考える
一昨日も述べたように、4月最後の提案は「考える」である。
俗に「下手な考え、休むに似たり」と言われるし、私自身在職中に部下にそのように言ってきた覚えがある。
言い訳になるが、それはその人が頭が良すぎて、何でもかんでも一緒くたにして考えて、堂々巡りをした結果、結論が出せないばかりか、ノイローゼ的になるのが見えるからであった。
リタイアして、お金は残念ながら微々たる程しかないものの、時間はゆったりとある。
そこで、いろんなことを考えてみるのである。
堂々巡りも良いことであり、その堂の巡りを回るのを楽しみとすればよい。
考えることなんて、いくらでもあるし、もし見つからなければ、新聞のどこでも開いてみれば、「なんでこうなるの」と言う萩本欽一のセリフが飛び出してくる。
それを考えればいいのである。
決して結論を早急に求めることなく、一つ結論めいたことが思いつくたびに、その反論を考えてみるのも楽しい。
脳細胞のどこが働いて、どのような効果があるのかなどは全く知らないが、少なくともただぼんやりとしているよりは、よほど効果的ではあるまいか。
大好きな噺家の桂枝雀の理論ではないけれど「緊張と緩和」と考えればいいのではないか。
一度やってごらんなさい、必ず自分にあった「考え」が出てくるはずですから。
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投稿者:つねちゃん
at 07 :47
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時には「何もしない」
今日と明後日で今月のテーマは終わりにさせてもらうが、実はこの2つが私が一番良いと思っている「ボケ防止と健康法」だと思っている。
何度か書かせてもらったけれど、生来の「時間貧乏性」の私にとっては「何もしない」と言うことが何よりも「勿体ない」と言う気がしている。
それが善であれ、悪であれ、何かをしていないと勿体ないというのが一つの性格である。 そんな私が「何もしない」勧め、と言うのは気が引けるが、健康法の一つとしては絶対にお勧めである。
でも、そんな性格は多少の差はあると思うが、諸姉・諸兄にも同じではなかろうか。
実際に「意識して、何もしない」と言うことは中々難しいし、最初のうちは「出来ない」事の方が多く、大いに悩まれるのではなかろうか。
私も同じだった。
そんなときのヒントとしては、晴れている時は「空を見る」雨が降って居れば、「(庭木などの)植物を見る」ことである。
無心になれること請け合いである、と言うか、少なくとも世間のしがらみ等と無縁になれる。
分単位、時間単位、日単位、何でもいい、ある程度の時間を決めて「何もしない」事である。
それが終わったら、また「すべきこと」に携わるので、その前よりもスピードなどと言うものが良い方に変わってくるという効果がある。
さて、明後日はどんなテーマになるか、乞うご期待である。
案外期待外れになるかもしれないが。
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投稿者:つねちゃん
at 09 :55
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就寝前に15分程度の読書を
若い時には確実にこの方法がダイエットに効いたと思っている。
ちなみに、反対に「飲んだらすぐ寝る」をやると、若い時も、もうそろそろ67歳の誕生日を迎える齢になっても、確実に「太る」のである。
現在の私の場合、9時過ぎから家内と飲みながら(夕食時の晩酌は基本的にしないので、この時だけである)TVドラマやニュースを見て、11時近くになってから、寝室へ向かう。
ちなみに寝室は私の鼾が若い時ほどではないけれど、それなりに煩くて家内の安眠を妨害するようなので、別々である。
それで、基本的には一日働いてくれたPCをシャットダウンするかスリープモードにして、「お疲れさん」と声を掛けて仕舞う。
その後、読書するのである。
先日読破したのは、忠臣蔵に関する本で、今まで断片的に理解していたストーリーと人物が何だかつながったようで、それなりに楽しく読み終えた。
次は「楽しく痩せる健康食」にしている。
15分くらいだから、一説一節区切られるものの方が良い。
ほろ酔い気分で楽しい内容の本を「覚えなければ」と言う脅迫感から解放されて、さながら鼻歌でも歌うつもりでの音読である。
上記のように「すぐ寝ると太る」の逆説になることは保証できないけれど、不健康にはならないだろう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :35
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得意分野の情報を知ろう
リタイアして10数年になるが、やはり長い間携わってきた「情報処理」関係の情報には、いまだに一方ならぬ、興味がある。
飽くまでも「興味」であるが、年に一度開かれるOB会で、現役の人と話していても、少しの知識不足はあるものの「置いてけぼり」にされることはなく、逆に「エッ、リタイアしてからでもそんなことを知っているのですか」と驚かれることも一つの楽しみである。
ことほど然様に、以前にも紹介した、全く違う分野での放送大学の受講、も楽しいけれど、やはりそれなりに実体験したことは理解が少しだけ深い、と思っている。
だからこそ、深い経験を積んだ(已む無く積まされた、と言う方もいらっしゃるだろうが)分野は「死ぬまで」学習するべきだと思う。
学習すれば、当然新たな疑問も湧き、それを調べる楽しみも出てくる。
別に「知ったかぶり」を装うためではなく、少し見知ったことを細く長く延長して学習できることは、やはり健康に悪いことはあるまい。
情報界は「生き馬の目を抜く」ほどだし、「ドッグイヤー」と言うほど目まぐるしく変わり、猫の目ほどに変化するので、付いてゆくだけでも大変だが、その分楽しみでもある。
投稿者:つねちゃん
at 06 :38
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新聞をもとに笑おう
昨日と同様な話題である。
怒ってばかりでは健康にいいことではないので、同じ新聞ネタで「大いに笑おう」である。
残念ながら、毎日毎日楽しく笑えるようなネタが新聞紙上を賑わしていることはない。
いや、むしろだから、新聞紙面で「探す」のである。
これがまず一つの楽しみと脳細胞の活性化につながるだろうと思っている。
そのためには(方言かもしれないが)「めっこめざらし」で探し回る必要がある。
また、そのためには、笑いの種を探す「センス」も必要になってくる。
勿論誰もが最初から持っている才能ではないから、磨いてゆくのである。
その結果、見つかると楽しくなる。
昨日と同様に、あまり他人様の目障りにならないように、勘違いされないような場所を選ぶ必要はあるが、針小棒大に「大声で笑う」事が大切である。
「笑う門には福来る」などと言うことは、まず無い。
だけど、大声を出すことは、呼吸器を刺激することになるだろうし、笑うことは横隔膜などの刺激になるから、決して健康上悪いことではなかろう。
福は「来る」ものではなく「呼び寄せる」ものであろう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :15
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新聞をもとに怒ろう
新聞記事を色々と見ていると、政治状況や他国との付き合い方、日本とは直接的には影響が少ないのではないかと思えるようなことなど、およそ「楽しくない」事もどうしても目に入ってくる。
そんなに広く大きな目で見なくても、扱いは小さいが、交通事故やごみ問題などでも「腹が立つ」事が、残念ながら目に入ってくる。
勿論反面で「気持ちの良いこと」や「涙をそそられる美談」などもあるのだが、今日は前者の方に目を向けたい。
在職中は、かなり上の人に「瞬間湯沸かし器」と渾名を取る人がいらした。
それまでは「危うきに近寄らず」を決め込んでいたのだが、あるトラブル以降、随分好かれてしまったのは、私にも「瞬間」ではないのかもしれないけれど「湯沸かし器」的に怒ることがあったのだろう。
リタイア後は、好々爺として過ごしているが、やはり健康的にはそればかりではいけないのだろう。
と言うことで、新聞に「怒鳴ってみる」事が今日のお勧めである。
勿論あまり人に聞こえるような処では「ボケが始まったか」と言われるのが落ちだろうから、人に聞こえないような場所でやろう。
例えば、運転する車の中などが良い。
大きな声で怒ってみると、結構気が晴れ晴れとすること請け合いである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :28
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新聞投書
世の中への苦情ばかりではなく、周囲の景色のこと、友人とのこと、孫の事そして時々政治への文句などで、いろいろと新聞投書をしている。
これは「文章を書く」「書いた文章を推敲する」と言う意味でかなりボケ防止になると考えている。
かてて加えて、もし採用されれば、図書カードと言うお礼もあり、何だか「俄かエッセイスト」の気分にもなれるから、なんとも気持ちもいいし、実益にもなる。
勿論「葉書に手で書く」と言うことになれば、より一層効果が増すだろうが、書損の葉書の山になりそうなことと、書き写しで大分「書く」と言うことにも慣れてきていると思ってはいるが、書いたものを翌週読み返してみると「相変わらず、ミミズがのた回っている」と言うような為体(ていたらく)では、とても気分が良い訳はないので、PCを利用している。
上記のほかに「身の回りに気が働く」と言う意味でもボケ防止になろう。
ただぼんやりと過ごすこととは雲泥の差だろう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :50
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お茶を飲もう
在職中からリタイアした今まで、いろんなお茶を飲んだ。
焙じ茶、煎茶、抹茶、中国茶、杜仲茶、烏龍茶、紅茶、色々な花のお茶などなど、とてもすべては思い出せない。
おおっと、忘れていたが、大概どこのお宅へ行っても出される「コーヒー」もあった。 色々なお茶に想い出があるが、一つは最後に出た「コーヒー」である。
実は、国内で出されるコーヒーは正直インスタントであるかどうかは問わず「あまり好きではない」と言うのが私の本音である。
しかしながら、家内が好きなので、若いころにはミルも買い、コーヒー豆もブルマン、キリマンジャロなど、評判によって買い求めたり、自分勝手なブレンドをしたりしてみた。
ドリップ式だけでなく、専用の電気コーヒーポットも買ったりした。
でも、あまり好きになれなかった。
ところが、大仰に「国内の」と言ったのは、最初に米国出張に行き、レストランで出たコーヒーは何の躊躇いと言うか気にもならずに飲んでしまい、挙句にお代りまでもした。
まるで薄い日本茶を飲んでいる感じで「これが本当の『アメリカン』か」と思った。
それ以来、コーヒーは、あまり好き嫌いはしなくなっている。
健康法と言う意味でのお茶の効用は、何と言っても「利尿」である。
特別尿が出難いということはないのだが、昔から「尿の出が悪くなるのは、何らかの病気が隠れている」と聞いていたので、兎も角それだけは何とか回避したいということで飲んである。
現在は焙じ茶専門であり、水筒などで持参できない時にはコンビニで買うが、その時は煎茶である。
焙じ茶はなんとも私の貧乏性の口に合う。
口に合う飲み物が健康に悪い訳がない。
投稿者:つねちゃん
at 08 :44
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アナログ辞書を使おう
最近のデジタル辞書は軽くて持ち運びに便利なうえに多機能で、ピンポイントで目的とするものを見つけ出してくれる。
それはそれで、齢とともに短気になりがちな私にとっては、有難いものであり、在職中からも積極的に使っていて、現在のものは3代目である。
ところが、以前のブログでも書いたが、見つけ出すことにおいては、リニアモーターカーの如く夢の超特急並みで、便利なのだが、感覚的な旅行の楽しみとしての「行き過ぎる風景」と言うものが全く目に入らない。
現在のものはまだ「近接事項」は目に留まるが、以前のものはまさに「単発」だった。
リタイアして書き写しや音読をしていたり、ネットでニュースを見たりして時々「なんだったっけ」と言うものに遭遇すると、アナログ辞書を捲ることにしている。
指先の運動もしかりだが、時折探すもの以外に「エッ、こんな事がこんなところに載っているのか」と言う「行き過ぎる風景」的なものにも出くわすのが、多分の期待以外の脳の刺激になると思っている。
投稿者:つねちゃん
at 10 :41
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英語新聞を読もう
特別英語が堪能なわけでは決してない。
いや、むしろ米国出張へ3度行ってきたが、いまだにその時の会話を思い出すと顔から火が出そうなくらい恥ずかしい思いをしてきた。
しかしながら、仕事上国内の情勢や状況及び情報だけでは、とてもお客様との話題に遅れてしまうことから、当時仕事上、少しだけ他人様より早くインターネットが使えたので、どんどん情報を集めて拾い読みして、幸いにして、お客様よりも少しだけ早く話題を掴むことができたし、提供することもできた、と自負している。
リタイアしても、やはり昔の癖は治らない。
情報界のこと全てを理解するつもりはないが、一般紙の中で「TECH」と言う部門のニュースを拾い読みしているだけで、結構分かってくるものである。
勿論分からない単語は、興味をひきそうであれば、面倒くさがらずにその都度辞書を引くようにしている。
随分昔になるが、「Y2K」と言う言葉を知った。
最初はよく理解できなかったが、ご存じのようにあれだけ世界奇な話題になり、少し早く知った私もそれで仕事を受注することができた。
英語に慣れる、辞書を引く、これが一つの健康法。
投稿者:つねちゃん
at 06 :22
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街頭指導の要領
毎週月曜日と火曜日の午後3時頃から、小学生(学校の行事都合などで、中学生の下校とも一緒になることがある)の下校時の「見守り隊」と言う活動に参加している。
また、春夏秋冬の交通安全期間には、主に登校児童の「見守り隊」にも当番制で参加している。
それ自体が「健康法」と偉ぶって言うのではない。
横断歩道のある交差点での「立ち番」なのだが、始めた頃は、正直「これも何かの恩返し」と言う義務感からだった。
従って、楽しみなどと言うものは、表面的には別として、内心は然程面白いものではなかった。
だから「立ん坊」で、「交通安全」とか「横断中」とかと言う旗を左右に動かしているだけだった。
ところが、暫くして、膝がおかしくなってきた。
いわゆる「肩凝り」的な状況になってきたのである。
でも、いまさら止めるわけにもいかず、考え付いたのが「数歩だけ移動する」事だった。 信号の時間は約1分くらいで切り替わる。
その切り替わりの時に「数歩だけ」移動して、横断歩道に向きかえるのである。
これで、約1時間の時を過ごすのだが、全くと言っていいほど「膝凝り」事象が無くなったのである。
散歩自体は別項でも述べたように、軽快に姿勢正しく何等の故障を感じることなく、帰宅してからは「心地よい疲れ」だったが、この経験はもう10年近く前に経験して、今でも続いている。
「数歩だけの移動」もそれなりに健康法につながっているのではないだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :44
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胡麻牛乳
胡麻の効用としては、いろいろなサイトに載っているが、私が好きな効用には、次のものがある。
便秘解消、白髪予防、コレステロール低下、咳止めである。
今ではほとんどその希望は無いに等しいのだが、相変わらず続けている。
細かいことを言うと、そのまま食べたのでは、皮が固くて破れず「体内を通過するだけ」と言うことらしく、きちんとすり潰したり、いろいろな細工をしながらその効果を最大限に引き出す方法が紹介されている。
本来鈍ら癖の自分にとっては「エエィ、ウルサイ」と言うことになってしまうのだ。
そんなことには殆ど無頓着に、でも、「通過するだけ」では面白くないので、電動式の「ごま磨り器」を買って、それで約30秒間やったものを牛乳と一緒に飲んでいるのである。
それも、何かの番組で見知った「食前30分ほど前」に飲んでいる。
本来「通過するだけ」でも美味しいし、好きな食べ物なので全く苦にならないし「牛乳で流し込む」と言う朝の空腹時に一種の爽快感が気持ちいい。
便秘は相変わらずだが、それでも以前ほどひどくないし、白髪はもう90%ほどなってしまっているので、いまさら予防でもない。
コレステロールは善玉、悪玉ともに既定値以内。
以前随分気になっていた咳は今では全く気にならない。
投稿者:つねちゃん
at 09 :04
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予定を書き出してから行動
これは結構「お薦め」の件である、と思っている。
朝、ベッドや床の中で起きる前にやることである。
「今日やる(べき)こと」をできれば書き出すのである。
そのためにはベッドサイドに使い古しでも何でもいいのだが、メモ帳と筆記用具(できればBくらいの鉛筆かシャープペンがお勧めである)を常備しておくことが必要だが。
必ずしも時間軸に沿わなくても、思いつくままでいい。
決して騙すつもりはないが、よく言われるように「騙されたつもりで」しばらく続けて見られたい。
そして、その日の終わりに(私の場合はナイトキャップが終わって、就寝前に読書をするのだが---この件については別項で書こうと思っている---)「出来たこと、出来なかったこと、やらなくて良くなったこと、やること自体が必要なくなったことを消し込んでいくのである。
当然、漫然と消し込むのではなく、「そういえば」と言うことが多分ほとんどの項目について思い出すことだろう。
そして、それからまた派生することも出てくるのではないだろうか。
そして「程よい達成感(決してできなかったことを悔やんではいけない)」で就寝するのである。
「達成感」は決して健康に悪い訳がない、不達成感などは「忘れてしまう」事である。
投稿者:つねちゃん
at 08 :23
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野菜作りは失敗の連続
リタイアした後の平成17年度に園芸高校専攻科を卒業した。
正直、両親が畑をやっている時には、全く見ようともせず、むしろ「買えば安いのに」と馬鹿にしていたのである。
ところが、二人とも見送った後に残された畑(もとは宅地)に雑草(私は今では目的外の草だと言う意味で「外草」と読んでいるのだが)が伸び放題になっているからどうにかしてくれと言われて、手で刈り取れるほど狭くはなかったので、耕作放棄地になっている隣の空き地でも夏には虫が湧くこともあったので、草刈機を購入して刈り取った。
これが「野菜作り」の初めで、もう少し学習してみようと園芸高校に進んだのである。
そんなわけでいつまでたっても「素人」の域を全く出ていないので、「失敗の連続」なのである。
しかしながら、負け惜しみではあるが、失敗作の途中で出てくる「新鮮さが命」の野菜を食べられる楽しみだけは、買ってくるよりも数段美味いのである。
発芽して「間引き」(これも私は「整理」と言う言葉を使っているのだが)した若い芽は何にして食べても美味しい。
無農薬という訳ではないけれど、少なすぎる農薬しか使わないからでもあろうが、こんなに元気溌剌な若い芽を食べることが、健康に良くない訳がないと思っている。
成功は「偶々」で失敗は「ほぼ常に」だから、失敗作は美味しい。
投稿者:つねちゃん
at 09 :08
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散歩はテンポを分けて
リタイア後、何回かは「休んだ」ことがあったが、今でも散歩の習慣は続いている。
何度かの「休み」はこのブログでも紹介したように「永続きのコツ」である、と言うのが私の逃げ口上である。
それはともかく、そんなことを経由しながらも、最初からの数年間は「一日10000歩」を目標にきっちりとやって来た。
目に見えて「健康になった」とは言えないけれど、それなりに安定して歩けたものである。
それが昨年頃から、帰った後で膝(特に左膝)がかなり痛みを覚えるようになり、いろんなことを考えながら最近は1時間以内を心掛けている。
尤も、元々「お調子者」なので、今日のように花が咲き、気候が良いと、ついついそれを越してしまい、足の痛みに悩まされるのが常である。
前置きはこれくらいにして、歩くテンポをその日の気分で決めるようにしている。
「エクササイズ」「ブラブラ」「物見遊山」何でもいいのだが、「今日はこのテンポで行こう」と決めると、結構楽しく散歩ができること請け合いである。
いや「今日は」でなくても良い「これから数分間は」でも良いし、気分によって「今から」でも良いのである。
兎も角リズムを付けることが良いのだと思っている。
理由なんか何でもいいのである。
よく言うように「酒を飲むのに理由はいくらでも見つかる」と言う気分でいいと思っているし、お薦めである。
投稿者:つねちゃん
at 09 :21
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書き写し
前回のテーマとは、少し内容が違うのだが、改めて書き写しを紹介したい。
手で文字を書く、と言うことについては前回紹介したので、その有効性については割愛しよう。
まず最初に始めたのは、基本と思われる「ひらがな」からだった。
PCで升目を作って、薄い色で標本となる文字を印刷して、それをまずなぞった。
これをたぶん1年ほど続けただろう。
ひらがなでも止め、撥ね、払いがあることを改めて知った。
また、「ま」の字のように「上の線と下の線の長短」に違いがあることも知った。
それが終わったら、同じ升目で、ひらがなの元になった漢字をやった。
「愛、伊、宇、恵、於」などで、これはやはりひらがなよりも複雑であったが、これも約1年くらいだったろうか。
そして、ようやく、以前にも述べた「般若心経」と言う文字列に取り組んだ。
それ以来、いろいろな本を思いつくがままに取り組んできて、今も継続している。
現在は「養生訓」と「読めそうで読めない漢字2000」と言うものをやっている。
思い返してみると、般若心経をはじめとして、どうも仏教に関するものが多い。
これは「分からない」から「理解しようとして肩が張らない」からである。
現在の「養生訓」にしたところで仏教ではないけれど、理解できないのである。
だから、ほぼ純粋に「指先の運動」に終始している。
あれもこれも、と言う気持ちは最初あったが、そんなことをやると「虻蜂取らず」になってしまうと諦めた結果である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :43
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ズボン、靴下などを立って穿く
詰まらないことかもしれないし、実際「出来ている人」にとっては「何を当り前のことを」と言われるかもしれないが、そんなにしょっちゅうではないけれど、時折、儘に、気が付かないかもしれないけれど、足が「思わぬ」動作をして、ヨロケテしまうことが無いだろうか。
色っぽい「ヨロケ」ならこの齢になっても、いやいや男であることを意識している間は(モノの本によると、大岡越前守の御母堂に聞いたとなっているが「女の性欲は、灰になるまで」と答えられたそうであるから、女性の方が上を行っているのかもしれない。その伝で言うと「男は灰になる前に爺さん(性欲減退の人)になる」ということだそうであるが)好きだから、どんどんやりたいのだが。
具体的、物理的に「ヨロメク」とやはり心配になってくる。
この方法は決して「予防」と言うことにはならないと思うが「自覚」と言う点では、かなりはっきりと分かるだろう。
やる時に、ぜひとも気を付けてほしいことは「倒れた場合の範囲の中には何も置かない」事である。
健康法ではなく、死に出の早道になってはどうしようもないのだから。
毎朝必ず着替えるだろうから、その時にやるのである。
パンツ、靴下、ズボンを立ったままでやると、どうしても片足立ちになる。
その時にヨロケル気配が無ければ「今日も一日元気だ」と良い気持ちになれるだろう。
投稿者:つねちゃん
at 06 :42
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無理せず「腹筋運動」
2月から始めたことである。
メタボリックの一つの指標に「腹囲」と言うのがあり、昔のズボンがきつくなったなぁ、と思っていたのだが、それでもまだ穿けるズボンがあるからいいや、と嘯いてきた。
ところが、そろそろ「穿けたはず」のズボンもだいぶんきつく感じられるようになってきたので、巻尺で自分で「無理せず、正味のまま」測ってみて驚いた。
ナント99cmもあるのである。
ズボンのサイズは85から95くらいを目安にしていたのだが、これでは窮屈になるのは自明の理であることに、自分自身気が付いた。
そうなると、結構行動力と言うか判断力(これが大体の場合は生まれ年の干支のように「猪突猛進」するのが玉に瑕どころか、傷だらけなのだが)が早いので、早速「腹筋運動」を始めた。
ところが、やってみてびっくりした。
ナント2回やるのが随分苦痛なのである。
それで、いつものように「無理なく」を旨として、2月だから、まずは毎日2回、月が増えれば+1回、にしようと始めた。
途中何かの記事で、腹筋運動が腹囲の改善のベストな方法ではない、などの雑音も入ったが、関係なし、我が道を行く。
暫く慣れると、その月のうちに5回までは何とかきついながらもできるようになったので、3月中旬まで5回にしたが、それも少し慣れてきて、大幅アップして、それ以降今まで毎朝10回にしている。
飽くまでも「無理せず」がモットーで、来月から11回になるかどうかは全く分からない。
投稿者:つねちゃん
at 08 :55
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左手(利き腕じゃない方)で文字を書く
毎朝の習慣として続けていることに「書き写し」がある。
最初はポツリポツリだったが、在職中で、当時流行った「無の心」と言うことで「般若心経」だった。
リタイアしてからしばらくして、多分ほとんどの人が思うように「何かしなければ」と言う一種の脅迫感から、思い出して始めたのがきっかけだった。
それが繰り返すこと500回ほど続いただろうか。
「書く」と言うことについては、追記欄に紹介させていただくが、滅法下手だった。 その後、私が買った本や父の遺した本などから適当なものを見つけては「書き写し」をしていたのだが、文字を書くこと自体が苦手だったので、初歩からと言うことで、「あいうえお」から始め直した。
そうしている時に「左右を使うように」と言うある番組で紹介があり、「それもそうだ」と始めた。
ところが、まず鉛筆をどう持って、どんな時に、何処に力を入れればいいのかから良く分からない。
だから最初は「ミミズがのたうっている」態で、まるっきり字にならなかった。
それから10年以上も続けているが、最初ほどではないけれど、やはり混み入った漢字等は様になっていない。
それでも「続けている」のだから、自分でも感心する。
もともと両手が使える人には何の健康法やボケ防止にはならないと思うが、それならば利き足以外を使ってみてはどうか。
これは環境上中々続けられていないのだが、意外に難しい。
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投稿者:つねちゃん
at 09 :15
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なるべく顔を動かさずに新聞を読む
この件は以前のブログにも書いたし、新聞投稿して採用された件である。
最初は新聞だったのだが、今では思いついたときにすぐにやることにしている。
特に今回二度目に登場させたのは、Windows8.1のPCを購入したことが原因である。
今までのものは17インチの画面だったので、この「目の運動」と言う意味では然程苦労することはなかったのだが、ワイド画面になったらかなり疲れるのである。
メールなどは然程ではないが、主にブラウザを見るときであり、現在はフォントを少し大きくして凌いでいる。
それにしても、最初は新聞のコラムなどの限られた部分だったが、それが半面をカバーするようになると、慣れないうちは結構疲れる。
それも押して努力すると、何とか小見出しくらいは全て見ることができるようになった。 それを続けているうちに、どうも私のポリシー、「努力する」と言うことはやらないのだと違っていることに気が気が付いた。
で、今ではそんなに無理することなく、冒頭にも書いたが「思いついた時」に億劫がらずにやる、ことにしているのである。
健康法に限らず「適度にサボる」事が永続きさせるコツである。
今月のテーマとして約20件ほど書かせていただくが、一つでも「やってみようか」と思ったら「億劫がらず」にやって見られることがお勧めである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :57
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毎朝数粒の銀杏を食べる
銀杏には、いろいろな効用がある、とは言うものの、基本的に自然食品の全てに言えることではないだろうか。
従って、取り立てて銀杏を上げることもおかしいと言われれば「そうですね」と答えるだけであり、反論などはする気が起きない。
ちなみに私流の勝手な効用は、次の事だろう。
・癌の抑制作用
・血栓の予防
・老人性痴呆症予防
・高血圧予防
このほかにもいろいろ調べれば出てくるのだが、タバコをやめてもう10数年になるので、痰がらみや咳がらみの効用は現在のところ全く意識していない。
銀杏は、その季節になると、旧福光町で「銀杏フェア」があるので、ここ数年はその時に2Kgくらい買ってきている。
粒の大きさにもよるが、大体は中粒のもので、数は数えたことはないが、約半年ほど食べられるので、8粒*180日で、1500粒くらいだろうか。
ダイレクトメールなどが届いたときの封筒に入れて、500W電子レンジで約30秒かけて、割れなかったものはプライヤーで割っている。
本当に若い実は、緑色で、日が経つうちに黄金色になる。
あまり手間もお金がかからず、美味しく頂けて、僅かでも健康に良ければ、これ以上良いことはなかろう。
もう数年前に、友人からもらった銀杏を植えて木がもう1m位に育っているが、「公孫樹」と言われるように、実が取れるのは孫の代になってからであろうが、それまで木を維持できるかどうかが課題である。
投稿者:つねちゃん
at 10 :12
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