2019 年8 月31 日
2019 年8 月30 日
天邪鬼になって有名になりたい(8/8に投稿)
小泉さんの結婚報道には、基本的には全く興味がない。 だけど、誰に限らず結婚は目出度いし、わずか一人でも子供が生まれることには、難しい理屈は別にして、大いに賛成である。 だけど、こんなことにも皮肉を言って耳目を集めようとする人間が「言論の自由」とばかりに話題を振りまいている。 また、それを増幅して伝えるマスコミも果たしていかがなものか。 「〇〇の自由」と言う事を売名行為のようにして使う人には、どだい賛成できない。 自由を言う前に、そのことが他人様に迷惑が掛からないか、と言う事をまず考えるべきではないだろうか。 そんなことを今更ながら言うこと自体が、なんだか恥ずかしいと思ってしまう。 「検閲」と言う言葉で、ネット社会で「なんでも制限なしに言う事の自由」が制限されたらと思うと、行き過ぎはやはり怖い。2019 年8 月29 日
掛け声だけでは解決しない(8/3に投稿)
日韓関係が、かなりきわどい状況になっているのは、直接その影響を受けない身としても、理解はできる。 新聞やテレビ、ラジオなどのマスコミを初め、ネットの世界でも「対話重視、激高せずに」と言うような掛け声が多いのは、私が日本の状況だけしか見ていないからだろうか。 在職中、かなり困難な調整を強いられたことがあり、外野席に居た連中は、今回と同様に「沈着・冷静に」とまったくあてにならないアドバイスを送ってきた。 「それでできれば苦労はしてないよ」と言いたかった。 そんな中で、まったく別部門の上位職の人から「こうやったら、どんな問題点があるのか、を並べてみたら」と言うかなり抽象的だったけれど助言があった。 結果として、即解決ではなかったが、妥協点を見出すことができた。 各マスコミも、それなりの知識を総意して掛け声ばかりではなく「対策と課題」を提示してみてはどうだろうか。2019 年8 月28 日
戦争や各種の被害の写真(7/31に投稿)
新聞に掲載される、戦争や各種の被害の写真には、確かに強い刺激を受けてしまう。 「再び、三度・・・、このようなことが無いように」と祈るしかないわが身だけれど、ちょっと見方を考えてみると、おかしなことではないかと気になってしまう。 幸いにしてそのような場所に遭遇したことは無いけれど「写真を撮る前に、カメラマンが手助けできることは無かったのだろうか」と言う事にである。 今回の写真は「5歳の子が生後7か月の子を必死で引き揚げようとしている」と言うものだった。 現実的には、距離などの関係で直接手を差し伸べられなかったのかもしれないが、何か他の方法が無かったのだろうか。 これが、現在各地で起こっている被害をカメラに収めて、ネットに投稿しているのと、根は同じとは思いたくないが。2019 年8 月27 日
謡曲を「音読」健康法にも(8/27に採用された)
父が残した、宝生流謡曲の全曲が収められているのだろう3分冊の本がある。 私は40代のころ、わずか週に一度、半年間しか教わる機会がなく、声がうまく出ないことと仕事が忙しくなったりして、その後も続けなかった。 謡曲に関するレコードなどはすべて処分したが、この本だけは「何とかして読むだけ」でもできないかと、朝の音読に使ってきた。 残念ながら、崩した文字などがあり、正確に読めているとは到底思えないが、それでも「この辺の節回しは良いなぁ」などと1曲を3、4度に分けて「謡う」ことはできないが「読む」を楽しんでいる。 先日ようやく「天・地・人」のうちの「天」の本を読み終えた。 まだまだ、当分楽しめそうであるし、「音読」だから声に出して読んでいると、健康法にもなっているのではないだろうか。2019 年8 月26 日
国会議員の「謝罪」(7/25に投稿)
総理がハンセン病患者遺族に「直接謝罪した」と言う記事に、正直「これが謝罪なの」と思ってしまった。 在職中、お客様対応上で大変なご迷惑をかけて、「詫び状を書け」と言われたことがあったり、それほどではなかったけれど、やはりこちらの落ち度で、「謝罪」に何度か出掛けたことがある。 その時には、もちろん「呼びつけて謝罪」ではなく、こちらからご都合を伺い、関連でその方以外に謝罪すべきところがないかなどを確認して、僅かだけれど、「お詫びの品」を持参して、頭を下げて謝罪し、原因、善後策などを説明して、質疑などにも丁寧に説明し、了解を得たものである。 ところが、国会議員の長たる総理大臣が「謝ってやるから出てこい」と言うのでは、本当に謝罪になっているとは到底思えない。 総理がこうだから、押して知るべしの議員さんがなんと多い事か。 いつまでたっても「官尊民卑」と言う事か。2019 年8 月25 日
実を取ってからの判断(7/13に投稿)
ハンセン病について、国は「超法規的判断」で控訴しないと言明した。 患者さん、ご家族や弁護団、応援者の言葉は「天にも昇る思い」だと伝えられている。 それはそれで歓迎すべきことだとは思うが、うがった見方をすれば「まだ口先だけのこと」でしかないのではないか。 今後保障の条件などがいろいろと調整されるだろうが、それが必ずしも「思った通り」になるかどうかはまだ未定なのである。 歓迎に包まれて、選挙が終わった後に「除外規定」と言うもので、どの様に調整されるか、結果をしっかりと見極めてから、真の喜びに包まれて、感謝の態度を示すべきではないのか。 今まで「口先だけ」と言うことがいかに多かったか、を考えれば、軽率に喜びはできないと思うのだが。2019 年8 月24 日
官庁の第三者委員会や、有識者会議(6/21に投稿)
今回の2000万円問題にしても、そうだけれど、相変わらず懲りない面々が出す「外部意見の収集で」という第三者委員会や、有識者会議で「再発防止策」を立てるための会合を設けるとの話題が出ている。 これにしても「こんな内容のものは受け取れない」といわれてしまえば、雲散霧消してしまうのではないか。 だって、今回ははっきりと、そう言明されたのだが、今までも、外部意見を取り込んだものにしっかりと従っておれば、同じような事故や事件が起きなかっただろうと、素人ながら感じてしまう。 ということは、結局「選挙目当ての、国民の誤魔化し」に使われているだけではないだろうか。 新しくそんなものを作る前に、過去に指摘されたことが、本当に遵守されているのかどうか、そうでないとしたら、どこに問題があるのか、を深く掘り下げてその原因をそれこそ第三者の目で確認する方が先だろう。2019 年8 月23 日
濡れティッシュを手にして掃除(6/10に投稿)
専業主婦に限らず、一般男性よりも経験の長い成人女性には「いまさら何を」と言われそうなことだ。 私の掃除範囲は限られてはいるが、フローリングの部分が80%程である。 それで、今朝掃除をしているときに、先日から気が付いてはいたが、「そのうちに何とかなるだろう」という気持ちが先に立って、お座なりにしていた。 今日は時間的にもゆっくりしていたし、幸いの雨で、畑などへの水やりも必要なかったので、何カ所か気になっていたところの汚れを濡れティッシュで擦って綺麗にした。 いずれも「小さな斑点状」の物ばかりだけれど、それでも綺麗さっぱり拭き取ると、気分もすっきりした。 「四角い部屋を丸く掃く」ということは、子供の頃に母に何度も叱られたから、物は動かして掃除機をかけるのは「癖」になっているが、これからは「掃除は濡れティッシュと共に」を心がけよう。2019 年8 月22 日
空虚な大臣発言(6/5に投稿)
戦闘機のことなど、まったくわからないし、興味がない。 そんな私でも「えっ」と思う発言が防衛大臣の口から飛び出したことに、驚いてしまった。 「原因は究明できていないが、安全に配慮して飛ばす」ということである。 特別うがった見方をするわけではないが、「それじゃ、今まで安全に配慮していなかったの」と問いたくなってしまう。 36年間の在職中に、品質管理担当という立場上、不具合に対する対処策について議論したことがあるが、今回のこれとそっくりな発言をした責任者がいて、職位は私のほうがだいぶん下だったが、誰はばかることなくきつい口調で叱責したことがあったことを思い出す。 事態の重大さを心得ていない精神論で乗り切ろうとする姿勢は、決して許されることはないと思うが「私がやっていないと言うのだから、やっていない」という政治屋の口調が通るとすれば、残念ながら政治の品質は到底向上しないだろう。2019 年8 月21 日
夢から教え(くらしの日記へ投稿)(5/30に採用された)
先日、久しぶりに「ストーリー性のある夢」を見た。 大好きなネギを栽培した夢である。 現実には、太くて白い部分も、緑の部分もそれなりに長く、各地の農業祭などで売られているような見事なネギの栽培を夢見ながら、長い間失敗を繰り返している。 なかなか思ったものができないもどかしさに悩んでいる。 夢の中では、初めて思ったようなものが出来たのだが、もちろん見事なものは、そのうちの数パーセントである。 そんな中で黄変したものなどをきれいに剥ぎ取り、どうにか商品になりそうな形にしたのだが、家族のだれもが見向いてくれない。 まだ駄目な部分があるのか、いろいろと点検するのだが、それでも駄目なのである。 そんなところで目が覚めた。 時間が早かったので、考えてみると、「自分がやったことに固執し過ぎているのではないか」と言う反省が出た。 書き写しや音読で、宗教関係の何冊かの本に目を通していて、「固執を脱する」ことの大切さは意識の上では分かっているつもりだけれど、現実的には「まだまだだなぁ」と思い知らされた。 野菜ばかりではなく、一生懸命やっても駄目なものは駄目、という悪い意味の夢ではなく、「分かったら、固執からできるだけ遠のきなさいな」という教えの夢だと思えば、ありがたい夢だった。2019 年8 月20 日
特殊才能の少年少女
今日から、没ネタを掲載します。 この間にもし「採用ネタ」があれば、急遽差し替えますが、ボツになったものでも、私が「これは言っておいた方が良いと思うのだが」と言うものをセレクトして掲載します。 当然異論・反論はあるでしょうが、其処はお怒りにならずに、聞き流してくださることを切に望みます。 特殊才能の少年少女 将棋界の青年は既に「少年」の域を脱しているが、囲碁界やその他の分野で、盛んに「天才少年少女」がもてはやされている。 先日、病院の待合室で、何気なく見ていたテレビで「ユーチューブで稼ぎ、不登校」と言う少年が話題に乗っていた。 不登校自体は、いろいろと事情が有るだろうから、一概に非難はできないけれど、ユーチューブで稼いでいるから「これも一つの人生だ」と言う論理には到底賛同できない。 親を含めて周りの人たちは、隆盛時にはもてはやすだろうが、いずれ人気商売(?)であり、スランプが長く続くこともあるだろう。 果たしてそれを維持してやれるのだろうか。 それよりも「自分で身につけた知識や知恵」でまずは高校生くらいまでは「自分」と言うものを確立させてからでもいいのではないだろうか。 そんな子育てを大人社会全体して作ってやるべきではないだろうか。2019 年8 月19 日
梅干し作りに初めて挑戦(8/16に採用された)
我が家に1本ある「稲積梅」。 今までは収穫できても2Kgほどで、そのほとんどを青い実のうちに収穫し、孫なども喜んで飲む「梅シロップ」で消費してきた。 今年も同様にそうしたのだが、その後もどんどん大きく色付いてきたので、家内に「手伝うから」と言って初めて梅干し作りに挑戦した。 「土用干し」を行い、一晩夜露にあてて、先日ようやく出来上がった。 やはり「自分で作った」意識があるから「手前味噌」だけれど、十分においしく仕上がった。 来年はもう少し多く、収穫もして手伝いもして作りたいものである。2019 年8 月18 日
育てた野菜を冷凍保存に(8/7に採用された)
夏大根も適当に育ち、インゲン豆やニラも元気に育ってくれたが、育ちに合わせてすべて消費することは、なかなか容易ではない。 そこで、自家製冷凍野菜にして保存することにした。 これで夏の暑いときに、火を使っての炒め物などで慌てる必要もなく、秋になってからも、きれいで味も損なわない程度の季節外れの野菜が味わえる。 もちろんまだまだ主夫見習いで、とても味の深さなどは、自慢できる身ではないが、季節外れで目に鮮やかな彩としての野菜は、わが身勝手な「目に言う」調理が楽しめる。2019 年8 月10 日
お盆休み
夏休み中なのに、その中でも、申し訳ありませんが、明日から17日まで「お盆休み」を頂き、このブログの更新は完全にお休みになります。 家にいても「熱中症」に罹る方が、全体的に「加齢」のせいかもしれませんが、例年よりも多いとの報道もあります。 「冷房を『適切に』」と言われるけれど、その適切具合が分からず、「電気代が勿体ない」が先に立ってしまいます。 そんな時、大型ショッピングセンターへ出かけてみては如何でしょうか。 「適切」は高度な機能を持った空調機がしてくれますし、どこかのベンチで「心地よい『ウトウト』を楽しむ」のであれば、お金の心配もありません。 お腹がすいたら、好きなものを買ってベンチで食べれば、夕刻の涼しくなるまで「滞在無料」です。 一人の時は「本」を友に、仲間数人での四方山話もいいではありませんか。 お盆休み中も、是非ともめいめいで、「生きていましょう」。 偶には「グータラ」もいいのではありませんか。2019 年8 月9 日
土用の丑は「牛の日」に(8/1に採用された)
今年の我が家の、土用の丑の日は、平賀源内先生のキャッチコピーから少し離れて「『うの字』の付く食べ物」と言う原点に帰って、「牛の日」にした。 娘夫婦や孫たちもそれぞれ出掛けていて、家内と二人で、それぞれ200gのステーキにしました。 肉はいつもより少し上等なものを買ってきて、付け合わせには、我が家産のジャガイモとこれも我が家産の胡瓜の漬物。 じっとしていても暑かった日だったので、こんな時にはシャワーを浴びてから、買ってきた冷え冷えの缶ビールで、乾杯でした。 外食でもと考えたのですが、希望しない付け合わせなどは必要なく、家内に一層暑い思いをさせてしまったけれど、食べたいものだけを思うままの味付けで、おいしくいただきました。 金銭面は別にして、「思いっきりぜいたく」な牛の日でした。2019 年8 月8 日
街頭指導で気付いたこと(7/24に採用された)
夏の交通安全運動が始まり、いつものように当番で街頭指導に立った。 そこで目にしたことについて「自分もやっているのだろうなぁ」と言う事に気が付いた。 道路を右折する車についてである。 右折地点の印が有るか無いかは別にして、私も素人だけれど、ほとんどの素人の車は、わずか1mくらいの所を内側手前で曲がっていくことにである。 それに引き換え、会社のロゴや名前が入っている車は、そのほとんどが、きちんと中央位置で曲がって行かれたことである。 交差点で待っている車のいない時だから、と言う事もあるだろうが、人はどうしても楽なことが身に付きやすく、それが習い性になってしまうことを考えると、ささいなことだけれど、プロの運転手の行動を見習いたいものである。2019 年8 月7 日
メニューを考える大変さ(7/18に採用された)
わが家には、二人の「主婦」がいる。 二人して、当番を決めているらしいのだが、続けて同じメニューと言うことはまずない。 私も単身赴任時代の「自分飯」は、その日ごとにメニューを変化させていた。 先日、二人の主婦から「今晩はこれにするから」と「明日はこれにするから」とステレオのように言われた。 そのはざまで無い知恵を絞ったのだが、それが結構楽しかった。 でも、考えてみれば、二人の主婦は、当番はあるけれども、ほとんど毎日こんなことを考えていることに気が付いた。 それに加え、二人の孫を始め、各人いろいろな「好み」があるし、中学生の孫は学校の給食があるので、前後も考えなければいけないのだ。 その上に、食材の買い込みには、値段や旬も考えなければならない。 自分飯でも大変だったのにと思うと、改めて「主婦」に感謝した。2019 年8 月6 日
評判落とす市議の行為(7/11に採用された)
富山はスポーツで国内ばかりではなく、国際的にも、一目置かれる話題になっている。 なのに、市議がふらちな行為をして、土下座して「議員は止めない」ということでは、全国的には当然、場合によっては、国際的にも「恥さらし」の態を表して、評判を地に落としてしまっているのではないだろうか。 これは、議員自身はもちろんだけれど、選挙で選ばれた人なのだから、その時に応援に回った人にも、応分の責任があるのではないだろうか。 「まさかそんなことをする人とは思わなかった」と「知らぬ顔の半兵衛」を決め込むわけではないでしょうね。2019 年8 月5 日
好物の万能ネギ収穫して食べる(7/4に採用された)
わが家では、万能ネギをプランターに植えてある。 ネギは私の好物の一つであり、その都度収穫して、新鮮なものを食べるようにしている。 昨年秋くらいに種をまき、冬越しして春先に枯れたものなどを一度すべて刈り取ったのだが、少しの固形肥料を施していると、最近の気候がいいのか、どんどんと伸びてきている。 そばやソーメンの薬味にも使えるが、あまりにも多いので、長く育ったものは、まとめて収穫して、適当な長さに切って冷凍保存している。 薬味だけではなく、みそ汁の具というよりも彩りとして目に鮮やかな緑がきれいだし、食欲増進になる。 種をまくと多すぎると思うので、苗屋さんで見つけたら栽培してみてはいかがだろうか。2019 年8 月4 日
説明に知識が追いつかず(6/25に採用された)
6年間使っていた録画機が故障してしまった。 保証はできないようであり、「直すより買った方が安くつく」という論理らしい。 それで、久しぶりに家電量販店へ行ってみた。 ところが、店員さんは、自分の知っている知識を最大限に説明されようとするあまり、こちらの知識が追いついていかないのである。 結局カタログを数冊貰ってきただけにした。 こちらの事情、年齢やどんな番組をどれくらいの頻度で見るかなどへの忖度がほとんど見られなかったのは残念である。 せめて「こんなことがしたい」を店員さんに説明できるようにしてから再度行くことにしたい。2019 年8 月3 日
効率よりも「確実に」(6/19に採用された)
70歳を超えて決して裕福ではないけれど、それなりに「悠々自適」と思いながら過ごしている小生にとって、最近思うのは「効率よりも確実」ということだ。 現役の時はそれなりに「効率優先」と言ってきたし、自分自身も鼓舞してきた。 リタイア後、いろいろとおぼつかない面に気が付いてくると「遅くても確実に」という姿勢になってきている。 「追い越す人は効率優先なのだから、できるだけ譲ってあげよう」とすれば、たぶん「あおり運転」の危険からは少しは避けられるだろう。 こんなふうに考えると、ずいぶん気が楽になるような気がする。2019 年8 月2 日
はがゆい「糾弾決議」(6/12に採用された)
「戦争で勝ち取るべきか」「女がいる店で飲ませろ」「俺には不逮捕権限がある」などと、その人を応援する人以外が聞いたら、やはりこれは「違うだろう」ということになってしまう。 でも、今回の「糾弾決議」って、どれだけの効果があるのだろうと、歯がゆい気持である。 趣旨はどうも「国会議員にあるまじき言動」という指摘らしいが、進退について強く求める、というのでは、「はい、私は退きません」と言われて反論できるのだろうか。 忘れたころに選挙というのであれば、まったく「掛け声倒れ」になってしまうのだろう。 むしろ国会議員、与野党そろって、それが目的だった、などということはないのでしょうね。2019 年8 月1 日