継ネタ本としては、「漢方が教える実践養生訓」と言う本にしました。 養生訓の中味は、残念ながらそのままではほとんど私の環境で実践できるものではないので「へぇー、そうなんだぁ」くらいでしたが、今度からは、実践できるものを探しながらやってみたいと思っています。 勿論「一を聞いて十を知る」ほどの天才ではなく、「百を聞いて一つか二つ知る」という気持で気軽に取り組みたいと思っています。 もう一つの「論語」ですが、よく言われるように「論語読みの論語知らず」で終わったしまいました。 決して後悔等はて持っていませんが、時々「なるほどそうか」と言う物があったので、良かったと思っています。 後継はずいぶん昔に私自身が買った「豆本」の「ことわざ 故事・金言 小事典」と言う物にしました。 昨今「情けは人の為ならず」と言う諺が、違った意味で通用している話をよく聞きます。 そんなことを思って、3語/一日と言う風に進めて行きたいと思っています。 まずはご紹介まで。2018 年11 月5 日
栗の渋皮煮
久し振りに「栗」に関する話題である。 何度か紹介したように、今年は大豊作だったので、親戚や知人にも「多すぎるわ」と言われるほどのお裾分けができた。 話は逸れるが、お分けした人は、そのほとんどが「夫婦二人暮らし」の家庭だったからで「多すぎる」ある。 我が家は好き嫌いは各々あるけれども、やはり頂き物は結構分けて消費できるので、滅多に「多すぎる」ということは無く、ダブルで感謝ばかりである。 話を元に戻して、栗は「蒸して」「焼いて」「栗ご飯」正月用に「栗きんとん」など、いろいろ人から聞いた方法で消費したが、そんな中に、今年初めて試したものがある。 それが表題の物である。 出来上がった時には「渋皮の渋の成分」が強く、好き嫌いはあるだろうが、作ってくれた家内には「そこそこいけるじゃないの」と言ったけれど、食指が動くほどでは無かった。 ところが、先日「もうあまり置いておけなさそうだから」と言うので、数粒頂いたのだが、渋の成分も大分馴染んで程好い味になっていた。 これなら「もう少しないの」と言いたくなるほどである。 これが本当の「熟成」なのだろう。 次回はしっかりと作ってもらおう。2018 年11 月2 日
さすがはギネストップ
今年は猛暑が続いて、人間にはあまり良い環境では無かったのだが、熱帯の植物として私の好みの激辛植物が、結構多くの実をつけてくれた。 旅行に出たりして、少し水不足になったこともあったが、それでもこれから1年分としては十分な量が確保できた。 ギネスで辛さトップのジョロキアと、先代のトップだったハバネロである。 ハバネロは保存しておいた種は余り育ちが良くなかったが、それでも10数個の実を付けたし、2株購入したジョロキアは保存の種もそれなりに成長したので、赤青合わせて20個ほど収穫できた。 気を使って乾燥させて、ようやく先日粉末にした。 ジョロキアの青い成長途中の実も、辛さはしっかりとあり、これで私だけの調味料だけれど、1年はしっかりと持ってくれる。 これから寒い季節、鍋料理に少し加えるだけでより一層美味しさが増す。 さすがトップはすごい。 勿論来年のために種も収穫した。2018 年11 月1 日