線香を点す
3種の香りのする線香を日ごとに替えて部屋に居る時に灯している。
以前にも紹介したが、聞香などと言う高尚な趣味は持つ気もないし、持つ経済力や心のゆりもない。
さながら「貧乏人の風流」と行った所だろうと思っている。
でも、間違いなくいい香りで気持ちよくなる。
100均で約350本ほど入ったものが売られているので、1日3本焚いても3か月、それが3種だから、灯さない日もあることを考えると約1年300円(税別)で楽しめるわけだ。
これでもう数年間、大体バランスよく使った来たけれど、今月(明日まである)中で「日毎」と言うのを変えることにしている。
3種をコップの中に入れて、ランダムに取り出して、その各々の香りを楽しもうとしているのだ。
今までは「この日はこの香り」としていたのだが、来月からは「この時はこの香り、残り香があってもいいじゃないか」と言うことである。
はてさてどんなことになるか分からないけれど。
なぁーに、駄目だったらまた元に戻せばいいのだから、楽しい変化である。
投稿者:つねちゃん
at 08 :37
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女性は面、男性は点
いささか尾籠な話ではあるが、座り小便の話は以前にもしたし、現在も我が家ばかりではなく、それなりに心地良いトイレが拝借できて、小用で少し時間が掛っても訝しがられたりしない様な所(具体的には、最近あまり行かなくなったもののパチンコ屋、デパートや大型ショッピングセンターなど)では、できるだけ励行している。
我々年代の男性によく言われる「加齢臭」の一環もこれを励行することによって少しは軽減されるのではないだろうかと勝手に思っている。
そこで思いつくのは、男性は、点を拭けば事足りるので、ペーパーも少なくて済む。
ところが女性はその構造上、どうしても面で拭かなければならなくなり、その分トイレの使用時間が男性と比べると長くなっているのではないか。
最近では、外国をはじめとしてトイレの男女別を廃止するような所もできていると聞く。 それなら高速の休憩所などでアンバランスな列ができなくてもよくなるし、スペースの課題はあるけれども、男子用便器とと言うもの自体を廃して、すべて個室にすればいいのではないだろうか。
馬鹿な発想とは思いつつも。
投稿者:つねちゃん
at 08 :51
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びっくりしたなぁー
最近では地域局の企画・制作のTV番組が多くなってきて、それなりの興味をそそっているが、それでも多くの番組がキー局と言われる在京の局から提供されているのが実情である。
大好きなサスペンスドラマもほとんどがそれである。
そんな時に「TVer」と言うネットでの番組が見られるということを知った。
CF(コマーシャル)映像はほとんどそのままで、ビデオ録画してCFは飛ばしてみる私には少し煩わしいが、それさえ我慢すれば、地方局が選択せず(出来ず)に見られなかった番組が見られるのである。
それも現時点では無料で。
それが見られる携帯やスマホは持っていないが、PCでも見られるのだから、便利である。
Radikoと言うのが始まった時にも、実験段階だったのかどうか知らないけれど、全国の番組が聴けた。
課題はあるだろうが、居ながらにして旅行気分が味わえる地方局の番組も見られるようになってほしい。
投稿者:つねちゃん
at 09 :13
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ベランダの気温8.5℃
ベランダ菜園と言うほどのこともしていないが、温湿度計を置いて最高/最低を記録している。
今季初めて8.5℃と言う一桁の温度を記録したので、驚いた。
確かに寒かったけれど、一桁とは気が付かなかった。
あの猛暑、酷暑の時から考えれば有難いのやら、来たるべき冬将軍のことを考えると怖いのやら、複雑な気持ちである。
でも、考えたら、体感温度としてはそんなに寒くは感じられない。
こんなことで寒がっていては、それこそ本当の冬の季節は耐えられないだろう。
そんなことから「数値が身体を敏感にさせている」と思った。
リタイアした後は「些細な事でも一喜一憂しよう」と言うのが一つの身上だけれど、それが「数値」と言うのはやはり一つの職業病だろうか。
むしろ「実体感」で一喜一憂したいものである。
投稿者:つねちゃん
at 12 :41
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読書感想
毎朝の音読で1日1項目としてやっていた「『からだと心』のリラックス法」 (三笠書房刊 丸野 廣 著)という本を読み終えた。
読んでいるときには「うん、そうだ」と言うことも「いやいや、それじゃだめだろう」と言う感想を持ちながらだった。
先日毎年恒例のOB会があり「何時までも元気だねぇ」と羨ましがられているのか、揶揄されているのかは別にして、先輩や同僚、かつての部下などから同じ声を聞いた。
本人としては、十分に満足である。
しかしながら、本にある通りではないけれど、私もそれなりにいろんな方法で「リラックス」させてきたのである。
何度もの転勤、北海道から九州までの出張。
プロジェクトも違うし、当然その抑えるべきポイントも違うし、工程ごとに指摘することとも違うし、協力会社との関係も考えなければならない。
家族と一緒の時には「時代遅れ」と言う歌の歌詞ではないけれど「酒場の隅に置いてくる」こともしばしばだった。
単身時代は人知れず涙とヤケ酒で鬱憤晴らしもした。
我が身のことだけでなく、そんな表面上の態度が変な信頼を持たれたのか、出社拒否症や仕事に対する自信を喪失した同僚の世話も見させられた。
でも、幸いにして、根が楽天的なのか、健忘症だったのかストレスは長続きしなかった。 本で紹介されている「ストレス不感症」ではないと思っているが、できればこのまま過ごしたいものである。
投稿者:つねちゃん
at 10 :52
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カフスボタン
在職中はほとんどの場合シャツにはカフスボタンを使用していた。
昔の唄の「洒落男」ではないけれど、それが一つの田舎者の「かっこつけ」だったのだろう。
でも、たまたま研修所時代に習い覚えたダンスで、いくつかのホールを経巡った時でも、男性は殆どそうだった。
また横道にそれたけれど、リタイア後は不祝儀の時だけ家紋のカフスを付けることにしているが、それ以外は滅多に付けることはない。
それこそ「断捨離」の対象になるものだけれど、それぞれに想い出があるので、なかなか手が付けられないでいる。
先日から朝は大分寒くなったので、普段着として断捨離の対象になっている長袖のシャツを着る様にしている。
その時袖口のボタンが無かったので、よく見るとカフス専用のシャツだった。
それで、カフスボックスから一番安物を付けることにした。
ところが、この安物で面白い話を思い出した。
カフスなどと言うものは、これ見よがしにするものではなく、袖口から「チラリ」と見えるものである。
この安物は「チラ見」では「桃色珊瑚」細工に見えるものである。
大して気の張る場所ではなかったのでこれを付けて行ったのだが、ある人間が目ざとく見つけて、その場では何も言わなかったのだが、後日とんでもない尾鰭がついた話になり、私がとんでもないものを持っているのだとの話になっていた。
そんな安物のカフスである。
なぁーに、プラスチック製であり、止め金具はブリキ細工的なものである。
だから、畑仕事にでも気兼ねなくつけて行ける。
投稿者:つねちゃん
at 09 :17
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就寝前の水分排出
メタボ解消はしたいが、美味しいお酒は毎晩飲みたい、という矛盾した希望を願いながら、遅々として進まない解消に向けて、それなりに楽しく苦しい毎日である。
お酒の種類は数あることは知っているし、本社勤務時代、北海道から九州まで(残念ながら観光では出掛けたことはあるが、沖縄は仕事で行ったことは無い)かなりの頻度で出張していたので、全国のお酒(禁制品の濁酒(ドブロク)などを含めて)を楽しんだ。
外国出張も3度あり、本場のものもそれなりに飲んだ。
特に美味いものばかりではないけれど、地元で飲む焼酎と全国販売されている焼酎が違うように、本場で飲むものはやはり違った。
話を本来に戻して、毎日飲むのはウィスキーである。
日本酒だと高くつくのである。
で、水やお湯割りで飲むのだが、今年くらいから「就寝前読書」で寝る前にアルコール分の排出は難しいようだけれど、水分だけは尿として大分出せるようになった。
そのせいで、継続睡眠時間が今のところ2時間は長くなっている。
健康に直接役立つかどうかは分からないけれど、本人としては少し満足感を味わっている。
投稿者:つねちゃん
at 06 :42
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スーツ着用
年の何回かスーツを着用する機会がある。
慶事で着用することはもうほとんどないが、弔事は残念ながら何度かある。
それは別として、恒例行事でのスーツ着用である。
先日も短い間に3回もあった。
尤もそのうち1回は「今年だけ」と言うものだったので「恒例」と言うものではなかったのだが。
リタイアしてからは、スーツの新調は3年に1着と決めていたのだが、それも2期まではやったけれど、必要性と言う意味ではほとんど感じられなくなったので、もう数年間新調はしていない。
でも、そんなに高価なものではなかったとしても、家内の見立てでしっかりしたものを買っていたのだろう、型崩れもしていないし、太って着れなくなるものはあるにしても、まだほとんどのものが着用可能で、そんなに不恰好(何を着ても格好良くはならないのだが、それは差し引いて)でも流行遅れでもない(と自分では思っている)。
ただ、ネクタイだけはどうにも長持ちしないようである。
そんな時に、久しぶりに会った同僚が「アスコットタイ」と言いものを格好よく着用していた。
これから研究してみよう。
何とも楽しい服装考察である。
投稿者:つねちゃん
at 09 :07
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冬物の入れ替え
先日は着るものの夏冬物の入れ替えを行った。
押入れ箪笥が奥と手前で構成されており、3段になっている。
上段には外出用のシャツなど、中段には、在宅用の気の張らない服などで、下段はズボンを主に下半身に付けるものである。
下着としてのシャツやパンツは別の所に収まっているので、これは洗濯の関係があるので家内にお任せにしてある。
これで終わった、と思っていたが、忘れていたものがあった。
帽子である。
幸いにして加齢で細くはなったけれど、それなりに本数は維持している髪の毛なので、必ずしも必要なものではないけれど、好きな衣類の一つである。
スッポリかぶる毛糸のもの、一応鍔のある矢張り毛糸のもの、外出用に身につけても変ではない(と思っている)ものが2種類ある。
夏にお世話になったものは感謝して仕舞った。
帽子は一線の時には全く活用しなかったけれど、リタイア後に購入した物ばかりである。 でも、お払い箱にしたものは、今回は一つだが、結構みんな長持ちしている。
投稿者:つねちゃん
at 07 :40
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五劫の擦り切れ
このタイトルだけだと、落語「寿限無」を思い出すのが至極当然なのである。
今回思ったのは、消しゴムである。
鉛筆を使っての書き写しは、右手でのものだが、大体毎朝起きてすぐに約400字くらいの書き写しをしている。
ちなみに左手での書き写しは約200字くらいで、使うのはボールペンを使っている。
慎重に間違いないように気を付けながら書いているのだが、どうしても書き間違いはできてしまう。
そこで消しゴムを使って間違いを丁寧に消して書き直すのだが、多くても10文字を超える間違いは滅多にないので、消しゴムもわずかしか使わない。
これでこのタイトルを思い出したのである。
天女ならぬ「書き間違い」と言うお客様が時折訪れられて、擦って行かれるのだから、小さな消しゴムがなかなか減らないことは、まさに「五劫の擦り切れ」(勿論長さの単位は天地ほど違いがあることは理解しているつもりだが)に近いものがある。
断捨離が今年の一つの目標だが、この消しゴムはなかなか捨てられない。
投稿者:つねちゃん
at 06 :27
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散歩は薄着で
体重は徐々に減少しつつあるのだが、目標までにはまだ大分差がある。
ところが、昨年と比べるとなんと1Kg前後増えているのである。
これはどうしたことか。
自分の不注意で一昨年から昨年の先月までの日記が全く飛んでしまっていたので、一切の記録が残っていなかったのだが、昨年の今月から読み直してみると、雨天や外出で出来ない時を除いて、必ず散歩をしていることである。
で、起きてすぐの室内運動よりは、減量効果が高いだろうということでおっとり刀でまたぞろ散歩を始めた。
今月に入って暑い日があったり、寒い日があったりしたので、最初の日は真夏ではないけれど、半袖のTシャツ1枚で出かけた。
矢張り寒い。
次の実行日はその反省でしっかり着込んだが、汗がだくだくで参った。
で、最近ようやくその日の気温をネットで調べて「少し寒い」くらいの服装で出かけることにして、ようやく慣れてきている。
結果として「薄着」になるのだが、身体的には快適である。
でも困ることが一つある。
それはポケットのあるものを着られない、と言うことである。
ウエストポーチも使ってみたけれど、途中のウィンドウに映る姿はあまり良くない。 で、釣りに行く時用に買っておいた、メッシュの袖なしジャケットを着用している。 これは多くのポケットがあり、かなり有効だ。
基本的に小銭があればいいので、財布は持たないが、携帯(歩数計)、メモ用紙と筆記具、カメラ、ラジオ、低血糖にならないための予防として飴玉2個。
これで約1時間以内を目指している。
効果はまだ表れていないけれど、せめて去年と同様くらいにしなければ。
投稿者:つねちゃん
at 08 :39
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秋冬野菜
大根をはじめとして、蕪、春菊、ほうれん草を今年の冬物野菜として種まきから育てて楽しみにしている。
大根と蕪は、何度か経験しているので、さほど戸惑うことが少ないけれど、これから鍋のシーズンに合わせて重宝するのが、春菊とほうれん草である。いずれも経験いまだ浅く、というので心配がある。
どちらも「虫が付きにくい」と言うことで、取り組んでいるのだが、春菊はそこそこ期待通りであるが、今まで何度も挑戦して失敗ばかりだったほうれん草が、先輩諸氏の指導を頂き、ようやくそこそこ成長している。
今年久し振りに先輩から「どうせ植えないから」と言うので貰った白菜の苗が、かなり大きく育って居る。
今まで、何度もやってみたけれど、結局人間の食べ頃になる前に、しっかりと「虫の巣」になってしまっていたので、やらないと決めていた野菜である。
今年は、作ってしばらく忘れていた「唐辛子入り木酢液」が功を奏しているのか、全く虫が寄り付いていない。
自分が発見できないだけではなく、葉が食われていないのである。
大根があり、蕪があり、ほうれん草、春菊、白菜、大分前に植えた葱。
これだけあれば、鍋物の野菜にはしばらくは困らなさそうである。
投稿者:つねちゃん
at 09 :36
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なんだかやる気が見えない野党
野党共闘と言うものは、やっぱり駄目なのだろうか。
最近の野党のいろいろな方の発言や行動を報道で見聞きしていると「揚げ足取り」にばかり終始していないだろうか。
「一億は無理だ」「何をやるのはさっぱりわからない」「細かいところで違うから」「野合呼ばわりはされたくない」などなど。
与党のやり方には到底賛成できないけれど、ではだれを選べばいいのか、と言われると、選ぶ党や人が見えてこないではないか。
それで一部の政党以外は「助成金」と言うわけのわからないお金をもらうために「党」を組んでいるのならば、その制度自体を破壊すべきだろう。
荒唐無稽のことを言えというわけではないが、しっかりとした対案を準備して、一時期「流行」だったシャドウキャビネットを作って、姿勢を示すべきではないのか。
投稿者:つねちゃん
at 07 :39
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立方体2個で31日まであらわす
使っている人には何ら難しい問題ではないが、何もなくてこの問題を出されて分かる人は、相当頭が柔軟なんだろうと思う。
これはむしろ問題が先にあり、回答を見つけたからではなく、全く逆で気が付いたことである。
でも、少し考えてみると「へぇー」と言う気持ちになるから楽しい。
回答としては「6」と「9」を一つに見立てて使うことである。
単純に12面あるのだから、簡単じゃないかと思うと、とんだドツボにはまってしまう。 11日、22日があるからだ。
勿論「0」は二つはいらないけれど、表示しないというわけにはいかない。
答えが解ってしまうと「なんだ詰まらない」と言うことになってしまうけれど、こんなことでの「気が付く」とおもしろい。
投稿者:つねちゃん
at 05 :55
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あなたは素晴らしい
リタイアして10余年。
最近では、同じようにリタイアした人といろんな場所などで会うことが多くなった。
こちらが知らないで、向こうが知っている場合や逆の場合があるが、出来るだけあまり気を使わないで会話するように努めている。
「務めている」と言うことは「十分にできていない」と言うことであることの証明であり、反省でもある。
少し前までは、相手の言うことに感心した風を装いながらも「俺も似たようなことをやってきた」と自慢比べではないけれど、そんな会話を自覚していた。
ところが、最近はそんな事態をほとんど感じなくなった。
これは加齢による「不感症」ではなく「へぇー、そうなんだ。凄いことをなさいましたね」と言うことにしているから張り合う気持ちが無くなったということだと自分では思っている。
なんでも「前向き」に考えるようにしている自分としては、特別な外連味もなく、素直にそう思っている。
いや、そう思う方が楽だし、場合によっては有り難い教訓を得ることがある。
これからも、誰に対しても(たとえそれが孫だったとしても)素直に聞いて褒める様にしたいものである。
随分前には「鬼〜」と言われた自分がなんだか楽しくなっている。
投稿者:つねちゃん
at 08 :25
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政治に関心がない訳ではないが
他人からすると少し早めにリタイアした当時、よく言われたのは「悠悠自適で、太平楽だね」と言う言葉だった。
我が身を思えば、それなりに葛藤があり、家内にも相談せずに決めたことだったが、それから10余年経って、結果として「良かった」と思っている。
そんな中で、時折言われた言葉に「まるで世捨て人だね」と言うのがあった。
言い方は直接的ではなかったにしろ、やっかみも入っていたのだろうが、大概は「そしり」の類のように聞こえた。
初めのうちはむきになって反論したけれど「人の口に戸は立てられぬ」と「そうですね」と聞き流すことにした。
自分としては、決して「世捨て」をした気持ちは無く、このブログでも時々政治ネタを書くことがあるし、新聞投書ではそれなりに意見を言わせていただいている。
今回の組閣についてもそれなりの意見は持っているが、残念ながら常に付きまとうのは「天唾」と言う言葉である。
それでもわずか1票だけだけれど、政党に操られるような人でない人に投票したい。
投稿者:つねちゃん
at 06 :37
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孫の学習発表会
発表会の予行にも来てほしいと言われ、今年小学校最後の発表になる頭の6年生のクラブ活動と劇を見に行った。
そして本番は妹の4年生の音楽演奏と頭の予行でやったものを見た。
クラブ活動は手品クラブで、予行の時の失敗や細かい演技指導も咀嚼しての上手なものになっていた。
音楽演奏は、歌、鍵盤ハーモニカ、笛と最後はオルガンの受け持ちで、真剣さが滲み出たせいか笑顔を終わるまで見せなかった姿に少し感動。
そして劇は細かいことは爺の欲目で見逃すにして、個人としてやチームとしての行動と最後の「翼をください」の合唱が何かしらジーンときた。
絵や塑造などの作品も「ここに苦心しました」などと書かれており、しっかりとしたものになっていた。
下はまだ小学校が続くが、上は来年中学生になり、「来てね」と言うだろうか「絶対に来ないで」と言うか、いずれにしても興味津々である。
勿論「来ないで」でもこっそり見に行く爺である。
投稿者:つねちゃん
at 09 :14
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孫の運動会
今日、明日と孫の話題が続くことをお許しいただきたい。
「年中さん」と言うクラスになり、去年もやったからもう慣れっこになっているようで、全く物怖じしていない。
それでも4人の爺婆が来てくれているのを認めると、それなりにはしゃいでいる。
好き嫌いなく良くものを食べるので、同じクラスの子と並んで行進すると、頭一つ大きく直ぐに目につく。
何時もは終始カメラマンだったのだが、今年はカメラの電池が途中で切れてしまったので、後半は単なる観客になった。
一緒に手も叩き、笑いもし、声援もする。
手書きの招待状にも「いっとうしょうになるよ」と書いてあった通り、駆けっこは一等賞だった。
リズム運動でもマーチングでもきびきびしていながらも十分楽しんでいるようだ。
天気も良く、微笑ましい姿が爺婆には何よりのプレゼントだった、ありがとう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :41
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妥協だらけの人生
何時もの様に決して「後ろ向き」な考え方ではないけれど、先日「このくらいでいいか」と言う勝手な決め方をしたものが立て続けに3件ばかりに遭遇した。
他人様に言うほどの出来事ではなく、思い出そうとしても1件だけしか思い出せないものだが、その時に思い付いたのがこの言葉である。
思ってみれば、団塊の世代として、いろいろな「狭き門」をそれなりに努力して通り抜けてきたと思っているし、一つの誇りでもある。
そんな時には「妥協」なんてことは思いもしなかったし、出来なかった。
他人様からあれこれ言われるから、と言うこともあったけれど、自分自身に許せなかったのだろうと思う。
ところが、課長職を経験したころから、ある意味では「大目に見る」と言う癖が身について「妥協」を認めることになった。
リタイアした現在、それが自然に身に付き、意識もしなかったのだろう。
でも「前向き」なのは「これからは意識しよう」と言うことである。
無意識に妥協するのでは、大嫌いな「済し崩し」になってしまうから、それだけはやめたいと思っているのだから。
意識して、適切なところで引き下がる、これもまたいいではないか。
投稿者:つねちゃん
at 09 :55
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断捨離の言い訳
今年も今月を含めてあと3か月になった。
今年の目標の一つに「断捨離」がある。
わずかずつではあるが、不要になったものは適宜処分しているつもりだが、根っからの貧乏性なのだろう。
「まだ使えるから使ってから捨てよう」になってしまっている。
で、言い訳である。
「何も無駄に捨てる必要は無く、使えるだけ使ってから捨てればいいじゃないか」。
正直、もう10数年前に亡くなった父の使っていた鉛筆も、先日ようやく使い切った。
ただ漫然と無くなるのを待っていた訳ではなく、書き取りと言う作業で使い切ったから、それなりの充実感はある。
読まなくなった、読み切った本は、ある団体に送料こちら持ちで送らせてもらい、感謝の返事まで頂いた。
プラ容器などは、本来の食べ物ではなく、雪囲い用のねじや道具入れに使っていて、もう3代目になっているものもあり、前代の物は市の処分日に出している。
そんな訳で「無駄に捨てている」訳ではなく、十分に活用したうえでの処分であり、いささかの満足感がある。
今年の目標には及第点までは行かないと思うけれど、それなりに精神は失っていないから、と言う言い訳である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :17
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エネルギー
台風の季節もそろそろ終わりなのだろう。
それに伴って発生することが多いのが雷であろうか。
この時節、今でも時々耳にする話題が、それらの持つエネルギーである。
最近は「原発何基分」とかと言う例示が聞かれる。
確かにいつかはそんなことができるかもしれないが、現在の私の知識では「絶対に出来ない」と思ってしまうのである。
少し前の映画の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で活用するシーンが出てきたが、あれなどは場合によっては考えられなくもないだろうけれど。
そのどちらも「瞬間」のエネルギーでしかないのである。
雷の場合は、静電気が一番いい例である。
制御もできなければ、貯めておくこともできないものである。
この歳になっても色々な夢を見がちだと他人様から言われるれから、まだまだ「夢多き年寄り」ではあるのだが、この被害を起こすようなことをエネルギー換算することだけには気が立ってしまう。
そんな意味でも現時点では原発反対である。
投稿者:つねちゃん
at 08 :10
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