やりたいこと尽きることなく(2014/10/08に採用された)
リタイアしてからの生活は、先にリタイアした先輩から「サンデー毎日になるよ」と言われていた。
決して雑誌の名前ではなく「毎日が日曜日」と言う意味である。
あれ以来13年、確かにそうなのだが、結構毎日「すること」「したいこと」があり、決して「日曜日=休息日」ではない。
わずかなボランティアもあるが、やりたいことで埋め尽くすとまるで時間が足りないのである。
先輩いわく「やりたいことはすぐに尽きる」ことは全くなく、まだまだ時間が欲しい時間貧乏性は治りそうにない。
でも、「やりたいことがたくさんある」ことこそが健康な過ごし方なのではないか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :13
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本当に優秀な人、人としての能力(2014/10/07に採用された)
最近読んだIT関係の会社の社長さんが書いている記事をみて「わが意を得たり」と思った。
従来は「パソコンが使える人が優秀な人」と言われていたが、結構長い間大型コンピュータの設計・建設に携わっていた私には何かしっくりと来なかった。
その記事は「インターネットで集めた情報をコピペで自分の論理として作り上げているのは決して優秀でも効率的でもない」と言う趣旨だった。
まさにその通りで、自分なりにかみ砕いて、独自の論理を構築するのが本来の人間としての能力発揮の場所であろう。
「便利な電子機器を使って、人間として何を解決するか」に主眼を置く人がこれからの「優秀な人」であろう。
これならどんなロボットでも太刀打ちできないはずである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :29
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外部の音にも耳を傾けて(2014/09/22に採用された)
少し食生活を甘くしていたせいか、体重と腹囲が気になりだした。
「夏太り」と言うことだろう。
それで、今月からエクササイズとしての散歩を始めた。
散歩のお供は小型になったデジタル音源であり、ラジオだったり音楽だったりする。
ステレオであり、イヤホンが付いているのだが、片耳しか差し込まないことにしている。 最近のイヤホンは外部の雑音をカットする機能が向上していて、両耳に差し込むと外の音がほとんど聞こえない。
音楽を聴くだけならそれでもいいが、散歩をしながらだと、危険なことが多い。
先日も街頭指導の時に女子高校生に「できれば片耳の方が安全だよ。家に帰ってから両耳でたっぷり聞けばどうですか」と声をかけたら、素直に聞いてくれた。
「ながら族」は結構だが、そんな中でも外部の音などにも耳を傾けるようにしてほしい。
投稿者:つねちゃん
at 06 :15
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政府の組織地方に配置を(2014/09/08に採用された)
地方の人口減への施策として、政府は「地方に住もう」を掲げていることに開いた口が塞がらない思いがする。
地方在住者としては、必ずしも賛成できないというのが本音である。
真剣にそう願うのであれば、政府組織をどんどん地方に分散配置すればよい。
自分たちは便利な都会に住んで、それ以外の人は少し不便でも地方に住んで、ではだれも信用しないだろう。
以前どこかの政党が「隗より始めよ」と言うようなことを言われたが、それと同様で「絵空事」ばかり言っていないで、「自分たち自身ができること」から始めてみないと、誰も信用しなくなるのではないか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :06
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しばらくはのんびりと(2014/09/1に採用された)
団塊の世代の同級生たちも、そろそろ「前期高齢者」となって、一部の人を除いてリタイアして、年金生活を過ごされるのだろう。
私は事情があって、少し前ににリタイアしたが、その時にいろいろな人から「趣味を持ちなさい」「地域に積極的に交わりなさい」などと言われた。
そのこと自体は今でも「真実だ」と思っている。
でも、その前になぜ「お疲れ様でした。しばらくはのんびり過ごして、いろいろなものに手を出して『つまみ食い』を楽しんでください」となぜ言わないのだろうか。
今からの人にはぜひこうして過ごしていただきたい。
そのうちに「何かしたいなぁ」と言うものが見つかれば、趣味であったり地域との交わりだったりすればいい。
それとはまったく別でもいい。
でも、そんな中で「仲間」を作るともっと楽しいことは間違いがない。
投稿者:つねちゃん
at 06 :10
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品物確かめ買うように(2014/09/15に採用された)
100均は今まで比較的広範囲のものが格安で手に入るということで、いろいろな面で重宝していた。
また、消費税にもきっちりと応えて、分かりやすかったのも「正直なのだなぁ」と親近感もあった。
ところが、最近「おやっ」と思うことが時々あり、品物によって十分に確かめてから買うようにしている。
基本的に税込108円のものなのだが、ほとんど同等のものがホームセンターなどで税込100円と言うことに遭遇するからである。
年金生活者としてはわずかな額でも度重なるとばかにならない。
消費者も「わずかだから」と見逃すのではなく、ほんの少し賢くなろう。
投稿者:つねちゃん
at 06 :05
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「数値の適正」疑問に思う(2014/08/25に採用された)
在職中は「感覚的ではだめだ、数値で示せ」と言ってきたし、言われてきた。
そんな中で「数値の適正」を見抜くことが大切だった。
最近の世論調査の数値を見ていると「果たしてその数値は適正なのか」と疑問に思うことがある。
電話番号を無作為に抽出しての結果です、と言われるが、果たして「無作為」が正しいのだろうか。
インターネットをはじめとして、いろいろな調査手段ができたことは喜ばしいと思うが、何か「我田引水」的な数値の取りまとめと発表のような気がするのは、果たして私だけだろうか。
ある意味「作為的な意見誘導」に使われてはいないだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :46
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機械にできない「創造」すること(2014/08/16に採用された)
機械学習革命と言う記事を読んだ。
難しいことはまず置くとして、将来的には機械が人間を超すのではないかと結んでいる。 コンピュータの世界をリタイアして十数年になるが、私は決してそうは思わない。
機械にできないことは「創造する」と言うことである。
この場合でも「課題を創造する」ことは機械にはできないのである。
かつての上司の好きな言葉が「汗は機械にかいてもらえばいい。我々はどのようにしてそれを使うかを考えれば良いのだ」である。
機械を奴隷化するのではなく機械と「Win−Winの関係」を作り、平和な世界を創造できるようになりたいものである。
投稿者:つねちゃん
at 05 :48
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リモコンで保証の対象外(2014/07/29に採用された)
猛暑日の先日、エアコンを入れようとしたら、リモコンの表示が薄くなっていたので、電池を替えて初期設定をしようとしたが、まるで動かない。
延長保証を頼んであったので、購入した店の修理部門へ持ち込んだ。
無料で修理してもらえたのだが「電池の液漏れが原因なので、保証の対象外」と言われて驚いた。
初めてのことだったので、何とか対処していただいたが「今後はこのルール通りになります」と念を押された。
暫く使っていない電子機器の電池は、各々の責任で管理する必要がある、ということを思い知らされた。
販売時点でそのような「起こしやすいミス」についてはしっかりと周知してほしいし、消費者もしっかりと管理すべきなのだろう。
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投稿者:つねちゃん
at 06 :04
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薄いひげ
夏休み前の最後になります。
ずいぶん昔になるが、坂本九が歌った「ヒゲの唄」と言うのをご存じだろうか。
高卒で、就職した数か月は「日勤8:30−17:10」と言う勤務体系だった。
今では考えられないのだが、当時は非常にヒゲが薄くて、ある時泊りがけで出張に先輩と行った時「髭剃りを持っているのか」と聞かれたが「必要ありません」と答え、それ以来「消しゴム仕様のヒゲ」と言われるくらい薄かった。
だから、この歌が大好きだったし、ある意味感情移入ができた歌だった。
今でも、同級生の多くと比べると薄い方である。
でも、出てくるのはほとんど「白髪」なのである。
他人様から言われたことはないけれど、実に「見っともない」のである。
白髪の方が黒いヒゲよりも硬い様な気がするので触ってみても気持ちのいいものではない。
今までは風呂で使う剃刀の刃は、ほぼ1か月近く持ったのだが、最近は半月で交換しないと髭剃り負けになってしまう。
肌が弱くなったのか、髭が固くなったのかは定かでないけれど、これも加齢のせいかと、苦笑いしている自分を俯瞰することも楽しみの一つである。
追記をみる
投稿者:つねちゃん
at 08 :06
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銀杏は諦めた
数年前に友人から銀杏を頂いた。
中に三角の様な実があり、それがメスだと教えられた。
試しにそうでないものと数粒ずつ植えて育ててみた。
それが今年は私の背丈くらいまでに育った。
以前高さが1m位でうまくいけば実が付くよ、と言う話を耳にしていたので、育ててみたのだったが、先日家内の実家の墓参りに行った時に、そのお寺の大きな木には文字通り「鈴なり」に緑の実が成っていた。
そこでネットで色々とと調べてみたけれど、育てるのは比較的容易らしいのだが、実がなるまでには相当の年数がかかることが解り、葉をお茶にしての効用は、高血圧を抑える効果があるようだけれど、インスリンの抑制効果もあるようなので、糖尿病にかかっている私としては、むしろ危険物でもあるので、思い切って処分することにした。
未練たらしいのだが、今年は高さを私の背までにして、横に張り出させることにして、来年実が付かなければ、完全に処分してしまおう。
以前に「祟りがある」と言うようなことも聞いたような気がするが、それも迷信のようだから、葉の見事さをもう1年だけ楽しませてもらうことにした。
投稿者:つねちゃん
at 07 :39
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土光敏夫の再現を待つのは
先日「清貧と復興」(土光敏夫100の言葉:出町譲著、文藝春秋社刊)の音読を終えた。
長くても短くても毎朝一つの言葉を声に出して読んでいた。
ご存知の方は「何を今さら」とお笑いかも知れないが、年代も経験も全く違うのだが、僅かながらどことなく「相通ずる」ことに感銘を受けた。
久し振りに、是非一読をお勧めしたい書である。
要は題名にもある通り、自分の富は後の後に回し、日本国の復興に努めたということだ。 「(米国の呼び出しに)用があるなら自分から出かけて来い」「組織体組織ではなく、人と人」「社長になっても電車通勤」「目刺しは好きだから食べている」等々。
目次を読み返しながらではないので、その通りではないが、100のうち目刺しくらいが自分とあっているのだろうか。
昨今の東芝の為体、臨調後の政治家の為体などなど、残念としか言いようがない。
氏の再現を待つのは「百年河清を待つ」の如く「不可能」なのだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :29
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午睡と昼寝
夜からの睡眠時間をどうしても6時間は取れない。
睡眠時無呼吸症候群と診断されたのは約1年前だけれど、それ以来治療具として装着している装置で、トータルとしての睡眠時間が測れるようになっているが、僅かに6時間に満たないので、昼寝をして補充することにした。
時間貧乏性の身としては「勿体無い」が先に立ち、最初はなかなか眠れなかった。
それでもウトウトしていて気が付いたら30分余り寝ていた(少なくとも意識は無かった)ようだ。
その後はかなりスッキリして、何時も家内と9時頃から飲み乍らドラマを見て、10時頃からニュース番組を見るのだが、10:30過ぎには「もう寝なさいよ」と言われるほど舟をこぎ出すのが常だった。
それが全く無くなっていた。
ところが、ある講演会誌では「昼間寝ると寿命が縮む」とあった。
で、私の場合は「午睡」だということにした。
ところが一般の辞書では同意と言うことになっている。
そこでネットの力を借りて調べると、30分程度が午睡で健康的にも良い、それを超えると「過ぎる」と言うことの様である。
改めて講演会誌をよく読むと、確かに30分程度が一番いいと書いてある。
私の場合は「昼寝」ではなく「午睡」である、と信じて過ぎない様にしてゆきたい。
投稿者:つねちゃん
at 08 :09
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男としてはまだ「現役」
健康雑誌を見ているせいかもしれないが「生涯現役」と言うフレーズで色々な薬品などの宣伝を目にする。
そこには大概老年(失礼かもしれないが)の男性と、肉感豊かなビキニを身に着けた若い女性が映っている。
と言うことは、本来助平な私としては(いやいや、何時までも最近のLGBT的な人は別にして、全ての男性は助平であると思っている)やはり下半身のことだろうと思ってしまう。
幸か不幸か分からないが(と言いながら絶対的に幸だと思っているのだが)さすがに寝ている間の「夢精を漏らす」ほどではないけれど、1週間に一度以上の(小便までの命だけれど)「朝勃ち」はある。
そういう意味では、まだ古稀まで間があるが、「男性現役」だと思っている。
Youtubeなどでそれなりの動画を楽しむこともある。
まだまだ「現役男性」を続けてゆきたいものである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :28
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悪い癖
自覚はしているのだが、なかなか治らない癖がある。
いわゆる「ハウツー本」で「これは良いぞ」と思って、勇んで買う。
帰宅後パラパラとめくって「なるほど」と言う気分になる。
結果として「後でじっくりと読んで、できるものをできるだけやろう」と決めるのだが、それで終わり、後は「積読」になってしまうのである。
そしてしばらくたってから「オヤこんな所にこんなことを書いた本がある」と気が付き、前と同じ行動を繰り返すのである。
結局最後には別のハウツーに出会って、お払い箱になってしまうことが度々であり、今もまだ完全に払拭できていない。
これではいけないと、先日から「日課」化した。
朝でも、就寝前でもいいから、必ず1章程度は読み「読破」印をつけている。
まだまだ「駆け出し」ではあるけれど、なんだか今までよりも楽しい。
効果があるかどうかはまた別の話である。
投稿者:つねちゃん
at 09 :41
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「ゆう活」に驚いた
お役所が「ゆう活」を推進するという。
もうずいぶん前に、夜遅くまで雀荘で麻雀をしていたことがあった。
そこには「国会待機組」と称される人種がいた。
時々、部下らしき人が書類を持ってくる。
麻雀は一時中断で、別室で協議されている。
しばらくしてから再開。
「本日はこれまで」と声がかかるのは、大体その日が終わる頃であった。
議員からの質問が出て、草稿を部下の人が作成し、待機組の人が点検して、と言う具合だ。
それからもう20年以上も経つが、その行動体系が変わったとは到底思えない。
その証拠には、答弁する側が、十分咀嚼していないで文章を読み上げ、少し違っていると後ろの席当たりから応援団が出現することで分かる。
これは何も与党に限ったことではないようだ。
ゆう活を言うのなら、自分たちがしっかりと勉強してからにしてほしいものである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :45
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自家製惣菜等の賞味期限
殆どの食品には「賞味期限」と「消費期限」が書かれたのは、何時頃からだろうか。
しかしながら、今でもまったく表記のない食品がある。
たまに「作成日付」くらいは書いてあるのだが。
商品ではなく、自家製のものである。
もちろん黴が生えたり、変な臭いがしたりすれば「即刻処分」だが、大概は「好きで作った食品」だからそんなことになる前に消費してしまう。
大根葉のヨゴシ、甘辛く煮た鰯、塩を強くした漬物などはどこも同じだろうが、私の大好きなハバネロペーストもそうである。
冷凍保存しておき、約1年くらいは使っている。
無くなる頃に今年のものが収穫できる。
今年も2株買って、今が盛りに実をつけている。
暑くなると一斉に赤くなり、その頃に昨年のものが無くなる。
もちろん鷹の爪は十分に乾燥させておけば、1年以上は持つ。
自家製には期限が無く、家人の味覚と臭覚があるだけだ。
投稿者:つねちゃん
at 08 :25
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つまらない番組
先日、番組自体は好きな内容なのだが、取り上げるテーマが実につまらなかったので、途中で飛ばしてしまった。
これも録画だからできることで、今更ながら、録画の効用を感じたことだった。
詳細は途中までしか見ていないので審らかではないけれど、タイトルが「波平が死んだらサザエさんは終わり」と言うものだった。
遺産相続の関係で今の雰囲気は維持できないだろうというもののようである。
確かにストーリーの中に自分を置いて、興味を一段と深くすることを否定はしないが、それなら「楽しく」過ごすことを第一優先に考えるべきだろう。
それを評論家然として俯瞰するようなことを言うのは、言語道断だと思う。
餓鬼の頃、貸本屋をやっていたので疎遠になったりしながらも、漫画「サザエさん」とはそれ以来の付き合いである。
漫画の世界なのだから夢を壊すようなことをして欲しくはない。
聴いている無能タレントも楽しみながら驚いているが、まるで猿芝居である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :32
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英和辞典のアナログ辞書は諦めた
幸か不幸か、昔取った杵柄ではないけれど、IT関係の記事には、人一倍興味がある。
だから横文字が出てくると、カタカナ言葉ではなく、その意味も知りたくなる。
ユビキタスなどはその典型である。
電子辞書もあるけれど、やはり使い慣らしたアナログ辞書が手放せなかった。
でも、残念だけれど、そろそろ「お蔵入り」にすることにした。
アナログ辞書は目的地に着くまでに見える思いがけない景色を楽しむような雰囲気があり、もちろん目的の言葉の意味を知ることだが、旅行と言う雰囲気もあるので、なかなか捨てがたい。
しかしながら、加齢により、文字が小さいことが難点になった。
まだ国語辞典と漢和辞典はアナログを使い続けたいが、電子辞書を購入すると、ここでも「調べる旅」の楽しさよりも目的のみになってしまうのだろうか。
少し残念。
投稿者:つねちゃん
at 06 :42
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PC内の写真やビデオを整理
PCがあるから、と言うことで、デジカメやスキャナで撮ったイメージ、ビデオで撮った孫の活動などをついついPCに「内臓」してしまっている。
講習では「できるだけCD/DVD/BDなどの外部記憶へ退避しておかれた方がいいですよ」と言っているのだが、「医者の不養生」と同じで、ついつい我が身のことが疎かになっている。
先日からやり始めたのだが、なかなか進まない。
同じ記憶をお持ちの方が多いだろうが、今では滅多にやらなくなった「大掃除の畳叩き」でのことである。
畳を上げると、昔は古い新聞紙を板の間に敷いてあったものである。
ついつい、その新聞記事に目が行き、「へぇー、そうだったか」と読んでしまうことである。
それと同様なことが写真整理で起こっている。
楽しくも大変な作業だけれど、欠かせない作業でもある。
少しだけ知ったかぶりをするならば、作成日付を必ずラベルに書いておき、3−5年毎に書き換えをお勧めする。
使っていないCDなどを「鳥よけ」に使っているとよく分かるだろうが、数年すれば必ず剥げてくるのである。
そうなると折角保存したものが読み出せなくなるのだから。
投稿者:つねちゃん
at 06 :36
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掃除はだれのため
毎月曜日に二階の部屋、廊下、トイレの掃除は私の当番である。
トイレの掃除は自動洗浄機能があるので、気を付けないと洗っている最中に水が流れることがある。
ところが「やはりこの機能がのべつ幕なしに働くのはおかしい」と思い、いろいろと探ってみたら、やっぱり「自動のon/offスイッチ」があったのを発見した。
今までは便利だけが先行で使っていたので気が付かなかった。
on/offスイッチがあることが解ったので、より便利さを感じることができた。
ことほど左様に、掃除で発見することは意外と多いのではなかろうか。
「四角い部屋を丸く掃く」では、なかなか見つからないかもしれないが、自分のために綺麗にして、そのうえで新発見(特別何の役にも立たないものが殆どだが)出来るとすれば、やはり掃除は自分のための作業であろう。
投稿者:つねちゃん
at 07 :55
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「年齢の雅称」をご存じだろうか
私もあと2年で古稀となる。
尤も、生きていればの話だが。
ところで、この「古稀」だが、年齢に関する雅称と言うものに先日の音読で出会った。
古稀までは、その殆どが「論語」から出ているのだが、論語ではそこまでしかない。
そこまでで論語に沿っていないものがあるが、何歳かお分かりだろうか(なぁに、私もこの章で知ったのだから、偉ぶるつもりは全くないのだが)。
華甲(十が六つと一で出来ている)。
これからは、論語を超越した年齢。
喜寿(『喜』の草書体が「七が三つ」で出来ているから)。
傘寿(「傘」の略字?)。
半寿(『半』の上のはねを逆さまにすると)。
米寿(これは子供の頃からよく言われた米作りの手数「八十八」)。
卒寿(『卆』)。
白寿(「百」と言う字から「一」を引いた)。
最後が茶寿(草冠を二つに分けると「十十」それに「八」「十」「八」の足し算)。
いやぁ、学習と言うのは楽しいなぁ。
ちなみに論語でここに出ていないものは、志学、而立、不惑、知命、耳順そして還暦。
私の勝手な目標は120歳なのだが、これは「十干十二支」の掛算。
まだ半分を少し超したばかりだが。
投稿者:つねちゃん
at 06 :38
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