落語
最近買った方に「醒酔笑」と言うのがある。
多くの落語の元ネタがこれにはあると聞いていたが、なかなか私にあった様な本が見つけられなかった。
最近の若手落語家さんの新作を耳にする機会があるが、どうも噺の途中で落ちが知れてしまうものが多いような気がして、薄っぺらな感じがする。
「古典」と言われるものも、発表時には「新作」だったろう、と評する人もいらっしゃるし、私も同感である。
好きな「代書屋」は米朝の新作だと聞いているが、これに匹敵するようなものにはめったに聞くことができない。
皆が遭遇しているような、安易に想像できるようなことの方が喜ばれるからと言う思いかもしれないが、それでは飽きられてしまわないだろうか。
好きな芸だけに、思いがけない落ちで、何時までも楽しませてほしいものである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :06
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本屋での時間の過ごし方
先日家内の買い物の付き合いで、少し時間を持て余したので、最近は必要な本だけしか買わなくなった本屋さんで過ごすことにした。
月刊誌などの表紙タイトル、健康に関するもの、PCに関するものなどなどを見て回ったけれど、正直そんなに興味をひくものが無かった。
そんな時ふと見上げると、「文庫本コーナー」と言う看板である。
小説系の物にはほとんど興味が無くなったが、それ以外の物の背表紙だけを順繰りに読んでいくと、何とも楽しい。
そうしているうちに、ずいぶん昔の話になるが「私を読んで」と言う本に出逢ったことを思い出す。
それこそが求める本だったりするから、騙されたと思っやってみてはいかがだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 07 :46
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穂紫蘇の季節
穂紫蘇がたくさん実っている。
さながら「雑草」の如くにあちらこちらにたくさん実っている。
自家栽培している人もいるから(我が家もそうだけれど)そんな領域の物は採ってはならないけれど、道端に生えているものは差支えないのではなかろうか。
自家栽培する前はそう思って散歩で見かけるたびに小さなコンビニ袋に入れて収穫してきた。
調理法は家内にお願いしてあるので、詳しくは知らないが、ネットで探せばいろんなものが出てくる。
好き嫌いもあろうが、実を外している時の匂いがたまらなく好きだ。
この香りを殺さないようにして塩漬けにしたものをいろんなものと和えて食べる。
かなり長持ちするようで、長く楽しめる。
確か京都地方の土産にもなっていて、なかでも縮緬雑魚と和えたものが好きである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :24
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社長じゃなくなった
地元のお祝いの一コマに、知人の会社名で社長の名前が載っていたのだが、今まではその知人が「社長」だったのに、違った名前になっていた。
社長も定年制になったのだろうか。
自分は結局「自分の都合」でそれなりの始末をつけたとはいえ50歳過ぎで勝手に「停年」にしたから他人のことは言えないけれど、矢張り時代が変わったのかなぁ、と一抹の淋しさを感じた。
それにしても、彼だけではなく、ハッピーリタイアメントを迎えられた人には「長い間お疲れ様でした」と声をかけて上げたい。
後日談になるが、娘さんの旦那さんを養子に迎えて、社長に就任させられたのだという。
私の場合は、後任をその当時の全て(対応していた会社が5社あった)お客さんに引き合わせ、引き継いだつもりだけれど、辞めてしまったのではある意味無責任だったのかもしれない。
そうそう意味では、役職は別にして、「元社長」として存在するのだから、それはそれで立派なことだと尊敬する。
投稿者:つねちゃん
at 06 :02
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郵便局の対応
先日友人に我が家産の栗を郵送で送った。
そんなに多い量ではなかったが、いつもは宅配日を使うのだが、適当な空き箱が見つからなかったから、それも買うつもりで向った。
そこでの対応に驚いた。
何も怪しからん事をされたというわけではないが、先ず箱を買うのだが、ここでいったん料金を支払ってくれと言う。
100円のことで、支払ったのだが、領収書を出される。
次に送り状を書いてくれと言う。
箱に入れてから送り状を書いて渡すと、接着テープを取ってくれて、開いている辺に貼り付けてくれと言う。
その時に「送り状だから入れてもいいよね」と確認すると「本当に送り状ですか」と聞かれる。
ようやく送り状に受付で記入する部分を書いてから料金を告げられる。
そしてお釣りをくださるのだが、380円を硬貨一枚一枚並べて「ご確認ください」と仰る。
丁寧と言えばそうなのだろうが、民間での方法と比べるとあまりにも間延びしている感じがした。
お客を待たせることなど意に介していないようである。
民営化してどれだけ経つのだろう、いつまでこんなつもりでやるのだろう、疑問ばかりであった。
投稿者:つねちゃん
at 06 :38
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宝くじの夢
今年の年末ジャンボの1等(前後賞を含めて)賞金がとうとう10億の大台に乗るのだという。
夢は「大きいことは良い事だ」とばかりの勢いなのか、それとも「景気の悪い時には大ばくちが流行る」と言うことなのか。
今までは四季のジャンボに類する宝くじは殆ど買っていたが、ここ数年は年末ジャンボだけにしている。
勿論だからと言って大金をつぎ込むわけではなく、大きな夢を目指す「連番」と単発狙いの「バラ」を10枚ずつである。
夢は勿論高額当選だけれど、実は別の夢もある。
「ここから1等が出たんだよ」と言うことで、地元の売り場に人が集まることである。
だから、従来から浮気は無いとは言わないけれど、少なくとも90%以上は地元の小さな売り場で買っている。
今年も同じ夢を見ながらいつもの小さな売り場で買うことにしている。
明日からシルバーウィークだとのことで、人並みにこのブログもお休みさせていただきます。
再開は24日です。
投稿者:つねちゃん
at 06 :08
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異分野ソフトの学習
前々からやってみたかったCADソフトの学習を漸く始めた。
随分前になるが、高校受験の時の第一志望は「建築科」だった。
滑り止めと言うか試金石と言うか、県立高校受験の前に、県下では相当有名な私立高校を受験した。
建築科は無いので、電気科。
いろいろあったが、並み居る優等生を差し置いて合格した。
中学校でも「お前の成績なら、建築ではなく電気へ行け」と言う指導があったので、親の意見もあり、結局電気科に合格、入学した。
以来建築の夢はほとんど消えかかっていたのである。
でも最近「ビフォー&アフター」と言う番組を見ていて、刺激されたのか、それとも長い間のIT業界でこのソフトがあるのを興味深く横目で見ていたからだろうか、ようやく始めることができたのである。
ところが、建築の基本的なことは何も知らないのだから、手こずる事夥しい。
でも、放送大学では未知の分野で学んだのが楽しかったけれど、今度は「設計図を描くという、実技」があるのだから、遣り甲斐はあるというものだ。
目的は現在の家の設計図をパソコンに入れることで、次は、改築前のもの、そして、引っ越す前の家(売り家だったと聞く)を再現することである。
長い楽しみ(もちろん苦しみも)の学習になりそうだ。
投稿者:つねちゃん
at 08 :21
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嬉しい悲鳴
本当に「嬉しい悲鳴」なんてことがこの世にあるのか知らなかった。
ところが、この季節にばったり遭遇した。
なんという嬉しい事か。
もったいぶらずに言うと、連日朝夕約30−40個の栗が収穫できるのである。
最初のうちは小さな毬(いが)が自然淘汰の結果だろうが、ポツポツと落ちていたので、去年と同じようにあまり実らないで朽ち果てるのだろうか「桃栗3年と言うから、5年目なのだからそろそろ取れてもいいはずだがなぁ」と心配していた。
勿論小さな毬の中には食べられるものは全くなかった。
ところが、数日畑へ行かなくて、天候もあまり良くなかったので、忘れていた。
他の野菜も天候不順もあってあまり期待できるものではなかったせいもあった。
ところが、久しぶりに行ってみると、上の方の毬がもう沢山割れている。
高枝切で落としてみると、美しい茶色の大きな実が入っている。
最初の日は20個だったので、それで満足して、早速茹でて家族で食べた。
ところが、それから1週間もすると「毬を落とす」作業は殆ど必要が無く、落ちているものを拾うだけで、前述の如くの収穫である。
勿論最初のうちは「嬉しい」だけで「悲鳴」などは出なかったが、それが今日まで約4週間も続くと、さすがに我が家だけでは消費できなく、そこらじゅうに配って回ってもまだ収穫が続いている。
まさに「嬉しい悲鳴」の連日である。
自然の恵みに大きく感謝。
投稿者:つねちゃん
at 06 :38
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自分が傀儡だと認めた総理
ニュースと言うのは、前にも言ったが「らしきショー」である。
災害なども、時局のアピールが先で、いかに劇的なシーンを伝えるかが、最大課題であろう。
政治に関するニュースもそうであり、正直なところあまり真剣になってみている訳ではない。
NHKは国会前のデモには一言も触れようとせず、実際は知らないけれど、戦時中の「大本営発表」を中心に与党へのヨイショ内容に終始し、出来ればそれから目をそらせるような仕方である。
そんな中で、昨日の某局のニューストピックスでは、答弁しようと用意した(された)原稿を探し回り「時間がかかっても私の時間だから」と言い訳をして、結局答弁できなかった姿が映し出されていたのには、笑いを越して怒りさえ覚えた。
これで「私は傀儡ですよ」を表明したわけである。
何とも情けない限りである。
では、その「傀儡子」はいったい誰なのだろうか。
黒幕として表面には絶対に出てこないのだろうが、難しい推理小説を読み解くようなものである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :09
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人生が何度もあったらつまらない
何で読んだか思い出せないけれど「いろいろな人生が味わえるなら、さぞかしし楽しいだろうなぁ」と言うのがあった。
なぜ思い出したかと言えば、そのきっかけは箴言のメールマガジンで、弓道の師範が言っていた言葉に出会ったからである。
「初心者には1本の矢しか渡さないほうが良い」と言うのがあった。
弓道自体は知らないから、何本を持つのが正しいのかは知らないけれど、その師範は「次の矢に期待するからだ」と言う。
楽しむための人生か、目的達成のための矢かに違いはあろうけれど、根本は同じではないだろうか。
「ここ一番」と言う踏ん張りが「次があるからいいや」では、同じことをしていてもつまらなくなるだろう。
良い人生も悪い人生もある、と言う方もいらっしゃるが、「良い」「悪い」はだれが決めるのだろうか。
結局自分が決めるしかないのだろう。
だったら「これも試練で自分を教育してくれているのだ」と思えば、良く感じることができるのではないか。
昔好きな言葉に「艱難辛苦我に与えよ」と言うのがあった。
確か山中鹿之助だったと思うが、と言うことはまだ貸本屋をしていた小4くらいの頃だったろうか。
投稿者:つねちゃん
at 05 :56
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そうまでしてTVに映りたいのか
昨日各地の豪雨被害を伝える番組で、どうにかしてTVに映りたいとの気持ちなのだろうか、私にはふざけた格好と動作にしか見えない輩がカメラを追っている。
場所は新宿。
彼(と見られる)は果たしてこの被災状況をどう感じているのだろうか。
自分さえよければいい、細う風潮がまかり通りつつある。
これは本人の問題だけではなく、親のしつけ(躾、と言う国字が大好きである)もさることながら、近所のオジサンオバサンを含めて環境がやはり良いとは言えないのではなかろうか。
カメラは何とかレポーターと周りの状況を伝えようとしているのに、まさに「水を差す」ような状況である。
しかしながら、他所のことばかり言っておられない。
この夏あった我が町のお祭りでも、奇抜な格好をして男か女か分からない人がギターを持って歩いていた。
我が町も都会の環境に毒されているのだろうか、と思うと自分も責任は無いのかと問われているようで、恥ずかしくなる。
投稿者:つねちゃん
at 07 :59
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意識して少しだけ変える
「茹でガエル」についてはこのブログでも何度も紹介している。
今回はむしろその逆ではないかと思って起稿した。
朝起きてから、まだ頭がはっきりしていない時に、すぐに始めるのが「ルーチン運動」である。
現在はお腹さすり、のの字書き、足上げ、足捩じり、腹式・胸式呼吸。さすがにこれだけやれば、さほど体を動かしていないけれど大分頭がすっきりしてくる。
起きてから、腹筋運動を20回して、スクワット20回、肩くるり10回、脹脛伸ばし10回とエキスパンダーを胸開き、左右腕上げを各10回、これを2ラウンド行っている。 いやいやその紹介ではなく、それらの種目(?)の中でも少しずつ「意識しながら」変えているのである。
最近の変化は、エキスパンダーの発条(ばね)を2本から3本に増やしたこととだろう。 身体にはあまり意識させず、頭の中ではしっかりと意識させながら変えるのである。
これは、身体を「茹でガエル」宜しく、騙しながら少しずつストレスを増やしていくのである。
どこがどう良くなるか、と言うことは二の次、三の次だけれど、そんな意識をしながら少しずつ変化させていくのが楽しい。
投稿者:つねちゃん
at 06 :23
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民話で考えさせられた
父の残した本の中に民話があり、就寝前読書として1話ずつ読んでいる。
殆どが勧善懲悪や正直の頭に神宿る的なもので、楽しく読んでいる。
ところが、先日読んだ話には少し考えさせられた。
上越地方の昔話と紹介されている「三度栗」と言う話である。
短い話だから、ネットで探して読んでもらいたい。
子どもが「年に三回成ってくれればいいなぁ」と言い、恵んでもらった坊様がその願いを叶える、と言うものだ。
これをどう読みこなすかで、その人に人生が変わってくるのではないかと思ってしまった。
人生が3度あればいいなぁ、それならいろんなことに「命懸け」で取り組むのに、と言うのと比較するとどうだろうか。
前世、来世は知らないしあまり知りたくもないが、人生は一度だからこそ物(命)を大切にするのではないだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :17
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株価が買った時の倍額に
リタイアしたときに「株主還元」の魅力である食品会社の株を購入した。
あれから10数年になり、毎年1万円分のクーポンを頂いている。
株を売り買いすることにはほとんど興味が無いから、株価の上下にはほとんど無頓着である。
そんな時、久しぶりに現在の株価が目に留まり、驚いた。
ナント、買った時の約倍になっているのである。
株で一時期羽振りの良かった友人が「そんな時こそ、売って別の株を買うんだ」と言っていたことがあるが、そうなると目的は全く違ったものになるから、それは絶対にやらない。 初志貫徹で「株主優待」を何時までも中心に置きたい。
ばくちは時折のパチンコで十分である。
投稿者:つねちゃん
at 05 :32
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仏教関係の本
就寝前読書として、ここ何冊か続いているのは、仏教関係の本である。
読書しているから理解しているかとと問われれば即座に答えられるのは「ノン」である。 でも、何か理解できないながらも「それに似たようなことがあったかもなぁ」と思ってしまうのが楽しい。
もちろん有名無名の菩薩様や禅僧、ましてや釈尊などと同じ考えなどもてようはずもないのだから「気がする」だけである。
それでもなんだか楽しい気分になれるから、難しく理解しようとするのではなく、仄々と感じているだけでも良いのではなかろうかと思っている。
元々「就寝前」は「飲んですぐ寝る」のが健康にあまり良くないことの改善のためだから、それだけで得をしているのだから、それ以上に欲を出してはいけなかろう。
投稿者:つねちゃん
at 06 :15
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ひとつ覚えりゃ一つ忘れる
この夏の暑さも一つの原因だろうが、基本的には加齢のせいだろうけれど、「二つ覚えて行けば、一つを忘れる」と言うことが度々おこった。
幸いにして致命傷と言うようなものは無かったのだが、最初は「そろそろボケが始まったか」と正直思ったものである。
でも、何度かあったけれど「慌てない」とその都度自分に言い聞かせて忘れたことを思い出しているのだから、それをやればいいのだと思うことにした。
慌てて違ったことをやったり、やること自体を無理に忘れてしまうよりは、よほど健康的だと思うようにした。
なぁーに、リタイアした現在、忘れたからとて、そんなに迷惑がかかるようなことではない、と楽観を決め込めばいいのだから。
投稿者:つねちゃん
at 08 :10
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茶渋
まだ少し暑い日が続くが、猛暑続きのこの夏は、麦茶にずいぶんとお世話になった。
最初は沸かして出すものを使っていたが、沸かして、しばらく置いて、冷やして最後には冷蔵庫で冷やす、と言うことが面倒に感じられて、結局「水出し」を使うようになった。
前日に容器に入れて冷蔵庫に保管しておくと、翌朝から冷たいものが味わえる。
これの繰り返しだが、外出にも氷をたっぷりと入れた携帯用のポットに詰め替えて持参する。
暫く使っているうちに「茶渋」が気になってくる。
気になった時点で「すぐやる課」ではないけれど、スポンジで綺麗にすると、美味しさと気持ちよさが加わり、より一層美味しく飲めた。
これから徐々に暖かい番茶やほうじ茶になるけれど、茶渋だけは気が付いた時点で綺麗にして飲みたい。
投稿者:つねちゃん
at 06 :42
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炒飯にいろんな食材を
健康食材にはいろいろなものが目的に沿ってある。
でも、調理方法がよく分からなかったり、難しかったりするものも結構多い。
河豚は食いたし、ではないけれど、季節に応じた新鮮な食材で自分の健康には良いことが解っていても、そんなことで避けてしまうことが無いだろうか。
そんな時にお薦めなのが「炒飯」である。
殆どの場合、
?生のものを刻んで
?最初は弱火で食材が満遍なく混ざり
?洋風、和風、中華風のその日の好みの味付けをしたものに、
?ご飯を加えて最初は「混ぜ合わせる」ことを目的に弱火で
?混ぜ合わせが終わったら少し油を足して
?強火で一気に仕上げる。
これで完成。無理なく美味しくいただける。
投稿者:つねちゃん
at 06 :43
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