ぜひ見に行かれてはどうでしょうか
この季節、あちらこちらで「彼岸花」が綺麗な所が紹介されています。
当市、小矢部でも「五郎丸」と言う地域で、今年から宣伝を始めた場所が綺麗です。
2.3Kmに渡る、と言う謳い文句ですが、ただ一直線に咲いているのではなく、川縁、刈り取りが終わった田圃の縁、その上の田圃の縁などで、観様によっては何段かに渡って咲いているところもあります。
我が家の畑にも数年前から5球を植え付けて、徐々に増えてきつつありますが、勿論問題にならないくらい綺麗です。
現在では赤はもちろん、白と黄色も混在しています。
彼岸花と言う言葉はあまり好きではなく、私はもっぱら「曼珠紗華」と言う言葉を使っています。
かつての山口百恵さんは「マンジューシャカ」と歌っておられましたが、仏語(決してフランス語ではありませんよ)では「天上に咲く花。白くて柔らかく、見る者に悪を離れさせるはたらきがあるという。」となっているそうです。
その他の用事を済ませて帰宅すると、かつて随分お世話になった上司の訃報が届いていました。
曼珠紗華に乗って極楽(彼が仏教徒だったかはよく知らないのですが) へ行っていることを祈ります。
投稿者:つねちゃん
at 07 :49
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磁器ネックレス
今回のジャパンライフがそうだったかどうか知らないが、かつての上司が身に着けていたことを思い出す。
付け始めた時には、盛んに効果がある、と言っていたが、暫くすると、噂と同様に口の端にも上らなくなった。
その当時、その上司は、当然現役であり、そんなに高齢でもなかったし、失礼な話「富裕層」とは思えなかった。
それが昨今のジャパンライフの話で、「老齢富裕層」をターゲットにしていたというから、たぶん違っているのだろう。
翻って自分を顧みれば、老齢であることには間違いが無いが、幸か不幸か「富裕層」の端っこにも引っかからない立場である。
だからといって、ターゲットにはならないということではなく、家にいるといろんな勧誘電話がかかってくる。
電話に出る時に一つ気を付けていることは決して自分の名を名乗らず、「はい」しか言わないことである。
それですぐに用件を切り出す電話はほとんど勧誘だと思って間違いないと思っている。
投稿者:つねちゃん
at 06 :19
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読書感想文
先日の読書感想文の、いわば「続編」的な書物になったが、「人間 良寛 日本のお釈迦さま」(林謙三 著 考古堂 刊)である。
前回と同様に、図書館から借りたものである。
著者は、東京良寛会会員、ということになっていて、副題の「日本のお釈迦さま」と言うのは、やはり「身内びいき」だと思う。
とはいうものの、良寛禅師の知らなかった色々な面を知ったことは知ったつもりだが、十分に理解できている訳ではない、私如きが何を言ってもまるで影響がない訳だから、そういう評価があっても許されるだろうと思う。
正直、前回紹介した「一休禅師」については、在職中にも数冊の本を読んだことがあり、内容は覚えていないばかりか、十分に理解もできていなかったのだが、この書を読むまでは「地蔵菩薩」を思わせるような人だと思っていたが、タイトルにあるように「人間」だったということを初めて知った。
妻帯したかどうかは、必ずしも定かではないらしいが、それなりに恋もしたとのことである。
また、「禅師」とはいうものの、仏教でもいろいろな宗派を経めぐっていることも、ある程度は理解できたと思う。
興味を持たれた方は一度「怖いもの見たさ」と言う事も含めて読んでみられてはどうだろうか。
この次の読書は、自費で買った文庫本に移るつもりである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :18
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朝のベッド内運動
以前にも何度か紹介したが、起きて新聞を読んだ後にベッド内でする運動の最初が、「足の平を伸ばす」ものである。
これはもうずいぶん長く続けているもので、やると脹脛が伸びることになり、何度か「痛い痛い」となったけれど、今でも50カウント続けてやっている。
今年は夏が暑かったので、今までは足の平の部分にはもちろん「無負荷」である。
ところが、先日から、涼しいを通り越して朝は寒くなってきたので、足元に畳んで置いてあった布団の下に足を突っ込んでやった。
これが、以外の負荷になって、今までよりも「運動をやっている」と言う意識がより明確になってきた。
これは多分決して悪い事ではないだろう。
もう少ししたら「畳んだ布団」ではなくなるだろうから、負荷は軽くなろう。
これから暫くの間だけだろうけれど、調子が良ければ、布団を畳んでからにしてみようか。
こう考えると、朝の運動も楽しい。
投稿者:つねちゃん
at 06 :10
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TVを買い替えた
先日の雷の影響ではないようで、こちらはもう10年以上も使っているテレビで居間に設置してあるものである。
画面に縞模様が変化しながら出るので、さすがに観にくく、経年劣化だろうということで、娘一家も半額負担するからと言うので買い替えることにした。
処分してもらうTVは40型なので、チラシをみながら有る程度候補を絞って量販店へ行くと、そのメーカーの物はその店では扱っていないというので、色々と説明を聞いたが、兎も角「そのメーカーは3流以下のものだ」と言う事ばかりだったので、聞いているのが嫌になると同時に、その店員の言い方が嫌だったので、チラシの店へ行った。
其処でも逆に似たような扱っていないメーカーの名前を出したが、それほどきつい言い方ではなかったので、予定の物より少し高価なものになったが、購入した。
其処までは良かったのだが、軽四に楽に乗るだろうと思ったけれど、包装材の寸法までは考えていなかったので、一緒に行った娘が車内で押さえて慎重に持ってきた。
これを契機にTVの裏側の雑然としたケーブルなどが綺麗に整理できた。
デッキのリモコンだけで操作できる設定が分からなかった。
ヘルプデスクの指導で完了したが、10年前の話だから、忘れていてもボケの兆候ではなかろう。
投稿者:つねちゃん
at 06 :30
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何も考えられない役人に対する「干天の慈雨」
行革担当相に決まって直ぐに打ちたされた「縦割り110番」。
私としての本音は「これで少しは風穴があくのかな」と思ったが、ふたを開ける前に「私の能力では手に負えません、と白旗を上げただけ」の愚策だったのではないか。
暴れん坊将軍で有名で、それなりに後世に名を残した八代将軍吉宗と真逆のことを証明したのではないか。
ここが踏ん張りどころと考えて、集まったことを分析して、一つでも二つでも実効性のある対策を講じてほしいと願うばかりである。
役人の「現場を知らないおりこうさん」に、干天の慈雨のごとき現場を熟知している人からのコメントなんだから、時間はかかるかもしれないけれど、ぜひとも頑張ってほしい物である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :29
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雷被害
孫が「爺ちゃんインターネットがつながらない」と言ってきた。
どうしてだろうと思って、操作してみると、確かにつながらなかったので、調べてみると、昨日まで使っていた無線接続のパーツと言うものを認識しなくなっていたのである。
どう操作しても見つからず、兎も角暫定措置として、LANケーブルで接続して、当面の対処はできた。
インターネットでいろいろと調べてみると、「一度電源ケーブルを初め、USBなどすべての接続を外した上で、電源ボタンを数秒押し続けて帯電していることを解除してみては」と言う意見に出会った。
TVも見られるパソコンだったけれど、うまい具合にその日はTV録画予約も無かったので、そのままにして一晩過ごした。
翌日恐る恐る電源を入れてみたら、完全に復活した。
そういえば、その前夜、落雷は無かったけれど、「ピカッ」と「カシャーン」が同時に聞こえる事態があって、部屋の古いオーディオのタイマーがリセットされていたのだが、まさかこんなことで、PCにまで影響が出たとは思わなかった。
いい経験になったものである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :53
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簡単なことが「出来ない」
読者の諸姉諸兄も同じ様に感じられることがあると思うけれど、「そんな簡単なこと、いつでもできるよ」と言って、暫くたって「なんでやってなかったんだろう」と思われることがあるのではないか。
嫌々、飽くまで、これは私自身の話なのかもしれないが。「これをやれ」と言われて(他人様からではなく、自分が自分に対して、である)嫌々ながらでもやれることはたくさんあるし、面倒でも、難しいことでもないことが殆どである。
でも「あれもやっておかなければ」と言う事は、ついつい「後回し」になってしまってから気がついて、場合によっては「時遅し」と臍を噛む思いがすることは無いだろうか。
今年の目標の一つに「やることを書いてから行動しよう」があり、今年ももう3/4
が過ぎようとしているが、まだまだ「及第点」が取れていないような気がする。
行動を起こす前に「書き留めよう」をもう一度自分に言い聞かせている。
投稿者:つねちゃん
at 06 :27
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出来レースがトップ記事
新聞投書しても、絶対と言っていいほど採用されることは無いのだから、このブログで書かせていただく。
昨日と一昨日の新聞紙面、勿論我が家は地方紙1紙だけしか購読していないので、押しなべてと言う事はできないけれど。
どこの新聞も大なり小なり「結果と経緯のある事情も含めてのことが、私の様に「政界に不精通な人間でも、想定されている」ことをあたかも「鬼の首を取った」かのように並べ立てているのではなかったろうか。
誰彼を応援しているわけではないが、トップ当選の人が取り過ぎて、本来2位にしたい人がそうならないように、トップの票を分けて順位を変えた、位の事は誰だってわかっていたはずである。
それなのに「正当に選挙が行われた」と言い張っていることは、矢張り、この辺も「安倍政権の在り方を踏襲する」ということを物語っているのだろう。
かつての月の家円鏡(橘屋円蔵)師匠のまくらに「あの兄さん方は、有る事無い事ではなく『無い事無い事を言いふらす』」と言うのがあって「ははぁーん、あの師匠のことだな」と分かったものだ。
今度も「正しい事も正しく無いことも継承する」ではなく「正しく無い事も正しく無い事も継承する」と言う事なのだろうが、政治屋だけではなく、新聞屋も「ブルータスお前もか」となるのだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :47
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学習方法
在職中は、幾つかのシステムの企画提案、設計、建設、試験、品質管理および保守運用などと色々な分野を経験してきた。
ところが、肝心要の「プログラミング」と言うステージは、非常に短く、規模は数キロステップ(当時はオンラインはアセンブラーという言語で、バッチプログラムはCOBOLと言う言語だった)程度しかやっていなくて、基本は理解しているつもりだが、的確さには程遠い状態である。
と言う事で、「70の手習い」として、ホームステイをきっかけに始めて見ている。
作りたいものの設計はほぼ終わっているのだが、特別期限を切っているわけではないから、気が楽である。
PC講習で「残念ながら、歳のことを考えると、一度に多くを覚えたと思っても、明日になる前に半分以上は忘れてしまう。だから『一つだけ』覚えましょう。」と何時も他人様に言ってることだが、それを自分に言い聞かせながら行っている。
素地はあるのだから、ついつい「もう少し」と思ってしまうのだが、基本的に「1項目だけ」に抑えている自分が、なんだか可愛く思えてくる。
投稿者:つねちゃん
at 06 :32
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マスコミがこぞって選挙応援
この日には、もう正式に新総裁が決まっているのでしょうね。
多分、私だけじゃなくて、殆どの人が「つまらない」と思っている総裁選挙で、新聞紙面を大幅に割いて「どうでもいいこと」に費やしていたのは、どこの新聞社も同様だったようですね。
片や、ネットニュースでは、片隅に追いやられて「申し訳程度」にしかスペースを割いていない。
これはやはり、新聞社は、政治屋さんに「忖度」していることの証明なのでしょうね。
選挙権のない人に向けての選挙活動は、単なる「宣伝」でしかないのが分かっているのに、無駄な労力とお金を使うのが政治屋さんなのでしょうね、そんな暇とお金があるんだったら、まだまだ手間暇がかかる、被災地へ行って労働奉仕でもしたらどうなのでしょうね。
ごまめの歯ぎしりでしかないのですが。
投稿者:つねちゃん
at 06 :09
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読書感想文
市の図書館ができて、それなりに行くことが多くなった。
そんな中で借りた本の感想である。
「ヘタな人生論より 一休のことば」(松本市壽 著 河出書房新社 刊)である。
昨年だったろうか、NHKのE−TVで「大人の一休さん」を偶々見たが、しばらくたって再放送だったかで、すべてを興味深く全編見た。
一休禅師といえば「このはし渡っていけません」から「屏風の虎退治」をはじめとして、子供向け番組を子供と一緒に見た経験。
少したって「親が死に、子が死に、孫が死ぬ。目出度いことじゃ」と言う言葉。
そして「女をば 法の御蔵と 云うぞ 実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む」位しか知らなかったが、この本は「破壊坊主」ではなく、その奥に「人間として、禅僧として」の深い思いがあったということを知った。
対比として「良寛」が紹介されていたので、これは文庫本を買ったので、ゆっくり読んでみよう。
投稿者:つねちゃん
at 06 :42
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ビデオデッキ
私の部屋には3台のビデオデッキがある。
尤も、1台は最古参で、最近はあまり録画することは無くなったが、それでもなぜか同時刻に複数の番組がどうしても見たくて、録画チューナー機能の数が足りなくなる場合に、CMの無い番組の録画に絞って録画することがある。
CMスキップ機能の設定が面倒だからである。
CMスキップ再生の機能の実現は各機器によって違っているのが、多少面倒である。
どの道ならすべて同じメーカーの物にすれば良かった、という指摘があろうけれども、以前それで大失敗をしてしまったのである。
リモコンが違った機器の物を操作していたつもりで、間違って消してしまったのである。
それ以来3社の物があるが、最近「面倒を克服するのも、ボケ防止」と考えて楽しく操作している。
投稿者:つねちゃん
at 06 :14
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役満を上がる
毎週月曜日の午後に開催されている健康マージャンの集いで、先日初めて「大三元」と言う役満を上がった。
リタイアしてからは、初めての役満だったが、なぜかあまり感激をしなかったのが本音である。
ツイテいた、から出来たという、誰でもできたのではないだろうか、と言うほどツイテいたのである。
勿論、一つ切り間違えていたら、たぶん上がれなかっただろう、と言う事はあるのだろうが、ラッキーだった、という感覚しかない。
在職中はほとんど賭け麻雀だったけれど、役満を上がったときは、色々と細工をして、気が付かれないようにを心がけて達成したことが、「勝った」という感覚よりも強かった。
でも、「ツキも腕のうち」と言うから、ツキの神様に感謝しながら、素直に喜んでおこう。
投稿者:つねちゃん
at 07 :20
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新型コロナへの報道対応に疑問
富山県内では、まだ毎日のように「新規感染者」が「0」が続く状況ではなく、後を絶っていない。
次期総理の話題が出る中で、富山市が宣言した「警報」も今ではどこかを探しても、新聞紙面には見当たらないようだけれど、これで本当にいいのだろうか。
「木を見て森を見ず」と言うのは、些末な状況(新規感染者)のことよりも、国家の一大事(新総理の出来レースなのに騒ぎ立てる)の方が国民に取って大騒動なのだろうか。
そのくせ新総理候補者は「新型コロナ対策が最重要」と口先ばかりである。
なにも「針小棒大」に騒ぎ立てる必要はないと思うけれど、好きな言葉ではないけれど「ウィズコロナ」と言うのであれば、収斂するまで1面で大きく取り上げるべきではないだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :31
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クレジット買い物デビュー(9/6に投書した)
先日、家内と一緒に行くスーパーで、今までは買い物金額に応じたポイントが与えられ、買い物の時に、端数をそのポイントで支払うことにして、極力財布の中に小銭は貯めないことにしていた。
もちろん「大銭」などは持ち歩くことは通常は無く、リタイア生活者としては精々3000円程度で事足りる。
それが、店頭の勧誘員の勧めで、クレジットカードでの買い物に変更することになった。
コンピュータの黎明期から金融システム構築に携わってきたが、キャッシュカードでお金を下ろして「現金支払い」が精々で、その時分から、クレジットと言う言葉には「借金」と言う意味があるので、海外出張でやむを得ない場合以外は避けてきた。
それが崩れたのである。
まだデビューだが、どうしても「使いすぎ」になることが気になるので、極力「限定使用」にしようと家内とも話している。
投稿者:つねちゃん
at 06 :35
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短気は治らないなぁ
いい意味での加齢とともに、自分ではかなり「温厚な好々爺」になったと思っているのだが、時々「化けの皮」が剥がれる時がある。
政治問題などには、不満はあるが、精々自分のブログや新聞投書などで「呟く」程度である。
SNSで「炎上」を試みるまでの意識も持っていない。
ましてや「デモ」運動などに及ぶ気は全くない。
こんな状態だから、逆に「憤懣」が溜まってしまうからかもしれないと、自分では反省しながらも、何かの拍子に爆発してしまう。
それが「大声」という表現ではなく、むしろ「押し殺したようなドスの効いた一言」であることが多いようだ。
昔から知っている人間は「触らぬ神に祟りなし」とそうなった場合は自然に離れてゆき、収まったころに「あの時は怖かったよ」と言ってくれる。
おとぎ話の「王様の耳はロバの耳」や落語の「堪忍袋」でもあればいいのだが、今のところ、少し他人様には迷惑かもしれないが、それ以上にはならないのだから、ご免蒙りたい。
勝手な言い草であることは、承知の上でのお願いである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :25
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腕抜き
今では、時折TVドラマなどでお役所の職員の方が付けているのを見かけるが、めったに見られないものに「腕抜き」がある。
見られないというのは、私の主観かもしれないが、たぶん私の孫の代で知っている人はいないだろうし、子供の年代でも滅多にいないのではないだろうか。
何度もこのブログで紹介しているが、朝の日課に「書き写し」がある。
この夏も休みなく続けてきたのだが、どうしても書く手(左右で1文章ずつやっている)の腕の部分が汗で紙にくっついてしまうのである。
そこで威力を発揮するのが「腕抜き」である。
この季節だけだから、使用頻度は少なく、随分前に家内に手ぬぐいで作ってもらったものを未だに使っている。
勿論洗濯などは欠かさず、綺麗なものである。
指先には、親指が入ってずれないようにゴムが縫い付けてあり、片側には紐で輪っかにしたものがついている。
用が済んだら掛けて置けるのである。
まだまだ綺麗だし、綻びてもいないから、今年の汗ばむ季節ももう暫くだろうし、使い続けたい。
投稿者:つねちゃん
at 06 :40
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「あしらう」という言葉と漢字
以前にも紹介したが、「書き写し」の本来の目的は「運指の練習による呆け防止」である。
でも、いろんな言葉には、結構「漢字表記」できるものがあることに気がついて以来、わかるものは確認して、分からないものは調べて、という具合にそれぞれ辞書を繰る工夫している。
先日のフレーズに、この言葉があった。「あしらう」と言う言葉を聞いて、諸姉諸兄は、どのような感じを受けられて、どんな漢字を宛がわれるだろうか。
残念ながら、手持ちの電子辞書には掲載が無かった。
無ければ意地でも「探そう」と言う「探求心」でネットで探す。
「遇う、配う」とあったが、意味には結構違った意味もあると知った。
私の意識では「適当に応対する」と言うものだった。
これがどうも「遇する」と言う意味で「遇う」と使うようだ。
用例によると、装飾の世界で「松の根元に石をアシラウ」と言うのがあり、「取り合わせる、配合する」と言う意味だそうであり、初めて知った。
こちらが「配う」でもある。
学習は楽しいなぁ。
投稿者:つねちゃん
at 06 :24
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電気製品
先日、充電式電動歯磨きを使うと、どうもいつもの勢いがない。
そういえば、その前の日もそうだった。
そろそろこれも買い替え時かなぁ、と、他の電気製品も似たような時期だからしようが無いかと思っていた。
ところが、歯磨きを終えて、少し探し物をしていると、歯磨きの充電器がコンセントから外れていた。
余り使用頻度の高い場所ではないが、それなりに家族みんなが使える場所にあるので、誰かが使った後戻し忘れたのだろう。
翌日、使ってみたら、従来通り元気に動いてくれた。
「元を調べろ」とは、在職中に盛んに言われたし、自分でも言ってきたのに、ボケの走りだとは思いたくはないけれど、十分注意しなければ。
投稿者:つねちゃん
at 06 :34
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