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2021 年11 月30 日

充電式乾電池

 随分前から充電式乾電池を重宝しながら使っている。
 先日テーブルで愛用していた電波時計に使っているものが、表示されなくなったので、電池チェッカーで調べると電圧が規定値以下になっていたので、充電してから入れ直したのだが、最初の内は電波の受信表示がされていたので、そのままほっておいて1時間余りして気が付いたが、入れ直した時からの時間になっている。
 家の中では電波受信が悪いのかと思って、天気も良かったので外へ出してまた暫くしてみても同じだった。
 時計自体も買ってから数年たっていたので、そろそろ寿命かとも思ったのだが試しに普通の乾電池を入れると、数分後に現在時刻にあった。
 SDGsを気取る訳ではないが、充電式乾電池を信用すべきではないなぁ。

投稿者:つねちゃん
at 06 :19 | 健康 | コメント(3 )

2021 年11 月29 日

無理はしないけれど努力は欠かさない

 例えば「靴下を立って履く」と言う行動はどうだろうか。
 「立ったままで履く」と言う行動は加齢とともに危なくなってくる行動の一つで、色々な健康番組で、一つのバロメーターとして使われている。
 現在私は、ほとんどの場合大丈夫である。
 こんなことでも、少し不安があったり、雑然と物が周りにあった場合は、絶対と言っていいほどやらない。
 そんな場合は、しっかりとした台に腰掛けるなり、座って履くことにしている。
 現在3つの病院に定期的に通っているが、一つは同年代の先生なのでこの言葉を言われることは殆どないが、あと2つは40代の女性と50まで行っているかどうかわからない男性医師である。
 その二人から、2回に一度は言われる言葉であり、「無理しない」を肝に銘じている。
 でも「努力」だけは常にしたいと思っている。

投稿者:つねちゃん
at 10 :38 | 健康 | コメント(0 )

2021 年11 月26 日

時間貧乏性は治らない

 日頃、休憩時間やゴロゴロ時間、ぐーたら時間を「必要悪」として認めて、それらを含めて「時間貧乏性だなぁ」と苦笑いしながら過ごしている。
 そんな中で、先日、予定していたイベントがコロナ禍では無いが「都合でお休み」となって、ポカンと2時間半が空いてしまった。
 本来ならば「あれもしたい、これもしなければ」と「儲かった」と思うのだろうが、どうも「性分」と言うのは森の石松ではないけれど「死ぬまで治らない」物だとしみじみ我が身を振り返って思ってしまった。
 でも、一日振り返ってみると、「あれもやったよな、そういえば予定ではなかったけれどもこれもやったなぁ」と「やることを書きだしてからやった」から結構実が詰まっていて、充実感を感じているのだから。
 その中身の一つが「除雪機の搬出」だった。
 さぁ、これで冬の準備の大きなイベントが実施できた。

投稿者:つねちゃん
at 08 :36 | 健康 | コメント(0 )

2021 年11 月25 日

再放送でも見たい番組と見たくない番組がある

 何度かこのブログでも紹介させていただいているが、テレビドラマはあまり「リアルタイム」で見ることはない。
 原因の一つは「必ずしも自分の鑑賞の都合に合わせてくれない」からである。
 その点ビデオは便利である。
 トイレに行ってくるからしばし演技を待っていてくれ、思いついてすぐにやらなければならなくなったから、続きは明日にでも見るからそれまでは演技中断等々、このCFは見たくないから飛ばしてくれ、と我儘し放題である。
 そんな中でも、時々「見るものが無くなったなぁ」という事があって、確か見たような気がするが、とか、もう一度見てみたいなぁ、と言う番組が流れることがある。
 こんな場合でも、色々な我儘な選択肢がある。
 この人はこの役には適さないなぁ、かつてのナイスガイの落ちぶれた役は見たくないなぁがそれであり、このとぼけたシーンは何度見ても飽きないなぁ、に出会ったりする。
 諸姉諸兄はどんな選択眼をお持ちだろうか。

投稿者:つねちゃん
at 08 :21 | 健康 | コメント(0 )

2021 年11 月24 日

やはり実物の天体ショーは楽しい

 久し振りに先日の「月蝕」ショーを楽しく観た。
 勿論「ジーっ」と見つめるほどの事は無かったが、それでも何か暇があるとその満ち欠けを楽しんだ。
 ほぼ「皆既」の状態の時には、確かに「赤い月」がはっきりと見えた。
 今までに何度も「今晩は」と言う案内がラジオやテレビであったが、当地では殆どの場合天候の加減で見ることができなかった。
 後で実況かどうかは別にして、TVで見てもさほどの感動は受けなかった。
 今回も「またそうだろうから、期待しないでおこう」と思っていた物だっただけに「期待を上回る見事さ」に感激した。
 流星群も同様にいつも期待していないし、しても裏切られるだけだからと思っていたが、こんなこともあるのだから、それなりに気を付けてゆこうか。

投稿者:つねちゃん
at 06 :29 | 健康 | コメント(0 )

2021 年11 月22 日

孫の推薦入試

 私自身だけではないかもしれないが、団塊の世代として、常にかどうかは分からないけれど、それなりに「狭き門」を潜り抜けてきた。
 だから「推薦」などと言う言葉とは、「完全無縁」の人生だと思っている。
 ところが、それから50年以上経った今、孫が自分の志望大学へ「推薦で入試を受ける」という事で出かけて行った。
 爺としては、小学生の頃からの成績表は見て来たつもりで「まぁ、可も無し、不可も無し」だと思っていたから「鳶が鷹を生むようなことはない」と世代を離れていても思っていた物である。
 ところが、よくよく聞いてみると、推薦しても不合格もあるというのだから、どうも「推薦」の意味が少し違う様である。
 いずれにしろ、色々な経験をしてみればいい。

投稿者:つねちゃん
at 06 :37 | 健康 | コメント(0 )

2021 年11 月19 日

パジャマを洗濯に出す日

 元々あまり服装には気を付ける方ではなかった。
 ましてや、研修所時代には周りは殆ど顔見知りばかりで、偶に外部へ行くときには、むしろ気をつけすぎるくらいに気を使った結果、どこかチグハグなものに成って居ることに気が付かされた。
 片や単身赴任時代には、寧ろほとんど毎日が「外部の人との接触」が続く立場だったので、下着からワイシャツは勿論カフスボタン迄にも気を付けていた物だった。
 リタイアして、研修所時代に近い環境になった今、家内から指摘されることになった。
 「何時までも着た切り雀(舌切り雀の言い換え)になっているの」と。
 という事で、今の時期少し厚手のパジャマも「そんなにしょっちゅうだと大変だろう」と言う気持ちから少し長着していたが、毎週金曜日に着替えることにした。
 下着のシャツやパンツは毎日替えているが、その上に着るものについても、定期的に取り換えるようにしよう。

投稿者:つねちゃん
at 08 :54 | 健康 | コメント(0 )

2021 年11 月18 日

年寄疣は早めに対処

 ずいぶん以前にも同じ様な趣旨で書いたような気がするが、敢えてまた書かせていただく。
 2カ月程前に床屋へ行ったときに、左の耳の後ろ辺りに疣ができていて、バリカンでやった時に傷つけられたようで、そんなに大袈裟ではなかったが、少しだけ出血した。
 それ以来、なんだか頭を洗う時に気に成ってしまっていたのだが、アレルギーで通っている医科が「皮膚科」だったことに気が付いて、アレルギー自体は投薬で落ち着いているので、質問してみた。
 その疣自体は、結果として「手術」で取り去ることになったが、それも30分足らずの簡単な手術だという事なので安心した。
 それに加えて、まだ小さいながらの黒子なども聞いてみると、「それは直ぐに対処できるからやっておきましょう」という事で、液体窒素塗布ですぐに対処して戴いた。
 歳と共にできる症状だそうであり、ぜひともご同輩の方にはお勧めしたい。

投稿者:つねちゃん
at 08 :00 | 健康 | コメント(0 )

2021 年11 月17 日

同級生の逝去

 新聞が休刊日だったので、一日遅れで同級生の訃報に出会った。
 お酒は飲まない奴だったけれど、同級生の口コミ連絡だけでほぼ毎回50名近くが参加して、10年続けてきた親睦会の最初からのメンバーだった。
 意見が食い違うことも度々あったけれど、それなりに底では強く同意していたと思っている。
 幾つかの病気をして快癒していたが、今年の左義長の時にも挨拶を交わしていた。
 同級生の逝去は彼が最初ではないけれど、そろそろ自分もそれと似たような年齢や持病に見舞われているのだと思うと、やはり無理せず、無茶せず、自重を自分に言い聞かせて日々を過ごしてゆきたい。

投稿者:つねちゃん
at 07 :43 | 健康 | コメント(0 )

2021 年11 月16 日

久しぶりの金沢駅前

 先週の土曜日の午後、金沢である先輩に教えを乞うために、電車で出掛けた。
 金沢まで行くのはさほど久しぶりではなく、当たり前で車で行き来していたのだが、街中の細い道路をナビにもセットされていない場所へ行くので、電車にしたのであった。
 電車を降りて「えっ、こんなに混んでいたっけ」とまず驚いた。
 確かに土曜日で天気も良かったのだが、それにしてもコロナ以前よりも混んでいるのではないかと思うほどの人出であった。
 また、リタイアしてから20年も経つので、駅前の交通状況もかなり変わっていた。
 駅前案内人の人に尋ねて、漸く目印として教えて貰っていたビルまでタクシーで着いた。
 その車の中で私と同年輩か少し上かと思う運転手さんに感想を漏らすと「確かに大きく変わった」と言っていただいたので、納得したのだが。
 約2時間ほど教わって辞したが、それから少しずつ思い出して最寄りのバス停から駅まで着いたのだが、久し振りに楽しい思いに浸れた。

投稿者:つねちゃん
at 06 :39 | 健康 | コメント(0 )

2021 年11 月15 日

捨てる神あれば拾う神あり

 書き写しで「捨てる神あれば拾う神あり」と言う言葉に出会った。
 この言葉自体は、自分勝手だが、自分の都合に合わせて使ってきたから、全く目新しい物ではない。
 何に気が付いたかと言えば「漢字」である。
 「捨てる」「拾う」の字は手篇は同じで、旁が1画違うだけの非常に似た文字であることにである。
 もっと言えば「一」と「十」の差である。
 何にでもそうなのだろうが、いろんな解釈ができる。
 「1画」違うだけで「1と10の差がある」と言うことにも解釈できる。
 逆に「1と10にはそんなに大きな違いはないのだ」という楽観論的な解釈である。
 人によってはその他の意味付けができるだろうが、「小さなことに気をつける必要はない」と言う理解の方が気が楽である。

投稿者:つねちゃん
at 07 :37 | 健康 | コメント(0 )

2021 年11 月12 日

安心するけど、満足はしない

 あくまでも、リタイアした後の私にだけ通用することかもしれないから、お勧めする考え方ではなく「そんな阿呆がいるのか」程度に読み飛ばしてくださればいい話題である。
 殆どの場合がそうであるのだが、例えば、最近思いついたことで、何時もは2日に一度はそれなりの量が出る排便なのだが、ここ数日滞っていた。
 原因が分からず、少し悶々としていた。
 正直「お腹が張る」状態だったのであり、当然食事もいつもほどは美味しくない。
 ところが、先日の朝、少し早く起きたので、朝食前に書き写しなどをパジャマ姿のままで行っていたから、適度に「お腹が冷えた」のが原因だと思うが、それなりの便意を覚えて、それなりの量を排出することができた。
 「これで一安心、だけどまだダイエット目標には達していない」と思ったことで思い出した言葉である。

投稿者:つねちゃん
at 07 :34 | 健康 | コメント(0 )

2021 年11 月11 日

無駄な動きも効果的

 多分、はた目から見れば「何をそんなにせかせかと」と思われているかもしれないが、自分でも「後でこれと一緒にやれば「より」効果的だろうなぁ」と思いながら、無駄だと思われる似たような行動をしていることに気が付く。
 これは今に始ま始まったことではない。
 思い出してみれば、もう数年前からではないだろうか。
 実は、ある意味「意識的に」やっている。
 一つの効果としては「思いついたら直ぐやる」ことで「やり忘れ」という後悔が少なくなる。
 二つ目は、ウォーキングの散歩を止めた代わりの「運動不足解消」である。
 これは実質的に効果があるかどうかは自分でもあまり自身が無いけれど。
 最近測っていないが、一時期万歩計で測ってみたら、8000歩くらいの運動に成っていたから、それなりなのだろう。
 かつての漫才師から政治屋になった人ではないけれど、「大きなことはできません、小さな事をコツコツと」である。

投稿者:つねちゃん
at 08 :01 | 健康 | コメント(0 )

2021 年11 月10 日

小田急線、京王線そして九州新幹線

 先日の京王線の事件について、「子は親の背を見て育つ」との内容で投書したが、そのすぐ後に今度の九州新幹線での事件である。
 親どころか年齢的には十分に分別できる「爺年代」の人が犯したことである。
 すべてを年齢という尺度で推し量る訳にはいかないだろうけれども、やはりそれなりに「分別を背で見せる年代」なのだから、自覚してほしい物である。
 勿論、これはわが身に対しての自戒でもあるが。
 いわゆる「一線を越えない」という自覚を常に心得て置かなければならない。
 この人も「心神耗弱状態」だったから、裁判でも「無罪に近い有罪」にしかならないだろうが、やはり納得がいかない。

投稿者:つねちゃん
at 06 :22 | 健康 | コメント(0 )

2021 年11 月9 日

「たんぷれ」って分かる?

 来週が上の孫の18歳の誕生日である。
 数年前から、事前にプレゼントの希望を聴くことにしていて、女性の物だから、今までは殆ど家内が聞いて、それを聞くだけであった。
 そんな訳で直接聞いたことは無かったのだが、來春卒業と言うことで、学校でも自分でもいろいろと忙しかったせいだろうが、先日「お願いがあるんだけれど」と家内と一緒に一杯飲みながらTVを見ているところへ来た。
 正直、言っている言葉の単語が分からず、私は生返事で「分かったよ」とは言ったけれど、孫が去ってから家内に改めて聞いてようやく理解できた。
 「『たんぷれ』に『がんしろ』が欲しい」と言ったのだそうだが、このブログをお読みいただいている諸兄諸姉はすぐに理解できるだろうか。
 誕生日のプレゼントには「(顔を)白くする物(多分化粧品)」をお願いしたい、と言う意味だそうである。
 ついていかなければならないのかもしれないが、ボケ防止の学習よりも難しい。

投稿者:つねちゃん
at 06 :20 | 健康 | コメント(0 )

2021 年11 月8 日

京王線での事件

 京王線と言う電車には、50年以上も前の2年間の研修所時代に新宿、仙川間を何度も利用した路線である。
 今回の事件で停まった、国領という駅はほんの少ししか離れていないのだが、全く知らなかった。
 小田急線の事件を真似たと言っているが、小田急線も同時期に新宿、成城学園前間をよく利用した。
 それは兎も角、今度の事件では、車内の緊急な動向が「動画」でよく放送されているのだが、果たして撮影者は、どんな感覚で撮影したのだろうか。
 幾許かの情報提供料欲しさからだったのだろうか。
 目的が何であれ、決してやってほしくはないことだと思う。
 子は大人の背を見て育つとは言い古された言葉だが、やはりそれを真似し兼ねない子もいるのだろうから。

投稿者:つねちゃん
at 06 :40 | 健康 | コメント(0 )

2021 年11 月5 日

左手書き写し

 少し前から「左手の書き写し」の量を従来はほぼ原稿用紙1杯だったのだが、約半分にしている。
 ぶっちゃけて言うと「サボり」だと意識はしているのだが、これはこれで良いと思っている。
 リタイアして10数年、一日一万歩を実行してきたが、数年前からやめた。
 全く止めたわけではなく、どうしても「業」的になってしまう自分を感じたからである。
 飽くまでも「健康維持」と「風景の違いを感じる」ことがメインだったのだけれど、時々起こった「低血糖」による症状を感じたので、それ以来は「脹脛伸ばし」を毎日欠かさず行って良しとしている。
 左手書き写しも、半分にして2年ほどになるが「欠かさず」だけはやっているから、なんとかなるだろう。

投稿者:つねちゃん
at 06 :39 | 健康 | コメント(0 )

2021 年11 月4 日

楽しい学習

 随分長い間「書き写し」をして、少しでも「ボケの遅延」と思いながら、楽しく過ごしているが、そんな中でも「えっ、こんな間違いをしていたのか」と思うようなことに出会うとなんだかとても「得した」気分になる。
 「楽しきかな学習」である。
 「祟」と「崇」を完全に混同していたのである。
 「たたり」と「たかし」である。
 崇と言う字は人の名前によく出てくるものであり、さすがに「祟」と言う漢字を使った名前、は気が付いてみると、出会ったことが無いのだろう。
 それを全く意識しないでいたのだから、この記憶も今初めて気が付いたものである。
 少なくとも、記憶に残るこの漢字で恥をかいたり、他人様に迷惑をかけたことが無いから、幸いなのだろうが、「崇(あが)める」と「祟(たた)る」では天と地ほどの差がある。
 今後は「読む」ことについてもしっかりして対峙しよう。

投稿者:つねちゃん
at 07 :49 | 健康 | コメント(0 )

2021 年11 月2 日

朝一杯の「冷水」

 年寄りの冷や水と笑われるかもしれないが、ずいぶん以前に何かの本で読んでから、もう10年近く続けている「健康法の一つ」として朝新聞を取りに行って来た時に前の日から冷蔵庫に入れておいた約1合くらいの水を飲む習慣にしている。
 これでどれだけ効果があるかは、未だに分からないが「鰯の頭も信心から」と言うことで、少なくとも「五臓六腑に染み渡る」快感につながっていることは間違いがない。
 健康法と言うのは、やってみて「自分に合っているなぁ」と思って続けられることだろと思う。
 「冷水」に「霊水」ほどの効果を期待するわけではないが、「快感が得られる」と言うのであればいいじゃないか。

投稿者:つねちゃん
at 06 :44 | 健康 | コメント(0 )

2021 年11 月1 日

孫の選挙権

 高校3年生の孫が、帰ってきて「なんで私の所に入場券が来ていないの」と家内に聞いたそうである。
 仲の良い同級生には来ていたのに、なんで、と言うことのようだ。
 よく聞いてみると、その友達は11月1日が誕生日で、その前日までに18歳に成っていたので来ており、孫は16日なので、来ていないのだと分かって納得したようである。
 「18歳から選挙権」と合っても、その辺のところの理解が今一つ足りないようである。
 ルールだろうから、どこかで線を引かなければならないのは分かるけれど、この制度がなされてすぐだったろうか、あちらこちらの高校で「模擬投票」の記事が新聞を賑わせたことを思うと、もう少し配慮があってもいいのではないだろうか。

投稿者:つねちゃん
at 06 :43 | 健康 | コメント(0 )

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