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2021 年5 月31 日

政治屋の「言葉」

 新型コロナウィルスだけではないが、政治屋の言葉が「根拠のない言葉」にしか聞こえなくなっているのは私だけだろうか。
 基本的には「精神論」だけでしかない。
 いわば「中学生」位に成ればだれでもこれ位の「台詞」は言えるだろう。
 在職中にいろいろなプレゼンテーションを行ったが、必ず聞かれることは「その根拠は」「目標は具体的に何で計るのか」が殆どだった。
 それが答えられなければ、殆ど全て「廃案」になってしまったので、その辺の論理固めを必ずしてから望んだものである。
 それでも、抜け穴が有る物で、諦めずに回を重ねて「教えてもらう」という態度で臨んで、一つずつ解決して採用してもらったことがある。
 これは、政治屋ばかりではなく、報道屋に一番聞いて欲しい課題なのに、それを追求しない報道屋も「グル」になって国民をだましているのだろうか。
 まるで、戦時中の様に「大本営発表」を伝えるがごとく。

投稿者:つねちゃん
at 07 :53 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月28 日

やっぱり素人のプログラム

 新型コロナワクチンの接種の案内が届いたので、急ぐことは無いと思いながら、案内が来てから3日後に家内の分と一緒にやってみた。
 市民が3万人を切るほどの市だからだったのかもしれないが、ネット接続も混んでいるようなことは全く感じられず、スムースに予約する事が出来た。
 最早の日は都合が有ったのでその次にしたのだが、それでもまだ20席の空きが有った。
 ところが、次いで家内の分を予約すると、もう15席に減っていたので、それなりに混んでいたのかもしれない。
 それはそうと、物覚えが悪くなっている事もあるので、予約した内容をプリントアウトしておこうと思った。
 それで驚いたのは、プリント内容には、受信者の名前や番号が全く無く、果たしてこれを他の人が持って行って「私です」と言ったらどうなるのだろうかと思ってしまった。
 こんな所が「素人のプログラミング」だなと思ってしまった。

投稿者:つねちゃん
at 08 :00 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月27 日

夕食の一家団欒

 孫娘が二人ともに高校生になり、頭は卒業を控えて忙しいらしいし、下は部活で練習が有るので、どうしても夕食時間に一緒に成るということは無くなってきた。
 これは悲しむというよりも、皆順調に成長しているのだし、私も似たような生活をしていたのだと今更ながら思うと、改めて両親に感謝すべきだろうし、それよりも現在生きている家族全員に感謝すべきことなのだろう。
 1か月ごとに繰り返し見ている徒然草の一節を書いてあるカレンダーに、「今、生きていると言う事が、どけれだけ感謝すべきことか」と言うような説があるが、まさにその通りである。
 年寄り嗤うな、行く道じゃ、わかもん叱るな、来た道じゃ、をしみじみ感謝しながら思う。

投稿者:つねちゃん
at 06 :36 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月26 日

結婚記念日

 昨年の結婚記念日には、「金婚旅行」と言う事もあって計画段階の年明けくらいには、新型コロナウィルスの話題がそれ程では無かったので、孫達を連れて9名の小旅行で沖縄へ行くことにして、色々と情報を集めた。
だがしかし、楽しい情報と一緒に新型コロナウィルスの情報も集まって来て、段々雲行きが怪しくなってしまつた。
 結局「沖縄は逃げて行かない」とこちらの身体の状況などは別にして、断念してしまった。
 案の定11月末には私が「小麦粉アレルギー」となってしまったので、「やめて正解」だったと思っている。
 この状況では今年も遠距離旅行は止めざるを得ないのだろう。
 オンラインツアーも考えてみたが、矢張り求めるものが違うようである。
 来年は、新型コロナも無くなり、まだ身体が大丈夫であれば、家内の希望の「奄美大島」へ行って見たい。

投稿者:つねちゃん
at 08 :55 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月25 日

天候不順は言い訳

 我が家の「猫額」のような畑でも、ようやく落ち着いて畑仕事が出来る様になった。
 天候不順もそうだったけれど、冬越しの外草と水捌けが悪い所なので、中々雪解け水が引かず、草刈り機も上手くエンジンが掛からず、中々腰が上がらず、無精が続いたこともある。
 それもどうにか修理も無事に終わって来て、刈った後は今までやった事が無かった「黒マルチ覆い」をしっかりとして置いたからでもある。
 それも天候がだんだん落ち着いてきて解禁になり、石灰や肥料も撒いて耕して漸く適期かなと腰を上げた次第である。
 連作障害を避けれると、おのずと作物が限定される。
 それでも、茄子、ピーマン、胡瓜、ゴーヤ、枝豆を漸く種蒔きや苗植えを終えた。
 後は乾燥させない様に気を付けることと、防虫である。
 今年も自家製のハバネロとジョロキアで虫食いや乾燥時の不手際で食べられなくなったものを木酢液に混ぜて使う予定である。
 鰯の頭かもしれないが、信じる者は救われる、だろうと淡い期待を持ちながら。

投稿者:つねちゃん
at 06 :47 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月24 日

風呂の黴落とし

 富山県にも緊急事態宣言が発表されそうな状況が続いていて、外出もかなり控えることになったが、私自身はもとより「不要不急」な用事ばかりなので、いつでもやめる事が出来る。
 また、交友関係もリタイアして20年も経つと県外や呉東に出かける用事も全くないと言って良い状況である。
 それは兎も角、天気が良くなって、家族はみんな「お風呂よりシャワー」と言う事になったので、浴室もそんなに湿気が高く無くなったのをきっかけにして、天井や壁に染み付いた黴掃除を始めることにした。
 私の掃除の仕方は「ピンポイント方式」である。
 どんな掃除でもそうではないが、浴室は特に「細かく区切って」行うようにしている。
 どうしても「混ぜるな危険」と言うものを使う事もあるからと言う事と、家内を初め「他人に成果を見てもらいたい」と言う「欲気」が有るからでもある。
 それをできれば何回も貰いたい。
 また、年を追うごとに区分が細かくなるのは、やはり「無理しない」を自分に言い聞かせているからでもある。
 今年は10区分で、もう2.5区分終わった。

投稿者:つねちゃん
at 06 :31 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月21 日

タイピングの練習は難しい

 今更ながらだと自分でも思うのだが、PCのキーボードに触れてから、もう50年近くになるのだが、未だに「目視タイピング」である。
 在職中に何度も「ブラインドタッチ」で早くなるように挑戦したのだが、その度ごとに挫折。
 因みに、確か在職中に「ブラインドタイピング」と言う言葉は、目の不自由な人に対しての「差別用語に成る」と聞いたので、それ以来「タッチタイピング」と言ってきたつもりだが、ここに来て、まだ治っていない言葉をついつい使ってしまっている。
 言い訳にしかならないが、タッチタイピングよりは遅いけれど、思い起こしながらそれなりにスピードがキープできたから良いとしよう、と「安易に陥ってしまった」のである。
 今回は、ボケ防止も含めて「遅くても良い『運指運動』と心得る」ことにしたので、スピードは追い求めないことにした。
 英文はそれなりに打てるようになって、自分勝手に卒業にしたが、和文の物は適当なソフトが見つからなかったので、練習の文を自分で作ってやれる物を使っている。
 漸く指の基本位置の1段(12文字)を始めたばかりである。

投稿者:つねちゃん
at 06 :18 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月20 日

ラジオ放送の音楽番組

 ラジオ放送の音楽番組をPCで録音し、曲目ごとに編集して、ウォークマンや車のオーディオセットに掛けて楽しんでいる。
 ずいぶん昔の、エアーチェックと言うところだろうか。
 私の場合は、映画音楽や、今では「懐かしの」という部類になった「昭和歌謡」が中心である。
 先日も、長時間にわたって、昭和の歌謡曲を流す番組があり、これは編集に時間が掛かるので、まだやってはいないが、その数日前には「歌謡浪曲」というシリーズで流れていた。
 これは大好きなジャンルの一つで、最近の若い人の物も時折聴いている。
 ある人に「PCでこんなこともできるよ」と言うと最初は信じて貰えなかったが、盛んに感心された。
 PCは「計算機」だけの機能ではない。
 多分もっと広い楽しみがあるだろうから、急がずに楽しみながら探していきたい。

投稿者:つねちゃん
at 06 :48 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月19 日

朝の15分は貴重

 つい先日まで、大好きな俳優の浪花千栄子さんの自伝を模した朝ドラを、実時間ではいろいろと難しくて、録画して少し時間をずらして観ていた。
 それで座ってお茶を飲みながらの約15分間は、寛ぎの時間だった。
 それが終わってからは、その時間がすっかりと空いたので、ナントも貴重な時間となった。
 僅かだと思っていたが、結構いろいろなことが捗っている。
 いつもは「寛ぎは無駄」と思っていた時間貧乏性だけれど、それが降ってわいたような「幸せな時間」となったのは、やはり「緩急」が有るから味わえるのだとしみじみ感じられた。
 これからも折につれ「緩・急」を付けて時間の使い方をして、貧乏性に活を入れて行きたいものだ。

投稿者:つねちゃん
at 06 :27 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月18 日

薬の裁量

 現在服用している薬はいずれも担当医師からの処方箋に基づくものである。
 そんな中で、貰った当時は、症状に応じて「続けて」飲んでいたのだが、医師や薬剤師の方から「飲み過ぎず、症状が和らいだら、自分の裁量で抜かしても良いですよ」と言われているものが3種類ある。
 そのように気を付けてはいるのだが、どうしても「習い性」と言う事で、十分に確認せずに「あるだけ」飲んでしまっていることに、今更ながら気が付いた。
 頭痛薬は朝夕食後の5日分、アレルギーの症状緩和剤は朝食後と就寝前服用で戴いている。
 頭痛薬で気が付いたのだが、2日目くらいから痛みは無くなり、多分風邪の症状から来ているのだと医師からも言われていたので、早速止めた。
 アレルギーに関するものも、副作用としては「眠くなる恐れがある」と言う事なので、気温が高くなるにつれて、症状が和らいできているので、適宜割愛している。
 それからは飲むたびにその薬の効用は何かを確認してから飲んでいる。

投稿者:つねちゃん
at 06 :38 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月17 日

またやってしまった

 2年ほど前に普通自動車から軽四車に乗り換えた。
 先日、病院の受付に娘の普通車を借りて行ってきたのだが、自動車学校で言うと「脱輪」と言う事になってしまい、車の下部を傷つけてしまった。
 特別目立つ場所ではないけれど、すぐに娘に謝罪と報告を行った。
 実は同様なことが今度は二度目だったのである。
 原因は「内輪差」の見逃しである。
 年齢と共に「感覚」は「慣れ」になってしまう。
 軽四の感覚で普通車を動かしていると、どうしてもそんな「慣れ」による事故になってしまう。
 これからは、出るのに少し手間がかかるけれど、しっかりと娘に車を移動してもらって、自分の車で出かけることにしたいし、家内からも厳命されてしまった。
 費用が然程ではなかったことがせめてもの幸いだった。

投稿者:つねちゃん
at 07 :47 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月14 日

謡曲本を読み終えた

 随分昔に約半年ほど大坪喜美男先生に謡曲を学んだことがある。
 勿論個人授業ではなく、15名ほどの団体の中の「その他大勢」の内の一人としてである。
 伯父や父が時折の宴会なとの時に謡っていたのを知っていて「出来たら謡いたいなぁ」と思っていたのである。
 それも仕事の都合だったりして、終わってしまっていた。
 父を見送って残された謡曲の本「旅の友」と言う3巻だけは「出来たら全曲謡えないにしても読みたいなぁ」と思っていて、先日ようやくそれを果たした。
 教本は当然「崩し字」が多いので、そのままではとても読めないので、図書館から「謡曲大観」を借りてきて果せたわけである。
 全て内容を理解することまではできないけれど、父への遅ればせながらの供養である、と思っている。

投稿者:つねちゃん
at 06 :42 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月13 日

テレビの娯楽番組

 私自身は、基本的にテレビは、一種の「教養番組」だと思っている。
 さりとて、娯楽番組を見ないかと言われれば、決してそうではなく、落語や漫才、吉本劇場などの「お笑い番組」は大好きである。
 ところが、最近そんな番組が少なくなってきていると思うのは私の見方が違うのだろうか。
 漫才番組だと言うので、見逃すまいと喜んで録画して見るのだが、なぜか素直に楽しめないのである。
 話を作る人の苦労は、ある意味理解もするのだが「話の盛り過ぎ」では無いだろうか。
 なんでもそうだけれど「過ぎ」と言う事に成ると、どうしても「無理」が出てしまう。
 それが、素人の私にもわかるようになると、矢張りつまらない。
 最も嫌なのは、漫才のコンビを取り替えて「即興」でやらせる番組である。
 当然練られていないし「上っ面」だけになってしまう。
 かつての「ヤスキヨ」はかなりアドリブが入っていたとも聞くが、それをそれと分からせない「コンビ芸」だったからあれだけの評判を得ていたのだと思う。
 同様な芸人さんの登場を待ちたい。

投稿者:つねちゃん
at 06 :49 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月12 日

お茶を変えた

 昨年の10月末くらいから、何時も飲むお茶を焙じ茶に変更した。
 それまでは、ペットボトルが主流で、緑茶、烏龍茶、健康茶と言われるものなど色々な物を飲んでいたが、そんなに外出することもなくなったこともあり、「家で沸かす」ことにしたから、年金生活者と言う事で、コストパフォーマンスに気を付けたからと言う事もあったが、少し贅沢気分でどれだけ飲んでも値段もしかりだけれど、容器の廃棄に気を付けることが少なくなったからである。
 決してその時点で「地球温暖化に寄与」などと言う事は毛ほども無かった。
 結果として、極々僅かだろうけれど、それにつながっているかと思うと、なんだか楽しい。
 そして、そろそろ夏向きと言う事で、まだ少し早いが、家内が言うには「麦茶だって暖かい物も偶には良いよ」と言う事で、麦茶にした。
 今度は地球温暖化よりも、僅かだろうけれども、SDGsに寄与できればと思っている。

投稿者:つねちゃん
at 07 :46 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月11 日

孫娘の「可愛い」に注意

 もう大分前から、時折だけれど「爺ちゃん、可愛い」と言われることが有ったが、その感覚の起点が分からず、苦笑いするだけだった。
 孫たちが実家に帰って、家内と二人だけの時間が有ったこの連休中に、なんとなくぼんやりと考えてみて分かった。
 赤ん坊が「何かをやろうとして、一生懸命頑張っている」仕種を見て、貴方はどう思うだろうか。
 「こうすればできるのに、忌々しい」とはあまり思わず、「可愛いなぁ」と思わないだろうか。
 孫の「可愛い」はどうも多分その辺に起点があるのではないだろうか。
 「私だったらすぐにできるのに、でも少し見ていようか」決して意地悪では無く。
 また「よくこの失点に気が付かずにいられるね、でも悪気が無いから、良いとしようか」。
 こんなところが、50近くも年齢の上の爺を見て「赤ちゃんのよう」と言う意味では無いだろうか。
 そういわれたら、ボタンの掛け違いは無いかなど、早速自分を見直してみようではないか。

投稿者:つねちゃん
at 08 :41 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月10 日

すべては自分の為だった

 自分の為にはいろいろな健康法をやっているが、他人様にはどんなことをしてあげているのだろうかと、連休中にふと考えたら「何にもしてあげていないのではないか」と言う事に気が付いた。
 パソコンを請われて教えているつもりだが、これだって「そうか、こんな使い方が出来ると良いのか」と気づかせてもらえたり、時には「こんな事が出来ないのか」と質問されて、私の知識には無かったので、主にネット経由で覚えて伝えて喜ばれることもある。
 こんな時は、私自身が「知れて良かった」と言う「自分のため」では無いだろうか。
 麻雀では確かに年間優秀賞を2度頂いて、「知ったかぶり」を決め込んでいるが、これだって「成る程こんな勘違いもあるのか」と気づかされたりすると反面教師的にありがたくなる。
 以前に2度読んだ吉川英治さんの宮本武蔵ではないが「我以外皆我師」は知っているつもりだったけれど、これからも大事にしたいものである。

投稿者:つねちゃん
at 06 :27 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月9 日

消費者に分かる場所に明記を(4/17に採用された)

 最近、ネット上だけかもしれないが「電源タップにも寿命」と言う記事が目に付く。
 生産者の「売らんかな」の宣伝では決してなく、食品における「消費期限」だと思えばわかりやすかろう。
 電源タップも同じで、場合によっては火災の原因にもなりかねない。
 そこで、生産者側にもぜひお願いしたいことがある。
 火災につながる危険性と言う事であるならば、既に明記されているだろうが、製造年月と消費期限を消費者にもはっきりとわかる場所に明記していただきたい。
 「購入日から何年」ではないはずであり、できることならば、販売店でも取り換えなら少し割り引いて交換してくれることを願いたい。
 火災になってからでは、調べようが無いのだから。

投稿者:つねちゃん
at 06 :47 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月8 日

「錯覚の科学」講座がお勧め(4/2に採用された)

 2021年度の放送大学のタイムテーブルが届いた。
 前年度は新型コロナと大学の春休みの関係で、本来のカリキュラムよりも公開講座などで、色々な分野の講義を聞く事ができた。
 もちろんすべてが分かる訳でもないのが、また楽しみの一つでもあった。
 1日から始まった新学期で、ぜひお勧めしたい講座がある。
 タイムテーブルでは、木曜日のお昼の時間になっている「錯覚の科学」と言う講座である。
 前年度は、まったく予期せぬ出会いだったので、途中からになってしまったが、その後最初から15回の講座を受講し、1.5単位と言う事になるだろうか。
 毎回違った「錯覚」に出合わせてもらえるから、自分の錯覚に気が付くだけでも楽しい時間であること請け合いである。
 私は今回は受講せず、忘れた頃に受講したいと思っている。

投稿者:つねちゃん
at 09 :23 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月7 日

物忘れの影響減少対策楽しい(3/20に採用された)

 家内と一緒に楽しく見ている「朝顔」と言う番組にヒロインの父親役で出ている、好きな俳優さんがいる。
 私よりも10歳弱若い設定だが「物忘れ」が激しく、本人も意識しているようで、盛んにメモを残している。
 最近の私をふかんしているようで、目が離せない。
 問題はいかにその影響を防止するかにあると思う。
 認知症だった父を無事に見送ったから「轍を踏まない」ようにと、利き腕だけでは無い腕での書き写しや、音読などいろいろとやっている。
 最近は「年相当の呆けはしようがないじゃないか」と言う気持ちで、焦らずドラマの俳優さんのように「メモ」を作っている。
 年齢だけでボケのレベルが測れるわけではないが、自分に合った「影響減少」対策も楽しいではないか。

投稿者:つねちゃん
at 07 :52 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月6 日

「27歳で横綱」ぜひ果たして(3/10に採用された)

 朝之山の今期の取り組みに対する言葉が紹介されていた。
 「27歳で横綱を果たす」とのことである。
 今年の取り組みでの「背水の陣」と言う言葉の重みである。
 テレビ桟敷でしか声援できないが、ぜひとも果たしてほしい。
 それに対して、あちらこちらで「全身全霊で取り組む」と発言されているお方のなんとも言葉の軽さか。
 この差はやはり「自分がやる」と言う事の違いからでは無いだろうか。
 朝之山は、応援や支援は必要だとしても「自分」しかいないのだが、片やの方は「俺が『言えば』誰かが忖度してやってくれる」と言う事なのだろう。
 大半の国民は、もうすでにそっぽを向いてしまっているのではないだろうか。

投稿者:つねちゃん
at 06 :47 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月5 日

発覚したら辞任と何故言えないのか(3/3に採用された)

 関連業者から接待を受けても、流ちょうに「今後このようなことが無いように『勉めます』」で締めくくられているのが、与野党含めて、ほとんど全て税金で飯を食っている方の言葉である。
 なぜ「今後このようなことが発覚した場合には、辞任します」と自信をもって言えないのだろうか。
 訓告、戒告、減俸何%、何カ月、と言ってみたって、同様に「喉元過ぎれば」である。
 追求する野党も「叩けば埃」の世界だからだろうか「格好つけ」だけである。
 国民も「百年河清をまつ」か。

投稿者:つねちゃん
at 06 :55 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月4 日

坂本スミ子さん冥福を祈りたい(2/2に採用された)

 新聞の片隅に、坂本スミ子さんの訃報が出ていた。
 84歳だそうである。
 NHKの「夢で逢いましょう」で見た。
 べらんめえは江戸弁で使う形容詞だが、そんな調子で、関西弁でまくしたてていた姿を思い出す。
 かつて歌が好きだった姉が坂本九を評した言葉に「失敗を恐れないで歌う」と言うのがあったが、それがそのままだった。
 かつて「リトル・ミス・ダイナマイト」と評されたブレンダリーと重なって見えた日本版「ダイナマイト嬢」と言うような歌手で大好きな一人だった。
 リバイバル番組で見た時も、ダイナマイト振りは当時をほうふつとさせてくれた。
 冥福を祈りたい。

投稿者:つねちゃん
at 06 :40 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月3 日

自分との「同行」楽しいのでは(1/25に採用された)

 出張で何度か四国を訪れて、お遍路さんの姿を見て「一度経験してみたいものだ」と思ったことがあった。
 ところが、50代前半で都合によりリタイアしたが、それから20年、最近では健康面での心配から、結局できずに今に至っている。
 そんな時に、「同行二人」と言う言葉に久し振りに出会った。
 そこで、思いついたことだが、弘法大師と一緒ではなく「かつての自分との『同行』と思えば楽しいのではないか」と思った。
 同行する自分に話しかける時に、かつての肩書で呼びかけてみてはどうだろうか。
 呼び掛ける方は余り気にせず呼びかける事が出来るだろうが、呼び掛けられた自分は瞬時かもしれないが、「シャキッ!」とするのではなかろうか。
 実際自分でやってみると、そんな気がする。
 そうなると、現在の自分に対して「やさしさ」を伴った声掛けが出来るのではないか。
 それでこそ、どちらかが「弘法大師」然となれると思うのだが、不信人者の戯れか。

投稿者:つねちゃん
at 06 :49 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月2 日

「よしっ!」でいい気分に(1/11に採用された)

 昨年までは、ともかく「感謝」と言う言葉を日記をはじめとして、色々な所で使ってきた。
 他人様の前で口に出して言う事は、気恥しかったので、内心でである。
 それも、一つの「習い性」になって心がこもってきていないような気がしたので、今年はどうしようかと年末から思いながら過ごしてきた。
 それで思いついたのが「よしっ!」である。
 基本的には、「やり遂げた」と言う事についての、自分に対する掛け声だけれど、感謝と同じように「失態もこの程度で過ごせた」と言う事に対しても「よしっ!」である。
 昨年はがんにもかかり、現在経過観察中だけれど順調だ。
 11月には「小麦アレルギー」になってそれなりに食事に気をつけなければならない。
 それでも、「この程度で済んでいる」と思えば「よしっ!」である。
 自分にこう言い聞かせれば、なんとなくいい気分になれるような気がする。

投稿者:つねちゃん
at 06 :45 | 健康 | コメント(0 )

2021 年5 月1 日

健康麻将で「人の輪」を(2021/1/3に採用された)

 リタイアしてから、健康麻将で、楽しい「牌話」を楽しんでいるが、むしろこれこそが今の若い男女に最適な交際術ではないだろうか。
 「飲まない」はお酒だけを避ければいいので、いろいろなお茶を楽しみながらで良いではないか。
 「吸わない」は間違いなくたばこであるが、それは周りの人への迷惑だから守っていただいて、「賭けない」は金銭をと言う意味だから、直接ではなく、会費の中からの「賞品」と言う意味でいいのではないだろうか。
 指先の運動で牌をかきまぜ、積む。
 手作りを楽しみながら頭の中でいろいろなことを考えると「脳のはっきり化」が得られること請け合いである。
 いきなり年寄りの仲間に入るのではなく、十数名で始めて、1ゲームごとにメンバーを組みかえれば、いろいろな人との情報交換になる。
 健康麻将で「人の輪」を広げていただきたい。

投稿者:つねちゃん
at 08 :58 | 健康 | コメント(0 )

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