2019 年1 月31 日
2019 年1 月30 日
日課にすれば苦痛でなくなる
「何かを始める」ということで、新年の一つの目標にされた方もいらっしゃるのではないだろうか。 私の周りにも何人かいて、1カ月も終わろうとしているこの頃「やり始めるのは簡単だったけれど、継続は難しいなぁ」と弱音を吐きがらもまだ続けている人や、既に何項目かは「断念」という事態になった人もいる。 私自身は「今年から始めた」追加項目は、「年賀状のイメージを年賀状ソフトとリンクして保存する」ことであり、随分前の物からあるので、楽しみながら「日課」として続けようと思っている。 そのためには「一日にこれだけ」と決めてやることである。 無理しない程度に「これだけ」を「日課」として続けると、気が付けば「続いていた」ということになり、全く苦痛にはならずに続けられる。 在職中によく部下に言ったことに「鯨を1頭食べる」というたとえ話である。 「遠くの鯨は小さく見える」ということで、『日課』として僅かずつ食べれば、体を壊すことなく、健康的に、美味しく食べ切れる、ということである。 小さな「日課」を一つだけで良いから始めてみませんか。2019 年1 月29 日
トイレの改修
生前の母のために、トイレに両手すりを付けてもらった。 最後には、部屋でポータブルトイレのお世話になったけれど、それまではずいぶんと世話になり、家内も介護の手助けになったと喜んでいた。 でも、あれからもう10年以上も経ち、水洗のためのリモコンも動作が不安定になり、メーカーに聞くと、生産も中止になっているとのことで、完全に適合するリモコンもないとのことから、取り替え改修を行うことにした。 そんなことから、家中を見回すと、ここかしこに「年季切れ」になりそうなものが見当たる。 贅沢はできないけれど、点滅が激しい蛍光灯器具なども、LEDの器具に取り換えたり、家計的に無理のない範囲で、徐々に交換してゆきたいものである。2019 年1 月28 日
ラジオネーム
たぶんまだ50代の頃から使い始めたと思いが、ラジオなどに色々な応募をするときに「中幸年」というラジオネームを使っていた。 意味するところは「そんなに大きな幸せなど求めず『中くらいの幸せで十分な年齢』という事」だと、聞かれると説明していた。 時々、アナウンサーと電話で喋る機会があり、幾つかの放送局や番組でそのようにしてきた。 でも、やはり6回目の歳男としては「中高年」は流石にその領域だというのも憚られるので、今後は何にしようかと楽しく考えていた。 そこでようやく思いついたのは「老年」の領域なのだから「中くらい」はそのままにして「朗年」と洒落てみようと決めた。 馬鹿みたいに大きく朗らかにするのではなく、含み笑いくらいに朗らかさを、感謝しながら生きてゆこうという意図である。2019 年1 月25 日
デジタル時計が楽しい
随分前までは「時間までデジタルで縛られるのは堪らん」と思って、できるだけ避けていたのだが、現実的には、正確性を期すためか、いろんな所での表示が「デジタル」である。 そこで、今度は「何か楽しく感じられないものだろうか」と考え直して、好きになろうと思っている。 そう思うと、必ずしも「時間」という事ばかりで楽しまなくても「数字の並び」を楽しむことにしている。 一番楽しいと感じられるのは、12:34:56ではないだろうか。 これに限らず「たったの1秒間」の楽しみであるが、偶然に出会えると、なんだか「ラッキー」と思うのは私だけではないだろう。 ほぼ毎朝出会うのは「5:55:55」である。 先日、少し深酒をして、早く寝たせいで、トイレに起きた時に、何気なしに見たのが「1:11:11」であった。 今のところ「5桁の揃い」はこの二つである。 少し待てば、出会える、という事なら待つが、その為に待っている、ということはできるだけしない。 そう思ったこともあったけれど、何かの拍子に「見逃した」ということによる残念感が嫌だからである。 お金のかからない、ささやかな楽しみである。2019 年1 月24 日
マー活という記事にびっくり
このブログをお読みいただいている方の中にもいらっしゃるのではないかと思うが、「麻婆豆腐大好き」という方。 今から10数年前に、中国へ行った時に、現地の方に案内してもらった「四川料理店」へ行き、「麻婆豆腐」を食べたが、とても日本で食べたことが無いほど辛くて、「痺れ感」が物凄かった。 団体旅行ではなく、ある方の紹介で、私が「辛いもの好き」だということが伝わっていたので、気を利かせて注文してくださったものだった。 正直、涙を流しながら、鼻水をティッシュで拭きながらも全て食べ切ったが、後から来る美味しさにも虜になり、特別にお願いして、陶器にそのソースを詰めてもらってきた。 我が家に置いておいても、私以外は手を付けることなく、半年くらい美味しく頂いた。 タイトルの「マー活」というのは、これに似た味のものを好むという事だとあった。 私の辛いもの好きは、これに始まったものではなく、元々好きだったが、唐辛子も京都産のものを買ったり、自家栽培でハバネロから、ジョロキア迄、現在でも作って使っている。 花椒は流石に栽培できていないが、国産山椒でも、痺れ感はそこそこあるので、昨年から混ぜ合わせて使っている。 もう10年近く前に先取りしていた。2019 年1 月23 日
有給休暇
年末だったかの報道で、「有給休暇の消化が50%留まり」というのがあった。 在職36年だったけれど、その間ほとんど有給休暇は消化したと思う。 たしかに、現在の状況で言えば、「ブラック企業」的な仕事も経験したが、その時は「俺がやらねば誰も出来ない」と自負していたし、現実にそうだった。 特別な能力という事ではなく、その分野に従事していたのが私だけだったということで仕方がなかった。 逆にその分の見返りもしっかりと頂いていた。 単身赴任期間も足掛け7年に亘ったが、正月とお盆にたっぷりと休暇を戴き、帰省して半年分の家族との生活を楽しんだ。 勿論、部下が育ってくれていたことで、上司もそれを許してくれたものである。 だから、有給休暇が取れる自分になって、十分に消化してほしいと思う。 のんべんだらりと過ごすのも良いし、仕事中は没頭できなかった部門の勉強でもいい。 兎も角、明けた時には「新しい自分」になっているために。2019 年1 月22 日
「喉まで出ている」が言わぬが花
リタイアしてからもう18年目になる。 在職中は、かなりわがままをさせてもらったので、リタイア後は「互角」ということと今までの感謝から「お説御尤も」ということで、平身低頭の生活を続けてきていて、それも随分と慣れてきたつもりだった。 でも、そんな自分でも、時々「そんなことを言うならお前だって」という気持ちが頭をもたげてしまうことがある。 正直「喉まで出る」のだが、飲み込んでしまうのが「一つの癖」になっている自分に気が付いた。 王様の耳はロバの耳、や、落語の堪忍袋ではないが、何処かに吐き出すことも出来ず、飲み込んでしまうのだが、思ってみれば、これが「幸せの秘訣」なのかもしれない。 なぁーに、パチンコでの憂さ晴らしという手段があるから、暫くは爆発せずに持つだろう。2019 年1 月21 日
サラリーマン体質
リタイアしてから、普段着は「格好より寒暖に合ったもの」にするようにしている。 だけれども、時折、仕方なく「スーツ」を着用する機会がある。 フォーマルでは必ずしもないのだが、セミフォーマルで良いくらいの所でも、そんな中途半端な服装は持っていないか知らないので、どうしても「スーツ」になってしまう。 36年間のうち30年以上は「スーツ」が「制服」だったり、場合によっては「戦闘服」だった。 サラリーマン体質の自分にとっては、そのような服装をすると「寒暖は別物」ということになってしまう。 明らかに自宅でのスタイルでは、ズボン下も穿き、場合によってはその上に「レッグウォーマー」も付けることがあっても、スーツで外出となると、そんな物は「不要なもの」になってしまうのである。 リタイアして20年近くになるが、まだ10年ほどはこんな服装生活になるのだろうか。 哀しくも楽しい、複雑な気持ちである。2019 年1 月18 日
読書感想文
昨年の1月17日から、今年の1月12日まで、約1年かかって読み切った本である。 「雑学 漢字・ことわざ 四字熟語」(現代国語研究会・編著 永岡書店 刊)。 父が買った本である。 蛙の子は蛙で、私もリタイア後見つけていたら、多分買っていただろうと思われる本である。 内容は、そのことわざなりの起源にも解説があるので、私の「上っ面だけ理解」だけだったものに、少しは深みを付けてくれたのではないだろうか。 全てを紹介する訳には当然できないが、表紙にある物だけを並べてみる。 (順不同)うそつきは泥棒のはじまり(ホントつきはお巡りさんのはじまりなのか)。 地獄の沙汰も金次第(三途の川を遊覧船で渡れるか)。 あばたもえくぼ(美人は三日見れば飽きるが、不美人は三日で慣れるか)。 人の噂も75日(この時代もっと早く、明日になったら忘れている政治家の黒い噂か)。 栗鼠(栗と一緒だと美味しいかな)。 五月雨(雨はあくまでもシトシトと降って欲しいものだ)。 馴鹿(やっぱり仏教徒でもプレゼントは欲しいなぁ)。 烏賊(烏賊が烏を食うっていう起源に驚いた)。 山葵(辛さはジョロキアから和辛子まで何でも好きだ)。 青二才(古希を過ぎてもこう言われる私って、どうなのかなぁ)。 栄螺(これは兼六園にある名所の一つ)。 君子豹変(ゆっくり変わっても君子は君子、とてもなれないなぁ)。 眉目秀麗(凡そ縁のないひと)。 比翼連理(男性は願うらしいけれど、女性は嫌だとか)。 軽佻浮薄(時々我を忘れてなってみたい)。 人面獣心(外面如菩薩内面如夜叉 鬼子母神も女性)。 質実剛健(かつては憧れた性質だけれど、一度も成ったことがない)。 隙に任せて一度は読んで見られることをお勧めする本である。2019 年1 月17 日
左義長
わが地域でも、恒例の左義長が行われた。 今年は、後片付けが夜になると、いろいろ都合が悪いとの意見から、点火は3時30分からと決めて周知された。 当日は午後から設えたが、天気も良かったので、いつもより多くの方の参加で、3時前には高さ5m以上の物が出来上がった。 応援に出た私がゆく着く前には、例年通り厚い鉄板が敷かれてあり、後片付けの準備も出来上がっていた。 いつもより早く始めたこともあったのか、点火前から次々と注連飾りなどが持ち込まれた。 以前は口うるさくビニール、ミカン、鈴など燃えないものは点検していたが、今では皆無とは言えないまでも大分少なくなっている。 他地域では、いろいろな事情で取り止めになったとのことだが、しっかりとした周知と鉄板などの準備で、翌朝にはまるで何事もなかったかのようになっている皆の協力で、まだ暫くは続けられるのではないだろうか。2019 年1 月15 日
年賀欠礼
来年からの年賀状を欠礼させてもらうことにしたのは約半数の40名ほどにさせてもらった。 それ以前の3年ほど前に「年賀状」ではなく「年賀メール」にさせてもらった人がやはり同じように40名ほどある。 今年末には約30名ほどの人に年賀状を出すことになるが、実際には「手間」としてはそんなに楽になる訳では無い。 確実に年賀状が40枚ほど減るので、金額的には2,500円くらいの費用節約になるだけだ。 それはともかく、今年の年賀状(メールでも同じ図柄の物を送らせて頂いた)のデザインは、「猪」を図案化したものは、昨今の猪被害を受けた人もいたので、無難な「鶴」を使った。 ところが、昨年末からの景気変動から、できれば「右肩上がり」に肖りたいとの思いから「右上に向かった鶴の図案」が無いかと探したのだが、全くと言うと私の捜し方が足りなかったのだろうと作られている方には申し訳ないが、残念ながら見つけることができなかった。 これは多分「何かそうしない理由があるはずだ」と思って、調べると、やはり「左側向きが『偉い』方だ」という事のようである。 始まったばかりで、「来年のことを言うと」と笑われそうだけれど、来年のデザインも、被害がそれなりの「鼠」を使わず、何か別の物にしたいと思っている。追記をみる
2019 年1 月14 日
「放送大学」で楽しく学習(12/11に採用された)
定期的に診察してもらっている病院の待合室で見た雑誌。 先日、楽しいコーナーがあった。 いわく、「大人の学び」と言う記事だった。 大学への再入学などが紹介されていたが、私の場合、環境などでなかなかできないのが現実である。 そこで、もっぱら「放送大学」を無料で利用している。 卒業しての学位取得などは気にすることなく、卒業論文なども無く、気軽で楽しく学習している。 タイトルで興味のある講座は、ビデオに撮って受講している。 やはり「大学」と言うのだから、最初のうちはなかなか理解できないけれど、「読書百遍」と同じく、繰り返しているうちに、少しずつ分かってくるのも楽しいではないか。追記をみる
2019 年1 月13 日
ブリやカニの「ブランド化」(12/17に採用された)
この時期、北陸では、ブリやカニをはじめとした「ブランド化」の話題でにぎわう。 決してひがみ根性で言うわけではないが、われわれ庶民には「高嶺の花」と言うよりももっと縁遠い「高級品」で、首都圏の市場で高い値段を付けられたものとなってしまう。 今は昔、とはよく言うけれど、香箱ガニなどは、1匹30円位で、バケツに入れて売られており、足の身などには目もくれなかったことを覚えている。 売る側としては、なにがしかの、グレードの違いを際立たせて、「売らんかな」だと思うが、形が悪くても味に違いは無いのだから、ぜひともそのようなものは積極的に地元での消費に回してもらえないものだろうか。 首都圏の人間から「えっ、北陸にいても、こんなに上等なものを食っていないのか」と言われることのないように。2019 年1 月12 日
一律返納に納得いかない状況(12/2に採用された)
9月末にけがをして、砺波の病院で施術してもらい、退院後、約2週間おきに通院していた。 車の運転は「絶対ダメ」だったので、往復バスを利用した。 バスの運行間隔が2時間に1本と言う状況に、当たり前に車を利用していた身にとっては、今更ながら驚いた。 この状態で「高齢者は運転免許の返納で事故の減少を」と言われても、納得がいかない。 けがから約2カ月たち、ようやく「運転許可」が出た。 年齢などで「一律返納」と言いながら、「交友関係を広げて認知症予防を」と言われても、できる人ばかりではないことを理解してほしいし、その分より注意して交通安全に努めたい。2019 年1 月11 日
「ごみ」を「護美」と書き換えている(11/24に採用された)
私たちの地区では、生ごみは月曜日と木曜日の朝に出し、資源ごみは毎月第一土曜日に出すことになっている。 どうも「ゴミ」とか「ごみ」と書かれていると「汚らしいもの」と言うイメージがどうしてもついて回る。 で、全ての「ごみ」を「護美」と書き換えてみている。 私の日記や予定には全て「護美」を当てはめてみている。 そんなものを順次書き換えて、しっかりとした「癖」にすれば、今までの「ごみ」が「美しいことを護ること」に自然に無理なくつながっていくだろう。2019 年1 月10 日
自転車に子供乗せることは(11/9に投稿したが採用日付を忘れた)
子ども乗せ電動自転車の新型が発売されると新聞に出ていた。 まだ20代で神奈川県藤沢市に住んでいた頃、まだそんなに人出が多かったわけではない湘南海岸まで、自転車で20分くらいだった。 当時、まだ未就学児だった息子を後ろの台に乗せて、何度も遊びや釣りに出掛けていた。 でも、幾つかの反省もあり、大きい事故にこそならなかったけれど、息子にけがをさせたことがあってからは、自転車は止めてバスに切り替えた。 それから40数年たっての現在、やはり自転車に子供を乗せるのを奨励する気持ちにはならない。 自転車と同じくらいの速度の乗り物であれば、屋根付きの電動自動車の方がいいのではないだろうか。 最近は「シェアカー」と言うものも一部で使われているという。 子供の安全上、ぜひともそちらの開発の方を優先してもらいたいものである。2019 年1 月9 日
「将来を見据えて」に思う(11/8に採用された)
この年になっていまさら気が付くことが、多すぎるということは、それだけ自分が無知だったということになるのだろう。 全く恥ずべきことだと反省している。 そんなことの一つに、政治家やお役人と言う人が使う言葉に「将来を見据えて」と言うのが「錦の御旗」のように使われていることではないか。 消費税についてもそうだし、移民政策ではないという入管法改正も、同じだろう。 消費税は、孫子に負の遺産を残さないために、というが、負の遺産を作ったのは誰なのか。 労働力不足のために、というが、足りた場合にはどうするのか。 いずれも「将来の見通し」が誤っているか、誤っていたからではないのだろうか。 遅ればせながらも「一度立ち止まって」しっかりとした見通しを立ててことに臨んでほしいものである。2019 年1 月8 日
いじめ発覚件数発表されて思う(11/1に採用された)
かつてのツービートのギャグの中に「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というのがあった。 今回のいじめの発覚件数では、なんだかそんなような風潮で発表されてるような気がする。 「みんなが言っている間に、うちも細かいものも含めて『あったこと』にして発表しておこう。 そうすれば『うそをついた』ということにはならないのだから」というような発表の仕方だ。 少なくとも「一人だけつるし上げ」と言う最悪の状況にはならないだろうという、一種のギャグ的な発想から出ているのではないだろうか。 教職員もそうなると、お役人と同一の人種になるのだろう。 これがまかり通ると、「あしき前例」となって、悪乗りが続き、結果としていじめということの再発防止にはならないのだろう。 私に良い発案がある訳では無いが、ぜひとも一件一件見極めて、再発防止策を講じてほしいものである。2019 年1 月7 日
「同一労働、同一賃金」に思う(10/25に採用された)
一時期盛んに言われた言葉に「同一労働、同一賃金」というのがあったが、最近また新聞紙上などで見掛けるようになった。 在職中の半分は「年功序列賃金」という体制で、後の半分は「年齢給と職能給」という制度の中で過ごした。 だから、基本的には、その言葉自体好きになれなかった。 自分から見れば「あの人と同じ仕事をしている」とか「あの人以上の仕事をしている」とかと見えるのだろうが、第三者から見た場合、本当にそうだろうか。 同じ「考えている」と言っても、視点が違ったり、範囲が違ったり、レベルが違ったりしているのである。 余り近視眼的に「同一」と判断すべきではないと思うのだが。2019 年1 月6 日
栗の木を選定 胸筋切るけが(10/20に採用された)
71歳と言う年をわきまえないわけではなかったが「まだこれくらいならできるだろう」ということで、今年大豊作だった栗の木に感謝を込めながら剪定を始めた。 上部の枝に取り掛かったところで、脚立が倒れて大胸筋を切るけがをしてしまった。 11日間の手術・入院の末に無事に家に戻れたのだが、筋がうまくつながるまでは、右腕は半固定していなければならなくなっている。 初めての状態で「いかに普段無理しているんだなぁ」と気付かされた。 復帰しても「無理をしないように」と思ってはいるが。2019 年1 月5 日
今回の平和賞 大いに賛意(10/13に採用された)
本庶佑博士のノーベル医学賞受賞は「がん撲滅」につながるとのことで、出自が富山県にもルーツがあるということで、誠に喜ばしいことである。 一方、下馬評で「平和賞」の候補に挙がっていた、南北朝鮮首脳と米国大統領だけれど、私に選択権があるのならば、絶対に「拒否権」を発動しただろうが、そんなことにならずに正直なところホッとした。 オバマ氏の受賞もそうであるが、「宣言」に与えられるものではなく、未来永劫の結果とまではいわないけれど、せめて10年程度の「継続した結果」に対してであるべきだろう。 そういう意味で、今回の平和賞の受賞者には大いに賛意を表したい。2019 年1 月4 日
「溜まる水は腐る」の象徴(9/29に採用された)
「点滴 岩をも 穿(うが)つ」と言う言葉は、好きな言葉の一つだが、この言葉と対になって覚えている自省の言葉に「溜まる水は 腐る」というのがある。 前者は「石の上にも三年」と同意だと理解していて、松下幸之助氏の言葉に「諦めなければすべて成功だ」と言うのに通じると思って、それなりに努力してきたつもりである。 今回の文部科学省次官らの辞任劇は、まさに後者の例だろう。 最初はささいなことから始まり、だんだん高価なものになっても「気が付かなかった」と言う弁はまさに「溜まる水」の象徴だろう。追記をみる