2018 年4 月30 日
2018 年4 月29 日
「小さな幸せ」感じて生きる(11/27に採用された)
21日付の「今日の言葉」と「ほんでいいがや」に共鳴した。 まさに、私の思っている通りである。 「きょうの言葉」では、「なんのために生きているのか」という問いに、かつての偉人が多くの言葉を残しているが、とてもまねなどできる私ではない。 だから「生きるために生きている」で良いのである。 リタイア後は大きな目標も無く、毎日が「小さな幸せ」を感じながら無理せず生きている。 また、「ほんでいいがや」では、「同じ日々が続いているだけで幸せ」にも同感である。 同じような日々の中で、小さな「昨日と違う良い事」を探しながらも、肩に力が入らずに生きていられれば、これほどの幸せな日々はないだろう。 「今日の言葉」と「ほんでいいがや」は、富山新聞掲載のコラムです。2018 年4 月28 日
家族からいろいろな「苦情」(2017/11/23に採用された)
家にいて「ぬれ落ち葉」のごとく生活していると、家族から、いろいろな「苦情」が持ち込まれる。 「タイマーの設定が違っている」。 調べてみると、先日電気の使い過ぎでしばらくブレーカーが落ちて停電したので、それが原因だった。 最初は「そんなこと知るか」と思っていたが、ほっておいても直る訳がないので、ブツブツ言いながら対処する。 それが、最近は「はいはい、私が悪いのよね」と文句も言わずに対処している。 思えば、現役の時には、私が家内や家族に対してそのように言っていたのではないだろうか。 反省は遅きに失していることを自分に言い聞かせながら、対応させてもらっている。2018 年4 月27 日
暖かい便座にホッ
この時期は、私にとっては非常に「風邪ひき」を起こしやすい時期である。 原因は分かっているのである。 いわゆる「ズボラ」だからだ。 冬服はもう片付けてもいいだろう。 一度に沢山出すと、家内の叱責が辛い。 「毎年言っているのが分からないの。洗う身にもなって考えてよ」と、私の「次工程は自工程」のモットーを逆なでする言葉が、辛いのである。 だから、順に出すから、2日に1着程度ということになってしまう。 ところが、三寒四温のごとくに気温が変わるのである。 合い物や夏物を着ている時にやってこられると防ぎようが無くなってしまい、風邪ということになってしまう。 そんな時、洋式トイレに座ると、こちらはまだ「冬モード」になっているので、「ホッ」とする。 必ずしも健康的ではないことは分かっているのだが、この快感を求めたくもなる季節でもある。 明日から「連休モード」に入ります。サンデー毎日の人間でも、偶にはのんびりとくつろがせていただきます。 で、いつもの通り「採用投稿」で埋めさせていただきます。 こちらは土日、祝祭日無しの「休みなく掲載」です。2018 年4 月26 日
衣笠選手、お疲れ様でした
基本的には「野球音痴」である。 家内が、いつの頃からは「広島ファン」になったのは、私が、仕事の第一線で、「夜討ち朝駆け」的な生活で、家族を顧みなかった時に、たまたま見た衣笠選手の奮闘ぶりだったからだと、つい先日聞いたばかりだった。 音痴とは言えども、好きな選手と嫌いな選手は、球団に関係なくあった。 自分がさほど成績が良くない田舎の工業高校卒だったせいか、長嶋や王選手、原選手などは、嫌いな選手だった。 同じ巨人でも、北陸という意味で松井選手は好きだった。 そんな中でも、この衣笠選手だけは「いぶし銀」というような凄味があったので、成績にはあまり興味がなかったけれど、好きな選手だった。 怪我でも連続出場、というほど私が頑張った訳では無いが、どうしてもみんなの意見を聞いたうえで、解決しなければならない期日が迫っている時、夕方6時近くになって、ようやく意見を取りまとめ、自分の意思も含めて決定して上司に報告に行った。 報告を聞いて了承してくれた上司が「もう前祝をしたのか」というので、「これからです」と言うと、「駄目だ、すぐに健管(健康管理所)へ行け」と車を手配してくれた。 計ると熱が39度近くで、すぐに点滴2時間の措置がなされた。 衣笠選手とは全く違うけれど、それなりに真剣だった自分がいた。 単身赴任中だったから、家族へ心配をかけることはなかったのが、救いだった。2018 年4 月25 日
どのように思おうが
先日、この歳にして自分でも恥ずかしい様な、誇らしい様な夢を見た。 どのように判断するかされるかは別として、基本的には「まだ男だ」と楽しく思うようにした。 どこだか分からない場所のある家(少なくとも我が家では無いのは、夢の中でも分かった)で、仲良くではないけれど(というのは、一人が泣いているから)私が、若い女性二人を相手に強姦的な行為をしているのである。 もっと、詳しく覚えているから、書けるけれども、さすがにそこまでは勝手なブログではあるけれども、書くに忍びないから止める。 最近は、さすがに毎朝「小便迄の命かな」ということはないが、それでも時々は元気な姿に自分でも驚くことがある。 偶に新聞の宣伝に「80までもまだ元気」という触れ込みで、それくらいの歳の男性に若い女性がしな垂れかかっているものがあるが、まさかにそこまでの元気はないが「思うだけ」なら罪が無かろう。2018 年4 月24 日
繰り返し技の魅力
過日家内と「キルトフェスティバル in 富山」を見に行った。 リタイアする前からの、家内の趣味であるが、一時期は「素人先生」ながらも近所ばかりでなく、乞われるままに教えさせて頂いていた。 家内とキルトとの「馴れ初め」は別途書かせていただくが、それはともかくとしてのことである。 ともかく今まで、横浜で開かれた国際フェスティバルにも同行し、偶々私が幕張での展示会に出掛ける時に、どこで探したか知らないが、東京までの展示会の見物の引率役、そして自宅近くでの展示会には、常に「アッシー君」だった。 それもともかく「門前の小僧、ナントやら」で私もそれなりに感想を持つようになった。 今回の出品作品の中に「三浦百恵」さんのものがあった。 ほとんどの作品は、基本は「シンメトリー」な図案が多い中で、少し違ったデザインだった。 しかしながら、今回の物は、多分であるが、殆どが「手縫い」のものだったのではないだろうか。 サイズの殆どが2m四方以上の物だったのに、それらの殆どに手縫いの後が残っているのが分かった。 デザインの凄さも勿論だけれど、その根気に脱帽するばかりである。 それを想うと、どれも優劣付けがたく、ただその魅力に包まれる楽しいひと時だった。2018 年4 月23 日
質素かもしれないが満足な朝食
ある朝の朝食をご紹介しよう。 勿論毎日続くメニューではないが、我ながら、表題通りの朝食だなぁ、と思ってしまった。 主食は頂いた「古代米」である。 ご存知かもしれないが、少しもち米が混じった腹持ちの良い米である。 それに振り掛けるのは、夜のお酒のつまみに煮干しを使っているのだが、頭と腸の部分は外しているので、その部分をミキサーにかけて、細かい粉末にして、白ゴマと少しの塩と私好みの唐辛子を混ぜたものである。 これに安い時に買って、1尾ずつアルミホイルに包んで冷凍保存していた干鰯1尾。 味噌汁は、麩に卵をとじたもの。 漬物は沢庵で、まさに「一汁一菜」である。 ところが、これで美味しくて動物性も植物性もそれなりに含んだバランスの良いものだと思っている。 最後には、味噌汁の上澄みをご飯茶碗に入れて、沢庵で茶碗壁のご飯粒や振りかけのこびりつきなどを洗って飲むと、「次工程は自工程」ということに少しは寄与しているのではないかと、お腹も満足、精神的にも自己満足の食事である。2018 年4 月20 日
意識と無意識
昔は、朝の嫌な行動の一つとして「歯磨き」があった。 便所(トイレ)の前の水が出る所(裏庭に出る時の場所で、主に泥の点いた靴などを洗う場所だった。当然井戸だったから、その度毎に「ガッチャン、ガッチャン」と汲み上げる必要があった)で、歯磨き粉(当時は練り歯磨きなど無かったか、有っても買ってもらえなかった)を歯ブラシに付けてするものだった。 だから、おざなりに「したぁー」と母に言ってごまかしたものである。 リタイアしてしばらくしてから虫歯に悩まされ、それ以来、歯磨きは「忘れずに」しており、ここ1年くらいは「歯間ブラシ」も使っている。 当然「洗面所」で行い「捻るとジャー」(これはもう死語だろうなぁ)で便利になっている。 それが今朝「えっ」と思った。 当然目の前に鏡があるのだが、自分の姿をいかに意識して見ていなかったか、ということにである。 加齢とともに変化が出るのは当然だけれど、遅ればせながら自分の顔を見乍ら歯磨きをすることにした。2018 年4 月19 日
楽しい園芸も獣との競争
先日プランターに長ネギの種を植えて、薄く覆土して、もみ殻を掛けて、綺麗にして陽の当たる所へ出しておいた。 今朝行ってみて驚いたのは、プランターは置いた場所と変わっていないのだが、中の土がひっくり返されていた。 多分これから芽が出て、苗に成長するのは難しいだろう。 大好きな葱だから、再度挑戦である。 犯人(獣)は、人目がある日中でも平気で脇を歩いている狸なのだろう。 「表面が綺麗になっている所には『何か』があるのだろう、いっちょほじってみようか」くらいの感覚なのだろう。 ご存じのように、葱の種は、体が小さい獣にとっても、とても「餌」になるほどの物ではない。 ほじくり返してみたところで、結果として何も得るものが無かったので、「意地悪しておいてやろう」ということだったのではないだろうか。 陽気に誘われて気持ち良く蒔いた種の後フォローをしていなかった私の負けである。 次回はしっかりとフォローをしておこう。2018 年4 月18 日
体調の変化は加齢のせい
狭い場所での胡坐で座った姿勢から立ち上がる時など、以前ほど「スッ」と立ち上がれなくなっている自分に気が付いた。 椅子を使ったスクワットを初めとして、それなりの貯筋運動を毎朝行っているので、それほど苦にはならなかったので、少しショックだった。 でも、立ち上がりの良い私としては、すぐに思い直して、「良い齢(ここは「とし」と読まないで、ぜひとも「よわい」と読んでほしい)を重ねているものだ、有難いことだ」と思う様にしている。 でも、ここからが「より大事」と思う様にしているのは、「だからしようが無い」とは思わずに、なにがしかの改善運動を考えることである。 実際にすぐにできる運動が見つからなくても、「諦めず、考え続ける」ということが脳活の一つであろう。2018 年4 月17 日
紫蘇味噌
私の役目になっている味噌汁作りだが、なぜか最近よく飲んでくれるようになった孫娘が、「今日の味噌汁は?」と聞くようになった。 具材が記憶にあったうちは、即答していたのだが、やはりいつまですすむも経っても「見習い」の身としては、それほど冷蔵庫の在庫を知っている訳では無いし、家内や娘が使う予定にしているものもあるので、それを邪魔すると後が怖い。 で、冷蔵庫の中を見まわしているうちに、家内が昨年夏に作ってくれていた「紫蘇味噌」を発見した。 珍しさが先になり、今朝炊いたご飯に乗せて食べてみたのだが、久しぶりということもあって、絶妙な味だった。 勿論後2−3回分しか残っていないが、今年も紫蘇はたくさん取れる予定であり、今度は家内の指導の下で、辛味を加えた私好みの物を作っておきたい。 肝心の味噌汁は、シンプルに若芽と卵のとじ込みとした。 勿論二人の孫は喜んで飲んでくれた。 二重の喜びである。2018 年4 月16 日
リフォームの番組は好きだが
我が家でも、母を見送り、孫娘が中学生になることを考えて、両親が居住していた部屋をリフォームして、サンルームと孫の個室にした。 高校進学の時に、建築科を一つの選択項目にしていたのだが、色々な情報を聞いて最終的に電気科にしたという経緯がある。 だから、在学中も「屋内配線図」ということには、かなり何枚も図面を書いたものである。 TV番組で「リフォーム」があり、好んで見ているが最近あまり興味が無くなってきた。 実は我が家のリフォームの時に、長い間我が家を2代にわたって面倒を見てもらっている大工さんに聞くと、とてもあんなに簡単にできるものではないという実態を聞いたからである。 それ以来、否定はしないけれど、「あれは着せ替え人形」と思いながら見ることにしている。 やはり「見ると聞くとは大違い」である。2018 年4 月13 日
数値を覚える
かつては「電話屋」だったので、結構多くの電話番号を覚えていたものである。 当時は、現職でバリバリの時ほどではないが、メモ魔の素質があったのだろうが、やはり物覚えが悪かったせいだろう、やたらと紙に書いて覚えたものである。 また、今の様に電話番号を記憶してくれる電話機が無かったからということもあるだろう。 電話番号については、やはり携帯があるので覚える気にならないのだが、、最近ふとしたことで数値を覚えることがある。 勿論それほど重要なことでは無いのだが、なんだか楽しい。 特に、時計がデジタルになってからの数値が楽しい。 2:34は「234,234は岡崎のカブ」などである。 ずらっと並べられないのは「楽しければそれでいい」、「覚えなければ」という気持ちが強くないからである。 先日も朝目が覚めたのは3:39だった。 これは、ずいぶん以前のテレビドラマに出てきた「飲み屋さんの名前」だったからである。 ここの女将さんが当時大好きな女優さんの一人だったから。 「散策」と読んでいた。2018 年4 月12 日
鋳物の身体
70歳を超えた今でも、かつての同僚や先輩、後輩から「いつまでも元気そうですね」といわれる。 正直、喜んでいいのかどうかよくわからないので返事に困ってしまう。 一つは「元気そう」という言葉に引っかかるのである。 「見た目だけの判断で、内実はそんなに元気では無いのではないか」という労りなのだろうか、と僻んでしまう気持ちもわいてくる。 かつては「鋳物の身体だから、行く時はころりと行くよ」と応えていた。 ご存じのように「鋳物」は外見上は物凄く頑丈そうに見えるのだが、ふとした弾みで壊れてしまうという話を聞いているし、昔よく世話になった石炭ストーブやだるまストーブの見事に半分に割れた物もよく見かけた。 何か「芯」のような所があり、そこが駄目になるとそうなるのだとも聞いたことがある。 私も多分そうなのではないだろうか。 ところが、その「芯の部分」がどこだか分からないのである。 わかれば、事前に予防ということも考えられるのだが。2018 年4 月11 日
また見つかった
最近の国会のやり取りは、いったい誰がシナリオを書いているのだろうか。 また、誰を糾弾したり、槍玉にあげるために書いているのだろうか。 そんなことを想いながら聴いていると、なんだか楽しくなるとともに、得も言われぬ「恐怖感」を感じないだろうか。 戦後の生まれだから、大戦に入った契機については、映画や本などから薄っぺらな知識しかないが、結局は「軍部」が先導したというのが実態では無いのだろうか。 だとすれば、現政権は軍(自衛隊はまだ「軍」にはなっていないのだが)も政権も一緒になって「扇動」している様ではないか。 先日、何かのTVだったと思うが、どこかの国の老人に「赤紙」が届き、老人曰く「もうこの歳になったのだから、戦争などは出来ないよ」というのだが、伝えてきた人は「おめでとうございます。この度80歳まで戦争に参加するように法律が変わりました」と言うものだった。 果たしてそんな道を歩むのだろうか。2018 年4 月10 日
取り扱い
私も、欲しいなと思った製品を、大蔵大臣で、私が欲しいというと、たいていの場合「なんで必要なのだ」と厳しい査問をする家内という関所を潜らなければならないのだが、手に入れると、まず自分が欲しかった機能を確認する。 これが、多分殆どの人がそうであるから、別段不思議ではない。 「基本的なことをやれるようにする」のである。 そこでひとまず満足して、だいぶん慣れるまではその機能を中心に使っている。 しばらくして、マニュアルを見て「こんなこともできるのだ」を理解する。 これは、正直にたいていの場合「へぇーっ」という感覚になり、随分と楽しく思えるのである。 だから、当然基本機能+ヘーッの機能をミックスして便利さを満喫する。 ところが、これにも慣れて、いわゆる「マンネリ状態」になると、最後に「こんなことはできないのだろうか」の学習の始まる。 これからが楽しいのである。 マニュアルをよく読んだり、メーカーのヘルプデスクヘメールして教えてもらう。 その結果「こんなにも便利な機械だったのだ」と思うと、いとおしさが倍加する。 単純な70過ぎの爺である。2018 年4 月9 日
昨日やり忘れたことは、今日しない
「今日やること」を「今日の用事」ということで「教養」という言葉を先輩から教えてもらって、朝ベッドの中で新聞を読んだ後、リストアップすることにしている。 それなりに一日が終わる時に「達成感」を覚えて気持ち良い。 ところが、割り込みなどで、どうしても「できない事」もあるのが現実である。 夜寝る前に駆け込みで出来ることはやるが、どうしてもできないこともある。 そんな時に「やらないようにしている」のは「明日やろう」にしないことである。 「やり忘れた」もしくは「できなかった」ことは振り向いてみても仕方が無いのである。 それはやはり「過ぎたこと」だと割り切ってしまうのである。 実際にやって見られると、気持ちが分かってもらえると思うのだが、「繰り越し」をやるよりもよほどすっきりすること請け合いである。 禅や宗教で言うところの「執着を捨てる」というほど立派な気持ちは、まだまだ持ち合わせられないけれど、悔やみながらやるよりも「新しいこと」としてやることの方が余程良いと思っている。2018 年4 月6 日
交通安全運動
今年も今日から春の交通安全運動が始まった。 今日は小中学校の入学式の日で、午前中は小学校、午後は孫娘が入学する中学校で式が行われる。 当番は今朝だったので、未だ真新しいランドセルに黄色のカバーがかかった「新一年生」の姿を見ることは無かったが、通り過ぎる小学生のうちの何人かは、カバーが外れた嬉しさか一種の誇りかは分からないけれど、一年の間に元気で大きくなり、笑顔が眩しい。 中には、私の顔を覚えてくれている子がいて、声にこそ出さないけれど、にこにこ笑顔で会釈してくれるのが、10数年続けていて、何度見ても楽しく嬉しいものである。 登下校時に街頭に立つことは、止めたけれど、少なくても中学卒業までは、交通事故などに絶対に遭わないように願うばかりである。 当番は11日にもう一度あり、その時には黄色いカバーのランドセルに「負ってか負われてか」のピカピカの一年生と、白線が真新しい中学一年生の姿も頼もしく見ることができる。2018 年4 月5 日
貿易戦争も怖い
米国が先に引き金を引いたのは事実だけれど、中国だけではなく、EUやロシアも巻き込んだ「貿易戦争」の火花が散り始めている、と素人目に見える。 何であれ「戦争」という言葉や事態は、理屈抜きに全く無くなって欲しいと思うのは勝手なのだろうか。 みんなが「I’m No.1」と主張すればどうしても鎬を削る時代になるのだろう。 なぜ「We’re No.2」と思えないのだろうか。 こんなことを言うと、在職中の研修で「No.1とNo.2の間はとてつもない隔たりがある」と教官から窘められた記憶があるが、「そんなに大きな隔たりを生む様なことが『平和裡の』競争になるのだろうか」と反論して、大きく議論したことを思い出す。 隔たりは「差別」を生むだけである、とリタイアした未だに考えは変わらないのだが。2018 年4 月4 日
放送大学を受講
大学的には「春休み期間中」ということで、番組表からタイトルだけを見て、「いっちょ、覗いてみるか」的な軽い「ノリ」で受講したのが、食健康科学という講座だった。 私を含む多くの一般人は「食が健康にどのように理屈で結びつくのか。難しくない範囲で、できれば生活の中に活かせないものだろうか」と思うのではないだろうか。 15回の講義で終了するのだが、現在まで7回受講した。 ところが、正直言って「考えが甘かった」ということに気が付いた。 「難しい言葉」が立て続けに出てきて、最初こそ「何とか理解したい」と思い、3度ほど繰り返してみたが、残念ながら「基礎知識」が無いので、到底理解できない。 で、その後、今回迄の7回と残された回は、横着だけれど「聞き流す」ことにした。 そんな中で「エッ」という項目もたまにあるから、解らない外国語で「片言」が理解できた楽しみのようなものがある。 聞き流しだけれど最後まで見続けたい。2018 年4 月3 日
勇気をもって「休もう」
今年は家内ともども71歳の誕生日を迎える。 いつまでも「若い人には負けない」と言っているつもりは全く無く、最近おぼえて、できるだけ実行してみようと思っていることに「勇気をもって休もう」がある。 身の回りを見て見ると、「日課」ということがあって「これだけはやっておかなければ」ということもあり、「これ終ってから」ということで、なかなか踏ん切りがつかなかったのだが、少し「きつい」と思ったら、勇気をもって休むことにしている。 それをやらなかったり、先延ばしすることによる影響が全く無い訳ではないだろうが、「やらなくったって、さほどに大きな影響がある訳では無い」と思うことにしている。 それよりも「これでやれなくなったら」ということの心配が先に立つことに気が付いたからである。 なまくらだから、という謗りはあるかもしれないが、そんなことは全く構わない。2018 年4 月2 日