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2021 年4 月30 日

明確な意識と表示で運転を(2020/12/25に採用された)

 いまさら何を言うのだろう、といぶかしく思われることを覚悟して言うが、自動車に限らず「右左折やハザード」のためにウィンカーが付いている。
 でも、「誰に知らせるために付いているのだろうか」と思われたことはありませんか。
 他人様に見えるようには当然としても、それ以上に「自分に言い聞かせる」ための役目も大きいのではないだろうか。
 そう考えながら使うと、事前に「自分はこっちへ行く」と言う意識が働き「早めの表示」が出来るのではないだろうか。
 近い将来「自動運転車両」が登場するだろうが、それまでは運転手として、明確な意識と表示をしながら、運転したいものである。

投稿者:つねちゃん
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2021 年4 月29 日

電子辞書でも思わぬ拾い物(2020/12/18に採用された)

 アナログの国語辞典、漢和辞典、英和辞典は、ほこりをかぶらない程度に使っているが、やはり最初に手が出るのは、電子辞書である。
 従来は「電子辞書は、単一のことを調べるもの」で、アナログは「周りを見ながら調べる楽しみがある」と思って使ってきた。
 電子辞書でも、似たようなことが感じられることが、今更ながら分かった。
 語句を調べる時には、1文字ずつ入力するのだが、その文字が増えるたびに、思いがけない事項が出てくることがあるからだ。
 思わぬ拾い物に、立ち止まって「へぇー」と思う事が楽しみの一つになってきた。

投稿者:つねちゃん
at 09 :57 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月28 日

ローマの休日、の真の意図

 私が言うまでもなく、「ローマの休日」と言うとオードリ・ヘップバーンとグレゴリー・ペックが出演した名作である。
 私は映画館で2度、TVでも数回、一時期はビデオ屋で借りても見たものである。
 世間知らずでお転婆で奔放な王女様と新聞記者とのラブロマンスである。
 ところが、先日、あるTV番組で、真意はまるで違っていると言う事を思い知らされた。
 その解説は、まだまだ理解不足の私が書くことでは無いので割愛するが、ウィキペディアの解説から一部を紹介すると
 「本作の脚本は実際にはダルトン・トランボが執筆したものだった。当時のマッカーシー旋風による赤狩りでトランボはハリウッドを追われていたため、名義を借用したのである。」とある。
 多分これだけでは理解の一部にもならないだろうが愛読しているマンガ雑誌にも「赤狩り」と言うタイトルで掲載されていたので、その背景の壮絶なことが僅かだけれど理解できた。
 中々あの映画の各シーンからは思いもよらないだろうが。それでも、最後の王女の言葉が今でも忘れられない。
 「ヨーロッパで最も気に入った国は?」という質問を受けた王女は、「もちろんローマです」と微笑んで答えます。
 そして「I will cherish my visit here in memory as long as I live.」
追記をみる

投稿者:つねちゃん
at 10 :31 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月27 日

菅下ろしならず

 今回の3地域の選挙で自民が全敗、と言う報道に加えて「菅下ろしならず」とか「菅政権に影響なし」などと、各報道が伝えているが、なぜこんな風に報道するのだろう。
 私自身は「一喜一憂」と言う言葉が好きだが、幾つかの選挙で、「勝ったから」「負けたから」と針小棒大に騒ぎ立てるのは、マスコミの「横暴」では無いだろうか。
 それに悪乗りするのが、何時でも「野党」である。
 真に改革したいのであれば、何れの選挙においても、一つ一つのことで騒ぎ立てるよりも、一つずつ実績を重ねるべきではないか。
 そうすれば、相手に「ボディブロウ」的に刺激を与えられることだろうし、投票者としても、自分たちの実力が分かると言うものだろう。
 忘れてならないのは、一つ二つで勝っても、全体的な動きにするには、それなりの「継続的な勝利」が必要だろう。

投稿者:つねちゃん
at 09 :30 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月26 日

やるぞ、やったぞ、出来なかったで日記を

 多分かなりの人がそんな経験をお持ちだろうが、日記の「三日坊主」である。
 それで、ある程度の年齢に成ると「自分史」などと言う言葉に刺激されて「いっちょ、やってみるか」と言う事になったりする。
 ところが、これも大概「三日坊主」に成ってしまう。
 リタイアしてそれなりに「貧乏暇なし」生活を始めてもう20年になる。
 それ以来、PCでだけれど、日記を書き続けている。
 そして、過去の三日坊主のノートを捨てずにあったことに気が付き、それも追加しているが、当然飛び飛びである。
 でも、ぜひこれを読まれたら始めて戴きたい。
 「そんなこと言ったって、毎日同じことの繰り返しだから」と言われる方が多いが、決して「昨日と同じ」事は無いはずである。
 その日の違いだけをメモ風に書くだけである。
 最近のPCには「口述筆記機能」が付いているから、最初は慣れないかもしれないが、かわいい「愛機」になってくれるだろう。
 そして、時折「先週何していたっけ」とそれを繰ってみる楽しみがある。
 それが「先月」から「去年」と繰れれば、つけること自体が楽しみになってくること請け合いである。
 PCを勧めるのは、何年も前のことが1台で俯瞰できるソフトがあるからです。

投稿者:つねちゃん
at 09 :48 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月23 日

簡単にできることは試してみよう

 昨日に続くことになるかもしれないが、TV番組でもいろいろな健康法が紹介されることがある。
 幸いにして、私に直接関連が有る物は少ないので、最初の部分を見て「これは要らない」と判断してスキップさせるようにしているのが常なのだが、最近は結構気に成ることにも出合う。
 そんな時には、幾つかの条件が合えば、出来るだけ取り入れるか、行動自体に新陳代謝を行うようにしている。
 その条件とは
 ? その為だけにどこかへ出掛けることはしない
 ? お金は掛けない
 ? アレルギーの関係もあるので「ストレスになる」事はしない
 ? 時間が掛かるのはやらない
 ? 身体の節々が痛くなるようなものはしない、
 と言う事である。
 これで大分絞られるから、新規採用する項目に出会う事はあまりない。
 しかしながら、「出来ることはしよう」と言う考え方は変えていないので、「停滞は、後退」と言う事にだけは成らないようにしている。

投稿者:つねちゃん
at 07 :47 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月22 日

少量にすることで素材の味が分かる

 やはり、運動をある意味で制限されているので、運動不足になっているのが要因の一つだと思うけれど、体重が79台が続くようになったので、これは危険信号だと自覚して、大好きなご飯の量を入院時でも200gだったのに、150gくらいに計って制限するようにした。
 そうなると不思議な物で、自然とゆっくり食べるようになっている事に気が付いた。 
 それと同時に気が付いたのは、表記の事である。
 単身赴任生活が、それなりに長かったので、自分で作る機会が多いし、特に私の辛い物好きには、家族もなかなかついてこれないので、それも自炊の要因の一つになっている。
 だから、それなりに素材の味が分かっていると思っていたのだが、今回それが強くなったとともに、調味料の素材も感じるようになってきたことに気が付いたのである。
 自分で作っているのだから、当然だろうと言われると確かにそうなのだが、調味料は単一の物ではなく、幾つか混ぜて使うので、その各々の味がと言う事である。
 そんなことも楽しみの一つである。

投稿者:つねちゃん
at 08 :02 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月21 日

小麦粉アレルギーでも美味しい食事

 昨年11月末からだから、やがて半年になる小麦粉アレルギーだけれど、最初は「食べられない」と言う苦痛を何とか誤魔化して、さも「楽しく美味しいよ」と嘯(うそぶ)いていたのだが、最近は、本当に意味で楽しくなってきている。
 決して「食べられないものが食べられるようになった」と言う事では無いのだが、ラーメン味の出汁と具材にビーフンを入れてみる。
 それも、その時によって細麺、中太、太麺を飽きない程度の繰り返しで使えるし、大好きなペペロンチーノも同様にパスタ代わりに使う。
 麺の硬さなども、茹で時間、お湯の中に浸しておく時間によって自由にとまではまだ行っていないが、変化させられるようになっている。
 缶詰の味も楽しめるようになっている。
 勿論、焼きビーフンもレパートリーに加えている。
 今でもあるかもしれないが、唐辛子練りこみ、大蒜練りこみなどのビーフンも出てくるだろうが、楽しみだ。
 先日も家内が「米粉の餃子の皮」が売られていたと買って来た。
 餃子も家族と一緒に食べられそうだ。

投稿者:つねちゃん
at 09 :41 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月20 日

年相応に物忘れが起きるのは余り気にしない

 もう2週間程度で74歳になる。
 このところ、歳の所為だろうと思うが「物忘れ」が多くなってきているのは、自分でもわかる。
 しかしながら、それを嘆いてもしようがないと思っている。
 もちろん「防止」する方法は、自分なりに工夫の必要があるが、忘れたら「聞けばいい」のではないだろうか。
 痩せ我慢して、自分自身で思い出そうとしても思い出せず、悶々と過ごすよりも、よほど精神衛生上は良いのではないだろうか。
 悩んでも、そんなに緊急な物を忘れることはあまりないのではないか。
 だったら、素直に「これを探しているんだけど、知らないか」と聞けばいい。
 その時にすぐに聴く人がそばにいない場合は「私はこれを探している」とメモに書いて持ち歩けばいい。
 そして聞く人がいる時に聞けばいい。
 年相応に物忘れが多くなるのは、大なり小なりみんな同じなのだから、くよくよしないことの方が大事だろう。

投稿者:つねちゃん
at 08 :59 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月19 日

読書感想文

 今回のは2020年9月25日から「音読」で使い始めたものである。
 「ものしり 大語源」(三浦 竜 著 三笠書房 刊)である。
 兎も角「面白い」本だった。
 何処から見始めても良い、と言うより、気ままにページをめくってみても、十分に楽しめる本である。
 私の本の読み方の一つであるが、決して「覚えよう」と言う気持ちを持たないことである。
 それを考え出すと、試験こそないが「いつか使ってみよう」と言う気持ちになり、落語の「やかん」と同じような失敗を演じることになる恐れがあるからだ。
 事実、過去にそんなことをやって、顰蹙を買った苦い思いがあるからだが。
 自己弁護だけれど、そんな顰蹙を買っても、それなりの人気もありそれなりに出世もできたのだから、満足である。
 閑話休題、この本は次のような構成になっている。
 第1部 なぜ?意外な意外な面白語源
 第2部 ?ものの名前?の不思議なルーツ
 第3部 目から鱗が落ちる、歴史に纏わる語源
 各々があ、い、う、え、おの順に並んでいる。
 座右の銘にするほどのことはないが、有っても困らない本である。

投稿者:つねちゃん
at 07 :37 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月16 日

放送大学受講(その5)「日本語リテラシー」

 この講座は、今まで全く気が付かなかったのかもしれないが、今回気が付いたのは「ラッキー!」だった。
 講座には、少しでも飽きさせないように、と言う配慮からだろうが、正直あまり好きになれないキャラクター人形が出てくるのだが、それは別にして「読む、聞く、話す、書く」と言うのがセットになっているようである。
 中学生時代には「臆病で、無口で、赤面症」だった自分だけれど、高校に入ってからは結構多弁(只の「お喋り」だっただけ)になり、研修所入学試験の口頭試問でも、自分の思った通りのことが言えた。
 研修所を出てからは、さらにどんどん磨きが掛かって、一時期OH部門に居て、全国をSEして歩いたこともあり、其処の上司からは「是非来てくれ」と言われたものである。
 リタイア後は、ブログはもう3000通を越しているだろうし、新聞投書も300通以上は数えていないが、それなりに狭い世界では有名人に成っていて、さらに磨きをかけるために役立つだろう。

投稿者:つねちゃん
at 07 :50 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月15 日

放送大学受講(その4)「ダイナミックな地球」

 これは、思っていた以上に楽しい学習になりそうだ。
 今までも「天文学」の学習を楽しみながら何度か受講したけれど、今度は「ダイナミック=生きている」と言う意味での講座の様である。
 地球誕生から46億年と言われていて、その宇宙(銀河系だけではなく、もっと広いとらえ方が期待できそうであるが、これは期待外れに終わるかもしれない)楽しい。
 初回はOverviewだったけれども、期待が大きい。
 2度ほどは繰り返して受講してみたい。
 話はずっと飛んでしまうけれど、小学校の5年生の頃まで、我が家は「貸本屋」をしていた。
 その時に「総天然色」の宇宙に関する本があって、何度も読んでいた思いがあり、もうこの歳になったこともあり、今では諦めているが、「本物のオーロラ」を見てみたいと言うのが夢だった。

投稿者:つねちゃん
at 07 :56 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月14 日

放送大学受講(その3)「場と時間空間の物理」

 この講座は、タイトルに完全に「騙された」と言うものである。
 と言うのは、私の勝手な理解だから、決して放送大学が悪い訳では無い。
 私の想定していたのは、「場」とは一般の世界で、どれだけ物理的に解明されていて、解明されて居ないのはどんなものがあり、その研究がどこまで進展しているのかで、「空間」とは、所謂「時間空間(昔で言うところの4次元空間)」に関する研究ではないかと、期待していたのである。
 実際は、最後の方でそのようなことにも触れられるようだけれど、在職中の研修所でも最も苦手としていた、「電解、電磁界」に関するものだった。
 4πεという数式が出てくるあれである。
 この手の試験はまるで駄目だった、苦い経験がある。
 思い直して「今度はどこまで付いて行けるか」と言う興味がある。
 何しろ数式を覚えるのではなく、その意味するところを「学習するだけ」なのだから。
 試験の無い学習はこれだから楽しい、だろうなぁ。

投稿者:つねちゃん
at 07 :56 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月13 日

放送大学受講(その2)「暮らしに役立つバイオサイエンス」

 この講座は、全くのド素人として受講するものである。
 リタイア後、趣味の一つとして「園芸高校」と言うところで、週1回の授業で2年間通ったことがある。
 その時に「バイオ栽培」と言う事で、若い時には、全く興味がなかった分野だけれど、ノーベル賞を受賞された山中教授の時のiPS細胞や、似たような時に「何とか細胞は有ります」で評判になった人などの研究にも興味が有る。
 勿論、野次馬的な物ではあるが。第1回は、細胞よりも微生物から入ったので、多少は理解が付いて行けるのではないだろうか。
 今後の進行が楽しみであると同時に、私が15回すべて分からないながらも諦めないで続けられるか如何と言う興味もある。

投稿者:つねちゃん
at 07 :43 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月12 日

放送大学受講(その1)「身近なネットワークサービス」

 以前からなんとか紹介しているが、今学期始まった放送大学では、5講座を受講し始めて、漸くすべての講座で1回目を受講したので、講座紹介と言うか、私の視点で講座の紹介をしてみようと思います。

 このタイトルの講座は、リタイアしてからすぐ位に一度受講して、それからも開設時期が変わるたびに受講していた物である。
 今回の物は20年に開設されたものだと載っているが、その更新後には受講していないものだったので、お浚いと言う感じで受講を決めたものである。
 まだ2回しか受講していないが、「大学講座」として受講する人にとっては、どうだか分からないが、IT業界に居てリタイアした人にとっては、多分「楽しく現代を正しく解説」してくれるものとしては、時折「えっ、そんな事が出来ているのか」と思わされることもあるのではないだろうか。
 在職時によく言われた言葉に「この世界はドッグイヤーの進歩だから、停滞は後退だ」がある。
 せめて「付いて行っている」と思うだけでも楽しいと思いますよ。

投稿者:つねちゃん
at 08 :26 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月9 日

読書感想文

 今回のは今年の1月8日から「音読」の為として使い始めたものである。
 「科学の目で見る日本人の知恵 ことわざ謎解き事典 なぜ、宵越しのお茶は飲んではいけないのか?」(日本語知恵の輪会 編 ワニ文庫 刊)である。
 多分この手の本は、父が買った物だろう。
 題の通り「そんなの迷信だよ」と思って居たようなことが、結構科学的に解明してあるので、楽しく読める本である。
 私の読書ペースは、見開きページで2-3のことわざを読み進めた。
 だから、約3か月余りで読み切ったことになる。
 目次は「あ行」「い行」・・・となっているので、ジャンル別ではない。
 そういう点でも、様々な視点で楽しめると思う。
 幾つか、ホント?と言うものを抜き出してみると
 「色の付いた夢を見ると病気」
 「仲の良い夫婦は子宝に恵まれない」
 「緑の黒髪」
 「メンソール煙草を吸うとインポに成る」
 「若禿は精力旺盛」。

 果たしてどれが真実でどれが嘘か。 

投稿者:つねちゃん
at 09 :23 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月8 日

比翼連理

 自分の浅学菲才を棚に上げて質問させていただきますが、この言葉をお聞きになったことは有りますか、また、その意味をご存じで、どのようなイメージをお持ちでしょうか。
 生意気なことを言う訳ではありませんが、私がこの言葉を知ったのは、一時期江戸時代の文学に興味を持っていて、好色一代女という本で最初に出合った言葉でした。
 江戸時代の文学と言っても、この手の物でしたから「文学青年」と言うのとはかけ離れたものでしたが。( ^)o(^ )。
 だから、意味合いは女性が使う手練手管の中の言葉だと思っていました。
 ところが、父が残していった謡曲本を読んでいる時に、久し振りに出会ったので、思い出して、全く別の意味だと思いました。
 それは年齢の影響もあったのでしょう。
 楊貴妃と言う題の謡の中です。
 「空に有っては『比翼の仲』で、地に有っては『連理の枝のように』」と言う意味だと知りました。
 何方が欠けても存在の意味がないほどの『大切な仲』。
 家内とは勿論だけれど、友人知人ともそうありたいものです。

投稿者:つねちゃん
at 10 :14 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月7 日

蒟蒻麺も試してみよう

 小麦粉アレルギーで、基本的に今までの様に「大好きな麺類」は食べられなくなっている。
 それも昨年の11月下旬からだから、もうやがて半年に成る。
 最初は、かなりの衝撃だった。
 でも、もともとそういう意味では、「無くてはならぬ」と言う事では無かった、と言うほど執着心が高く無かったのだろう。
 そんな時によく考えてみると、麺に絡めた味が好きだった、と言う事だろうと、家内のアドバイスもあって、納得している。
 よく言うように「窮すれば通ず」と言う事で、最近は「麺状」の食物も準主食になってきつつある。
 米粉で作った麺で「ビーフン」が代替麺に成ってきて、それでペペロンチーノも美味しく自分で作られるし、ラーメン代わりに出しなどはラーメンと同様にしたものも美味しい。
 太い物も細い物もあるので、焼きうどんや焼きそばならぬ焼きビーフンも美味しい。 
 要は味付けである。
 大好物の、唐辛子を初めとしたハバネロや、僅かに混ぜただけだけれど、自家栽培のジョロキアの辛さも絶品である。
 最近何かのTVで見た「蒟蒻麺」と言うのも試してみようと思っている。

投稿者:つねちゃん
at 11 :39 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月6 日

股引も脱いだ

 先日は「ゆる靴下を脱いだ」だったが、昨日も天気が良く、気の早い桜も大分散りかけている気温だった。
 それに乗じて、長い間世話になった股引も気温を見て脱ぐことに決めた。
 それが昨日である。
 でも、正直朝晩はまだ欲しい時がある。
 でも、何時までも「気分だけ若い」つもりだったので、「痩せ我慢」もあって、股引は12月頃になってようやく履き始め、2月下旬にはもう脱いでいたのが昨年までだった。
 何度か紹介したが、11月に「小麦アレルギー」が発症して、「食後はなるべく激しい運動はしないこと」と釘を刺されたので、「運動」は止めていたけれど、運動だけではなく「体にストレスを与え過ぎない」事と言う事に気が付いたので、「寒さ」と言うストレスを与えないように、とのことから、早々と股引のお世話になった。
 昨日が皮切りだったけれど、今朝は交通安全の街頭指導の当番だったので、しっかりと履いて出掛けた。
 何度か書かせていただいたが、「暑さ寒さを感じることもボケ防止の一つ」だという理屈もあるそうだから。

投稿者:つねちゃん
at 09 :26 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月5 日

謡曲「熊野」の勘違い

 謡曲本の3冊でセットになった父の物を僅かな期間だけれど、謡曲を習っていた不肖の息子だけれど、せめて「謡う」事はできないけれど、読むだけは読んでから処分しようと決めて、もう何年か休みながら続けてきた。
 タイトルだけは知っていて、朧気ながらその内容も「聞けば」、「そんな内容の物もあったなぁ」と思い出すくらいには「耳学問」の類にはなっていたと思っていた。
 ところが、この段になって、全く違っていることに気づかされた。
 「熊野」である。
 読み方は「ゆや」だと知っていて、熊野権現にまつわる話だろうと思っていたのである。
 それが全く違っていたのである。 
 素人が解説することは差し控えるが、先日の「一歩ずつ」と同様に「知らないことを知る」と言う楽しみにまた一つで会えた楽しみだった。

投稿者:つねちゃん
at 09 :52 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月2 日

一歩ずつ

 自信を持って出来ることから、実用化している。
 幾つかの学習をしていることは、以前にも紹介させていただいたが、その中にホームページを作る時に、今月からわずかに一つだけ採用したことがある。
 紹介するほどのこともないのと、お恥ずかしい位の事なので、内容は、書かないけれど、しっかりと思った通りの画面に仕上がったのは、嬉しかった。
 長い間「道具として」使って来たExcelやWord、Powerpointでも、今まで知ってはいたけれど使ったことが無かったこと、全く知らなかったことなども「しっかり覚えてから」実用化している。
 そんなことを学習しながらだから、今まで「なんとも表面的な事しか知らなかったのだなぁ」と恥じ入るばかりであるが、今回は、何人の人が見てくださっているか知らないが、兎も角「他人様にお見せする」と言う事で紹介している。
 読者数の把握については、以前調査する方法があって、使ったことがあるが「だからどうなんだ」と思ったからやっていない。
 そんな画面を見た方もたくさんいらっしゃるだろう。
 「貴方は何番目のお客様です」と言うあれだ。
 兎も角、この歳になったら「誰が見てても良いし、見てなくても良いのだ」と開き直りも楽しいではないか。
 でも、着実に「一歩ずつ」進歩しているのが嬉しい。

投稿者:つねちゃん
at 08 :00 | 健康 | コメント(0 )

2021 年4 月1 日

ゆる靴下を脱いで寝た

 つい先日までの、昼は春ポカポカの陽気で気温もそれなりに早く温かくなってきていたのだが、矢張り朝晩は冷えるので、寝る時には足首部分を締め付けないほどの「ゆるゆる靴下」を履いて寝ていた。
 ある知人と話していて「それだけあなたはまだ若いから、寝ている間に布団を開けたくなる位になるのだから、冷えないようにその対策は十分だ」と言う評価を得たのを良い事に、続けていた。
 ところが、その後、やはり朝足元が「熱い」位になったので、思い切って寝る時に脱いで寝た。
 それでも、寒く感じたらすぐに履ける様に、身近に置いていた。
 やはり「脱ぐ」と言う事は、それだけでも気分が軽やかに成るようで、それから約1週間経ったけれど、もう置いてあることをも忘れるくらいになっている。
 年を取ると「変わることが面倒くさい」と言う事で、冷暖房なども「ぱなし」から不幸な事故につながるとも聞くから、臨機応変をいつまでも忘れないでおきたい。

投稿者:つねちゃん
at 08 :50 | 健康 | コメント(0 )

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